校長室より「おこらいえ」
心も輪島も未来も
地震から 720 日目
東日本大震災から15年
震災の教訓を共有し
復興の知恵を次世代へつなぐため
「新しい東北」官民連携推進協議会
「東北3県石川県合同セミナー」が
地場産業センターで開催されました
本校から
小住 優太 さん
川口 はるひ さんが
パネルディスカッションに参加し
復興の途上にある能登地域の現状や課題に
東日本大震災で培った官民連携の知見を重ね
対話を通じて
今後の地域間連携のあり方を
共に考えました
東北からは
岩手 福島 宮城 の3県から
参加いただきました
発表者からのメッセージです
【岩手県】
釜石の奇跡は偶然ではなく
日ごろの訓練と教育の結果によるものだった
苛酷な避難所生活を経て
自分の身は自分で守る意識が変わった
【宮城県】
語り部活動を体験して
軽い言葉では片付けられない
命の思いを感じた
ハード面の復興だけでなく
心の復興つまりソフト面こそが重要であり
それは人々の思いによって支えられている
【福島県】
現地の経営者の方々を見て
福島は元に戻すのではなく
新しい仕事や価値を作るフェーズにあると
知りました
被災地と言う言葉の裏にある
子供の強さと前向きさに圧倒されました
自分で生きることに
誇りに思って選択している姿が印象的でした
【岩手県】
震災の記憶を持つ最後の世代として
これだけは伝えたいこととして
「他人事にしないこと」
自然にはかないません
ネットで見た気にならず
実際に現地に行って空気を感じてください
行けばわかります
【宮城県】
私たちは震災を知らない世代への
繋ぎ役とならなければなりません
過去の悲しみをただ怖がるのではなく
未来の命を守るための教訓として
私たちが語り継いでいく責任があると感じています
【福島県】
地元に戻ることも離れることも
自分の選択として尊重されるべきです
福島には挑戦する人を応援する土壌があります
地域に関わる事は特別なことではなく
自分の暮らしを大切にすることです
発災以来寄り添ってくださっている
金沢大学
能登里山里海未来創造センター長
谷内江 昭宏 先生から
「能登地域の復興の現状と課題」
についてお話がありました
先生は実はご専門は免疫学
細胞に例えて
こんなお話をしてくださいました
「健康な細胞には
表面に無数の小さな突起があります
写真左側です
この突起がなくなると
アポトーシス
つまり細胞の死を迎えます
写真右側です
今回の能登半島地震で
半島の先っぽの小さな突起のような場所に
多額の復興資金をかけることに
何の意味があるのか
と言う議論がありました
今の能登半島の姿は
将来の日本の姿です
そのことを忘れてはなりません」
輪高生のアイデアが
街に灯りをともしました
「心も輪島も未来も明るくしよう」
『イルミネーションプロジェクト』
本日点灯式が行われました
場所は錦川通りと本町通りです
みんなでカウントダウンしました
温かい飲み物などの
振る舞いも行われました
灯したランタンは
生徒がデザイン・制作したもので
被災地の瓦礫を
大成建設様のご協力を得て
成形し直したものです
たとえ倒壊した家屋であっても
そこにある瓦礫や割れた瓦一つひとつ
その家主の持ち物なので
勝手に持ち出しては犯罪です
そこで今回は
公費解体した我が家の瓦を
活用しました
焼けた朝市通りの隅っこで
街を全焼から救うべく
炎を食い止めた我が家の瓦
生徒たちの手によって
新たな命を吹き込んでもらいました
ありがとう
他のいろんな街の
豪華なクリスマスイルミネーションに比べると
ちっちゃなイルミネーションですが
生徒たちそして
寄り添ってくださっている方々の
思いが詰まった
とても大切な灯りです
朝市の焼け跡は
このイルミネーションがなければ
午後5時でこんなに真っ暗です
パリへのミッション
地震から 719 日目
昨日も『街プロ』で
さまざまなアイデア出しをしました
アイデアを出すための9項目をまとめた
オズボーンのチェックリスト
というものがあります
① 転用:他のものや別の用途で使えないかを検討します
② 応用:過去の例や他のアイデアを取り入れ応用します
③ 変更:一部を変更することで新たな価値を見出します
④ 拡大:対象の大きさや長さを拡大できないか検討します
⑤ 縮小:対象を小さくできないか検討します
⑥ 代用:別の材料に変えられないか臨機応変に考えます
⑦ 置換:レイアウトや順番を入れ替えます
⑧ 逆転:向きや順番・時間・役割をひっくり返します
⑨ 結合:別の何かを組み合わせて新しいものを生み出します
探究活動の際にぜひ実践してみてください
とある財団に
本校が申請していた新規事業が採択され
来年1月にパリに行けることとなりました
さてここで研修参加メンバーに
『フランス渡航前事前ミッション』
が課されました
「ミッション インポッシブル」ではなく
「ミッション ポッシブル!」です
研修に参加する生徒以外のみなさんも
楽しくいろいろ調べたり
発想を飛ばしたりしてください
【ミッション1】
能登の復興〜伝統産業を世界に売り込めるか?!
「日本文化をビジネスに結びつけるには?」
「世界に響く日本文化の伝え方は?」
について自分なりに考えてみてください
『輪島塗』の世界展開を目指す田谷漆器店様と
たまたまパリで逢うことにしています
『輪島塗』で世界ビジネスに勝負するには?
真剣に考えてみましょう
以下のふたつの事例から
いろんな視点で教訓があるかと思います!
事例1)西陣織で世界で勝負
〜失敗続きから、発想の転換して成功した事例〜
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00716/00001/
https://diamond.jp/articles/-/285048?page=2
他にも自分たちで調べてみましょう
メゾンエオブジェに出展した最初は
全く契約に結びつかなかった経験を経ています
「海外出展」はゴールではなく
そこから「本気の暗中模索」が始まります
事例2)子どもからお年寄りまで日本文化大人気!
〜「海外に人気の日本文化」と
「日本人として感じる日本文化」に差はあるか?〜
https://franceparisinfo.hatenablog.com/entry/paris-acclimatation-japan-lights-2025-2026
日本全体に興味ある海外人口を
能登復興に取り込めるか?
その場合どんなアプローチがあるか?
自由に「問い立て」含めて考えてみましょう
【ミッション2】
OECD本部教育スキル局アンドレアス局長
OECD日本政府代表部 佐藤 一等書記官
に会いに行って
もっともっと能登復興に巻き込もう!
