校長室より「おこらいえ」

ふたりの素敵な女性から

65日目

 

先日、山椒魚のピアノを運び出す際に

情報を拡散してくださった

カウンセラーカレッジ石川の森辰美さんより

生徒のみなさんにメッセージがあります

 

「困ったらまず人に相談する

 という経験が大事

 相談すること

 助けを求めることは

 恥ずかしいことでも

 みっともないことでも

 何でもない

 この経験が

 青年になって

 もしもしんどくなった時でも

 誰かに相談することができる

 礎になるの

 たった一人で抱えて

 崖っぷちにいる大人が

 本当に多いんだわ」

 

このことは

自分も身をもって経験しています

捜し物をするときは

「あれ、どこいった~?」

って大騒ぎしながら探すんです

そうするとたいがい誰かがどこかで目にしていて

「あそこにあったよ」

ってあっけなく見つかります

 

日本では

「人様に迷惑をかけないように」

って育てられるけど

ある国では

「あなたも人に迷惑をかけるんだから

 あなたも人からの迷惑を許しなさい」

って育てられるんだそうです

 

「こどものすること怒るでない

 かつておまえが通った道

 年寄りのすること笑うでない

 いつかおまえが通る道」

って言葉もありますしね

 

先日ラジオに出演させていただいた際に

インタビューをしてくださった

MROの原田 幸子アナからも

力強いメッセージが届きましたので

ご紹介します

 

「みなさんの目の前に

 立ちはだかっているのは

 壁ではなく

 きっと扉で

 その扉には鍵がかかっていたり

 とても重かったりするかもしれないけど

 きっと開く

 開けることができる

 自信を持って扉を開けて

 前に進んで欲しいです」

そのうちなんとかなるだろう

64日目

 

今日もいろんな方からの支援が

 

山田長満奨学金より

本校から4名の生徒が採択されました

この奨学会は

世界の平和及び経済成長

並びに人々の幸福に

寄与することを目的に

日本や国際社会に貢献する人材を

育成する会です

 

今回の被災を受け

急きょ10名の増員をしてくださり

奥能登5高校の生徒に

支援していただけることに

なったものです

 

お世話をしてくださった

サンテック株式会社の

岩和志会長様にも

厚く御礼申し上げます

 

山椒魚のピアノの脱出にも

本日成功しました

運び出してくださったのは

大浦運輸株式会社

石川ピアノ配送センターのみなさん

 

 

 

 

 

 

絶対無理だと思っていたのですが

さすが専門家です

傷ひとつつけずに

あっという間に運び出してくださいました

 

設置したのは

輪島高校の吹き抜け階段

 

 

 

 

 

 

誰でも弾ける屋内ストリートピアノとして

第二の人生のスタートです

 

大浦運輸さんを紹介してくださったのは

白山市の楽器店ポンポロプーの島崎克宏店長

石川のマイスターにも選ばれている

名ギタリスト

ポンは太鼓

ポロはギター

プーはラッパ

なんでも揃う楽器の総合店です

 

山中温泉の近くのお寺に

こんなお触れ書きが

 

 

 

 

 

 

「大変」とは大きく変わるチャンスのこと

輪島高校卒業式校長の言葉

として紹介してくださっています

 

ただこの言葉は

36日目のブログでご紹介したように

インターネットで見つけた

島本麻衣子さんの言葉であって

私のオリジナルではありません

そもそもこのブログ自身に登場する名言は

ほとんどどなたかの言葉のつなぎあわせであって

オリジナルは1割程度しかありません

 

島本さんの言葉を私が始業式挨拶で使い

それを聞いた生徒が卒業式答辞で使い

それを報道したものをご住職が書いてくださり

 

素晴らしい言葉というのは

このようにして伝わって行くものなのですね

 

お寺に書かれている言葉というのは

ほんとうに奥深いです

私がある日見かけてずっと心に残っているのは

「いのち◯わたし◯生きている」です

◯には助詞が入ります

どんな助詞が入っていたか忘れましたが

入る助詞によって

幾通りにも解釈できる言葉だなと…

「いのちでわたしは生きている」

「いのちのわたしが生きている」

「いのちもわたしも生きている」

「いのちがわたしを生きている」

 

名言と言えば

私のお気に入りの一休さんの逸話です

亡くなる前に弟子達に

「どうにもならないほど困った時があったら

 この遺言を開きなさい」

その後実際どうにもならないほど困った弟子達が

遺言を開けると

「大丈夫 心配するな なんとかなる!」

 

植木等さんの名曲

「金のない奴ァ俺んとこへ来い!

