2024年1月の記事一覧
輪島の幼小中高を繋ぐプラットホームへ
31日目
本校に小学校と中学校の仮校舎を受け入れることが
正式に決まりました
対象の学校は
輪島中学校
ほとんどの生徒が家族を離れ
市外の施設に集団で移転して
授業を受けていますが
家庭の事情等で輪島に残っている
40名が対象です
小学校は
河井、鳳至、鴻巣、大屋、河原田、三井
の6校から180名
3階には、小さな子どもたちが集うカタリバさんが
トレーニング場や武道場には、避難をされている方が
体育館には、地域を守る自衛隊が
これまでどおりいらっしゃいます
まさに幼稚園からお年寄りまで
全ての方が集まる
生涯学習のプラットホームとしての
役割を担うことになります
体育館が使えないので
広めの部屋に卓球台を置いて
体育ができるようにしようかとか・・・
いろいろ考えています
小学校の移転の知らせを聞いた
長崎県立佐世保中央高等学校の
中島数美教頭先生からは
絵本全集を送っていただけることとなりました
小中高いっしょに体育をしたり
高校生による読み聞かせや
学習支援をしたり
この機会でないとできない
さまざまな教育をしかける
チャンスと考えています
あす
小中の校長先生方と打ち合わせをする予定です
いろんなアイデアを出し合って
新しい輪島を創る
未来の力を育てていきたいと思います
金沢方面へ二次避難をしている
1,2年生に対しては
石川県文教会館を学びの場として
活用できることとなりました
午前中は輪島高校から配信される
オンライン授業を受け
午後は金沢に詰めている
先生による授業を展開します
金沢大学の学生ボランティアによる
学習支援をしていただけるかもしれません
無料の家庭教師ですね!
輪島にいる生徒に対しても
授業のコマ数を増やして
より本格的な授業に近づけていきます
昼食も提供できることになりそうです
帰りにシャワーして帰ることもできます
なんだかわくわくしてきませんか?
先生方も智恵を出し合いながら
小中の先生とも協力しながら
よりよいものを目指して
頑張ります
飯田高校の校長先生から
いいものをいただきました
飯田高校もやっぱり被災して
校舎の中がひどい状態だったそうです
3階の廊下の本棚にあった赤本が崩れ
生じた亀裂からほとんど2階に落ちたんだそう
ところが1冊だけ引っかかって
落ちなかったんです
それがこちら
「落ちない赤本!」
受験生のみんな
縁起がいいから
待ち受けにするんだ!
僕は明日、昨日のきみと・・・
30日目
このコラムの冒頭の「〇日目」というカウント
これ実はある映画のオマージュです
その映画は
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
福士蒼汰さん演ずる美大生、高寿(たかとし)と
小松菜奈さん演ずる秘密を抱えた愛美(えみ)の恋物語
ストーリーが進み愛美の秘密が明らかになると
それまで時折見せていた彼女の涙の意味に気づき
何ともいえない切ない気持ちがこみ上げます
通常、映画の冒頭にあるタイトルバックが
開始1時間後
ちょうど折り返しのあたりにあるのも
とっても意味深
二度観がお薦めです
二度目は愛美に感情移入してみてください
時が遡り
涙腺崩壊必至です
単なる恋愛映画に終わらず
今まで出逢ってきた人たちと過ごしてきた
全ての瞬間が愛おしく感じる
そんな映画です
自分がこの映画を見たのは
一番下の娘が高校を卒業する直前のことでした
大学を出て就職して結婚して
もうこの家で暮らすことはおそらくない
やがて再び妻とふたりだけの生活に戻っていく
巣立って行く娘にこれまで何をしてあげられたのか
そして限られた時間の中で何をしてあげられるのか
残された時間が
なんだかとても大切なものに
感じられたことを思い出します
大切な人と過ごした時間は
いつまでも色褪せることなく
心の中で輝き続けます
卒業生のみなさんは高校生活の中で
いくつの輝きに出会えたのでしょうか
これまで
あなたがそこにいるだけで
ご家族の心の輝きであったことは
まちがいありません
そしてこれから先、
いくつの新しい出会いが待っているのでしょうか
自分自身が誰かの未来になれるよう
目の前の人との一瞬一瞬を大切にして
「今」を感じながら歩んでいってください。
こんなことを
昨年の卒業式で
生徒と保護者に
お伝えしました
今回の震災で
「大切な誰か」を
失ってしまった方も
いらっしゃいます
なんて声をかけていいのかも
わかりません
映画のカウントは
30日目で終わりますが
我々のカウントは
まだまだ続きます
「燃える男」の思い出
29日目
輪島市の「災害ゴミ」の回収が始まります
「災」と貼り紙をして
建物の前にまとめて置いとくのだそうです
「災」といえば
昔、野球部にいた元気な選手のことを思い出します
その選手は帽子のつばの裏に
「災」と大きな字で書いていました
どういう意味か尋ねると
「俺は燃える男なんで、『ほのお』っす!」
野球の練習もいいけど
漢字の勉強もせえと・・・
東京でホストやってるって聞いたけど
今頃どうしてるかな?
避難所では
この後輪島高校を小中学校としても
利用するため
避難民の方に避難所の移動をお願いしています
多い時で500人いた避難民の方が
今では103人に減りました
コロナ等感染者の方も2名となりました
生徒の転学も徐々に進んでいます
ある報道によると
今回の被災によって
現時点で輪島市民の36%が
金沢近辺に変わっていったと
試算されています
現在他校への転学が決まった生徒4名
他校からの返事待ちの生徒13名です
うち他校との条件が合わず
転学先の再考を迫られている生徒が
2名います
高校の転学は
やはりハードルが高いようです
今後の学校行事についても
検討をしなければなりません
直近のことについて言えば
卒業式です
体育館は現在自衛隊の駐屯地となっていて
使用することができません
仮に3月までに自衛隊が出られたとしても
体育館の床が傾いてしまっていて
危険でみなさんを入れるわけにはいきません
輪島市文化会館大ホールは
現在物資置き場となっていて
3月に使用できる保証がありません
そこで
金沢市の音楽堂で行うこととしました
すでに金沢の方へ変わってしまった卒業生が多く
かえってその方が集まりやすいと判断しました
音楽堂なら金沢駅の近くでアクセスもよく
思い出に残るものとなるのではないでしょうか
輪島からはバスを貸し切ります
卒業生は無料
ご家族の方は有料となります
日程は3月1日(金)
13:30開式の予定です
後ほどバス利用の希望をとりますので
ご計画に入れておいてください
避難所の男の連隊勤務、月月火水木金金
28日目
週に一度
二次避難している妻と両親のいる内灘へ
洗濯と風呂のため通っています
日中は車が混むため
夜明け前に出発して学校へ帰ります
朝早いと冷え込みが厳しく
フロントガラスが凍て付いています
お湯をかけてもすぐに凍ってしまうので
北陸ならではの生活の知恵です
ナイロン袋にお湯を入れて
フロントガラスを撫でるのです
そうすると再凍結させずに
しかもわずかなお湯で
氷を融かすことができます
地震の爪痕を眺めながら
慎重に車を走らせます
のと里山海道は
ところどころ崩落していて
残されたガードレールのワイヤーが
なんだか墓標のようです
崩れた山肌を見ると
人間が地球を守ろうだなんて
そもそもとんでもない思い上がりで
偉大な地球の上で
単に生かされているだけの存在なのだと
実感します
立ち昇る霧に吸い込まれそうな
神々しさを感じます
学校に着くと
今日は簿記の検定です
本校にはビジネスコースがあって
実社会に出て即戦力として
活躍できる人材の育成を目指して
さまざまな資格取得に取り組んでいます
今日は4名の生徒が受検しました
おや?きちんと制服を着ている生徒が
なんでもお母さんが
とりあえず制服を持って
逃げてくださったのだとか
お母さんの愛情を感じて
なんともいえないせつなさを感じます
大阪大学から支援の方がみえました
避難所の視察を終え
必要な支援を考えてくださいます
避難所にどんなボランティアが必要か?
