校長室より「おこらいえ」
いろんな百周年
地震から 718 日目
全商簿記北信越大会に
本校より平野唯人さんが
出場することとなりました
団体枠のほかに
個人で出場できる枠があるのですが
県大会を見事勝ち抜いて
出場権を勝ち取りました
土曜日に長野県で行われます
校長室で
激励金をお渡ししました
健闘を祈ります
さて今年は実にたくさんのものが
100歳を迎えています
【日本相撲協会】
1923年の関東大震災で
両国にあった初代国技館が
甚大な被害を受けました
相撲は復興の象徴のひとつとなり
国民の心の拠り所として発展しました
被災した経験と再建の努力は
2年後の日本相撲協会誕生へと受け継がれ
復興へのエネルギーの象徴となりました
【NHK】
関東大震災は
「ラジオ放送の誕生」を決定づける
重要な出来事でもありました
通信網が寸断され
「情報が届かない」ことの
甚大な被害を目の当たりにした逓信省が
災害時の迅速な情報伝達手段として
放送の必要性を痛感し
ラジオ放送を始めました
命を救うメディア『ラジオ』は
のちのNHKとなるのです
【雪印メグミルク】
関東大震災により
多くの国民は貧しい食生活を
送らざるを得ない状況となりました
国として
「栄養価の高い乳製品を拡めよう」
という方向に舵を切り
乳製品の輸入を始めたのです
それは国内酪農家への大打撃となりました
「自分たちが牛から絞った牛乳を
自分たちで加工して販売しよう」
という目的で集まった酪農家たちにより
雪印乳業の前身である
北海道製酪販売組合が誕生したのです
【ブルボン】
関東大震災が発生した当時
お菓子工場は関東近郊にしかなく
震災で地方への供給がストップし
子供たちがおやつを食べることが
できなくなってしまいました
とある新潟県にある和菓子屋が
「地方にも菓子の量産工場が必要だ」
と設立した「北日本製菓」が
ブルボンの前身です
当初は栄養価があり保存が利くビスケット
つまり保存食の製造から始め
やがて全国展開していくのです
【トヨタ】
関東大震災の際
鉄道が壊滅的な被害を受け
輸送手段として自動車が大活躍しました
大地震による火災から
多くの人命を救出したのも自動車であり
震災の後始末から復興事業まで
トラックが全面的に使われました
贅沢品と見られていた自動車は
実用品として
その公共性・利便性が
広く理解されるようになり
自動車の輸入が激増しました
そんな時代背景の中創業した
のちに自動車部となる自動車製作部門を持つ
豊田自動織機製作所は
来年百周年を迎えます
(トヨタ自動車は自動車部の設立をもって
創立としていますので百周年はまだ先です)
【山手線】
甚大な被害を受けた鉄道整備も始まりました
その混乱と焼失を機に
現在の「環状」山手線の原型が整備されました
都市交通網の近代化が一気に進みました
今年百周年が集中しているのは
偶然ではなく
関東大震災から立ち上がる
力強い人々の証なのです
日本人はこうやって
災害のたびに何度も何度も立ち上がり
そのたびに素晴らしいものを
築きあげてきたのですね
関東大震災からちょうど100年が過ぎた
最初の元日に起こった能登半島地震
我々だって負けてられません
今日朝市のまちづくりに関する
打ち合わせを持ちました
朝市も立ち上がりますよ
今までの良さを残しつつ
新しい朝市を目指します
こども家庭庁実施事業である
「こども・若者分科会」が
わじまティーンラボさんを会場に
開催されることとなりました
またあの日が来ます
地震から 717 日目
お店にお正月用品が並び始めると
たとえ大人の私でも
2年が過ぎ去ろうとしている今でも
なんだか心がザワザワしてきます
スクールカウンセラーの板本 淳子 先生から
生徒のみなさんにメッセージです
「大 き な 出 来 事 ・ つ ら い 出 来 事 か ら 、 、 1 ヶ 月 、 1 年 な ど の 節 目 に 、 こ こ ろ や 体 が い つ も と 違 っ た 状
態 に な る こ と を 節 目 反 応 と い い ま す 。つ ら い 反 応 で す が 、 た く さ ん の 人 に 起 こ る 、 普 通 の 反 応 で す 。
