校長室より「おこらいえ」
「量子力学」百周年
地震から 707 日目
今週末は3件の講演会をさせていただきました
移動の新幹線で前の座席に座っていた方が
乗り換えた特急では隣の座席になりました
なんという偶然でしょう
この引き寄せに縁を感じ話しかけてみました
国際風水氣学協会の本鑑定士の方でした
普段から風水を科学と捉えている私は
興味津々でいろんなことを尋ねてみました
「目に見えるものだけが全てではない」
サン・テグジュペリの
『星の王子さま』にも登場するこの言葉
目には見えない酸素や二酸化炭素
そして電磁波が厳然として存在するように
風水は量子力学である
という言葉に妙に納得するのでした
アインシュタインは
「月は私たちが見ている時だけ存在するのか?」
と懐疑的だったこの量子力学
量子力学と私の出会いは
40年前に遡ります
大学時代の『理論化学』という講義の
シュレディンガー方程式の教科書は
これまでの私の常識を覆しました
難しい本を読むと3ページほどで
眠りに落ちてしまう特異体質の私を
わずか5行ほどで眠らせるものでした
1895年
ドイツのレントゲンは
空気を抜いて真空にしたガラス管に
電圧をかけて放電させる実験中に
管を厚い紙で覆っているにもかかわらず
近くに置いてあった物が光っているのを見て
「物を突き抜ける不思議な光が出ている」
と考え
この不思議な光をX線と名づけました
この発見の翌年 1896年
フランスのベクレルは
保存しておいた写真乾板が
光を受けていないのに
感光していることを見つけました
一緒に保存していた岩塩から
X線に似た何らかの光が出ていると
考えました
1903年
マリー・キュリーは
夫のピエール・キュリーが発明した装置を使って
ベクレルの岩塩から光を出しているのは
そこに含まれるウラン原子であることを発見し
その光を出す性質を「放射能」と名づけました
時は第二次産業革命
製鉄業がさかんとなったドイツでは
溶鉱炉の中の溶けた鉄の色で
温度を判断していました
赤黒いときは千数百度
真っ赤の時は二千度以上、
それ以上では白っぽくなる
といった具合です
物体の温度と放射される光の波長の関係を
プランクは公式で示しました
そしてこのことを説明するためには
『量子』という考えが必要であるとしました
光のエネルギーは連続的に変わるのではなく
飛び飛びの値を取るということです
そのことを突き詰めたのが
シュレディンガー方程式です
ここからいよいよ私が秒で寝る領域です
ともかく
トランジスタ
発光ダイオード
太陽電池
MRI
量子コンピュータ
我々の現在の豊かな生活は
量子力学の上に成り立っています
量子力学の世界では
「実験の測定値は測定した瞬間に決まる」
とされています
このことは『シュレディンガーの猫』
と例えられて説明されています
電子は『スピン』という磁力を持っています
『スピン』には上向きと下向き
ふたつの状態があります
ある電子の『スピン』がどちらなのかは
測定した瞬間に決まり
測定する直前はどちらでもない
いわばグレーな状態です
オセロのコマを弾いて回転させて
倒れた瞬間に白か黒か決まる感じです
さらに奇妙な
『量子もつれ』とう現象もあります
この状態のふたつの粒子は
どんなに遠く隠れても
瞬間的に影響を伝え合うのです
『量子もつれ』の状態にある
ふたつのオセロのコマを
『スピン』を逆向きに設定して
北極と南極に移動させます
そして回転させた後
同時に測定すると
その瞬間
必ず一方が白なら他方は黒
となるのです
一見何の関係もない
ふたつの現象であっても
目に見えない不思議な力で
影響を及ぼしあうということです
これはユングの提唱する
シンクロニシティの原理とも重なります
これは「意味のある偶然の一致」
あるいは「非因果性同時多発性」
ともいわれます
精神分析家ユングと
量子力学研究家パウリは
この非因果的な相関に注目し
精神と物質を統一する理論を構想するなど
シンクロニシティの原理を
科学的に探求しました
私たちの直感を超えた世界のあり方を
理解しようとする試みといえます
さて量子力学と風水に話を戻して
徳川家康が江戸のまちを築く時に
天海僧正らの助言を得て風水を取り入れています
東の隅田川を「青龍」
西の中山道などの道を「白虎」
南の江戸湾を「朱雀」
北の上野や神田山を「玄武」とする
四神相応の配置を基本としています
今日の大都市東京の繁栄の基礎がそこにあります
北に山があるとなぜ都市が繁栄するのか?
