2024年7月の記事一覧
日本チャチャチャ!
203日目
昨日本校野球部が応援に行った
高校野球では
日本航空石川が勝ち上がり
ベスト8入りを果たしました
日本航空高校が石川県に
日本航空第二高校として創立した当初
関係者の方々が
「ニホンこうくう」は航空会社
我々は「ニッポンこうくう」と
おっしゃっていて
スタンドの応援も
「ニッポンこうくう!」
と連呼していたのを思い出します
今SNSで調べてみると
「ニホンこうくういしかわ」
となっていますが
実際のところどうなんでしょうか?
昨日池上彰先生がご自身の番組で
「ニホンでもニッポンでもどちらでもよい」
とおっしゃっていました
ここで「日本」の読み方について
おもしろい話をひとつ
「日本」には
「ニほん」と「ニッぽん」
ふた通りの読み方がありますが
ひっくり返して「本日」にすると
「ほんジツ」という
全く違う読み方になります
この読み方に従えば
「日本」は「ジッぽん」になるはずです
そう江戸時代初期はそう発音していたのです
それがヨーロッパに伝わり
「ジッパン」「ジパング」「ジャパン」に
以前何かで読んだ知識ですが
諸説あるようです
もうすぐパリオリンピックですね
がんばれ!
「ジッポン!チャチャチャ!」
石川県高校野球連盟では
被災地輪島の高校野球ファンのために
決勝戦の模様を
パブリックビューイングで
お届けしてくださいます
輪島高校体育館に大型スクリーン
石川県立野球場まで
足を運ぶことのできない方のためへの
贈り物です
日本航空石川の反対の山からは
同じ輪島市の
門前高校もベスト8に勝ち残っています
輪島勢どうしの決勝を
輪島高校で輪島市民が観戦する!
夢のようなストーリーですが
どうなるでしょうか?
いずれにせよ決勝戦当日は
輪島高校第二体育館でお待ちしています
今日から夏休み
202日目
禍福は糾える縄の如し
幸せと不幸せは背中合わせで
繰り返しやってきます
そして歴史は繰り返す
まるで螺旋階段から眺める景色のように
同じ風景が繰り返し見えます
でも人間はそれほど愚かではなくて
同じ風景でも次に見る時は
一段上から見ている訳で
以前見えてなかったものが
新たに視野に飛び込んできたりします
そして未来は着実に
よい方向へと向かっていきます
鎖国で世界に遅れをとった日本は
明治以降
世界に追いつけ追い越せと
子供たちに知識を身につけさせる
教育制度を展開します
ところが太平洋戦争で
完膚なきまでに叩き潰された日本は
教育制度の転換を迫られることとなります
GHQが主体となって推し進められた教育改革は
「戦後の新しい日本を造るには
これまでの知識偏重型ではダメだ
生徒が主体となって
自ら課題を発見し
その解決に向かって自ら主体的に学ぶ
そんな教育課程である必要がある」
とされ探究型の授業へと
舵が切られました
「課題研究」という教科が
小学校に取り入れられます
その時の教科書がこちら
今でいういわゆるプレゼンですね
年度はじめに自分でテーマを決めて
1年間かけて研究していきます
そして最後に発表します
この教育制度で学んだ方々が
戦後日本の復興の
原動力となっていくのですが
これって何かに似ていませんか?