多 く の 場 合 は 、 し ば ら く す る と の 心 と 体 の 状 態 に 戻 る 事 が で き ま す 。
か ら だ :な ん だ か 気 持 ち 悪 い ・ 頭 が 痛 い ・ お 腹 が 痛 い ・ く ら く ら す る ・ 息 が し に く い ・ト イ レ に 何 度 も 行 き た く な る な ど 。
気 持 ち : 何 も し た く な い ・ 食 欲 が な い ・ 眠 れ な い ・ イ ラ イ ラ す る ・ す ぐ 怒 っ て し ま う ・何 と な く 不 安 ・ い な く な り た い ・ 悲 し く な る な ど 。
行 動 : 物 を 叩 い た り 投 げ た り す る ・ ソ ワ ソ ワ す る ・ い つ も で き る 事 が で き な い な ど 。
そ の 他 :何 も し て い な い の に 涙 が で て く る ・ 車 が 通 っ た り し て 揺 れ る と 怖 い な ど 。
こ の 他 に も 、 い つ も の 自 分 と 違 う と 思 っ た ら 、 そ の こ と を 大 人 に 話 し て み て く だ さ い 。 お か し な
こ と で も 、 恥 ず か し い こ と で も あ り ま せ ん 。
心 が け て ほ し い こ と
・ い つ も 通 り の 生 活 リ ズ ム で 過 ご し ま し ょ う ( 食 事 ・ 遊 び ・ 学 習 ・ 睡 眠 )
・ 楽 し い と 思 え る こ と を し ま し ょ う
・ 大 人 と 一 緒 に 過 ご す 時 間 を 持 ち ま し ょ う
・ 気 持 ち を 話 せ る 人 は 、 大 人 に 聞 い て も ら い ま し ょ う
・ 無 理 を せ ず 、 つ ら い 時 は 「 つ ら い 」 と 言 っ て い い で す
・ 安 心 で き る 大 人 と 一 緒 に 過 ご し ま し ょ う
節 目 と は 関 係 な く 、 今 も 反 応 が あ る 人 、 こ れ か ら ず っ と 後 に な っ て 反 応 が 出 る 人 、 ま た 反 応 が 長
く 続 く 人 な ど 、 人 に よ っ て そ れ ぞ れ 反 応 は 違 い ま す 。
気 に な る 事 が あ れ ば 、 気 楽 に 、 相 談 室 に 来 て く だ さ い 。
受 験 を 控 え て い る 人 も い ま す ね 。 頑 張 っ て く だ さ い !」
今輪島市では
子どもたちが
犯罪に巻き込まれるリスクが高まっています
元々のんびりした田舎で
犯罪とは程遠い平和な場所なので
そこで育った『おぼこい』子たちは
すぐに他人の言うことを信じてしまうので
犯罪に巻き込まれたり
さらには知らず知らずのうちに
加害者になってしまう危険性もあります
『おぼこい』とはこちらの方言で
純粋で穢れを知らないと言う意味です
石川県警の
中西 裕也 様
清谷 柚子 さまが来てくださり
『防犯教室』をしてくださいました
『闇バイト』ならぬ『闇犯罪』
『SNS』に関する問題
困ったことがあれば
迷わずに相談しましょう
奉納の舞
地震から 716 日目
福岡で教室をされている
『ユカリクラシックバレエ』代表
光永 ゆかり さま
同じく福岡で活動されている
『なないろハーモニー』の
指揮者 稲永 恵子 さま
ピアニスト 黒瀬 明子 さま
コーラス 國友 むつみ さま
そして運転手兼陰のラスボス
太田 俊隆 様
が学校にお見えになりました
『なないろ』といえば
今朝美しい二重の虹が出ていましたね
ほんの一瞬でしたが
北陸の冬の始まりの朝は
しょっちゅう虹が見えます
二重の虹は
ダブルレインボーと呼ばれる
非常に珍しい現象で
見られる確率は約1%ほどと言われています
『主虹』とよばれる内側の虹は
色の並びが通常の虹と一緒
外側から 赤→橙→黄→緑→青→藍→紫
ところが『副庭』外側の虹は色の並びが逆で
外側から 紫→藍→青→緑→黄→橙→赤
二重の虹の間を見ると
ほんのり薄暗くなっています
これを見ると幸せになれるそう!
