校長室より「おこらいえ」

夏休みの思い出

204日目

 

夏休みの2日目

 

いろんな方から

教職を目指した理由なんかを尋ねられることがあり

そのたびにもっともらしい答えをしてはいるものの

正直なところ

「夏休みがあるから!」です 

私が教員に採用されたころ

正直夏休み中一度も学校に来ない先生もいて

夏休みは教員にとって

貴重な自己研鑽の場であったわけです

 

ところがあるときから

教員の自主研修権の取得が難しくなり

今では

授業がなくても教員は毎日出勤

授業のある日以上の膨大な

書類処理に忙殺される毎日です

 

とはいったものの

私自身

初任1年目だけ

夏休みの恩恵にあずかりました

 

夏休みまるごと

県教委主催の英語科教員海外研修に

理科の教員でありながら

ずうずうしく参加し

アメリカ各地の学校をてんてんと

視察に行ってきたのです

 

渡航費等はもちろん自腹ですが

その分貪欲に学ぶことができました

 

さまざまなルーツを持つ生徒に

教員がそれぞれの接し方をします

その様子を見て

これからくるグローバル化を予感したものです

 

帰ってからは

世界中の人と話がしたい!

と外国語の勉強に励みました

 

日本人は

Do you speak English?

と問いかけられると

私の英語レベルなんてとても

と謙遜し

No,I can't.

と答えがちですが

実はそれは

「あなたと英語でコミュニケーションとりたくありません」

という限りなく失礼な意味に

なるということもそのとき学びました

今ではぬけぬけと

「私は13ヶ国語話せます」

と言ってまわっています

中には

「キートス(ありがとう)」しか知らない

フィンランド語も含まれています

 

Do you have some question?

疑問文では any を使うんですよ

としか学んで来なかった私にとって

これも目から鱗でした

any を使うと

「まさか質問ないよね?先行くよ」

という印象を与えるので

「どんな質問でも Welcome ですよ」

という印象の some を使うのだそうです

 

先日OECD(経済協力開発機構)の

シュライヒャー局長が来校されました

 

OECDは

世界38ヶ国の加盟国によって構成され

「世界最大のシンクタンク」として

さまざまな分野の政策調整などを行っています

教育分野においても

PISA(学力到達度調査)などの調査活動を行い

教育改革の推進や教育水準の向上に寄与しています

 

局長様はドイツ人

同行された奥様はイタリア人ということで

ドイツ語とイタリア語でご挨拶したところ

いたく気に入ってくださり

その後の対談でも

復興に向けて全面的にバックアップする

との約束をしてくださいました

 

こう考えると

挨拶って本当に大切ですね

 

そしてさらに言えば

教員1年目の夏休みの研修の成果が

およそ40年の時を超えて

まさかこんなところで実を結ぶとは

 

教員には自分を磨く時間が必要です

 

なんとか先生方の負担を減らそうと

いう思いだけはあるのですが

Posttraumatic Growth に向け

新たな取り組みをどんどん仕掛けて

負担を増大させていることに

心を痛めています

夜中の9時10時まで机に向かって

教材研究をしている姿を見ると

自分の力不足を思い知らされます

 

全国的に教員のなり手が不足しています

その対応策のひとつが

夏休みの自主研修権の復活です

 

教育公務員特例法に

「絶えず研究と修養に努めなければならない」

と定められている以上

その時間を保証するしくみが必要です

 

人が学ぶのは

(1)人

(2)旅

(3)本

といわれます

 

魅力ある教員を育てるためには

旅に出て

いろんな人と出会い

ゆっくりと本を読む

そのための時間が必要です

 

「街プロ」のあるグループが

夏休みを利用して視察旅行に出かけます

引率を若い先生にお願いしました

生徒とともにいろんなものに出逢い

これからの教員生活へ向けた心の糧となるような

豊かな経験を積んできて欲しいと思っています

日本チャチャチャ!

203日目

 

昨日本校野球部が応援に行った

高校野球では

日本航空石川が勝ち上がり

ベスト8入りを果たしました

 

日本航空高校が石川県に

日本航空第二高校として創立した当初

関係者の方々が

「ニホンこうくう」は航空会社

我々は「ニッポンこうくう」と

おっしゃっていて

スタンドの応援も

「ニッポンこうくう!」

と連呼していたのを思い出します

 

今SNSで調べてみると

「ニホンこうくういしかわ」

となっていますが

実際のところどうなんでしょうか?