そう
震災から立ちあがろうとする
輪島高校が仕掛けている「街プロ」は
まさに戦後復興を支えた教育制度なのです
時代は流れ
戦後復興を果たした日本は
高度経済成長時代を迎えます
この時代になると
正確かつ迅速に指示に従い
短時間で結果を出すことのできる
豊富な知識を持った人材を
産業界は求めます
この社会の要請に従い
知識を重視した教育課程へと
螺旋階段を登ります
当然
時間のかかる「課題研究」という教科は
姿を消すことになるのですが
教育的効果が大きいと考えていた
当時の先生方により
夏休みの「自由研究」として
姿を変えて残ることとなりました
このようにして
夏休みの「自由研究」って
生まれたんですね
夏休みに入り
部活道もそれぞれの場所でそれぞれ
サッカー部は
日本航空高校石川さんの
グラウンドをお借りして
朝もやの中駆けています
ここは中学校 ジュニア シニア
あらゆるチームがお世話になっています
同じ敷地内に
県外からの復興支援者の宿舎があり
そこのサッカー愛好者も集まって
一緒にゲームを楽しむ
交流の場としても
機能しているそうです
男子バレー部は七尾高校で
ここは私が以前10年間勤めていた学校で
人気コミック
「君は放課後インソムニア」
の舞台となっています
校内の風景が
作品中にそのまま再現されています
天体観測室もあり
当時夏休みになると
地域の小学生を集めて
天体観測会を開いていました
懐かしいな
バドミントン部は
「がんばろう能登」プロジェクトの
合同練習会に参加です
多くの学校の選手と交流できています
日本代表の漆崎真子選手や
名門筑波大学のバドミントン部選手の
一流プレイを間近で見ることができました
吹奏楽部は津幡町文化会館「シグナス」で
石川県吹奏楽コンクールです
課題曲「さくらさくら」
自由曲「丘の上のレイラ」を奏でました
野球部は石川県立野球場で応援です
どちらもお世話になった
金沢桜丘高校と
日本航空石川の対戦
どちらかにつくわけにいかず
バックネット裏で応援です
心的外傷後成長(PTG)
201日目
PTG「心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic Growth)」
大きな心の傷を受けて
ひとは大きく成長することができます
(1)「他者との関係」
他人を思いやる気持ちが強くなります
今回さまざまな方がかけつけてくださり
その温かい人柄に触れる中で
生徒の他人への接し方が
すいぶんと変わってきたような気がしています
反対につらいときには頼ってもいいんだと
思えるようにもなってきていると思います
(2)「新たな可能性」
それまで描いていた人生の道筋が
大きく変わった人がいます
自分の将来の夢が大きく変わった人
いままでどおりでは何にも通用しなくなった人
だからこそ新しい可能性が開けてくるのです
(3)「人間としての強さ」
予測だにできない出来事に遭遇し
それでもまだ自分は生きている
ここに座っているだけで
自分が思っている以上に自分というのは強い
(4)「精神性的な変容」
人間の力を超えた大きな力に遭遇しました
神や仏を信じろまではいわないけど
多くの先人たちのパワーに守られて
今こうして生かされているような気が
生き方とは?魂とは?死ぬとは?
(5)「生に対する感謝」
あたりまえのように明日がくると信じていた
でもそれは決してあたりまえのことではないことを
思い知らされた
あたりまえのことへの感謝の気持ちが強くなりました
「傷つきから人は成長することができる」
これまでPTGを経験した多くの方からの
励ましの声をいただきました
その生き方を見習い
そしてこの後自分にできることは何か
夏休み期間中にしっかりと自分と向き合ってください
今日は1学期の終業式
発災から200日を生き抜いた生徒たちに
こんな話をしました
明石市にお住いの
石津 佐智子さまより
お便りをいただきました
震災が起こった時に
ペットと暮らしている方が
同室避難できるようにとの運動を
されています
ご自身も阪神淡路大震災で被災なさり
そのときのご経験を活かし
自治体にさまざまな提言をされているようです
昔見た戦争の映画で
防空壕の中で泣き出した赤ん坊を
「敵に見つかるから出ていけ」
と周囲の人にののしられながら
お母さんがあやすというシーンを思い出します
きっとペットをお持ちの方は
それと同じ思いで
震災後お暮らしだったんだろうなと推察します
200日目の「ゆず」
今日で200日目ですか
なんだかあっという間というか
まだ200日というか
この区切りの日に
22:00からNHK「SONGS」で
先日「ゆず」さんが来てくださった様子が
放送されます
ご覧になってください
明後日は「街プロ」
199日目
本校卒業生で
ロサンゼルス総領事館にお勤めの
的場博子さまが一時帰国なさりました
セオドア・ルーズベルト高校で
日本語を学んでいる高校生
そして教えていらっしゃる
本郷依子さまからの励ましのお手紙を
南カリフォルニア石川県人会協議会
七尾出身の北垣戸会長さまのお力添えを賜り
お持ちくださいました
丁寧に漢字やひらがなを使って
そしてアメリカらしい力強い言葉で
あたたかいメッセージを
書いてくださいました
ありがとうございます
明後日は「街プロ」の日
ウィリアム・アイザック氏は
対話の心得について
(1)Listning(傾聴すること)
(2)Respecting(あらゆる発言を尊重すること)
(3)Suspendeing(判断・批判を保留すること)
(4)Voicing(素直な声を口に出すこと)
とまとめています
自分たちがそれぞれに思ったことを口に出す「会話」から
他者を尊重しつつ自分の考えを正確に伝える「対話」を
目指しましょう
「言うべきことを口にする」よりも
「言うべきでないことを口にしない」ことが
大切な場面もあります
日本の学校の授業は
一方的な知識の伝達から
対話に基づく学びへと大きく変わってきていますが
世界的に見れば
その手法についてはまだまだ未熟で
これから研究の余地がありそうです
これについては
今回繋がることができた
Rooseveit High School さんのような学校と
オンラインなどを使った交流の機会を増やすことで
そのスキルは大いに高まるものと期待しています
輪島高校は国際的な学校に生まれ変わります
今のところ校長の妄想ですが
いつかかならず!
