2024年11月の記事一覧
お引っ越し大作戦
地震から318 日目
豪雨から54 日目
出来ない言い訳探す暇があったら
どうやったらできるか考えろ
自分の座右の銘であります
先生方も生徒たちもしっかりとそれを
実践してくださっています
校舎の1号棟の危険が指摘されたので
なんとか安全に学習できる場所へ移動
できる場所でできることを実践していきます
短時間で効率よく引っ越しできるよう
夕べも先生方は遅くまで綿密な打合せです
まずは柔剣道場をきれいに空っぽに
ここも教室として使用するためです
剣道場は臨時の音楽室となります
パソコン室も普通教室にする必要があります
コンピュータおよび配線を一掃
パソコンは図書室へ運び臨時のPC室です
配線は支援員の表野さんが大活躍
教室への机の移動もスムーズに
各自の私物も忘れ物のないようにと
一部の部屋には間仕切りを入れて
少人数用の講義室に分割
机がそっぽ向いて並んでいる美術室にも
このあと仕切りを入れます
廊下をピカピカに磨き上げた
3年生の岩波さんは
「校長先生!おこらいえにアップして!」
たしかにピカピカです
受験生は短時間で作業を済ませ
寸暇を惜しんで自習です
みんなで力を合わせ
予定よりも早く引っ越しが終わりました
午後から授業が再開されます
ALTのマイケル先生のおかあさまが
ケンタッキーから
メッセージを届けてくださいました
To the students:
We are thinking about you.
I really hope things are getting better each day.
Everyday is just a little easier than the day before.
Wishing & hoping for you all to keep looking to a bright future!
Your dreams and your hopes-work toward getting then.
I care.
Lots of love!
ありがとうございます
苦しいときこそ笑わなあかん!
今日の「大阪人の格言」
『バケツに穴あいたら
こぼれんもんを入れんかいな』
【意味】
穴が開いたバケツでも植木鉢として使える
何事も工夫が大事!
なんか今日の引っ越しにぴったりですね
化学の視点で歴史を見ると
地震から317 日目
豪雨から53 日目
輪島高校校舎は
1.2年生の教室がある1号棟
職員室がある2号棟
3年生の教室がある3号棟が
コの字型に建っています
1月に建物の応急危険度判定
3月に被災度区分判定を行い
その結果2号棟は3度の傾斜が認められたため使用禁止
職員室などの施設を別室に移動して
教育活動を行っていました
さらに安全な学校生活を送れるように
時間をかけて
より精度の高い建物基礎調査を行ってきましたが
その結果によると
1号棟の建物下にある基礎杭に
一部損傷が認められました
そのため
明日以降1号棟の使用を原則禁止とします
直ちに倒壊などの危険があるわけではありません
安全を期して
1・2年生の教室を3号棟に移動して
授業を行います
明日の午前中に一斉に移動をし
午後から通常授業を再開させます
限られたスペースですが工夫をして
切り抜けようと考えています
保護者のみなさまにおかれましては
なにとぞご理解のほどお願いいたします
1年生の谷内陽斗さんは
総合的な探究の時間「不自由研究」で
被災地における学校のトイレ環境について
研究をしていました
その結果をプレゼンしに校長室に来てくれました
学校のトイレは需要を満たしているのか?
