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100周年記念誌

【100周年記念誌】津高探訪②「農学校門柱」

●陸橋側から見た現在の門柱(平成6年6月記念碑建立 写真左)

かっての津幡農蚕学校が建てられた場所、手前にある2本の古い石の門柱が「石川県立津幡学校」の正門跡である。(平成6年6月記念碑建立)

 昭和4年の世界恐慌のため、養蚕業は大きな打撃を受ける。それまで大きな販路となっていたアメリカに対する生糸の輸出が不振におちいったため、蚕の値段が急激に下落した。その結果、養蚕では各農家の経営が困難となり、卒業生の就職も難しくなった。この流れの中、「津幡農学校と改称しては」という地元民からの要望が高まっていった。

 卒業生が海外に進出したり、就職を志す場合、どうしても名前にとらわれ、農蚕学校では蚕科を主とするような学校のように考えられ、農学校出身者の方が優先的に採用される傾向もあった。学校側は養蚕学校創設以来尽力した方たちの了解を求めて、昭和11年3月、校名を「石川県立津幡農学校」と改称した。

●旧校舎(津幡農学校→津幡高校)写真(1966年〈昭和41年〉津幡高校第18回卒業アルバムより)