今のままでいいやと考える
Fixed mindset を棄てて
どんどん新しく生まれ変わっていくんだという
Growth mindset の学校にしたい
それが能登全体の学びの復興につながると
考えています
新札お目にかかりましたか?
198日目
福島県立原町高等学校の3年生
島ひろるさんが
千羽鶴を折って
励ましのお便りとともに送ってきてくださいました
ひろるさん自身
幼い頃から何度も被災し
そのたびに立ち上がっておられる様子が
綴られていました
あたたかいお心遣い
本当にありがとうございます
全校生徒が通る
一番目につく生徒玄関に
飾らせていただきますね
ところでみなさん
新札にはもう
お目にかかれたでしょうか?
私は1000円札と5000円札を
おつりでいただき
お初にお目にかかることが叶いました
最先端のテクノロジーの結晶です
特に立体ホログラムは「何これ?」
絶対偽札を作れっこないです
偽札を作ろうなんて思っていらっしゃる方
ムダな努力はやめましょう
この新札の偽札を作る技術があれば
もっと他のところに活かせます!
モデルの北里柴三郎氏のお札の肖像画は
ぱっと見怖い顔していらしゃいますが
調べてみると
とても魅力的な方だとわかりました
やんちゃ坊主だった柴三郎は
若い頃国を守る軍人になる夢を持っていましたが
入学した医学校の顕微鏡で細菌を目にしたとき
軍人よりもはるかに多くの人を救うことのできる
細菌学の道に進むことを決めます
のちの東大医学部を卒業したあとは
病気を治して高い報酬を得る医者ではなく
給料は安いけど
病気にならないように予防する
予防医学の研究の道を選びます
その後国からの援助のもとドイツに留学し
世界的細菌学の権威コッホに師事します
7年間研究に没頭した彼は
結局アパートから研究室までの道以外は
どこにも行かなかったといいます
そのころ取り組んでいた研究は
当時絶対に無理だと云われていた
破傷風菌の純粋培養です
体の内部で悪さをする破傷風菌の研究のために
菌を増やす必要があったのですが
それがなかなかうまくいかないのです
ある日ドイツ風茶碗蒸しを作る場面を目にした彼は
串を刺して内部の火の通り具合を
確かめている様子を見て
体の内部にしか存在しない破傷風菌は
もしかして空気が苦手なのかもしれないと考え
ついに酸素を絶った条件での
菌の培養に世界で始めて成功するのです
このように日常の何気ない場面から
新たな発見につなげていく姿は
「街プロ」の探究にも大いに参考になりますね
こうして培養に成功した
破傷風菌を用いた研究により
柴三郎は血清療法を確立します
血清療法とは次のようなものです
たとえば毒蛇にかまれたとき
毒蛇の毒に対抗する抗体という薬が
体内でつくられます
この抗体を含んだ血液の成分を
ほかの動物に注射すると
その動物は毒蛇にかまれても
死なないようになるのです
この血清療法はその後研究を重ねられ
現在のワクチンにつながっていて
多くの方の命を救っています
新型コロナが収まってきている今
氏がお札の顔に選ばれたのは
きっとこの功績を称えての
ものなのでしょうね
この世界的発見をした
世界の Kitasato のもとに
巨額のオファーが殺到します
しかし柴三郎はそのオファーを全て蹴って
日本へと帰ってくるのです
国費で研究させてもらったので
日本を伝染病から救いたいから
というのがその理由です
MLBから巨額の年俸を提示されながら
古巣広島東洋カープに帰ってきた
黒田博樹投手みたいにかっこいいです
日本に来た柴三郎にはしかし
活躍する土壌が与えられませんでした
そんな柴三郎を支援したのが
なんと旧一万円札の福沢諭吉です
諭吉は私財をはたいて研究所をたちあげ
その建設に反対する近隣住民の声を鎮めるため
隣に息子を住まわせ安全性をPRしたのです
新しいことを始めると
必ず反対の声ってあがるんですね
この逸話は
今後の私達の在り方生き方に関する
大きな励みとなります
今回のお札にまつわる話は
歴史大好き芸人 シロップじゅんぺいさんの
Podcast 番組「あんまり役にたたない日本史」
からのものです
役にたたないどころか
本当におもしろい歴史のエピソードが満載
本校の歴史の教員にも
「ぜひ聴くように」とお薦めしています
みなさんもぜひ
本当におもしろいですよ
エスカレーターは右派?左派?