フェルミ推定を用いて試算してみました
男女別に生徒数
1回の使用時間
一日の使用回数などを
抽出によるアンケートを行い
便器の数
休み時間の長さなどのファクターを加え
試算したところ
トイレの数に制限はあるものの
一応需要を満たしているとの結論を得ました
ただし今回別の調査により
2号棟の地下の下水にも損傷が認められたため
さらに使用できるトイレの数が減ってしまったのです
谷内さんはすかさず試算しなおしたところ
トイレが足りないことがわかりました
そこで今度は
休み時間を何分にしたら解決できるかを
シミュレーションしてみました
その結果現在10分の休み時間を
15分に延長すれば解決するという
結論にたどりつきました
明日から授業を5分短縮して
休み時間を15分にします
生徒の研究結果に基づいた
数学的な時程の変更です
「皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」
ルイ・ダビッドの作品です
実物はルーブル美術館にあるので
パリ研修に参加する生徒は
ぜひ見てきてほしいです
私は歴史の中の化学を授業中語るのが好きで
ナポレオンにまつわるとっておきのネタがあります
鉛筆の芯の材料黒鉛とダイヤモンド
どちらも炭素のみでできている物質ですが
全然別の物質です
このような物質を同素体といいます
高校の授業ではこのほかに
赤リンと黄リン
酸素とオゾン
斜方硫黄と単斜硫黄とゴム状硫黄
について学びますが
実はそれ以外にも存在します
「スズ」という金属は
柔らかく加工しやすいので
徳利を始め様々な食器に使われています
「スズ」には何種類もの同素体が存在します
温度などの条件によって形を変えますが
低温の状態だと非常に脆い形になります
ナポレオンは連戦連勝
次々と周辺諸国を制圧していきますが
ロシアとの戦いにおいては敗走しています
ナポレオン軍兵士の軍服のボタンは
スズでできていました
つまりシベリアの寒さで
ボタンがボロボロになってしまっていたのです
ナポレオンに化学の知識があれば
世界の歴史が変わっていたかもしれません
苦しいときこそ笑わなあかん!
今日の「大阪人の格言」
『座る場所変えてみたらどうや?』
【意味】
悩んだときは視点を変えてみる
名画探訪
地震から316 日目
豪雨から52 日目
昨日訪れた大塚国際美術館
世界26カ国
190余りの美術館が所蔵する名画約1000点を
原寸大で陶板に模写し焼成した作品が
全長約4kmの展示ルートに沿って
展示されています
クリムトの
「接吻」
1873年にウィーン万博に出品された
尾形光琳の「紅白梅図屏風」に影響を受け
金箔を施した作品に仕上がっています
ウィーン生まれのクリムトは
26歳の若さで描いた「旧ブルク劇場の観客席」で
第一回皇帝賞を受けました
その後受けた
「医学、哲学、法学をテーマに」という
ウィーン大学の天井画の依頼に対し
裸婦や死神を描きやり直しを命じられます
しかしクリムトは
「頭の固いレガシーはだまれ」と一蹴
無視してこの作品を仕上げますが
結局契約は破棄されます
クリムトは伝統主義で保守的な
古き良き時代を愛するウィーンに愛想を尽かし
独自の画風を確立させていくのです
印象派の巨匠ルノワールの
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
賑やかな舞踏会の様子が
明るい色彩と独特の柔らかな筆致で
表現されています
黒を使わずに鮮やかな純色のみで表現する
「虹色のパレット」と呼ばれる
ルノアールの色づかいが
見事に再現されています
フランスの労働者階級に生まれたルノワールは
磁器工房の絵付けで
絵に関する才能を発揮していましたが
産業革命の影響で職を失い
カフェの壁の装飾や
日用品に絵付けする仕事などで
細々と食いつないでいきます
貧しい中でも「美しさ」を追求し続けた
ルノワールの作品は
美しいものへの愛情と情熱に包まれています
ルーベンスの名画
「キリスト昇架」
フランダースの犬で
ネロとパトラッシュが最後に見た絵です
実物はアントウェルペン聖母大聖堂に飾られています
この作品がきっかけとなり
バロック様式の絵画が知られることになります
三面鏡のような作りとなっていて
開閉ができる扉の裏側にも
絵が描かれているそうです
聖堂のあるアムステルダムの駅は
東京駅のモデルとなりました
ファン・エイクの
「ヘントの祭壇画」です
実物はベルギーの古都ゲントにある
聖バーフ大聖堂に飾られています
中央には玉座に座るキリスト
その周囲には聖母マリアや
洗礼者ヨハネらが配置されています
細部まで非常に精緻に描かれており
宗教的なテーマが強調されています
ファン・エイクは謎の多い画家で
この作品も兄が手がけたものを
引き継いで仕上げたとされていますが
その兄も実在したのか疑問視されているそうです
苦しいときこそ笑わなあかん!
