校長室より「おこらいえ」
福男福女
地震から 385 日目
豪雨から 121 日目
大学入試共通テストの2日目です
全員体調もよく控室で開始を待ちます
被災地の劣悪な環境の中
頑張ってきた生徒たちだから
きっと落ち着いて力を発揮できると信じています
私は昨日
西宮神社でみんなの合格祈願をしました
1月10日の午前6時に大太鼓が鳴り響き
「赤門(あかもん)」が開かれると同時に
本殿を目指して走り出す参拝者たちが報道される
あの神社です
こちらがスタートとなる赤門
そしてゴールの本殿
受験生のみんな
福男福女目指して駆け抜けろ!
阪神・淡路大震災30年
NVNAD被災地交流会に参加しました
阪神・淡路大震災や東日本大震災のほか
中国四川地震 などを通して繋がってきた
ボランティアの方々のシンポジウムです
主催者の大阪大学大学院 渥美公秀 教授は
能登半島地震の現状について
新聞社のインタビューで語っていらっしゃいます
「石川県は当初
受け入れ態勢が整っていないとして
来県の自粛を呼びかけ
春になっても取り下げなかった
ボランティアの力を信じていないのか
活動を制限し
単なる労働力として統括しようとした
個人ボランティアが行きにくい状況が長く続き
人手不足は継続している
行政は行政の仕事に専念するためにも
市民の力を信じてほしい」
さらには
これまでに築き上げてきた
かつての被災地が現在苦しんでいる被災地を救援する
「被災地のリレー」
今回の能登半島地震のボランティア不足により
途切れることを危惧なさっています
「東日本大震災の被災地で
津波で流された写真を拾い
きれいにして返すボランティアがいた
こうした活動は
行政や企業ではできない
行政はボランティアをルールで縛りつけるのではなく
自由に活動できる環境を整えるべきである」
と結んでいらっしゃいます
全く同感です
今回輪島高校の避難所には
パンの配給だけと言う状況が長く続き
自衛隊の炊き出しが入るまでに
かなりの日数を要しました
その間民間のボランティアによる
炊き出しが活躍してくださいました
その多くが
行政を通しても行けないから
直接行っていいかと
学校に申し出をしてくださった方々です
許されることではないかもしれませんが
「輪島高校の校長の要請だと言って
検問を突破して来てくれ!」
とお願いをしました
そうやって力づくで来てくださった
ボランティアの力に
輪島高校避難所は支えられていたのです
風呂も同じです
自衛隊のお風呂が設置されない
輪島高校を支えてくださったのは
ドラム缶風呂やシャワーを用意してくださった
民間のボランティアの方々なのです
東日本大震災を経験された方が
こうおっしゃっていました
「一回きりの物資の支援はボランティアじゃない
長い間住民のそばにいてくれて
一緒になってずっとオロオロしてくれる
それが本当のボランティアだ」
提案です
ボランティア団体には
真のプロと言えるような団体が存在します
そんな方々の力を
行政の都合で活用しないのは
本当にもったいないです
そこでボランティア団体を
被災地の関係者が評価するのです
ミシュランのように星をつけます
三つ星ボランティアには
緊急車両の通行証を付与するのです
本当に実力のあるボランティア団体は
煩雑な手続きなしに
即座に被災地に入れる仕組みづくりです
ボランティアに関する問題点についても
赤裸々な報告がありました
丹波水害では
カレーの炊き出しが
雨で中止になったとき
食材を買い取るよう被災者に迫る
ボランティアがいたそうです
東日本大震災の野田村では
さらにその奥地の現場に届けられるべき支援物資が
この先へは行けないという理由で
置き去りにされたそうです