一見無関係に見えるこのことが
量子力学的に何か因果関係があるのかもしれません
実は焼けた朝市
風水的には
北に海
南に山
西に川
東に道と
四神相応の真逆なんですよね
だからこそ復興させる際には
その気を整える建物配置を
考えてみたらどうかなと思う次第です
愛媛の朝
地震から 706 日目
気持ちのいい朝を迎えています
今日は高松で
講演会を行いました
高松へ向かう前のひととき
丹原高校の合田校長先生に
地域巡見をしていただきました
地歴が専門である先生からは
地理と日本史の視点から
さまざまなことを
教えていただきました
まずは四国三十六不動霊場である
西山興隆寺
紅葉の美しい古刹です
『千と千尋の神隠し』に出てくるような
『みゆるぎ橋』を渡ると
国指定文化財の『三重塔』などがあります
愛媛県は東予・中予・南予に区分されますが
丹原高校のある東予地区には
独特の地形が見られます
まずは日本で有数の扇状地が連なります
扇状地では水が伏流水となって流れますので
川がなく
稲作には向きません
そこで果樹園として活用しています
下流に行くと伏流水は地表に現れ
川となって流れますが
多量に運んできた土砂を堆積させ
だんだん川底と堤防が高くなり
周囲より高いところを流れる
天井川となります
こちらは鉄道が
川の下のトンネルを潜るという
珍しい光景です
以前に「ゆず」のおふたりが
輪島高校に歌いに来てくださった時の模様が
NHKで放送されます
【番組名】東北ココから ゆずとつくる 未来へつなぐうた
【放送日時】12/12(金) 19:30~19:57 <東北地方のみ>
※NHK ONEで見逃し配信
【内容】来年東日本大震災から15年を迎えるにあたり、
ゆずのおふたりが
震災の経験を未来へつなぐ歌を制作するべく
東北の被災地を訪れ
地域の人たちと語り合う
旅のドキュメント
ぜひご覧ください
初冬の伊予路へ
地震から 705 日目
今年の夏休みに
韓国に視察旅行に行きました
バスの中で偶然隣合わせになったのは
愛媛県立丹原高等学校の
合田 明典 校長先生でした
防災教育に力を入れるなど
たいへんパワフルな校長先生でした
合田先生のお招きを受けて
本日同校で講演会を行います
今日は『防災デー』ということで
その一環ということになります
秋の京都駅で乗り換えです
紅葉がちょうど見ごろを迎えているようです
駅員さんお手製の案内板
『街プロ』でも
やってみるといいですね
京都では
中国人観光客が減って
日本人観光客が増えているとか
ホテル代なんかもグッと下がってお得に
予約を取り直す方も
いらっしゃるようです
丹原高校の『防災デー』
最先端の避難訓練を見せていただきました
予告なしの避難訓練です
掃除中に発災の設定です
生徒たちはすかさず
「落ちてこない倒れてこない」
場所を見つけて避難姿勢です
揺れが収まると
生徒たちは駆け足でグラウンドへ
途中通行不可能箇所を設定
みんな自分で避難路を見つけて
避難します
緊張感を持って取り組んでいます
生徒がふたり負傷した設定です
先生方が捜索に向かいます
ひとりは骨折で動けなかったようです
安全な場所までおんぶで運びました
もうひとりは心肺停止です
タンカで運んできました
ここは問題提起です
「訓練のための訓練」
になっていませんか?
心肺停止は一刻を争います
わざわざみんなのいるとこまで
連れてこないで
安全な場所で胸骨圧迫をすべきでは?