今日の「大阪人の格言」
『一円を笑う者は百円で大爆笑や』
鳴門紀行
地震から315 日目
豪雨から51 日目
鳴門教育大学に招かれて
講演会をしてきました
鳴門教育大学は1981年に創立された
教員養成のための大学で
教員就職率全国トップを誇ります
大学院生の4分の1が現職教員で
今回の講演にも
多くの現職教員の方が参加してくださいました
その学ぶ姿勢に尊敬です
招聘してくださった阪根教授のゼミ生は
今回の被災に際して
現場まで視察と支援に来てくださり
その際設置してくださった
「おもちゃの王国」を
再現展示してくださっていました
オンライン授業用のスタジオもありました
奥能登5高校の復興再建には
教員不足の解消といった大きな問題が
立ちはだかっています
物理化学生物地学あるいは
地理日本史世界史
さらには音楽美術書道
全ての学校に
全ての科目の教員を配置することが
極めて困難です
オンライン授業をうまく取り入れながら
その解決を図っていくことが求められます
このようなスタジオを
各校に設置していくことで
新しい時代の教育のスタイルが
構築できると感じました
帰りのバスまでの待ち時間に
鳴門の渦潮を見にいきました
太平洋が満潮になると
紀伊水道を通って
淡路島の北東側つまり
大阪湾に海水が流れ込みます
その海水はさらに
明石海峡を通って
淡路島の北西側
つまり瀬戸内海へ
ここまで到達するのにおよそ5時間かかります
この頃には太平洋は干潮を迎え
水位が低くなっているので
瀬戸内海に流れ込んだ海水は勢いよく
淡路島の南西
つまり鳴門海峡を通って
太平洋へと還って行きます
これが渦潮発生のメカニズムです
春先の潮の干満が大きくなる頃
最も渦の発生が盛んになり
20〜30mのものも見られるそうです
その渦に飲まれてしまったら最後
二度と上がってこれず
なので鳴門海峡の海底が
どのようになっているのか
未だ目にした人はいないのだそうです
地震いや地殻変動の時にも思い知らされましたが
自然の力の大きさに畏れるばかりです
ナルト巻きってもしかして
ここから名付けられたのかな
気になって調べてみたらビンゴ!
このように潮の流れが速く
また晴天が続くことから
塩分濃度の高い清澄な海水に恵まれた鳴門は
昔から塩づくりの盛んな地でした
製塩業はおよそ400年前の慶長4年に始まったとされ
60年ほど前まで大きな塩田風景が広がっていたそうです
鳴門教育大学も塩田の跡地に建てられたので
液状化が懸念され防災教育にも力を入れているそうです
流下式の製塩で能登半島に伝わる揚浜式とは
また違った製塩法ではあります
そのあと大塚国際美術館へも足を運びました
世界中の名画の陶板レプリカを展示してあります
大正時代
製塩業で財をなした大塚武三郎氏が
薬の開発にも乗り出します
点滴液を足がかりとして
オロナイン オロナミンなどの新薬を販売します
大塚製薬の誕生です
薬の名前には「ン」で終わるものが多いです
これは次々と日本の新薬が開発された時代は
それまで右から左へ書いていた
日本語の横書き表記を
欧米のアルファベット表記に揃えて
左から右へと変えていた時代なので
消費者が間違えないようにと
最後を「ン」にしたそうです
キャベジン バファリン…なるほど
やがて食品部門にも参入し
薬品包装の技術を生かし
レトルトカレーを開発します
ボンカレーです
点滴液を甘く味付けして売り出します
ポカリスエットです
この時食品会社のタブーにも挑戦しています
イメージカラーに青を採用したのです
青い食べ物がないことから
(せいぜいエビの卵くらい)
青は食欲を減退させる色として
食品会社が忌み嫌ったからです
こんなとこにも新しい街づくりへの
ヒントがありますね
かくのごとく
次々と新製品を世に送り出した大塚製薬が
社会貢献のためにと造ったのが
この大塚国際美術館です
レプリカとはいえ
圧倒的な迫力です
苦しいときこそ笑わなあかん!
