SGHの活動を紹介します
SG米国研修(4日目活動報告)
本日は、世界大学ランキング7位の超名門・プリンストン大学での研修とニューヨークへの移動日です。
まずは朝にホストファミリーとのお別れがありました。この2日間で一生忘れない思い出を作れたのではないかと思います。
こうした文化交流が相手国のことを理解したい、外国語を習得したいという一番のモチベーションになりますね!
午前中は3グループに分かれて日本語を履修している大学生にキャンパスを案内してもらいました。
専攻(経済学や工学、理学)とは別に外国語として日本語を学習しており、まだ2年生や3年生の方も多くいましたが、学生の能力の高さと日本への留学経験がある方もいて、皆さん日本語が本当に上手でとても親切に対応していただきました。
プリンストン大学はアイビーリーグの中で4番目の歴史を誇り、非常に広大で歴史的な建築物が多く見られました。
キャンパス案内をしてくれた学生の中にはなんと日本人の学生もいて、国際バカロレア(IB認定校)でプリンストン大学に進学したとのことでした。本校生徒にも海外大学への進学や留学を選択肢の一つに入れてほしいと思います(そのためには高校2年生から準備しないといけません)。
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1306884.htm
午後はその大学生たちに昨日と同様、探究活動の発表と意見交換を行いました。
その後ニューヨークへ向けて移動しましたが、ニューヨークはこれまでのワシントンDCやプリンストンとは全く異なって、人の多さと街の喧騒に、生徒たちは少し驚き慄いているようにも見えました。
アメリカに慣れて来たように思えてまだまだ奥が深いアメリカに、より一層身を引き締めて残りの活動を行いたいと思います。
〈本日の学び〉
・アメリカは全てが格差(教育格差、就職格差、経済格差、人種問題が密接につながり、すぐ側にある)
・アメリカ人は多くのことにおおらかなイメージがあるかもしれない(実際、自動車は凹んだままだったりガムテープで直してある車も少なくない)が、できる人は例えば時間に対しても厳しく絶対遅刻しない。勉強の取り組み姿勢などすべて個に委ねられており、これも差の一つ。
・プリンストン大学に世界中から学生が集まる理由は教育の質の高さ(たとえば教授一人あたりの学生数が少ない、奨学金などの支援が厚いなど)
※昨日のプリンストン高校見学について補記
プリンストン高校はプリンストン市内にある公立校で私立のプリンストン大学と関係性はありません(同じ街にあるだけ)。
本日、プリンストン大学の学生から「日本の先生は仕事が大変ですか?」と聞かれましたが、部活動指導だったり社会性を陶冶するための学校行事、トラブル発生時の対応など日本の教員の仕事が包括的で多岐にわたる話をしました。
振り返れば、プリンストン高校では部活動のような活動も少しあるようでしたが、それも30分ほどで、基本的には授業が終わり次第生徒と一緒に先生も教室の鍵を閉めて帰宅していました。
生徒は自分で放課後にアイスホッケーを習ったり、ジムに通ったりしています。
昨日の研修リポートで日本とアメリカの教育の違いを記しましたが、そもそもプリンストン高校では一クラスあたり多くても20人ほどの生徒数(履修状況によってはもっと少ないクラスもありました)で、教員の目が行き届きやすいです。
日本はOECDの中で教育予算が低い国の一つですが、このことについて日本の未来のためみんなで考える必要があると思います。( OECD教育比較(日本).pdf 5ページ目、国家予算に対する教育予算の割合ランキング)
またその教育予算も、授業料無償化として家庭に還元するのがいいか、教員確保のための手当に充てるのがいいか、あるいは教員を増やして一クラスあたりの生徒数を減らすのがいいか、さらには施設改修のためのハード面に充てるのがいいのかと、選択肢は多岐にわたります。
アメリカでは、一クラスあたりの生徒数を減らして、個に応じた指導ができるようにしようという体制と、教育目標がマッチしているように思いました。
ただし、なんでもアメリカを賞賛するわけではなく、アメリカにはアメリカの課題があるでしょうから今日もチャットGPT君に聞いてみました。
日本とアメリカの教育スタイルの違い
1. 理念の違い
日本の教育は、知識を正確に身につけることや規律を守ることを重視する傾向が強い。授業では生徒は静かに教師の話を聞き、全員が同じペースで進むことが求められる。そのため「主体性」は表に出にくく、むしろ「集中して黙って聞くこと」が学習態度として評価される。
一方アメリカの教育は、「自分の意見を持ち、発言すること」「自分で調べ、考えること」が重視される。授業では質問や議論、時には教師への反論までもが積極的な学びとして奨励され、こうした行為が「主体性」の証と見なされる。
2. 理念と現実のズレ
ただし、アメリカの生徒が必ずしも常に主体的に学んでいるわけではない。自由度が高い環境だからこそ、授業中に注意が散漫になったり、十分に準備をしなかったりする学生も少なくない。
つまり、アメリカ教育は「主体性を発揮する機会」を多く与えるが、それを活かすかどうかは生徒本人に委ねられており、結果として学習意欲や成果に大きな差が生まれやすい。
3. 教育文化の比較
日本では「全員が同じ水準まで到達すること」や「基礎の徹底」に強みがある。
アメリカでは「自分の関心を深める力」や「自己表現力」に強みがある。
しかし、日本の視点からはアメリカの自由な雰囲気が「だらしない」ように映ることがあり、逆にアメリカの視点からは日本の静かな授業が「受け身で消極的」に感じられることもある。
4.まとめ
したがって、アメリカ教育における「主体的な学び」とは、すべての学生が自動的に主体的になることを意味しない。むしろ、主体的に学ぼうとする生徒が大きく伸びる土壌をつくることが目的であり、そこに日本の「全員が一定の学力に到達する」仕組みとは異なる特徴がある。
最後までお付き合いくださった方ありがとうございました。
米国研修リポート第五弾でした。