これはアレキサンダーの暗帯と呼ばれています
さてご一行さまは
先日先々日と珠州などを訪れ
本日重蔵神社へ向かわれる途中
お立ち寄りくださいました
重蔵神社では歌と舞を奉納なさいました
『ユカリ』さん『なないろ』さんとは
弓削田健介さんによる
合唱曲『フェニックス』が御縁です
合唱曲で全国を繋いだ動画で
歌ってそして踊ってくださっています
重蔵神社の禰宜さまより
能登復興祈願のステッカーをいただきました
なるほど
能登半島は龍の形をしているんですね
そして重蔵さんは
その龍眼に位置します
仮設校舎での授業が始まって1週間
さまざまな課題満載の中
教員も生徒も試行錯誤しながら
それでも一歩ずつ前へ進んでいます
調理実習もはじまりました
思えば水道の通っていない旧校舎では
水汲みからしていましたね
その時に比べると
ほんと恵まれた環境です
以下家庭科の 山上 佳織 先生からの報告です
「お皿は地震でたくさん割れてしまったので
カレー皿やお椀も使い工夫して
ローストチキン
コンソメジュリエンヌ
苺サンタクロースケーキ
を作りました
生徒たちは
「先生〜ありがとう〜美味しかったよ〜」
「うめ〜また食べたい〜」
と目をキラキラ輝かせて
調理室を去っていきました
高校での家庭科の単位数は少ないですが
記憶に残る授業になっていたらいいな
と思う今日この頃でした」
水汲み体験も含めて
きっといい思い出になって
生徒たちの心の中に
輝き続けると思いますよ
それにしても
コンソメジュリエンヌって
名前からしてオシャレやな
人生で一度も食べたことないわ
山上先生は
文部科学省より
今年度の優秀教員に選ばれました
被災地での
先進的な遠隔授業の実践も含め
その高い授業力が評価されてのものです
おめでとうございます
明日 17日 夕方
HAB 北陸朝日放送 にて
本校の卒業生のその後を追った
ドキュメンタリーが放送されます
18:15 からの番組の中
18:25 過ぎから5~7分間の放映です
ぜひご覧ください
蔦重逝く
地震から 715 日目
江戸のメディア王「蔦屋重三郎」を描いた
NHK大河ドラマ「べらぼう」が
最終回を迎えました
小芝風花さん演ずる花魁『瀬川』との別れ以来
実は私はなかなか見れなかったのですが
久々に最終回を見ることができました
わずか10ヶ月で140点以上もの作品を残し
忽然と姿を消した謎の絵師『東洲斎写楽』
番組では絵師集団として描かれていました
バンクシーみたいですね
そうだとすると
前期と後期で作風がガラリと変わることも
短期間で多くの絵を残したことも
説明がつきますね
なるほど
川に落ちて消息不明となった『唐丸(からまる)』
彼が実は『写楽』で
いつか蔦重が窮地に落ちいたった時に
助けに来るんだとばかり予想していたのですが
彼はのちの喜多川歌麿でした
東洲斎写楽の正体には諸説あり
現在最も有力とされているのは
阿波徳島藩お抱えの能役者
『斎藤十郎兵衛』説です
役者の内面をえぐるような大胆な筆致と
極端なデフォルメは
当時の役者からは不評だったようですが
そんな日本人離れした感性の持ち主は
オランダ人絵師『シャーロック』であった
というのが私の一押しの説です
これから新しい発見があったら
明らかになっていくのでしょう
これが『歴史』の醍醐味です
さあその江戸時代
なんだか色々興味が湧いてきたので
いろいろ調べてみました
まずは蔦重の本のお値段は?
新刊本は300文
今の値段にして4,950円
結構しますね
でも写真集と思えばそんなもんか
浮世絵は1枚32文
今の値段で528円
これもそんなもんですかね
江戸の宿泊代は
1泊2食で48文(4,092円)
やすっ!!
中国人が大量に押し寄せていた
少し前の日本での
1杯40,000円の海鮮丼
(築地で実際に見た!)