中国の四川大地震のときは
80,000人の方が亡くなり
今でも30,000人の方が行方不明なんだそうです
規模が違いますね
あれから30年
地震から 384 日目
豪雨から 120 日目
30年のタイムスリップ
震災で壊滅的被害を受けた地が
30年後にどんな世界になるのか
見にきました
もし私が90歳まで生きたとして
そのとき輪島のまちは
どこまでこの光景に近づいているのか
西宮で開催されるシンポジウム
NVNAD2025プロジェクトに
招待していただきました
日本災害救援ボランティアネットワーク
NVNADさんが主催です
阪神・淡路大震災をきっかけに発足した
西宮ボランティアネットワーク(NVN)を前身に
日本全国の災害現場で
支援活動をなさっています
まず今日は慰霊碑などを視察させていただきました
「厳寒の暁 地鳴りとともに
大地は震え 街を沈めました
こよなく愛された西宮を
安心して暮らせるまちに
希望に満ちた美しいまちに
再び築き上げることを
お誓いいたします」
の言葉が
亡くなられた多くの方のお名前
「不思議なことにここにたくさんいた
外国人のお名前はひとつもないんですよ」
と教えてくださる方がいらっしゃいました
そういえば関東大震災のときも
多くの朝鮮人が
「井戸に毒を入れた」
などの根も葉もないデマのせいで
虐殺される事件が起こりました
普段くすぶっている差別や偏見が
被災に起因するストレスによって
顕在化することがあります
このへんにいらっしゃった
在日外国人の方々は
当時身の危険から
警察署の中の避難所に匿われたそうです
傍らには
「火垂るの墓」誕生の地の碑もありました
舞台がここ西宮なんですね
「火垂るの墓」のこのポスター
宙を舞う光
全てが蛍の光ではないこと
ご存知でしたか
よく見ると光の形が2種類
ぼんやりまんまるなのが蛍
少し細長いのは実は焼夷弾です
その証拠に真っ暗な空に目を移し
よくよく目を凝らすと
そこには爆撃機B29の機影が
うっすら描かれているのです
だから「蛍」の墓ではなく
「火垂る」の墓なのですね
昔は終戦記念日の頃には
毎年のようにテレビ放映されていましたが
今では地上波では放送できないそうです
劇中登場するサクマ式ドロップ
その登録商標に絡む問題が原因のようです
大学入試共通テスト
今日の結果はどうだったかな?
こちらは前日の様子
栄養たっぷりつけて
体調も万全のようです
夕食後もラウンジに集まって
最後の勉強会をしたようです
こちらはおそらく会場の金沢学院大学
3年生学年主任の奥野先生からの報告です
国際サミットの昼食場みたいな感じです
2日目も落ち着いて頑張れよ
30年前のこの日
地震から 383 日目
豪雨から 119 日目
そして阪神淡路大震災から30年目
当たる確率がそれぞれ20%と60%の占い師
あなたならどちらに診てもらいたいですか?
私なら20%の占い師を選びます
私には化学教員として誇るべきスキルがあって
大学入学共通テストの直前に
出題される問題を夢に見るというものです
しかもかなり詳細かつ具体的に見えるのです
ただし驚くべきことに
それが当たったためしは
未だかつて一度もありません
私はそれを逆手に取り
「今年はこの問題は出ないよ」
という予言に使って絶大な信頼を得ていました
20%の占い師の言うことの逆をすれば
80%の確率で当たりです
いよいよ明日から
共通テストが始まります
本校からの受験生は
みんな揃って今日バスで出発し
片道2時間以上かけて
会場のある金沢市へ向かい
ホテルで宿泊します
思えば昨年度は
緊急車両扱いの通行証を
教育委員会を通じて発行してもらい
それで何とか受験できたのでした
みんな頑張れ!