小学生も一緒に参加です
防災訓練は単独でなく
地域で行うべきものですね
勉強になりました
降下訓練も行いました
4階の高さから緩衝機を用いて
降下して避難する練習です
私も体験してみました
輪島高校でもぜひ取り入れましょう
煙避難訓練です
スモークマシンで煙を充満させた部屋を
潜って避難します
ハンカチの大切さを実感しました
SONPO さんのご協力による
『学防ッチャ(まなぼっちゃ)』
防災の知識を楽しみながら学べる
ボッチャです
防災リュックを作るワークショップ
防災バッグに必要なものを組み合わせる
パズルゲームです
私も講演会をさせていただきました
「南海トラフは必ずやってくる」
そう言われ続けて
暗い未来を刷り込まれるだけでは
高校生がかわいそうです
正しい防災知識を身につけて
地震の最初の15分間に命さえ守れば
つらいことの後には
人は大きく成長できるよ
予想もしなかった輝かしい未来が待ってるよ
そのことを
輪島高校生が頑張っている姿を紹介することで
伝えてきました
とっても素直で明るい生徒さんたちで
みんな真剣に話を聴いてくれました
藤原 禄都 さんと 桑村 桜羽 さんは
『江戸走り』を
渡部 もも花 さんと 佐々木 真央 さんは
『能登半島ポーズ』を考案して
それぞれ披露してくださいました
この中のどこかに
「能登半島ポーズ』の
ふたりがいます
金沢大学特別講義
地震から 704 日
金沢大学特別講義
「石川県の学校安全」で
お話をさせていただきました
金沢大学では
学校安全の中核を担う教員を育成するため
地理的環境・過疎化・被災など
石川県の地域特性を踏まえた
学校安全の取り組みについて
理解を深めるために
本講義を開講しています
今日明日と集中講義期間となっていて
通常講義はお休みです
キャンパスはガランとしていましたが
そんな中この講義を選択した学生さんは
熱心に講義を聴きに来てくださいました
さすが休みの日に進んで受講されるだけあって
みなさん本当に熱心に耳を傾けて
こちらからの問いかけについては
積極的に答えてくださいました
意識高く頼もしい限りでした
午前中は
発災後珠洲市の中学校で
陣頭指揮をとってこられた
現奥能登教育事務所長の
山岸 昭彦 先生の講義があり
拝聴させていただきました
珠洲市は今回の地震以前から
群発地震に見舞われていたので
防災教育そして地震への備えを
計画的に実践されていました
我々の認識の甘さを痛感しました
講義を受けられた方の中に
大切なご家族を亡くした方も
いらっしゃいました
言葉を一つひとつ選んで話したつもりです
教員採用試験に合格された方も
いらっしゃいました
被災地に赴任となる可能性もありますよ
とお伝えしました
被災地での教師としての実務経験は
今後の長い教員人生にとって
かけがえのないものを学ぶ機会になりますよとも
お伝えしました
実際震災わずか3ヶ月後
傷だらけで
住むところもない本校に
大学出たてのふたりの先生が赴任しました
そのうちひとりは
こんなとこ住めないと
金沢から毎日通い続けました
そんな厳しい環境の中
ふたりは真剣に生徒に向き合いました
どんなにつらい環境に置かれようと
それでも前を向いて歩き出そうとしている
生徒たちに
自分にももっとできることがある!
ふたりはそう思うようになってきました
今年はふたりとも学級担任をしています
明日は丸一日
「子どものための心理的応急処置」と題して
セーブ・ザ・チルドレンさんによる
実習が行われるそうです
がんばってください
高校生ガイドツアー
地震から 703 日目
石川県では
全国から修学旅行に訪れる学校向けに
高校生ガイドの取り組みをしています
本校もそのガイド校のひとつです
被災地ではありますが
今しかここしか体験できないコースもあります
今日はそのリハーサルということで
輪島市内の全中学校の生徒に来てもらい
お客さん役をしてもらう予定でした
ところが北陸特有の冬の気候となり
となると『鰤起こし』つまり
冬の雷もありうるなということで
急きょ予定を変更して
屋内で実施することとしました
せっかく来てもらうのだから
すこしでも楽しんでもらえるように
先生方は知恵を絞ります
建ったばかりの仮設の校舎に
高校生よりも一足早く入ってもらい
被災地ライフを楽しんでもらうことにしました
ところがここで問題発生
Wi-Fiがつながりません
生徒と先生は知恵を絞ります
急きょアナログの資料を準備して
紙芝居形式で何とかつなぐことにしました
