校長室より「おこらいえ」
防災講座
地震から 714 日目
仮設校舎に受験生が集って頑張っています
金沢大学で
「探究・STEAM フェスタ」が開催され
本校から3名の1年生が参加しました
金沢大学では
教科横断型の探究学習を通した
高大接続・高大連携の取り組みを
推進されています
今回は「高校生の探究心に火を灯す」
特別企画です
大学生とのリアル探究トークを通して
新たな学びを得て
将来に向けてのきっかけとなりました
私ごとですが
先日受験した防災士試験
合格することができました
晴れて防災士として初めて
防災講習に参加しました
輪島市避難所運営研修会です
ピースボート災害支援センターさんが
主催してくださいました
ピースボート災害支援センターさんは
国内外の災害支援と
防災・減災を専門にする公益法人です
まずはコーディネーターの
辛嶋 友香里 さまから
様々な知見をいただきました
まずは避難所の運営主体は
避難者自身であること
その意識を持つことの大切さ
避難所で繰り返し起こっている
3つの課題があります
① 「場」の課題
衛生環境 安全管理 情報共有など
② 「人」の課題
安否確認 要配慮者 生活再建など
③ 「運営体制」の課題
環境整備 運営者も被災者 など
これらの課題を解決するには
避難者一人ひとりが
自主的に考え行動することが大切です
次に簡易ベッドの大切さ
単に寝心地の良さかと
これまで認識していたのですが
睡眠時の頭の高さを
床から35センチ離すことに
大きな意味があるそうです
それだけ違うだけで
温度が10℃も違ったり
床から舞い上がる埃やウィルスが
激減することがその理由です
今回の能登半島地震では
186ヶ所の避難所が開設されました
これは全国的にみても
例のない多さなんだそうです
今回は
避難所で実際に暮らした方
あるいは避難所運営に携わった方
そんな方が集まって
避難所で実際にあったあるあるを
語り合うことから始めました
6つのグループに分かれて
テーマに沿って
「次はこうしたい」
経験を踏まえたアイデアを出し合いました
【洗濯】
◯ 発電機の設置
◯ 男女別の物干し場
ただしその際娘を持つシングルファーザーなど
解決すべき課題は多い
【食事】
◯ 好き嫌いがある人は自分で備えるべき
【情報】
◯ 掲示板を充実させる
◯ 電波状況を改善する
◯ 情報弱者への配慮
【入浴】
◯ 入浴情報の周知
◯ 入浴用の送迎車両
◯ 要介護者用風呂
◯ 介護シャワー用車両
【寝床】
◯ テントを張ってのプライベート確保
◯ 枕とシーツの支援
今回得た知見として
しっかりと将来へ伝えていく
責任を感じました
またピースボートさんは
平常時のひとり親家庭支援と
災害時の迅速な職の支援を両立する
フェーズフリー型キッチンカー
「FOOBOUR(フーバー)」の運用を
10月から輪島市でも始めたそうです
これは
平時には
食品・日用品を24時間取り出し可能な
無人車両として
地域のひとり親世帯の支援をします
そして災害時には
キッチンカーとして
温かい食料を提供できるものです
輪島市では発災前は
1800人に3食分の備蓄しかなかったものを
今回の地震を受けて
13000人に対して3食2日分に
増やすそうです
ふるさとプレコン最優秀賞!
地震から 713 日目
「ふるさとプレゼンコンテスト」に
参加してきました
場所は KANDA SQUARE
開始までしばらく時間がありましたので
じっとすることと
長い話がことのほか苦手な私は
例によって
会場付近をうろちょろするのでした
上野東照宮へ行ってみました
家康危篤の床に呼ばれた
藤堂高虎と天海僧正
「末永く魂鎮まるところに祀ってほしい」
との遺言に則って建てられたのが
ここ上野東照宮です
元々は藤堂高虎邸敷地だそうです
こちらは国指定重要文化財の『唐門』
日光東照宮『眠り猫』で有名な
左甚五郎(ひだりじんごろう)作による
昇り龍・降り龍の彫刻が左右にあります
偉大な人ほど頭を垂れるということから
頭が下を向いている方が
昇り龍なんだそうです
諫鼓鳥(かんこどり)の透かし彫りも見れます
これは中国の皇帝が門の前に太鼓を置き
政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ
訴えを聞こうとしたけど
善政のため打たれることが無く
太鼓の台座は苔生し
鶏が住みつくほどであったと言う話が
基となっています
まさに家康が築いた300年に及ぶ
戦のない
泰平の世の中を象徴しています
「閑古鳥が鳴く」
の由来になったとも言われています
大きな銀杏の木があちこちに
銀杏の木は燃えにくいので
防火のために植えられたのだそうです
防災意識高いですね
国立西洋博物館では
オルセー美術館所蔵
「印象派」特別展が開催されていました
オルセー美術館は
パリ万博の際に建てられた
会場への終着駅だったんだそうです
大阪でいうと「夢洲」駅
みたいなもんですね
印象派とは
19世紀後半にフランスで生まれた芸術運動です
カメラの発明がその契機となっています
画家たちにとって死活問題だったでしょう
「カメラによって職業が奪われる」
ちょうど現代の我々が
「AIによって職業が奪われる」
と危惧しているのと似ています
AI時代を生き抜くヒントが
『印象派』の絵画にあります
こちらはドガによる『家族の肖像』
当時身を寄せていた叔父一家です
叔父の事業の失敗により家族は不仲
一堂に会することなどなかった家族
ひとりずつ個別にデッサンを重ね
一枚の絵に仕上げ
当時の家族の間に流れる不安を
見事に描き出しています
これなどは
当時のカメラにはできない
それこそヒトでないとできない
まさに芸術です
『印象派』の名称は
モネの《印象、日の出》がきっかけで
当時のカメラでは表現しきれない
光と色彩を重視したものです
これまでの絵画が担ってきた
「現実を写す」役割は
これからはカメラがやってくれる
明るい色彩や大胆な構図を取り入れ
「光と瞬間的な印象を捉える」
ことを目指した芸術活動が
近代美術の幕開けを告げたのです
『印象派』には日本の芸術も
大きな影響を与えています
こちらは『マネ』による
『エミール・ゾラ』
懇意にしていた美術評論家を描いたものです
背景には浮世絵が見えます
他国の文化を積極的に取り入れ
新しいものを生み出しているのも
『印象派』の特徴です
来年
本校からパリ研修に出かけます
ぜひオルセー美術館も
見てきて欲しいと思います
オルセー美術館は
古典芸術を集めたルーブル美術館と
現代アートの殿堂ポンピドゥー・センターを
繋ぐものといわれています
プレゼン大会はというと
全国から予選を勝ち抜いた
小学生から3組
中高校生から4組
大学生から3組の
ノミネートがありました
本校教諭 寺田 知絵 先生が
開会挨拶を務めました
電気が復旧するのに4ヶ月
水道が復旧するまで8ヶ月
かかったんですと
そのつらかった生活の話をすると
言葉につまり
会場の皆さんも目頭を押さえていました
いつも笑顔の寺田先生
こんなに辛い毎日を乗り越えていたんです
本校から
2年生の
平 愛結奈 さん
大岩 楓 さんが
「輪島が生きる」と題して発表しました
千枚田そして輪島塗に
輪島の復興をかけるみなさんのことを
紹介しました
多くの方々の感動を呼び
最優秀賞をいただくことができました
出張のたびに
これまで遠くからご支援くださった方を
順番に尋ね
直接ご挨拶を申し上げています
昨日は
発災後真っ先にご連絡くださり
地震避けのステッカーを
送ってくださった
東京で小学校にお勤めの
毛利 泉 先生を尋ねました
いただいたステッカーは
先生が師事されている
寄席文字書家「橘右之吉(たちばなうのきち)師匠」
によるもので
輪島高校避難所のあちこちに
貼らせていただいていました
なんだか遠い昔のことのようです
まだご挨拶できていないみなさん
申し訳ございません
いつの日か行きたいと思っております
プレゼンの極意
地震から 712 日目
昨日
アナウンサーの 原田 幸子 さまをお招きして
話し方講座の3回目〜発展編〜を実施しました
これまでのおさらいをプリントにして
配っていただきました
原田師匠は
昨年『紅白歌合戦』の輪島高校中継で
進行役を務めたNHK金沢放送局の高畠菜那アナ
私から見たら
有吉弘行さん
橋本環奈さん
伊藤沙莉さんと並ぶ名司会者
彼女の師匠に当たる方ですので
それはそれは相当なものです
師匠直伝のおさらいプリント
ぜひ紹介させていただきたいと
お願いしたところ
惜しみもなくご了承くださいましたので
ここにご紹介させていただきます
* * *
そもそも『プレゼン」とは何でしょう?
『プレゼン』の語源は『プレゼント』
心を込めた、相手への「贈り物」です
「伝えたいこと」つまり「想い」を贈るのです
ではどうやったら伝わるのでしょう?
