蒼頡は鳥の足跡で文字を創ったそうだ(校長日記)
夢を語る人
おはようございます。今朝は昨日から比べるとちょっと冷え込んでいますね。体調管理には十分気を付けてください。
今日も一日いい日でありますように。
先日、全校集会で「夢を語る」人の話をさせてもらいました。
1988年、当時大学生だった私の下宿に、駒澤大学野球部の学生3人が宿泊した時の話です。そのころは大の親友(現在は宮城県立高校の教頭先生)と一緒に住んでいました。<この友人との話でも日記が書けますが>
ちょっと余談ですが、駒澤大学野球部といえば、大学野球の名門校です。太田誠監督率いる駒澤大学からは、プロ野球選手も数多く出ています。読売巨人軍中畑清さんや、先のWBCヘッドコーチの白井一幸さんも卒業生です。学生のころ、研究室の学生10人ほどが白井さんに夕食をごちそうになったことがあります。そのころ白井さんはメンタルトレーニングのためにちょくちょく大学にいらしてました。トレーニングを済ませた翌日、駅まで白井さんを車に乗せて送ったことがあります。その日は契約更改の日ということで、当時の日本ハムファイタースの監督「大沢の親分」こと大沢啓二監督と話があると車内で話を聞いた記憶があります。
話を戻しますと、3人の学生は、鈴木望さん、早川宜広さん、菅原賢二さんです。鈴木さんは野球部の主将で、なんと星稜高校OBでした。昼間のトレーニングが終わって、夕食時にちょっとお酒を飲みながら3人の選手にいろいろ聞きました。「将来はどうするの?」という話題では、鈴木さんは「ジャイアンツに入団します。」とのこと。早川さんは「高校野球の指導者になり、甲子園を目指します。」菅原さんは、「社会人野球に進みます。」3人ともそれぞれ道は違えども、野球に携わりたいという気持ちに変わりはなかったようです。
翌年、鈴木選手は本当にジャイアンツにドラフトで指名されていました。早川さんは某高校で監督に。夏の甲子園では準優勝にまで上り詰めています。菅原さんは社会人野球に進み現在は指導者として精力的に活躍しているようです。
3人の夢もそうですが、当時私も同じように夢を語っていました。
「体育の先生になる。そしてバスケットボールを指導する。」
教師生活もやがて終えようとしています。ふと、あの頃を思い出したので、全校集会で紹介しました。
「がんばろう のと がんばろう いしかわ」
ワクワクを楽しもう
今日も楽しく一生懸命
無財の七施
おはようございます。今日は天候が急変し、冷たい雨の朝を迎えると勝手に思っていたので、ちょっと拍子抜けしました。この後天候も崩れてきそうです。
今日も一日いい日でありますように。
南信州飯田の元善光寺。以前訪れたときに、目にとまった言葉がありました。
無財の七施
眼施(がんせ)目は心の窓、いつもやさしく
和顔施(わがんせ)いつもほほえみをたたえ
愛語施(あいごせ)すみません、有り難う、どうぞを素直にいい
身施(しんせ)お互いに助け合いかばい合い信じ合い
心施(しんせ)世のため人のために自分の力をつくし
床座施(しょうざせ)人には席をゆずり
房舎施(ぼうじゃせ)雨や風をしのいでもらいましょう
無財の七施とは、お金や物がなくても周りの人々に喜びを与え、自己を高めたり世の中の人々の心を和ませたりできる慈悲の実践のことをいうそうです。一人ひとりのささやかな行いが周りの幸せのためになり、行いを通じて自分も幸せな気分になれるのだそうです。
このようなこころ、日々の雑多な事柄に振り回され、忘れがちになっていたなと、ちょっと反省しています。
「がんばろう のと がんばろう いしかわ」
ワクワクを楽しもう
今日も楽しく一生懸命
師走です
おはようございます。いよいよ12月。師走です。
今日も一日いい日でありますように。
今月の言葉
「歳々(さいさい)年々(ねんねん)人同じからず」
-劉 廷芝(りゅうていし)-
:人は年毎に変わってゆくのであります。花は毎年同じように咲きますが、白髪頭、しわの一筋一筋は、経験の積み重ねであり、努力の賜であります。年の変わり目、一年を顧みて来年の糧としましょう。
令和6年12月1日 白山本宮 白山比咩神社
一年もあっという間に過ぎたように感じます。
白髪もずいぶん増えました。
「がんばろう のと がんばろう いしかわ」
ワクワクを楽しもう
今日も楽しく一生懸命
PBSと「インナーゲーム」ところで「インナーゲーム」ってご存じですか?
