2025年6月の記事一覧
日本語の使い方あれこれ
地震から 529 日目
豪雨から 265 日目
朝一番に学校に着くと
機械警備の解除から始まります
操作を完了すると
「解除になりました」
と機械のアナウンスが・・・
この日本語に
ずっと違和感を持っておりまして
「解除」ってなるものか?
「解除しました」あるいは
「解除されました」じゃないのか?
「なりました」を使いたければ
「解除状態になりました」
じゃないとおかしくないか?
自分の日本語力がおかしいのか?
朝から悶々としています
同じようなことが以前にもありました
化学の教科書には
「安定な電子配置」という文言が
当然のように使われていますが
「安定した電子配置」の方が正しくないか?
気になって国語の先生に質問したところ
「これは形容動詞の〇〇化といって
♯※〒△☆♂だから文法的に正しいのだ」
と教えていただいたのですが
何をおっしゃているのやら
という感じでいまだに???です
「万博会場を訪ねた人は・・・」
という記事を最近目にしましたが
これもおかしくないですか?
「訪れた」の間違いでは?
ひらがなひとつでもやもやしています
Google先生に尋ねてみました
「訪ねる」は
訪問する おとずれる
「訪れる」は
訪問する たずねる
えー?
国語辞典の
「右」= 左の逆
「左」= 右の逆
と同じやないかい
さらに調べてみると
「訪ねる」はある場所へ行く
「訪れる」はある目的があってその場所へ行く
とありました
なるほど
「万博が見たい!」という目的があるから
「万博会場を訪れた人」の方がしっくりきたのですね
でも特段目的もなく来る人は
「万博会場を訪ねた人」になるのか
まんざら間違いでもないのですね
「春が訪れる」とはいいますが
「春が訪ねる」とは言いません
ということは
春は明らかに目的を持って来ている
ということなんですね
もうひとつ
「春が訪れる」は自動詞的用法です
立ち位置が自分にあります
自分に向かって「来る」イメージです
一方で
「春が訪ねる」は他動詞的用法です
違和感を生じるのでは
どこそこへ「行く」イメージだからです
「春が来た」とは言うけど
「春が行った」とは言わないのと同じです
外国語でもよく似た例があって
フランス語では例えば
「遊びに行くよ」って言うとき
「Je viens(I come)」と言って
「Je vais (I go)」とは言いません
立ち位置が相手にあるのです
もひとつ
武田鉄矢さんが「今朝の三枚おろし」の中で
こんな話をされていました
武田さんの曲に
「思えば遠くへ来たもんだ」
という曲があります
これは中原中也の
「思へば遠く来たもんだ」
のオマージュなんだだそうです
「遠く来た」
はこれまでの道のりにフォーカスがあって
出発点はさほど重視されていない
鉄矢さんは
出発点の博多を強調したくて
「遠くへ来た」
と「へ」を入れたんだそうです
「に」を使い
「遠くに来た」にしてしまうと
到達点がフォーカスされて
旅が終わった感が出てしまいます
「遠くへ来た」には
旅がこの先どうなるかわからない
そんな寂寥感があります
本日
教育実習生の研究授業が行われます
指導教員の中野智貴先生も
日本語の使い方に気をつかっています
「本日実習生の研究授業があるので
お手すきの先生は
参観の上ご指導よろしくお願いします」
中野先生の気づきは
「そもそもお手すきの先生なんているのか?」
とてもいい視点です
これまでのフォーマットを前例踏襲せず
どうすれば多くの先生に見ていただけるか
しっかりと考えています
どんなふうにアナウンスしたのでしょうか?
たくさんの先生が観に来ました
放課後に生徒を呼び出すとき
「〇〇さん
校内にいましたら
◇◇まで来てください」
と校内放送される先生もいますが
そもそも校内にいなければ
放送を聞いているはずもないので
なんか無駄なフレーズです
それどころか聞いた方としては
「校内にいなければ行かなくていいのか
たいした用事じゃないな」
来ない可能性まであります