それは『声の道」を意識することです
大きな声で
ゆっくりと
聴衆に目を配りながら
「伝えたい」と思いながら話すのです
「伝わるプレゼン」には
いくつかのポイントがあります
① 導入の大切さ
声と内容を意識して「第一声で心を掴む」
ことが大切です
② 着地点を意識することの大切さ
「終わりよければすべてよし」
③ 構成の適切さ
「山はどこか」
最も言いたかったことに
時間が割かれていますか
④ 身近なエピソード
「誰でも言えることではない
“あなたらしさ”」
⑤ 思いをのせる話し方
「声に表情をのせる」
⑥「間」が大切
伝えたいワードの前に
大切な話の後に
⑦ 緩急を使う
初めて出てくる言葉
核となる言葉
強調したい部分は
ゆっくりと
「自分が聞きたいプレゼンを目指しましょう!」
自分のプレゼンを撮影し
原稿を見ずに客観的に聴いて見てみましょう
その声から
表情から
姿勢から
「伝えたい気持ち」は伝わりますか?
常に
「初めて聞く人にわかってもらう」
ことを意識しましょう
プレゼンを魅力的にするには
「取材の仕方」も大切です
事前に準備していった質問に
囚われすぎないこと
相手と「会話する」
話を “広げる” “深める”
相手に “興味を持つ”
予定調和でない流れから
思いがけない話を
聞くことができます
* * *
さすがプロのアナウンサー
一つひとつが
なるほどな!
というポイントばかりです
文部科学省へ出かけ
自分たちの活動を報告してくるとともに
被災地の探究活動に対し
格段のご配慮を賜りますよう
お願いをして来ました
夕べ1時近くまでかかって
ホテルのロビーで準備した甲斐あって
素晴らしい発表ができました
生徒の感想です
宮腰花歩(1年生)
【一日目】OECDのお話を聞いて
日本の教育、国際関係、災害が起こった際などの様々な観点からの議論を聞いていてとても興味深かったです。例えば日本の教育について群馬県教育委員会の今井さんが話されていた非認知能力の育成についてですが、ただ単に勉強ができるというだけなく、主体性、創造力、コミュニケーション能力などの国際化していく社会において不可欠となっていると思っています。そのような中で私自身も学校という少し閉鎖的な空間だけではなく、今回行った東京や今度行くフランスなどの様々な地域や人との交流を通じて経験をたくさん積んでいきたい、と思いました。また、輪島のような過疎化が進んでいる地域でどうしたら都会との格差を埋めることができるかなどの課題も知ることができました。
【二日目】文科省へ行って
今日のスライド発表で自分の改善点が浮き彫りになったな、と思いました。もっと自分のスライドの原稿を突き詰めていけばよかったな、と少々後悔していることもありますが、これをバネにして今後の探究におけるスライド発表などに活かしていきたいと思います。
この2日間を通して、おそらくなかなかできない体験をさせていただいて、自分の中でとてもいい経験になったと思いますし、今の自分に足りないものを知ることができたと思います。ここで学んだことなどを、今度はフランスに行ったときに活かせることができればな、と思いました。
出る杭はつながる!
地震から 711 日目
今日のキーワードは『つながる』
被災地の子どもたちの想いを綴って
作曲家 弓削田 健介 さんがつくってくださった
合唱曲『フェニックス』
今も多くの絆を繋いでくださっています
佐賀での全日本音楽研究大会でお会いした
北海道の奥尻中学校の塩原祐馬先生より
仮校舎完成お祝いのメールをいただきました
「フェニックス」の音楽の力を
今度授業でお話されるそうです
素敵な授業になりますように
全国の教育現場を合唱でつなぐ
『フェニックス』つながるプロジェクト
に参加された
福岡市で『ユカリクラシックバレエ』
を主催されている
光永 ゆかり さまから
お手紙をいただきました
14日から16日に能登半島にお越しになり
仮設住宅でバレエを披露してくださいます
さて今日は
日本OECD共同研究
『2040年の日本の教育を
ホンキで考えるシンポジウム』
に参加するために東京に来ました
ポルトガルより
パウロ教育局課長が来日されたので
お逢いしてきました
生徒たちも
今春のポルトガル研修について発表しました
国際比較で見た
日本の教育の課題と可能性について
課題先進国の日本
そしてその課題が
さらに浮き彫りになった被災地で
未来の教育の先取り実装に
試行錯誤したがら取り組んでいる
現場の実例を紹介してきました
東京駅から会場まで歩いて移動しました
完全におのぼりさん気分です
東京駅何年ぶりでしょう
江戸時代に徳川家康に仕えた
オランダ人通訳「ヤン・ヨーステン」
彼が住まいをした場所は
彼の日本名「耶楊子(やようす)」がなまって
「八重洲(やえす)」となりました
東京駅八重洲口の反対側の丸の内口が
皇居へ向かう出口です
桜田門をくぐります
大老井伊直弼が殺害されたところですね
こちらは百人番所
江戸城の警備をするところで
各藩が担当していたそうです
現在でいうと
皇居の警備に各県警が当たっている
って感じですね
松の廊下跡です
松と千鳥が描かれた襖の長い量敗きの廊下で
赤穂演士討ち入りにつながったことで知られる
浅野内匠頭の吉良上野介への事件があった場所です
「殿中でござる!」
石室です
火災などがあった時
大奥の調度などを避難させた場所です
防災意識高いですね
そんなこんなでたどり着いた会場
今日のセッションでは
人口減少・自然災害・国際化経済・デジタル社会
という4つの切り口から
「2040年の日本にホンキで備える」
そのための具体的な一歩を考えます
パネルディスカッションに参加して
こんな感じでしゃべくりました
【セッション1】
問い:2040年よりも前に
もしも南海トラフがおきたら
なにができますか?
「昨年元日の地震で家も車も何もかも失って
それ以来退屈しない毎日を過ごしております
本来退職となる年でしたが
留年してもう一年校長を務めております
昨年1月の残業時間は300時間を超えるという
教員のWell-beingという今日のアジェンダとは
程遠い生活を送ってきましたが
その代わり通常では経験できない
多くの幸せにも出会うことができました
学校が避難所と教育機関として運営していく中
さまざまな課題に直面し
その度多くの方々に助けられてきました
中でも
DMATとの出会いは衝撃的なものでした
Disaster Medical Assistant Team
日本中の医療関係者が
被災地での医療を止めない
そんな枠組みをつくっています
教育でも同じような
国を挙げての支援の枠組みが必要である
DMATの教育版が必要であると文科省に提言し
D-est(Disaster Education Support Team)の
設立につながりました
南海トラフが起こったら
その一員として
もちろん恩送りに駆けつけます」
【セッション2】
問い:もしものために
あなた自身ができること
していきたいことは何ですか?
「自然災害は時を10年進めるといわれます
これは10年未来の世界に行ける
という夢のある話ではなくて
10 年後に起こるであろう諸課題が
前倒しして一気に襲ってくる
という意味です
現在能登半島はまさにその状況です
これから10年後
必ず日本の各地
さらには世界の各国に起こるであろう
様々な課題
少子高齢化であったり教育格差であったり
そういったものが
容赦なく襲いかかって来ている訳です
特に教員不足の問題は深刻で
今年度30人中5人が大学を卒業したての新規採用者です
これまで在籍していた教員が
生活拠点を失って転勤してしまうからです
教員の絶対数が圧倒的に不足している訳です
ただ被災地での最初の教員経験は
今後の生涯の教員人生において貴重なものとなるはずです
被災地で何もかも失った子供達が
それでも前を向いている姿を目にし
何も感じないのであれば
残念ながら教員としての資格はありません
今日もそんな震災地の学校に赴任してしまった新規採用教員
まさに震災の新採
一緒に来てもらっています
彼にとっても今日この場に同席すること
これ自体が大きな財産になるはずです
そんな中で多くの課題に対して
これ以上失うものが何もない被災地であるからこそ
思い切った教育活動を展開できています
『教育とは
魚に泳ぎ方を教えることではなく
自由に泳げる環境を与えることである 』
を体現していきたいです」
今日はいわゆる『出る杭』たちの集まりでした
「出る杭は打たれる」それは昭和の田舎の話
出た杭どうしでどんどんつながっていきましょう!
仮校舎2日目
地震から 710 日目
昨日の仮校舎初日の様子を
多くのマスコミの方が
取材に来てくださいました
ある地元誌では
私が言ってもいないことを
コメントとして掲載してありました
「環境が変わってもしっかり勉強してほしい」
と言ったのが
「十分な施設ではないけれど…」
とあたかも現状に不満があるかのような
書きぶりでした
『伝える』のって難しいです
切り取られ方によって
全く意図しないものになってしまうので
今後はマスコミへの発言を控えようと思います
『ごちゃまる出張ラボ』さんが
来てくださいました
新しい仮説校舎での
ふれあいのひとときです
スノーマンのキーホルダー作りなどで
楽しみました
日本の雪だるまは2段重ねですが
西洋のスノーマンは3段重ねです
なぜなのかチャッピーさんに訊いてみたら
(チャッピーさんはチャットgptのことです
岡本先生がそう呼んでいました)
Snow Manが6人から9人に増えた
理由を説明してくれました
ほんとうに『伝える』のって難しいです
高校化学の発展的な内容に
「ラウールの法則」ってありますが
女の子が目をキラキラさせて
聴いていたのを思い出しました
(芸能界に疎い私のような方のために
Snow Man はアイドルグループで
ラウールくんはそのメンバーです
合ってますか?)
