2024年9月の記事一覧

酒人を飲む

地震から274日目

豪雨から10日目 

 

酒は百薬の長とも

命を削るカンナとも申します

陰気な酒はいけませんな

と落語のような出だしですが

 

人酒を飲む

最初のうちはおいしくいただいていますが

そのうち

 

酒酒を飲む

自分が欲しているわけでもないのに

おなかの酒が

次々招き入れるようにすすみ

やがて

 

酒人を飲む

自制心が効かなくなってしまいます

千と千尋のカオナシ状態です

 

酒を飲むと人にからんだり

ダメになる人もいますが

実は酒が人をダメにするのではなくて

本来ダメな人が

酒によって正体が暴かれているにすぎません

 

同じような話で

コーヒーは胃に悪いとも聞きます

確かにコーヒーを飲むと胃が痛いことはありますが

これはコーヒーが悪いわけではなくて

胃が悪いときにコーヒーを飲むと痛むだけの話です

もともと潜在していた問題点が

コーヒーによって顕在化したにすぎません

 

これと同じことが今被災地の教育現場で起こっています

今被災地で起こっていることは

地震や水害だけのせいで起こっているのではなく

被災前から全国のあらゆるところで

くすぶっている問題です

たとえば教員不足の問題であったり

教育格差の問題であったり

 

生徒を見ていても

きちんとした学習習慣の確立していた生徒は

被災により環境が変わっても

自分のすべきことにきちんと取り組んでいます

大変だねと声かけしても

環境が悪いから勉強できないなどとは

一言も口にしません

 

学校では今

建物の基礎調査のための掘削が始まりました

騒音がうるさくて正直授業どころではありません

でも工事も進めなければならないし

生徒には集中力で頑張れと

精神論しか今は言えず

本当に申し訳ないです

 

だからといって

学校として

全てを生徒の自己責任にすることは

許される訳もなく

精一杯のことをやっていきます

 

まずは

水害により家庭での学習に支障をきたしているみなさん

休日の学校を学習場所として開放しています

昨日一昨日と何人かの生徒が登校し

学習に取り組んでいました

 

 

 

 

 

 

しかしこれなども教育格差のひとつです

都会なら学習塾や図書館があるけど

過疎地では学校がその役目もしなければならないこと

それに付随する教員の働き方に関する問題です

  

 

 

 

 

 

 

3年生の岩田さんのおかあさまが

みんな頑張っているからと

おやつを差し入れしてくださいました

ありがとうございます

みなさんに支えられながら

がんばっています 


フジ・アート

そして

府中童謡の会・府中市赤十字奉仕団の

藤原 美江さまより

ご支援をいただきました

本当にありがとうございます

 

 

 

 

 

 

東北から帰ってきました

地震から273日目

豪雨から9日目 

 

東北研修旅行から帰ってきたのが

昨晩の10時

学校で迎えました

ハードなスケジュールだったけど

頑張りましたね

 

たくさんのことを学んできました

 

先生も生徒も

本当に久しぶりに

心から泣きました

 

そう

被災地で頑張っていると

決して涙は見せまいと

明るく振る舞うんですよね

 

多賀城高校さんからは義援金までいただきました

本当にありがとうございます

生徒のみなさんにも暖かく迎えていただきました

最後に手を振って見送ってくれた場面は

一生忘れない!

と口々に言っています

色紙にはみんなからのメッセージが

 

 

 

 

 

 

私も深夜の校長室でそれを読んで

久しぶりに心から泣きました

 

いただいたメッセージには

 

「悲しい時は泣いてください

 つらい時は落ち込んでください

 ただ

 生きることを絶対に諦めないでください!」

東北から帰ってきます

地震から272日目

豪雨から8日目

 

今日は東北研修旅行から

生徒が帰ってくる日です

 