に比べれば驚きの安さですね
「中国人は所構わず
でっかい声で騒ぎまくる
でもそれは文化の違いである
常に他民族による
侵略の危機に晒されていた中国では
他の人に聞こえないように
ヒソヒソ話すると
クーデターを企てていると思われるから
「私たちは何も隠し事はありませんよ」
アピールのため
わざと他人に聞こえるように
大声で話すのです
中国人にしてみたら
他人に迷惑かけまいと小声で話す日本人こそ
不気味な存在に見えるのです」
ということは以前このブログにも書きましたが
最近では
大声で話す人に「シーッ!」と
互いに注意しあう中国人同士の姿を
見かけるようになりました
きっと「日本の文化ってこんなんですよ」
って紹介するガイドブックやガイドさんが
増えてきてるんだろうなって感じています
他国の文化を理解しあって
尊重し合うってとっても素敵なことですね
『世界平和』
防災講座
地震から 714 日目
仮設校舎に受験生が集って頑張っています
金沢大学で
「探究・STEAM フェスタ」が開催され
本校から3名の1年生が参加しました
金沢大学では
教科横断型の探究学習を通した
高大接続・高大連携の取り組みを
推進されています
今回は「高校生の探究心に火を灯す」
特別企画です
大学生とのリアル探究トークを通して
新たな学びを得て
将来に向けてのきっかけとなりました
私ごとですが
先日受験した防災士試験
合格することができました
晴れて防災士として初めて
防災講習に参加しました
輪島市避難所運営研修会です
ピースボート災害支援センターさんが
主催してくださいました
ピースボート災害支援センターさんは
国内外の災害支援と
防災・減災を専門にする公益法人です
まずはコーディネーターの
辛嶋 友香里 さまから
様々な知見をいただきました
まずは避難所の運営主体は
避難者自身であること
その意識を持つことの大切さ
避難所で繰り返し起こっている
3つの課題があります
① 「場」の課題
衛生環境 安全管理 情報共有など
② 「人」の課題
安否確認 要配慮者 生活再建など
③ 「運営体制」の課題
環境整備 運営者も被災者 など
これらの課題を解決するには
避難者一人ひとりが
自主的に考え行動することが大切です
次に簡易ベッドの大切さ
単に寝心地の良さかと
これまで認識していたのですが
睡眠時の頭の高さを
床から35センチ離すことに
大きな意味があるそうです
それだけ違うだけで
温度が10℃も違ったり
床から舞い上がる埃やウィルスが
激減することがその理由です
今回の能登半島地震では
186ヶ所の避難所が開設されました
これは全国的にみても
例のない多さなんだそうです
今回は
避難所で実際に暮らした方
あるいは避難所運営に携わった方
そんな方が集まって
避難所で実際にあったあるあるを
語り合うことから始めました
6つのグループに分かれて
テーマに沿って
「次はこうしたい」
経験を踏まえたアイデアを出し合いました
【洗濯】
◯ 発電機の設置
◯ 男女別の物干し場
ただしその際娘を持つシングルファーザーなど
解決すべき課題は多い
【食事】
◯ 好き嫌いがある人は自分で備えるべき
【情報】
◯ 掲示板を充実させる
◯ 電波状況を改善する
◯ 情報弱者への配慮
【入浴】
◯ 入浴情報の周知
◯ 入浴用の送迎車両
◯ 要介護者用風呂
◯ 介護シャワー用車両
【寝床】
◯ テントを張ってのプライベート確保
◯ 枕とシーツの支援
今回得た知見として
しっかりと将来へ伝えていく
責任を感じました
またピースボートさんは
平常時のひとり親家庭支援と
災害時の迅速な職の支援を両立する
フェーズフリー型キッチンカー
「FOOBOUR(フーバー)」の運用を
10月から輪島市でも始めたそうです
これは
平時には
食品・日用品を24時間取り出し可能な
無人車両として
地域のひとり親世帯の支援をします
そして災害時には
キッチンカーとして
温かい食料を提供できるものです
輪島市では発災前は
1800人に3食分の備蓄しかなかったものを
今回の地震を受けて
13000人に対して3食2日分に
増やすそうです