この問いには即答はできません
状況は日に日に変化しますし
突然にマンパワーが必要になることが
しょっちゅうです
前もって
「こんなボランティアをする!」
万全の準備をして来てくださっても
案外、的外れであったりもします
何かあった時のために
そこにいてくださるだけの
ボランティアがあります
「待つのも仕事」です
今日はスーパーの移動販売が
来てくださいました
避難民の方が楽しみに
玄関まで来られたのですが
テレビカメラがいるのを見て
「やっぱりやめた」
と帰っていく方がほとんどでした
映さないでくれと
自分がしっかり断るべきでした
ごめんなさい
避難所には
こんなかわいいメッセージボードが
これならつらい避難所生活も
ちょっぴり楽しく過ごせそうですね
最後に防災の知恵です
タンスや棚の上部に
隙間にピッタリ
カラーボックスを置きます
固定しなくてもOKです
今回、グランドピアノが裏返るような
震度7でもびくともしなかったので
実証済み、おすすめです
選抜出場おめでとう
27日目
金沢のホテルで勉強している
3年生を訪ねました
落ち着いた環境で勉強しています
金沢西高校のお昼休みには
あったかいうどんも
提供していただけるのだとか
春の選抜に
輪島市に校舎を構える
日本航空高校石川が選ばれました
おめでとうございます
被災地にとって
大きな希望の光です
日本航空高校石川野球部が
創部されたのは2003年
同年初めて公式戦を戦った相手は
当時私が部長を務めていた
町野高校でした
その年町野高校は閉校が決まっていて
町野高校野球部の最後の年でした
輪島市に新しくできた学校の
最初の相手が
その年に輪島市から消えてなくなる学校
何か因縁めいたものを感じたものです
町野高校は
春の選抜に「21世紀枠」が導入された最初の年に
全国9校の最終候補まで選ばれ
多くの記者に囲まれる中
校長室で選抜報告の電話を
ひたすら待つも
結局かかってこなかったという
さみしい思い出があります
ですので今回出場決定の報告を受けた
日本航空高校石川さんの喜びを
自分のことのように嬉しく思います
甲子園ではみんなを元気づける
はつらつとしたプレイを
見せてくれると思います
石川県からはもう一校
星稜高校も選ばれました
選ばれた瞬間
歓声はあげず
黙祷を捧げてくださったそうです
王貞治選手の現役時代の逸話を
思い出しました
王選手は
ホームランを打っても
決してバンザイやガッツポーズは
なさらなかった
それは打たれた相手投手への
最大限の敬意なんだそうです
唯一バンザイをしたのが
ハンク・アーロン選手の世界記録を超えた
通算756号を放ったときだけ
野球という競技は
日本人にとって単なるスポーツではなく
他の人への礼儀を重んじる
「道」なんだなと思います
そういった意味でも
素晴らしい選手を多く輩出している
星稜高校野球部に
あらためて敬意を表したいと思います
星稜高校といえば
数々の名勝負を残していますが
そのうちのひとつに
2014年夏
決勝戦で9回に8点差をひっくり返して
甲子園出場を決めた
神がかったゲームがあります
大逆転の口火を切った最終回の先頭打者
主将の村中選手は現在
今回同じく被災をした輪島市の門前高校で
野球部を率いています
当時の星稜高校のモットーであった「必笑」で
この苦境の中
生徒に元気を与え続けていることと思います
輪島市からうちも加えて3校
夏の大会で大暴れします
西陵高校さんありがとう
26日目
3日ぶりに授業です
午前中に2時間
対面とオンラインのハイブリッドで
行いました
体育では山下友子先生がヨガを・・・
避難所生活が長引き
腕があがらなくなっていた生徒がいて
50代の先生から
「私とおんなじだね」
とからかわれながら・・・
でも授業の終わりには
ちゃんと上がるようになっていました
嬉しいお知らせもひとつ
名古屋の西陵高校の生徒さんから
励ましの贈り物をいただきました
2年5組の生徒さんが
集めてくださったもののようで
衣料やコスメ、小物などを
送ってくださいました
「マフラーあったかい」
「リップめっちゃ欲しかってん!」
みんな大喜びで持って帰りました
絵本もたくさんいただいて
こちらは学校内に設置されている
子ども向け施設「カタリバ」
の方に置かせていただきました
闇があるから光がある
そして闇から出てきた人こそ
ほんとうに光のありがたさがわかる
つらいことがあっても
私は負けなかった
いつかはこの状況から
抜け出せる日が来ると
信じていたから
一時的に悪そうに見えても
あわてることはない
すこしばかり悪いことが続いても
あきらめてはいけない
夜明け前が一番暗い
そうすこしすれば夜は明ける
もう
幸せの芽が
出はじめている
そんな心強いメッセージも
いただきました
西陵高校のみなさん
本当にありがとう
今日も一歩ずつ
25日目
大雪が予測されたため
昨日に引き続き生徒の登校は取りやめです
できることから一歩ずつ
歩みを止めずに前進しています
避難所のシャワーがいよいよ使えます
発災以来頭を洗っていない方がほとんどです
先日新聞に
受刑者にリンスの差し入れが認められるようになった
という記事が載っていましたが
我々はある意味
受刑者以下の生活を強いられているのだなと
複雑な気持ちに…
25日ぶりに綺麗になった方からは
「本当にありがたい」
小さな幸せを噛み締めていました
輪島高校では現在、
高校の再開を目指すと同時に
校舎を小中学校の仮校舎として
活用する準備も進めています
カタリバさんも含め
幼小中高連携した学びの場を
提供できそうです
小中学生が安全に通れるように
玄関の段差を修繕しました
現在、輪島市では郵便が止まっていて
学校宛の郵便物は届きません
が、郵便物は郵便局で止まっているだけで
取りに行けば受け取ることができる
ということを今日知りました
というわけで早速郵便局へ
すると、とっくに届いているはずだった
うれしいお便りをいくつか見つけました
まずは金沢大学附属高等学校の生徒会長さんより
何か援助をしたいけど…という申し入れ
うちの学校の生徒会長に伝えますね
本当にありがとうございます
続いては東京で教員をされている毛利泉先生より
地震避けステッカーの贈り物
寄席文字橘右之吉師匠の筆によるものです
実はすでにメールでもいただいていて
避難所に貼ってあります
どうもありがとうございます
発災当時から大きな力を発揮している携帯キャリア
被災者の大きな心の支えとなると同時に
DMATや自衛隊と連携して復旧活動に
大きな力を発揮しています
docomo、KDDI、ソフトバンクや楽天モバイル
多くの移動基地局を
集中させてくださっています
今回の能登半島は陸の孤島化しているので
船上基地局も投入されているようです
沿岸から輪島の電波を確保してくれています
本校の中庭にもDMAT専用のアンテナが
現在、金沢大学の一部をお借りして
能登地区の5校から
金沢地区へ二次避難している
高校生が学ぶことのできる
場所を作る準備を進めています
大学生の学習支援ボランティアも
多数参加してくれそうです
また、その際、
金沢大学までの交通費も
支援されることが決まりましrた
転学や他の高校で学ぶという選択肢も
お示しましたが
実際かなりハードルが高く
このシステムを利用するのが
最適であるとお勧めします
現時点で転学が決まった生徒は4名です
一日中何やってんだか?
24日目
昔から
ものをどこかにおき忘れることが得意で
1日の勤務時間のうち2割くらいは
あれどこやった?
これどこに置いた?
などとものを探す時間に充てていました
震災後その時間が肌感覚で4割くらいに
増えている気がします
一日中何やってんだか?
