校長室より「おこらいえ」
東北から帰ってきます
地震から272日目
豪雨から8日目
今日は東北研修旅行から
生徒が帰ってくる日です
生徒から感想が送られてきているので掲載します
1年
今回の東北ツアーを通して嬉しかったことや、学んだことや、気づいたことは、まず、輪島の場合は備えが充分になかったり、日頃からの避難訓練が宮城より、適当に感じたことです。多賀城高校に言った際に、輪島は学校や地域の避難訓練があまりおこなわれないことに驚かれました。やっぱり、被害にあった人たちはこのように、自分たちの子供や孫などに地震の話をして、地震の怖さや、その時どう言った対応をしたらよいかということを伝えているんだな、家族で話し合って、地域の人と話し合ってその時どういった行動をしたらいいか話し合っているんだなと感じた瞬間でした。この地震があっても輪島はまだ、地震に対して、恐怖心や、危険性を持ってる方は少ないなと思いました。憶測ですが、今輪島高校の全校生徒に災害バッグや、もしまた何か会った時用に、その場で対応できる備えをしているかと聞くと半数も手をあげないだろうなと思いました。なぜなら実際私たちもこの質問を受け、手をあげた人は半数にも満たなかったからです。
そして、もう一つ問題だなと思ったことは、避難訓練です。私たちは学校にいるタイミングで地震は来なかったけれど、東日本大震災では、ほとんどの児童が学校にいる時間帯でした。そして、現地の人の話を聞くと、子供達の命を落としている数がとても多かったことがびっくりしました。そして、校舎自体も大きな被害を受けていました。話を聞きながら、今回は津波は来なかったけど、もし来ていたら、私はちゃんとした行動ができていたのだろうかと、とても考えさせられました。そして、避難訓練は学校だけでなく、地域でもやるべきだと思います。めんどくさいなど思う方もいるかもしれませんが、みんなの命を守るきっかけにつながると思うし、あの時やっててよかったと思う瞬間が必ずあると思います。備えあれば憂なし。本当にその通りだなと感じました。そして、嬉しかったことは多賀城高校と交流が終わり、バスに向かおうとした瞬間に、ほとんどの多賀城高校の生徒が、私たちを囲み頑張れー!と、応援してる!と大きな声で叫んでくれたり、吹奏楽部の演奏や、ダンスを踊ったりして、見送ってくれました。あの光景は一生忘れられないほど、本当に嬉しい出来事でした。そして、友人もできました。地震は大変だったし、苦しかったけど、この地震があったからできたこともあったし、もう一生、関わることがなかった人とつながることができたと思います。この機会を与えてくれた、宮城の方々、学校の先生方、宮城に行かせてくれた家族たちに、感謝しかありません。ありがとうございました。宮城も輪島も大好きです!復興頑張るぞー!
1年
今回私は東北ツアーに参加しました。楽しそうだなって思ったからです。あまり良くない事だと思うのですが、最初は軽い気持ちした。24日に事前学習で調べた事を発表し合う活動をしました。
地下鉄に居る時に地震が怒った場合に取る行動についても問題を出してくれました。選択肢として、「中央にかたまる」「電車に乗り込む」「出口まで逃げる」の3つの選択肢がありました。この中で正解は電車に乗り込むでした。崩れても電車が支えてくれるそうです。将来に生かせる!と思いました。館長さんがお話をしてくれた中にとても印象に残ってる事が沢山あります。ある方が朝に親と喧嘩をして仕事に行きました。車に乗りながら、親の好きな物を買って帰って謝ろう。と思ったそうです。ですがその後の地震で津波が来て流されました。その方は必死になって探したそうです。そのおかげで両親は亡くなったけど見つけることができました。ごめんね。って一生謝ることができなくなった。と後悔していたそうです。この話が特に印象に残ってます。もう1つは、逃げよう!と言える人になる。ということです。あのとき逃げよう!と言ってくれた人がいたので今生きています。と館長さんは言われたそうです。私も逃げよう。と言えるようになりたいです。自分で決断できる人に。とも言っていました。私はすごく自分で決断することが苦手です。なのでこの言葉はとても印象深いです。日頃から自分で決断できるようにしていきたいです。
2日目は門脇小学校について聞きました。実際に校舎に入って火災や津波の跡を見てきました。ここで授業をしてたんだなと思いました。教室の中はすごく散乱していました。焦げていました。みんなにも1度行ってみて欲しいです。ビデオを見ました。教壇を使って、協力し抜け出したと言っていました。手助けをしていた人が後ろにいた人に行きなさい。と言ってもらって逃げた。という風に言っていました。その後に、手助けを放って先に逃げた人がいる。という噂が立ったそうです。その方の子供がお母さん。気にしないで。お母さんは何も悪くない。と言っていました。とても良い親子だと思いました。次に女川町のこんのまさひとさんにお話を聞きました。その中で想いの共有の場を作る。というのがとても大事だなと感じました。他にも、街づくりには10年~20年かかる。だから10年後20年後の若者に託す。と言っていました。40代50代が中心になってやる。70代は口出ししない。とても素敵だと思いました。2日目の最後には多賀城高校に行って、高校生ができる事。をグループワークで話し合いました。多賀城高校の生徒さんがとても良い人達で話しやすかったです。輪島には備蓄品がないから、それを生徒会に話したりする事が私たち高校生に今できること。だと意見が出ました。見送る時に多賀城高校の人達が盛大な見送りをしてくれました。とても嬉しかったです。
3日目は、朝市の方のお話を聞きました。とても熱心に話してくれました。復興について話してくれました。待っているだけではダメ。自分で行動しなさい。現地に行きなさい。メールや電話ではなく、現地に言って話す。と何度も仰っていました。私も待っているだけじゃダメだと思います。行動できる人になりたいです。
この3日間で、最初とは意識が変わりました。最初軽い気持ちを持っていたことがとても恥ずかしいです。東北ツアーに参加して本当に良かったです。どれだけ悲惨だったかが分かるツアーでした。ただの話だけではなく、展示している所に行って実際に見たりすることが大事だと思います。学んだだけじゃなくて、多賀城高校生徒さんとの交流等で、楽しい思い出もできました。私は東日本大震災などこれを沢山の人に知ってもらいたいし、実際に、行って見て聞いて話したりして欲しいと思います。
2年
今回の東北復興研修で、東日本大震災時の地震、津波そして復興までの過程を学ぶことができ、そこで学んだことを輪島市の復興と今後の災害への向き合い方を考えて行こうと思った。
研修旅行を通して、石巻市の大川小学校を視察した際、その当時の事を話してくれた三條すみゑさんの話が一番印象に残っている。警報が出ているとき三男に電話をした。最後の方に「母ちゃんも向かってるからな」と言った。その言葉を言ってしまったため三男は近所の人が「避難しよう!」と言っても「少し片付けてから行きます」と言い避難はしなかった。すみゑさんは「自分で息子を殺してしまった」と涙が込み上げてくるのを耐えながら話していたことに自分も悲しい気持ちになり、もらい泣きしそうになった。
津波は残酷だ。しかし、自然災害を止めることはできない。だからこそ災害を止めるではなく、災害が起こった後のことを考え市民や学生、外部の人たちに今回聞いたことや能登半島地震で体験したことを伝えて、より災害について深く考えてもらうことが今後起こる自然災害への対策につながると感じた。