「OECD本部」と「OECD日本政府代表部」の違い
調べてみましょう
そしてOECDやOECD政府代表部を訪問する
「意味/意義」を考えてみましょう
どんどん希望が拡がっていきますね
すばらしい研修旅行になりそうです
いろんな百周年
地震から 718 日目
全商簿記北信越大会に
本校より平野唯人さんが
出場することとなりました
団体枠のほかに
個人で出場できる枠があるのですが
県大会を見事勝ち抜いて
出場権を勝ち取りました
土曜日に長野県で行われます
校長室で
激励金をお渡ししました
健闘を祈ります
さて今年は実にたくさんのものが
100歳を迎えています
【日本相撲協会】
1923年の関東大震災で
両国にあった初代国技館が
甚大な被害を受けました
相撲は復興の象徴のひとつとなり
国民の心の拠り所として発展しました
被災した経験と再建の努力は
2年後の日本相撲協会誕生へと受け継がれ
復興へのエネルギーの象徴となりました
【NHK】
関東大震災は
「ラジオ放送の誕生」を決定づける
重要な出来事でもありました
通信網が寸断され
「情報が届かない」ことの
甚大な被害を目の当たりにした逓信省が
災害時の迅速な情報伝達手段として
放送の必要性を痛感し
ラジオ放送を始めました
命を救うメディア『ラジオ』は
のちのNHKとなるのです
【雪印メグミルク】
関東大震災により
多くの国民は貧しい食生活を
送らざるを得ない状況となりました
国として
「栄養価の高い乳製品を拡めよう」
という方向に舵を切り
乳製品の輸入を始めたのです
それは国内酪農家への大打撃となりました
「自分たちが牛から絞った牛乳を
自分たちで加工して販売しよう」
という目的で集まった酪農家たちにより
雪印乳業の前身である
北海道製酪販売組合が誕生したのです
【ブルボン】
関東大震災が発生した当時
お菓子工場は関東近郊にしかなく
震災で地方への供給がストップし
子供たちがおやつを食べることが
できなくなってしまいました
とある新潟県にある和菓子屋が
「地方にも菓子の量産工場が必要だ」
と設立した「北日本製菓」が
ブルボンの前身です
当初は栄養価があり保存が利くビスケット
つまり保存食の製造から始め
やがて全国展開していくのです
【トヨタ】
関東大震災の際
鉄道が壊滅的な被害を受け
輸送手段として自動車が大活躍しました
大地震による火災から
多くの人命を救出したのも自動車であり
震災の後始末から復興事業まで
トラックが全面的に使われました
贅沢品と見られていた自動車は
実用品として
その公共性・利便性が
広く理解されるようになり
自動車の輸入が激増しました
そんな時代背景の中創業した
のちに自動車部となる自動車製作部門を持つ
豊田自動織機製作所は
来年百周年を迎えます
(トヨタ自動車は自動車部の設立をもって
創立としていますので百周年はまだ先です)
【山手線】
甚大な被害を受けた鉄道整備も始まりました
その混乱と焼失を機に
現在の「環状」山手線の原型が整備されました
都市交通網の近代化が一気に進みました
今年百周年が集中しているのは
偶然ではなく
関東大震災から立ち上がる
力強い人々の証なのです
日本人はこうやって
災害のたびに何度も何度も立ち上がり
そのたびに素晴らしいものを
築きあげてきたのですね
関東大震災からちょうど100年が過ぎた
最初の元日に起こった能登半島地震
我々だって負けてられません
今日朝市のまちづくりに関する
打ち合わせを持ちました
朝市も立ち上がりますよ
今までの良さを残しつつ
新しい朝市を目指します
こども家庭庁実施事業である
「こども・若者分科会」が
わじまティーンラボさんを会場に
開催されることとなりました
またあの日が来ます
地震から 717 日目
お店にお正月用品が並び始めると
たとえ大人の私でも
2年が過ぎ去ろうとしている今でも
なんだか心がザワザワしてきます
スクールカウンセラーの板本 淳子 先生から
生徒のみなさんにメッセージです
「大 き な 出 来 事 ・ つ ら い 出 来 事 か ら 、 、 1 ヶ 月 、 1 年 な ど の 節 目 に 、 こ こ ろ や 体 が い つ も と 違 っ た 状
態 に な る こ と を 節 目 反 応 と い い ま す 。つ ら い 反 応 で す が 、 た く さ ん の 人 に 起 こ る 、 普 通 の 反 応 で す 。
多 く の 場 合 は 、 し ば ら く す る と の 心 と 体 の 状 態 に 戻 る 事 が で き ま す 。
か ら だ :な ん だ か 気 持 ち 悪 い ・ 頭 が 痛 い ・ お 腹 が 痛 い ・ く ら く ら す る ・ 息 が し に く い ・ト イ レ に 何 度 も 行 き た く な る な ど 。
気 持 ち : 何 も し た く な い ・ 食 欲 が な い ・ 眠 れ な い ・ イ ラ イ ラ す る ・ す ぐ 怒 っ て し ま う ・何 と な く 不 安 ・ い な く な り た い ・ 悲 し く な る な ど 。
行 動 : 物 を 叩 い た り 投 げ た り す る ・ ソ ワ ソ ワ す る ・ い つ も で き る 事 が で き な い な ど 。
そ の 他 :何 も し て い な い の に 涙 が で て く る ・ 車 が 通 っ た り し て 揺 れ る と 怖 い な ど 。
こ の 他 に も 、 い つ も の 自 分 と 違 う と 思 っ た ら 、 そ の こ と を 大 人 に 話 し て み て く だ さ い 。 お か し な
こ と で も 、 恥 ず か し い こ と で も あ り ま せ ん 。
心 が け て ほ し い こ と
・ い つ も 通 り の 生 活 リ ズ ム で 過 ご し ま し ょ う ( 食 事 ・ 遊 び ・ 学 習 ・ 睡 眠 )
・ 楽 し い と 思 え る こ と を し ま し ょ う
・ 大 人 と 一 緒 に 過 ご す 時 間 を 持 ち ま し ょ う
・ 気 持 ち を 話 せ る 人 は 、 大 人 に 聞 い て も ら い ま し ょ う
・ 無 理 を せ ず 、 つ ら い 時 は 「 つ ら い 」 と 言 っ て い い で す
・ 安 心 で き る 大 人 と 一 緒 に 過 ご し ま し ょ う
節 目 と は 関 係 な く 、 今 も 反 応 が あ る 人 、 こ れ か ら ず っ と 後 に な っ て 反 応 が 出 る 人 、 ま た 反 応 が 長
く 続 く 人 な ど 、 人 に よ っ て そ れ ぞ れ 反 応 は 違 い ま す 。
気 に な る 事 が あ れ ば 、 気 楽 に 、 相 談 室 に 来 て く だ さ い 。
受 験 を 控 え て い る 人 も い ま す ね 。 頑 張 っ て く だ さ い !」
今輪島市では
子どもたちが
犯罪に巻き込まれるリスクが高まっています
元々のんびりした田舎で
犯罪とは程遠い平和な場所なので
そこで育った『おぼこい』子たちは
すぐに他人の言うことを信じてしまうので
犯罪に巻き込まれたり
さらには知らず知らずのうちに
加害者になってしまう危険性もあります
『おぼこい』とはこちらの方言で
純粋で穢れを知らないと言う意味です
石川県警の
中西 裕也 様
清谷 柚子 さまが来てくださり
『防犯教室』をしてくださいました
『闇バイト』ならぬ『闇犯罪』
『SNS』に関する問題
困ったことがあれば
迷わずに相談しましょう
奉納の舞
地震から 716 日目
福岡で教室をされている
『ユカリクラシックバレエ』代表
光永 ゆかり さま
同じく福岡で活動されている
『なないろハーモニー』の
指揮者 稲永 恵子 さま
ピアニスト 黒瀬 明子 さま
コーラス 國友 むつみ さま
そして運転手兼陰のラスボス
太田 俊隆 様
が学校にお見えになりました
『なないろ』といえば
今朝美しい二重の虹が出ていましたね
ほんの一瞬でしたが
北陸の冬の始まりの朝は
しょっちゅう虹が見えます
二重の虹は
ダブルレインボーと呼ばれる
非常に珍しい現象で
見られる確率は約1%ほどと言われています
『主虹』とよばれる内側の虹は
色の並びが通常の虹と一緒
外側から 赤→橙→黄→緑→青→藍→紫
ところが『副庭』外側の虹は色の並びが逆で
外側から 紫→藍→青→緑→黄→橙→赤
二重の虹の間を見ると
ほんのり薄暗くなっています
これを見ると幸せになれるそう!
