2024年8月の記事一覧

生成AIを学びました

219日目

 

「生成AIにおける日本の教育現場の今とこれから」

Google For Education の日本総括 小出 泰久 氏から

お話を聞く機会をいただきました

変動性 不確実性 複雑性 曖昧性 の時代を生き抜くための

力強いご講演をいただきました

 

続いて活用支援をしていらっしゃる上原 玲 氏から

AIとは?

 人間の知能を模倣するよう訓練されたコンピュータ

 AIは第一世代から順に

 「考えるのが早いAI」

 「ものしりなAI」

 「データから学習するAI」

 と進化してきたそうです

 

今では全国の学校でも教育に取り入れられ

例えば

 カリスマきゅうり農家ばあちゃんの

 きゅうりの等級分けに活用したり

 

 呑んだアルコール量を測定して

 じいちゃんが飲みすぎないようにしたり

 

 開いたページに合わせたBGMが流れる

 図書館を作ったり

 

生徒たちの様々なアイデアを具現化する

多くの取り組みがなされています

 

現在Googleでは

生成AIツール「Gemini」の提供を始めています

しょーもない質問には

テキトーな回答しか返ってこないけど

活用の仕方によっては

無限大に可能性の拡がるツールです

 

Google には

AIの活用に求められる

 ①学習データ

 ②データを検索するエンジン

 ③生成AIモデル

 ④生成AIを動かす端末

 ⑤データを処理するプロセッサ

の5つの要素を全て自社で準備することができる

という強みがあります

 

さらには

 ①社会にとって有益であること

 ②不公平なバイアスの発生、助長を防ぐ

 ③安全性を念頭においた開発と試験

 ④・・・

など7つの理念に則った開発が推進されています

 

今後教育の場面で活用するとしたら

 ①議論やまとめの過程で足りない視点を見つけ議論を深める場面で

 ②英会話の相手やより自然な英語表現の改善を図る

 ③自ら作成した文章をよりよいものへ昇華させる目的で

 が主として考えられるものです

 

質の高い回答を得るには

 ①ペルソナ

 ②タスク

 ③フォーマットトーン

 ④コンテキスト

 ⑤例 

を意識するとよいそうです

 

今回被災して困ったことで

最新テクノロジーでこんなことができたら

助かったのに

ということが少なくありません

 

創造的復興にどう活かしていくかを追求しながら

長期的展望に立った

未来の教育への提案を被災地からできればな

と思います 

岐阜総文レポート(2)

218日目

 

岐阜の中心部を

自動運転のライドシェアバスが

実装実験をしています

 

 

 

 

 

 

オンラインで予約して乗ります

 

 

 

 

 

 

窓の横のモニターに

周辺の交通事情が映し出されます

乗客はこのタッチパネルで

行き先バス停を選びます

 

 

 

 

 

 

家庭用ゲーム機と同じコントローラーで

操縦することもできます

 

 

 

 

 

 

自動車会社ではなく

フランスのITベンチャー企業による

製品だそうです

 

 

 

 

 

 

岐阜市では

自動運転レベル4

ドライバーフリーでの

特定条件下完全自動運転を目指しています 

 

生まれ変わる輪島市での

新しい市民の足としても活用できそうです


和太鼓部が土岐市文化ホールで行われた

全国大会に出場しました

 

 

 

 

 

 

輪島大祭のキリコ太鼓を

ステージ用にアレンジした曲です

 

 

 

 

 

 

最優秀賞 優秀賞に次ぐ

優良賞をいただきました

お客様からも

一段と大きな拍手をいただいていました

岐阜総文レポート(1)

217日目

 

2027年

第51回全国高等学校総合文化祭が

石川県を舞台に開催されます

3年後に迫った大会の準備を

石川県の高文連で進めています

その下見のために

「清流の国ぎふ」文化祭に来ています

 

 

 

 

 

 

 

