校長室より
自転車について
4月から自転車乗車時のヘルメットの着用が努力義務化されました。努力義務とのことですから、罰則は基本的にありません。また、報道ではヘルメットが品薄という情報もあり、買いたくても買えない状況なのかもしれません。そんなわけで、正直なところ一般的にも着用率はあまり芳しくないようです。
しかし、私としては、未来ある皆さんにはぜひ着用をお願いしたいところです。
なぜなら、自転車と自動車の接触事故が無くならないからです。今年度に入って学校が把握しているだけでもすでに2件事故がありました。幸い深刻なケガではありませんでしたが、自転車側がどんなに気を付けていたとしても運が悪ければどうなっていたかわかりません。
因みに今では当たり前のバイクのヘルメットも昔は着用義務がありませんでした。日本では、道路交通法が1968年に改正されたことにより、段階的に着用が義務化され、最後に残った原動機付自転車(排気量50cc)が1984年の途中にヘルメットなしでは乗れなくなりました。1984年に18歳だった私はほんのわずかな期間ですが、ヘルメットなしで原付に乗った経験があります。また、大学の構内での移動ではヘルメットをかぶらずに乗ったこともありますが、大きなバイクはメカニカルノイズが大きくお勧めできません。また、ヘルメットをかぶることで気が引き締まるというか運転の準備が心身ともに整うような気もします。しかし、マイナス面もわずかにあります。音が若干聞き取りにくくなる、視界が狭まる、重いので疲れるなどです。なおヘルメット着用に関する法律は、国や地域によって異なります。一般的には、多くの国や地域で法的にヘルメット着用が義務化されていますが、義務化された時期や詳細は国や地域によって異なります。
さて、自転車のヘルメット着用に話を戻しましょう。バイクと違ってかなり軽量なので被ることによるマイナス面はほとんどありません。それなりの価格である、置き場所に困るなどはありますが、そんなことは命の前ではあまり問題ではありません。一方で万が一事故にあったときに運悪く頭を打つような事態になった場合、ヘルメットが皆さんの大切な頭部そして命を守ってくれるでしょう。
ただし、被ることで安心はしないでください。致命傷の一部を防げるかもしれないという期待ができるだけで、事故自体を防ぐことができるわけではないからです。私としては、車両の整備をする、荷物を適切に載せる、マナーを守る、危険を察知する能力を高める、などの事故に遭わないようにすることと、肌の露出を少なくする、いざというときためらうことなく手のひらをつくために手袋をするといった重大事故にならない対策をする方がはるかに大切だと思っています。特に工業高校の生徒たるもの、きちんと整備された(した)自転車に乗って欲しいですね。もちろんイヤフォンをして乗るなどは論外です。
繰り返していいます。未来ある皆さんにはぜひ着用をお願いします。また、保護者の皆様におかれましては、ヘルメット着用へのご理解とご協力をお願いします。
能登地方の地震について
被災された皆様にお見舞い申し上げます。
5/5に能登を震源とする地震が発生し、生徒の皆さん、保護者の皆様は不安を感じていることと思います。くれぐれも、心身の安全を確保していただきますようお願いします。
5月8日、月曜日の学校については、今のところ通常通りの予定です。変更等がありましたらお知らせします。なお、地震による被害で、登校に支障がある場合は学校または、緊急電話に電話して下さい。
藤の花が咲いています
校舎の中庭では今、藤の花が咲いています。
藤の花は、紫色や白色、ピンク色などの美しい色合いの花を咲かせるつる性植物です。芦城公園にも見事な藤棚がありますが、本校にも紫と白の藤が数本あり、夏は日差しを遮って心地よい日陰を作ってくれると思います。
藤の花は条件が良ければ1カ月くらいは持つとのことですので、保護者の皆様で、5/13のPTA総会等にいらっしゃる予定の方はぜひ中庭に出てご覧ください。
藤
ペイ・フォワード
先日はボランティア遠足を実施しましたが、生徒の感想が気になるところです。普段と違った活動で非日常を体験できるとともに、市民の皆さんにも喜んでいただけたかもと感じて、うれしい気持ちもあったのではないでしょうか?
さて、私は犬を飼っていて毎朝出勤前に散歩をしています。そしていつもとは言いませんが、散歩中にゴミが落ちていると拾うようにしています。以前はPirikaというアプリを使って、ゴミ拾いの様子を登録して、見知らぬネット上の方から褒めてもらってもいましたが、だんだん気恥ずかしくなってきて、かえってゴミを拾いたくなくなってしまい、本末転倒と感じて今はアップしていません。ですから拾っていることは基本的に誰も知りませんが、それでもなんとなく気分がいいものです。ちょっとは世の中の役にたっているのかもという自己有用感なのでしょうか。
ところで、ペイ・フォワードという言葉を聞いたことありますか?日本語では「恩送り(おんおくり)」と言うそうで、「誰かから受けた恩を、直接その人に返す(ペイ・バックする)のではなく、別の人に送ること」です。私のゴミ拾いは誰かから恩を受けてはいませんし、別の人にも送っていませんが、似たようなことかと思っています。強いて言えば、それぞれの方が掃除している道路・町を気持ちよく歩かせてもらっている恩や一緒に散歩してくれている犬から受けた恩を、町の皆さんに返していると思っています。本当は誰かが「受けて」くれること、つまり他人から恩を受けたと意識した人がいることがポイントなのですが、勇気のない私にはできていません。なぜ、受けたと意識した人がいることがポイントなのかというと、連鎖反応的に恩や善意が数珠つなぎに増えていくことが期待できるからです。(因みに物理で言う連鎖反応は、例えば核反応で原子核から出た2~3個の中性子のうちの最低1個が別の原子核に衝突することで絶えることなく核反応が続くことです。1個ではなく2~3個の中性子が別の原子核に衝突すると核爆発につながります。また、最近の言葉で言えば、PCRはポリメラーゼ連鎖反応・Polymerase Chain Reactionのことです。)
ペイ・フォワードという映画があります。シックスセンスというブルースウィルス主演の映画に子役で出たハーレイ・ジョエル・オスメントが主演です。これは一言で言うと善意の連鎖反応がテーマです。大型連休中に見てはいかがでしょうか?
Chat GPT
私の書き込みにいいねを押してくれる人が出てきました。モチベーションになります。ありがとうございます。
さて、先日とうとうChat GPTを使ってみました。すごいものですね。
まず、曖昧な聞き方でちゃんとそれなりの解釈をして、あれよ、あれよという間に回答をしてくれます。明石家さんまなみのキレ・スピードとはいきませんが、びっくりです。
これなら、少なくとも表面上はコンピューターと会話が成立します。
また、場合によっては、回答の前にコツのようなものをリストアップしてくれます。大事な要素をごっそり抜かしてしまう恐れがなくなり、実に便利です。
一方で、注意すべき点もすぐにわかりました。全く的外れな回答を平気ですることです。自分がよく知っていることについては、かなりいい加減な回答であるということがわかります。逆を言えば、詳しくないことについては、簡単に信じてしまいかねないということになります。自分が詳しく知っている分野の質問をして回答を吟味すれば、私の言っていることがわかると思います。これは、Chat GPTが主にインターネットの世界から情報を得ていることによると想像できます。
さて、では我々人間はどうすればいいのでしょうか。
なんのことはありません。今までどおりです。便利な面は生かし、間違っている前提で賢く使うということです。これはまだ当分人間にしかできません。
若い皆さんは、回答の真偽がわかるように経験を積んでください。それは本を読むことや人と交わることです。それこそが便利なツールを使うために必要なことです。