これはアレキサンダーの暗帯と呼ばれています
さてご一行さまは
先日先々日と珠州などを訪れ
本日重蔵神社へ向かわれる途中
お立ち寄りくださいました
重蔵神社では歌と舞を奉納なさいました
『ユカリ』さん『なないろ』さんとは
弓削田健介さんによる
合唱曲『フェニックス』が御縁です
合唱曲で全国を繋いだ動画で
歌ってそして踊ってくださっています
重蔵神社の禰宜さまより
能登復興祈願のステッカーをいただきました
なるほど
能登半島は龍の形をしているんですね
そして重蔵さんは
その龍眼に位置します
仮設校舎での授業が始まって1週間
さまざまな課題満載の中
教員も生徒も試行錯誤しながら
それでも一歩ずつ前へ進んでいます
調理実習もはじまりました
思えば水道の通っていない旧校舎では
水汲みからしていましたね
その時に比べると
ほんと恵まれた環境です
以下家庭科の 山上 佳織 先生からの報告です
「お皿は地震でたくさん割れてしまったので
カレー皿やお椀も使い工夫して
ローストチキン
コンソメジュリエンヌ
苺サンタクロースケーキ
を作りました
生徒たちは
「先生〜ありがとう〜美味しかったよ〜」
「うめ〜また食べたい〜」
と目をキラキラ輝かせて
調理室を去っていきました
高校での家庭科の単位数は少ないですが
記憶に残る授業になっていたらいいな
と思う今日この頃でした」
水汲み体験も含めて
きっといい思い出になって
生徒たちの心の中に
輝き続けると思いますよ
それにしても
コンソメジュリエンヌって
名前からしてオシャレやな
人生で一度も食べたことないわ
山上先生は
文部科学省より
今年度の優秀教員に選ばれました
被災地での
先進的な遠隔授業の実践も含め
その高い授業力が評価されてのものです
おめでとうございます
明日 17日 夕方
HAB 北陸朝日放送 にて
本校の卒業生のその後を追った
ドキュメンタリーが放送されます
18:15 からの番組の中
18:25 過ぎから5~7分間の放映です
ぜひご覧ください
蔦重逝く
地震から 715 日目
江戸のメディア王「蔦屋重三郎」を描いた
NHK大河ドラマ「べらぼう」が
最終回を迎えました
小芝風花さん演ずる花魁『瀬川』との別れ以来
実は私はなかなか見れなかったのですが
久々に最終回を見ることができました
わずか10ヶ月で140点以上もの作品を残し
忽然と姿を消した謎の絵師『東洲斎写楽』
番組では絵師集団として描かれていました
バンクシーみたいですね
そうだとすると
前期と後期で作風がガラリと変わることも
短期間で多くの絵を残したことも
説明がつきますね
なるほど
川に落ちて消息不明となった『唐丸(からまる)』
彼が実は『写楽』で
いつか蔦重が窮地に落ちいたった時に
助けに来るんだとばかり予想していたのですが
彼はのちの喜多川歌麿でした
東洲斎写楽の正体には諸説あり
現在最も有力とされているのは
阿波徳島藩お抱えの能役者
『斎藤十郎兵衛』説です
役者の内面をえぐるような大胆な筆致と
極端なデフォルメは
当時の役者からは不評だったようですが
そんな日本人離れした感性の持ち主は
オランダ人絵師『シャーロック』であった
というのが私の一押しの説です
これから新しい発見があったら
明らかになっていくのでしょう
これが『歴史』の醍醐味です
さあその江戸時代
なんだか色々興味が湧いてきたので
いろいろ調べてみました
まずは蔦重の本のお値段は?
新刊本は300文
今の値段にして4,950円
結構しますね
でも写真集と思えばそんなもんか
浮世絵は1枚32文
今の値段で528円
これもそんなもんですかね
江戸の宿泊代は
1泊2食で48文(4,092円)
やすっ!!
中国人が大量に押し寄せていた
少し前の日本での
1杯40,000円の海鮮丼
(築地で実際に見た!)
に比べれば驚きの安さですね
「中国人は所構わず
でっかい声で騒ぎまくる
でもそれは文化の違いである
常に他民族による
侵略の危機に晒されていた中国では
他の人に聞こえないように
ヒソヒソ話すると
クーデターを企てていると思われるから
「私たちは何も隠し事はありませんよ」
アピールのため
わざと他人に聞こえるように
大声で話すのです
中国人にしてみたら
他人に迷惑かけまいと小声で話す日本人こそ
不気味な存在に見えるのです」
ということは以前このブログにも書きましたが
最近では
大声で話す人に「シーッ!」と
互いに注意しあう中国人同士の姿を
見かけるようになりました
きっと「日本の文化ってこんなんですよ」
って紹介するガイドブックやガイドさんが
増えてきてるんだろうなって感じています
他国の文化を理解しあって
尊重し合うってとっても素敵なことですね
『世界平和』
防災講座
地震から 714 日目
仮設校舎に受験生が集って頑張っています
金沢大学で
「探究・STEAM フェスタ」が開催され
本校から3名の1年生が参加しました
金沢大学では
教科横断型の探究学習を通した
高大接続・高大連携の取り組みを
推進されています
今回は「高校生の探究心に火を灯す」
特別企画です
大学生とのリアル探究トークを通して
新たな学びを得て
将来に向けてのきっかけとなりました
私ごとですが
先日受験した防災士試験
合格することができました
晴れて防災士として初めて
防災講習に参加しました
輪島市避難所運営研修会です
ピースボート災害支援センターさんが
主催してくださいました
ピースボート災害支援センターさんは
国内外の災害支援と
防災・減災を専門にする公益法人です
まずはコーディネーターの
辛嶋 友香里 さまから
様々な知見をいただきました
まずは避難所の運営主体は
避難者自身であること
その意識を持つことの大切さ
避難所で繰り返し起こっている
3つの課題があります
① 「場」の課題
衛生環境 安全管理 情報共有など
② 「人」の課題
安否確認 要配慮者 生活再建など
③ 「運営体制」の課題
環境整備 運営者も被災者 など
これらの課題を解決するには
避難者一人ひとりが
自主的に考え行動することが大切です
次に簡易ベッドの大切さ
単に寝心地の良さかと
これまで認識していたのですが
睡眠時の頭の高さを
床から35センチ離すことに
大きな意味があるそうです
それだけ違うだけで
温度が10℃も違ったり
床から舞い上がる埃やウィルスが
激減することがその理由です
今回の能登半島地震では
186ヶ所の避難所が開設されました
これは全国的にみても
例のない多さなんだそうです
今回は
避難所で実際に暮らした方
あるいは避難所運営に携わった方
そんな方が集まって
避難所で実際にあったあるあるを
語り合うことから始めました
6つのグループに分かれて
テーマに沿って
「次はこうしたい」
経験を踏まえたアイデアを出し合いました
【洗濯】
◯ 発電機の設置
◯ 男女別の物干し場
ただしその際娘を持つシングルファーザーなど
解決すべき課題は多い
【食事】
◯ 好き嫌いがある人は自分で備えるべき
【情報】
◯ 掲示板を充実させる
◯ 電波状況を改善する
◯ 情報弱者への配慮
【入浴】
◯ 入浴情報の周知
◯ 入浴用の送迎車両
◯ 要介護者用風呂
◯ 介護シャワー用車両
【寝床】
◯ テントを張ってのプライベート確保
◯ 枕とシーツの支援
今回得た知見として
しっかりと将来へ伝えていく
責任を感じました
またピースボートさんは
平常時のひとり親家庭支援と
災害時の迅速な職の支援を両立する
フェーズフリー型キッチンカー
「FOOBOUR(フーバー)」の運用を
10月から輪島市でも始めたそうです
これは
平時には
食品・日用品を24時間取り出し可能な
無人車両として
地域のひとり親世帯の支援をします
そして災害時には
キッチンカーとして
温かい食料を提供できるものです
輪島市では発災前は
1800人に3食分の備蓄しかなかったものを
今回の地震を受けて
13000人に対して3食2日分に
増やすそうです
ふるさとプレコン最優秀賞!