って感じです
普段からの
使ったものは元に戻す
という習慣が大切だなと実感
いろんな取材の方から
「あれはいつでしたか?」
と尋ねられることが多いのですが
確かブログに書いたな…
ってこのコラムを見直すことも
生徒に情報を…という気持ちで
始めたこのブログ
意外なところで役に立ってます
日記って大事だなってこれも実感
今朝は雪が積もりました
大雪が予測されていたので
生徒の登校はなしにしました
教務主任の橋場先生が早々と出勤
七尾からの遠距離通勤です
途中、輪島に入る直前で
10cmほどの積雪があったそうですが
それ以外は除雪されていて
車は比較的順調に流れています
ただしアイスバーンにはお気をつけください
道路情報をお伝えしました
今日は輪島市の教育長さんが
避難民のみなさんへご挨拶に見えました
この後、2月から3月にかけて
輪島高校の教室を市内の小中学校として
活用する計画です
現在市内の小中学校は
避難所になっており
校舎として使用できません
また、中学生は白山ろく少年自然の家に
集団で移動してそこで学校を開いていますが
そこに参加できず
輪島に残っている中学生もいます
その子たちのために
輪島高校を小中学校の仮校舎として活用します
現在輪島高校に避難している方は
最初市役所に避難していたけど
役場としての機能を再開するため
ここに移動をお願いした方々で
再三の移動のお願いになるわけですが
子供達の学ぶ場所の確保のために
ご理解ご協力をお願いします
俄然、盛り上がってきました
23日目
何でもかんでも気の持ちようで
昔から
寒い時には「涼しい!」
暑い時には「あったかい!」
忙しくなってきたら
「盛り上がってきた!」
と言うようにしています
ここ数日、俄然盛り上がってきました
文科省から保護者あてに
「転学に関するリーフレット」が
公開されました
(本校ではメール配信しました)
「転学」
「籍を置いたまま他校で学習」
このことについて柔軟に対応するよう
文科省から全国の学校に
伝えていただきました
ただ、このことについて
小中学校に比べ高校間の転学には
高いハードルがあることを忘れてはいけません
「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」
と言われますが
今回に限って言えば
くぐると「未履修問題」という罠が待っています
せっかく転校してきたのに…
科目の組み合わせにより
どうがんばっても
卒業に必要な単位が揃わない
という可能性があるということです
つまり
好きな学校に
行けるわけではないということ
また「籍を置いたまま他校で学習」するパターンは
いつでも自分の都合のいい日に
輪島高校に戻ることができるわけではない
ということもぜひ頭の片隅に…
今は午後10時
ついさっきまで事務員の浦美穂さんが
残ってお仕事をされていました
責任感の強い彼女もやっぱり被災者です
住む場所を無くした彼女は
ずっと車中泊をしています
中学生のお子さんは集団で
白山ろく少年自然の家へ
小学生のお子さんは
単身小松市内の小学校へ
心細くて「行きたくない」って
泣いているのだとか
なんか心が張り裂けそうになります
でもきっとだいじょうぶ
お母さん見守ってるよ
強く大きく成長できるできると思います
金沢方面へ二次避難している生徒が学ぶ場所として
金沢大学をお借りすることができそうです
準備ができ次第ご案内します
生徒のみなさんへ大切なお知らせ
22日目
大学入試共通テストを終えた3年生は
個別記述(二次試験)に向けて
金沢市内の高校の一室をお借りして
学習に励んでいます
受け入れてくださった
高校の関係者の皆さん
ほんとうにありがとうございます
また、土日には
金沢市内のホテルの一室を借りて
同様に学習部屋としています
県教育委員会の
全面的なバックアップを受けています
ありがとうございます
学校では少しずつ授業を組んでいます
23日(火)の予定は
1年生…1限 化学基礎、2限 数学
2年生…1限 生物&物理、2限 化学
です
積雪が見込まれるので
始業を遅らせて2時間だけの対応です
気をつけて登校してください
オンラインでの配信も
徐々に増やしていきますので
Chromebookをまだ取りに来ていない人は
学校までとりに来てください
金沢方面に二次避難をしている12年生
学習する場所の確保ができそうです
しばらくお待ちください
羽咋方面に二次避難している人は
羽咋高校の授業に入って
勉強することも可能です
希望する方はご相談ください
一人ひとりが
事情に応じて学ぶことのできる環境を
何とか整えて行きたいと考えます
要望やアイデアがあれば
ぜひおっしゃってください
100%希望に添うことはできませんが
①他の高校へ転学する
②輪島高校に籍を置いたまま他高校で学ぶ
などのシチュエーションが考えられます
準優勝盾が語るもの
21日目
避難所開設の頃の話です
準備に来ていた市の職員のひとりが
玄関を入ったところにあった
中のトロフィーたちが無惨に崩れ落ちた
表彰ケースをじっと見つめていました
ポツリとひとこと「俺たちの盾が…」
彼の名は浅井朱文(旧姓)
古くからの高校野球ファンなら
輪島高校の投手として
聞いたことのある名前かも
棚の中には輪島高校の
輝かしい部活動の歴史が
飾ってありました
その中でひときわ輝く
ふたつの準入賞盾
それは本校の100年の歴史の中で
かつて二度
甲子園へあと一歩と迫った証です
盾に描かれている図柄は
スクイズをウエストするシーン
打者と捕手が必死にボールに
飛びついているシーンです
あれ?
何か違和感持ちませんか?
スクイズ外す時って
捕手は投球と同時に
立ち上がりますよね
なのに打者と一緒に
飛びつくなんて…
これはサインプレーではなくて
三塁走者がスタートを切ったのを見て
投手が咄嗟の判断でウエストした
高度なプレイを描いたものでしょう
江夏の「奇跡の21球」を彷彿とさせます
よほどバッテリー間に信頼がないと
できないプレーです
よく見ると
背景には
でっかいキャッチャーミットが
描かれています
「どんな球でも俺が止めてやる!」
心の叫びが聞こえるようです
浅井投手は
この盾を手にした当時の
中心選手です
その時決勝戦で戦ったのは
箕島高校と延長18回の死闘を繰り広げた
あの星稜高校でした
「全国制覇した箕島が日本一
それに惜しくも敗れた星稜が2番目
俺たちは日本で3番目に強いチームだ」
と何とも都合のいい理屈を展開していました
この根拠のない自信こそ
輪島の人間の強さです!
きっと立ち上がります!
少し落ち着いてきたので
来週棚の中を整理しようと
思います
浅井選手らの思いを繋ぐ
現在のチームも
「できることから練習を開始します!」
先週、冨水諒一監督から
報告を受けました
男子バレーボール部も
できることから活動開始です
体育館は自衛隊の基地となっていて
いや、そもそも床が斜めに傾き
使用することができないので
20日(土)は翠星高校さんで
合同練習をさせていただきました
わざわざ輪島高校の控え室まで
準備してくださり感謝感謝です
感無量だと語る生徒も…
翠星高校の先生方や生徒の
温かさに触れた1日でした
21日(日)は星稜高校さんと
星稜高校の先生は
「今は大変だと思いますが
一人ひとりが自分のできることを考え
一生懸命にやっていきましょう」
とおっしゃってくださいました
また、今日は
金沢方面へ二時避難している生徒たちに
ひとり一台パソコンを配りました
この後オンライン授業の際に使用します
現場からお伝えします
20日目 土曜日
本来ならば学校は休みなので
朝から少し余裕があります
避難所をうろちょろしてみました
朝早くから
トイレ掃除をしてくださっている方が…
お名前をお聞きしたのですが
「みんなやってることなので…」と
ほんとうにあリがとうございます
輪島高校避難所には
ペット同伴の方の部屋を
1室設けています
ペットも大切な家族
気兼ねすることなく
過ごしてもらっています
生徒たちが学校に置いて行って
被災した辞書やひざ掛けなど
まとめて置いてあります
いつでも取りに来てね
持ち主が迎えに来てくれるのを
待っています
こんなにグチャグチャだった図書室も
このとおり
先生方が1週間かけて
もとどおおりにしてくださいました
トレーニング場には
プライバシー保護のための
間仕切りが入りました
まだ入っていない避難場もありますが
市は各避難場の事情に合わせて
順番に進めています
これをご覧になって
「なぜ輪島高校だけ!」
と苦情を言うのはおやめください
例えば他の避難場にあって
輪島高校にないものもあります
それぞれの避難民が
思いやりの心を持って
過ごしていただければと思います
「俺は被災者だぞ!」
と市の職員に食ってかかる人を見ました
市の職員だって被災者です
ゴミの分別も進んでいます
避難民の方々が
みんなで助け合いながら
ルールも自分たちで決めて
綺麗な環境を保っています
大切な連絡は
ホワイトボードで取り合っています
開所当時は2ヶ所しかなく
除染作業に追われていた
仮設トイレも今ではこんなに
子どもたちが集える
ティーンズラボさんも
素敵なスペースになりました
今日は年に3回の特別な日
1月19日
19 × 19 = 361 ≒ 366
つまり1/19(1月19日)今日をもって
1年の1/19(19分の1)が過ぎたことになります
1年のうちこんな日は他にも2つあるそうです
これまでの日々をあと18回繰り返すと
新しい年を迎えるんですね
なんだか短いような長いような
その日その日の暮らしも
それはそれでいいもんです
人の温かい気持ちに触れることが
多くなりました
今日は生徒が登校して2日目
3時間授業を行いました
1時間目は
2年生は松本昭子先生の国語
松本先生は文部科学省から認められた優秀教員で
新しい時代への教育について日頃深く研究されており
本校の探究学習の中心的役割を担っています
今日は語彙力アップのための教材を準備してくれました
1年生は校長自身の化学
大学入学共通テストの問題に挑戦です
宇宙ステーション内の
酸素供給システムに関する問題で
今回避難所に設置された
循環式手洗い機と絡めて説明しました
2時間目は
12年生合同で矢田勇先生の防災教育
矢田先生は
本校のお笑い担当の先生で
学校から帰る時には
「お疲れさま」というと
ホントに疲れた気がしてイヤだということで
「お元気さまー!」と言って帰っていきます
今回いろんな方に助けられたけど
今度助ける側にまわったら
どんなことが喜ばれるか考えよう
というテーマでした
NHKから取材のカメラが入っていましたが
「紅白歌合戦」をイジったりして
取材クルーも苦笑いでした
3時間目は
やはり12年生合同で
奥野拓海先生による「やる気アップ法」
こんなときだからこそ
未来を見据えて歩いていこうというテーマです
生徒からは「なんだかワクワクしてきた!」
奥野先生からは
「学校に出て来れていないみんなも前を向いて行こう!」
との力強いメッセージが
来週からは徐々に時間割も組んで行きますね
オンライン授業も計画していきます
学校にChromebookを置いている人は
取りに来てください
携帯画面ではやりにくいですよ
金沢地区に避難している人には
今度の日曜日に届けます
詳しくはClassroomでお知らせしたので見てね
久しぶり!どうしてた?