ここでさらに問題発生
街を案内しながら話す原稿だったので
座ったままだと10分で終わってしまいました
先生方は知恵を絞ります
出たがり校長にに喋らせとけ
良いアイディアです
急遽音楽室に全員を集めることにしました
先生方がドタバタ準備をしている間
生徒たちが勝手に喋り始め
場を盛り上げてつないでくれていました
なんて気の利く生徒たちでしょう
想定外の出来事が次々と起こる中
生徒たちも先生方も
自分たちで最善を考え
自分たちで行動する
そんな姿が着実に身に付いています
震災がくれたプレゼントです
と言っては不謹慎でしょうか
さて、東陽中学校と門前中学校のみなさんは
道路事情が悪く
震災後輪島市街に入ることも
滅多になかったということで
バスで輪島塗会館とキリコ会館を案内しました
先生がそっちについて行ったので
残された生徒たちは
「おい!片付けやっちゃおうぜ」
自主的に使った部屋の片付けと
掃除をしてくれました
入学した頃は
やんちゃでどうなることやらと
心配した子たちではあったのですが
本当に成長しました
頼もしい限りです
県の産業について考える
地震から702 日目
「石川県産業教育振興会」
に参加しました
産業界 教育界 行政関係者が一堂に介して
県の産業教育の振興充実についての
諸課題の解決を図ることが目的です
ホクショー株式会社代表取締役社長
北村 宜大 氏による講演を
拝聴させていただきました
ホクショーさんでは
コロナ禍の際には
テレワーク手当の支給
ガソリン価格高騰の際には
通勤手当の2割増など
会社の業績アップと
従業員のWell-biing を
同時に実現されています
昭和の時代は
「電話がならない会社は危ない」
「社員が休みがちな会社は危ない」
などと言われたものですが
現在では必ずしも当てはまりません
社員のWell-being を実現しながら
業績を上げるには
① 営業の行動量を上げる
② 営業の「勝ち率」を上げる
③ 受注単価を上げる
だそうです
3つに共通することは
他者との差別化を図ることです
やってはいけないことは
価格競争に陥ること
学校現場にも応用できそうです
意見交換会がありました
企業側からの質問に対し
突然指名されたある校長先生は
「すみません もう一回言ってください」
聞き逃したようです
私が指名されても
きっと同じようになったと思います
ドキドキしました
「高校ではどのような指導されていますか?」
という質問だったのですが
その先生は
「人の話をちゃんと聞けと指導しています」
センスある回答ぶりに心で拍手を送りました
意見交換会でわかったこと
企業側が懸念していることは
現在学校教育で比重が大きくなっている探究活動
それにより基礎学力の指導が疎かになっていないか
ということのようです
どうも探究活動と基礎学力を
2項対立で捉えているという認識を変えるための
学校側の努力が必要なようです
専門用語では
企業側の捉えている基礎学力を「認知能力」
探究活動で身に付く能力を「非認知能力」といいます
ここでいう『認知』とは
『認知症』の『認知』とは意味合いが違います
『認知能力』とは
共通の尺度で点数化して評価できる能力のこと
『見える学力』ともいいます
例えば『漢字能力』のような
『非認知能力』は
それができない能力
『見えない学力』ともいいます
例えば『積極性』のような
「非認知能力が高ければそれでいいのか!」
「積極性があれば漢字書けなくていいのか!」
そんな極端な論法はやめてください
『非認知能力』or 『認知能力』
ではなく
『非認知能力』for『認知能力』
です
『非認知能力』を高めれば
『認知能力』が高まるのです
ヒトがコトに臨むうえで
必要な力を身につけるのに必要な力
それが『非認知能力』です
もっと簡単に言えば
『認知能力』とは国数英理社の力
『非認知能力』とはざっと上げると
自主性・向上心・協調性・共感性
創造性・コミュニケーション能力
などなど
おわかりになると思いますが
『非認知能力』とは全く新しい概念ではなく
これまでも日本の学校教育で重視されていたこと
すなわち「心の教育」なのです
「心の教育」の育成には
例えば部活動が大きな役割を果たしています
部活動においては
競技力を高めるために
従来は競技に特化した訓練を
スパルタ式で行っていました
しかしながら今はそんなやり方は時代遅れ
フィジカルトレーニングや
メンタルトレーニング
主体性の育成やチームビルディングなどを