 

昨日池上彰先生がご自身の番組で

「ニホンでもニッポンでもどちらでもよい」

とおっしゃっていました

 

ここで「日本」の読み方について

おもしろい話をひとつ

「日本」には

「ニほん」と「ニッぽん」

ふた通りの読み方がありますが

ひっくり返して「本日」にすると

「ほんジツ」という

全く違う読み方になります

この読み方に従えば

「日本」は「ジッぽん」になるはずです

そう江戸時代初期はそう発音していたのです

それがヨーロッパに伝わり

「ジッパン」「ジパング」「ジャパン」に

以前何かで読んだ知識ですが

諸説あるようです

 

もうすぐパリオリンピックですね

がんばれ!

「ジッポン!チャチャチャ!」

 

石川県高校野球連盟では

被災地輪島の高校野球ファンのために

決勝戦の模様を

パブリックビューイングで

お届けしてくださいます

輪島高校体育館に大型スクリーン

石川県立野球場まで

足を運ぶことのできない方のためへの

贈り物です

 

日本航空石川の反対の山からは

同じ輪島市の

門前高校もベスト8に勝ち残っています

 

輪島勢どうしの決勝を

輪島高校で輪島市民が観戦する!

夢のようなストーリーですが

どうなるでしょうか?

 

いずれにせよ決勝戦当日は

輪島高校第二体育館でお待ちしています

今日から夏休み

202日目

 

禍福は糾える縄の如し

幸せと不幸せは背中合わせで

繰り返しやってきます

 

そして歴史は繰り返す

まるで螺旋階段から眺める景色のように

同じ風景が繰り返し見えます

 

でも人間はそれほど愚かではなくて

同じ風景でも次に見る時は

一段上から見ている訳で

以前見えてなかったものが

新たに視野に飛び込んできたりします

 

そして未来は着実に

よい方向へと向かっていきます

 

鎖国で世界に遅れをとった日本は

明治以降

世界に追いつけ追い越せと

子供たちに知識を身につけさせる

教育制度を展開します

 

ところが太平洋戦争で

完膚なきまでに叩き潰された日本は

教育制度の転換を迫られることとなります

 

GHQが主体となって推し進められた教育改革は

「戦後の新しい日本を造るには

 これまでの知識偏重型ではダメだ

 生徒が主体となって

 自ら課題を発見し

 その解決に向かって自ら主体的に学ぶ

 そんな教育課程である必要がある」

とされ探究型の授業へと

舵が切られました

 

「課題研究」という教科が

小学校に取り入れられます

その時の教科書がこちら

 

 

 

 

 

今でいういわゆるプレゼンですね

年度はじめに自分でテーマを決めて

1年間かけて研究していきます

そして最後に発表します

 

 

 

 

 

 

この教育制度で学んだ方々が

戦後日本の復興の

原動力となっていくのですが

これって何かに似ていませんか?

 

そう

震災から立ちあがろうとする

輪島高校が仕掛けている「街プロ」は

まさに戦後復興を支えた教育制度なのです

 

時代は流れ

戦後復興を果たした日本は

高度経済成長時代を迎えます

 

この時代になると

正確かつ迅速に指示に従い

短時間で結果を出すことのできる

豊富な知識を持った人材を

産業界は求めます

この社会の要請に従い

知識を重視した教育課程へと

螺旋階段を登ります

 

当然

時間のかかる「課題研究」という教科は

姿を消すことになるのですが

教育的効果が大きいと考えていた

当時の先生方により

夏休みの「自由研究」として

姿を変えて残ることとなりました

 

このようにして

夏休みの「自由研究」って

生まれたんですね 

 

夏休みに入り

部活道もそれぞれの場所でそれぞれ

 

サッカー部は

日本航空高校石川さんの

グラウンドをお借りして

朝もやの中駆けています

 

 

 

 

 

 

ここは中学校 ジュニア シニア

あらゆるチームがお世話になっています

同じ敷地内に

県外からの復興支援者の宿舎があり

そこのサッカー愛好者も集まって

一緒にゲームを楽しむ

交流の場としても

機能しているそうです

 

男子バレー部は七尾高校で

 

 

 

 

 

 