18日目
生徒の登校を再開しました
最後に会ったのは12月28日かな
みんなで豚汁食べたよね
ティーンズラボで
クリスマスパーティーもしたっけ
いろんな話が飛び交います
今日登校できたのは26名
およそ1割の生徒たちです
ほとんどの生徒が
すでに市外へ二次避難をしています
久しぶりの再会に
「おまえ老けたなあ」
前回ドラム缶風呂でお世話になった
「にちにち好日」さんが
再会のお祝いのお菓子を
差し入れしてくださいました
避難所にもひとつうれしいお知らせが
岩手県の北良株式会社さんが
循環式のシャワーを設置してくださいました
避難所の衛生環境が気になります
とっても助かります
場所は生徒玄関
昨日先生方が倒れたロッカーを
一気に片付けてくださいました
なんだか教員同士の絆が
一層強くなったような気が
いろんなタイプの先生がいます
0を1にするのが得意な人
1を99にするのが得意な人
99を100にするのが得意な人
100を0にするのが好きな人
鳴かぬななら…
鳴くまで待とうホトトギス
鳴かんでいいよホトトギス
鳴くのと変えようホトトギス
自分で鳴くわホーホケキョ
石橋を叩いて渡る人
石橋を叩いても渡らない人
石橋を叩き過ぎて壊す人
石橋をわざと壊して造る人
そもそも石橋に気づかず泳ぎ出す人
いろんな先生がいて
いろんな意見を出し合いながら
一歩一歩前へ進んでいます
被災した実家で勉強し続けている
ひとりの受験生が
教材をとりに学校へ来ました
受験校も絞れたのか
赤本も持っていきました
まだ電気が復旧していないんだそうです
まさに蛍の光窓の雪
蛍捕まえるだけで大変やろ
そんな暇あったら勉強せえ
といろいろつっこむ人もいますが
実は「蛍雪」の言葉の生まれた
中国のある地方の蛍は
日本の蛍の200倍の明るさがあって
10匹ほどで充分勉強できる明るさが得られるとか
空飛ぶ仙人がいるという地方の話なので
どこまで本当なんだか
ふたつの大切
17日目
避難生活が始まって以来
ずっと心がけていることがふたつあって
ひとつめは挨拶
震災前はずっと毎朝校門で
生徒に挨拶するのが日課でした
素敵な笑顔で返してくれる子
ブスっとニコリともしない子
親とケンカでもしたのかな?
と思いを馳せたり
避難所は最初の頃
みなさんギスギスした雰囲気で
疲れ切っているのもあるのでしょうが…
これではいけないと思い
挨拶をしまくることにしました
じいじ、ばあば、自衛隊、犬
とにかく、おはようございます
今では
声をかけていただくことの方が
多くなりました
そしてふたつめは
「はきものをそろえる」
曹洞宗永平寺の道玄禅師の教えです
はきものをそろえると、心もそろう
心がそろうと、はきものがそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世の中の人の心もそろうでしょう
今では避難民の方一人ひとりの
心もそろって
こんな感じです
今日の感染状況
コロナ6
インフル4
胃腸炎2
もうすぐ学校に来れるよ!
16日目の朝です
金沢方面へ避難している生徒のため
金沢地区の高校が施設の一部の使用を認め
生徒の学習に活用させてくださっています
本来の生徒さんのご指導がおありなのに
本当にありがとうございます
生徒のみなさんにもご迷惑をおかけします
ごめんなさい
本校教員も何人かそちらの方に勤務しています
今日は、その先生から便りが届きました
平野校長先生へ
生徒らが割り当ての教室に入った折
自分の学校の教員の顔を見て安堵する表情に
涙が出そうになりました
こちらでは他校の先生方も
指導に加わると言ってくれています
スクールカウンセラーの浅井好先生に
ひとりひとりお話を聞いていただきました
【生徒A】
地震が怖かった 今でも怖くて家に入れない
玄関から先へは一歩も動けない
将来は患者の心に寄り添える看護師になりたい
【生徒B】
トンネルの中で揺れ始めた
何とか車で脱出できたが
大きな岩がゴロゴロ落ちてきて怖かった
でも負けない 国語の教師になりたい
【生徒C】
「なんで自分たちだけ?」最初はそう思った
でも今は違う!立ち直った!
高校の教師になりたい
【生徒D】
自分は大丈夫!でも町が心配
もとどおりになるのかな?
【生徒E】
母が「まあいいか」の気持ちを
繰り返し教えてくれた
【生徒F】
せっかく生きているんだから
人の役に立ちたい
大学卒業したら世界中を廻る!
【生徒G】
うちはなくなった
でもその分薬剤師への思いが強くなった
奨学金借りてでも絶対やる!自分で返す!
前向きで力強い言葉が続きます
でも
震災直後はどの子も「いい子」になるのだそうです
でもそれは決して
本当の気持ちではないのかもしれない
地震や火事そのものへの恐怖
家族が離ればなれになることへの不安
大切なものを失ったさみしさ
そのサインを見落とさず
しっかりと寄り添う必要があります
そしてこの前向きな言葉たちが
本当の強さになりますように
今,1月18日(木)から登校できるように
準備を進めています
こんなにぼろぼろだった部屋も
ほらこのとおり
先生方、頑張ったよ
学校の再開ではありませんので
無理に登校する必要はありません
欠席にはなりません
日 時:1月18日(木)9:00~12:00
9時~10時の間に来て下さい
場 所:3年生の棟
避難者と動線を分けています
入 口:ゴミステーション側のドア
内履き※に履き替えます
(※石川県では上履きのことを内履きといいます)
スリッパを用意しますが
内履きを持ってきてもかまいません
服 装:制服でなくてもかまいません
持ち物:初日は筆記用具があれば大丈夫
設 備:エアコン・ストーブがあります
水洗トイレが使用可能です
内 容:初日は友達と話ししたり
授業の準備をしましょう
本日の感染状況
コロナ4
インフル5
腸炎2
今日は炊き出しのパキスタン人に
ウルドゥー語の「おはよう」を習いました
アッサラーモ アレークン
輪島高校と「まれ」
15日目を迎えます
3年生受験組はホテルで自己採点
さて、今日も多くの方々の支援をいただいています
認定NPO法人カタリバさんと
NPO法人じっくらあとさんが
音楽室に「みんなの子ども部屋」を
設置してくださいました
ゲームやピアノ、勉強部屋もあり
自由に過ごせる子どもの居場所です
以前、炊き出しをしてくださった
にちにち好日さんが
今日は入浴支援に来てくださいました
ドラム缶を用いた薪の風呂です
避難されている方は発災以来
お風呂に入っていません
涙を流して喜んでくださる方も
大阪大学のProject INPACT さんは
女性トイレにサニタリーセットを
設置してくださいました
5年前に「5年後の自分に宛てた手紙」
プロジェクトでお世話になった
吉川教授とゆかりのあるみなさんです
実はうちの娘も
そのプロジェクトに参加しており
先日届いた
「5年前の自分からの手紙に」
こんなこと考えてたんだーと
感慨深げでした
昨日紹介したオーストラリア帰りの中村くんが
お前も来いと友人に声をかけて
ボランティアの輪を広げています
来てくれたのは元々同級生の田中琉惟くん
昨年度、本校で企画した海外研修で
フランスへ渡り片言のフランス語を学んだ
自称パリジャンです
なんとも国際的なコンビですが
やっていることはコテコテの日本人です
それから今日はNHKのニュースに
出させていただきました
ディレクターは
輪島高校もその舞台となっていた
土屋太鳳さんの朝ドラ「まれ」の
製作にも携わっていた方でした
今回焼け野原となった朝市通りの中に
かつて「まれ」記念館はありました
今回訪ねてみると
モニュメントだけ焼けずに残っていました
誰かがお供えしたお菓子が
コロナ禍による学校閉鎖が終わり
登校が再開した時の生徒の笑顔が
忘れられません
なんやかんや言っても
やっぱり学校が大好きなんです
だからとにかく学校に来てもらいたい
もうすぐ登校を開始します
何人集まるかわからないし
教科書のない生徒もたくさん
でもその中で何ができるか
先生方は精一杯頑張ります
「丁寧に」
「みんな揃って」
「絶対間違いなく」
がこれまでの教育だとしたら
「ポイントを絞り」
「できることから」
「とにかく走り出す」
がこれからの教育だと思うのです
ニュースではそんなこと話しました
本日の感染状況
コロナ6
インフル4
腸炎1
戦線復帰!
14日目の朝です
一昨日
大学入学共通テスト応援のため
自分も金沢に出向きました
ところが到着した途端に発熱
ここ40年ほど
二日酔い以外の病気をしたことのないくらい
健康には自信があったのですが…
疲れと、風呂に入れたという安堵でしょうか?
