校長室より「おこらいえ」

初冬の伊予路へ

地震から 705 日目

 

今年の夏休みに

韓国に視察旅行に行きました

バスの中で偶然隣合わせになったのは

愛媛県立丹原高等学校の

合田 明典 校長先生でした

防災教育に力を入れるなど

たいへんパワフルな校長先生でした

合田先生のお招きを受けて

本日同校で講演会を行います

今日は『防災デー』ということで

その一環ということになります

 

秋の京都駅で乗り換えです

 

 

 

 

 

 

紅葉がちょうど見ごろを迎えているようです

 

 

 

 

 

 

 駅員さんお手製の案内板

『街プロ』でも

やってみるといいですね

 

京都では

中国人観光客が減って

日本人観光客が増えているとか

ホテル代なんかもグッと下がってお得に

予約を取り直す方も

いらっしゃるようです

 

 


丹原高校の『防災デー』

最先端の避難訓練を見せていただきました

 

予告なしの避難訓練です

掃除中に発災の設定です

 

 

 

 

 

 

 生徒たちはすかさず

「落ちてこない倒れてこない」

場所を見つけて避難姿勢です

 

揺れが収まると

生徒たちは駆け足でグラウンドへ

 

 

 

 

 

 

緊張感を持って取り組んでいます

 

生徒がふたり負傷した設定です

先生方が捜索に向かいます

 

 

 

 

 

 

ひとりは骨折で動けなかったようです

安全な場所までおんぶで運びました

 

もうひとりは心肺停止です

タンカで運んできました

 

 

 

 

 

 

ここは問題提起です

心肺停止であるなら

わざわざみんなのいるとこまで

連れてこないで

安全な場所で胸骨圧迫をすべきでは?

 

小学生も一緒に参加です

 

 

 

 

 

 

防災訓練は単独でなく

地域で行うべきものですね

勉強になりました

 

降下訓練も行いました

4階の高さから緩衝機を用いて

降下して避難する練習です

 

 

 

 

 

 

私も体験してみました

ぜひ本校でも取り入れるべきです

 

煙避難訓練です

 

 

 

 

 

 

スモークマシンで煙を充満させた部屋を

潜って避難します

ハンカチの大切さを実感しました

 

SONPO さんのご協力による

『学防ッチャ(まなぼっちゃ)』

防災の知識を楽しみながら学べる

ボッチャです

 

 

 

 

 

 

 

防災リュックを作るワークショップ

 

 

 

 

 

 

防災バッグに必要なものを学ぶことのできる

パズルゲームです

 

私も講演会をさせていただきました

南海トラフは必ずやってくる

そう言われ続けて

暗い未来を刷り込まれるだけでは

高校生がかわいそうです

地震の最初の15分間に命さえ守れば

つらいことの後には

人は大きく成長できるよ

予想もしなかった新しい未来が待ってるよ

そのことを

輪島高校生が頑張っている姿を紹介することで

伝えてきました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金沢大学特別講義

地震から 704 日

 

金沢大学特別講義

「石川県の学校安全」で

お話をさせていただきました

 

金沢大学では

学校安全の中核を担う教員を育成するため

地理的環境・過疎化・被災など

石川県の地域特性を踏まえた

学校安全の取り組みについて

理解を深めるために

本講義を開講しています

 

今日明日と集中講義期間となっていて

通常講義はお休みです

キャンパスはガランとしていましたが

そんな中この講義を選択した学生さんは

熱心に講義を聴きに来てくださいました

 

さすが休みの日に進んで受講されるだけあって

みなさん本当に熱心に耳を傾けて

こちらからの問いかけについては

積極的に答えてくださいました

意識高く頼もしい限りでした

 

午前中は

発災後珠洲市の中学校で

陣頭指揮をとってこられた

現奥能登教育事務所長の

山岸 昭彦 先生の講義があり

拝聴させていただきました

 

珠洲市は今回の地震以前から

群発地震に見舞われていたので

防災教育そして地震への備えを

計画的に実践されていました

我々の認識の甘さを痛感しました

 

講義を受けられた方の中に

大切なご家族を亡くした方も

いらっしゃいました

言葉を一つひとつ選んで話したつもりです

 

教員採用試験に合格された方も

いらっしゃいました

 

被災地に赴任となる可能性もありますよ

とお伝えしました

被災地での教師としての実務経験は

今後の長い教員人生にとって

かけがえのないものを学ぶ機会になりますよとも

お伝えしました

 

実際震災わずか3ヶ月後

傷だらけで

住むところもない本校に

大学出たてのふたりの先生が赴任しました

そのうちひとりは

こんなとこ住めないと

金沢から毎日通い続けました

そんな厳しい環境の中

ふたりは真剣に生徒に向き合いました

どんなにつらい環境に置かれようと

それでも前を向いて歩き出そうとしている

生徒たちに

自分にももっとできることがある!