おはようございます。幼いころ、雪が降る前に必ず雷が鳴ると聞かされてきました。(皆さんはどうですか?)今週末雷とともに、あられが降っています。冬の雪だよりがもうすぐそこまで来ているようですね。
今日も一日いい日でありますように。
PBSについて、私が思っていることを一つ。
本校で取り組んでいるPBS(ポジティブな行動支援)ですが、児童・生徒の良い所を認め、ポジティブな行動を増やすことで、問題行動が発生する機会や回数、時間を減少させるというものですが、ここに「インナーゲーム」への理解が入ると面白いなと、最近思っています。
ティモシー・ガルウェイが唱える「インナーゲーム」は、人の心の中にはセルフ1(指示や反省をしている自分自身、時に自分自身を叱責・罵倒することもある)と、セルフ2(本来自分自身が持っている力を発揮する。ただし、セルフ1による指示・命令、ときに叱責などに大きく影響される自分自身)が存在するというもので、人は、セルフ2に任せておけば何事も上手に行動、或いはプレイしようとするものなのだが、「ああしろ、こうしろ。」だとか、「なんて下手くそなんだ。」などとセルフ1の内なる声(人が自らの内側に作りだした教えたがりのコーチ)に邪魔され、自分の思い通りの行動やプレイができなくなる。セルフ1は常にセルフ2の上に立ち、支配的であり、評価を下し、時にその評価は自己肯定感を下げてしまうことにつながる。このようなことは誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
ここからは私の私見ですが、児童・生徒たちは本来正しく行動できる力を持っているはずであると考え、行動支援をしていく。このような立場に立って、児童・生徒の良いところを認め、褒めて行動として引きだしていくことがいわゆるPBSだと考えています。子どもたちの力を信じ、子どもたちに委ねることで、大きく力を発揮し成長していくと信じています。
教員が「あれダメ、これダメ。」「なんでできないんだ。」などとネガティブな声掛ばかりしていては、本来持てる力を子どもたちが発揮できないばかりでなく、違った方向へ向かうことで、児童・生徒と対立関係に陥ることにつながってしまう。このようなことはこれまでもたくさん経験してきました。
子どもたち自身の中にもセルフ1のような小言をいう存在がいるにもかかわらず、教師がそれに追い打ちをかけるように指示・命令等を続ければ、誰もがいやになるに違いありません。
ちなみにセルフ1を黙らせ、本来持つ力を発揮する方法としては、インナーゲーム理論を踏まえたテニスの指導法「バウンズ・ヒット法」があるのですが、それは相手コートからかえったボールが自コートにバウンズした時を「1(イチ)」ラケット面にボールがヒットしたときに「2(ニイ)」というだけなのですが、これが見事に相手コートへボールを打ち返す結果となるのです。「1(イチ)、2(ニイ)」と言うだけでセルフ1を黙らせることができる。人は同時に2つのことをすることができない事を応用しているのですが、PBSも同様によい行動と悪い行動は同時に現れることはない。良い行動を増やすことでマイナスな部分を減らしていくと言うところではインナーゲームと一緒だと思っています。
私たち教師のポジティブな言葉かけは、子どもたちの良い行動をどんどん増やしていく。そのためにも子どもたちの力を信じ、子どもたちに委ね、勇気をもって実践していくことが大切なのだと思っています。
長文すみません。ここまで読んでいただいた方にはお礼を申し上げます。
週末です。
「がんばろう のと がんばろう いしかわ」
ワクワクを楽しもう
今日も楽しく一生懸命
冷え込んでいます
おはようございます。昨晩から早朝にかけて、天候も荒れ、時折あられ混じりの雨模様。すっかり冷え込んでいます。暖かくしてお過ごしください。
今日も一日いい日でありますように。
今日、明日と期末テストを実施します。通常ですとテストとテストの間の休み時間を10分に設定しているのですが、今回から15分設定とします。少しでも生徒たちにゆとりを持ってテストを受けてもらいたいということと、教員のテスト回収・確認業務をゆとりを持って行いたいという、2つの理由から実施します。
これもひとつの多忙化改善につながるのではないかと思います。これまで当たり前だった学校の常識というものに、しっかりと向き合うことが大切です。「見直す」と一気に行くのではなく、「見つめ直す」この過程が私は必要だと考えています。
校則についてもそうです。校則を「見直す」と一刀両断するのではなく、「見つめ直す」ことで今まで継続してきた良いところを理解し、受け入れながら、改善するところ、廃止するところがあれば実行する。そして、規則でがんじがらめにするのではなく、生徒も教員もお互い幸せになれるように「見つめ直す」「あれダメ、これダメ」と注意してばかりではお互いの幸せにはつながりません。
このことは、前任校での「自由服登校週間」の取り組みで学びました。何事もまず「やってみなければわからない。」いわゆる「冷暖自知」です。私たち教師は、今までの経験則(自分たちが生徒の時に指導されてきたことも含めて)から「〇〇はダメでしょう。」といった考えにとらわれています。それはだれも疑うことをしてきませんでした。指導する場合、一定の規準(マニュアル)があればだれもが一律の指導ができます。今はもうありませんが、スカートの丈はひざ下何センチまでとか、頭髪は「中学生らしい・・・。」
何をもって中学生らしいのか、数十年前では暗黙知で理解できた?(理解させてきた。過去にはわかっていてもあえて守らないということが多々あり、トラブルが勃発してきました。) ことですが、多様な価値観が尊重される今、一律のルールや規則、マニュアルに頼るのではなく、教員も生徒もお互いに理解しあい、合意の下でルールを策定する。「守りなさい。」ではなく、「守ってるね。できてるね。ありがとう。」と認めあえる学校社会を作っていく必要があると考えます。ルールは教員の指導のためにあるのではなく、生徒が幸せに学校生活を送るためにあるものだと、その幸せを私たち教員が後押しする。学校ではお互いのQOLの向上を目指していく。
そうじゃないかなぁといつも思っています。
地震が続いています。
「がんばろう のと がんばろう いしかわ」
ワクワクを楽しもう
今日も楽しく一生懸命