明くる朝、検査の結果
コロナとインフルともに陰性
確認してから試験場で激励
今朝早くに学校へ向かいました
水道をひねれば水が出る
風呂も入れて洗濯もできる
緊急車両以外の車でも
ガソリンを入れてもらえる
そんなひとときの夢のような生活を離れ
学校に戻ります
渋滞を避けようと朝4時に出たのですが
七尾〜穴水間は長蛇の列です
車窓には富山湾越しに立山連峰
年に数回だけ限られた時間にしか見られない
神々しい姿に力づけられます
途中の山々には凄まじい傷跡
崩れ落ちた山肌に
うっすら雪化粧です
学校に着くなり
文科省からの建物の安全検査に同席です
一部の建物の安全が確認されました
これから授業再開に向けての
スケジュール調整に入ります
生徒のみなさん
保護者のみなさん
今しばらくお待ちください
生徒の安否は
全員確認されたことになっていましたが
実はもうひとり
確認されていない生徒がいました
彼の名は中村輝人くん
ワーキングホリデーを活用して
オーストラリアに渡っていた生徒です
オーストラリアに行ったっきり
連絡方法がわからなかったのと
まさかオーストラリアまで
地震の影響はないだろうということで
安否確認はしなかったのですが
輪島高校の避難所で支援活動している姿を
ひょっこり見かけました
彼は学ぶことが大好きだったのですが
世の中の動きのスピードに対して
緩やかすぎる日本の教育に疑問を感じ
日本の教育を変えると意気込んで
単身オーストラリアに渡ったのでした
オーストラリアに渡ってからは
いろんな仕事を経験したそうです
周りに韓国の友達がたくさんできたことで
英語よりも韓国語がペラペラになっていました
今回、故郷の震災のことを知り
とりあえず飛行機を乗り継ぎ
自分にもできることがあると
帰って来たそうです
彼も被災地に着いた途端に
疲れと安堵で行き倒れ
救急車で緊急搬送されたそうです
病院で元気を取り戻した後は
とっとと歩いて帰ってくださいと…
なんとも人騒がせな帰国劇でしたが
バイタリティーあふれる行動力
頼もしい限りです
街には学びの種がいっぱい
13日目の朝
いよいよ共通テスト本番です
本来12年生も学校で
模擬試験を受ける予定でしたが
それは叶いません
共通テスト会場で憩いのひととき
2名軽い体調不良を訴えている他は
いたって元気です
支援の文房具も続々
鉛筆、消しゴム、鉛筆削りはもちろん
時計やコンタクト洗浄液まで
昔、能登で勤務されていた
先生方が届けてくださいました
どんな時でも学びを止めるな
このブログの大きなテーマのひとつです
こんな時だからこそ見える
学びの種がたくさんあります
自分も含め被害に遭った者から見ると
この非常事態に何を不謹慎な
と目に映るかもしれません
でも、次に同じようなことが起こった時のために
研究を残すということは重要です
まずは津波
今回の地震で5mの津波が観測されました
ところが到達した津波は1m
予想の外れ?
いえいえ
この差の4mの秘密は地面の隆起にあるのでは?
もしこの隆起がなければ
あるいは津波によって
さらに被害が広がっていたのかも
あくまで自分の仮説です
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2401/12/news121.html
次なる疑問?
街を歩くと道路に
マンホールが 飛び出ているのです
地面が隆起したにしても
なぜマンホールだけ?
地震になっても
飛び出ないマンホールが開発できれば
道路の復興が容易に進み
支援物資も迅速に運べるのに…
調べてみるとすでに先行研究がありました
https://www.gucenter.co.jp/_userdata/guvol5.pdf
疑問の目で
あらゆるものを
見つめてみることが
学びの種です
こんな時だからこそ
視点を広く
明日に備えて
いよいよ明日に迫った共通テスト
現地集合の生徒を除いた12名
朝早くから登校し
みんなで寄り添って直前の勉強会
その後出発式をしました
震災で文房具をなくした生徒らに
瓦礫の下から集めた
なけなしの文房具をプレゼント
歌いたがり校長は
今日も下手な歌で元気づけです
「負けないこと
投げ出さないこと
逃げ出さないこと
信じ抜くこと」
共通テスト前には
毎年決まって同じ話をしています
ソフトボールのナショナルチームの
メンタルトレーニングの話です
北京オリンピックに向かう前々日
宇津木妙子監督が
選手に伝えます
「明日は練習をオフにする
これまでお世話になった人に
挨拶に行きなさい
それが出発前の
最後のメンタルトレーニング」
エースの上野由岐子投手は
絶体絶命のピンチになったとき
このメントレのことを思い出し
自分はひとりじゃない
不思議な力が湧いてきたといいます
そして見事に金メダルを獲得するのです
このことは感謝の心の大切さを伝えています
あなたがお世話になった人は誰ですか?
家族?先生?あるいは?
ちなみに上野投手は
中学校の時にお世話になった
ソフトボールの顧問の先生の
お墓参りに行ったそうです
この話は昔「深イイ話」で聞いたもので
その後何度も話しているうちに勝手に脚色して
実話とは異なるものになっているかもしれません
みんなで試験会場の下見をしました
輪島高校の会場は金沢学院大学
ずっと前から利用させていただいています
快適な控室、わかりやすい会場図や時間割の掲示
丁寧な対応、本当にありがとうございます
夕食はホテルでご馳走です
避難食から急に豪勢な食事
お腹がびっくりしないといいけど
避難している家族に食べさせたいとの声も
今日はもうひとつイイ話
引率の矢知先生の車のバッテリーが
ホテルに着いた途端ダメになってしまいました
JAFに見てもらったら液がなくなっていて
ここまで走ってきたこと自体奇跡だそう
途中何度か停車したのに
その度にちゃんとかかっていたのです
生徒を送り届けるまではと
なんと責任感のあるバッテリー
責任感ある機械といえばこちらも
倒壊したビルの下敷きになっても
住民の安全を
見守り続けています
今日の感染症
コロナ19名
インフル2名
腸炎4名
いよいよ明日出発!
1月13日(土)から
いよいよ大学入試共通テストが始まります
毎年輪島高校では
大型バスで全員一緒に向かうことになっています
会場のある金沢市まで100km以上
車で2時間以上かかるからです
明日の朝出発しホテルに3泊します
ところが明日の朝学校まで来れない生徒が…
道路が分断されて車が通れない生徒です
今日、教員がその生徒を
迂回路を通って学校まで連れてきました
彼は今晩は学校に泊まります
教員も何人か泊まりこんで
寄り添ってくれてます
みんなで食事の一コマです
今日も自衛隊の炊き出しがありました
なんだか少しずつ贅沢になってきます
本当にありがたいです
「Humanity First」の方々も
初日からずっと車中泊で
炊き出しをしてくださっています
この方々はイスラム教信者による支援団体です
阪神淡路大震災や東日本大震災の際も
ずっと炊き出しをされていたそうで
「この顔だからどこでも最初は
日本人は怖がって寄って来ないんですよ」
と初日に笑って話してくださいました
自分もやはりイスラム過激派を想像し
ヒゲを見るだけで身構えてしまうのですが
とんでもない偏見であったと
自分を恥じています
日本人以上に日本を愛してくれて
被災者一人ひとりに優しく声をかけ
自分を犠牲にすることを厭わず
尽くしてくださっています
先生方も一生懸命です
使える部屋に突貫工事で作り上げた
臨時職員室で
生徒への連絡に大わらわ
自分たちも被災しているのに
頼もしい先生方です
陸路が使えないため
輪島市では
金沢まで二次避難をする
船を出す予定でしたが
荒天のため延期となったそうです
花開け!復活の胡蝶蘭!