生徒から感想が送られてきているので掲載します

1年
今回の東北ツアーを通して嬉しかったことや、学んだことや、気づいたことは、まず、輪島の場合は備えが充分になかったり、日頃からの避難訓練が宮城より、適当に感じたことです。多賀城高校に言った際に、輪島は学校や地域の避難訓練があまりおこなわれないことに驚かれました。やっぱり、被害にあった人たちはこのように、自分たちの子供や孫などに地震の話をして、地震の怖さや、その時どう言った対応をしたらよいかということを伝えているんだな、家族で話し合って、地域の人と話し合ってその時どういった行動をしたらいいか話し合っているんだなと感じた瞬間でした。この地震があっても輪島はまだ、地震に対して、恐怖心や、危険性を持ってる方は少ないなと思いました。憶測ですが、今輪島高校の全校生徒に災害バッグや、もしまた何か会った時用に、その場で対応できる備えをしているかと聞くと半数も手をあげないだろうなと思いました。なぜなら実際私たちもこの質問を受け、手をあげた人は半数にも満たなかったからです。
そして、もう一つ問題だなと思ったことは、避難訓練です。私たちは学校にいるタイミングで地震は来なかったけれど、東日本大震災では、ほとんどの児童が学校にいる時間帯でした。そして、現地の人の話を聞くと、子供達の命を落としている数がとても多かったことがびっくりしました。そして、校舎自体も大きな被害を受けていました。話を聞きながら、今回は津波は来なかったけど、もし来ていたら、私はちゃんとした行動ができていたのだろうかと、とても考えさせられました。そして、避難訓練は学校だけでなく、地域でもやるべきだと思います。めんどくさいなど思う方もいるかもしれませんが、みんなの命を守るきっかけにつながると思うし、あの時やっててよかったと思う瞬間が必ずあると思います。備えあれば憂なし。本当にその通りだなと感じました。そして、嬉しかったことは多賀城高校と交流が終わり、バスに向かおうとした瞬間に、ほとんどの多賀城高校の生徒が、私たちを囲み頑張れー!と、応援してる!と大きな声で叫んでくれたり、吹奏楽部の演奏や、ダンスを踊ったりして、見送ってくれました。あの光景は一生忘れられないほど、本当に嬉しい出来事でした。そして、友人もできました。地震は大変だったし、苦しかったけど、この地震があったからできたこともあったし、もう一生、関わることがなかった人とつながることができたと思います。この機会を与えてくれた、宮城の方々、学校の先生方、宮城に行かせてくれた家族たちに、感謝しかありません。ありがとうございました。宮城も輪島も大好きです!復興頑張るぞー!

 

1年
今回私は東北ツアーに参加しました。楽しそうだなって思ったからです。あまり良くない事だと思うのですが、最初は軽い気持ちした。24日に事前学習で調べた事を発表し合う活動をしました。

地下鉄に居る時に地震が怒った場合に取る行動についても問題を出してくれました。選択肢として、「中央にかたまる」「電車に乗り込む」「出口まで逃げる」の3つの選択肢がありました。この中で正解は電車に乗り込むでした。崩れても電車が支えてくれるそうです。将来に生かせる!と思いました。館長さんがお話をしてくれた中にとても印象に残ってる事が沢山あります。ある方が朝に親と喧嘩をして仕事に行きました。車に乗りながら、親の好きな物を買って帰って謝ろう。と思ったそうです。ですがその後の地震で津波が来て流されました。その方は必死になって探したそうです。そのおかげで両親は亡くなったけど見つけることができました。ごめんね。って一生謝ることができなくなった。と後悔していたそうです。この話が特に印象に残ってます。もう1つは、逃げよう!と言える人になる。ということです。あのとき逃げよう!と言ってくれた人がいたので今生きています。と館長さんは言われたそうです。私も逃げよう。と言えるようになりたいです。自分で決断できる人に。とも言っていました。私はすごく自分で決断することが苦手です。なのでこの言葉はとても印象深いです。日頃から自分で決断できるようにしていきたいです。

2日目は門脇小学校について聞きました。実際に校舎に入って火災や津波の跡を見てきました。ここで授業をしてたんだなと思いました。教室の中はすごく散乱していました。焦げていました。みんなにも1度行ってみて欲しいです。ビデオを見ました。教壇を使って、協力し抜け出したと言っていました。手助けをしていた人が後ろにいた人に行きなさい。と言ってもらって逃げた。という風に言っていました。その後に、手助けを放って先に逃げた人がいる。という噂が立ったそうです。その方の子供がお母さん。気にしないで。お母さんは何も悪くない。と言っていました。とても良い親子だと思いました。次に女川町のこんのまさひとさんにお話を聞きました。その中で想いの共有の場を作る。というのがとても大事だなと感じました。他にも、街づくりには10年~20年かかる。だから10年後20年後の若者に託す。と言っていました。40代50代が中心になってやる。70代は口出ししない。とても素敵だと思いました。2日目の最後には多賀城高校に行って、高校生ができる事。をグループワークで話し合いました。多賀城高校の生徒さんがとても良い人達で話しやすかったです。輪島には備蓄品がないから、それを生徒会に話したりする事が私たち高校生に今できること。だと意見が出ました。見送る時に多賀城高校の人達が盛大な見送りをしてくれました。とても嬉しかったです。

3日目は、朝市の方のお話を聞きました。とても熱心に話してくれました。復興について話してくれました。待っているだけではダメ。自分で行動しなさい。現地に行きなさい。メールや電話ではなく、現地に言って話す。と何度も仰っていました。私も待っているだけじゃダメだと思います。行動できる人になりたいです。