科学的に体現できるチームが強いです
それを
学習にも応用しましょうというのが
探究学習の目指すところなのです
「単語練習」や「計算練習」を
意味もわからず機械的にこなしても
それで身に付く力は一時的なもので
将来的に生きていく力とは
程遠いものです
「学びに向かう力」を
高める必要があるのです
はじけろ創造彩れ未来 いざ百万石の地へ
地震から701日目
令和9年夏
高校生による芸術文化の祭典
「全国高等学校総合文化祭」が
石川県で開催されます
石川県での開催は47年ぶり2回目
ちょうど全国を一回りしてきました
今日のタイトルはそのスローガンです
演劇 合唱 吹奏楽 マーチングバンド
バトントワリング 美術 書道 放送など
22の部門の展示や発表が
石川県を舞台に繰りひろげられます
とはいえ
能登の文化的施設は壊滅的被害を受けていますので
羽咋以南での開催になるのですが
現在それに向かって
各校で分担して準備を進めています
輪島高校は『郷土芸能』を担当します
全国各地に伝わる
祭囃子や神楽 民謡 踊りなどの『伝承芸能』と
伝承曲や創作曲を含む『和太鼓』の
ふたつの部門によるコンクールです
今日は運営のご協力をお願いしに
白山市にある浅野太鼓楽器店様を
訪問しました
浅野太鼓様は
江戸時代初期の創業以来
400年以上にわたり
和太鼓づくりの技を継承なさっていて
全国の太鼓の制作を引き受けていらっしゃいます
原木の選定からクリ抜き 塗り 皮はりまで
全て自社で行われ
職人さんによる
一つひとつ丁寧な手作業での生産を
続けていらっしゃいます
こちらは6尺もある大太鼓
直径2m 以上もあるアフリカの大木を
くり抜いて作られたものです
現在ワシントン条約により
日本では入手不可能な木です
ワシントン条約には
学術目的を除き国際間の取引が一切禁止される
『附属書I』と
締約国が『留保』できる
『附属書II』があります
『附属書Ⅱ』に属するこの大木に対して
中国は『留保』の姿勢をとっているので
中国に流れて家具に変えられているそうです
日本も過去に
「ヨシキリザメ」の規制に対して
『留保』の姿勢をとりました
フカヒレとして食されるほか
コンドロイチンも豊富に含まれているからです
皮は肉牛のもの
現在
牛は若いうちに食肉に変えられるので
ここまでの大きな皮は
手に入らないのだそうです
部位で言うと
腰のあたりの皮が
最も厚くて丈夫です
それはライオンなどに襲われるときは
いつも背後からなので
その辺りの皮が厚く丈夫に進化したからです
写真後方に写っているのは
『鉦鼓』でしょうか?
神楽に使われるものかなと
詳しくはないので
よくわかりませんが
とにかく
いろんな太鼓があって興味は尽きません
ちなみに現在日本で一番大きな太鼓は
飛騨高山の『祭りの森』にある
9尺のもので
重さにして4.5t
実はこちらも『浅野太鼓』さんが
こしらえたものです
「みちのくひとり旅」その参
地震から 700 日目
震災遺構 荒浜小学校へ行ってきました
荒浜は仙台の東
太平洋に面した地区です
当時10m ほどの津波に襲われました
こちらが
生徒教員含め320名の住民が避難した
荒浜小学校
写真左側2階のベランダに
「ここまで津波が来ました」の表示が
非常階段を見ると確かに2階と4階で
明らかに被害が違います
3 月11日 14:46
1~3年生は下校途中で
4年生以上が校舎で授業中でした
地震がおさまってから
全員を4階に避難させましたが
津波の襲来に伴い
避難してきた住民とともに屋上へ
3 月11日 17:30
救助のヘリが来ました
ちっちゃい子どもとお母さん
小学生 中学生 高校生 大人の顧番で
救助してもらうことにしました
真っ暗な中で屋上から
一人ひとり吊り上げられました
高学年の児童が
低学年の児童の面倒を
しっかり見たそうです
3 月12日 5:00
中学生高校生の救助が始まりました
その後ヘリが来なくなり
籠城の準備を始めたそうです
お昼頃消防団が歩いて来たので
誘導に従い
ひざや腰まで水につかりながら
50名ほどが歩いて避難しました
ヘリではペットが避難できなかったため
ペットと一緒の人は徒歩での避難を選びました
3月12日 午後
水が引いたため
ヘリが地上に着陸できるようになり
残っていた人全員の非難が
ようやく終わりました
荒波地区には
津波から住民や街を守るための
様々な工夫がされています
全長9km におよぶ堤防を
国・県・市が分担して整備しました