 俺もないけど心配するな」

と同じくらい大好きです 

「見ろよ青い空白い雲

 そのうちなんとかなるだろう」

 

でも勘違いしてはいけないのは

何にもしなくて

なんとかなっている訳じゃなくて

なんとかしようと思って

一生懸命頑張っている人がいるからなんですよね

 

だから大事なのは

なんとかなるだろうと

楽観的に構えながら

今できることを

精一杯やることだと思うのです

 

「誰かがなんとかするだろう」では

いけません

「すみれ」の花言葉

63日目

 

輪島高校のすぐそばに

そのピアノ教室はありました

 

「すみれグループ」かわいい名前の教室の

先生のなまえは高出紘子先生

 

今はもう通う子はいませんが

自分の3人娘もそこで習っていました

今 かつての教え子さんが

いろいろな場所でご活躍されています

 

今回の地震の知らせを受けて

イタリアで音楽活動をされている

羽根由紀美さんが

急きょ帰国し先生のお世話をなさっています

輪島高校の避難所の方へも

シャワーをしに来られていました

 

今回卒業式の場所探しの件で紘子先生にご相談したら

大海文さんが音楽堂の手配をしてくださいました

文さんはオーケストラアンサンブル金沢(OEK)で

現在お仕事をされており

「とっても信頼できる人」と

紘子先生一押しのお弟子さんのひとりです

 

卒業式は

OEKで歌を歌っていらっしゃる

仲谷響子さんの「君が代」で始まり

パイプオルガンの演奏に合わせた

「聖母への祈り」の独唱で

多くのみなさんが魅了されました

「聖母への祈り」は

輪島の一本松公園の丘の上に立つ

「海の星幼稚園」のイタリア人神父さまが

作詞作曲なさった曲です

 

すみれの花言葉は「誠実」「小さな幸せ」

とっても誠実な「すみれグループ」の

みなさんのお力で

小さな幸せをかみしめるような

素敵な式になりました

 

ほんとうにありがとうございました

みなさんのおかげです

62日目

 

昨日 無事卒業式を行うことができました

 

ほんとうにいろんな方々にお世話になりました

 

石川県立音楽堂の山本美智子さん

「思い出に残る卒業式にしたい」と

会場の設営や式の進行に

いろいろと素敵なご提案をくださり

プロデュースをしてくださいました

 

舞台 音響は金沢舞台さん

当日 直前の変更にも

嫌な顔ひとつなさらず

思うがままのリクエストに

応えてくださいした

 

会場をお花で彩ってくださったのは

フラワースクールミュゲ代表の水上詩子さん

多くの農家が被災されている中

石川県の花エアリーフローラを集めてくださいました

卒業生一人ひとりにコサージュも

 

みなさんをお迎えするBGMは

パイプオルガンの荘厳な調べ

演奏してくださったのは

オルガン奏者の黒瀬 恵さん

圧倒される演奏に胸が高鳴ります

 

卒業証書は一人ひとりに手渡しました

バックに流れるは

リトアニアからの

ジドレ・オヴシュカイテさんの

ヴァイオリンソロ

 

輪島吹奏楽団のみなさんが

式歌「ふるさと」の演奏をしてくださいました

卒業生田中琉惟さんのお母さんが

メンバーに声をかけてくださり実現しました

卒業生退場のBGM「輪高讃歌」も奏でてくださいました

 

卒業式の後には

サプライズです

 

つつがなく式を終え

卒業生が退場したあと

もう一度式場に戻し

プレゼントです

 

プレゼンターとして登場したのは

スマイルアップのみなさん

 

東山紀之社長をはじめ

元V6の長野 博さん

SexyZoneを卒業する中島健人さん

関西ジュニア Lilかんさいの

大西風雅さんと嶋崎斗亜さん

 

見たいなと思いながらまた見れていない映画に

斗亜くん出演の

「あの花の咲く丘で、君とまた出会えたら。」

があります

今度絶対見に行こうと思っています

 

5人の登場に会場のボルテージは最高潮

生徒よりもお母さん方の目が

ハートになっていました

 

5人はまず立ち振る舞いから違います

立っているだけでオーラが違います

 

若いタレントの活躍する場を守るため

自ら矢面に立つ東山紀之社長の姿は

困難の中 立ちあがろうとしている我々にとって

心の励みです

 

ホンモノの持つ力は素晴らしいですね

同じ場所にいるだけで

笑顔になれる

たくさんの元気をありがとうございました

卒業おめでとう

 

61日目

 

卒業おめでとうございます

 

大切な人を亡くされた人もいます

家が壊れたり燃えたり

大切な思い出をなくした人も

たくさんいます

 

私も

洋服が全て瓦礫の下で

1月1日からずっと

同じ服で過ごしています

 

でもね

今日のこのモーニング

去年の入学式以来

ずっと校長室に

おきっぱにしておいたんですよ

 

なので今日はちゃんとした格好で

みんなの卒業を

お祝いすることができます

 

コロナの中

中学時代を過ごしてきた

みんなが入学してきて

 

コロナが収まって

さあこれからというとき

こんな話をしました

 

「みんなは決して

 可愛そうな世代なんかじゃない

 これまでの辛い日々は

 これから生きていくための

 きっと大きな力になるよ」

 

そして今回

 

もうみんなには

これ以上がんばれなんて

そんな簡単には言えない

 

でもね

 

前を向くしかないんです

 

今はこんなに悲しくて

涙も涸れ果てて

もう二度と笑顔には

なれそうもないけど

 

そんな時代もあったねと

いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

 

だから今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

 

輪島に残るみんな

一緒に

新しい街作ろう

 

一旦輪島を離れるみんな

きっと

いつか

帰っておいで

みんなが驚く街

作って待っとるし

 

令和6年1月1日

 

そのちょうど2ヶ月後

みんなは

輪島高校を巣立っていきます