校長室より「おこらいえ」

避難所開設に向けて

輪島高校を避難所として開設するため

教頭先生と2日から泊まり込みで

準備を進めています

 

昼間には何人もの先生やOB、OGが

手伝いをしてくれています

いろんな方に助けていただいています

 

各地の自衛隊の方々が

続々グラウンドに集まって来ます

頼もしい限りです

 

 

 

 

 

 

背景の傾いたビルが

震災の激しさを物語っています

 

なんでも終戦の翌日には

もう郵便が届いていたそうで

日本って国は本当に素晴らしい

 

街を歩いてみると

トルコから炊き出しのボランティアが

日本だけじゃなく

世界から支援の手が差し伸べられています

 

オンラインで生徒の安否を確認していますが

電波事情が悪いようで

3分の1しか回答が得られません

そこで教頭先生に避難所を回ってもらいました

すると前期の生徒会会長が

ほとんどの生徒の安否を把握していて

その実行力と生きる力に感心しました

 

彼は昨年、本校の100周年記念式典で

生徒代表挨拶を務めた生徒です

あまりに堂々とした挨拶に感動した校長は

「虎の涙」という限定販売の焼酎を

「二十歳になったら呑めよ」と

阪神ファンの彼に送ったのでした

その焼酎、震災で割れていないといいけど

 

昼になると「先生食べてー」と

生徒が食パンを持って来てくれました

スーパーで配ってくれるものを集めて

いろんな人に 

配って歩いているんだそうです

本当は自分たちだって

お腹すいてるんだろうけど

 

ありがたくいただきました

ほとんど飲まず食わずだったので

心にしみました

ハクにもらったおむすびを頬張る

千尋の気持ちがわかるような

 

陽が沈むとあたりは真っ暗です

余震が起こるたびに怖くなるけど

その代わり星がとても綺麗です

 

「星が綺麗ですね」と語りかけたときの

最も悲しくなる返事は「星は綺麗ですね」

最もときめくのは「今なら手が届くかもしれませんよ」

これって何のオマージュかわかりますか?

国語が好きな人ならわかりますね

 

大好きな国語の授業を受けれる日が

一日でも早く訪れますように

令和6年度 志願者心得

輪島高校への進学を希望している

中学生のみなさん

大変な今だからこそ

未来をしっかりと見据えて

希望を失わずできることから

一歩ずつ着実にやっていきましょう

 

本日は高校入試の志願者心得を

お届けする日だったのですが

学校にはまだ電気が届いていないので

どうすることもできません

 

そこでとりあえず写真で見ていただきます

見にくくてごめんなさい

電気が復旧次第正式なもの

および定時制のものをアップしますね

 

4月にみなさんをお迎えできるよう

全力で準備していきますね

みなさんも負けずに頑張りましょう 

 

奇跡の一軒家

焼け野原となった街を見に行きました

あちこちでまだ煙がくすぶっています

 

一面燃え尽くされた隅っこに

我が家だけポツンと残っていました

 

 

 

 

 

 

東日本大震災の時の

「奇跡の一本松」を思い出します

新聞等で報道されている写真には

写ることのない本当の端っこです

 

でも焼け残ったのは

実は奇跡でもなんでもないのです

 

こんな大火災になった時は

街区の端っこの家に

とにかく水をかけて

なんとかそこで延焼を

食い止めるのだそうです

確かに道を隔てた先には

炎が燃え広がった跡が

見られませんでした

街の全滅から守ってくださった

消防の方々のお力に

心から感謝申し上げます

 

我が家は

水浸しになりながら

なんとかここで炎を食い止めようと

必死で持ちこたえていました

 

そう思うと

自分もしっかりしないと

生徒のために何ができるか考えないと

力が湧いてきます

 

 

 

 

 

 

 

 

家の中に入ってみました

水をたっぷり吸った床を踏むと

ふにゃふにゃでした

 

到底住むことはできないので

いずれ取り壊されます

「本当によくやった」

褒めてやりたいです

 

新婚旅行の思い出の

コアラのぬいぐるみだけ

持ち出して来ました  

始業式で話そうと思っていたこと

1月9日に始業式を行うことができるのか

できたとしても全員揃うのは

難しいだろうから

始業式で話そうと思っていたこと

ここに記します

 

今日はたしか箱根駅伝の復路の日

それどころではない輪島市では

どこの第六走がトップで箱根の山を下るのか

確認しようもありませんが…

 

箱根駅伝は1920年に始まって

今年で第100回

1923年に創立した本校も

今年創立100周年

あれあれ?