ふたりはそう思うようになってきました

今年はふたりとも学級担任をしています 

 

明日は丸一日

「子どものための心理的応急処置」と題して

セーブ・ザ・チルドレンさんによる

実習が行われるそうです

がんばってください

高校生ガイドツアー

地震から 703 日目

 

石川県では

全国から修学旅行に訪れる学校向けに

高校生ガイドの取り組みをしています

 

本校もそのガイド校のひとつです

被災地ではありますが

今しかここしか体験できないコースもあります

今日はそのリハーサルということで

輪島市内の全中学校の生徒に来てもらい

お客さん役をしてもらう予定でした

 

ところが北陸特有の冬の気候となり

となると『鰤起こし』つまり

冬の雷もありうるなということで

急きょ予定を変更して

屋内で実施することとしました

せっかく来てもらうのだから

すこしでも楽しんでもらえるように

先生方は知恵を絞ります

建ったばかりの仮設の校舎に

高校生よりも一足早く入ってもらい

被災地ライフを楽しんでもらうことにしました

 

 

 

 

 

 

ところがここで問題発生

Wi-Fiがつながりません

生徒と先生は知恵を絞ります

急きょアナログの資料を準備して

紙芝居形式で何とかつなぐことにしました

 

 

 

 

 

 

ここでさらに問題発生

街を案内しながら話す原稿だったので

座ったままだと10分で終わってしまいました

先生方は知恵を絞ります

出たがり校長にに喋らせとけ

良いアイディアです

 

 

 

 

 

 

急遽音楽室に全員を集めることにしました

先生方がドタバタ準備をしている間

生徒たちが勝手に喋り始め

場を盛り上げてつないでくれていました

なんて気の利く生徒たちでしょう

 

想定外の出来事が次々と起こる中

生徒たちも先生方も

自分たちで最善を考え

自分たちで行動する

そんな姿が着実に身に付いています

震災がくれたプレゼントです

と言っては不謹慎でしょうか

 

さて、東陽中学校と門前中学校のみなさんは

道路事情が悪く

震災後輪島市街に入ることも

滅多になかったということで

バスで輪島塗会館とキリコ会館を案内しました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生がそっちについて行ったので

残された生徒たちは

「おい!片付けやっちゃおうぜ」

自主的に使った部屋の片付けと

掃除をしてくれました

 

入学した頃は

やんちゃでどうなることやらと

心配した子たちではあったのですが

本当に成長しました

頼もしい限りです

県の産業について考える

地震から702 日目

 

「石川県産業教育振興会」

に参加しました

産業界 教育界 行政関係者が一堂に介して

県の産業教育の振興充実についての

諸課題の解決を図ることが目的です

 

ホクショー株式会社代表取締役社長

北村 宜大 氏による講演を

拝聴させていただきました

 

ホクショーさんでは

 

コロナ禍の際には

テレワーク手当の支給

ガソリン価格高騰の際には

通勤手当の2割増など

会社の業績アップと

従業員のWell-biing を

同時に実現されています

 

昭和の時代は

「電話がならない会社は危ない」

「社員が休みがちな会社は危ない」

などと言われたものですが

現在では必ずしも当てはまりません

 

社員のWell-being を実現しながら

業績を上げるには

① 営業の行動量を上げる

② 営業の「勝ち率」を上げる

③ 受注単価を上げる

だそうです

3つに共通することは

他者との差別化を図ることです

やってはいけないことは

価格競争に陥ること

学校現場にも応用できそうです 

 

 


意見交換会がありました

企業側からの質問に対し

突然指名されたある校長先生は

「すみません もう一回言ってください」

聞き逃したようです

私が指名されても

きっと同じようになったと思います

ドキドキしました

「高校ではどのような指導されていますか?」

という質問だったのですが

その先生は

「人の話をちゃんと聞けと指導しています」

センスある回答ぶりに心で拍手を送りました

 

意見交換会でわかったこと

企業側が懸念していることは

現在学校教育で比重が大きくなっている探究活動

それにより基礎学力の指導が疎かになっていないか

ということのようです

どうも探究活動と基礎学力を

2項対立で捉えているという認識を変えるための

学校側の努力が必要なようです

 

専門用語では

企業側の捉えている基礎学力を「認知能力」

探究活動で身に付く能力を「非認知能力」といいます

ここでいう『認知』とは

『認知症』の『認知』とは意味合いが違います

 

『認知能力』とは

共通の尺度で点数化して評価できる能力のこと

『見える学力』ともいいます

例えば『漢字能力』のような

 

『非認知能力』は

それができない能力

『見えない学力』ともいいます

例えば『積極性』のような

 

「非認知能力が高ければそれでいいのか!」

「積極性があれば漢字書けなくていいのか!」

そんな極端な論法はやめてください

 

『非認知能力』or 『認知能力』

ではなく

『非認知能力』for『認知能力』

です

 

『非認知能力』を高めれば

『認知能力』が高まるのです

 

ヒトがコトに臨むうえで

必要な力を身につけるのに必要な力

それが『非認知能力』です

 

もっと簡単に言えば

『認知能力』とは国数英理社の力

『非認知能力』とはざっと上げると

自主性・向上心・協調性・共感性

創造性・コミュニケーション能力

などなど

 

おわかりになると思いますが

『非認知能力』とは全く新しい概念ではなく

これまでも日本の学校教育で重視されていたこと

すなわち「心の教育」なのです

 