各国の雪だるま事情を調べてみました
英語圏では「スノーマン=雪男」と呼ばれますが
イタリア・オランダでは「雪人形」
「雪男」と言うと
日本では雪男=UMA(未確認生物)
のイメージになってしまいます
『だるま』はもともとインドのお坊さん
さすがにインドに雪は降らないだろうから
中国ではどうかなと調べたら「雪人」
円錐形の胴体に丸い顔が載っています
韓国のは日本のに似ていますね
『冬のソナタ』にも出ていました
『ヌン(雪)サラム(人)』
というそうです
今日はクリスマスに計画している
朝市焼け跡のイルミネーション
の準備もしました
千枚田『あぜのきらめき』を彩っていた
『ペットボタル』を借りてきて
まずはクリーニングです
ステンドグラスのデザインもします
思い思いを形にして成形します
みんなの心を明るく照らしてください
輪島高校生の街づくりプロジェクト
『街プロ』の公認キャラクター
『わじねことふぐ郎』の
ポストイットが完成しました
1セット400円で販売しています
ご希望の方は輪島高校まで
ご連絡ください!
仮校舎での最初の日
地震から 709 日目
昨日仮校舎への引っ越しを終えて
今日は最初の授業の日でした
2年生を対象に
大学の模擬授業を実施しました
『学びウィーク』の一環でもあります
本校では中間考査を廃止して
その期間中
学びの心に火をつける
『学びウィーク』を行っています
今回は2学期末考査を終えた後
『学びウィーク』を実施
県内の多くの大学からお招きしました
講義の内容を
仮設校舎の案内も兼ねて
ご紹介します
国際(北陸大学)【調理室】
国際的なコミュニケーションを図るには
単に言葉の壁を乗り越えるだけでなく
互いの文化を理解し合うことが大切である
ということを
トランプを使ったゲームで実感しました
栄養(北陸学院大学)【物化実験室】
ようやく実験室が完成しました
これまでは水道が出なくて
実験できなかったのですが
さあお立ちあい!
保育・幼児教育(金城大学短期大学部)【音楽室】
ご覧ください
この広々とした音楽室
吹奏楽部も思う存分練習できますね
スポーツ(金沢学院大学)
女子ソフトボール
北京オリンピック金メダリストの
藤本索子 助教です
文学(金沢学院大学)
工学(金沢工業大学)【生地実験室】
標本たちも引っ越してきましたよ
理学療法(金城大学)
生物資源環境学(石川県立大学)
看護(石川県立看護大学)
今年の夏
トリアージの実習でお世話になった
木田 亮平 教授です
経営(かなざわ食マネジメント専門職大学)
日本で唯一フードサービスに特化した
経営学を学ぶことのできる
新しい大学です
こうして見ると
さすが学都金沢
人口あたりの大学数が
京都に次いで全国2位だということに
納得です
さて今回の『学びウィーク』
他にも様々な取り組みが
予定されていますよ
恒例の
原田幸子アナウンサーによる
「話し方教室」
今回は第3回『発展編』です
それから
南カリフォルニア大学
EUI-SUNG YI(イー・サン・イ)教授の講義
世界で注目される都市研究の第一人者です
最新の都市計画の実践をお聞きし
被災地の復興へのヒントとします
高校生に限らず一般の方もぜひお越しください
詳しくはこちら
学校へお電話の上お越しください
0768-22-2105
お引越し大作戦
地震から 708 日目
いよいよ仮設校舎ができました
これまで長かったような
短かったような
校舎の傾きが見つかったのは
地震直後のことでした
最初に気がついたのは
山崎先生でした
「二号棟が傾いている気がします」
最初は言われて初めて気づく程度
の傾きでした
そのうちだんだんと傾きが大きくなり
三号棟との間に大きな亀裂が走り
壁のヒビも大きくなって
中に入ると気分が悪くなるほどになりました
職員室がその中にありましたが
キャスター付きの椅子に座ると
コロコロ転がっていくようになりました
職員室を一号棟の会議室に移動しました
発災後4日目には
避難所として開設しましたが
二号棟は立ち入り禁止としました
体育館はというと
第一体育館は床がハーフパイプ状に窪み
第二体育館一階は床が山脈のように盛り上がり
どちらも体育では使えません
唯一使える第二体育館二階と廊下など
できるところで工夫をして
体育や部活動を行ってきました
春になると簡易検査が入りました
二号棟の傾きが3度少々
これはピサの斜塔とほぼ同じです
一号棟にも1度の傾きが確認されました
法律上公共施設は1度傾くと
半壊扱いになるので
それまで入居していらっしゃった
被災者の方々を体育館へと
移っていただきました
秋には精密検査が入り
一号棟の基礎の部分に損傷
が認められました
そこで学習していた
一・二年生の教室を
安全な三号棟に移しました
パソコン室を普通教室に作り替えたり
ひとつの教室を間仕切りで区切って
習熟度別授業のための小部屋を
作ったりしました
グラウンドの3分の1ほどを利用して
仮設校舎の建築が始まりました
工期およそ半年ほどで
二階建ての校舎が完成しました
先週の土日を利用して
金庫などの重量物のほか
大きな家具の移動を
業者の方にしていただいて
本日は生徒の使う机椅子などを
全員で搬入しました
仮設校舎への移動が終わり次第
本校舎のジャッキアップ作業に入ります
建て替えはしません
完成まで
一・二年生が仮設校舎を利用し
三年生は三号棟の一階を使います
校長室もガランとしました
何年後かに帰ってきます
その時は別の校長先生でしょうが
その日までさようなら
こちらは仮設校舎の校長室
どこにこんなに荷物があったんだと
まるでミミズの缶詰めを開けた状態
どこから片付けてよいのやら
怪我しないように慎重に慎重に
新しい事務室です
こちらは新しい職員室
フリーアドレス化しました
近未来型の机椅子は
『内田洋行』様より
ご寄贈いただいたものです
ほんとうにありがとうございました
「量子力学」百周年
地震から 707 日目
今週末は3件の講演会をさせていただきました
移動の新幹線で前の座席に座っていた方が
乗り換えた特急では隣の座席になりました
なんという偶然でしょう
この引き寄せに縁を感じ話しかけてみました
国際風水氣学協会の本鑑定士の方でした
普段から風水を科学と捉えている私は
興味津々でいろんなことを尋ねてみました
「目に見えるものだけが全てではない」
サン・テグジュペリの
『星の王子さま』にも登場するこの言葉
目には見えない酸素や二酸化炭素
そして電磁波が厳然として存在するように
風水は量子力学である
という言葉に妙に納得するのでした
アインシュタインは
「月は私たちが見ている時だけ存在するのか?」
と懐疑的だったこの量子力学
量子力学と私の出会いは
40年前に遡ります
大学時代の『理論化学』という講義の
シュレディンガー方程式の教科書は
これまでの私の常識を覆しました
難しい本を読むと3ページほどで
眠りに落ちてしまう特異体質の私を
わずか5行ほどで眠らせるものでした
1895年
ドイツのレントゲンは
空気を抜いて真空にしたガラス管に
電圧をかけて放電させる実験中に
管を厚い紙で覆っているにもかかわらず
近くに置いてあった物が光っているのを見て
「物を突き抜ける不思議な光が出ている」
と考え
この不思議な光をX線と名づけました
この発見の翌年 1896年
フランスのベクレルは
保存しておいた写真乾板が
光を受けていないのに
感光していることを見つけました
一緒に保存していた岩塩から
X線に似た何らかの光が出ていると
考えました
1903年
マリー・キュリーは
夫のピエール・キュリーが発明した装置を使って
ベクレルの岩塩から光を出しているのは
そこに含まれるウラン原子であることを発見し
その光を出す性質を「放射能」と名づけました
時は第二次産業革命
製鉄業がさかんとなったドイツでは
溶鉱炉の中の溶けた鉄の色で
温度を判断していました
赤黒いときは千数百度
真っ赤の時は二千度以上、
それ以上では白っぽくなる
といった具合です
物体の温度と放射される光の波長の関係を
プランクは公式で示しました
そしてこのことを説明するためには
『量子』という考えが必要であるとしました
光のエネルギーは連続的に変わるのではなく
飛び飛びの値を取るということです
そのことを突き詰めたのが
シュレディンガー方程式です
ここからいよいよ私が秒で寝る領域です
ともかく
トランジスタ
発光ダイオード
太陽電池
MRI
量子コンピュータ
我々の現在の豊かな生活は
量子力学の上に成り立っています
量子力学の世界では
「実験の測定値は測定した瞬間に決まる」
とされています
このことは『シュレディンガーの猫』
と例えられて説明されています
電子は『スピン』という磁力を持っています
『スピン』には上向きと下向き
ふたつの状態があります
ある電子の『スピン』がどちらなのかは
測定した瞬間に決まり
測定する直前はどちらでもない
いわばグレーな状態です
オセロのコマを弾いて回転させて
倒れた瞬間に白か黒か決まる感じです
さらに奇妙な
『量子もつれ』とう現象もあります
この状態のふたつの粒子は
どんなに遠く隠れても
瞬間的に影響を伝え合うのです
『量子もつれ』の状態にある
ふたつのオセロのコマを
『スピン』を逆向きに設定して
北極と南極に移動させます
そして回転させた後
同時に測定すると
その瞬間
必ず一方が白なら他方は黒
となるのです
一見何の関係もない
ふたつの現象であっても
目に見えない不思議な力で
影響を及ぼしあうということです
これはユングの提唱する
シンクロニシティの原理とも重なります
これは「意味のある偶然の一致」
あるいは「非因果性同時多発性」
ともいわれます
精神分析家ユングと
量子力学研究家パウリは
この非因果的な相関に注目し
精神と物質を統一する理論を構想するなど
シンクロニシティの原理を
科学的に探求しました
私たちの直感を超えた世界のあり方を
理解しようとする試みといえます
さて量子力学と風水に話を戻して
徳川家康が江戸のまちを築く時に
天海僧正らの助言を得て風水を取り入れています
東の隅田川を「青龍」
西の中山道などの道を「白虎」
南の江戸湾を「朱雀」
北の上野や神田山を「玄武」とする
四神相応の配置を基本としています
今日の大都市東京の繁栄の基礎がそこにあります
北に山があるとなぜ都市が繁栄するのか?
