2024年10月の記事一覧
みつばちの力
地震から290 日目
豪雨から26 日目
学校にスズメバチの巣を見つけました
早速駆除です
蜂の巣ジェットの威力は
すさまじいですね
スズメバチ撃退の技で
もっと強烈なのものに
「蜂球」があります
日本ミツバチが持つ必殺技です
ミツバチにとってスズメバチは
幼虫や卵を根こそぎ食べられてしまう天敵です
そこで巣に寄ってきたスズメバチを見つけると
総攻撃をしかけます
数百匹のミツバチがスズメバチを覆い包んで
押しくらまんじゅうを始めます
お互いの羽根をこすり合わせ
摩擦熱を発生させます
やがてまんじゅうの中の温度が上がり
スズメバチは死んでしまいます
ミツバチは50℃まで耐えられるので
へっちゃらです
小さなミツバチでもみんなで力を合わせて
大きな天敵をやっつけます
本校生徒が取り組んでいる
街再生プロジェクト「街プロ」の中に
「みつばちプロジェクト」があります
小さな力でも
少しずつでも
あきらめずに前に進めるといいね
きっと大きな課題でもやっつけることができるよ
明倫のみんな!ありがとう!
地震から289 日目
豪雨から25 日目
金木犀の甘い香りが
学校を包んでいます
あんなに酷い目にあったのに
季節がめぐるとちゃんと花を咲かせる
植物の生命力に感動です
野々市明倫高校のみなさんが来校しました
詳しくはこちら
初任で本校に勤務されていた
池田真彬先生が引率されていました
最後に本校生徒に向けてのご挨拶
「かつて自分が住んでいたこの街
壊れた姿を見て愕然としたけど
みんなの元気を見て確信した
この街は生きている!」
この言葉に
また立ち上がる元気をもらいました
ありがとうございました
もう公費解体され
あとかたもなくなった我が家にあった
娘が弾いていたピアノ
家と一緒に壊される運命だったのですが
家が解体する前に何とか運び出し
学校の中でストリートピアノとして
第二の人生?ピアノ生?を送っています
生き物を数えるとき
なくなったあとに残る物で数えるのだそうです
ゾウは1頭
にわとりは1羽
サンマは1尾
ピアノは1台なので
きっと壊されたあとは
台しか残らなかったのかもしれません
では人は?
1名です
そう
人は亡くなったあと名を残すのです
この話はある特攻隊員が遺した言葉です
今日も生徒がピアノを弾きにきてくれました
彼女は幼稚園の先生を目指していて
今度大学入試でピアノの試験があるそうです
これは災害にも負けなかったピアノ
きっと見守っていてくれるよ
がんばれ!
輪島市学習センターが再開しました
輪島市が高校魅力化プロジェクトのひとつとして
学習する場所を提供してくださっているものです
魅力化スタッフが質問にも対応してくださいます
場所は「ふらっとホーム」の二階
「ふらっとホーム」は
旧国鉄七尾線の輪島駅の跡地
駅の数え方は1軒
なくなった駅のあとに
今ではバスのターミナルやお食事処が
軒を連ねています
そこの二階を活用して
落ち着いて学習出来る場所が
戻ってきました
いろいろ頑張りました
地震から288 日目
豪雨から24 日目
東北復興研修や
グローバルフォーラムを終えて
生徒のがんばる様子が
HABのYouTubeチャンネルで
紹介されています
【未成年の主張】
https://www.youtube.com/watch?v=marcCbh78S4&list=PLifVGdqsTJWi9DF7nQZHYVtEiB7thUI6b&index=6
【東北復興研修(前編)】
https://www.youtube.com/watch?v=0Yh_ZCEE1vo
【東北復興研修(後編)】
https://www.youtube.com/watch?v=Qf1xrxwcxy8&t=1s
参加した生徒からのレポートを掲載します
2年 前名拓実さん
今回、東北大にてOECDの方々や色んな方と交流させてもらって感じたことがあります。一言でまとめると、「教育」ってすごく難しいことなんだなって思いました。
