校長室より「おこらいえ」
花開け!復活の胡蝶蘭!
11日目の朝です
震災後、初めて夜中に目が覚めずに
朝を迎えました
みなさんまだおやすみです
時間ができたので
横倒しになったままだった
胡蝶蘭の植え替えをしました
本校は昨年10月に
創立100周年式典を催し
その際にいただいたものです
傷だらけの葉っぱに砂埃が…
丁寧に拭いてあげると
確かな息吹が感じられます
こんな状況の中でも
しっかりと根を張ろうとしています
マラソンランナーの高橋尚子さんは
「花が咲かない冬の日は
下へ下へと根を伸ばせ」
とおっしゃっています
よく見ると小さな芽吹きが見られます
「新しい芽吹きは幹からではなく
必ず枝の先端から始まるんだよ
だから世界から見ると辺境の地日本
そのさいはての能登半島に住む君たちは
世界の新しい芽吹きになるんだよ
半島の最先端から
目指せ世界の最先端」
コロナ禍の時に
生徒に語りかけた言葉を思い出しました
この胡蝶蘭再び花を咲かせる日が来るのか
101年目の復活のシンボルとして
大切に育てようと思います
今日の感染状況
コロナ20
インフル1
腸炎3
今日もいろんな人にありがとう
10日目が終わろうとしています
さっきから不気味な余震が続いています
今日も、受験生が学校にやって来て
大坪教頭先生の英語リスニング対策講座を
受けました
少しでも力をつけるよう
教員全員でバックアップしていきます
本校だけではなく
石川県の多くの教員のみなさんが
学校の垣根を越えて応援してくださっています
噂では金沢地区の若い先生方が
能登の受験生のために文房具やおやつを
準備してくださっているのだとか
中心となっているのは
金沢泉丘高校の山越康裕先生と塩田高基先生
おふたりとも飯田高校が初任校で
この現状に心を痛めているのだそうです
お昼には自衛隊の方による
温かいご飯と味噌汁の配給です
震災後初めての温かい白米です
これから被災後の報告書やらなんやらで
きっと必要になるんだろうなと
写真の整理を始めました
10日間でかなりの数になりました
すると
被災前にSNSで見つけて思わずスクショした
心に残る言葉があったので紹介します
「流されて辿り着いた先で
めちゃくちゃ頑張ればいいのよ
それが
自分の居場所じゃないかもしれない
と思ったとしても
与えられたことを必死にやるのよ
そうすると知らない扉が開くの
そこに新しい出会いがあって
どんどん違うステージに行く
その繰り返しよ」
自分が尊敬する
マツコ・デラックスさんの言葉です
なんだか今を暗示しているようです
今、いろんなところへ流されて
知らない場所に辿り着いた生徒がおおぜいいます
他地区に移り住んで転校を希望する生徒もいます
反面、道路が寸断されて未だ身動きさえできない生徒もいます
高校受験先を再考し始めた中三生も
それぞれの生徒がそれぞれの場所で
自分の学びたいことを
思う存分学べるようなシステム作りが
今与えられた使命です
受験生の学びはもちろん
1、2年生の今後の学びの保障についても
現在、教育委員会と連携をとりながら
急ピッチで進めています
明日の朝は氷点下になるそうです
どうか暖かくしておやすみください
励ましメール
生徒のみなさん
多くの方がみんなのことを見守ってくださって
応援してくださっています
愛知県でフリーランス・ライターをしていらっしゃる
福永文子さんからメッセージが届きましたので
シェアしますね
3年生の皆さんは週末からの共通テスト、そして大学受験と、未来を決める大事な時期だと思います。
皆さんは目の前やご家族、家の大変さでなかなか受験に集中できるような心境ではないかもしれません。
でも、だからこそ、皆さんの未来に視線をぐっと、広げてください。
受験に真摯に臨むことで、必ず皆さんの未来が切り開かれます。