一見無関係に見えるこのことが
量子力学的に何か因果関係があるのかもしれません
実は焼けた朝市
風水的には
北に海
南に山
西に川
東に道と
四神相応の真逆なんですよね
だからこそ復興させる際には
その気を整える建物配置を
考えてみたらどうかなと思う次第です
愛媛の朝
地震から 706 日目
気持ちのいい朝を迎えています
今日は高松で
講演会を行いました
高松へ向かう前のひととき
丹原高校の合田校長先生に
地域巡見をしていただきました
地歴が専門である先生からは
地理と日本史の視点から
さまざまなことを
教えていただきました
まずは四国三十六不動霊場である
西山興隆寺
紅葉の美しい古刹です
『千と千尋の神隠し』に出てくるような
『みゆるぎ橋』を渡ると
国指定文化財の『三重塔』などがあります
愛媛県は東予・中予・南予に区分されますが
丹原高校のある東予地区には
独特の地形が見られます
まずは日本で有数の扇状地が連なります
扇状地では水が伏流水となって流れますので
川がなく
稲作には向きません
そこで果樹園として活用しています
下流に行くと伏流水は地表に現れ
川となって流れますが
多量に運んできた土砂を堆積させ
だんだん川底と堤防が高くなり
周囲より高いところを流れる
天井川となります
こちらは鉄道が
川の下のトンネルを潜るという
珍しい光景です
以前に「ゆず」のおふたりが
輪島高校に歌いに来てくださった時の模様が
NHKで放送されます
【番組名】東北ココから ゆずとつくる 未来へつなぐうた
【放送日時】12/12(金) 19:30~19:57 <東北地方のみ>
※NHK ONEで見逃し配信
【内容】来年東日本大震災から15年を迎えるにあたり、
ゆずのおふたりが
震災の経験を未来へつなぐ歌を制作するべく
東北の被災地を訪れ
地域の人たちと語り合う
旅のドキュメント
ぜひご覧ください
初冬の伊予路へ
地震から 705 日目
今年の夏休みに
韓国に視察旅行に行きました
バスの中で偶然隣合わせになったのは
愛媛県立丹原高等学校の
合田 明典 校長先生でした
防災教育に力を入れるなど
たいへんパワフルな校長先生でした
合田先生のお招きを受けて
本日同校で講演会を行います
今日は『防災デー』ということで
その一環ということになります
秋の京都駅で乗り換えです
紅葉がちょうど見ごろを迎えているようです
駅員さんお手製の案内板
『街プロ』でも
やってみるといいですね
京都では
中国人観光客が減って
日本人観光客が増えているとか
ホテル代なんかもグッと下がってお得に
予約を取り直す方も
いらっしゃるようです
丹原高校の『防災デー』
最先端の避難訓練を見せていただきました
予告なしの避難訓練です
掃除中に発災の設定です
生徒たちはすかさず
「落ちてこない倒れてこない」
場所を見つけて避難姿勢です
揺れが収まると
生徒たちは駆け足でグラウンドへ
途中通行不可能箇所を設定
みんな自分で避難路を見つけて
避難します
緊張感を持って取り組んでいます
生徒がふたり負傷した設定です
先生方が捜索に向かいます
ひとりは骨折で動けなかったようです
安全な場所までおんぶで運びました
もうひとりは心肺停止です
タンカで運んできました
ここは問題提起です
「訓練のための訓練」
になっていませんか?
心肺停止は一刻を争います
わざわざみんなのいるとこまで
連れてこないで
安全な場所で胸骨圧迫をすべきでは?
小学生も一緒に参加です
防災訓練は単独でなく
地域で行うべきものですね
勉強になりました
降下訓練も行いました
4階の高さから緩衝機を用いて
降下して避難する練習です
私も体験してみました
輪島高校でもぜひ取り入れましょう
煙避難訓練です
スモークマシンで煙を充満させた部屋を
潜って避難します
ハンカチの大切さを実感しました
SONPO さんのご協力による
『学防ッチャ(まなぼっちゃ)』
防災の知識を楽しみながら学べる
ボッチャです
防災リュックを作るワークショップ
防災バッグに必要なものを組み合わせる
パズルゲームです
私も講演会をさせていただきました
「南海トラフは必ずやってくる」
そう言われ続けて
暗い未来を刷り込まれるだけでは
高校生がかわいそうです
正しい防災知識を身につけて
地震の最初の15分間に命さえ守れば
つらいことの後には
人は大きく成長できるよ
予想もしなかった輝かしい未来が待ってるよ
そのことを
輪島高校生が頑張っている姿を紹介することで
伝えてきました
とっても素直で明るい生徒さんたちで
みんな真剣に話を聴いてくれました
藤原 禄都 さんと 桑村 桜羽 さんは
『江戸走り』を
渡部 もも花 さんと 佐々木 真央 さんは
『能登半島ポーズ』を考案して
それぞれ披露してくださいました
この中のどこかに
「能登半島ポーズ』の
ふたりがいます
金沢大学特別講義
地震から 704 日
金沢大学特別講義
「石川県の学校安全」で
お話をさせていただきました
金沢大学では
学校安全の中核を担う教員を育成するため
地理的環境・過疎化・被災など
石川県の地域特性を踏まえた
学校安全の取り組みについて
理解を深めるために
本講義を開講しています
今日明日と集中講義期間となっていて
通常講義はお休みです
キャンパスはガランとしていましたが
そんな中この講義を選択した学生さんは
熱心に講義を聴きに来てくださいました
さすが休みの日に進んで受講されるだけあって
みなさん本当に熱心に耳を傾けて
こちらからの問いかけについては
積極的に答えてくださいました
意識高く頼もしい限りでした
午前中は
発災後珠洲市の中学校で
陣頭指揮をとってこられた
現奥能登教育事務所長の
山岸 昭彦 先生の講義があり
拝聴させていただきました
珠洲市は今回の地震以前から
群発地震に見舞われていたので
防災教育そして地震への備えを
計画的に実践されていました
我々の認識の甘さを痛感しました
講義を受けられた方の中に
大切なご家族を亡くした方も
いらっしゃいました
言葉を一つひとつ選んで話したつもりです
教員採用試験に合格された方も
いらっしゃいました
被災地に赴任となる可能性もありますよ
とお伝えしました
被災地での教師としての実務経験は
今後の長い教員人生にとって
かけがえのないものを学ぶ機会になりますよとも
お伝えしました
実際震災わずか3ヶ月後
傷だらけで
住むところもない本校に
大学出たてのふたりの先生が赴任しました
そのうちひとりは
こんなとこ住めないと
金沢から毎日通い続けました
そんな厳しい環境の中
ふたりは真剣に生徒に向き合いました
どんなにつらい環境に置かれようと
それでも前を向いて歩き出そうとしている
生徒たちに
自分にももっとできることがある!