3年のずれが?

 

そう

箱根駅伝には

途中3回の中止の歴史があるのです

 

日本が中国に戦争を仕掛けた昭和14年

東京師範学校(現在の筑波大学)の選手のもとに

召集令状いわゆる赤紙が届きます

 

召集令状とは

戦士として戦場に赴けという命令であり

受け取った方の中には

君たちとそう年の変わらない方も…

多くの若者が特攻隊として

「靖国で逢おう」を合言葉に

敵艦に体当たりして

若い命を散らしました

 

靖国神社とは

坂本龍馬や西郷隆盛

この国を作るために

命を落とした方々を祀った神社で

戦争で亡くなったら英霊として

その神に招かれると

信じられていたのです

 

山下りを得意としていた彼は

第六走つまり2日目の第一走を

走ることになっていました

 

ところが召集令状の命令は

まさにその2日目までに

熊本まで来いというもの

 

自分の夢であった箱根は走りたい

でも軍の命令は絶対

箱根を走るのは不可能に思えますが

ある工夫によって

夢であった箱根を走り切ります

 

その工夫とは…

 

どうしても箱根を走りたかった彼は

急きょ第一走と交代し

襷を渡したあとそのまま

熊本行きの列車に飛び乗り

戦地へと赴いていったのだそうです

 

その出来事の翌昭和15年

箱根駅伝の中止が軍部から申し渡されます

ここは戦争に必要な物資を運ぶ重要な道である

兵隊さんがお国のために戦っているときに

そこを走るとは何事か

 

結局昭和17年までの3年間

箱根駅伝は開催されませんでした

 

ところが箱根を走りたいという選手の熱意が

昭和18 年ついに軍部を動かします

戦禍が激しくなって来ている中

そんなことは不可能に思えますが

大会の運営方法に工夫を加えることで

箱根駅伝が復活します

 

その工夫とは

 

スタート地点とゴール地点を

靖国神社に変更したのです

我々はお国のために走るのです

靖国を飛び立ち

そして靖国へと帰って行くのです

そう軍部を説き伏せたそうです

 

どんなに困難な場面であっても

工夫次第で道は拓ける

箱根駅伝にまつわるふたつの話は

このことを教えてくれています

 

今輪島市は復興に向けて歩き始めました

道のりは遥か遠いけれど

工夫を重ね歩んでいきましょう

立ち上がれ!輪高

今、石川県は大変な状況になっています

とりわけ輪島市は地震による倒壊に加え

大火災によって

住む場所を失った生徒がほとんどです

 

1月2日(火)震災後初めて学校に入りました

 

 

 

 

 

 

 

 あまりの酷さに絶句

 

私は教師として真の教育とは何か

常に問い続けて来ました

 

ある時ある先生の教育実践に出会い

その時から

これが真の教育であり

教育の原点だと思うようになりました

それ以来そうありたいと思い

これまでの教員生活を送って来ました

 

これは心の中に思い続けるものであり

決して退職するまで

他人に話すことはないだろうと

思っていたものなのですが

 

その先生の教育実践とは

 

お名前までは覚えていませんが

戦後の焼け野原で子供達を集め

何にもない広場で

教科書もノートも使わずに

どんな時も学ぶことを止めてはならない

そう語りかけ

子供たちに希望を与え続けた先生の

エピソードです

 

教師がチョーク一本で

語りながら板書し続けて

生徒はひたすらそれを書き写す

そんな授業スタイルを

「チョーク&トーク」といって

昭和を代表する時代遅れな教育と

最近では揶揄されることも多いのですが

 

ICT機器など最新の教育機器が

使えないような状況になったとしても

チョーク一本で

どれだけ子供達を惹きつけ

希望を持たせる授業ができるのか

これこそが

「チョーク&トーク」の真髄だと思います

 

このことを常に考えて

自分の授業を磨き続けてきたつもりです

 

輪島市は今

ウクライナの戦場の様相を呈しています

 

でもそんな中でも

決して学ぶことを止めてはならない

それを生徒たちに伝えたい

強く強く心の底からそう思います

 

一日も早い学校の再開を目指します

どんな状況からでも

輪高は立ち上がります

 

生徒のみなさんは

学校再開のその日まで

自分で学び続けていてください