今週の【活動性を高める授業づくり】
このコーナーは
久留米大学の安永悟教授に学んだ
授業づくりのポイントを
お伝えするものです
生徒の活動主体の授業に欠かせないのが
生徒同士の対話の時間です
ところがありがちなのが
生徒のグループでの議論が白熱し
教員が一言コメントをしたくても
だれも話をやめない
そんなパターンです
しびれを切らして話を始めても
話を聞いてない生徒が何人もいて
あとで、もう一度同じ話をする羽目になる
そんな悪循環です
こんな経験ありませんか
私は何度もあります
こんな時
一瞬で教員の話に集中させるためのテクニックです
最初にこんな決まり事を作っておきます。
①先生が喋りたいときには黙って手を挙げるので
気づいた人は話を止めてを手を挙げて
先生の方を向いて座り直すこと
②誰かが手を挙げているのに気づいたら
やはり手を挙げて
その人と同じ方向を向いて座り直すこと
こうすると
大きな声で指示を出さなくても
一瞬のうちに生徒の聞く姿勢が整います
アルフィーのファン
いわゆるアルフィー中毒(アル中)の
決まり事にもあります
「ノルときはノル 聞くときは聞く」
やはり話すときと聞くときの
けじめが大切です
私はかつて授業中に
「パフ」って鳴るラッパ
(笑点のテーマソングの最後に鳴る)
あるいは
「チン」って鳴るベル
(ホンマでっか!?TVで使っている)
を採用していましたが
それよりも「お手挙げ作戦」の方が
徹底できそうです
高校生ガイドの話
地震から 382 日目
豪雨から 118 日目
年の初めには
県立学校の校長全員が集まる会議が開かれます
今日はその会議に出席しました
教育次長からは
次のようなお話がありました
昨年度のこの会議は震災の関係で
一部オンラインで行われたこと
その席上で地震からの復興に向けて
教育委員会は全力で取り組むつもりでいること
そして被災していない学校の校長も
全力でサポートするよう指示したこと
そしてそれは今年も全く変わらないこと
私はその会議にオンラインで出席しているはずですが
実はそのことを今思い出そうとしても
正直全く思い出せません
本当に参加したのかも定かではないほどです
でもこんなお話をしてくださっていたのですね
全ての高校の校長先生が
生徒の転学や一時通学に対して
本当に親身になって受け入れてくださったのは
こんなお話があってのことだったのだと
あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました
ビジネスコースの3年生が
高校生ガイド交流会に参加しました
現在石川県では
高校生によるツアーガイド活動を推進しています
今年度は輪島でのツアーガイドはできませんが
今後は被災地見学や防災教育に特化した
ツアーなども高校生が主体となって計画していきます
今日は松任高校の生徒さんたちと
交流会を実施しました
パリサミット報告会
地震から 381 日目
豪雨から 117 日目
報告会に先立って
未来を創る会社EQUMENOPOLISさんを訪問しました
12ヶ国からの方によるグローバル企業です
AIを活用した英会話教材を開発されています
輪島高校では今後授業の中に取り入れていくことで
その技術開発に積極的に協力していく予定でいます
パンダさん オガケンさん モモさんが
フレンドリーにお世話してくださいました
EQUMENOさんが開発している
AI英会話教材はLANGXといいます
1 能力を引き出す対話インタラクション技術
2 人の成長を促す診断技術
3 対話シナリオパーソナライゼーション技術
をコンセプトとしています
まずはグループに分かれて
LANGXのキャラクターであるインテラさんと
実際にお話ししてみました
インテラさんは積極的に質問してくれて
その回答を聞くことで
生徒の英会話レベルを即時に判断し
次の質問のレベルを調整してくれます
こちらのグループはカフェスタイルで
AI技術を活用すれば
今後英語の授業は
どのように変わっていく可能性があるか
アイデアを出し合いました
グループごとの話し合いの結果を
シェアしあいました
英語以外の言語も開発してほしい
「ゆっくり話して」に対応してくれたり
自分好みにアバターを変化できるといい
など開発への希望を出し合いました
引き続き
「令和6年能登半島地震から1年
阪神淡路大震災から30年に想いを馳せる会」
ご挨拶をさせていただきました
「あの日からもう1年が経ちました
7階建のビルが倒れるような揺れと
関東大震災をはるかに超える地面の隆起
5mを超える津波
そして街を焼き尽くす炎に
私たちは大切な家族
かけがえのない思い出を
奪われました
終戦後の焼け野原に子供達を集めて
教科書も筆記用具も何ない中
それでも学ぶことを止めてはならないと
授業をし続けた先生がいらっしゃいます
その姿を目標に
我々教員の戦いが始まりました
数ヶ月間は私は学校に泊まり込み
今日いらしゃっている山崎先生は
ずっと車の中で寝泊まりしてお仕事をされました
災害現場には