どこの学校も様々な面での問題に悩まされているということが分かりました。しかし、他の学校の教育改革の成功例が自分の学校にも当てはめられるとは限らないのも「教育」の難しさを実感しました。例えば学校の統合ですね。地域によって実現可能性は全く違うし、なにより統合前の学校の伝統、校風を完全に変えてしまう可能性が出てくることはある意味すごく怖いことでもあると思うんです。校風が良いと思って入学された生徒、OB、それからOGの方の反対が出るのも当然だと思いました。そうするしかなくなってしまう日本の地方教育の在り方は問題であり、これから議論をもっと重ねる必要があると実感しました。
しかし、海外の学校の教育改革のアイデアは日本と違った見方も多く、大変興味深かったです。
せっかくこうして関われたのですから、これからもご一緒にお話しできる機会が増えれば良いと思いました。生徒として、教育について深く考える機会を設けていただけたことを大変嬉しく思います。
2年 三中そらさん
今回のOECDグローバルフォーラムに参加し、私自身にとって大きな変化がありました。それは世界が思っていたよりもずっと近い存在だと感じたことです。これまでは「世界」と聞くと、どこか遠い存在のように思い、少し距離を感じていました。しかし、たくさんの外国の方々と交流し、自分なりに英語を使って積極的にコミュニケーションを取ったことでその距離感が一気に縮まりました。世界は決して遠いものではないと実感しました。
特に印象に残ったのは、発表前に緊張していた私に対して多くの方々が優しく声をかけてくれたことです。みほさんや交流会で仲良くなった外国の方々がハグをしてくれたり励ましの言葉をかけてくださったおかげで、少しずつ緊張を和らげることができました。また発表後にも多くの方が褒めてくださり、ハグしてくれたことが嬉しかったです。その瞬間、国境や言葉の壁を越えて人と人が繋がる力を強く感じました。
さらに、「Future of Education and Skills 2030」という場では、さまざまな立場の人々の意見に触れ、自身の視野が広がりました。教育の在り方についての議論は難しいテーマでしたが、他国の教師や教育関係者の意見を聞くことで、教育の役割や未来について深く考えさせられました。このような場に参加し、教育の未来を共に考える一員としての意識を持つことができたことは大きな収穫でした。
貴重な経験を通じて私の視野は広がり、世界は想像以上に近いものであると感じるようになりました。今回のフォーラムで得た学びは私にとって大きな変化となり、これからも積極的に世界との繋がりを深めていきたいと思います。
旅の終わりに
地震から287 日目
豪雨から23 日目
グローバルフォーラム最終日
多くの方が13年前に辛い思いをされた
東北の地での最後の一日です
能登半島の現状をお話しする機会が
幾度となくありました
思い出しながら話そうとしても
言葉に詰まります
涙を堪えていると
ほとんどの方が
泣いてくださいました
13年の年月が経っても
深い心の傷は決して癒えることはないのだと
いたたまれない気持ちになると同時に
我々の気持ちを痛いほどわかってくださる
その想いに励まされる思いです
生徒は本当に多くのことを学んでいます
戸田市教育長の戸ケ﨑 勤 様からは
夏に輪島高校を舞台に行われた
能登スクールの中で実践された
「おさんぽワークショップ」を
世界に紹介いただきました
参加者に被災地を散歩してもらい
その風景をもとに
それぞれの教科の視点から
どのような気づきがあるか
探しながら歩き回るアクティビティでした
教科書からではなく目の前の現実から
教科と日常生活を結びつける試みでした
また
「教師の自己犠牲が当たり前ではない教師像」
とそれに伴う
「新しい教師像への社会的理解」
が提言されました
教師という職業が
「子供たちの未来」や
「社会の未来」を担う
重要な職業であるにも関わらず
その知的刺激や挑戦の機会が減少し
信頼や尊敬が揺らいでいる状況を
危惧してのものです