ここは私が以前10年間勤めていた学校で

人気コミック

「君は放課後インソムニア」

の舞台となっています

校内の風景が

作品中にそのまま再現されています

天体観測室もあり

当時夏休みになると

地域の小学生を集めて

天体観測会を開いていました

懐かしいな

 

バドミントン部は

「がんばろう能登」プロジェクトの

合同練習会に参加です

 

 

 

 

 

 

多くの学校の選手と交流できています

日本代表の漆崎真子選手や

名門筑波大学のバドミントン部選手の

一流プレイを間近で見ることができました 

 

吹奏楽部は津幡町文化会館「シグナス」で

石川県吹奏楽コンクールです

 

 

 

 

 

 

課題曲「さくらさくら」

自由曲「丘の上のレイラ」を奏でました

 

野球部は石川県立野球場で応援です

 

 

 

 

 

 

どちらもお世話になった

金沢桜丘高校と

日本航空石川の対戦

どちらかにつくわけにいかず

バックネット裏で応援です

心的外傷後成長(PTG)

201日目

 

PTG「心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic Growth)」

大きな心の傷を受けて

ひとは大きく成長することができます

 

(1)「他者との関係」

  他人を思いやる気持ちが強くなります

  今回さまざまな方がかけつけてくださり

  その温かい人柄に触れる中で

  生徒の他人への接し方が

  すいぶんと変わってきたような気がしています

  反対につらいときには頼ってもいいんだと

  思えるようにもなってきていると思います

 

(2)「新たな可能性」

  それまで描いていた人生の道筋が

  大きく変わった人がいます

  自分の将来の夢が大きく変わった人

  いままでどおりでは何にも通用しなくなった人

  だからこそ新しい可能性が開けてくるのです

 

(3)「人間としての強さ」

  予測だにできない出来事に遭遇し

  それでもまだ自分は生きている

  ここに座っているだけで

  自分が思っている以上に自分というのは強い

 

(4)「精神性的な変容」

  人間の力を超えた大きな力に遭遇しました

  神や仏を信じろまではいわないけど

  多くの先人たちのパワーに守られて

  今こうして生かされているような気が

  生き方とは?魂とは?死ぬとは?

 

(5)「生に対する感謝」

  あたりまえのように明日がくると信じていた

  でもそれは決してあたりまえのことではないことを

  思い知らされた

  あたりまえのことへの感謝の気持ちが強くなりました

 

「傷つきから人は成長することができる」

これまでPTGを経験した多くの方からの

励ましの声をいただきました

その生き方を見習い

そしてこの後自分にできることは何か

夏休み期間中にしっかりと自分と向き合ってください

 

今日は1学期の終業式

発災から200日を生き抜いた生徒たちに

こんな話をしました

 

明石市にお住いの

石津 佐智子さまより

お便りをいただきました

震災が起こった時に

ペットと暮らしている方が

同室避難できるようにとの運動を

されています

ご自身も阪神淡路大震災で被災なさり

そのときのご経験を活かし

自治体にさまざまな提言をされているようです

 

昔見た戦争の映画で

防空壕の中で泣き出した赤ん坊を

「敵に見つかるから出ていけ」

と周囲の人にののしられながら

お母さんがあやすというシーンを思い出します

きっとペットをお持ちの方は

それと同じ思いで

震災後お暮らしだったんだろうなと推察します

200日目の「ゆず」

今日で200日目ですか

なんだかあっという間というか

まだ200日というか

 

この区切りの日に

22:00からNHK「SONGS」で

先日「ゆず」さんが来てくださった様子が

放送されます

ご覧になってください

明後日は「街プロ」

199日目

 

本校卒業生で

ロサンゼルス総領事館にお勤めの

的場博子さまが一時帰国なさりました

 

セオドア・ルーズベルト高校で

日本語を学んでいる高校生

そして教えていらっしゃる

本郷依子さまからの励ましのお手紙を

南カリフォルニア石川県人会協議会

七尾出身の北垣戸会長さまのお力添えを賜り

お持ちくださいました

 

 

 

 

 

 

丁寧に漢字やひらがなを使って

そしてアメリカらしい力強い言葉で

あたたかいメッセージを

書いてくださいました

ありがとうございます

 

明後日は「街プロ」の日

 

ウィリアム・アイザック氏は

対話の心得について

(1)Listning(傾聴すること)

(2)Respecting(あらゆる発言を尊重すること)

(3)Suspendeing(判断・批判を保留すること)