ふたりはそう思うようになってきました
今年はふたりとも学級担任をしています
明日は丸一日
「子どものための心理的応急処置」と題して
セーブ・ザ・チルドレンさんによる
実習が行われるそうです
がんばってください
高校生ガイドツアー
地震から 703 日目
石川県では
全国から修学旅行に訪れる学校向けに
高校生ガイドの取り組みをしています
本校もそのガイド校のひとつです
被災地ではありますが
今しかここしか体験できないコースもあります
今日はそのリハーサルということで
輪島市内の全中学校の生徒に来てもらい
お客さん役をしてもらう予定でした
ところが北陸特有の冬の気候となり
となると『鰤起こし』つまり
冬の雷もありうるなということで
急きょ予定を変更して
屋内で実施することとしました
せっかく来てもらうのだから
すこしでも楽しんでもらえるように
先生方は知恵を絞ります
建ったばかりの仮設の校舎に
高校生よりも一足早く入ってもらい
被災地ライフを楽しんでもらうことにしました
ところがここで問題発生
Wi-Fiがつながりません
生徒と先生は知恵を絞ります
急きょアナログの資料を準備して
紙芝居形式で何とかつなぐことにしました
ここでさらに問題発生
街を案内しながら話す原稿だったので
座ったままだと10分で終わってしまいました
先生方は知恵を絞ります
出たがり校長にに喋らせとけ
良いアイディアです
急遽音楽室に全員を集めることにしました
先生方がドタバタ準備をしている間
生徒たちが勝手に喋り始め
場を盛り上げてつないでくれていました
なんて気の利く生徒たちでしょう
想定外の出来事が次々と起こる中
生徒たちも先生方も
自分たちで最善を考え
自分たちで行動する
そんな姿が着実に身に付いています
震災がくれたプレゼントです
と言っては不謹慎でしょうか
さて、東陽中学校と門前中学校のみなさんは
道路事情が悪く
震災後輪島市街に入ることも
滅多になかったということで
バスで輪島塗会館とキリコ会館を案内しました
先生がそっちについて行ったので
残された生徒たちは
「おい!片付けやっちゃおうぜ」
自主的に使った部屋の片付けと
掃除をしてくれました
入学した頃は
やんちゃでどうなることやらと
心配した子たちではあったのですが
本当に成長しました
頼もしい限りです
県の産業について考える
地震から702 日目
「石川県産業教育振興会」
に参加しました
産業界 教育界 行政関係者が一堂に介して
県の産業教育の振興充実についての
諸課題の解決を図ることが目的です
ホクショー株式会社代表取締役社長
北村 宜大 氏による講演を
拝聴させていただきました
ホクショーさんでは
コロナ禍の際には
テレワーク手当の支給
ガソリン価格高騰の際には
通勤手当の2割増など
会社の業績アップと
従業員のWell-biing を
同時に実現されています
昭和の時代は
「電話がならない会社は危ない」
「社員が休みがちな会社は危ない」
などと言われたものですが
現在では必ずしも当てはまりません
社員のWell-being を実現しながら
業績を上げるには
① 営業の行動量を上げる
② 営業の「勝ち率」を上げる
③ 受注単価を上げる
だそうです
3つに共通することは
他者との差別化を図ることです
やってはいけないことは
価格競争に陥ること
学校現場にも応用できそうです
意見交換会がありました
企業側からの質問に対し
突然指名されたある校長先生は
「すみません もう一回言ってください」
聞き逃したようです
私が指名されても
きっと同じようになったと思います
ドキドキしました
「高校ではどのような指導されていますか?」
という質問だったのですが
その先生は
「人の話をちゃんと聞けと指導しています」
センスある回答ぶりに心で拍手を送りました
意見交換会でわかったこと
企業側が懸念していることは
現在学校教育で比重が大きくなっている探究活動
それにより基礎学力の指導が疎かになっていないか
ということのようです
どうも探究活動と基礎学力を
2項対立で捉えているという認識を変えるための
学校側の努力が必要なようです
専門用語では
企業側の捉えている基礎学力を「認知能力」
探究活動で身に付く能力を「非認知能力」といいます
ここでいう『認知』とは
『認知症』の『認知』とは意味合いが違います
『認知能力』とは
共通の尺度で点数化して評価できる能力のこと
『見える学力』ともいいます
例えば『漢字能力』のような
『非認知能力』は
それができない能力
『見えない学力』ともいいます
例えば『積極性』のような
「非認知能力が高ければそれでいいのか!」
「積極性があれば漢字書けなくていいのか!」
そんな極端な論法はやめてください
『非認知能力』or 『認知能力』
ではなく
『非認知能力』for『認知能力』
です
『非認知能力』を高めれば
『認知能力』が高まるのです
ヒトがコトに臨むうえで
必要な力を身につけるのに必要な力
それが『非認知能力』です
もっと簡単に言えば
『認知能力』とは国数英理社の力
『非認知能力』とはざっと上げると
自主性・向上心・協調性・共感性
創造性・コミュニケーション能力
などなど
おわかりになると思いますが
『非認知能力』とは全く新しい概念ではなく
これまでも日本の学校教育で重視されていたこと
すなわち「心の教育」なのです
「心の教育」の育成には
例えば部活動が大きな役割を果たしています
部活動においては
競技力を高めるために
従来は競技に特化した訓練を
スパルタ式で行っていました
しかしながら今はそんなやり方は時代遅れ
フィジカルトレーニングや
メンタルトレーニング
主体性の育成やチームビルディングなどを
科学的に体現できるチームが強いです
それを
学習にも応用しましょうというのが
探究学習の目指すところなのです
「単語練習」や「計算練習」を
意味もわからず機械的にこなしても
それで身に付く力は一時的なもので
将来的に生きていく力とは
程遠いものです
「学びに向かう力」を
高める必要があるのです
はじけろ創造彩れ未来 いざ百万石の地へ
地震から701日目
令和9年夏
高校生による芸術文化の祭典
「全国高等学校総合文化祭」が
石川県で開催されます
石川県での開催は47年ぶり2回目
ちょうど全国を一回りしてきました
今日のタイトルはそのスローガンです
演劇 合唱 吹奏楽 マーチングバンド
バトントワリング 美術 書道 放送など
22の部門の展示や発表が
石川県を舞台に繰りひろげられます
とはいえ
能登の文化的施設は壊滅的被害を受けていますので
羽咋以南での開催になるのですが
現在それに向かって
各校で分担して準備を進めています
輪島高校は『郷土芸能』を担当します
全国各地に伝わる
祭囃子や神楽 民謡 踊りなどの『伝承芸能』と
伝承曲や創作曲を含む『和太鼓』の
ふたつの部門によるコンクールです
今日は運営のご協力をお願いしに
白山市にある浅野太鼓楽器店様を
訪問しました
浅野太鼓様は
江戸時代初期の創業以来
400年以上にわたり
和太鼓づくりの技を継承なさっていて
全国の太鼓の制作を引き受けていらっしゃいます
原木の選定からクリ抜き 塗り 皮はりまで
全て自社で行われ
職人さんによる
一つひとつ丁寧な手作業での生産を
続けていらっしゃいます
こちらは6尺もある大太鼓
直径2m 以上もあるアフリカの大木を
くり抜いて作られたものです
現在ワシントン条約により
日本では入手不可能な木です
ワシントン条約には
学術目的を除き国際間の取引が一切禁止される
『附属書I』と
締約国が『留保』できる
『附属書II』があります
『附属書Ⅱ』に属するこの大木に対して
中国は『留保』の姿勢をとっているので
中国に流れて家具に変えられているそうです
日本も過去に
「ヨシキリザメ」の規制に対して
『留保』の姿勢をとりました
フカヒレとして食されるほか
コンドロイチンも豊富に含まれているからです
皮は肉牛のもの
現在
牛は若いうちに食肉に変えられるので
ここまでの大きな皮は
手に入らないのだそうです
部位で言うと
腰のあたりの皮が
最も厚くて丈夫です
それはライオンなどに襲われるときは
いつも背後からなので
その辺りの皮が厚く丈夫に進化したからです
写真後方に写っているのは
『鉦鼓』でしょうか?