地震から 713 日目
「ふるさとプレゼンコンテスト」に
参加してきました
場所は KANDA SQUARE
開始までしばらく時間がありましたので
じっとすることと
長い話がことのほか苦手な私は
例によって
会場付近をうろちょろするのでした
上野東照宮へ行ってみました
家康危篤の床に呼ばれた
藤堂高虎と天海僧正
「末永く魂鎮まるところに祀ってほしい」
との遺言に則って建てられたのが
ここ上野東照宮です
元々は藤堂高虎邸敷地だそうです
こちらは国指定重要文化財の『唐門』
日光東照宮『眠り猫』で有名な
左甚五郎(ひだりじんごろう)作による
昇り龍・降り龍の彫刻が左右にあります
偉大な人ほど頭を垂れるということから
頭が下を向いている方が
昇り龍なんだそうです
諫鼓鳥(かんこどり)の透かし彫りも見れます
これは中国の皇帝が門の前に太鼓を置き
政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ
訴えを聞こうとしたけど
善政のため打たれることが無く
太鼓の台座は苔生し
鶏が住みつくほどであったと言う話が
基となっています
まさに家康が築いた300年に及ぶ
戦のない
泰平の世の中を象徴しています
「閑古鳥が鳴く」
の由来になったとも言われています
大きな銀杏の木があちこちに
銀杏の木は燃えにくいので
防火のために植えられたのだそうです
防災意識高いですね
国立西洋博物館では
オルセー美術館所蔵
「印象派」特別展が開催されていました
オルセー美術館は
パリ万博の際に建てられた
会場への終着駅だったんだそうです
大阪でいうと「夢洲」駅
みたいなもんですね
印象派とは
19世紀後半にフランスで生まれた芸術運動です
カメラの発明がその契機となっています
画家たちにとって死活問題だったでしょう
「カメラによって職業が奪われる」
ちょうど現代の我々が
「AIによって職業が奪われる」
と危惧しているのと似ています
AI時代を生き抜くヒントが
『印象派』の絵画にあります
こちらはドガによる『家族の肖像』
当時身を寄せていた叔父一家です
叔父の事業の失敗により家族は不仲
一堂に会することなどなかった家族
ひとりずつ個別にデッサンを重ね
一枚の絵に仕上げ
当時の家族の間に流れる不安を
見事に描き出しています
これなどは
当時のカメラにはできない
それこそヒトでないとできない
まさに芸術です
『印象派』の名称は
モネの《印象、日の出》がきっかけで
当時のカメラでは表現しきれない
光と色彩を重視したものです
これまでの絵画が担ってきた
「現実を写す」役割は
これからはカメラがやってくれる
明るい色彩や大胆な構図を取り入れ
「光と瞬間的な印象を捉える」
ことを目指した芸術活動が
近代美術の幕開けを告げたのです
『印象派』には日本の芸術も
大きな影響を与えています
こちらは『マネ』による
『エミール・ゾラ』
懇意にしていた美術評論家を描いたものです
背景には浮世絵が見えます
他国の文化を積極的に取り入れ
新しいものを生み出しているのも
『印象派』の特徴です
来年
本校からパリ研修に出かけます
ぜひオルセー美術館も
見てきて欲しいと思います
オルセー美術館は
古典芸術を集めたルーブル美術館と
現代アートの殿堂ポンピドゥー・センターを
繋ぐものといわれています
プレゼン大会はというと
全国から予選を勝ち抜いた
小学生から3組
中高校生から4組
大学生から3組の
ノミネートがありました
本校教諭 寺田 知絵 先生が
開会挨拶を務めました
電気が復旧するのに4ヶ月
水道が復旧するまで8ヶ月
かかったんですと
そのつらかった生活の話をすると
言葉につまり
会場の皆さんも目頭を押さえていました
いつも笑顔の寺田先生
こんなに辛い毎日を乗り越えていたんです
本校から
2年生の
平 愛結奈 さん
大岩 楓 さんが
「輪島が生きる」と題して発表しました
千枚田そして輪島塗に
輪島の復興をかけるみなさんのことを
紹介しました
多くの方々の感動を呼び
最優秀賞をいただくことができました
出張のたびに
これまで遠くからご支援くださった方を
順番に尋ね
直接ご挨拶を申し上げています
昨日は
発災後真っ先にご連絡くださり
地震避けのステッカーを
送ってくださった
東京で小学校にお勤めの
毛利 泉 先生を尋ねました
いただいたステッカーは
先生が師事されている
寄席文字書家「橘右之吉(たちばなうのきち)師匠」
によるもので
輪島高校避難所のあちこちに
貼らせていただいていました
なんだか遠い昔のことのようです
まだご挨拶できていないみなさん
申し訳ございません
いつの日か行きたいと思っております
プレゼンの極意
地震から 712 日目
昨日
アナウンサーの 原田 幸子 さまをお招きして
話し方講座の3回目〜発展編〜を実施しました
これまでのおさらいをプリントにして
配っていただきました
原田師匠は
昨年『紅白歌合戦』の輪島高校中継で
進行役を務めたNHK金沢放送局の高畠菜那アナ
私から見たら
有吉弘行さん
橋本環奈さん
伊藤沙莉さんと並ぶ名司会者
彼女の師匠に当たる方ですので
それはそれは相当なものです
師匠直伝のおさらいプリント
ぜひ紹介させていただきたいと
お願いしたところ
惜しみもなくご了承くださいましたので
ここにご紹介させていただきます
* * *
そもそも『プレゼン」とは何でしょう?
『プレゼン』の語源は『プレゼント』
心を込めた、相手への「贈り物」です
「伝えたいこと」つまり「想い」を贈るのです
ではどうやったら伝わるのでしょう?
それは『声の道」を意識することです
大きな声で
ゆっくりと
聴衆に目を配りながら
「伝えたい」と思いながら話すのです
「伝わるプレゼン」には
いくつかのポイントがあります
① 導入の大切さ
声と内容を意識して「第一声で心を掴む」
ことが大切です
② 着地点を意識することの大切さ
「終わりよければすべてよし」
③ 構成の適切さ
「山はどこか」
最も言いたかったことに
時間が割かれていますか
④ 身近なエピソード
「誰でも言えることではない
“あなたらしさ”」
⑤ 思いをのせる話し方
「声に表情をのせる」
⑥「間」が大切
伝えたいワードの前に
大切な話の後に
⑦ 緩急を使う
初めて出てくる言葉
核となる言葉
強調したい部分は
ゆっくりと
「自分が聞きたいプレゼンを目指しましょう!」
自分のプレゼンを撮影し
原稿を見ずに客観的に聴いて見てみましょう
その声から
表情から
姿勢から
「伝えたい気持ち」は伝わりますか?
常に
「初めて聞く人にわかってもらう」
ことを意識しましょう
プレゼンを魅力的にするには
「取材の仕方」も大切です
事前に準備していった質問に
囚われすぎないこと
相手と「会話する」
話を “広げる” “深める”
相手に “興味を持つ”
予定調和でない流れから
思いがけない話を
聞くことができます
* * *
さすがプロのアナウンサー
一つひとつが
なるほどな!
というポイントばかりです
文部科学省へ出かけ
自分たちの活動を報告してくるとともに
被災地の探究活動に対し
格段のご配慮を賜りますよう
お願いをして来ました
夕べ1時近くまでかかって
ホテルのロビーで準備した甲斐あって
素晴らしい発表ができました
生徒の感想です
宮腰花歩(1年生)
【一日目】OECDのお話を聞いて
日本の教育、国際関係、災害が起こった際などの様々な観点からの議論を聞いていてとても興味深かったです。例えば日本の教育について群馬県教育委員会の今井さんが話されていた非認知能力の育成についてですが、ただ単に勉強ができるというだけなく、主体性、創造力、コミュニケーション能力などの国際化していく社会において不可欠となっていると思っています。そのような中で私自身も学校という少し閉鎖的な空間だけではなく、今回行った東京や今度行くフランスなどの様々な地域や人との交流を通じて経験をたくさん積んでいきたい、と思いました。また、輪島のような過疎化が進んでいる地域でどうしたら都会との格差を埋めることができるかなどの課題も知ることができました。
【二日目】文科省へ行って
今日のスライド発表で自分の改善点が浮き彫りになったな、と思いました。もっと自分のスライドの原稿を突き詰めていけばよかったな、と少々後悔していることもありますが、これをバネにして今後の探究におけるスライド発表などに活かしていきたいと思います。
この2日間を通して、おそらくなかなかできない体験をさせていただいて、自分の中でとてもいい経験になったと思いますし、今の自分に足りないものを知ることができたと思います。ここで学んだことなどを、今度はフランスに行ったときに活かせることができればな、と思いました。
出る杭はつながる!