「心の教育」の育成には

例えば部活動が大きな役割を果たしています

 

部活動においては

競技力を高めるために

従来は競技に特化した訓練を

スパルタ式で行っていました

しかしながら今はそんなやり方は時代遅れ

フィジカルトレーニングや

メンタルトレーニング

主体性の育成やチームビルディングなどを

科学的に体現できるチームが強いです

 

それを

学習にも応用しましょうというのが

探究学習の目指すところなのです

「単語練習」や「計算練習」を

意味もわからず機械的にこなしても

それで身に付く力は一時的なもので

将来的に生きていく力とは

程遠いものです

「学びに向かう力」を

高める必要があるのです

はじけろ創造彩れ未来 いざ百万石の地へ

地震から701日目

 

令和9年夏

高校生による芸術文化の祭典

「全国高等学校総合文化祭」が

石川県で開催されます

石川県での開催は47年ぶり2回目

ちょうど全国を一回りしてきました

今日のタイトルはそのスローガンです

 

演劇 合唱 吹奏楽 マーチングバンド

バトントワリング 美術 書道 放送など

22の部門の展示や発表が

石川県を舞台に繰りひろげられます

 

とはいえ

能登の文化的施設は壊滅的被害を受けていますので

羽咋以南での開催になるのですが

 

現在それに向かって

各校で分担して準備を進めています

輪島高校は『郷土芸能』を担当します

全国各地に伝わる

祭囃子や神楽 民謡 踊りなどの『伝承芸能』と

伝承曲や創作曲を含む『和太鼓』の

ふたつの部門によるコンクールです

 

今日は運営のご協力をお願いしに

白山市にある浅野太鼓楽器店様を

訪問しました

 

浅野太鼓様は

江戸時代初期の創業以来

400年以上にわたり

和太鼓づくりの技を継承なさっていて

全国の太鼓の制作を引き受けていらっしゃいます

 

 

 

 

 

 

原木の選定からクリ抜き 塗り 皮はりまで

全て自社で行われ

職人さんによる

一つひとつ丁寧な手作業での生産を

続けていらっしゃいます

 

 

 

 

 

 

こちらは6尺もある大太鼓

直径2m 以上もあるアフリカの大木を

くり抜いて作られたものです

現在ワシントン条約により

日本では入手不可能な木です

ワシントン条約には

学術目的を除き国際間の取引が一切禁止される

『附属書I』と

締約国が『留保』できる

『附属書II』があります

 

『附属書Ⅱ』に属するこの大木に対して

中国は『留保』の姿勢をとっているので

中国に流れて家具に変えられているそうです

 

日本も過去に

「ヨシキリザメ」の規制に対して

『留保』の姿勢をとりました

フカヒレとして食されるほか

コンドロイチンも豊富に含まれているからです

 

皮は肉牛のもの

現在

牛は若いうちに食肉に変えられるので

ここまでの大きな皮は

手に入らないのだそうです

部位で言うと

腰のあたりの皮が

最も厚くて丈夫です

それはライオンなどに襲われるときは

いつも背後からなので

その辺りの皮が厚く丈夫に進化したからです

 

 

 

 

 

 

 写真後方に写っているのは

『鉦鼓』でしょうか?

神楽に使われるものかなと

詳しくはないので

よくわかりませんが

とにかく

いろんな太鼓があって興味は尽きません 

 

ちなみに現在日本で一番大きな太鼓は

飛騨高山の『祭りの森』にある

9尺のもので

重さにして4.5t 

実はこちらも『浅野太鼓』さんが

こしらえたものです

「みちのくひとり旅」その参

地震から 700 日目

 

震災遺構 荒浜小学校へ行ってきました

荒浜は仙台の東

太平洋に面した地区です

当時10m ほどの津波に襲われました

こちらが

生徒教員含め320名の住民が避難した

荒浜小学校

 

 

 

 

 

 

 

写真左側2階のベランダに

「ここまで津波が来ました」の表示が

 

 

 

 

 

 

非常階段を見ると確かに2階と4階で

明らかに被害が違います

 

3 月11日 14:46

1~3年生は下校途中で

4年生以上が校舎で授業中でした

地震がおさまってから

全員を4階に避難させましたが

津波の襲来に伴い

避難してきた住民とともに屋上へ

 

3 月11日 17:30

救助のヘリが来ました

ちっちゃい子どもとお母さん

小学生 中学生 高校生 大人の顧番で

救助してもらうことにしました

真っ暗な中で屋上から

一人ひとり吊り上げられました

高学年の児童が

低学年の児童の面倒を

しっかり見たそうです


3 月12日 5:00

中学生高校生の救助が始まりました

その後ヘリが来なくなり

籠城の準備を始めたそうです

お昼頃消防団が歩いて来たので

誘導に従い

ひざや腰まで水につかりながら

50名ほどが歩いて避難しました

ヘリではペットが避難できなかったため

ペットと一緒の人は徒歩での避難を選びました

 

3月12日 午後

水が引いたため

ヘリが地上に着陸できるようになり

残っていた人全員の非難が

ようやく終わりました

 