神楽に使われるものかなと
詳しくはないので
よくわかりませんが
とにかく
いろんな太鼓があって興味は尽きません
ちなみに現在日本で一番大きな太鼓は
飛騨高山の『祭りの森』にある
9尺のもので
重さにして4.5t
実はこちらも『浅野太鼓』さんが
こしらえたものです
「みちのくひとり旅」その参
地震から 700 日目
震災遺構 荒浜小学校へ行ってきました
荒浜は仙台の東
太平洋に面した地区です
当時10m ほどの津波に襲われました
こちらが
生徒教員含め320名の住民が避難した
荒浜小学校
写真左側2階のベランダに
「ここまで津波が来ました」の表示が
非常階段を見ると確かに2階と4階で
明らかに被害が違います
3 月11日 14:46
1~3年生は下校途中で
4年生以上が校舎で授業中でした
地震がおさまってから
全員を4階に避難させましたが
津波の襲来に伴い
避難してきた住民とともに屋上へ
3 月11日 17:30
救助のヘリが来ました
ちっちゃい子どもとお母さん
小学生 中学生 高校生 大人の顧番で
救助してもらうことにしました
真っ暗な中で屋上から
一人ひとり吊り上げられました
高学年の児童が
低学年の児童の面倒を
しっかり見たそうです
3 月12日 5:00
中学生高校生の救助が始まりました
その後ヘリが来なくなり
籠城の準備を始めたそうです
お昼頃消防団が歩いて来たので
誘導に従い
ひざや腰まで水につかりながら
50名ほどが歩いて避難しました
ヘリではペットが避難できなかったため
ペットと一緒の人は徒歩での避難を選びました
3月12日 午後
水が引いたため
ヘリが地上に着陸できるようになり
残っていた人全員の非難が
ようやく終わりました
荒波地区には
津波から住民や街を守るための
様々な工夫がされています
全長9km におよぶ堤防を
国・県・市が分担して整備しました
想定を上回る規模の津波が来ても
堤防が破壊・倒壊するまでの時間を稼ぎ
全域に至る可能性を少しでも減らす
構造上の工夫が施されています
潮害・風害・飛砂を防ぐ海岸防災林は
津波到達時間を通らせる効果も期待できます
2014(平成26)年から植林を開始しました
震災前の海岸防災林に戻るのに
数十年かかると言われています
沿岸部を南北に走る県道102kmにおいて
約6mの嵩上げ道路にしています
震災で発生したコンクリートくずや
津波で運ばれてきた土砂を活用しました
道路に堤防の機能を持たせます
このようにさまざまな設備を
組み合わせて防御することで
津波による被害の大幅な軽減を図っています
校舎の方は
防災教育の拠点として活用されていました
音楽室がシアタールームに
映像アーカイブが流されています
児童たちの作品も展示されています
こちらは輪島高校でもしましたね
思い出の場所旗立てワークです
あの時のまま止まった時計
校庭には
二宮金次郎さんの像が倒れたまんまでした
江戸時代に農民の子として生まれた金次郎は
朝暗いうちから夜遅くまで
汗と泥にまみれて一生懸命に働きながら
わずかな時間も無駄にせず勉強をしました
荒れ地を耕して米を作り
余った米をお金に変え
お金が貯まると土地を買いました
そして一生を世の中のために捧げ
大飢饉で困っているたくさんの人々を
救ったのです
その姿を見習いましょうと
マキを背負いながら勉強している像が
日本中の小学校に建てられました
その頃日本は
尺貫法からメートル法に
切り替える時期だったので
子供たちがメートルをイメージしやすいように
像の高さを1m に統一したそうです
『尺』は長さの単位
『貫』は重さの単位です
1尺は親指と人差し指を開いて
2歩測った長さで
だいたい30cmです
それを10等分したのが1寸なので
一寸法師の身長は3cm
キティちゃんの身長が
リンゴ5個分なので
それより小さいです
このように昔の単位は
人のサイズが基準になっていることが多いです
大人が両手を伸ばした長さより
少し長いのが1間
ヒトが両手を伸ばした長さとpy
その人の身長はほぼ同じなので
1間はヒトがひとり余裕を持って
横になれる長さということになります
海外でもことは同じで
1フィートはつま先からかかとまでです
約 30cm なのでやはりヨーロッパ人は
でかいですね
3フィートで1ヤード
これは腰回りが由来であるという説があります
ところで北極から赤道までの距離を測ると
ピタリ1000万m になります
これは偶然ではなくて
もともと
子午線の距離の1000万分の1を
1m とすると決めたからなんですね
水がちょうど0℃で凍って
ちょうど100℃ で沸騰するのと同じです
この定義は
パリの科学アカデミーが1799年に
パリを通る子午線の一象限の 1000万分の1の長さ
を1m と定めたもので
最初の『国際メートル原器』
つまり1m の基準となる「ものさし」
もその時作られました
その後作製された白金-イリジウム合金製のものが
1889年の第1回国際度量衡総会で
世界的に承認され
その時作られたものが
メートル条約全加盟国に配布されて各国原器とされました
日本のものは No.22
「産業技術総合研究所計量標準総合センター」
に保管されているそうです
その後
「メートルはクリプトン 86原子の
準位 2p10 と 5d5 との間の遷移に対応する
光の真空中における波長の
165万 763.73倍に等しい長さである」
と定義が変わり
現在では
「光が真空中で
299,792,458分の1秒間に進んだ距離」
となっています
東京ドーム何個分の方がわかりやすいですね
世界中にはまだまだ面白い単位があって
古代ローマでは
牛1頭が1日に耕すことのできる面積を
1モルゲンと言います
ドイツ語勉強している方はお分かりですね
英語の Good morning に相当する
グーテン・モルゲン
朝(Morgen)の語源となっています
ちなみにドイツ語では
文頭でなくても名詞の頭は
大文字で表記します
膨大な単位に『グーゴル』があります
1グーゴルは10の100乗です
日本語で表すことができる最大の数は
9999無量大数9999不可思議9999那由多
9999阿僧祇9999恒河沙9999極
9999載9999正9999澗9999溝
9999穣9999秭9999垓9999京
9999兆9999億9999万9999
10の70乗程度なので
一体何に使う数字か?
という気がします
ちなみにGoogleは
グーゴルの綴り間違いに由来する
と言われています
話があちこちに飛びましたが
最近では
金次郎さんが歩きながら勉強する姿は
歩きスマホを助長するとか言って
座って勉強する像に作り変えられているそうです
「みちのくひとり旅 」その弐
地震から 699 日目
東日本大震災を生き延びた方が
どんな思いで復興への道を歩んできたのか
その生の声を聞きたくて
ホテルではなく民宿に泊まりました
気仙沼の民宿『天心』さんは
昔船乗りをリタイアしたご主人が
震災前に始めた喫茶店がそのルーツ
復旧工事関係者の宿泊施設がないということで
民宿に変えたそうです
サンマの刺身やマンボウの腸にツブ貝
気仙沼の新鮮な海の幸をいただきました
当時のご苦労などをお聞きし
元気をいただきました
「おかえりモネ」の舞台気仙沼
付近の町とはBRTでつながれています
BRTつまり
Bus Rapid Transit(バス高速輸送システム)
バスを基盤とした次世代公共交通システムです
渋滞に関係なく
鉄道と同じくらい時間に正確な運行ができます
様々な工夫がされています
渋滞の影響を回避するため
廃線となった鉄道軌道跡等を利用した
専用レーンを走る区間があります
一般車両は走ることができないので
1車線のみ
単線鉄道のように駅ですれ違います
交差点ではバスの通行に合わせて
遮断機が動作します
トンネルなんかも1車線
高速道路を利用する区間もあり
一般道を走る際は
バスの接近に応じて
優先的に信号が青になります
鉄道に比べて整備費用が安く
導入までの期間も短いという利点があり
東日本大震災で被災した
気仙沼線や大船渡線の
復旧までの代替手段として
採用されています
陸前高田の『奇跡の一本松』
見てきました
震災前この場所には
約7万本の松林が広がっていましたが
大津波により
ほぼ全ての松がなぎ倒されました。
その中で
唯一津波に耐えて残った一本の松が
『奇跡の一本松」と呼ばれ
希望の象徴となりました
現状は残念ながら
地盤沈下による海水の影響(塩害)で
翌年枯死が確認されました
しかし復興の象徴として後世に残すため
幹に防腐処理を施すなど保存整備が行われ
モニュメントとして元の場所に立っています
実は輪島朝市の焼け跡にも
『奇跡のタイサンボク』
がありまして
震災直後から
炊き出しで地域の食を支えてきた
ミシュラン一つ星のフランス料理店
「ラトリエ・ドゥ・ノト」のシェフ池端隼也さんが
震災後の春に
この木に芽が出てきたのを見て
新たに居酒屋を開店する際に
1 本だけ残ったこの木が芽吹いたように
輪島市の復興の芽となることを期待して
店名を『mebuki』としました
手前の建物は『陸前高田ユースホステル』
この建物が根元にあったおかげで
一本松は残ったのだと考えられます
こちらは水没した松の根株群
元々この松林は
江戸時代にたったひとりの翁が
防災のためにと私財を投げ打って
植林されたものだったそうです
翁の志を引き継ぐべく
新しい松林が植林されていました
これも震災遺構です
なんだと思いますか
復旧工事のための大量の土砂を運搬する
ベルトコンベアーの橋の橋脚です
この橋のおかげで
トラックの運搬だけだと9年かかる
と試算されていた工期が
わずか1年半に短縮されたのだそうです
工事が終了しても
住民が「残して欲しい」と
感謝を込めて残すことにしたのだそうです
震災遺構『気仙沼中学校』です
誰かが亡くなられた場所が
『震災遺構』になることは基本ありません
この中学校も死者ゼロでした
当時の写真がこれです
震災の1年前に赴任された校長先生が
実際に避難場所まで歩いてみて
これでは危険だと
避難場所を設定し直して
避難訓練を徹底したことが
生徒全員の命を守ったのです
『東日本大震災津波伝承館』を訪れました
鉄橋の切れ端です
1cm以上もある分厚い鉄板が
引きちぎられています
被災した消防車です
主査の須貝 翔 先生に
案内していただきました
高校の先生をされているのですが
教育委員会からの出向という形で
震災の伝承をされているそうです
とても良い制度です!
須貝先生から
素敵な詩を紹介していただきました
「人はみんな過去を持ち
現在があって未来がある
その時々に出会いがあり
別れがある
風の電話はそれ等の人と話す電話です
あなたは誰と話しますか
それは言葉ですか
文字ですか
それとも表情ですか
風の電話は心で話します
静かに目を閉じ
耳を溢ましてください
風の音が又は浪の音が
或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら
あなたの想いを伝えて下さい
想いはきっとその人に届くでしょう」
伝承館のある祈念公園は
高い防波堤に守られています
防波堤に登ると献花台がありました
未来に向けて大切なことを伝えていく
その思いを新たにしました
「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 」です
予約を入れてガイドツアーしていただきました
ガイドは元中学校の菅原校長先生でした
ここは元々水産高校だった場所です
津波の跡そのままの部屋
3階の教室には流された車が
校舎の間には何台もの車が
当時は濁流が渦巻き
洗濯機のようだったそうです
流されてきた冷凍倉庫がぶつかった跡
つまり屋上近くまで水位が上がったのです
その日は入学試験があった翌日
生徒は全員避難したのですが
一部の先生は入試の答案を
3階4階へ運ぶために残ったそうです
その結果無事合格発表まで
こぎつけたのだそうです
それを指示された校長先生には
敬意を表します
私だったらできないと思います
命よりも大切な紙切れなんかあるか
と思うからです
どちらが正解かはわかりません
逃げ遅れた先生方は屋上に避難しました
屋上への出入り口は通常施錠されています
何という判断力でしょう!