地震から 711 日目
今日のキーワードは『つながる』
被災地の子どもたちの想いを綴って
作曲家 弓削田 健介 さんがつくってくださった
合唱曲『フェニックス』
今も多くの絆を繋いでくださっています
佐賀での全日本音楽研究大会でお会いした
北海道の奥尻中学校の塩原祐馬先生より
仮校舎完成お祝いのメールをいただきました
「フェニックス」の音楽の力を
今度授業でお話されるそうです
素敵な授業になりますように
全国の教育現場を合唱でつなぐ
『フェニックス』つながるプロジェクト
に参加された
福岡市で『ユカリクラシックバレエ』
を主催されている
光永 ゆかり さまから
お手紙をいただきました
14日から16日に能登半島にお越しになり
仮設住宅でバレエを披露してくださいます
さて今日は
日本OECD共同研究
『2040年の日本の教育を
ホンキで考えるシンポジウム』
に参加するために東京に来ました
ポルトガルより
パウロ教育局課長が来日されたので
お逢いしてきました
生徒たちも
今春のポルトガル研修について発表しました
国際比較で見た
日本の教育の課題と可能性について
課題先進国の日本
そしてその課題が
さらに浮き彫りになった被災地で
未来の教育の先取り実装に
試行錯誤したがら取り組んでいる
現場の実例を紹介してきました
東京駅から会場まで歩いて移動しました
完全におのぼりさん気分です
東京駅何年ぶりでしょう
江戸時代に徳川家康に仕えた
オランダ人通訳「ヤン・ヨーステン」
彼が住まいをした場所は
彼の日本名「耶楊子(やようす)」がなまって
「八重洲(やえす)」となりました
東京駅八重洲口の反対側の丸の内口が
皇居へ向かう出口です
桜田門をくぐります
大老井伊直弼が殺害されたところですね
こちらは百人番所
江戸城の警備をするところで
各藩が担当していたそうです
現在でいうと
皇居の警備に各県警が当たっている
って感じですね
松の廊下跡です
松と千鳥が描かれた襖の長い量敗きの廊下で
赤穂演士討ち入りにつながったことで知られる
浅野内匠頭の吉良上野介への事件があった場所です
「殿中でござる!」
石室です
火災などがあった時
大奥の調度などを避難させた場所です
防災意識高いですね
そんなこんなでたどり着いた会場
今日のセッションでは
人口減少・自然災害・国際化経済・デジタル社会
という4つの切り口から
「2040年の日本にホンキで備える」
そのための具体的な一歩を考えます
パネルディスカッションに参加して
こんな感じでしゃべくりました
【セッション1】
問い:2040年よりも前に
もしも南海トラフがおきたら
なにができますか?
「昨年元日の地震で家も車も何もかも失って
それ以来退屈しない毎日を過ごしております
本来退職となる年でしたが
留年してもう一年校長を務めております
昨年1月の残業時間は300時間を超えるという
教員のWell-beingという今日のアジェンダとは
程遠い生活を送ってきましたが
その代わり通常では経験できない
多くの幸せにも出会うことができました
学校が避難所と教育機関として運営していく中
さまざまな課題に直面し
その度多くの方々に助けられてきました
中でも
DMATとの出会いは衝撃的なものでした
Disaster Medical Assistant Team
日本中の医療関係者が
被災地での医療を止めない
そんな枠組みをつくっています
教育でも同じような
国を挙げての支援の枠組みが必要である
DMATの教育版が必要であると文科省に提言し
D-est(Disaster Education Support Team)の
設立につながりました
南海トラフが起こったら
その一員として
もちろん恩送りに駆けつけます」
【セッション2】
問い:もしものために
あなた自身ができること
していきたいことは何ですか?
「自然災害は時を10年進めるといわれます
これは10年未来の世界に行ける
という夢のある話ではなくて
10 年後に起こるであろう諸課題が
前倒しして一気に襲ってくる
という意味です
現在能登半島はまさにその状況です
これから10年後
必ず日本の各地
さらには世界の各国に起こるであろう
様々な課題
少子高齢化であったり教育格差であったり
そういったものが
容赦なく襲いかかって来ている訳です
特に教員不足の問題は深刻で
今年度30人中5人が大学を卒業したての新規採用者です
これまで在籍していた教員が
生活拠点を失って転勤してしまうからです
教員の絶対数が圧倒的に不足している訳です
ただ被災地での最初の教員経験は
今後の生涯の教員人生において貴重なものとなるはずです
被災地で何もかも失った子供達が
それでも前を向いている姿を目にし
何も感じないのであれば
残念ながら教員としての資格はありません
今日もそんな震災地の学校に赴任してしまった新規採用教員
まさに震災の新採
一緒に来てもらっています
彼にとっても今日この場に同席すること
これ自体が大きな財産になるはずです
そんな中で多くの課題に対して
これ以上失うものが何もない被災地であるからこそ
思い切った教育活動を展開できています
『教育とは
魚に泳ぎ方を教えることではなく
自由に泳げる環境を与えることである 』
を体現していきたいです」
今日はいわゆる『出る杭』たちの集まりでした
「出る杭は打たれる」それは昭和の田舎の話
出た杭どうしでどんどんつながっていきましょう!
仮校舎2日目
地震から 710 日目
昨日の仮校舎初日の様子を
多くのマスコミの方が
取材に来てくださいました
ある地元誌では
私が言ってもいないことを
コメントとして掲載してありました
「環境が変わってもしっかり勉強してほしい」
と言ったのが
「十分な施設ではないけれど…」
とあたかも現状に不満があるかのような
書きぶりでした
『伝える』のって難しいです
切り取られ方によって
全く意図しないものになってしまうので
今後はマスコミへの発言を控えようと思います
『ごちゃまる出張ラボ』さんが
来てくださいました
新しい仮説校舎での
ふれあいのひとときです
スノーマンのキーホルダー作りなどで
楽しみました
日本の雪だるまは2段重ねですが
西洋のスノーマンは3段重ねです
なぜなのかチャッピーさんに訊いてみたら
(チャッピーさんはチャットgptのことです
岡本先生がそう呼んでいました)
Snow Manが6人から9人に増えた
理由を説明してくれました
ほんとうに『伝える』のって難しいです
高校化学の発展的な内容に
「ラウールの法則」ってありますが
女の子が目をキラキラさせて
聴いていたのを思い出しました
(芸能界に疎い私のような方のために
Snow Man はアイドルグループで
ラウールくんはそのメンバーです
合ってますか?)
各国の雪だるま事情を調べてみました
英語圏では「スノーマン=雪男」と呼ばれますが
イタリア・オランダでは「雪人形」
「雪男」と言うと
日本では雪男=UMA(未確認生物)
のイメージになってしまいます
『だるま』はもともとインドのお坊さん
さすがにインドに雪は降らないだろうから
中国ではどうかなと調べたら「雪人」
円錐形の胴体に丸い顔が載っています
韓国のは日本のに似ていますね
『冬のソナタ』にも出ていました
『ヌン(雪)サラム(人)』
というそうです
今日はクリスマスに計画している
朝市焼け跡のイルミネーション
の準備もしました
千枚田『あぜのきらめき』を彩っていた
『ペットボタル』を借りてきて
まずはクリーニングです
ステンドグラスのデザインもします
思い思いを形にして成形します
みんなの心を明るく照らしてください
輪島高校生の街づくりプロジェクト
『街プロ』の公認キャラクター
『わじねことふぐ郎』の
ポストイットが完成しました
1セット400円で販売しています
ご希望の方は輪島高校まで
ご連絡ください!
仮校舎での最初の日
地震から 709 日目
昨日仮校舎への引っ越しを終えて
今日は最初の授業の日でした
2年生を対象に
大学の模擬授業を実施しました
『学びウィーク』の一環でもあります
本校では中間考査を廃止して
その期間中
学びの心に火をつける
『学びウィーク』を行っています
今回は2学期末考査を終えた後
『学びウィーク』を実施
県内の多くの大学からお招きしました
講義の内容を
仮設校舎の案内も兼ねて
ご紹介します
国際(北陸大学)【調理室】
国際的なコミュニケーションを図るには
単に言葉の壁を乗り越えるだけでなく
互いの文化を理解し合うことが大切である
ということを
トランプを使ったゲームで実感しました
栄養(北陸学院大学)【物化実験室】
ようやく実験室が完成しました
これまでは水道が出なくて
実験できなかったのですが
さあお立ちあい!
