癒しのお部屋

ようこそ『癒しのお部屋』へ

『癒やしのお部屋』の更新

 2021.9.14より

この部屋の意義は、学校になかなか足が向かない生徒、心に晴れないモヤモヤがある生徒に安らぎと一歩を踏み出す勇気を持ってもらうことにある。だから学校生活の日常(楽しいこともあればそうでないこともある)や社会生活のあるあるを多面的(一方的な解釈はしない)に捉え、若干私感(余計なことかもしれないが)も加えながら掲載することによって、少しでも学校生活に希望を持ってくれたり、人間関係を見つめ直したりする時の手助けになってほしいと考えている。掲載するにあたって、基本には「人はどうあるべきか」というテーマが常に根底に流れているように心がけている。四季の変化や自然も大切な「癒し」の要素となる。

とあります。

 

趣旨にはなかなか迫れないかもしれないですが、なんとなくという感じで更新できればと思います。

 

開かずのお部屋?

 ついにこの学校から去ることになりました。異端爺として数年間、老体にムチ打って頑張ってきましたが、力尽きました。一抹の寂しさを覚えますが、言いたいことは言い切ったという達成感もあります。この部屋は心に晴れないモヤモヤがある生徒に安らぎと癒しと一歩を踏み出す勇気を持ってもらうという目的でスタートしました。目標半ばではありますが、老兵は、静かに消え去ります。
 部屋主がいなくなったこの「癒しのお部屋」。今後、入居する方がいなければ「開かずのお部屋」として閉鎖されると思います。長い間、ご愛読ありがとうございました。

   異端爺(いたんじい)でした。お世話になりましたうれし泣き

ファインダー越しの世界

 爺は昔の人間なので、カメラのモニターを見ながら写真を撮るのが苦手である。あくまでファインダーを覗きながら、写真を撮りたいのである。スマホであろうが、デジカメであろうが、画面を見ながら撮るのはどうもやりにくい。理由の一つは、眼から入ってくる情報が多すぎる事にある。画面とともに周囲の状況が丸見えなので撮影に集中できないのだ。ファインダーを覗けば、周囲の状況はカットされ、構図に専念できる(プロのカメラマンは一方の眼でファインダーを覗き、もう一方の眼で周囲の状況を見るというが、自分はそんな器用なことはできない)。ファインダーを覗けば、自分だけの世界に浸れるのである。周囲の雑音が気になってどうしようもない人、自分だけのファインダーで世界を見ると、心が落ち着くかもしれませんよ。

 

 異端爺(いたんじい)でした。

 

「癒しのお部屋」の意義

 数年に一度はこの部屋の意義を確認しなければならない。方向性がブレてはいけないからだ。この部屋の意義は、学校になかなか足が向かない生徒、心に晴れないモヤモヤがある生徒に安らぎと一歩を踏み出す勇気を持ってもらうことにある。だから学校生活の日常(楽しいこともあればそうでないこともある)や社会生活のあるあるを多面的(一方的な解釈はしない)に捉え、若干私感(余計なことかもしれないが)も加えながら掲載することによって、少しでも学校生活に希望を持ってくれたり、人間関係を見つめ直したりする時の手助けになってほしいと考えている。掲載するにあたって、基本には「人はどうあるべきか」というテーマが常に根底に流れているように心がけている。四季の変化や自然も大切な「癒し」の要素となる。
 7年前にスタートしたこの「癒しのお部屋」。回数にして63回を数えることになった。この部屋を訪れたすべての人が癒されてほしいと願うばかりである。

 

 異端爺(いたんじい)でした。

朝三暮四

 朝三暮四(ちょうさんぼし)という言葉を聞くといつもニヤけてしまう。うれしそうにどんぐりの実をもらっている愚かな猿たちの顔が思い浮かぶからです。ご存じのように朝三暮四とは中国宋の国の狙公(そこう)という人が猿を飼っていたが貧乏になり、猿たちに「朝に三個、夕方に四個で足りるか」と尋ねたところ、みな激怒。そこで「朝に四個、夕方に三個」と再提案すると、どの猿も大喜びしたとう故事。目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないことのたとえです。
 この前、A子さん(匿名希望)がネットショッピングである商品を探していました。やっと見つけた商品は1万円(送料無料)で、A子さんはもっと安いのを探していたら9500円(送料500円)の同じ商品を見つけ、大喜びをしました。
 A子さんは誰か秘密です。

 

 異端爺(いたんじい)でした。