その場で判断のできる責任者を派遣する
そしてできることは全てやれと指示する
仮にそれが法に触れるようなことであれば
法改正する
それが一国の首相の責任
このようなことが東日本大震災の際に言われました
この言葉の通り
支援を待つだけでは何も進まない
自分たちで行動を起こさないといけない
そう思って今日まで歩いてきました
『上から降ってくる復興計画には
そのまま乗っかるな
自分たちの街は自分たちで創る
そんな気持ちを持て』
生徒たちにはそう語りかけています
今被災地ではさまざまな教育の課題が
浮き彫りになっています
教育格差の問題であったり
教員不足の問題であったり
しかしこれは何も災害が原因で起こったことではなく
日本全体さらには世界全体に
潜在している問題です
これらの課題に主体的に取り組む生徒の育成に
今一番力を入れています
その中の柱と言える取り組みが
OECDとの共創なのです」
そのあと
2年生の長井さんが
「これからの輪島に思うこと」
同じく上野さんが
「OECD国際サミットの報告」
岡本先生が「未来へ向かう想い」
について報告をしました
能登はいるわいね
地震から 380 日目
豪雨から 116 日目
紅白歌合戦で輪島から歌ってくださった
坂本冬美さんからお便りが届きました
心のこもった
たいへん美しい文字でしたためられています
みなさまにもご披露申し上げます
「地元の皆様にも大勢お集まり頂き
温かい拍手で盛り上げてくださいましたこと
心より感謝申し上げます
度重なる困難を乗り越えられた
力強い握手と
何事にも挫けない笑顔に触れ
逆に私の方が希望や勇気を頂きました
さらには御陣乗太鼓保存会の皆様の
魂のこもった素晴らしい演奏で
『能登はいらんかいね』を
全国の皆様にお届けすることが出来
私にとりましても
忘れられない紅白となりました
・・・
三十四年前
ミュージックビデオ撮影で
輪島から珠洲の町を歩かせて頂き
その素晴らしい風景や
町の皆様の温かさに感動したことが
鮮明に思い出され
改めて目を覆うような光景に
地震の凄まじさ
水害の恐ろしさ
自然の脅威を痛感致しました
・・・
それではまた
輪島で歌わせて頂けます日まで
私も精進を重ねて参ります」
素晴らしい歌声と
その優しいお人柄に魅了されたこと
思い出しました
放送のあとに歌っていただいた「風に立つ」
冬美さん自身
悲しくてつらくてどうしようもないときに
つくっていただいた大切な曲だそうです
「朔風が吹いても
向かい風吹こうとも
たじろがずくじけずに
前だけ見つめ行くがいい
泥にまみれて涙流しても
こころに錦の花をもて
そうさ人生やるっきゃないさ」
以前このブログで
演歌は好きになれない
みたいなこと書きましたが
とんでもない
心に響きました
音楽にはジャンルなどない
すばらしいものはすばらしい
心からそう感じた瞬間でした
今
外では
御陣乗太鼓を思わせる
冬の雷が鳴り響いています
今日の【商売ことはじめ】
昭和23年
戦災で焼け野原となった博多の街に
小さな食料品店が生まれました
お店の名前は「ふくや」
戦時中の幼少期を韓国で過ごした店主は
そこでの庶民の食べ物「たらこのキムチ漬」
その味が忘れられず
味を再現し売り出します
なんだか祖国タイで見た
海辺の映画館が忘れられなくて
被災地の皆に見せてあげたいと
がんばっているナタ君みたいです
タラコとはすけとうだらの卵
昔
中国が明(みん)と呼ばれていた頃
その近海でよく獲れたことから
すけとうだらのことを
「明鯛(みんたい)」
と呼んでいました
「明鯛」と書いて「すけそう」とも読みます
もう漢検一級レベルですね
こうやって作られた「明鯛子」
店主は細々と商売をしながら
その製法を惜しみなく
博多の人々に伝えました
昭和50年
新幹線が博多まで延伸されることになったとき
博多名物として何を置こう?
そうだ!明太子だ!
こうして爆発的なヒット商品となるのでした
逆境の中でこそ新しいものが生まれます
今「街プロ」で生徒たちが作り出しているもの
この先どんな進化を遂げるか楽しみです
商売ことはじめ
地震から 379 日目
豪雨から 115 日目
NHK大河ドラマ「べらぼう」
昨日は蔦屋重三郎と平賀源内の
出会いのシーンが描かれていました
平賀源内といえば
エレキテルを作った人と
学生時代に学びましたが
そもそもエレキテルが何かもわからず
ピップエレキバンみたいなものだろうと
勝手に解釈していました
当時は今みたいに
Google先生とかYahoo先生がいないので
自分で調べる術もなく
そこで40年以上ぶりに調べてみると
なるほど発電機なのですね
しかも源内オリジナルではなく
西洋にその原型がありました
しかも西洋では
電気治療機として使用されていたとか
エレキバンもあながち
間違いではないなと
エレキテルを現在の生活で使っている方は
皆無かと心得ますが
源内が始めたことで
現在もなお続いているものがあります
あるお店の店主から相談を受けます
「こんなに暑くちゃ商売あがってりでぃ」
「じゃあよ こうするのはどうだい?