まずは関ヶ原古戦場の巡見をして来ました

関ヶ原の戦いとは

豊臣家を守りたい石田三成軍と

新しい世を創りたい徳川家康軍との戦い

天下分け目の戦いと言われるほどの

日本の歴史において大きな意味を持つ戦いです

 

 

 

 

 

 

それほどの戦いであるなら

何ヶ月何年にも及ぶ戦いであるような印象を

勝手に持っていましたが

意外や意外わずか6時間で勝敗の決した戦です

 

勝敗を決するには

3人の武将の心の葛藤があったということを

今回学びました

 

ひとりめは小早川秀秋

三成軍の小早川秀秋は

合戦が始まって4時間後

突然家康軍に寝返りました

秀秋は秀吉の養子

かつては秀吉の後継者として

将来を嘱望されていたのですが

秀吉に待望のお世継ぎ秀頼が産まれてからは

ないがしろにされて

挙句の果ては小早川家に

養子に出されてしまいます

こうして見ると裏切りというより

寝返るには余りある理由があるなという気がします

人の心は時代を超えても変わりません

 

ふたりめは島津義弘

義弘は合戦前夜

奇襲を仕掛けるよう三成に進言します

ところが三成は

その作戦をけんもほろろに相手にしないどころか

義弘を罵倒します

結果翌朝合戦が始まっても

義弘軍は動こうともせず三成の指示に従いませんでした

このことは現代にも通じるものがあると思います

部下がいろいろ考えて提案したことに対し

どんな稚拙な提案であっても

決して頭ごなしに否定してはいけません 

動かない義弘軍は結局

他の軍が壊滅状態になって孤立し

撤退を余儀なくされます

そのとき単に逃げるのではなく

敵の真ん中を突っ切って逃げます

つまり敵陣を正面突破して退却します

これは後に戦法「捨て奸」(すてがまり)とよばれる

味方を犠牲にして追撃隊を食い止める壮絶な策でした

 

3人目は毛利秀元

家康軍の背後に位置された秀元軍

元々は家康軍に動きがあった時に

挟み撃ちにするための軍でした

ところが家康軍が最初の陣から

三成軍に攻めに入っても

一向に動きがありません

秀元が動かなかったのを見て

小早川が寝返ったというのが

最新の学説だそうです

秀元が動かなかったのは

その前に陣を敷いていた吉川広家が

動かなかったのも一因です

秀元が広家に出陣命令を出しても

「今お昼食べてるから!」と

ほんわかした理由で断ったそうです

 

かくして天下分け目の戦いは

わずか6時間で幕を下ろしたのでした

 

ここで登場した秀秋 秀元 広家は

毛利元就「三矢の訓え(おしえ)」の

3人の息子のそれぞれ息子です

 

関ヶ原で家康が勝利したのは

毛利元就の

「3本の矢が束なれば決して折れない」

との訓えがあったからにほかなりません

しかし毛利一族の功績はさほど家康から

取り立てられることはありませんでした

 

250年の時を経て

一族の末裔の長州藩が

討幕を企てたことを考えると

人の恨みの恐ろしさ

人の評価の大切さを

しみじみと考えさせられます

復興絵巻その2

216日目

 

早起きして街の様子を見に行きました

 

 

 

 

 

 

河井小学校の運動場に

仮設の校舎が建ちました

小学生は2学期からここで勉強できます


 

 

 

 

 

 

大町から朝市方向を望みます

輪島の朝市は奈良時代の末期

神社で始まった物々交換が 

その起源といわれます

つまり千年以上の

歴史があることになります

「勝浦朝市」

「飛騨高山朝市」

と並んで日本三大朝市と呼ばれます

明治43年の大火で

一度焼け落ちてしまいましたが

そこから蘇っていますので

今回ここで終わるわけにはいきません 


 

 

 

 

 

 