(4)Voicing(素直な声を口に出すこと)

とまとめています

 

自分たちがそれぞれに思ったことを口に出す「会話」から

他者を尊重しつつ自分の考えを正確に伝える「対話」を

目指しましょう

 

「言うべきことを口にする」よりも

「言うべきでないことを口にしない」ことが

大切な場面もあります

 

日本の学校の授業は

一方的な知識の伝達から

対話に基づく学びへと大きく変わってきていますが

世界的に見れば

その手法についてはまだまだ未熟で

これから研究の余地がありそうです

 

これについては

今回繋がることができた

Rooseveit High School さんのような学校と

オンラインなどを使った交流の機会を増やすことで

そのスキルは大いに高まるものと期待しています

輪島高校は国際的な学校に生まれ変わります

 

今のところ校長の妄想ですが

いつかかならず!

 

今のままでいいやと考える

Fixed mindset を棄てて

どんどん新しく生まれ変わっていくんだという

Growth mindset の学校にしたい

 

それが能登全体の学びの復興につながると

考えています

新札お目にかかりましたか?

198日目

 

福島県立原町高等学校の3年生

島ひろるさんが

千羽鶴を折って

励ましのお便りとともに送ってきてくださいました

ひろるさん自身

幼い頃から何度も被災し

そのたびに立ち上がっておられる様子が

綴られていました

 

 

 

 

 

 

あたたかいお心遣い

本当にありがとうございます

全校生徒が通る

一番目につく生徒玄関に

飾らせていただきますね

 

ところでみなさん

新札にはもう

お目にかかれたでしょうか?

 

私は1000円札と5000円札を

おつりでいただき

お初にお目にかかることが叶いました

 

最先端のテクノロジーの結晶です

特に立体ホログラムは「何これ?」

絶対偽札を作れっこないです

偽札を作ろうなんて思っていらっしゃる方

ムダな努力はやめましょう

この新札の偽札を作る技術があれば

もっと他のところに活かせます!

 

モデルの北里柴三郎氏のお札の肖像画は

ぱっと見怖い顔していらしゃいますが

調べてみると

とても魅力的な方だとわかりました

 

やんちゃ坊主だった柴三郎は

若い頃国を守る軍人になる夢を持っていましたが

入学した医学校の顕微鏡で細菌を目にしたとき

軍人よりもはるかに多くの人を救うことのできる

細菌学の道に進むことを決めます

 

のちの東大医学部を卒業したあとは

病気を治して高い報酬を得る医者ではなく

給料は安いけど

病気にならないように予防する

予防医学の研究の道を選びます

 

その後国からの援助のもとドイツに留学し

世界的細菌学の権威コッホに師事します

7年間研究に没頭した彼は

結局アパートから研究室までの道以外は

どこにも行かなかったといいます

 

そのころ取り組んでいた研究は

当時絶対に無理だと云われていた

破傷風菌の純粋培養です

体の内部で悪さをする破傷風菌の研究のために

菌を増やす必要があったのですが

それがなかなかうまくいかないのです

 

ある日ドイツ風茶碗蒸しを作る場面を目にした彼は

串を刺して内部の火の通り具合を

確かめている様子を見て

体の内部にしか存在しない破傷風菌は

もしかして空気が苦手なのかもしれないと考え

ついに酸素を絶った条件での

菌の培養に世界で始めて成功するのです

 

このように日常の何気ない場面から

新たな発見につなげていく姿は

「街プロ」の探究にも大いに参考になりますね

 

こうして培養に成功した

破傷風菌を用いた研究により

柴三郎は血清療法を確立します

 

血清療法とは次のようなものです

 

たとえば毒蛇にかまれたとき

毒蛇の毒に対抗する抗体という薬が

体内でつくられます

この抗体を含んだ血液の成分を

ほかの動物に注射すると

その動物は毒蛇にかまれても

死なないようになるのです

 

この血清療法はその後研究を重ねられ

現在のワクチンにつながっていて

多くの方の命を救っています

新型コロナが収まってきている今

氏がお札の顔に選ばれたのは

きっとこの功績を称えての

ものなのでしょうね

 

この世界的発見をした

世界の Kitasato のもとに

巨額のオファーが殺到します

しかし柴三郎はそのオファーを全て蹴って

日本へと帰ってくるのです

 

国費で研究させてもらったので

日本を伝染病から救いたいから

というのがその理由です

 