昔から丑の日にゃ「う」のつくもんを喰うと
からだにいいって云うじゃねえか
そしたらよ
土用の丑の日に「ウナギ」を喰えば精がつくって
世間に宣伝すりゃいいんだよ
べらぼうめ」
源内は江戸時代にすでに現代の
「恵方巻き」商戦や
「ブラックフライデー」商戦のようなものを
仕掛けていたんですね
源内のアイデアで始まった
土用の丑の日のウナギ喰いの習慣
今でも脈々と続いています
このように今は当たり前であっても
その発祥を調べてみると
意外な物語が流れていたりします
「街プロ」の参考にもなるので
これから少しずつ紹介してみようと思います
調理室に水が来た!
地震から 378 日目
豪雨から 114 日目
先日一年ぶりに調理室が通水しました
家庭科の山上先生からの報告です
水が出た瞬間「おおーぉ〜」という歓声があがりました
当たり前のことができる喜びを生徒たちと分かち合いました
この間いろいろ工夫して調理した経験は
彼らにとって生きる力になると信じています
授業後「先生〜ありがとう〜」と笑顔に去る後ろ姿に
教職のやりがいを感じました
これまで長い間調整してくださった
教育委員会の方々
本当にありがとうございました
今日は成人式2日目
今年成人になられた方々です
私が校長になって
初めて卒業証書を手渡した生徒たちです
教頭時代1年生の時に授業を担当しました
明るくて元気で楽しい学年でした
2年生になる時に転勤となりますがその時
「校長になって来年帰って来てね」
と言ってくれた生徒たちです
約束どおり卒業式の日に
送り出すことができたのです
みんな凛々しいイケメンですね
「先生俺約束守ってます」
と声かけしてくれた生徒が…
彼は卒業時に
「俺ユーチューバーになります!」
頑張ってます
「時事ネタれいれい」で検索を
輪島高校の当時の担任の担任の先生方からの
ビデオメッセージも流れました
みんなとっても綺麗です
今日も昨日に引き続き
プリプリの京子ちゃんと
TUBEの角野さんと一緒に演奏です
演奏前に京子ちゃんから
「頑張ろうね」ってメンバーにガッツポーズ
被災地に来てくださる著名人の方は
どの方も偉ぶったところが全くなく
皆さん本当に優しくお声をかけてくださいます
一年越しのおめでとう
地震から 377 日目
豪雨から 113 日目
輪島市では今日から二日間にわたって
「20歳の集い」が開催されます
今日は
本当は昨年開催されるはずだった方の分
一年越しの開催となりました
式典前のアトラクションで
輪島高校吹奏楽部が
輪島吹奏楽団や市内3つの中高と合同で
お祝いの曲をプレゼントしました
TUBEのベーシスト角野秀行さん
プリンセスプリンセスのドラマー富田京子さんが
一緒に演奏してくださいました
今回繋いでくださったのは「海さくら」さんです
本物の演奏をバックに
新成人たちが
「ガラスのメモリーズ」と
「ダイヤモンド」を歌いました
写真右奥が角野さんと富田さんです
私もクラリネットで参加しました
式典後は場所を変えて
おふたりと海さくらさんから新成人に
お酒が振る舞われました
r
成人式が初めて行われたのは
終戦の翌年昭和21年(1946年)のこと
国全体が敗戦による混乱と虚脱感で
明日への希望を見いだせずにいた中
次代を担う若者たちを
勇気づけ励まそうと企画した「青年祭」
その催しのオープニングセレモニーが「成年式」
つまり「成人式」なのです
このことは
蕨市公式ウェブサイト
「成人式発祥の地のまち蕨」に詳しいです
一昔前「荒れる成人式」が問題となっていました
飲酒運転で暴走したり
市長挨拶の途中でステージに乱入したりと
上から押し付けの式典への反発なのか
単に目立ちたいだけなのか
北九州市はド派手成人式が有名ですが
ド派手にしてから
成人式が荒れないようになったそうです
逆転の発想ですね
あるレンタル衣装さんの発想だそうですが
素晴らしいアイデアです
当初は周囲から眉を顰められたそうですが
今では世界四大コレクションのひとつ
「ニューヨーク・ファッション・ウィーク」
で紹介されるほどに
荒れた成人式とはいえ
盗んだバイクで走り回り
校舎の窓ガラス壊して回った世代に比べると