想定を上回る規模の津波が来ても
堤防が破壊・倒壊するまでの時間を稼ぎ
全域に至る可能性を少しでも減らす
構造上の工夫が施されています
潮害・風害・飛砂を防ぐ海岸防災林は
津波到達時間を通らせる効果も期待できます
2014(平成26)年から植林を開始しました
震災前の海岸防災林に戻るのに
数十年かかると言われています
沿岸部を南北に走る県道102kmにおいて
約6mの嵩上げ道路にしています
震災で発生したコンクリートくずや
津波で運ばれてきた土砂を活用しました
道路に堤防の機能を持たせます
このようにさまざまな設備を
組み合わせて防御することで
津波による被害の大幅な軽減を図っています
校舎の方は
防災教育の拠点として活用されていました
音楽室がシアタールームに
映像アーカイブが流されています
児童たちの作品も展示されています
こちらは輪島高校でもしましたね
思い出の場所旗立てワークです
あの時のまま止まった時計
校庭には
二宮金次郎さんの像が倒れたまんまでした
江戸時代に農民の子として生まれた金次郎は
朝暗いうちから夜遅くまで
汗と泥にまみれて一生懸命に働きながら
わずかな時間も無駄にせず勉強をしました
荒れ地を耕して米を作り
余った米をお金に変え
お金が貯まると土地を買いました
そして一生を世の中のために捧げ
大飢饉で困っているたくさんの人々を
救ったのです
その姿を見習いましょうと
マキを背負いながら勉強している像が
日本中の小学校に建てられました
その頃日本は
尺貫法からメートル法に
切り替える時期だったので
子供たちがメートルをイメージしやすいように
像の高さを1m に統一したそうです
『尺』は長さの単位
『貫』は重さの単位です
1尺は親指と人差し指を開いて
2歩測った長さで
だいたい30cmです
それを10等分したのが1寸なので
一寸法師の身長は3cm
キティちゃんの身長が
リンゴ5個分なので
それより小さいです
このように昔の単位は
人のサイズが基準になっていることが多いです
大人が両手を伸ばした長さより
少し長いのが1間
ヒトが両手を伸ばした長さとpy
その人の身長はほぼ同じなので
1間はヒトがひとり余裕を持って
横になれる長さということになります
海外でもことは同じで
1フィートはつま先からかかとまでです
約 30cm なのでやはりヨーロッパ人は
でかいですね
3フィートで1ヤード
これは腰回りが由来であるという説があります
ところで北極から赤道までの距離を測ると
ピタリ1000万m になります
これは偶然ではなくて
もともと
子午線の距離の1000万分の1を
1m とすると決めたからなんですね
水がちょうど0℃で凍って
ちょうど100℃ で沸騰するのと同じです
この定義は
パリの科学アカデミーが1799年に
パリを通る子午線の一象限の 1000万分の1の長さ
を1m と定めたもので
最初の『国際メートル原器』
つまり1m の基準となる「ものさし」
もその時作られました
その後作製された白金-イリジウム合金製のものが
1889年の第1回国際度量衡総会で
世界的に承認され
その時作られたものが
メートル条約全加盟国に配布されて各国原器とされました
日本のものは No.22
「産業技術総合研究所計量標準総合センター」
に保管されているそうです
その後
「メートルはクリプトン 86原子の
準位 2p10 と 5d5 との間の遷移に対応する
光の真空中における波長の
165万 763.73倍に等しい長さである」
と定義が変わり
現在では
「光が真空中で
299,792,458分の1秒間に進んだ距離」
となっています
東京ドーム何個分の方がわかりやすいですね
世界中にはまだまだ面白い単位があって
古代ローマでは
牛1頭が1日に耕すことのできる面積を
1モルゲンと言います
ドイツ語勉強している方はお分かりですね
英語の Good morning に相当する
グーテン・モルゲン
朝(Morgen)の語源となっています
ちなみにドイツ語では
文頭でなくても名詞の頭は
大文字で表記します
膨大な単位に『グーゴル』があります
1グーゴルは10の100乗です
日本語で表すことができる最大の数は
9999無量大数9999不可思議9999那由多
9999阿僧祇9999恒河沙9999極
9999載9999正9999澗9999溝
9999穣9999秭9999垓9999京
9999兆9999億9999万9999
10の70乗程度なので
一体何に使う数字か?