校務員さんがこんなこともあろうかと
逃げる前に鍵を開けておいたそうです!
下は避難した屋上の写真です
津波は屋上に迫る勢いでした
「女は電柱の上に登れ!
男は手すりにしがみついて耐えろ!」
と指示されたそうです
でも女性の先生方が
電柱に登れるはずもありません
そこにもうひとつの奇跡が
一緒に屋上に避難してきた方の中に
学校の工事に来ていた方がいて
ハシゴを持って避難して来ていたのです!
先ほどの写真の左手奥の建物の上に
全員避難できたのです
引き波で水が引いたのを見計らって
全員4階のじゅうたんばりの部屋へ移動しました
教室からカーテンを引きちぎってきて
寒さをしのぎました
見ると津波で流されてきた家が
校舎に引っかかっていました
一階部分はありません
声をかけると
中に女性がふたり
真っ暗闇の中
先生方は
「明るくなったら助けに行くからね!」
「頑張って耐えて!」
夜が明けるまで交代で声をかけ続けたそうです
翌朝先述のハシゴを使って無事助け出しました
いろんなことを学ばせていただいている旅です
気仙沼でちょっといい感じの
写真が撮れました
「みちのく一人旅」その壱
地震から 698 日目
始発列車で仙台に向かいます
海に浮かぶ小さなガラス箱
日立市出身の建築家である
妹島和世氏の設計による日立駅は
美しい駅ランキングで
東京駅 京都駅 金沢駅などと並び
必ず上位にランクインします
太平洋を一望できるロケーション
「展望スペース」からは
美しい朝日を見ることができ
絶景スポットとして人気を集めていますが
何せ出発が夜明け前でしたので
こんな感じです
今度来る楽しみができました
東北大学で開催されている
「世界津波の日」
"World Tsunami Awareness Day"
高校生サミットに参加しました
国連防災事務総長特別代表兼国連防災事務所長の
カマル・キショア氏より
ビデオメッセージが送られました
前方の座席にはヒジャブを被った
イスラム女子高生が座っています
彼女らに限らず
民族衣装を纏った高校生が
それぞれの国を見舞う災害と
その対策について発表し合いました
国際色豊かな会議です
来年はぜひ着物で参加しようと思います
さて週末を利用して
東日本大震災の震災遺構や
復興の様子を見て回るつもりです
まずはNHK仙台放送局を訪ねました
当時を伝える貴重なアーカイブを
見せていただきました
どんな大地震でも放送を続けることのできる
最新鋭のスタジオにも
入らせていただきました
見よこのミーハーぶり
次に平泉へ行ってみました
内陸にある平泉自体は
被害はさほど大きくなかったようですが
世界遺産に登録された毛越寺(もうつうじ)
仏の世界を表現した「浄土庭園」の池にある
趣深い傾いた岩「立石(たていし)」が
余震のたびに傾きが増したので
布を巻き付けたうえ添え木をして
倒れないように守ったのだそう
中尊寺は一部の建物の壁が壊れるなどの
被害を受けました
表門は柱が傾くなど被害が大きく
本格的な修理のための
クラウドファンディングをしています
発災時は
避難所として被災者の受け入れも
おこなっていたそうです
世界遺産であっても
非常時はそうなるのですね
次に一関に行ってみました
『祭畤橋(まつるべばし)』の
崩落事故がありました
橋脚の地盤そのものが
11mにわたり
地すべりを起こしたことが原因でした
崩壊した橋はそのまま
「災害遺構」として保存されていて
整備された周辺の公園から
見学する事ができます
一関市街地には磐井川が流れます
太平洋から86kmあるので
さすがにここまで
津波は遡上しなかったようです
川のほとりには
N.S.P メモリアルがありました
ここから見える夕暮れの風景が
名曲「夕暮れ時はさびしそう」
の舞台だそうです!
N.S.P は一関工業高等専門学校の同級生の
フォーク・グループです
ギターを形どったベンチに
上品な女性が腰掛けていらっしゃったので
声をかけてみました
昨日は中村貴之さんの命日だったそうです
同じく既に亡くなった天野滋さんの
実家も教えていただきました
平賀和人さんはご健在で
今も草野球に夢中なんだそうです
私が初めてギターを弾けるようになったのは
N.S.P の「八十八夜」でした
仙台と茨城県でそれぞれ
地震から 697 日目
東北大学で
世界津波の日高校生サミットが
開催されています
以下現場の岡本先生より
「本校からは2名の生徒が参加しています
英語でのプレゼン発表は
緊張のためか少したどたどしかったですが
適度に笑いを取り
聴衆の方々には
輪島のことにも
興味を持っていただくことができました
生徒2人はとても頼もしく
学校に戻ってからも
今回の経験を他の生徒たちに広めてくれそうです
それぞれ「もっと英語話せるようになりたい!」
と思ったようで
これをきっかけに
たくさん練習してもらおうと思います」
さて私はといえば
茨城県県北高等学校からのお招きを受け
お話をさせていただきます
移動の新幹線
新幹線のトイレには
男性用小便器の他に
女性専用と男女兼用があります
見ると女性の長蛇の列が…
男女兼用が空いてるのに…
ひとりの女性が男女兼用に入るや否や
嫌な顔をして出てきて譲ってくださいました
入ってみると
「これか…」
立ってするもんだから
あっちこっちに溢れています
こっち使う時は座ってしましょ
自分が汚したと思われたら嫌なので
掃除して出ました
風味豊かな「笠間の栗」を贅沢に使用した
極細モンブランが人気です
注文を受けてから目の前でクリームを絞るので
栗本来の香りと食感を楽しめます
そのため「賞味期限5分」だそうです
道の駅かさまの笠間モンブラン
がおすすめというテレビ番組を見たので
お昼はそれにしようと思いましたが
時間が無くて断念で残念です
講演開始まで時間があり
野口雨情記念館を訪れました
『赤い靴』や『シャボン玉』
で知られます
『シャボン玉』は
裏付ける資料こそ残ってはいませんが
生後数ヶ月で亡くした我が子へ
歌ったものだそうです
そう思って聞くと2番の詩
悲しく心に響きます
「シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
飛ばずに消えた」
入口の雨情像の前に立つと
曲とともに
シャボン玉がいっぱい飛ぶ仕掛けが
さて昨日紹介した「学び舎ゆめの森」のように
個別最適な学びを重視した設計の校舎が
全国的に増えてきています
SSRが多くの小中学校で取り入れられています
SSR「スペシャルサポートルーム」は
教室に入ることが難しい児童生徒のための
「心の居場所」であり「学びの居場所」です
石川県の小中学校では半数以上の学校に
設置されています
ひとりで学習に集中できるブースや
寝転んだりトランプで遊んだりする
畳のスペースがあったりします
今思い出すと
自分の娘たちにとって
じいちゃんばあちゃんの家が
この役割を果たしていました
ところが子供が来なくなるSSRが
最近増えているそうです
ある中学校では
校長が巡回してきて
「教室で勉強しなさい」
と繰り返し言いました
不安を拭えず
ぬいぐるみを抱きしめていた女生徒には
「中学生にもなって」と…
結局その子たちは教室に戻るどころか
とうとう学校に来れなくなりました
「せっかくほっとできる場所だったのに」
支援員は肩を落としました
誰も来なくなったSSRは
ついに閉鎖されたそうです
学校の方では期末考査が行われています
インフルエンザの流行により
先週末は学年の半分ほどの欠席で
学年閉鎖及び考査の延期も
視野に入れていましたが
みなさんの蔓延防止の意識高く
予防に努めていただいた結果
欠席者は最小に収まっているようです
欠席しているみなさんは
考査を欠席したことだけを理由に
成績が不利になることはありません
その点は心配しないで
元気になることに専念してください
さて以前にもこのブログに書いた
「最後のひとつが思い出せない」問題
今日直面しているのは
「接待の5せる」です
思い出せたのは
『食わせる』
『呑ませる』
『◯◯せる』
『威張らせる』
3つめは社会通念上問題があるので
伏せ字です
冒頭にも書きましたが
茨城県県北高等学校校長会のみなさまから
本日お招きいただき
お話をさせていただきました
みなさん東日本大震災当時は
学校の中核として
生徒の安全確保
そして教育の再開に向けて
ご活躍されていた方ですので
当時のことを思い出されながら
真剣に聴いてくださいました
自己主張が限りなく下手な能登の人間は
黙って耐えていますが
とある県の知事からは
「今回の復旧が前例になってしまうと
他の地区に起こった際に
同じような扱いをするぞと
宣言されたようなものである」
と危惧なさっています
阪神淡路大震災の際には
倒壊した家屋の処理費用も自費負担でした
我々が今回当然のように受けた
「公費解体」の制度は
その時の方々が
声を上げてくださったおかげなのです
であるならば
今私に課せられた使命は
今回の地震で思い知らされた負の側面も含め
多くの方に伝えていくことであると
思っています
つい最近誰かに聞いた話ですが
「能登」って
「能く登る」って書くんですよね
今回何千年に一度という地殻変動で
4mの土地の隆起が見られましたが
地質調査の結果
能登半島は
土地の隆起の連続で形成されたものである
ということがわかっています
地名の由来を調べると
その土地の災害リスクを予測することができます
大阪の「梅田」は元々「埋め田」
田んぼを埋め立てた土地なので
地盤が弱く液状化が危惧されています
講演会の後
懇親会もご一緒させていただきました
思う存分
『食わせて』
『呑ませて』
『威張らせて』
いただきました
学び舎 ゆめの森
地震から 696 日目
しばらく連載をお休みしていた間
何をしていたかというと
まずは東北へ復興を学びに行ってきました
今日ご紹介するのは「学び舎 ゆめの森」
福島県双葉郡大熊町にあります
ここは東日本大震災震度 6 強を観測
死亡者 53 名を出す被害を受けました
さらには福島第一原発の事故により
立ち入り禁止区域に指定されました
そのうち特定復興再生拠点区域は
2022年に避難指示が解除され
通行証なしで自由に出入りできますが
宿泊はできません
一方で帰還困難区域は
依然として立ち入りが禁止されており
国の許可なしに立ち入ることはできません
そんな中で
子どもたちの学びの場を確保するための
並々ならぬ努力がありました
そして今では
認定こども園での「あそび」と
義務教育学校での「探究」をつないだ
遊びの中から多くを学び
子どもと大人が一緒になって
みんなで未来を紡ぎ出す
そんな魅力的な学校になって
全国から子どもたちが
集まってくるようになりました
玄関をくぐると目に飛び込んでくるのがこれ!