あの地震を生き残った皆さんならば、やりたいこと、できることを必ず実現できます。
もちろん、もう進路が決まっている皆さんも同じです。
ご自分の命と周りの人たちの命を大切にして、進むべき道をしっかりとかき分けて歩んでください。
奇跡の医療チームDMAT
10日目の朝です
本校には市内の全ての避難所から
体調不良の方を一カ所にまとめ
集中的にケアする棟を設けています
DMATを中心とした
専門医、看護師、保健師など
専門スタッフが協力しあって運営しています
罹患していないの被災者の方や
ボランティアの方々とは
一切接触しない完璧な動線を確保しています
現在の収容者数は
コロナ16名
インフルエンザ1名
胃腸炎(ノロではない)3名
この劣悪な環境の中
これだけの人数で収まっているのは
奇跡といっていいと思います
昨晩も2名の看護師さんが
泊まり込みで看護にあたってくださっています
一睡もできていないみたいで
疲れもピークにきているようですが
「みなさん大変だから・・・」と
笑顔で対応してくださっています
昔の戦友より
このブログ
多くの方が読んでくださっているみたいで
たくさんの激励のお言葉をいただいています
本当に大きな力となります
やすらぎ小松にお勤めの桐生裕三先生が
石川県出身の哲学者である
西田幾多郎先生の言葉を送ってくださいました
「非常時なればなるほど
我々は一面において落ち着いて
深く遠く考えねばならぬと思う」
桐生先生とは昔、甲子園を賭けて戦った仲です
当時、後にドラフト1位でプロに入団する投手を擁するうちのチームを
1回戦で0-1で破った監督です
勝負師、桐生監督らしいお言葉です
生きていてよかった!
今日は本来なら始業式の日
本当は来れる生徒がひとりでもふたりでも
始業式を決行するつもりではいたのですが
校舎の安全が保証できない限り
やはり生徒を集めるのはためらわれます
でも、ひとりで頑張っている受験生に
友達の顔を見て安心してもらいたくて
ひとりじゃないって思ってもらいたくて
顔を合わせる場面を設定しました
本校から今年共通テストを受けるのは38名
このうち、
住むところを失い親戚を頼って輪島を離れた生徒や
今だに道路が分断されていて出てこれない生徒がいたりして
今日集まったのは13名でした
2週間ぶりに逢う生徒を前にして
あれも言おうこれも言おうと
たくさん準備していたのですが
顔を見た瞬間、結局出た言葉は
「よう生きとったな!」
それだけ…
でも生徒の目は輝いていました
きっと大丈夫
確信しました
みんなで「愛は勝つ」を歌いました
昨年暮れ、惜しくも亡くなった
KANさんが遺したこの曲は
東日本大震災の際に
チャリティソングとして
多くの人の心を打ちました
そしてなんと、本校進路指導主事の
矢知先生が受験生の時の曲なのです
これを歌おうと思いたったのは昨夜
今朝早く、件の「奇跡の一軒家」に忍び込んで
タンスの下敷きになっていた
思い出のギターを引っ張り出して来ました
それから共通テストについての話をしました
聞いてみると
文房具もない生徒がほとんどだったので
職員室や進路指導室の瓦礫の下から
ありったけの鉛筆や消しゴムを拾い集めました
輪島高校は
共通テストの会場がある金沢市まで
車で2時間
毎年バスをチャーターし
ホテルもみんなで予約して
団体受験をしています
こんな状況ではありますが
今年も予定通り行きます
道路状況が悪く
普段の2〜3倍の時間がかかりますが
「緊急車両用通行許可証」を
県教育委員会がもらってくれました
これでスムーズに通れます
いろんな方が応援してくださっています
ありがたい限りです
力を発揮することが
全ての人への恩返しです
今日という一日は・・・
8日目も終わろうとしています
バタバタしていた割に
何をしたかと考えると???