荒波地区には

津波から住民や街を守るための

様々な工夫がされています

 

全長9km におよぶ堤防を

国・県・市が分担して整備しました

 

 

 

 

 

 

想定を上回る規模の津波が来ても

堤防が破壊・倒壊するまでの時間を稼ぎ

全域に至る可能性を少しでも減らす

構造上の工夫が施されています

 

潮害・風害・飛砂を防ぐ海岸防災林は

津波到達時間を通らせる効果も期待できます

 

 

 

 

 

 

2014(平成26)年から植林を開始しました

震災前の海岸防災林に戻るのに

数十年かかると言われています

 

沿岸部を南北に走る県道102kmにおいて

約6mの嵩上げ道路にしています

 

 

 

 

 

 

震災で発生したコンクリートくずや

津波で運ばれてきた土砂を活用しました

道路に堤防の機能を持たせます

 

このようにさまざまな設備を

組み合わせて防御することで

津波による被害の大幅な軽減を図っています

 

校舎の方は

防災教育の拠点として活用されていました

 

音楽室がシアタールームに

映像アーカイブが流されています

 

 

 

 

 

 

 

児童たちの作品も展示されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは輪島高校でもしましたね

思い出の場所旗立てワークです

 

あの時のまま止まった時計

 

 

 

 

 

 

 

校庭には

二宮金次郎さんの像が倒れたまんまでした

 

 

 

 

 

 

江戸時代に農民の子として生まれた金次郎は

朝暗いうちから夜遅くまで

汗と泥にまみれて一生懸命に働きながら

わずかな時間も無駄にせず勉強をしました

荒れ地を耕して米を作り

余った米をお金に変え

お金が貯まると土地を買いました

そして一生を世の中のために捧げ

大飢饉で困っているたくさんの人々を

救ったのです

 

その姿を見習いましょうと

マキを背負いながら勉強している像が

日本中の小学校に建てられました

 

その頃日本は

尺貫法からメートル法に

切り替える時期だったので

子供たちがメートルをイメージしやすいように

像の高さを1m に統一したそうです

 

『尺』は長さの単位

『貫』は重さの単位です

1尺は親指と人差し指を開いて

2歩測った長さで

だいたい30cmです

それを10等分したのが1寸なので

一寸法師の身長は3cm

キティちゃんの身長が

リンゴ5個分なので

それより小さいです

 

このように昔の単位は

人のサイズが基準になっていることが多いです

大人が両手を伸ばした長さより

少し長いのが1間

ヒトが両手を伸ばした長さとpy

その人の身長はほぼ同じなので

1間はヒトがひとり余裕を持って

横になれる長さということになります

 

海外でもことは同じで

1フィートはつま先からかかとまでです

約 30cm なのでやはりヨーロッパ人は

でかいですね

 

3フィートで1ヤード

これは腰回りが由来であるという説があります

 

ところで北極から赤道までの距離を測ると

ピタリ1000万m になります

これは偶然ではなくて

もともと

子午線の距離の1000万分の1を

1m とすると決めたからなんですね

水がちょうど0℃で凍って

ちょうど100℃ で沸騰するのと同じです

 

この定義は

パリの科学アカデミーが1799年に

パリを通る子午線の一象限の 1000万分の1の長さ

を1m と定めたもので

最初の『国際メートル原器』

つまり1m の基準となる「ものさし」

もその時作られました

 

その後作製された白金-イリジウム合金製のものが

1889年の第1回国際度量衡総会で

世界的に承認され

その時作られたものが

メートル条約全加盟国に配布されて各国原器とされました

日本のものは No.22

「産業技術総合研究所計量標準総合センター」

に保管されているそうです

 

その後

「メートルはクリプトン 86原子の

 準位 2p10 と 5d5 との間の遷移に対応する

 光の真空中における波長の

 165万 763.73倍に等しい長さである」

と定義が変わり

現在では

「光が真空中で

 299,792,458分の1秒間に進んだ距離」

となっています

 

東京ドーム何個分の方がわかりやすいですね  

 

世界中にはまだまだ面白い単位があって

古代ローマでは

牛1頭が1日に耕すことのできる面積を

1モルゲンと言います

ドイツ語勉強している方はお分かりですね

英語の Good morning に相当する

グーテン・モルゲン

朝(Morgen)の語源となっています

ちなみにドイツ語では

文頭でなくても名詞の頭は

大文字で表記します

 

膨大な単位に『グーゴル』があります

1グーゴルは10の100乗です

日本語で表すことができる最大の数は

9999無量大数9999不可思議9999那由多

9999阿僧祇9999恒河沙9999極

9999載9999正9999澗9999溝

9999穣9999秭9999垓9999京

9999兆9999億9999万9999

10の70乗程度なので

一体何に使う数字か?