保育・幼児教育(金城大学短期大学部)【音楽室】
ご覧ください
この広々とした音楽室
吹奏楽部も思う存分練習できますね
スポーツ(金沢学院大学)
女子ソフトボール
北京オリンピック金メダリストの
藤本索子 助教です
文学(金沢学院大学)
工学(金沢工業大学)【生地実験室】
標本たちも引っ越してきましたよ
理学療法(金城大学)
生物資源環境学(石川県立大学)
看護(石川県立看護大学)
今年の夏
トリアージの実習でお世話になった
木田 亮平 教授です
経営(かなざわ食マネジメント専門職大学)
日本で唯一フードサービスに特化した
経営学を学ぶことのできる
新しい大学です
こうして見ると
さすが学都金沢
人口あたりの大学数が
京都に次いで全国2位だということに
納得です
さて今回の『学びウィーク』
他にも様々な取り組みが
予定されていますよ
恒例の
原田幸子アナウンサーによる
「話し方教室」
今回は第3回『発展編』です
それから
南カリフォルニア大学
EUI-SUNG YI(イー・サン・イ)教授の講義
世界で注目される都市研究の第一人者です
最新の都市計画の実践をお聞きし
被災地の復興へのヒントとします
高校生に限らず一般の方もぜひお越しください
詳しくはこちら
学校へお電話の上お越しください
0768-22-2105
お引越し大作戦
地震から 708 日目
いよいよ仮設校舎ができました
これまで長かったような
短かったような
校舎の傾きが見つかったのは
地震直後のことでした
最初に気がついたのは
山崎先生でした
「二号棟が傾いている気がします」
最初は言われて初めて気づく程度
の傾きでした
そのうちだんだんと傾きが大きくなり
三号棟との間に大きな亀裂が走り
壁のヒビも大きくなって
中に入ると気分が悪くなるほどになりました
職員室がその中にありましたが
キャスター付きの椅子に座ると
コロコロ転がっていくようになりました
職員室を一号棟の会議室に移動しました
発災後4日目には
避難所として開設しましたが
二号棟は立ち入り禁止としました
体育館はというと
第一体育館は床がハーフパイプ状に窪み
第二体育館一階は床が山脈のように盛り上がり
どちらも体育では使えません
唯一使える第二体育館二階と廊下など
できるところで工夫をして
体育や部活動を行ってきました
春になると簡易検査が入りました
二号棟の傾きが3度少々
これはピサの斜塔とほぼ同じです
一号棟にも1度の傾きが確認されました
法律上公共施設は1度傾くと
半壊扱いになるので
それまで入居していらっしゃった
被災者の方々を体育館へと
移っていただきました
秋には精密検査が入り
一号棟の基礎の部分に損傷
が認められました
そこで学習していた
一・二年生の教室を
安全な三号棟に移しました
パソコン室を普通教室に作り替えたり
ひとつの教室を間仕切りで区切って
習熟度別授業のための小部屋を
作ったりしました
グラウンドの3分の1ほどを利用して
仮設校舎の建築が始まりました
工期およそ半年ほどで
二階建ての校舎が完成しました
先週の土日を利用して
金庫などの重量物のほか
大きな家具の移動を
業者の方にしていただいて
本日は生徒の使う机椅子などを
全員で搬入しました
仮設校舎への移動が終わり次第
本校舎のジャッキアップ作業に入ります
建て替えはしません
完成まで
一・二年生が仮設校舎を利用し
三年生は三号棟の一階を使います
校長室もガランとしました
何年後かに帰ってきます
その時は別の校長先生でしょうが
その日までさようなら
こちらは仮設校舎の校長室
どこにこんなに荷物があったんだと
まるでミミズの缶詰めを開けた状態
どこから片付けてよいのやら
怪我しないように慎重に慎重に
新しい事務室です
こちらは新しい職員室
フリーアドレス化しました
近未来型の机椅子は
『内田洋行』様より
ご寄贈いただいたものです
ほんとうにありがとうございました
「量子力学」百周年
地震から 707 日目
今週末は3件の講演会をさせていただきました
移動の新幹線で前の座席に座っていた方が
乗り換えた特急では隣の座席になりました
なんという偶然でしょう
この引き寄せに縁を感じ話しかけてみました
国際風水氣学協会の本鑑定士の方でした
普段から風水を科学と捉えている私は
興味津々でいろんなことを尋ねてみました
「目に見えるものだけが全てではない」
サン・テグジュペリの
『星の王子さま』にも登場するこの言葉
目には見えない酸素や二酸化炭素
そして電磁波が厳然として存在するように
風水は量子力学である
という言葉に妙に納得するのでした
アインシュタインは
「月は私たちが見ている時だけ存在するのか?」
と懐疑的だったこの量子力学
量子力学と私の出会いは
40年前に遡ります
大学時代の『理論化学』という講義の
シュレディンガー方程式の教科書は
これまでの私の常識を覆しました
難しい本を読むと3ページほどで
眠りに落ちてしまう特異体質の私を
わずか5行ほどで眠らせるものでした
1895年
ドイツのレントゲンは
空気を抜いて真空にしたガラス管に
電圧をかけて放電させる実験中に
管を厚い紙で覆っているにもかかわらず
近くに置いてあった物が光っているのを見て
「物を突き抜ける不思議な光が出ている」
と考え
この不思議な光をX線と名づけました
この発見の翌年 1896年
フランスのベクレルは
保存しておいた写真乾板が
光を受けていないのに
感光していることを見つけました
一緒に保存していた岩塩から
X線に似た何らかの光が出ていると
考えました
1903年
マリー・キュリーは
夫のピエール・キュリーが発明した装置を使って
ベクレルの岩塩から光を出しているのは
そこに含まれるウラン原子であることを発見し
その光を出す性質を「放射能」と名づけました
時は第二次産業革命
製鉄業がさかんとなったドイツでは
溶鉱炉の中の溶けた鉄の色で
温度を判断していました
赤黒いときは千数百度
真っ赤の時は二千度以上、
それ以上では白っぽくなる
といった具合です
物体の温度と放射される光の波長の関係を
プランクは公式で示しました
そしてこのことを説明するためには
『量子』という考えが必要であるとしました
光のエネルギーは連続的に変わるのではなく
飛び飛びの値を取るということです
そのことを突き詰めたのが
シュレディンガー方程式です
ここからいよいよ私が秒で寝る領域です
ともかく
トランジスタ
発光ダイオード
太陽電池
MRI
量子コンピュータ
我々の現在の豊かな生活は
量子力学の上に成り立っています
量子力学の世界では
「実験の測定値は測定した瞬間に決まる」
とされています
このことは『シュレディンガーの猫』
と例えられて説明されています
電子は『スピン』という磁力を持っています
『スピン』には上向きと下向き
ふたつの状態があります
ある電子の『スピン』がどちらなのかは
測定した瞬間に決まり
測定する直前はどちらでもない
いわばグレーな状態です
オセロのコマを弾いて回転させて
倒れた瞬間に白か黒か決まる感じです
さらに奇妙な
『量子もつれ』とう現象もあります
この状態のふたつの粒子は
どんなに遠く隠れても
瞬間的に影響を伝え合うのです
『量子もつれ』の状態にある
ふたつのオセロのコマを
『スピン』を逆向きに設定して
北極と南極に移動させます
そして回転させた後
同時に測定すると
その瞬間
必ず一方が白なら他方は黒
となるのです
一見何の関係もない
ふたつの現象であっても
目に見えない不思議な力で
影響を及ぼしあうということです
これはユングの提唱する
シンクロニシティの原理とも重なります
これは「意味のある偶然の一致」
あるいは「非因果性同時多発性」
ともいわれます
精神分析家ユングと
量子力学研究家パウリは
この非因果的な相関に注目し
精神と物質を統一する理論を構想するなど
シンクロニシティの原理を
科学的に探求しました
私たちの直感を超えた世界のあり方を
理解しようとする試みといえます
さて量子力学と風水に話を戻して
徳川家康が江戸のまちを築く時に
天海僧正らの助言を得て風水を取り入れています
東の隅田川を「青龍」
西の中山道などの道を「白虎」
南の江戸湾を「朱雀」
北の上野や神田山を「玄武」とする
四神相応の配置を基本としています
今日の大都市東京の繁栄の基礎がそこにあります
北に山があるとなぜ都市が繁栄するのか?