197日目
3連休を利用して
これまでご支援くださった方を訪ね
日本各地を回っています
人は右
車は左
と小学生の頃に教えてもらいますが
エスカレーターでの立ち方について
東京と大阪で異なります
東京では左側に立ち
急いでいる人のために
右側を空けますが
大阪では反対です
この右側と左側の境目は
どこにあるのでしょうか?
自分の経験では
その境目は京都にある気がします
京都駅の構内では
左立ち右空け
つまり関東風
ところが一歩駅を出ると
右立ち左空け
つまり関西風なのです
関西風の京都のエスカレーター文化に
多くの関東からの観光客
あるいはインバウンドが訪れるようになり
駅構内にだけ関東文化が流れ込んできたのでは?
と仮説を立てています
そもそもなぜ関東と関西で
立ち方が違うのかということから
疑問なのですが
今日は右と左にまつわる話あれこれ
江戸時代に刀を左の腰に下げた侍が
すれ違いやすいようにと
自然発生的に左側通行が
生まれました
西洋でも事情は同じで
馬に乗った騎士は
すれ違うときに左側を通るように
そしてその名残で
現在では車が左側を通行するように
なっています
西洋騎士のその習慣は
現代の音楽にも影響を与えます
騎馬音楽隊は
左腰に太鼓をぶら下げるので
叩きやすいように
右手は手の甲が上を向くように
左手は手のひらが上を向くように
スティックを持ちます
今でもその持ち方をする
ドラマーがいらっしゃいます
騎馬の左側通行が定着してくると
戦の際に敵と直接すれ違う
自軍の右側に強い兵を
集めるようになります
そうした戦法が主流だった
ヨーロッパの戦場に
新しい戦法を持ち込んだのが
ナポレオンです
彼は左利きの戦士を多く育てて
自軍の左側に置き
相手の弱い方から斬りかかる
右側通行作戦に出ます
未だかつてない戦法に
敵は混乱し
ナポレオン軍に
次々と制圧されます
そこで今でも
フランスをはじめとした
かつてナポレオン軍に制圧された国々では
車が右側を通ります
さて話をエスカレーターに戻しますが
片方空ける習慣
海外でもあるのかな?日本独自の文化?
そしていつ頃から始まったのでしょう?
自分が教員になりたての頃
「都会ではこんな立ち方するんだよ」
と田舎もん丸出しで
ウンチク語っていた気がするので
かれこれ40年ほどになる習慣であろうと
推測されます
しかしこの習慣
見直す時期にきているような気がするのですが
いかがでしょう?
片側を人が追い越せるように開けたまま
誰も追い抜いていかないのに
乗り口で長蛇の一列になっている光景を
幾度となく目にしました
本末転倒です
急いでいる方には階段もあるので
片側空ける必要ないのでは?
と思います
エスカレーター工場の方も
片側だけすり減るので
2列で乗ってくださいと
推奨しています
習慣化したものを壊すのって
難しいですね
「街プロ」で
いろんなことに挑戦している2年生ですが
既存のシステムの壁にぶつかって
右往左往するグループも現れました
ここからですよ
みんなの街づくりは
諦めずに取り組んでいこう!
夏のはじまりに
196日目
3連休の中日
「いやがおうにも」夏本番
盛り上がって来ました
これって正しい日本語?