調理室に忍び込み
奇跡的に無傷の電子レンジを数台発掘しました
少しでも温かいものを食べていただこうと
さっそく各フロアに設置しました
なんだかとってもいいことをした気分
と、ひとり悦に入っていると突然バチッ
一斉に使用したため
ブレーカーが落ちたようです
泣く泣く引き上げました
みんなを期待させてごめんなさい
ブレーカーを入れ直すため
自衛隊が駐屯している体育館に潜入
目の前に映画のような光景が広がります
グラウンドにも多くの重機が…
自分が高校生時代野球の練習をしていた
グラウンドがこんな姿になるとは…
震災前はこんな感じでした
グラウンド全体にうっすらと
氷が張った早朝のグラウンドです
今日も炊き出しをしていただきました
うっすら雪化粧の中
あったかいご馳走が嬉しいです
昨日お世話になった「Japan 元気塾」さん
今日は帰途についていたのですが
途中積雪のための倒木による通行止めで
ふたたび戻って来て
今日もうどんをご馳走してくださいました
よくよく見ると
味付けがちゃんと関西風
やはり地方によって
変えていらっしゃるのでしょう
細やかな心配りに感心しきりです
同じく昨日からお世話になっている
「Humanity First」さん
パキスタンやモンゴルの連合軍です
今日はキーマカレーをご馳走してくださいました
今日新たに加わったのは
大宮で天ぷら屋を営む「周平」さん
天丼をこしらえてくださいました
初めて炊き出しを行ったそうで
15時間もかけてお越しくださったんだとか
深夜になると
感染症病棟に段ボールベッドが
運び込まれます
市の職員や保健師さんたちで
必死の組み立てです
とにかく今日も一日が終わります
いろいろ走り回ってクタクタです
今日という日は自分にとっては
ただの一日だったけど
瓦礫の下で亡くなった方にとっては
どうしても生きたいと願った
一日だったんだろうなと思うと
この疲れこそが生きている証で
なんだか尊く感じます
明日は久しぶりに生徒に逢えます
「おこらいえ」って何?
8日目の朝です
外はすっぽり雪に覆われています
除雪が必要なほどの積雪はなく
ひとまずほっとしています
生徒を元気づけようと続けているこのコラム
他にも多くの方に見ていただいているようで
温かい励ましのメールなんかもいただいています
本当にありがとうございます
タイトルの「おこらいえ」について
どこかフランス語の響きにも似たこの言葉
これは輪島の「あまさん」の言葉です
意味は第1回のコラムを見てください
輪島の「あま」は
前田のお殿様(利家公?)から
特別に武士の称号を与えられた特権階級です
ですので多くの「あまさん」が住む町は
「海女町」ではなく「海士町」と書きます
現在避難所にも多くの方が身を寄せています
「じょー、おこらいえ」
「なだ、なにか」
など「海士町」の言葉が飛び交っています
輪島の「海士町」はとてもパワフルな町です
「おどらんな、じしんぐれえ、なしたちゃか!」
(てやんでえ、地震ぐらい、くそくらえだ…みたいな意)
とっても元気をもらいます
自分は誰のために何ができるのか
震災から7日目
全国から続々支援の手が
今日、本校に来てくださったのは
宇都宮からの「Japan 元気塾」さん
愛知からの「Humanity First」さんです
「Japan 元気塾」さんは
子どもたちの未来を創るための
社会貢献活動をしていらっしゃる団体で
今回は被災者の皆さんに
温かいうどんとおいしいお漬物を
振る舞ってくださいました
「Humanity First」さんは
英国に本部がある国際NGOで
東日本大震災など多くの支援を続けておられ
今回は温かいチャイ(紅茶)と
スパイシーな豆カレーを
ご馳走してくださいました
本来明後日から学校が始まるはずでしたが
校舎の安全が確保されないので
生徒を登校させる訳には行かず
学校再開の目処が立っていません
本校校舎は
1、2年生が学ぶ1号棟と
3年生が学ぶ3号棟があり
それを職員室のある2号棟が繋いでいます
今回の地震で2号棟が他の2つの棟から断裂し
斜めになり倒壊の恐れがあります
(避難民は1号棟に、感染対策棟は3号等にあり安全です)
生徒には次のようにメールで呼びかけました
避難所の様子をしっかり観察してください
誰がどのように動いているのか?
そしてしっかり考えてください
自分は誰かのために何ができるのか?