MLBから巨額の年俸を提示されながら

古巣広島東洋カープに帰ってきた

黒田博樹投手みたいにかっこいいです

 

日本に来た柴三郎にはしかし

活躍する土壌が与えられませんでした

そんな柴三郎を支援したのが

なんと旧一万円札の福沢諭吉です

諭吉は私財をはたいて研究所をたちあげ

その建設に反対する近隣住民の声を鎮めるため

隣に息子を住まわせ安全性をPRしたのです

 

新しいことを始めると

必ず反対の声ってあがるんですね

この逸話は

今後の私達の在り方生き方に関する

大きな励みとなります

 

今回のお札にまつわる話は

歴史大好き芸人 シロップじゅんぺいさんの

Podcast 番組「あんまり役にたたない日本史」

からのものです

役にたたないどころか

本当におもしろい歴史のエピソードが満載

本校の歴史の教員にも

「ぜひ聴くように」とお薦めしています

みなさんもぜひ

本当におもしろいですよ

エスカレーターは右派?左派?

197日目

 

3連休を利用して

これまでご支援くださった方を訪ね

日本各地を回っています

 

人は右

車は左

と小学生の頃に教えてもらいますが

エスカレーターでの立ち方について

東京と大阪で異なります

 

東京では左側に立ち

急いでいる人のために

右側を空けますが

大阪では反対です

 

この右側と左側の境目は

どこにあるのでしょうか?

 

自分の経験では

その境目は京都にある気がします

京都駅の構内では

左立ち右空け

つまり関東風

ところが一歩駅を出ると

右立ち左空け

つまり関西風なのです

 

関西風の京都のエスカレーター文化に

多くの関東からの観光客

あるいはインバウンドが訪れるようになり

駅構内にだけ関東文化が流れ込んできたのでは?

と仮説を立てています

 

そもそもなぜ関東と関西で

立ち方が違うのかということから

疑問なのですが

今日は右と左にまつわる話あれこれ

 

江戸時代に刀を左の腰に下げた侍が

すれ違いやすいようにと

自然発生的に左側通行が

生まれました

西洋でも事情は同じで

馬に乗った騎士は

すれ違うときに左側を通るように

そしてその名残で

現在では車が左側を通行するように

なっています

 

西洋騎士のその習慣は

現代の音楽にも影響を与えます

騎馬音楽隊は

左腰に太鼓をぶら下げるので

叩きやすいように

右手は手の甲が上を向くように

左手は手のひらが上を向くように

スティックを持ちます

今でもその持ち方をする

ドラマーがいらっしゃいます

 

騎馬の左側通行が定着してくると

戦の際に敵と直接すれ違う

自軍の右側に強い兵を

集めるようになります

 

そうした戦法が主流だった

ヨーロッパの戦場に

新しい戦法を持ち込んだのが

ナポレオンです

 

彼は左利きの戦士を多く育てて

自軍の左側に置き

相手の弱い方から斬りかかる

右側通行作戦に出ます

 

未だかつてない戦法に

敵は混乱し

ナポレオン軍に

次々と制圧されます

 

そこで今でも

フランスをはじめとした

かつてナポレオン軍に制圧された国々では

車が右側を通ります

 

さて話をエスカレーターに戻しますが

片方空ける習慣

海外でもあるのかな?日本独自の文化?

そしていつ頃から始まったのでしょう?

 

自分が教員になりたての頃

「都会ではこんな立ち方するんだよ」

と田舎もん丸出しで

ウンチク語っていた気がするので

かれこれ40年ほどになる習慣であろうと

推測されます

 

しかしこの習慣

見直す時期にきているような気がするのですが

いかがでしょう?

 

片側を人が追い越せるように開けたまま

誰も追い抜いていかないのに

乗り口で長蛇の一列になっている光景を

幾度となく目にしました

本末転倒です

急いでいる方には階段もあるので

片側空ける必要ないのでは?

と思います

エスカレーター工場の方も

片側だけすり減るので

2列で乗ってくださいと

推奨しています

 

習慣化したものを壊すのって

難しいですね

 

「街プロ」で

いろんなことに挑戦している2年生ですが

既存のシステムの壁にぶつかって

右往左往するグループも現れました

ここからですよ

みんなの街づくりは

諦めずに取り組んでいこう!