さらに文部科学省から
「D-EST」
Disaster Education Support Team
の仕組みをつくることが発表されました
これは現在すでに活躍していらっしゃって
今回の地震で珠洲に支援に入られた
兵庫県教育委員会の震災学校支援チーム
EARTHさんのような活動を
全国的に展開しようとするものです
4日間最後のプログラム
パネルディスカッションに生徒が参加しました
「あなたにとって教師のエージェンシーとは?」
との問いに対して
三中さんは
「一人ひとりに合ったやり方で教え導くこと」
前名さんは
「自身の考えを促すことで自主性を育むこと」
と答えました
次の質問
「未来に残すべき教育と変えるべき教育は?」
三中さんは
「部活動などで得られる協力・団結・協調性を残し
間違いを許容しない土壌をなくしたい」
前名さんは
「考えを共有しながら進める授業を残し
もっと世界とつながるように変えたい」と
最後の質問
「ティーチングコンパスに採択したいキーワードは?」
三中さんは
「柔軟性」
多様な生徒への個々に応じた教育が求められるから
前名さんは
「支え合い」
生徒と先生が支え合えるようになるといいから
そして
「笑顔」だそうです
少し時間を作って
先日「復興研修」で生徒が訪れ
お世話になった場所を訪ねて
お礼を申し上げてきました
まずは多賀城高等学校さん
先日生徒が訪れたとき
帰りに吹奏楽部のみなさんが
演奏で送り出してくださいました
ちょうど吹奏楽部が練習してたので
輪島高校の生徒が
「一生思い出に残る風景になった」
と話していたことを伝えました
次に閖上(ゆりあげ)朝市へ行きました
先日マスコミの取材を通して
生徒たちに励ましのメッセージを
届けていただいていました
この地区では全てを津波に流されたあと
まず朝市が立ち上がったのだそうです
そしてそれに導かれるように
街が甦ってきたのです
慰霊碑の前では今でも
ひたすら祈りを捧げる方が
いらっしゃいました
慰霊碑の高さは
この地を襲った大津波の高さ
8.3mです
令和遣欧使節団
地震から286 日目
豪雨から22 日目
グローバルフォーラム3日目
今日は舞台を東北大学へ移して
2年生の前名さんと三中さんが参加しました
前名さんは
前日の「未成年の主張」の様子を
三中さんは
2日間のアクティビティを通して
世界が身近に感じられるようになったことを
それぞれ発表しました
郡山高校のみなさんとお友達になりました
映像・音響を担当するのは
メディアアトリエさん
なんとあの小惑星探査機「はやぶさ」の
帰還の際にも担当されたそうです
昼休みには大学近くの青葉城を訪ね
仙台市博物館を見学してきました
慶長遣欧使節について学びました
今から約400年前
仙台藩主伊達政宗が
スペイン国王およびローマ教皇のもとに
外交使節を派遣しました
その際使節長を務めたのが支倉常長です
東日本大震災からちょうど400年前1611年に
東日本大震災の大津波と同規模の「慶長大津波」が
仙台藩を襲った記録が残されています
徳川家の記録である『駿府記』には
この震災により
仙台領だけで5,000人を超える死者を出した
という記録が残っていますし
仙台藩の正史とされる『貞山公治家記録』にも
その様子が残されているそうです
この慶長大津波からわずか2週間後
政宗は慶長使節派遣の構想を明らかにし
船を作りはじめ
2年後に使節を出帆させたわけです
このような事実を考えると
慶長使節派遣には
大きな災害から立ち直るという意味がある
という気がします
使節を派遣した伊達政宗は
未来を作る若者を世界に派遣して
たくさんのことを吸収させて
震災によって大きく傷ついた仙台藩を
より良い国に発展させようとしたのではないか
そう思えてなりません
今回グローバルフォーラムに参加した生徒8名は
12月にパリで開催されるサミットに
派遣される予定です
まさに令和の遣欧使節団
輪島をより良い国に発展させるためのヒントを
たくさん学んできてもらいたいと思います