という気がします

ちなみにGoogleは

グーゴルの綴り間違いに由来する

と言われています

 

話があちこちに飛びましたが

最近では

金次郎さんが歩きながら勉強する姿は

歩きスマホを助長するとか言って

座って勉強する像に作り変えられているそうです

「みちのくひとり旅 」その弐

地震から 699 日目

 

東日本大震災を生き延びた方が

どんな思いで復興への道を歩んできたのか

その生の声を聞きたくて

ホテルではなく民宿に泊まりました

気仙沼の民宿『天心』さんは

昔船乗りをリタイアしたご主人が

震災前に始めた喫茶店がそのルーツ

復旧工事関係者の宿泊施設がないということで

民宿に変えたそうです

 

 

 

 

 

 

サンマの刺身やマンボウの腸にツブ貝

気仙沼の新鮮な海の幸をいただきました

当時のご苦労などをお聞きし

元気をいただきました

 

 


「おかえりモネ」の舞台気仙沼

付近の町とはBRTでつながれています

 

 

 

 

 

 

BRTつまり

Bus Rapid Transit(バス高速輸送システム)

バスを基盤とした次世代公共交通システムです

渋滞に関係なく

鉄道と同じくらい時間に正確な運行ができます

様々な工夫がされています

渋滞の影響を回避するため

廃線となった鉄道軌道跡等を利用した

専用レーンを走る区間があります

 

 

 

 

 

 

一般車両は走ることができないので

1車線のみ

単線鉄道のように駅ですれ違います

交差点ではバスの通行に合わせて

遮断機が動作します

 

 

 

 

 

 

トンネルなんかも1車線

 

 

 

 

 

 

高速道路を利用する区間もあり

 

 

 

 

 

 

一般道を走る際は

バスの接近に応じて

優先的に信号が青になります

 

鉄道に比べて整備費用が安く

導入までの期間も短いという利点があり

東日本大震災で被災した

気仙沼線や大船渡線の

復旧までの代替手段として

採用されています

 

 


陸前高田の『奇跡の一本松』

見てきました

 

 

 

 

 

 

震災前この場所には

約7万本の松林が広がっていましたが

大津波により

ほぼ全ての松がなぎ倒されました。

その中で

唯一津波に耐えて残った一本の松が

『奇跡の一本松」と呼ばれ

希望の象徴となりました 

現状は残念ながら

地盤沈下による海水の影響(塩害)で

翌年枯死が確認されました

しかし復興の象徴として後世に残すため

幹に防腐処理を施すなど保存整備が行われ

モニュメントとして元の場所に立っています 

 

実は輪島朝市の焼け跡にも

『奇跡のタイサンボク』

がありまして

震災直後から

炊き出しで地域の食を支えてきた

ミシュラン一つ星のフランス料理店

「ラトリエ・ドゥ・ノト」のシェフ池端隼也さんが

震災後の春に

この木に芽が出てきたのを見て

新たに居酒屋を開店する際に

1 本だけ残ったこの木が芽吹いたように

輪島市の復興の芽となることを期待して

店名を『mebuki』としました

 

 

 

 

 

 

 

手前の建物は『陸前高田ユースホステル』

この建物が根元にあったおかげで

一本松は残ったのだと考えられます

 

 

 

 

 

 

 

こちらは水没した松の根株群

元々この松林は

江戸時代にたったひとりの翁が

防災のためにと私財を投げ打って

植林されたものだったそうです

 

 

 

 

 

 

翁の志を引き継ぐべく

新しい松林が植林されていました

 

これも震災遺構です

なんだと思いますか

 

 

 

 

 

 

復旧工事のための大量の土砂を運搬する

ベルトコンベアーの橋の橋脚です

この橋のおかげで

トラックの運搬だけだと9年かかる

と試算されていた工期が

わずか1年半に短縮されたのだそうです

工事が終了しても

住民が「残して欲しい」と

感謝を込めて残すことにしたのだそうです

 

震災遺構『気仙沼中学校』です

 

 

 

 

 

 

誰かが亡くなられた場所が

『震災遺構』になることは基本ありません

この中学校も死者ゼロでした

当時の写真がこれです

 

 

 

 

 

 

震災の1年前に赴任された校長先生が

実際に避難場所まで歩いてみて

これでは危険だと

避難場所を設定し直して

避難訓練を徹底したことが

生徒全員の命を守ったのです

 

『東日本大震災津波伝承館』を訪れました

 

 

 

 

 

 

鉄橋の切れ端です

1cm以上もある分厚い鉄板が

引きちぎられています

 

 

 

 

 

 

被災した消防車です

 

 

 

 

 

 

主査の須貝 翔 先生に

案内していただきました

高校の先生をされているのですが

教育委員会からの出向という形で

震災の伝承をされているそうです

とても良い制度です!