夏のはじまりに

196日目

 

3連休の中日

「いやがおうにも」夏本番

盛り上がって来ました

 

これって正しい日本語?

気になって調べてみました

 

諸説ありますが

 

諸説その1

漢字で書くと

「否が応でも」

これは「有無をいわせず」

という意味

 

諸説その2

「弥が上にも」

こちらは

「ただでさえ甚だしい状態なのにその上」

という意味

 

いずれにしても

これまで全く間違った使い方を

していたんだなと反省です

 

とにかく夏が来ると

頭の中にはいろんな音楽が流れ始めます

 

以下

私の好みの

夏に聴きたくなる音楽です

 

梅雨明けの頃はAir suppply 

空に蜂の巣雲がみられます

上空の小さい範囲内で

上昇気流と下降気流が繰り返し起こるため

みられる初夏特有の雲です

虹色に輝く彩雲が見られるのも

この時期です

 

夏休みに入る直前は達郎

妻に話すと

「えー達郎は冬」

クリスマスイブが有名ですからね

でも自分は夏の始まりってイメージです

夏休みに何しようかな

想像にワクワクしながら

 

いよいよ夏休みに突入となるとサザン

海辺のザワザワした感じにピッタリ

心の中でずっと流れています

同じ音楽が

頭の中でグルグル流れ続ける現象を

「イヤーワーム現象」といいますが

夏の盛りは「イヤーサザン」です

 

かんかん照りのお日様の下

8月に入るとTUBEです

夕方になって少し涼しくなって

ヒグラシの声が聞こえてくると陽水

 

お盆が過ぎ

夏の終わりに近づくと杉山清貴

CDが無くLPの頃

3枚目のアルバムの

B面丸ごと1曲の組曲風に仕上げられた

NEVER ENDING SUMMER

は夏の終わりにピッタリです

 

以上勝手にランキングですが

みなさんの夏の思い出の曲は何ですか?

 

明日は海の日 

 

輪島では海女さんの素潜り漁が再開

海の中も地震で風景が変わったそう

 

子供の頃毎日泳ぎに行っていた海も

カブトムシを獲りに行っていた山も

すっかり姿を変えてしまいましたが

季節は着実に夏を迎えます

新たなステージに向けて

195日目

 

野球部が最後の夏を終え

インターハイに出場する

陸上部の岩波さんを除いて

全ての運動部の3年生が

そして残された12年生が

それぞれ新たなステージへ

 

相変わらず活動場所を求めての

ジプシー生活ではあります

 

ジプシーとは

パリにやって来た

エジプト人(エジプシャン)から来た言葉で

定住地を持たない人という意味です

その点現在私自身ジプシーではありますが

調べてみると

日本では放送禁止用語となっているようで

以後使わないようにします

 

ジプシーと同じ人々を指す言葉に

ボヘミアンがあります

こちらは

ボヘミアの方から来た人

が語源です

 

ボヘミアンは

アブサンという度数が極めて高いお酒を

こよなく愛したといいます

幻覚作用があるということで

現在は製造禁止になっています

カクテルを作る際には

ペルノーというお酒で代用されます

ペルノーは

水を加えると白濁する不思議なお酒です

とまあこれらの知識は

昔アルコールをこよなく愛でていた頃に

仕込んだ知識ではありますが

震災後は口にすることも滅多になくなり

呑まなきゃ呑まないで

別にどうってことないもんだなと

新たな気づきです

 

ジプシー(ボヘミアン)は

迫害されながらも

ヨーロッパの中に溶け込んでいく過程で

フラメンコやベリーダンスのような

新しい文化を創りだします

 

輪島高校の部活道も

今はつらいかもしれないけれど

いろんな人との交わりの中で

新しい自分に出会えるに違いありません

 

男子バレー部は金沢西高校で

多くの高校が集まり

交流戦です

 

 

 

 

 

 

 

ソフトテニス部は金沢泉丘高校で

合同練習です

部員が2人しかいないので

一緒に練習してくださって

本当に助かります

 

 

 

 

 

 

 

バドミントン部は羽咋体育館で

羽咋高校さん 七尾東雲高校さんと

練習試合です

実は羽咋高校さんの体育館には

電気がまだ戻って来ていなくて

使えないのだそうです

お互い辛いけど頑張りましょうね

 

 

 

 

 

 

 

3年生の就職戦線もスタートです

産業展示館で開催された

企業ガイダンスに参加しました