自彊日新

自彊日新

伝えなければならない事

 今日は曇り空。時折、雨も。また寒い日となりました。

 今日一日、いい日でありますように。

 

 朝、校舎をひと回り。生徒も誰もいない教室をふらっと覗きに行きます。まだ薄暗い教室は、窓からのわずかな光の中に、机、いすが浮かび上がって見えます。ピシッと整頓してあるところもあれば、雑然としたところもあります。

 まだ私が若かったころ、ある先輩教師が放課後の教室で何やら作業をしているところに通りかかりました。職員室にその先輩が戻ってきたときに、「何をされていたのですか。」とお聞きしたところ、「朝、生徒が来たときに気持ちよく教室に入ってもらうため、教室の整頓をしていたんや。」と答えてくれました。

 「なるほど。全くそうだ。」と思いました。その翌日から、私も真似をしました。

 人は、視覚が優位に立ちます。きれいなものを見れば、心も透き通る。雑然としたものを見れば、気持ちも雑然とするはず。その雑然に馴れたら、感性が磨かれなくなります。

 朝一番の教室そして、黒板。これは、いつもきれいなものであってほしいです。

 その先輩も今年で退職です。そのようなことを教えてくれる先輩教師は、今、どれだけいるのでしょうか。私も、伝えなければならないことをしっかりと伝えていこうと思います。

 その先輩教師みたいにはなれないかもしれませんが。顔晴ります。

 今日も一日、生徒の笑顔と夢の実現のために、教職員一同、顔晴ります。

スワトン台地

  今朝もしぐれています。まだまだ寒さは続きそうです。

 今日も一日、いい日でありますように。

 

 旧ソフトボール場跡に建設中の保育園の全貌です。

素敵な建物が完成しました。来春から園児の元気

な声でにぎやかになりそうです。この保育園の名称は「スワトン保育園」

「スワトン」とは、この片山津中学校が建っている台地の事を言います。

昔、諏訪伯耆守(すわほうきのかみ)という豪族がこの台地に城を構えていたと伝えられ、その諏訪殿(すわどの)がなまって「スワトン」となったそうです。

 この片山津中は、1969年(昭和44年)に現在の潮津町の湖南団地にあった旧塩津小との併設校舎から、潮津の畑地で小字名、上出(うえで)と呼ばれていたスワトン台地へ新築・移転しました。この台地に片山津中がきて、52年になります。

 この台地が、子供たちの元気な声と活気にあふれる、リベラルな文教地区となり、片山津の街に文化、スワトンの風を発信できるような場所になればいいのですが。

  今日も一日、生徒の笑顔と夢の実現のために、教職員一同、さわやかなスワトンの風を送ることができるよう顔晴ります。

立春の卵

 今日は立春。昨日とは打って変わって、寒い。まだ春は遠いのでしょうか。

 今日も一日、いい日でありますように。

 

 「立春の卵」昨日、某小学校を訪ねたところ、予定黒板に「立春の卵」と書いてありました。ここ片山津出身の中谷宇吉郎先生の随筆集にある話である。

 早速、Kindleで購入し読んでみました。(なんと¥0)

 立春に卵が立つという話を聴いて、中谷先生がそれを科学的に立証したという話。

 世の中には、「常識のうそ=ドグマ」や先入観にとらわれてしまい、本質を見抜けないことが沢山あります。

 皆さんの身の回りに「〇〇〇ねばならない。」で片づけられていることがはありませんか?何気なく行っていることや、何も考えず行ってきたことを、今一度見つめ直してみてはどうでしょうか。私たち教員の身の回り(業務)に、たくさんありそうな気がします。

 

 今日も一日、生徒の笑顔と夢の実現のために、教職員一同「立春の卵」を立てるごとく、全集中で顔晴ります。

 

 

 

10001回目は何か変わるかもしれない

 朝から雨ふりです。温かくもあり、春がもうそこにまで来ているのかなと思える朝です。

 今日も一日、いい日でありますように。

 

 「窮而変変而通:窮して変じ、変じて通ず」

 これは、打撃の神様と言われた、元巨人軍V9監督川上哲治氏が、師の梶浦逸外老師からいただいた言葉だそうだ。

 「何事も真剣にやっていれば、必ず行き詰まる。それでも一心になってやっていくと、ひょいと通じるものだ。通じないのは行き詰まるまで行く真剣さが足りないということだ。」という教えだ。

 自分事でいろいろ悩んだ時などに、必ず頭をよぎる言葉。その度、「もう一度チャレンジしよう。」という勇気が湧いてくる言葉だ。

 一生懸命やっていて、壁にぶち当たる。またやってみる。それでも壁にぶち当たったら、視点や角度を変えて、また一生懸命やってみる。そうすれば道は必ず開けると、川上氏は言っている。その言葉を信じて、いつもいつも同じようにこれを繰り返している。

 

 「窮而変変而通:窮して変じ、変じて通ず」

現代版で言えば、ドリカムの「何度でも」の歌詞にある言葉。

「10000回だめで へとへとになっても、10001回目は 何か 変わるかもしれない。」

この言葉にも、いつも勇気をもらっています。

 

 今日も一日、生徒の笑顔と夢の実現のために、10000回だめで へとへとになっても、10001回目は 何か 変わるかもしれないと信じて、顔晴ります。

 

 

 

耳を澄ませて

 今朝も随分と冷え込みました。路面は全く濡れていなかったので、凍結はなかったですが、状況によっては、凍結個所もあるかもしれません。十分に気を付けてください。

 今日も一日、いい日でありますように。

 

 

 人間バタバタして過ごしていると

 何の声も聞こえてこなくなる

 風の声

 石の声 

 木の声

 川の声

 山の声

 大地の声

 地球の声

 星星の声

 みんな声を出していて

 呼びかけいてるのに 

 何の声も耳に届かず

 ただカサカサと生きている

 そういう

 淋しさ

 虚しさを

 ふと感じませんか          坂村真民

 

 今日から2月。ちょっと耳を澄ましてみますか? 

何か聞こえてくるだろうか。いや、もっと心に余裕をもって過ごしていこう。きっと今まで気付かなかったことに気付くかもしれない。

 

 今日も一日、生徒の笑顔と夢の実現のために、教職員一同心静めて耳を澄ませて顔晴ります。