 

須貝先生から

素敵な詩を紹介していただきました

「人はみんな過去を持ち

 現在があって未来がある

 その時々に出会いがあり

 別れがある

 風の電話はそれ等の人と話す電話です

 あなたは誰と話しますか

 それは言葉ですか

 文字ですか

 それとも表情ですか

 風の電話は心で話します

 静かに目を閉じ

 耳を溢ましてください

 風の音が又は浪の音が

 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら

 あなたの想いを伝えて下さい

 想いはきっとその人に届くでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

伝承館のある祈念公園は

高い防波堤に守られています

 

 

 

 

 

 

 

防波堤に登ると献花台がありました

 

 

 

 

 

 

 

未来に向けて大切なことを伝えていく

その思いを新たにしました

 

 


「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 」です

予約を入れてガイドツアーしていただきました

ガイドは元中学校の菅原校長先生でした

ここは元々水産高校だった場所です

 

 

 

 

 

 

津波の跡そのままの部屋

 

 

 

 

 

 

 

3階の教室には流された車が

 

 

 

 

 

 

 

校舎の間には何台もの車が

当時は濁流が渦巻き

洗濯機のようだったそうです

 

 

 

 

 

 

 

流されてきた冷凍倉庫がぶつかった跡

つまり屋上近くまで水位が上がったのです

 

その日は入学試験があった翌日

生徒は全員避難したのですが

一部の先生は入試の答案を

3階4階へ運ぶために残ったそうです

その結果無事合格発表まで

こぎつけたのだそうです

それを指示された校長先生には

敬意を表します

私だったらできないと思います

命よりも大切な紙切れなんかあるか

と思うからです

どちらが正解かはわかりません

 

逃げ遅れた先生方は屋上に避難しました

屋上への出入り口は通常施錠されています

何という判断力でしょう!

校務員さんがこんなこともあろうかと

逃げる前に鍵を開けておいたそうです!

 

下は避難した屋上の写真です

 

 

 

 

 

 

津波は屋上に迫る勢いでした

「女は電柱の上に登れ!

 男は手すりにしがみついて耐えろ!」

と指示されたそうです

でも女性の先生方が

電柱に登れるはずもありません

 

そこにもうひとつの奇跡が

一緒に屋上に避難してきた方の中に

学校の工事に来ていた方がいて

ハシゴを持って避難して来ていたのです!

先ほどの写真の左手奥の建物の上に

全員避難できたのです

 

引き波で水が引いたのを見計らって

全員4階のじゅうたんばりの部屋へ移動しました

教室からカーテンを引きちぎってきて

寒さをしのぎました

 

 

 

 

 

 

 

見ると津波で流されてきた家が

校舎に引っかかっていました

一階部分はありません

声をかけると

中に女性がふたり

真っ暗闇の中

先生方は

「明るくなったら助けに行くからね!」

「頑張って耐えて!」

夜が明けるまで交代で声をかけ続けたそうです

翌朝先述のハシゴを使って無事助け出しました

 

いろんなことを学ばせていただいている旅です

気仙沼でちょっといい感じの

写真が撮れました

 

 

「みちのく一人旅」その壱

地震から 698 日目

 

始発列車で仙台に向かいます

海に浮かぶ小さなガラス箱

日立市出身の建築家である

妹島和世氏の設計による日立駅は

美しい駅ランキングで

東京駅 京都駅 金沢駅などと並び

必ず上位にランクインします

 

 

 

 

 

 

太平洋を一望できるロケーション

「展望スペース」からは

美しい朝日を見ることができ

絶景スポットとして人気を集めていますが

何せ出発が夜明け前でしたので

 

 

 

 

 

こんな感じです

今度来る楽しみができました

 


東北大学で開催されている

「世界津波の日」

"World Tsunami Awareness Day"

高校生サミットに参加しました

 

 

 

 

 

 

国連防災事務総長特別代表兼国連防災事務所長の

カマル・キショア氏より

ビデオメッセージが送られました

 

 

 

 

 

 

前方の座席にはヒジャブを被った

イスラム女子高生が座っています

彼女らに限らず

民族衣装を纏った高校生が

それぞれの国を見舞う災害と

その対策について発表し合いました

国際色豊かな会議です

来年はぜひ着物で参加しようと思います

 

 

 

 

 

 

 


さて週末を利用して

東日本大震災の震災遺構や

復興の様子を見て回るつもりです

 

まずはNHK仙台放送局を訪ねました

当時を伝える貴重なアーカイブを

見せていただきました

どんな大地震でも放送を続けることのできる

最新鋭のスタジオにも

入らせていただきました

 

 

 

 

 

 

見よこのミーハーぶり

 

次に平泉へ行ってみました

内陸にある平泉自体は

被害はさほど大きくなかったようですが

世界遺産に登録された毛越寺(もうつうじ)

 

 

 

 

 

 

仏の世界を表現した「浄土庭園」の池にある

趣深い傾いた岩「立石(たていし)」が

余震のたびに傾きが増したので

布を巻き付けたうえ添え木をして

倒れないように守ったのだそう

 

 

 

 

 

 

中尊寺は一部の建物の壁が壊れるなどの

被害を受けました

表門は柱が傾くなど被害が大きく

本格的な修理のための

クラウドファンディングをしています

発災時は

避難所として被災者の受け入れも

おこなっていたそうです

世界遺産であっても

非常時はそうなるのですね

 

次に一関に行ってみました

『祭畤橋(まつるべばし)』の

崩落事故がありました

橋脚の地盤そのものが

11mにわたり

地すべりを起こしたことが原因でした

崩壊した橋はそのまま

「災害遺構」として保存されていて

整備された周辺の公園から

見学する事ができます

 

一関市街地には磐井川が流れます

太平洋から86kmあるので

さすがにここまで

津波は遡上しなかったようです

川のほとりには

N.S.P メモリアルがありました

 

 

 

 

 

 

ここから見える夕暮れの風景が

名曲「夕暮れ時はさびしそう」

の舞台だそうです!