11日目の朝です
震災後、初めて夜中に目が覚めずに
朝を迎えました
みなさんまだおやすみです
時間ができたので
横倒しになったままだった
胡蝶蘭の植え替えをしました
本校は昨年10月に
創立100周年式典を催し
その際にいただいたものです
傷だらけの葉っぱに砂埃が…
丁寧に拭いてあげると
確かな息吹が感じられます
こんな状況の中でも
しっかりと根を張ろうとしています
マラソンランナーの高橋尚子さんは
「花が咲かない冬の日は
下へ下へと根を伸ばせ」
とおっしゃっています
よく見ると小さな芽吹きが見られます
「新しい芽吹きは幹からではなく
必ず枝の先端から始まるんだよ
だから世界から見ると辺境の地日本
そのさいはての能登半島に住む君たちは
世界の新しい芽吹きになるんだよ
半島の最先端から
目指せ世界の最先端」
コロナ禍の時に
生徒に語りかけた言葉を思い出しました
この胡蝶蘭再び花を咲かせる日が来るのか
101年目の復活のシンボルとして
大切に育てようと思います
今日の感染状況
コロナ20
インフル1
腸炎3
今日もいろんな人にありがとう
10日目が終わろうとしています
さっきから不気味な余震が続いています
今日も、受験生が学校にやって来て
大坪教頭先生の英語リスニング対策講座を
受けました
少しでも力をつけるよう
教員全員でバックアップしていきます
本校だけではなく
石川県の多くの教員のみなさんが
学校の垣根を越えて応援してくださっています
噂では金沢地区の若い先生方が
能登の受験生のために文房具やおやつを
準備してくださっているのだとか
中心となっているのは
金沢泉丘高校の山越康裕先生と塩田高基先生
おふたりとも飯田高校が初任校で
この現状に心を痛めているのだそうです
お昼には自衛隊の方による
温かいご飯と味噌汁の配給です
震災後初めての温かい白米です
これから被災後の報告書やらなんやらで
きっと必要になるんだろうなと
写真の整理を始めました
10日間でかなりの数になりました
すると
被災前にSNSで見つけて思わずスクショした
心に残る言葉があったので紹介します
「流されて辿り着いた先で
めちゃくちゃ頑張ればいいのよ
それが
自分の居場所じゃないかもしれない
と思ったとしても
与えられたことを必死にやるのよ
そうすると知らない扉が開くの
そこに新しい出会いがあって
どんどん違うステージに行く
その繰り返しよ」
自分が尊敬する
マツコ・デラックスさんの言葉です
なんだか今を暗示しているようです
今、いろんなところへ流されて
知らない場所に辿り着いた生徒がおおぜいいます
他地区に移り住んで転校を希望する生徒もいます
反面、道路が寸断されて未だ身動きさえできない生徒もいます
高校受験先を再考し始めた中三生も
それぞれの生徒がそれぞれの場所で
自分の学びたいことを
思う存分学べるようなシステム作りが
今与えられた使命です
受験生の学びはもちろん
1、2年生の今後の学びの保障についても
現在、教育委員会と連携をとりながら
急ピッチで進めています
明日の朝は氷点下になるそうです
どうか暖かくしておやすみください
励ましメール
生徒のみなさん
多くの方がみんなのことを見守ってくださって
応援してくださっています
愛知県でフリーランス・ライターをしていらっしゃる
福永文子さんからメッセージが届きましたので
シェアしますね
3年生の皆さんは週末からの共通テスト、そして大学受験と、未来を決める大事な時期だと思います。
皆さんは目の前やご家族、家の大変さでなかなか受験に集中できるような心境ではないかもしれません。
でも、だからこそ、皆さんの未来に視線をぐっと、広げてください。
受験に真摯に臨むことで、必ず皆さんの未来が切り開かれます。
あの地震を生き残った皆さんならば、やりたいこと、できることを必ず実現できます。
もちろん、もう進路が決まっている皆さんも同じです。
ご自分の命と周りの人たちの命を大切にして、進むべき道をしっかりとかき分けて歩んでください。
奇跡の医療チームDMAT
10日目の朝です
本校には市内の全ての避難所から
体調不良の方を一カ所にまとめ
集中的にケアする棟を設けています
DMATを中心とした
専門医、看護師、保健師など
専門スタッフが協力しあって運営しています
罹患していないの被災者の方や
ボランティアの方々とは
一切接触しない完璧な動線を確保しています
現在の収容者数は
コロナ16名
インフルエンザ1名
胃腸炎(ノロではない)3名
この劣悪な環境の中
これだけの人数で収まっているのは
奇跡といっていいと思います
昨晩も2名の看護師さんが
泊まり込みで看護にあたってくださっています
一睡もできていないみたいで
疲れもピークにきているようですが
「みなさん大変だから・・・」と
笑顔で対応してくださっています
昔の戦友より
このブログ
多くの方が読んでくださっているみたいで
たくさんの激励のお言葉をいただいています
本当に大きな力となります
やすらぎ小松にお勤めの桐生裕三先生が
石川県出身の哲学者である
西田幾多郎先生の言葉を送ってくださいました
「非常時なればなるほど
我々は一面において落ち着いて
深く遠く考えねばならぬと思う」
桐生先生とは昔、甲子園を賭けて戦った仲です
当時、後にドラフト1位でプロに入団する投手を擁するうちのチームを
1回戦で0-1で破った監督です
勝負師、桐生監督らしいお言葉です
生きていてよかった!
今日は本来なら始業式の日
本当は来れる生徒がひとりでもふたりでも
始業式を決行するつもりではいたのですが
校舎の安全が保証できない限り
やはり生徒を集めるのはためらわれます
でも、ひとりで頑張っている受験生に
友達の顔を見て安心してもらいたくて
ひとりじゃないって思ってもらいたくて
顔を合わせる場面を設定しました
本校から今年共通テストを受けるのは38名
このうち、
住むところを失い親戚を頼って輪島を離れた生徒や
今だに道路が分断されていて出てこれない生徒がいたりして
今日集まったのは13名でした
2週間ぶりに逢う生徒を前にして
あれも言おうこれも言おうと
たくさん準備していたのですが
顔を見た瞬間、結局出た言葉は
「よう生きとったな!」
それだけ…
でも生徒の目は輝いていました
きっと大丈夫
確信しました
みんなで「愛は勝つ」を歌いました
昨年暮れ、惜しくも亡くなった
KANさんが遺したこの曲は
東日本大震災の際に
チャリティソングとして
多くの人の心を打ちました
そしてなんと、本校進路指導主事の
矢知先生が受験生の時の曲なのです
これを歌おうと思いたったのは昨夜
今朝早く、件の「奇跡の一軒家」に忍び込んで
タンスの下敷きになっていた
思い出のギターを引っ張り出して来ました
それから共通テストについての話をしました
聞いてみると
文房具もない生徒がほとんどだったので
職員室や進路指導室の瓦礫の下から
ありったけの鉛筆や消しゴムを拾い集めました
輪島高校は
共通テストの会場がある金沢市まで
車で2時間
毎年バスをチャーターし
ホテルもみんなで予約して
団体受験をしています
こんな状況ではありますが
今年も予定通り行きます
道路状況が悪く
普段の2〜3倍の時間がかかりますが
「緊急車両用通行許可証」を
県教育委員会がもらってくれました
これでスムーズに通れます
いろんな方が応援してくださっています
ありがたい限りです
力を発揮することが
全ての人への恩返しです
今日という一日は・・・
8日目も終わろうとしています
バタバタしていた割に
何をしたかと考えると???
調理室に忍び込み
奇跡的に無傷の電子レンジを数台発掘しました
少しでも温かいものを食べていただこうと
さっそく各フロアに設置しました
なんだかとってもいいことをした気分
と、ひとり悦に入っていると突然バチッ
一斉に使用したため
ブレーカーが落ちたようです
泣く泣く引き上げました
みんなを期待させてごめんなさい
ブレーカーを入れ直すため
自衛隊が駐屯している体育館に潜入
目の前に映画のような光景が広がります
グラウンドにも多くの重機が…
自分が高校生時代野球の練習をしていた
グラウンドがこんな姿になるとは…
震災前はこんな感じでした
グラウンド全体にうっすらと
氷が張った早朝のグラウンドです
今日も炊き出しをしていただきました
うっすら雪化粧の中
あったかいご馳走が嬉しいです
昨日お世話になった「Japan 元気塾」さん
今日は帰途についていたのですが
途中積雪のための倒木による通行止めで
ふたたび戻って来て
今日もうどんをご馳走してくださいました
よくよく見ると
味付けがちゃんと関西風
やはり地方によって
変えていらっしゃるのでしょう
細やかな心配りに感心しきりです
同じく昨日からお世話になっている
「Humanity First」さん
パキスタンやモンゴルの連合軍です
今日はキーマカレーをご馳走してくださいました
今日新たに加わったのは
大宮で天ぷら屋を営む「周平」さん
天丼をこしらえてくださいました
初めて炊き出しを行ったそうで
15時間もかけてお越しくださったんだとか
深夜になると
感染症病棟に段ボールベッドが
運び込まれます
市の職員や保健師さんたちで
必死の組み立てです
とにかく今日も一日が終わります
いろいろ走り回ってクタクタです
今日という日は自分にとっては
ただの一日だったけど
瓦礫の下で亡くなった方にとっては
どうしても生きたいと願った
一日だったんだろうなと思うと
この疲れこそが生きている証で
なんだか尊く感じます
明日は久しぶりに生徒に逢えます
「おこらいえ」って何?