気になって調べてみました
諸説ありますが
諸説その1
漢字で書くと
「否が応でも」
これは「有無をいわせず」
という意味
諸説その2
「弥が上にも」
こちらは
「ただでさえ甚だしい状態なのにその上」
という意味
いずれにしても
これまで全く間違った使い方を
していたんだなと反省です
とにかく夏が来ると
頭の中にはいろんな音楽が流れ始めます
以下
私の好みの
夏に聴きたくなる音楽です
梅雨明けの頃はAir suppply
空に蜂の巣雲がみられます
上空の小さい範囲内で
上昇気流と下降気流が繰り返し起こるため
みられる初夏特有の雲です
虹色に輝く彩雲が見られるのも
この時期です
夏休みに入る直前は達郎
妻に話すと
「えー達郎は冬」
クリスマスイブが有名ですからね
でも自分は夏の始まりってイメージです
夏休みに何しようかな
想像にワクワクしながら
いよいよ夏休みに突入となるとサザン
海辺のザワザワした感じにピッタリ
心の中でずっと流れています
同じ音楽が
頭の中でグルグル流れ続ける現象を
「イヤーワーム現象」といいますが
夏の盛りは「イヤーサザン」です
かんかん照りのお日様の下
8月に入るとTUBEです
夕方になって少し涼しくなって
ヒグラシの声が聞こえてくると陽水
お盆が過ぎ
夏の終わりに近づくと杉山清貴
CDが無くLPの頃
3枚目のアルバムの
B面丸ごと1曲の組曲風に仕上げられた
NEVER ENDING SUMMER
は夏の終わりにピッタリです
以上勝手にランキングですが
みなさんの夏の思い出の曲は何ですか?
明日は海の日
輪島では海女さんの素潜り漁が再開
海の中も地震で風景が変わったそう
子供の頃毎日泳ぎに行っていた海も
カブトムシを獲りに行っていた山も
すっかり姿を変えてしまいましたが
季節は着実に夏を迎えます
新たなステージに向けて
195日目
野球部が最後の夏を終え
インターハイに出場する
陸上部の岩波さんを除いて
全ての運動部の3年生が
そして残された12年生が
それぞれ新たなステージへ
相変わらず活動場所を求めての
ジプシー生活ではあります
ジプシーとは
パリにやって来た
エジプト人(エジプシャン)から来た言葉で
定住地を持たない人という意味です
その点現在私自身ジプシーではありますが
調べてみると
日本では放送禁止用語となっているようで
以後使わないようにします
ジプシーと同じ人々を指す言葉に
ボヘミアンがあります
こちらは
ボヘミアの方から来た人
が語源です
ボヘミアンは
アブサンという度数が極めて高いお酒を
こよなく愛したといいます
幻覚作用があるということで
現在は製造禁止になっています
カクテルを作る際には
ペルノーというお酒で代用されます
ペルノーは
水を加えると白濁する不思議なお酒です
とまあこれらの知識は
昔アルコールをこよなく愛でていた頃に
仕込んだ知識ではありますが
震災後は口にすることも滅多になくなり
呑まなきゃ呑まないで
別にどうってことないもんだなと
新たな気づきです
ジプシー(ボヘミアン)は
迫害されながらも
ヨーロッパの中に溶け込んでいく過程で
フラメンコやベリーダンスのような
新しい文化を創りだします
輪島高校の部活道も
今はつらいかもしれないけれど
いろんな人との交わりの中で
新しい自分に出会えるに違いありません
男子バレー部は金沢西高校で
多くの高校が集まり
交流戦です
ソフトテニス部は金沢泉丘高校で
合同練習です
部員が2人しかいないので
一緒に練習してくださって
本当に助かります
バドミントン部は羽咋体育館で
羽咋高校さん 七尾東雲高校さんと
練習試合です
実は羽咋高校さんの体育館には
電気がまだ戻って来ていなくて
使えないのだそうです
お互い辛いけど頑張りましょうね
3年生の就職戦線もスタートです
産業展示館で開催された
企業ガイダンスに参加しました
野球の全校応援
194日目
今日は高校野球1回戦
全校生徒で応援です
朝6時
現在金沢は雨が落ちています
輪島は晴れているようですね
以前このブログでもお知らせした
石川県にありがちな梅雨の天気です
この後雨は上がりそう
試合の様子をリアルタイムで配信します
8時
雨は小降りになりましたが
グラウンド状況が整っていません
この後2時間予定を遅らせて試合開始です
応援バスの出発も2時間遅らせます
9時
選手が球場入りしました
気合いの入った顔をしています
球場には
「能登の高校球児応援プロジェクト」
にご寄付をくださった方々のお名前が
本当にありがとうございます
10時
応援の生徒が学校を出発しました
大会の運営は
各校顧問の先生方の献身的な支えにより
成り立っています
今朝も朝早くから整備をしてくださり
試合が開催できそうです
審判員の皆さんも
お仕事をお休みして
やりくりしてくださっています
12:50プレイボールです
全校生徒が応援に駆けつけました
試合の方は残念ながら敗れてしまいました
これまでご支援くださったみなさん
ありがとうございました
思い切り練習する場所を
確保してあげることのできなかった
責任を痛感しています