朝市通りの突き当たりにある重蔵神社は

1300年の歴史を持つ

大国主命をお祀りした神社です

このブログのタイトル

「おこらいえ」は輪島の海女の方言です

輪島の海女の先祖は

その昔福岡県宗像市から渡って来ました

宗像には

 沖ノ島に沖津宮 筑前大島に中津宮 宗像に辺津宮

の三社があり

渡って来た輪島にも

その位置関係を模して

 舳倉(へぐら)島に奥津比咩 七ッ島に中津比咩 輪島に重蔵

の神社をそれぞれ置いたそうです

舳倉島は昔「重蔵島」とも書かれ

重蔵神社もへぐら神社と呼んでいたそうです

これらは重蔵神社の公式HPからの引用です

興味深いのでぜひご覧ください


 

 

 

 

 

 

春の祭に曳く山車です

収納庫が崩壊したため

シートを被せて屋外に置いてあります


 

 

 

 

 

 

重蔵神社をはさんで朝市の反対側には

観音町があります

昔遊郭があったいわゆる赤線地帯で

現代でも震災前には多くの呑み屋が並んでいました

広い道路の真ん中に立つ

提灯型の街灯がなんともいい風情です


 

 

 

 

 

 

ご先祖さまが心配で墓地にも行ってみました

案の定倒れてしまっていて

ブルーシートを被ったお墓もチラホラ

自分たちが生きることで精一杯で

ご先祖さままでとても手が回らず

申し訳ない気持ちでいっぱいです

こんな様子では今回の地震で亡くなっても

まだお墓に入れない方も

きっといらっしゃるでしょう

 

 

 

 

 

 

近所の民家には

お墓参りに訪れる人に

「水道自由に使ってください」

となんとも大らかな貼り紙が 


 

 

 

 

 

 

今日の街巡りの終着は馬場崎

この地域は比較的建物の被害が少ないです

新しい建物が多いからか

あるいはここは昔の駅前通り

馬場という地名にもある通り

もっと昔から交通の要所であった可能性が

だとすると地盤の

しっかりしたところなのかもしれません

雲図鑑と復興絵巻

215日

 

初夏の空には不思議な雲がいっぱい

 

 

 

 

 

 

写真では確認しづらいですが

真ん中やや右に彩雲

太陽との角度によって見える

虹色に輝く雲です

 

左下には鉤状雲

釣り針のように曲がった雲

上空の風が大きく曲がっていることが

わかります

 

 

 

 

 

 

 

こちらは蜂の巣状雲

上空の狭い範囲で

上昇気流と下降気流が

渦巻いています

周囲には天使の羽のような

毛状雲

 

 

 

 

 

 

 

右上には肋骨雲

飛行機雲が

上空の風に散らされて

魚の骨のようになっています

左下には変わった形

どうしてこんな形になるんだろう

勝手に四分休符雲と名付けます

 

雲ウォッチャーの私にとって

梅雨明けの空は

興味の尽きない研究対象です


手術後久しぶりに

街の様子を見に行きました

 

 

 

 

 

 

 

学校のすぐ近くにあった傾いたビル

すっかり撤去されました

小学生も安心して通学できます

 

 

 

 

 

 

 

お世話になっているティーンラボの建物

中がグチャグチャになっていたそうですが

今では多くの生徒のサードプレイス

 

 

 

 

 

 

 

ブルーシートで覆われた家

痛々しくもしっかりと

街のために商売再開しています

 

 

 

 

 

 

 

小路に入れば未だ手つかずの家も

 

 

 

 

 

 

 

火災のあった街並みです

公費解体が始まってしばらく経ちました

 

 

 

 

 

 

 

中央通り付近からいろは橋が見えます

間を遮る建物がすっかりなくなりました

 

 

 

 

 

 

 

高州山の中腹に大きく崩れた

岩肌が痛々しいです

 

他にもたくさんの

崩れたまま手つかずの家の

生々しい写真を撮ってきたのですが

おうちの方の心情を考えると

とても掲載する気にはなれませんでした

 

「街プロ」花火グループへのご支援も

引き続きよろしくお願いします

https://camp-fire.jp/projects/view/778271?utm_source=qr_code