この3日間で、最初とは意識が変わりました。最初軽い気持ちを持っていたことがとても恥ずかしいです。東北ツアーに参加して本当に良かったです。どれだけ悲惨だったかが分かるツアーでした。ただの話だけではなく、展示している所に行って実際に見たりすることが大事だと思います。学んだだけじゃなくて、多賀城高校生徒さんとの交流等で、楽しい思い出もできました。私は東日本大震災などこれを沢山の人に知ってもらいたいし、実際に、行って見て聞いて話したりして欲しいと思います。

 

2年
 今回の東北復興研修で、東日本大震災時の地震、津波そして復興までの過程を学ぶことができ、そこで学んだことを輪島市の復興と今後の災害への向き合い方を考えて行こうと思った。

研修旅行を通して、石巻市の大川小学校を視察した際、その当時の事を話してくれた三條すみゑさんの話が一番印象に残っている。警報が出ているとき三男に電話をした。最後の方に「母ちゃんも向かってるからな」と言った。その言葉を言ってしまったため三男は近所の人が「避難しよう!」と言っても「少し片付けてから行きます」と言い避難はしなかった。すみゑさんは「自分で息子を殺してしまった」と涙が込み上げてくるのを耐えながら話していたことに自分も悲しい気持ちになり、もらい泣きしそうになった。

津波は残酷だ。しかし、自然災害を止めることはできない。だからこそ災害を止めるではなく、災害が起こった後のことを考え市民や学生、外部の人たちに今回聞いたことや能登半島地震で体験したことを伝えて、より災害について深く考えてもらうことが今後起こる自然災害への対策につながると感じた。  

土日の学校開放

地震から271日目

豪雨から7日目

 

被災された方々に心よりお見舞い申し上げます

ご家庭の状況によっては

落ち着いて学習できる環境でないお宅がおありのことと

お察しいたします

 

そこで

当分の間

土曜日 日曜日 祝日

高校を学習の場として全学年開放することとしました

時間は9:00~16:00です

ご活用ください

ただし

28日(土)については

途中から断水のため

簡易トイレを使用してもらうことにはなります


道路事情が悪く公共交通機関がストップしていて

学校に来れない生徒がいます

電波事情も悪く携帯電話がつながりません

連絡したいときは電波のあるところまで

山を降りてかけているので

こちらからの連絡のつけようがありません

そこでそんな生徒のお宅を直接訪問してきました

 

たどり着けるかわかりませんが

途中の道路事情も含め視察です

 

河口付近から海を望みます

手前にある茶色の陸地に見えるのが全て

今回の水害で山から流出した土砂です

 

 

 

 

 

 

沖の方までずっと海が赤茶色に染まっています

 

地震で崩落した山沿いの道路の代わりに

隆起した海底だった場所に道路を敷設中です

車窓のすぐそこまで海が迫っていて

綺麗に舗装できたらさぞ気持ちのいい

ドライブウエイになるのだろうなと思います

完成したらぜひ走りに来てください

 

 

 

 

 

 

石川県には千里浜ドライブウエイという

世界でも例を見ない車で走れる砂浜があります

通常砂浜だとタイヤがスタックして

前にも後ろにも進めなくなるのですが

千里浜は白山から流出した

驚くべき粒子の細かい砂が堆積したものなので

しっかり締まって車が走っても沈みません

ところが近年は砂防ダムの建設により

白山からの流出が少なくなり

海岸がやせ細ってきているのだそうです

 

今回向かったのは

特に被害の大きかった

輪島市の東端にある町野地区です

かつて私の祖父母の家があり

夏休みには毎年遊びに来ていた

そして教員人生の最初の17年間を過ごした

思い出の地です

 

 

 

 

 

 

地震以来初めて訪れました 

信じられない風景が目に飛び込みます

輪島市街は時が止まったままだと言われますが

それどころではない

本当に1月1日のままです

そして今回の水害です

 

 

 

 

 

 

祖父母の家の手前で行く手を遮られます

仕方なくお隣の柳田村を経由します

 

 

 

 

 

 

 

大量の土砂に埋まったままの家

 

 

 

 

 

 

 

 道路のあちこちで

流木と土砂の撤去作業が進んでいます

片側交互通行どころか

両側を封鎖して作業の隙間に車を通します

通常30分で行ける場所まで2時間かかりました

 

東陽中学校を訪問しました

 

 

 

 

 

 

職員室も泥だらけ

これから掻き出しです

再開まで相当時間がかかりそうです

 

祖父母の家へ向かう橋

 

 

 

 

 

 

目を背けたくなります

見るのもつらいです

でも

ほとんどマスコミも入れない場所なので

地元の人間が惨状を伝えるしかないと思い

振るえる手でカメラに収めています

 

ここは五里分橋(ごりわけばし)

ここから輪島へ五里

珠洲へも五里

宇出津へも五里

能登半島のど真ん中に位置する

昔の交通の要所です 

 

 

 

 

 

 

そんな場所なので水路も集中します

今回町野で最も被害の大きかった場所です

 

私が初任以来17年間勤めた町野高校跡地

 

 

 

 

 

 

災害ゴミ置き場と化していました

 

観光にいらっしゃったことのある方

これ何かわかりますか?