という気がします
ちなみにGoogleは
グーゴルの綴り間違いに由来する
と言われています
話があちこちに飛びましたが
最近では
金次郎さんが歩きながら勉強する姿は
歩きスマホを助長するとか言って
座って勉強する像に作り変えられているそうです
「みちのくひとり旅 」その弐
地震から 699 日目
東日本大震災を生き延びた方が
どんな思いで復興への道を歩んできたのか
その生の声を聞きたくて
ホテルではなく民宿に泊まりました
気仙沼の民宿『天心』さんは
昔船乗りをリタイアしたご主人が
震災前に始めた喫茶店がそのルーツ
復旧工事関係者の宿泊施設がないということで
民宿に変えたそうです
サンマの刺身やマンボウの腸にツブ貝
気仙沼の新鮮な海の幸をいただきました
当時のご苦労などをお聞きし
元気をいただきました
「おかえりモネ」の舞台気仙沼
付近の町とはBRTでつながれています
BRTつまり
Bus Rapid Transit(バス高速輸送システム)
バスを基盤とした次世代公共交通システムです
渋滞に関係なく
鉄道と同じくらい時間に正確な運行ができます
様々な工夫がされています
渋滞の影響を回避するため
廃線となった鉄道軌道跡等を利用した
専用レーンを走る区間があります
一般車両は走ることができないので
1車線のみ
単線鉄道のように駅ですれ違います
交差点ではバスの通行に合わせて
遮断機が動作します
トンネルなんかも1車線
高速道路を利用する区間もあり
一般道を走る際は
バスの接近に応じて
優先的に信号が青になります
鉄道に比べて整備費用が安く
導入までの期間も短いという利点があり
東日本大震災で被災した
気仙沼線や大船渡線の
復旧までの代替手段として
採用されています
陸前高田の『奇跡の一本松』
見てきました
震災前この場所には
約7万本の松林が広がっていましたが
大津波により
ほぼ全ての松がなぎ倒されました。
その中で
唯一津波に耐えて残った一本の松が
『奇跡の一本松」と呼ばれ
希望の象徴となりました
現状は残念ながら
地盤沈下による海水の影響(塩害)で
翌年枯死が確認されました
しかし復興の象徴として後世に残すため
幹に防腐処理を施すなど保存整備が行われ
モニュメントとして元の場所に立っています
実は輪島朝市の焼け跡にも
『奇跡のタイサンボク』
がありまして
震災直後から
炊き出しで地域の食を支えてきた
ミシュラン一つ星のフランス料理店
「ラトリエ・ドゥ・ノト」のシェフ池端隼也さんが
震災後の春に
この木に芽が出てきたのを見て
新たに居酒屋を開店する際に
1 本だけ残ったこの木が芽吹いたように
輪島市の復興の芽となることを期待して
店名を『mebuki』としました
手前の建物は『陸前高田ユースホステル』
この建物が根元にあったおかげで
一本松は残ったのだと考えられます
こちらは水没した松の根株群
元々この松林は
江戸時代にたったひとりの翁が
防災のためにと私財を投げ打って
植林されたものだったそうです
翁の志を引き継ぐべく
新しい松林が植林されていました
これも震災遺構です
なんだと思いますか
復旧工事のための大量の土砂を運搬する
ベルトコンベアーの橋の橋脚です
この橋のおかげで
トラックの運搬だけだと9年かかる
と試算されていた工期が
わずか1年半に短縮されたのだそうです
工事が終了しても
住民が「残して欲しい」と
感謝を込めて残すことにしたのだそうです
震災遺構『気仙沼中学校』です
誰かが亡くなられた場所が
『震災遺構』になることは基本ありません
この中学校も死者ゼロでした
当時の写真がこれです
震災の1年前に赴任された校長先生が
実際に避難場所まで歩いてみて
これでは危険だと
避難場所を設定し直して
避難訓練を徹底したことが
生徒全員の命を守ったのです
『東日本大震災津波伝承館』を訪れました
鉄橋の切れ端です
1cm以上もある分厚い鉄板が
引きちぎられています
被災した消防車です
主査の須貝 翔 先生に
案内していただきました
高校の先生をされているのですが
教育委員会からの出向という形で
震災の伝承をされているそうです
とても良い制度です!
須貝先生から
素敵な詩を紹介していただきました
「人はみんな過去を持ち
現在があって未来がある
その時々に出会いがあり
別れがある
風の電話はそれ等の人と話す電話です
あなたは誰と話しますか
それは言葉ですか
文字ですか
それとも表情ですか
風の電話は心で話します
静かに目を閉じ
耳を溢ましてください
風の音が又は浪の音が
或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら
あなたの想いを伝えて下さい
想いはきっとその人に届くでしょう」
伝承館のある祈念公園は
高い防波堤に守られています
防波堤に登ると献花台がありました
未来に向けて大切なことを伝えていく
その思いを新たにしました
「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館 」です
予約を入れてガイドツアーしていただきました
ガイドは元中学校の菅原校長先生でした
ここは元々水産高校だった場所です
津波の跡そのままの部屋
3階の教室には流された車が
校舎の間には何台もの車が
当時は濁流が渦巻き
洗濯機のようだったそうです
流されてきた冷凍倉庫がぶつかった跡
つまり屋上近くまで水位が上がったのです
その日は入学試験があった翌日
生徒は全員避難したのですが
一部の先生は入試の答案を
3階4階へ運ぶために残ったそうです
その結果無事合格発表まで
こぎつけたのだそうです
それを指示された校長先生には
敬意を表します
私だったらできないと思います
命よりも大切な紙切れなんかあるか
と思うからです
どちらが正解かはわかりません
逃げ遅れた先生方は屋上に避難しました
屋上への出入り口は通常施錠されています
何という判断力でしょう!