今日の「大阪人の格言」
『月が欠けてくときに文句言うか?!』
【意味】
つべこべ文句ばっかり言うな
いざ鳴門へ
地震から314 日目
豪雨から50 日目
明日開催される
鳴門教育大学の大学祭「鳴潮祭」にお招きいただき
「学校が避難所になったら
〜能登半島地震からの教訓〜」
と題して講演をさせていただけることとなりました
同学の阪根ゼミ
おもちゃの王国プロジェクトの皆さんは
被災地にお越しになり
子どもの居場所づくりのために
レールブロックを寄贈くださり
その使い方もレクチャーしていただきました
「街プロ」のグループのひとつが
活用させていただいています
昨夜は途中大阪で1泊して
OECD「教師生徒サミットinパリ」に参加する
生徒のみなさんと
オンライン会議をしました
ホテルの窓からの景色です
ここも大阪の陣で焼き尽くされた場所です
こんなに見事に復活
この景色を
秀吉や淀君がご覧になったら
どんなふうに思うのだろう
被災後日本各地から招待され訪れるたび
こんなことばかり考えるようになりました
歴史の大きな流れの中
そこで生きてきた方々に
思いを馳せることが本当に多くなりました
歴史を勉強し直したいと
この歳で学ぶことの本当の楽しさを
再認識しています
同じことを生徒たちも
一人ひとりがしっかりと考えるように
なってきていると思います
発災前は先生方に
「授業中寝ている生徒を起こしていると
他の生徒の学びの時間を奪うことになるから
起こす必要はない
自分が教室に入って起こして回るから
それよりも生徒が寝ないような
魅力ある授業作りをしてくれ」
と日頃話していました
授業中寝ている生徒を
起こして回るのが校長の仕事でした
それだけ実は授業中寝ている生徒が
多かったのです
ところが今は授業中寝ている生徒はゼロです
集会でもうつむいている生徒がいません
全員がしっかりと顔を上げて
話す人の顔を見ています
発災後しばらく気を遣っているのだろう
と思っていたのですが
もう一年が経とうとする今でも
その様子は変わりません
つらい思いをして
学ぶことの本当の意義を
一人ひとりが考えるようになったと
そう信じています
高速バスで鳴門へ向かいます
車窓からは神戸の街並み
ここも奇跡の復活を遂げた都市
犠牲になられた方に心の中で手を合わせ
明石海峡大橋を渡って淡路島に入ります
淡路島は洲本市に入りました
どこかで聞いたことのある
懐かしい匂いのする地名だなとしばし熟考
思い出しました
確か私が大学生の頃流行った
ファミコンのRPG「なんとか殺人事件」
の舞台となった場所です
当時家庭教師として勉強を教えていた子が
一生懸命語ってくれました
だから懐かしい匂いがしたんですね
そのゲーム何て名前だったかな?
車窓いっぱいに広がる畑
今は時期が違うかもしれませんが
淡路島は玉ねぎの産地
私も一度いただいたことがありますが
本当に大きくて甘いんですよね
播磨灘・大阪湾・紀伊水道
3つの海に囲まれた淡路島
海のミネラルを豊富に含んだ
肥沃な土壌で育てられた玉ねぎは
甘さと栄養分がギュッと凝縮しているそう
眼下に渦潮が広がります
もうすっかり日も暮れてよく見えないので
明日帰りにしっかり見ようと思います
苦しいときこそ笑わなあかん!
今日の「大阪人の格言」
『下向いても地べたしかないぞ』
【意味】落ち込んでもいてもしょうがない
エラーした阪神の選手に向けられた
「さっさと顔上げんかい!
いつまで甲子園の土見とんねん?
プロのくせに持って帰る気か!」
大阪のおっちゃんのヤジはおもろいです