 

 

 

 

 

 

窓岩です

窓どころか岩ごと崩れてなくなりました

 

岩倉山も大きく崩落

 

 

 

 

 

 

トンネルが塞がれ

珠洲方面への通行ができません

 

空からは決死の捜索が続きます

 

 

 

 

 

 

 

全国の皆さん

どうかこの町野地区にご支援の手を

ぜひともお願いします


今日は陸上部の生徒が災害復興ボランティアです

 

 

 

 

 

 

車庫の中には重い泥がどっさり

 

 

 

 

 

 

力を合わせて畳の運び出し

水を吸った畳って重いんですよね

 

ここで災害から身を守るライフハックをひとつ

私の父は熊本で育ったので

台風に対する知識が豊富でした

 

仮に台風で窓が割れた場合

次に起こると考えられる怖いことは何でしょう?

 

それは屋根が吹っ飛ぶということです

なぜなら屋根は上からの力には強いのですが

下からの力にはあっけないほど弱いからです

なので窓から吹き込んだ風で

屋根が内側から吹き飛ばされるのです

 

ではそれを防ぐ最も手っ取り早い方法は?

 

畳を立てかけるのです

しばらく押さえておくと

そのうち雨を吸ってずっしり重くなり

びくともしないのだそうです

道具も釘もいらない

畳1枚をダメにするけど屋根と家を守る

最後の手段です

10名弱って何人?

地震から270日目

豪雨から6日目

 

朝の5時だというのに

輪島に入る道は

救助や捜索に入る方の車で大渋滞です

 

 

 

 

 

 

こちらは大津からの消防隊の方々

出発はおそらく昨夜遅くでしょう

本当にありがとうございます


今日から

東北復興研修ツアーが始まりました

朝6時

元気に学校を出発しました

 

 

 

 

 

 

私も同行して

奥能登地区の高校の再建のため

さまざまなことを学んでくるつもりではあったのですが

今回の水害でまだ孤立し

学校に出てこれない生徒がいます

そのための学習支援の対策が急務なので

残ることにしました

 

 

 

 

 

 

犠牲になられた方が命と引き替えに残して下さった多くの教訓を

そして生き残った方が再建に関わってきた努力の跡を

しっかり学んできて欲しいと思います

 

多くの方からいただいている支援金を

活用させていただきます

私はいただいたお心を

物品を買うことには使わないつもりです

物はいずれ姿を消します

しかし生徒の心に残したものは

このさきずっと

さらに多くの人を巻き込んで

どんどん大きくなっていくと

信じているからです

 

今日は丸一日かけて移動したあと

松島海岸のホテルで講話をいただきます

私も以前松島を訪れたことがあります

風光明媚でとても美しい場所でした

しかしこんな美しいところに

なんであんなもの建てるかな?

というおぞましい建物に興ざめした覚えがあります

 

明日は石巻で震災遺構を周り

宮城県立多賀城高校の災害科学科の生徒さんたちとの

交流を予定しています

女川町も訪れます

以前このコラムでも書きましたが

女川原発が再稼働することになっています

あんな酷い目にあったのにどうして?

私はその疑問をずっと持っていたので

今回予約をする際に実際に尋ねてみました

その方は答えにくそうに

実は賛成派と反対派が半々であると

教えてくださいました

半々の中に

亡くなった方や街を去った方の意向も

含まれているのでしょうか?

 

あさっては「ゆりあげ朝市」を視察したあと

帰路につきます

 

参加した生徒は10名弱です

10名弱というと何人を予想しますか?

私は8~9人ですが

今の若い方は

12~3人

10名とちょっとと感じるそうです

「じゃあ10人強は?」と訊くと

17~8人だそうです

「すごい」や「やばい」という言葉が

もともとの意味とは全く変わって使われているように

時代とともに意味が変わっていくのかもしれません

ちなみに今回の参加者は13名です


男子バレー部が

災害ボランティアに出かけました

 

 

 

 

 

 

中の家具などを丁寧に運び出します

 

 

 

 

 

 

大切な思い出の品がこんな目に

こんな家庭がたくさんあります

震災から踏み出そうとしたところなのに

ゼロからマイナスへ逆戻りです

 

 

 

 

 

 

でも輪高生は負けません

「諦めたらそこでゲームセットです」

スラムダンクの中での言葉です

輪島高校には

スラムダンクのゴリのモデルだった先生が

かつていたからです

その方はとても謙虚な方なので

お名前を出すのは控えますが

お嬢さんがパリオリンピックの選手だったので

ご存じの方も多いかと思います