校務員さんがこんなこともあろうかと
逃げる前に鍵を開けておいたそうです!
下は避難した屋上の写真です
津波は屋上に迫る勢いでした
「女は電柱の上に登れ!
男は手すりにしがみついて耐えろ!」
と指示されたそうです
でも女性の先生方が
電柱に登れるはずもありません
そこにもうひとつの奇跡が
一緒に屋上に避難してきた方の中に
学校の工事に来ていた方がいて
ハシゴを持って避難して来ていたのです!
先ほどの写真の左手奥の建物の上に
全員避難できたのです
引き波で水が引いたのを見計らって
全員4階のじゅうたんばりの部屋へ移動しました
教室からカーテンを引きちぎってきて
寒さをしのぎました
見ると津波で流されてきた家が
校舎に引っかかっていました
一階部分はありません
声をかけると
中に女性がふたり
真っ暗闇の中
先生方は
「明るくなったら助けに行くからね!」
「頑張って耐えて!」
夜が明けるまで交代で声をかけ続けたそうです
翌朝先述のハシゴを使って無事助け出しました
いろんなことを学ばせていただいている旅です
気仙沼でちょっといい感じの
写真が撮れました
「みちのく一人旅」その壱
地震から 698 日目
始発列車で仙台に向かいます
海に浮かぶ小さなガラス箱
日立市出身の建築家である
妹島和世氏の設計による日立駅は
美しい駅ランキングで
東京駅 京都駅 金沢駅などと並び
必ず上位にランクインします
太平洋を一望できるロケーション
「展望スペース」からは
美しい朝日を見ることができ
絶景スポットとして人気を集めていますが
何せ出発が夜明け前でしたので
こんな感じです
今度来る楽しみができました
東北大学で開催されている
「世界津波の日」
"World Tsunami Awareness Day"
高校生サミットに参加しました
国連防災事務総長特別代表兼国連防災事務所長の
カマル・キショア氏より
ビデオメッセージが送られました
前方の座席にはヒジャブを被った
イスラム女子高生が座っています
彼女らに限らず
民族衣装を纏った高校生が
それぞれの国を見舞う災害と
その対策について発表し合いました
国際色豊かな会議です
来年はぜひ着物で参加しようと思います
さて週末を利用して
東日本大震災の震災遺構や
復興の様子を見て回るつもりです
まずはNHK仙台放送局を訪ねました
当時を伝える貴重なアーカイブを
見せていただきました
どんな大地震でも放送を続けることのできる
最新鋭のスタジオにも
入らせていただきました
見よこのミーハーぶり
次に平泉へ行ってみました
内陸にある平泉自体は
被害はさほど大きくなかったようですが
世界遺産に登録された毛越寺(もうつうじ)
仏の世界を表現した「浄土庭園」の池にある
趣深い傾いた岩「立石(たていし)」が
余震のたびに傾きが増したので
布を巻き付けたうえ添え木をして
倒れないように守ったのだそう
中尊寺は一部の建物の壁が壊れるなどの
被害を受けました
表門は柱が傾くなど被害が大きく
本格的な修理のための
クラウドファンディングをしています
発災時は
避難所として被災者の受け入れも
おこなっていたそうです
世界遺産であっても
非常時はそうなるのですね
次に一関に行ってみました
『祭畤橋(まつるべばし)』の
崩落事故がありました
橋脚の地盤そのものが
11mにわたり
地すべりを起こしたことが原因でした
崩壊した橋はそのまま
「災害遺構」として保存されていて
整備された周辺の公園から
見学する事ができます
一関市街地には磐井川が流れます
太平洋から86kmあるので
さすがにここまで
津波は遡上しなかったようです
川のほとりには
N.S.P メモリアルがありました
ここから見える夕暮れの風景が
名曲「夕暮れ時はさびしそう」
の舞台だそうです!
N.S.P は一関工業高等専門学校の同級生の
フォーク・グループです
ギターを形どったベンチに
上品な女性が腰掛けていらっしゃったので
声をかけてみました
昨日は中村貴之さんの命日だったそうです
同じく既に亡くなった天野滋さんの
実家も教えていただきました
平賀和人さんはご健在で
今も草野球に夢中なんだそうです
私が初めてギターを弾けるようになったのは
N.S.P の「八十八夜」でした