机の上で学ぶことだけが勉強ではありません
ボロボロになった自分の生まれた街から
決して目を逸らさないでください
大谷翔平選手が今回の震災に対して
100万ドルの寄付をしてくださいました
大谷選手は16歳の時に
東日本大震災で被災しています
当時一緒にプレイしていたチームメイトの中には
大切な家族を失った方もいるそうです
昨年全国の小学生に配られたグローブ
自分の記憶では
石川県の分は確かまだ各校には配られてないはず
だとすれば県のファインプレイ
これから被災した小学生に配られるグローブは
大きな勇気を与えてくれることでしょう
昨年3月11日に
WBCでチェコ戦に登板した佐々木朗希選手は
小学校3年生の時に同じく東日本日本大震災で
大切なお父さま、おじいさん、おばあさんを亡くしています
「つらさや悲しみは消えないけれど
たくさんの人たちに支えられて野球に打ち込めた」
と語っています
羽生結弦選手も
16歳の時に東日本大震災を経験し
避難所生活を余儀なくされています
自叙伝『蒼い炎』の中で
「今でも目を閉じるとたくさんのことを思い出す」
と語っています
つらい思いをしたからこそ
そしてそれを乗り越えたからこその
世界に羽ばたく強さと
そして優しさを兼ね備えた
素晴らしい3人のトップアスリートです
こんなに素晴らしい先輩たちがいるのだから
君たちにもきっとできる
そう信じています
今日
これまで連絡の取れなかった
最後の一人の女生徒が
学校に顔を見せてくれました
お正月を祖父母の家で過ごし
そのまま被災、道路の分断により
電波の届かない場所に
取り残されていたのだそうです
今日は5キロ以上の道を
瓦礫の山を越えて
歩いて脱出してきました
残してきた祖父母に
ヘリコプターで物資を届けて欲しいと
語っていました
これを書いている今、夜中の10時
不気味な余震が何度となく襲ってきます
自宅にいるのが怖くなって
新たに避難所に来るお年寄りを迎えます
遠くで叫び声が聞こえます
幻聴か?でも確かに…
亡くなった方の心の叫びか?
怖くなります
おそらくこの時間になっても
捜索を続けている方の声なのでしょう
今朝、124時間ぶりに救出された方の
新聞記事がありました
普通72時間が限界と言われているのに
一人でも多くの方の命を助け出そうと
諦めずに頑張っている捜索隊の方々に
感謝の思いでいっぱいです
被災地が必要とするもの
地震から6日目
まだまだ震度5クラスの余震が襲ってきます
地震の前には不気味な地鳴りも
一睡もできなかった今朝も
トイレの水漏れ騒動から始まりました
懸命に雑巾で拭いていると
一緒に拭いてくださる方が…
見ると昔の教え子や
今の生徒のおかあさん
人の緣を感じます
人の緣といえば
支援の輪もどんどん大きくなってきています
直接持って来られる方や
メールで何が欲しいか聞いてくださる方
その方々には
ブログでおねだりしますと答えたので
震災後に欲しくなるものリストです
第1〜2日目
「水と毛布と懐中電灯、あればモバイルバッテリー」
空腹は感じません とにかく水
あと寒さがこたえました
夜の暗闇は異常に怖いです
配給が届くまでの2日間
最低これがあれば生き延びれる
これらは自分で準備すべきものですね
あとコンタクトの洗浄液がなくて
困っている人に貸してあげたら
ほとんどなくなってしまいました
第3〜4日目
「パンとラジオとゴミ袋、簡易トイレと甘い飲み物」
ようやくお腹が空きはじめます
何かを口に入れるとその結果として…
あと嬉しかったのが
NHKさんがくださったラジオでした
生活によるゴミが溜まり始めるのがこの頃
第5〜6日目
「パンツ靴下おせんべい、水の要らないシャンプー」
着の身着のまま逃げ出して
ずっと同じ服と下着
特に靴下を変えたいです
衣料が欲しくなるこの時期
せめて衣類の消臭剤があれば…
自分の身の回りでは
おせんべいがあっという間に
なくなりました
塩分を欲する頃なのでしょうか
今回うちの避難所に限っていえば
食料が圧倒的に不足しています
以上、あくまで個人的なランキングです
日によって必要なものは変わってきます
今でも瓦礫の下敷きになっている方も
いらっしゃる中贅沢は言えません
夕方から慌ただしい動きが
感染症対策室が設置されました
そういえば感染症が広がるのが
この時期なんですね
マスクも必要になってきます