8日目の朝です
外はすっぽり雪に覆われています
除雪が必要なほどの積雪はなく
ひとまずほっとしています
生徒を元気づけようと続けているこのコラム
他にも多くの方に見ていただいているようで
温かい励ましのメールなんかもいただいています
本当にありがとうございます
タイトルの「おこらいえ」について
どこかフランス語の響きにも似たこの言葉
これは輪島の「あまさん」の言葉です
意味は第1回のコラムを見てください
輪島の「あま」は
前田のお殿様(利家公?)から
特別に武士の称号を与えられた特権階級です
ですので多くの「あまさん」が住む町は
「海女町」ではなく「海士町」と書きます
現在避難所にも多くの方が身を寄せています
「じょー、おこらいえ」
「なだ、なにか」
など「海士町」の言葉が飛び交っています
輪島の「海士町」はとてもパワフルな町です
「おどらんな、じしんぐれえ、なしたちゃか!」
(てやんでえ、地震ぐらい、くそくらえだ…みたいな意)
とっても元気をもらいます
自分は誰のために何ができるのか
震災から7日目
全国から続々支援の手が
今日、本校に来てくださったのは
宇都宮からの「Japan 元気塾」さん
愛知からの「Humanity First」さんです
「Japan 元気塾」さんは
子どもたちの未来を創るための
社会貢献活動をしていらっしゃる団体で
今回は被災者の皆さんに
温かいうどんとおいしいお漬物を
振る舞ってくださいました
「Humanity First」さんは
英国に本部がある国際NGOで
東日本大震災など多くの支援を続けておられ
今回は温かいチャイ(紅茶)と
スパイシーな豆カレーを
ご馳走してくださいました
本来明後日から学校が始まるはずでしたが
校舎の安全が確保されないので
生徒を登校させる訳には行かず
学校再開の目処が立っていません
本校校舎は
1、2年生が学ぶ1号棟と
3年生が学ぶ3号棟があり
それを職員室のある2号棟が繋いでいます
今回の地震で2号棟が他の2つの棟から断裂し
斜めになり倒壊の恐れがあります
(避難民は1号棟に、感染対策棟は3号等にあり安全です)
生徒には次のようにメールで呼びかけました
避難所の様子をしっかり観察してください
誰がどのように動いているのか?
そしてしっかり考えてください
自分は誰かのために何ができるのか?
机の上で学ぶことだけが勉強ではありません
ボロボロになった自分の生まれた街から
決して目を逸らさないでください
大谷翔平選手が今回の震災に対して
100万ドルの寄付をしてくださいました
大谷選手は16歳の時に
東日本大震災で被災しています
当時一緒にプレイしていたチームメイトの中には
大切な家族を失った方もいるそうです
昨年全国の小学生に配られたグローブ
自分の記憶では
石川県の分は確かまだ各校には配られてないはず
だとすれば県のファインプレイ
これから被災した小学生に配られるグローブは
大きな勇気を与えてくれることでしょう
昨年3月11日に
WBCでチェコ戦に登板した佐々木朗希選手は
小学校3年生の時に同じく東日本日本大震災で
大切なお父さま、おじいさん、おばあさんを亡くしています
「つらさや悲しみは消えないけれど
たくさんの人たちに支えられて野球に打ち込めた」
と語っています
羽生結弦選手も
16歳の時に東日本大震災を経験し
避難所生活を余儀なくされています
自叙伝『蒼い炎』の中で
「今でも目を閉じるとたくさんのことを思い出す」
と語っています
つらい思いをしたからこそ
そしてそれを乗り越えたからこその
世界に羽ばたく強さと
そして優しさを兼ね備えた
素晴らしい3人のトップアスリートです
こんなに素晴らしい先輩たちがいるのだから
君たちにもきっとできる
そう信じています
今日
これまで連絡の取れなかった
最後の一人の女生徒が
学校に顔を見せてくれました
お正月を祖父母の家で過ごし
そのまま被災、道路の分断により
電波の届かない場所に
取り残されていたのだそうです
今日は5キロ以上の道を
瓦礫の山を越えて
歩いて脱出してきました
残してきた祖父母に
ヘリコプターで物資を届けて欲しいと
語っていました
これを書いている今、夜中の10時
不気味な余震が何度となく襲ってきます
自宅にいるのが怖くなって
新たに避難所に来るお年寄りを迎えます
遠くで叫び声が聞こえます
幻聴か?でも確かに…
亡くなった方の心の叫びか?
怖くなります
おそらくこの時間になっても
捜索を続けている方の声なのでしょう
今朝、124時間ぶりに救出された方の
新聞記事がありました
普通72時間が限界と言われているのに
一人でも多くの方の命を助け出そうと
諦めずに頑張っている捜索隊の方々に
感謝の思いでいっぱいです
被災地が必要とするもの
地震から6日目
まだまだ震度5クラスの余震が襲ってきます
地震の前には不気味な地鳴りも
一睡もできなかった今朝も
トイレの水漏れ騒動から始まりました
懸命に雑巾で拭いていると
一緒に拭いてくださる方が…
見ると昔の教え子や
今の生徒のおかあさん
人の緣を感じます
人の緣といえば
支援の輪もどんどん大きくなってきています
直接持って来られる方や
メールで何が欲しいか聞いてくださる方
その方々には
ブログでおねだりしますと答えたので
震災後に欲しくなるものリストです
第1〜2日目
「水と毛布と懐中電灯、あればモバイルバッテリー」
空腹は感じません とにかく水
あと寒さがこたえました
夜の暗闇は異常に怖いです
配給が届くまでの2日間
最低これがあれば生き延びれる
これらは自分で準備すべきものですね
あとコンタクトの洗浄液がなくて
困っている人に貸してあげたら
ほとんどなくなってしまいました
第3〜4日目
「パンとラジオとゴミ袋、簡易トイレと甘い飲み物」
ようやくお腹が空きはじめます
何かを口に入れるとその結果として…
あと嬉しかったのが
NHKさんがくださったラジオでした
生活によるゴミが溜まり始めるのがこの頃
第5〜6日目
「パンツ靴下おせんべい、水の要らないシャンプー」
着の身着のまま逃げ出して
ずっと同じ服と下着
特に靴下を変えたいです
衣料が欲しくなるこの時期
せめて衣類の消臭剤があれば…
自分の身の回りでは
おせんべいがあっという間に
なくなりました
塩分を欲する頃なのでしょうか
今回うちの避難所に限っていえば
食料が圧倒的に不足しています
以上、あくまで個人的なランキングです
日によって必要なものは変わってきます
今でも瓦礫の下敷きになっている方も
いらっしゃる中贅沢は言えません
夕方から慌ただしい動きが
感染症対策室が設置されました
そういえば感染症が広がるのが
この時期なんですね
マスクも必要になってきます
電気が戻りました
地震から5日目
ついに電気が灯りました
本当は3日に点くはずだったのですが
北陸電力さん
電気保安協会さん
電気商会さん
それぞれの持ち場全てで
不具合があったそうです
順番に直してようやく本日復旧
本当にたくさんの人のおかげで
普通の生活が守られているんだなと
改めて感激です
電気ってこんなに明るかったんだ
まったりしていると
突然生物実験室からガス検知器の音が…
駆けつけてみると
異臭とともに目に飛び込んできたのは
倒壊した棚と散乱した生物標本
保存びんが割れてホルマリンが床一面に
復旧した検知器が一斉に反応したのでしょう
ホルマリンとはホルムアルデヒドの水溶液で
シックハウス症候群の原因となる
発がん性のある危険物質
ホルムアルデヒドは
メチルアルコールから水素が奪われてできます
アルコールから
水素(ヒドロゲン)が出ていくからアルデヒド
(ちょっと違うけど…)
輪高受験生のみんな
読んでるか?共通テストに出るかも
(私は化学の教員です)
ともあれ
これから入って来る避難民を
シックハウス症候群にする訳にはいきません
さっそく除染作業の開始です
水で薄めながら雑巾に吸い取らせます
手につくと手がホルマリン標本になるので
慎重に慎重に
ガラス瓶の破片を除けると
大の苦手のヒキガエル!
突然蘇ったらどうしようと
恐る恐るつまみ出します
次亜塩素酸で消毒して完了
検知器の警報音も鳴り止み一安心
午後3時過ぎから
避難民の受け入れが始まります
避難先は1、2年生教室と格技場
避難生活の疲れからかかなりイライラした方も
受付係はお医者さんと看護師さん
本来業務外に駆り出されているのに
クレーム対応までしなければならないなんて
なんだか教員の働き方みたい
協力してなんとかイライラをおさめます
中には「ご苦労様」と
優しい言葉をかけてくださる方も
なんやかんやで受け入れ完了が午前0時
長い一日だったな
毛布にくるまりこのコラムを書きながら
ウトウト…
「火事です!」突然火災報知器が…
数日前の恐怖が頭をよぎります
慌てて飛び起きて確認すると
火元は格技場
駆けつけてみると
みなさん何事もなかったかのようにスヤスヤ???