一見無関係に見えるこのことが
量子力学的に何か因果関係があるのかもしれません
実は焼けた朝市
風水的には
北に海
南に山
西に川
東に道と
四神相応の真逆なんですよね
だからこそ復興させる際には
その気を整える建物配置を
考えてみたらどうかなと思う次第です
愛媛の朝
地震から 706 日目
気持ちのいい朝を迎えています
今日は高松で
講演会を行いました
高松へ向かう前のひととき
丹原高校の合田校長先生に
地域巡見をしていただきました
地歴が専門である先生からは
地理と日本史の視点から
さまざまなことを
教えていただきました
まずは四国三十六不動霊場である
西山興隆寺
紅葉の美しい古刹です
『千と千尋の神隠し』に出てくるような
『みゆるぎ橋』を渡ると
国指定文化財の『三重塔』などがあります
愛媛県は東予・中予・南予に区分されますが
丹原高校のある東予地区には
独特の地形が見られます
まずは日本で有数の扇状地が連なります
扇状地では水が伏流水となって流れますので
川がなく
稲作には向きません
そこで果樹園として活用しています
下流に行くと伏流水は地表に現れ
川となって流れますが
多量に運んできた土砂を堆積させ
だんだん川底と堤防が高くなり
周囲より高いところを流れる
天井川となります
こちらは鉄道が
川の下のトンネルを潜るという
珍しい光景です
以前に「ゆず」のおふたりが
輪島高校に歌いに来てくださった時の模様が
NHKで放送されます
【番組名】東北ココから ゆずとつくる 未来へつなぐうた
【放送日時】12/12(金) 19:30~19:57 <東北地方のみ>
※NHK ONEで見逃し配信
【内容】来年東日本大震災から15年を迎えるにあたり、
ゆずのおふたりが
震災の経験を未来へつなぐ歌を制作するべく
東北の被災地を訪れ
地域の人たちと語り合う
旅のドキュメント
ぜひご覧ください
初冬の伊予路へ
地震から 705 日目
今年の夏休みに
韓国に視察旅行に行きました
バスの中で偶然隣合わせになったのは
愛媛県立丹原高等学校の
合田 明典 校長先生でした
防災教育に力を入れるなど
たいへんパワフルな校長先生でした
合田先生のお招きを受けて
本日同校で講演会を行います
今日は『防災デー』ということで
その一環ということになります
秋の京都駅で乗り換えです
紅葉がちょうど見ごろを迎えているようです
駅員さんお手製の案内板
『街プロ』でも
やってみるといいですね
京都では
中国人観光客が減って
日本人観光客が増えているとか
ホテル代なんかもグッと下がってお得に
予約を取り直す方も
いらっしゃるようです
丹原高校の『防災デー』
最先端の避難訓練を見せていただきました
予告なしの避難訓練です
掃除中に発災の設定です
生徒たちはすかさず
「落ちてこない倒れてこない」
場所を見つけて避難姿勢です
揺れが収まると
生徒たちは駆け足でグラウンドへ
途中通行不可能箇所を設定
みんな自分で避難路を見つけて
避難します
緊張感を持って取り組んでいます
生徒がふたり負傷した設定です
先生方が捜索に向かいます
ひとりは骨折で動けなかったようです
安全な場所までおんぶで運びました
もうひとりは心肺停止です
タンカで運んできました
ここは問題提起です
「訓練のための訓練」
になっていませんか?
心肺停止は一刻を争います
わざわざみんなのいるとこまで
連れてこないで
安全な場所で胸骨圧迫をすべきでは?
小学生も一緒に参加です
防災訓練は単独でなく
地域で行うべきものですね
勉強になりました
降下訓練も行いました
4階の高さから緩衝機を用いて
降下して避難する練習です
私も体験してみました
輪島高校でもぜひ取り入れましょう
煙避難訓練です
スモークマシンで煙を充満させた部屋を
潜って避難します
ハンカチの大切さを実感しました
SONPO さんのご協力による
『学防ッチャ(まなぼっちゃ)』
防災の知識を楽しみながら学べる
ボッチャです
防災リュックを作るワークショップ
防災バッグに必要なものを組み合わせる
パズルゲームです
私も講演会をさせていただきました
「南海トラフは必ずやってくる」
そう言われ続けて
暗い未来を刷り込まれるだけでは
高校生がかわいそうです
正しい防災知識を身につけて
地震の最初の15分間に命さえ守れば
つらいことの後には
人は大きく成長できるよ
予想もしなかった輝かしい未来が待ってるよ
そのことを
輪島高校生が頑張っている姿を紹介することで
伝えてきました
とっても素直で明るい生徒さんたちで
みんな真剣に話を聴いてくれました
藤原 禄都 さんと 桑村 桜羽 さんは
『江戸走り』を
渡部 もも花 さんと 佐々木 真央 さんは
『能登半島ポーズ』を考案して
それぞれ披露してくださいました
この中のどこかに
「能登半島ポーズ』の
ふたりがいます
金沢大学特別講義
地震から 704 日
金沢大学特別講義
「石川県の学校安全」で
お話をさせていただきました
金沢大学では
学校安全の中核を担う教員を育成するため
地理的環境・過疎化・被災など
石川県の地域特性を踏まえた
学校安全の取り組みについて
理解を深めるために
本講義を開講しています
今日明日と集中講義期間となっていて
通常講義はお休みです
キャンパスはガランとしていましたが
そんな中この講義を選択した学生さんは
熱心に講義を聴きに来てくださいました
さすが休みの日に進んで受講されるだけあって
みなさん本当に熱心に耳を傾けて
こちらからの問いかけについては
積極的に答えてくださいました
意識高く頼もしい限りでした
午前中は
発災後珠洲市の中学校で
陣頭指揮をとってこられた
現奥能登教育事務所長の
山岸 昭彦 先生の講義があり
拝聴させていただきました
珠洲市は今回の地震以前から
群発地震に見舞われていたので
防災教育そして地震への備えを
計画的に実践されていました
我々の認識の甘さを痛感しました
講義を受けられた方の中に
大切なご家族を亡くした方も
いらっしゃいました
言葉を一つひとつ選んで話したつもりです
教員採用試験に合格された方も
いらっしゃいました
被災地に赴任となる可能性もありますよ
とお伝えしました
被災地での教師としての実務経験は
今後の長い教員人生にとって
かけがえのないものを学ぶ機会になりますよとも
お伝えしました
実際震災わずか3ヶ月後
傷だらけで
住むところもない本校に
大学出たてのふたりの先生が赴任しました
そのうちひとりは
こんなとこ住めないと
金沢から毎日通い続けました
そんな厳しい環境の中
ふたりは真剣に生徒に向き合いました
どんなにつらい環境に置かれようと
それでも前を向いて歩き出そうとしている
生徒たちに
自分にももっとできることがある!