 

 

 

 

 

 

N.S.P は一関工業高等専門学校の同級生の

フォーク・グループです

ギターを形どったベンチに

上品な女性が腰掛けていらっしゃったので

声をかけてみました

昨日は中村貴之さんの命日だったそうです

同じく既に亡くなった天野滋さんの

実家も教えていただきました

平賀和人さんはご健在で

今も草野球に夢中なんだそうです

私が初めてギターを弾けるようになったのは

N.S.P の「八十八夜」でした

仙台と茨城県でそれぞれ

地震から 697 日目

 

東北大学で

世界津波の日高校生サミットが

開催されています

 

 

 

 

 

 

以下現場の岡本先生より

「本校からは2名の生徒が参加しています

 英語でのプレゼン発表は

 緊張のためか少したどたどしかったですが

 適度に笑いを取り

 聴衆の方々には

 輪島のことにも

 興味を持っていただくことができました

 生徒2人はとても頼もしく

 学校に戻ってからも

 今回の経験を他の生徒たちに広めてくれそうです

 それぞれ「もっと英語話せるようになりたい!」

 と思ったようで

 これをきっかけに

 たくさん練習してもらおうと思います」

 

 

 

 

 

 


さて私はといえば

茨城県県北高等学校からのお招きを受け

お話をさせていただきます

 


移動の新幹線

新幹線のトイレには

男性用小便器の他に

女性専用と男女兼用があります

見ると女性の長蛇の列が…

男女兼用が空いてるのに…

ひとりの女性が男女兼用に入るや否や

嫌な顔をして出てきて譲ってくださいました

入ってみると

「これか…」

 

 

 

 

 

 

立ってするもんだから

あっちこっちに溢れています

こっち使う時は座ってしましょ

自分が汚したと思われたら嫌なので

掃除して出ました

 


風味豊かな「笠間の栗」を贅沢に使用した

極細モンブランが人気です

注文を受けてから目の前でクリームを絞るので

栗本来の香りと食感を楽しめます

そのため「賞味期限5分」だそうです

 

 

 

 

 

道の駅かさまの笠間モンブラン

がおすすめというテレビ番組を見たので

お昼はそれにしようと思いましたが

時間が無くて断念で残念です

 


講演開始まで時間があり

野口雨情記念館を訪れました

『赤い靴』や『シャボン玉』

で知られます

『シャボン玉』は

裏付ける資料こそ残ってはいませんが

生後数ヶ月で亡くした我が子へ

歌ったものだそうです

そう思って聞くと2番の詩

悲しく心に響きます

「シャボン玉消えた

 飛ばずに消えた

 生まれてすぐに

 飛ばずに消えた」

入口の雨情像の前に立つと

曲とともに

シャボン玉がいっぱい飛ぶ仕掛けが

 

 

 

 

 

 

 


さて昨日紹介した「学び舎ゆめの森」のように

個別最適な学びを重視した設計の校舎が

全国的に増えてきています

 

SSRが多くの小中学校で取り入れられています

SSR「スペシャルサポートルーム」は

教室に入ることが難しい児童生徒のための

「心の居場所」であり「学びの居場所」です

石川県の小中学校では半数以上の学校に

設置されています

ひとりで学習に集中できるブースや

寝転んだりトランプで遊んだりする

畳のスペースがあったりします

 

今思い出すと

自分の娘たちにとって

じいちゃんばあちゃんの家が

この役割を果たしていました

 

ところが子供が来なくなるSSRが

最近増えているそうです

 

ある中学校では

校長が巡回してきて

「教室で勉強しなさい」

と繰り返し言いました

不安を拭えず

ぬいぐるみを抱きしめていた女生徒には

「中学生にもなって」と…

結局その子たちは教室に戻るどころか

とうとう学校に来れなくなりました

「せっかくほっとできる場所だったのに」

支援員は肩を落としました

誰も来なくなったSSRは

ついに閉鎖されたそうです

 


学校の方では期末考査が行われています

インフルエンザの流行により

先週末は学年の半分ほどの欠席で

学年閉鎖及び考査の延期も

視野に入れていましたが

みなさんの蔓延防止の意識高く

予防に努めていただいた結果

欠席者は最小に収まっているようです

欠席しているみなさんは

考査を欠席したことだけを理由に

成績が不利になることはありません

その点は心配しないで

元気になることに専念してください

 

 


さて以前にもこのブログに書いた

「最後のひとつが思い出せない」問題

今日直面しているのは

「接待の5せる」です

思い出せたのは

『食わせる』

『呑ませる』

『◯◯せる』

『威張らせる』

3つめは社会通念上問題があるので

伏せ字です

 

冒頭にも書きましたが

茨城県県北高等学校校長会のみなさまから

本日お招きいただき

お話をさせていただきました

 

みなさん東日本大震災当時は

学校の中核として

生徒の安全確保

そして教育の再開に向けて

ご活躍されていた方ですので

当時のことを思い出されながら

真剣に聴いてくださいました

 