かわいいもんです
若者の犯罪数
感覚的には増えているような気がしますが
実は激減していて
逆にパワハラが圧倒的に多いのは
60代の盗んだバイクで走り回った世代だったり
カスハラが圧倒的に多いのが
70代のヘルメット被ってデモしていた世代だったりします
それでもそんな無茶しても髪を切れば
今のようにエントリーシート何枚も書く必要もなく
当時はちゃっかり就職できたわけです
就職氷河時代に不採用を連発していたのが
当時人事権を握っていたヘルメット世代の方なので
何か理不尽さを感じます
年金が少ないと新幹線に火をつけた老人もいましたね
テレビのインタビューで
「年金が全てローンに消えてしまって足りない」
と嘆く老人を見ましたが
未分不相応の買い物して
勝手にローン組んだのはあなたでしょ
現役時代に自分が収めた分より多くの金を
一生懸命働いている若者から搾取しておいて
何を言う
という気がします
これから年金を受け取る入口に立っている私は
こんなこと考えています
自分は命があって寝る場所があって食べ物があれば
他には何の贅沢も要りません
1年間の被災地での家のない暮らしを経験して
今そのことを実感しています
だからご同輩
自分たちの年金少しだけ我慢して
子育て世代への手厚い支援
あるいは教育や研究にもっと予算を回しませんか
こういった世の中の理不尽に向かって
対策に取り組むことのできる
そんな若者を育成したい
これも「街プロ」の目的だったりします
12日(日)は
今年度成人を迎える方をお祝いします
求められるアナログ思考
地震から 376 日目
豪雨から 112 日目
上から降ってくる復興計画にそのまま乗っかるな
僕らの街は僕らが創る
輪高生による街づくりプロジェクト「街プロ」
昨日のNHKさんも含め
最近多くのマスコミの方に
取り上げていただくことも増え
生徒にとって大きな励みとなっています
ありがとうございます
このブログをしっかり読んでくださっていると見えて
具体的な質問をしてくださる方が多く
一つひとつ丁寧にお答えしなければと思い
誠心誠意対応させていただいております
一方で
「おい この輪島高校の『街なんとか』取材して来いよ」
「なんすか?それ?」
「知らねえよ よそで扱ってるからさ
うちだけ載せねえ訳にいかねえだろ」
「わかりましたよ やれやれ」
そんな会話があったのか知りませんが
明らかにテンションの低い取材の方もチラホラ
そんな方が決まってする質問ふたつ
(1)始めたきっかけはなんですか?
その答えはこのブログにずっと書いてますが
たくさんありすぎて一言では言い尽くせません
あえて一言で言うなら
「やりたいから」
(2)何を目指していますか?
あらかじめゴールを設定してしまっては
生徒の可能性を奪います
あえて一言で言うなら
「何も目指していません」
本日の毎日新聞に
石井洋二郎東京大学名誉教授の
インタビュー記事が掲載されていました
「求められるアナログ思考」
と題したその記事には
『思考方式がデジタル化している』
若者たちの思考の移り変わりを
まず心配していらっしゃいます
前述の
マスコミのふたつの質問は
まさにそのことを象徴しています
『ある情報が役に立つか立たないか
二項対立で物事を捉える』
とりあえず「きっかけ」と「ゴール」を聞けば
それで記事にはなりますもんね
下調べもせずにとりあえず取材に来て
短時間で切り上げたい
そんな意図が見え見えで
一気にインタビューに応じる気の失せる
質問なのでした
とはいえ多くの取材の方は
しっかり被災地に寄り添って
今でも記事にしてくださり本当に感謝です
氏は続けます
『デジタル時計は
1時から急に1時10分になるけど
そこに“間”がない
0でも1でもない“間”が思考の本質で
ものを考えるとは“間”を埋めること
0と1の間で迷ったりためらったりする
粘り強いアナログ的な思考が
今は求められている』と
考える過程を省く
世の中に関心を持つことなく諦める
こうした態度を乗り越えて
「自分たちでも社会は変えられる!」
ということを実感させること
これが「街プロ」を
始めたきっかけであり
目指すゴールです