ふたりはそう思うようになってきました
今年はふたりとも学級担任をしています
明日は丸一日
「子どものための心理的応急処置」と題して
セーブ・ザ・チルドレンさんによる
実習が行われるそうです
がんばってください
高校生ガイドツアー
地震から 703 日目
石川県では
全国から修学旅行に訪れる学校向けに
高校生ガイドの取り組みをしています
本校もそのガイド校のひとつです
被災地ではありますが
今しかここしか体験できないコースもあります
今日はそのリハーサルということで
輪島市内の全中学校の生徒に来てもらい
お客さん役をしてもらう予定でした
ところが北陸特有の冬の気候となり
となると『鰤起こし』つまり
冬の雷もありうるなということで
急きょ予定を変更して
屋内で実施することとしました
せっかく来てもらうのだから
すこしでも楽しんでもらえるように
先生方は知恵を絞ります
建ったばかりの仮設の校舎に
高校生よりも一足早く入ってもらい
被災地ライフを楽しんでもらうことにしました
ところがここで問題発生
Wi-Fiがつながりません
生徒と先生は知恵を絞ります
急きょアナログの資料を準備して
紙芝居形式で何とかつなぐことにしました
ここでさらに問題発生
街を案内しながら話す原稿だったので
座ったままだと10分で終わってしまいました
先生方は知恵を絞ります
出たがり校長にに喋らせとけ
良いアイディアです
急遽音楽室に全員を集めることにしました
先生方がドタバタ準備をしている間
生徒たちが勝手に喋り始め
場を盛り上げてつないでくれていました
なんて気の利く生徒たちでしょう
想定外の出来事が次々と起こる中
生徒たちも先生方も
自分たちで最善を考え
自分たちで行動する
そんな姿が着実に身に付いています
震災がくれたプレゼントです
と言っては不謹慎でしょうか
さて、東陽中学校と門前中学校のみなさんは
道路事情が悪く
震災後輪島市街に入ることも
滅多になかったということで
バスで輪島塗会館とキリコ会館を案内しました
先生がそっちについて行ったので
残された生徒たちは
「おい!片付けやっちゃおうぜ」
自主的に使った部屋の片付けと
掃除をしてくれました
入学した頃は
やんちゃでどうなることやらと
心配した子たちではあったのですが
本当に成長しました
頼もしい限りです
県の産業について考える
地震から702 日目
「石川県産業教育振興会」
に参加しました
産業界 教育界 行政関係者が一堂に介して
県の産業教育の振興充実についての
諸課題の解決を図ることが目的です
ホクショー株式会社代表取締役社長
北村 宜大 氏による講演を
拝聴させていただきました
ホクショーさんでは
コロナ禍の際には
テレワーク手当の支給
ガソリン価格高騰の際には
通勤手当の2割増など
会社の業績アップと
従業員のWell-biing を
同時に実現されています
昭和の時代は
「電話がならない会社は危ない」
「社員が休みがちな会社は危ない」
などと言われたものですが
現在では必ずしも当てはまりません
社員のWell-being を実現しながら
業績を上げるには
① 営業の行動量を上げる
② 営業の「勝ち率」を上げる
③ 受注単価を上げる
だそうです
3つに共通することは
他者との差別化を図ることです
やってはいけないことは
価格競争に陥ること
学校現場にも応用できそうです
意見交換会がありました
企業側からの質問に対し
突然指名されたある校長先生は
「すみません もう一回言ってください」
聞き逃したようです
私が指名されても
きっと同じようになったと思います
ドキドキしました
「高校ではどのような指導されていますか?」
という質問だったのですが
その先生は
「人の話をちゃんと聞けと指導しています」
センスある回答ぶりに心で拍手を送りました
意見交換会でわかったこと
企業側が懸念していることは
現在学校教育で比重が大きくなっている探究活動
それにより基礎学力の指導が疎かになっていないか
ということのようです
どうも探究活動と基礎学力を
2項対立で捉えているという認識を変えるための
学校側の努力が必要なようです
専門用語では
企業側の捉えている基礎学力を「認知能力」
探究活動で身に付く能力を「非認知能力」といいます
ここでいう『認知』とは
『認知症』の『認知』とは意味合いが違います
『認知能力』とは
共通の尺度で点数化して評価できる能力のこと
『見える学力』ともいいます
例えば『漢字能力』のような
『非認知能力』は
それができない能力
『見えない学力』ともいいます
例えば『積極性』のような
「非認知能力が高ければそれでいいのか!」
「積極性があれば漢字書けなくていいのか!」
そんな極端な論法はやめてください
『非認知能力』or 『認知能力』
ではなく
『非認知能力』for『認知能力』
です
『非認知能力』を高めれば
『認知能力』が高まるのです
ヒトがコトに臨むうえで
必要な力を身につけるのに必要な力
それが『非認知能力』です
もっと簡単に言えば
『認知能力』とは国数英理社の力
『非認知能力』とはざっと上げると
自主性・向上心・協調性・共感性
創造性・コミュニケーション能力
などなど
おわかりになると思いますが
『非認知能力』とは全く新しい概念ではなく
これまでも日本の学校教育で重視されていたこと
すなわち「心の教育」なのです
「心の教育」の育成には
例えば部活動が大きな役割を果たしています
部活動においては
競技力を高めるために
従来は競技に特化した訓練を
スパルタ式で行っていました
しかしながら今はそんなやり方は時代遅れ
フィジカルトレーニングや
メンタルトレーニング
主体性の育成やチームビルディングなどを
科学的に体現できるチームが強いです
それを
学習にも応用しましょうというのが
探究学習の目指すところなのです
「単語練習」や「計算練習」を
意味もわからず機械的にこなしても
それで身に付く力は一時的なもので
将来的に生きていく力とは
程遠いものです
「学びに向かう力」を
高める必要があるのです
はじけろ創造彩れ未来 いざ百万石の地へ
地震から701日目
令和9年夏
高校生による芸術文化の祭典
「全国高等学校総合文化祭」が
石川県で開催されます
石川県での開催は47年ぶり2回目
ちょうど全国を一回りしてきました
今日のタイトルはそのスローガンです
演劇 合唱 吹奏楽 マーチングバンド
バトントワリング 美術 書道 放送など
22の部門の展示や発表が
石川県を舞台に繰りひろげられます
とはいえ
能登の文化的施設は壊滅的被害を受けていますので
羽咋以南での開催になるのですが
現在それに向かって
各校で分担して準備を進めています
輪島高校は『郷土芸能』を担当します
全国各地に伝わる
祭囃子や神楽 民謡 踊りなどの『伝承芸能』と
伝承曲や創作曲を含む『和太鼓』の
ふたつの部門によるコンクールです
今日は運営のご協力をお願いしに
白山市にある浅野太鼓楽器店様を
訪問しました
浅野太鼓様は
江戸時代初期の創業以来
400年以上にわたり
和太鼓づくりの技を継承なさっていて
全国の太鼓の制作を引き受けていらっしゃいます
原木の選定からクリ抜き 塗り 皮はりまで
全て自社で行われ
職人さんによる
一つひとつ丁寧な手作業での生産を
続けていらっしゃいます
こちらは6尺もある大太鼓
直径2m 以上もあるアフリカの大木を
くり抜いて作られたものです
現在ワシントン条約により
日本では入手不可能な木です
ワシントン条約には
学術目的を除き国際間の取引が一切禁止される
『附属書I』と
締約国が『留保』できる
『附属書II』があります
『附属書Ⅱ』に属するこの大木に対して
中国は『留保』の姿勢をとっているので
中国に流れて家具に変えられているそうです
日本も過去に
「ヨシキリザメ」の規制に対して
『留保』の姿勢をとりました
フカヒレとして食されるほか
コンドロイチンも豊富に含まれているからです
皮は肉牛のもの
現在
牛は若いうちに食肉に変えられるので
ここまでの大きな皮は
手に入らないのだそうです
部位で言うと
腰のあたりの皮が
最も厚くて丈夫です
それはライオンなどに襲われるときは
いつも背後からなので
その辺りの皮が厚く丈夫に進化したからです
写真後方に写っているのは
『鉦鼓』でしょうか?
神楽に使われるものかなと
詳しくはないので
よくわかりませんが
とにかく
いろんな太鼓があって興味は尽きません
ちなみに現在日本で一番大きな太鼓は
飛騨高山の『祭りの森』にある
9尺のもので
重さにして4.5t
実はこちらも『浅野太鼓』さんが
こしらえたものです