図書館です
石川県の方
どこか見覚えありませんか?
石川県立図書館「ビブリオバウム」を
参考にしたそうです
毎朝ここで全校生徒が集まって朝礼します
チャイムは鳴らないそうです
自分たちでタイムマネジメントします
実は輪島高校も昨年からチャイムを止めまして
生徒も教員も時間に厳密になり
チャイムが鳴っても廊下でザワザワという
以前のようなみっともない姿は
見られなくなりました
教室の形はいろいろです
四角い教室はありません
そしてふたつとして同じ教室もありません
こんな隠れ家のような教室や
こんな寺子屋のようなお座敷教室も
こちらは音楽室
一段高く設計されています
普段は壁で仕切られていますが
このように壁を取っ払うと
演奏会ができるステージになります
楽器庫はガラス張り
楽器がオブジェになっています
のんびり読書のできるスペース
こちらは職員室の入り口
対面型のテーブルが設置されており
子どもたちが質問できる
スペースになっています
校庭に出ると
大阪・関西万博の大屋根を思わせる
吹き抜けと回廊
校庭でお米を作っています
自分たちで育てたお米で
調理実習しています
こんな素敵な学校ですが
校舎が完成したのはごく最近
それまではずっと間借りしていました
先生方は
被災したこの地で
子どもたちにどんな力をつけるのか?
そんな姿になって欲しいのか?
そのためにどんな学校が必要か?
そのことを徹底的に議論し続けたそうです
「最初に箱物ありきでは
うまくいかなかった」
校長先生はそうおっしゃっていました
その時の議論のホワイトボードをそのまま
一室に残してありました
魔法のように突然素晴らしい学校が
できあがるわけでは決してありません
そこに至るまでは
学校と保護者そして行政が一緒になって
子供達の将来を真剣に考える
プロセスが必要なのです
「学ぶ環境が整っていない輪島にはいられない
一家転住して転校させよう」
と考えている小中学生の保護者の方は
一歩立ち止まって考えていただきたいのです
環境さえ変われば勉強するようになるのですか?
与えられる学習環境を待つだけでよいのですか?
子どもたちの将来を
親も一緒に真剣に考えざるをえないこの環境こそ
子どもたちに本物の力をつけさせるチャンスです
他所者若者馬鹿者あつまれ〜
地震から 695 日目
動摩擦係数に比べて
静止摩擦係数はかなり大きいです
平たく言えば
動いているものを動かし続けることに比べて
止まっているものを動かし始めるのは大変
ということです
「やる気が出ないのですが
どうしたらいいですか?」
という人生相談には
「やる気なんか出さなくていい
やる気がないまま始めなさい」
と答えています
脳みそは本当に単純な馬鹿タレで
動いていると簡単に騙されて
やる気がでてくるのです
さてさてしばらくお休みしていたこのブログ
講演原稿と執筆原稿の目処が立ちまして
本日より再開です
決してやる気がないわけではなく
むしろお休み中におもろいことがたくさんあって
書きたいことは山ほどあるのですが
どうも静止摩擦係数がことのほか大きく
何から書こう?
変に考えすぎてなかなか進みません
とりあえず
今日の素敵な出会いの話から
よそもの
わかもの
ばかもの
地方創生の鍵を握ると言われています
とりわけ
私はばかものが大好きで
いつもばかものを追い求めています
そんな素敵なばかものたちに
今日はいっぱい出会いました
このブログを再開するための起爆剤としては
充分すぎるパワーでした
この出会いをセッティングしてくれたのは
「日本の教育を変える!」
と息巻いて日本を飛び出した先で
能登半島地震の知らせを聞きつけ
いち早く帰国したまではいいものの
輪島に着いた途端に行き倒れ
忙しい被災民の手を煩わすという
荒技をやってのけ
以来輪島高校に籍を置きながら
被災地ガイドツアーで大人気を博している
本校きってのうつけ者
「てるてる坊主」です
能登里山空港の麓の三井町にある
『のと復耕ラボ』に
素敵なばかものたちが大集合しました
元々この地で開業していた
「里山まるごとホテル」
地域がまるごとひとつのホテルとなり
かまどのご飯や
縁側での昼寝
囲炉裏ばたでの食事など
能登の暮らしをまるごと堪能できる処
地震のため今は休業していますが
その場所を
ボランティアの方が休憩でき
交流が生まれる起点として活用している
それが『のと復耕ラボ』です
そんな素敵なみなさんをご紹介します!
まずはこの「能登若衆の会」のお頭
古矢拓夢さん
能登が大好きな熱い若者の会です
金沢のご出身ですが能登にも縁が…
実は飯田高校で校長先生を務められた
上乗秀雄先生のお孫さんです
本人曰く
Uターンならぬ『孫ターン』
上乗先生はご自身の退職金で
『ケロンの小さな村』を作られました
自然の中でひっそり暮らす
小さな生き物の観察や
米粉で作ったパンやピザが大人気の
自然体験村です
お頭は現在そこを経営なさっています
そんなお頭を慕って集まった
愉快な仲間たち
まずは加藤愛梨さん
東京から移住されました
防災コンサル Mutsubi を主宰されています
のとの復興に取り組む
若手人材育成を手がけ
Mutubeで能登の様子を配信されています
そしてその Mutsubi でのインターンシップ
山本浩毅さん
地域の事業者への
環境観光コンテンツ企画や
プロモーション代行を手掛けています
能登の魅力を YouTube『のとのと』
で配信されています
鎌倉出身の藤田ちはるさん
ゲストハウス黒島で働いていたのがきっかけです
高校生の時から仲間と一緒に
被災地支援や防災に取り組んできました
現在上智大学新聞学科で
防災教育を研究なさっています
高崎稚春さん
大分や静岡での災害ボランティアの経験を活かし
現在柳田植物公園の
指定管理者をされています
本谷悠樹さん
洪水被害の大きかった生まれた町野町へ
水害後に戻ってきました
子供の頃は大阪で過ごされ
高校は日本航空石川
現在 災害復興ラジオ「FMまちのラジオ」で
週一回木曜日にレギュラー出演されています
能登町ご出身の上野壱生さん
福井の高校を出られた後
現在牧場で肉牛のお世話をしてます
金沢大学融合学域の岡本岳人さん
合同会社SandBoxConectionsを
立ち上げられました
留学支援や
企業向けの海外への進出支援を
手掛けていらしゃいます
同じくSandBoxConectionsの花田怜大さん
七尾地域おこし協力隊として
御祓(みそぎ)地区活性化として
空き地空き家の利活用をされています
その他『マタギ』をされている方もいらっしゃいました
渋い職業ですね
石川県に若者の就労を支援するセンターがあり
そこに職業の適性を見極めるマシンがあります
質問にYes Noで答えていくと
ぴったりの職業を教えてくれます
一度生徒を連れて行ったことがありますが
出てきた職業が
『マタギ』
『キコリ』
『鷹匠』
『狂言師』
『床山』
よっぽど連れて行ったメンバーが
個性的だったのか
それともそのマシンの設定が
ぶっ飛んでいるのか
どうやってなるんだ?
って職業のオンパレードでした
その他全員の声を聞くことはできませんでしたが
とにかく素敵な仲間たちです
今後は
地元の若者たちと
どんどん繋がっていってもらいたいです
輪島高校では
毎週木曜日の午後に
街づくりプロジェクト『街プロ』をしていますので
みなさんぜひ遊びに来てください!!