蒼頡は鳥の足跡で文字を創ったそうだ(校長日記)
冷え込んでいます
おはようございます。昨晩から早朝にかけて、天候も荒れ、時折あられ混じりの雨模様。すっかり冷え込んでいます。暖かくしてお過ごしください。
今日も一日いい日でありますように。
今日、明日と期末テストを実施します。通常ですとテストとテストの間の休み時間を10分に設定しているのですが、今回から15分設定とします。少しでも生徒たちにゆとりを持ってテストを受けてもらいたいということと、教員のテスト回収・確認業務をゆとりを持って行いたいという、2つの理由から実施します。
これもひとつの多忙化改善につながるのではないかと思います。これまで当たり前だった学校の常識というものに、しっかりと向き合うことが大切です。「見直す」と一気に行くのではなく、「見つめ直す」この過程が私は必要だと考えています。
校則についてもそうです。校則を「見直す」と一刀両断するのではなく、「見つめ直す」ことで今まで継続してきた良いところを理解し、受け入れながら、改善するところ、廃止するところがあれば実行する。そして、規則でがんじがらめにするのではなく、生徒も教員もお互い幸せになれるように「見つめ直す」「あれダメ、これダメ」と注意してばかりではお互いの幸せにはつながりません。
このことは、前任校での「自由服登校週間」の取り組みで学びました。何事もまず「やってみなければわからない。」いわゆる「冷暖自知」です。私たち教師は、今までの経験則(自分たちが生徒の時に指導されてきたことも含めて)から「〇〇はダメでしょう。」といった考えにとらわれています。それはだれも疑うことをしてきませんでした。指導する場合、一定の規準(マニュアル)があればだれもが一律の指導ができます。今はもうありませんが、スカートの丈はひざ下何センチまでとか、頭髪は「中学生らしい・・・。」
何をもって中学生らしいのか、数十年前では暗黙知で理解できた?(理解させてきた。過去にはわかっていてもあえて守らないということが多々あり、トラブルが勃発してきました。) ことですが、多様な価値観が尊重される今、一律のルールや規則、マニュアルに頼るのではなく、教員も生徒もお互いに理解しあい、合意の下でルールを策定する。「守りなさい。」ではなく、「守ってるね。できてるね。ありがとう。」と認めあえる学校社会を作っていく必要があると考えます。ルールは教員の指導のためにあるのではなく、生徒が幸せに学校生活を送るためにあるものだと、その幸せを私たち教員が後押しする。学校ではお互いのQOLの向上を目指していく。
そうじゃないかなぁといつも思っています。
地震が続いています。
「がんばろう のと がんばろう いしかわ」
ワクワクを楽しもう
今日も楽しく一生懸命