それでも報知器が鳴り止みません
消防署に通報して来て見てもらいました
原因は
ジェットヒーターによる格技場の温まりすぎ
外気温との差によって作動する報知器が
どうやら誤作動したようです
どうりで小さいお子さんが
毛布を蹴散らして寝ている訳です
一酸化炭素中毒も心配です
換気もすませて午前3時
キャー
今度は仮設トイレで悲鳴が…
駆けつけてみると
便器の外にでっかい「う◯こ」
ホルマリンの次は「う◯こ」の除染です
除染完了午前4時
少しでも休もうと横になっても眠れません
コラムでも書いていれば
そのうち眠くなるかなと思い
このコラムを書いていると
空が明るくなってきました
おはようございます
避難生活6日目の朝です
避難所開設に向けて
輪島高校を避難所として開設するため
教頭先生と2日から泊まり込みで
準備を進めています
昼間には何人もの先生やOB、OGが
手伝いをしてくれています
いろんな方に助けていただいています
各地の自衛隊の方々が
続々グラウンドに集まって来ます
頼もしい限りです
背景の傾いたビルが
震災の激しさを物語っています
なんでも終戦の翌日には
もう郵便が届いていたそうで
日本って国は本当に素晴らしい
街を歩いてみると
トルコから炊き出しのボランティアが
日本だけじゃなく
世界から支援の手が差し伸べられています
オンラインで生徒の安否を確認していますが
電波事情が悪いようで
3分の1しか回答が得られません
そこで教頭先生に避難所を回ってもらいました
すると前期の生徒会会長が
ほとんどの生徒の安否を把握していて
その実行力と生きる力に感心しました
彼は昨年、本校の100周年記念式典で
生徒代表挨拶を務めた生徒です
あまりに堂々とした挨拶に感動した校長は
「虎の涙」という限定販売の焼酎を
「二十歳になったら呑めよ」と
阪神ファンの彼に送ったのでした
その焼酎、震災で割れていないといいけど
昼になると「先生食べてー」と
生徒が食パンを持って来てくれました
スーパーで配ってくれるものを集めて
いろんな人に
配って歩いているんだそうです
本当は自分たちだって
お腹すいてるんだろうけど
ありがたくいただきました
ほとんど飲まず食わずだったので
心にしみました
ハクにもらったおむすびを頬張る
千尋の気持ちがわかるような
陽が沈むとあたりは真っ暗です
余震が起こるたびに怖くなるけど
その代わり星がとても綺麗です
「星が綺麗ですね」と語りかけたときの
最も悲しくなる返事は「星は綺麗ですね」
最もときめくのは「今なら手が届くかもしれませんよ」
これって何のオマージュかわかりますか?
国語が好きな人ならわかりますね
大好きな国語の授業を受けれる日が
一日でも早く訪れますように
令和6年度 志願者心得
輪島高校への進学を希望している
中学生のみなさん
大変な今だからこそ
未来をしっかりと見据えて
希望を失わずできることから
一歩ずつ着実にやっていきましょう
本日は高校入試の志願者心得を
お届けする日だったのですが
学校にはまだ電気が届いていないので
どうすることもできません
そこでとりあえず写真で見ていただきます
見にくくてごめんなさい
電気が復旧次第正式なもの
および定時制のものをアップしますね
4月にみなさんをお迎えできるよう
全力で準備していきますね
みなさんも負けずに頑張りましょう
奇跡の一軒家
焼け野原となった街を見に行きました
あちこちでまだ煙がくすぶっています
一面燃え尽くされた隅っこに
我が家だけポツンと残っていました
東日本大震災の時の
「奇跡の一本松」を思い出します
新聞等で報道されている写真には
写ることのない本当の端っこです
でも焼け残ったのは
実は奇跡でもなんでもないのです
こんな大火災になった時は
街区の端っこの家に
とにかく水をかけて
なんとかそこで延焼を
食い止めるのだそうです
確かに道を隔てた先には
炎が燃え広がった跡が
見られませんでした
街の全滅から守ってくださった
消防の方々のお力に
心から感謝申し上げます
我が家は
水浸しになりながら
なんとかここで炎を食い止めようと
必死で持ちこたえていました
そう思うと
自分もしっかりしないと
生徒のために何ができるか考えないと
力が湧いてきます
家の中に入ってみました
水をたっぷり吸った床を踏むと
ふにゃふにゃでした
到底住むことはできないので
いずれ取り壊されます
「本当によくやった」
褒めてやりたいです
新婚旅行の思い出の
コアラのぬいぐるみだけ
持ち出して来ました
始業式で話そうと思っていたこと
1月9日に始業式を行うことができるのか
できたとしても全員揃うのは
難しいだろうから
始業式で話そうと思っていたこと
ここに記します
今日はたしか箱根駅伝の復路の日
それどころではない輪島市では
どこの第六走がトップで箱根の山を下るのか
確認しようもありませんが…
箱根駅伝は1920年に始まって
今年で第100回
1923年に創立した本校も
今年創立100周年
あれあれ?
3年のずれが?
そう
箱根駅伝には
途中3回の中止の歴史があるのです
日本が中国に戦争を仕掛けた昭和14年
東京師範学校(現在の筑波大学)の選手のもとに
召集令状いわゆる赤紙が届きます
召集令状とは
戦士として戦場に赴けという命令であり
受け取った方の中には
君たちとそう年の変わらない方も…
多くの若者が特攻隊として
「靖国で逢おう」を合言葉に
敵艦に体当たりして
若い命を散らしました
靖国神社とは
坂本龍馬や西郷隆盛
この国を作るために
命を落とした方々を祀った神社で
戦争で亡くなったら英霊として
その神に招かれると
信じられていたのです
山下りを得意としていた彼は
第六走つまり2日目の第一走を
走ることになっていました
ところが召集令状の命令は
まさにその2日目までに
熊本まで来いというもの
自分の夢であった箱根は走りたい
でも軍の命令は絶対
箱根を走るのは不可能に思えますが
ある工夫によって
夢であった箱根を走り切ります
その工夫とは…
どうしても箱根を走りたかった彼は
急きょ第一走と交代し
襷を渡したあとそのまま
熊本行きの列車に飛び乗り
戦地へと赴いていったのだそうです
その出来事の翌昭和15年
箱根駅伝の中止が軍部から申し渡されます
ここは戦争に必要な物資を運ぶ重要な道である
兵隊さんがお国のために戦っているときに
そこを走るとは何事か
結局昭和17年までの3年間
箱根駅伝は開催されませんでした
ところが箱根を走りたいという選手の熱意が
昭和18 年ついに軍部を動かします
戦禍が激しくなって来ている中
そんなことは不可能に思えますが
大会の運営方法に工夫を加えることで
箱根駅伝が復活します
その工夫とは
スタート地点とゴール地点を
靖国神社に変更したのです
我々はお国のために走るのです
靖国を飛び立ち
そして靖国へと帰って行くのです
そう軍部を説き伏せたそうです
どんなに困難な場面であっても
工夫次第で道は拓ける
箱根駅伝にまつわるふたつの話は
このことを教えてくれています
今輪島市は復興に向けて歩き始めました
道のりは遥か遠いけれど
工夫を重ね歩んでいきましょう
立ち上がれ!輪高
今、石川県は大変な状況になっています
とりわけ輪島市は地震による倒壊に加え
大火災によって
住む場所を失った生徒がほとんどです
1月2日(火)震災後初めて学校に入りました
あまりの酷さに絶句
私は教師として真の教育とは何か
常に問い続けて来ました
ある時ある先生の教育実践に出会い
その時から
これが真の教育であり
教育の原点だと思うようになりました
それ以来そうありたいと思い
これまでの教員生活を送って来ました
これは心の中に思い続けるものであり
決して退職するまで
他人に話すことはないだろうと
思っていたものなのですが
その先生の教育実践とは
お名前までは覚えていませんが
戦後の焼け野原で子供達を集め
何にもない広場で
教科書もノートも使わずに
どんな時も学ぶことを止めてはならない
そう語りかけ
子供たちに希望を与え続けた先生の
エピソードです
教師がチョーク一本で
語りながら板書し続けて
生徒はひたすらそれを書き写す
そんな授業スタイルを
「チョーク&トーク」といって
昭和を代表する時代遅れな教育と
最近では揶揄されることも多いのですが
ICT機器など最新の教育機器が
使えないような状況になったとしても
チョーク一本で
どれだけ子供達を惹きつけ
希望を持たせる授業ができるのか
これこそが
「チョーク&トーク」の真髄だと思います
このことを常に考えて
自分の授業を磨き続けてきたつもりです
輪島市は今
ウクライナの戦場の様相を呈しています
でもそんな中でも
決して学ぶことを止めてはならない
それを生徒たちに伝えたい
強く強く心の底からそう思います
一日も早い学校の再開を目指します
どんな状況からでも
輪高は立ち上がります
生徒のみなさんは
学校再開のその日まで
自分で学び続けていてください