自己主張が限りなく下手な能登の人間は

黙って耐えていますが

とある県の知事からは

「今回の復旧が前例になってしまうと

 他の地区に起こった際に

 同じような扱いをするぞと

 宣言されたようなものである」

と危惧なさっています

 

阪神淡路大震災の際には

倒壊した家屋の処理費用も自費負担でした

我々が今回当然のように受けた

「公費解体」の制度は

その時の方々が

声を上げてくださったおかげなのです

であるならば

今私に課せられた使命は

今回の地震で思い知らされた負の側面も含め

多くの方に伝えていくことであると

思っています

 

つい最近誰かに聞いた話ですが

「能登」って

「能く登る」って書くんですよね

今回何千年に一度という地殻変動で

4mの土地の隆起が見られましたが

地質調査の結果

能登半島は

土地の隆起の連続で形成されたものである

ということがわかっています

 

地名の由来を調べると

その土地の災害リスクを予測することができます

大阪の「梅田」は元々「埋め田」

田んぼを埋め立てた土地なので

地盤が弱く液状化が危惧されています

 

講演会の後

懇親会もご一緒させていただきました

思う存分

『食わせて』

『呑ませて』

『威張らせて』

いただきました

 

学び舎 ゆめの森

地震から 696 日目

 

しばらく連載をお休みしていた間

何をしていたかというと

まずは東北へ復興を学びに行ってきました

 

今日ご紹介するのは「学び舎 ゆめの森」

 

 

 

 

 

 

福島県双葉郡大熊町にあります

ここは東日本大震災震度 6 強を観測

死亡者 53 名を出す被害を受けました

さらには福島第一原発の事故により

立ち入り禁止区域に指定されました

そのうち特定復興再生拠点区域は

2022年に避難指示が解除され

通行証なしで自由に出入りできますが

宿泊はできません

一方で帰還困難区域は

依然として立ち入りが禁止されており

国の許可なしに立ち入ることはできません

 

そんな中で

子どもたちの学びの場を確保するための

並々ならぬ努力がありました

そして今では

認定こども園での「あそび」と

義務教育学校での「探究」をつないだ

遊びの中から多くを学び

子どもと大人が一緒になって

みんなで未来を紡ぎ出す

そんな魅力的な学校になって

全国から子どもたちが

集まってくるようになりました

 

 

 

 

 

 

玄関をくぐると目に飛び込んでくるのがこれ!

図書館です

石川県の方

どこか見覚えありませんか?

石川県立図書館「ビブリオバウム」を

参考にしたそうです

 

 

 

 

 

 

毎朝ここで全校生徒が集まって朝礼します

チャイムは鳴らないそうです

自分たちでタイムマネジメントします

実は輪島高校も昨年からチャイムを止めまして

生徒も教員も時間に厳密になり

チャイムが鳴っても廊下でザワザワという

以前のようなみっともない姿は

見られなくなりました

 

 

 

 

 

 

教室の形はいろいろです

 

 

 

 

 

 

四角い教室はありません

 

 

 

 

 

 

そしてふたつとして同じ教室もありません

 

 

 

 

 

 

こんな隠れ家のような教室や

 

 

 

 

 

 

こんな寺子屋のようなお座敷教室も

 

 

 

 

 

 

こちらは音楽室

一段高く設計されています

普段は壁で仕切られていますが

このように壁を取っ払うと

演奏会ができるステージになります

 

 

 

 

 

 

楽器庫はガラス張り

楽器がオブジェになっています

 

 

 

 

 

 

のんびり読書のできるスペース

 

 

 

 

 

 

こちらは職員室の入り口

対面型のテーブルが設置されており

子どもたちが質問できる

スペースになっています

 

 

 

 

 

 

校庭に出ると

大阪・関西万博の大屋根を思わせる

吹き抜けと回廊

 

 

 

 

 

 

校庭でお米を作っています

自分たちで育てたお米で

調理実習しています

 

こんな素敵な学校ですが

校舎が完成したのはごく最近

それまではずっと間借りしていました

先生方は

被災したこの地で

子どもたちにどんな力をつけるのか?

そんな姿になって欲しいのか?

そのためにどんな学校が必要か?

そのことを徹底的に議論し続けたそうです

「最初に箱物ありきでは

 うまくいかなかった」

校長先生はそうおっしゃっていました

その時の議論のホワイトボードをそのまま

一室に残してありました

 

 

 

 

魔法のように突然素晴らしい学校が

できあがるわけでは決してありません

そこに至るまでは

学校と保護者そして行政が一緒になって

子供達の将来を真剣に考える

プロセスが必要なのです

 

「学ぶ環境が整っていない輪島にはいられない

 一家転住して転校させよう」

と考えている小中学生の保護者の方は

一歩立ち止まって考えていただきたいのです

 

環境さえ変われば勉強するようになるのですか?

与えられる学習環境を待つだけでよいのですか?

子どもたちの将来を

親も一緒に真剣に考えざるをえないこの環境こそ

子どもたちに本物の力をつけさせるチャンスです