癒しのお部屋

ようこそ『癒しのお部屋』へ

満開の桜

 前回の記事から20日あまり。まさか再度の臨時休業になるとは夢にも思わず。桜は満開なのに、世間は出口の見えないトンネルの中。必ず出口にたどり着けると信じ、ひたすら耐え忍ぶのみです。 

           【初代斜男(ななお)でした】

春見つけ

 校地の桜の様子はどうかなと思い、カメラ片手に歩いてみた。世界は新型コロナウイルスで大混乱だというのに、桜はしっかり自然のサイクルを守っている。やがて満開の桜の下を歩いて登校する生徒の姿が見られることだろう。

                【初代斜男(ななお)でした】

3月14日

 

 3月14日は言わずと知れたホワイトデーである。バレンタインデーのお返しとしてキャンデーなんかを贈る日である。
 ところで、3月14日は3.14ということで「円周率(π・パイ)の日」に制定されている。またπ(パイ)にあやかってお菓子の「パイの日」でもあるそうだ。ならキャンデーではなく、パイをあげればいいと思うが、パイはかさばるし、パラパラ落ちて汚い。またパイは「パイを奪い合う」(限られた資源を競争して取り合うこと)から転じて、女の子を取り合うことを連想してしまい、あまりよろしくない。やっぱりキャンデーかな。ぐだぐだと3月14日をつまみにして妄想に耽っている初代斜男でした。もちろん妻からの義理チョコしかもらえなかったのは言うまでもありません。

                             【初代斜男(ななお)でした】

畏敬の念を抱く



 畏敬の念とは、「超越した存在・崇高な存在に対して、無条件に敬う気持ち」のことをいう。日常の生活ではそのような場面に出会うことはまずないだろう。ところが先日、まさにそんな場面に出会ってしまった。初代斜男と関係のある古寺が老朽化のため建て替えることになった。古寺の本堂にある仏像や仏具などすべてを仮の本堂に移す作業を手伝うことになったのである。そしてあろうことかその古寺のご本尊である400年以上も前に作られた阿弥陀如来像を初代斜男が運ぶことになったのだ。
 ご本尊様を赤ん坊のように胸に抱えて一歩一歩慎重に足を進めた。もしものことがあったら(ただでさえ長い年月でもろくなっている)…。そんな恐怖心よりも頭の中を占めていたのは、「自分ごとき煩悩と邪念と欲に固まった人間が崇高なご本尊様を抱えていいものなのか」ということであった。まさしく畏敬の念を抱くとはこのことだ。このときほど自分の不浄な人生を呪ったことはなかった。ご本尊様にただひたすらお許しくださいと、ご宝号を唱えながらお運びした次第です。
 誰からも後ろ指を指されず、正道を歩むことがいかに大切か。齢60を過ぎて遅きに失するが、精進していきたいと思う今日この頃です。

                                        【初代斜男(ななお)でした】

廊下が花壇に…



 校内百人一首大会の写真を撮ろうと教室へ向かったら、廊下に黄色い花がたくさん咲いていた。イスの脚に付けたテニスボールの花だった。2学期後半から取り付けているらしい。普段使っている時は目立たないが、こうして一同にそろうときれいである。なかなかそろわないクラスの気持ちもこの黄色い花壇のようにそろったらきれいかな?なんて思ってしまいました。
                                 【初代斜男(ななお)でした】

帆と風

 

 先日、新聞でドイツの評論家ベルネの言葉「政府は帆、国民は風、国家は船、時代は海」を知った。なかなか考えさせる言葉である。これをすぐ学校に置き換えるのは、元教師の悪いところ。さしずめ「生徒は帆、教師は風、教室は船… 」といったところか。教師の思いや願いを込めた風を、生徒の帆が受けて、教室という船が進んで行く。いや、生徒からの風を教師が帆となって受け止めて進んだ方がいい方向に進むか。どっちにしろ生徒と教師は、「帆」と「風」の関係に違いない。ただし、あまりにも風が強すぎて、荒海に沈没だけはしないように。

                    【初代斜男(ななお)でした】

久しぶりのネクタイ



 先日、卒業アルバムの写真撮影があったので、久しぶりにネクタイをした。40年近くネクタイを締め続けてきたので、もう絶対に締めるのはいやだと思ってしばらく締めていなかった。ところが不思議なことにネクタイをしたら妙に体がしっくりくるのだ。首を締め付けているにも関わらず、気持ちが苦しくないのだ。たまにネクタイをするのもいいもんだなぁと嬉しくなって家まで締めて帰った。物事、締め付けはイカンというけれど、たまにはシャキッとしていいかも。

                                      【初代斜男(ななお)でした】

木守柿(きもりがき)



 柿の実は全部取らないで、何個か残しておくものだという。その柿のことを木守柿(きもりがき とか きまもりがき)という。翌年もよく実るようにというまじないとも、鳥のために残しておくのだとも言われている。これから厳しい冬を迎える小鳥たちに対する思いやりにあふれた行為である。
 全部自分のものにしないで、他人のことも考える。もらったケーキを独り占めした自分が恥ずかしい。

              【初代斜男(ななお)でした】

人の評価


 
「黙って咲いて
 黙って散る
 花は
 人の評価を気にしない」


「Flowers silently bloom,  Flowers silently fall,
  regardless of people's judgement.」


 職員室の壁に貼ってある言葉です。

 きれいに咲けたか? 色はどうか? 花の数は? 大きさは? 香りは? 気に入ってもらえるか?
 花は見る人のことを考えて咲いていません。


 友だち、クラス、先生、親、兄弟、親戚、地域の人……   あなたは、周囲の目を気にしすぎていませんか。


          【初代斜男(ななお)でした】

あおり運転



   「全国で悪質なあおり運転が起きている。その対応としてドライブレコーダーを付ける人が増えているという。ドライブレコーダーをつける人は、自分が被害者になることを想定して付けるのであって、加害者になるなんて微塵も思っていない。ということはドライブレコーダーを付けている人はすべて善人? なのである。あおり運転をする人は、加害者(=悪人)なのだからドライブレコーダーをつける必要がないことになる。実際にあおり運転をした加害者の車にはドライブレコーダーが付いているのかいないのか非常に興味がある。」

 上記の文章には大きな落とし穴があります。そもそもドライブレコーダーは事故対応のために付けられるものでした。しかし、昨今あおり運転が注目されるようになったので、つける目的が変化してきたようです。よって、あおり運転をした加害者であっても、自分が事故に巻き込まれる可能性もあるので、ドライブレコーダーをつけてあっても不思議ではないことになります。

 物事は、その時代の背景や出来事によって、見方が大きく変わることがあります。一つの見方だけに偏っていては本質が見えないかもしれません。

 学校、勉学、友人…… あなたは色々な見方をしていますか?

               【初代斜男(ななお)でした】