校長室より「おこらいえ」
柿の実色した火曜日
地震から296 日目
豪雨から32 日目
今日から出張
途中の道すがら
崩れた山肌を見ると
ふと思い出すことがあります
崩れる前
あの辺に確か柿の木があったな
人が分け入らないような高い山の上
なぜあんなところに?
というような場所に
秋になるとたわわに実らせていました
誰も取らないので
それは初雪が降る頃までずっとそのまま
そんな風景見覚えありませんか?
実は日本中に見られる風景です
昔の人は山の中にある何本かの柿の木を
「あの柿の木は切ってはなんねえだ
山の神様が怒って降りてくるだ」
と言って決して切らなかったそうです
山の神様の正体とは?
そうクマです
近年
山に食料がなくなり
クマが里まで降りてくるようになりました
昔の人はクマがそれ以上降りてこないように
あちこちに柿の木を残して
そこでクマを食い止めていたのです
共存していたのですね
「神」と「クマ」
どちらもアイヌ語の「カムイ」が
語源となっているという説があります
今日からの出張は
「津波サミット」のため
熊本へ行ってきます
神様「くまモン」に逢って
復興をお祈りしてきます
先日のOECDグローバルフォーラムの
「未成年の主張」で
「本屋がないからなんとかしてー」と
教育長に向かって叫んだ本校の生徒
「気持ちはわかったぞー!」
と叫び返してくださった教育長様から
直接にお返事をいただきました
教育長様はその後
お忙しい中いろいろ調べられ
アドバイスをくださいました
書店のない自治体が社会問題化していること
「無書店自治体 対策」で検索できること
経産省でもプロジェクトチームで対策に踏み出すこと
NHKや読売新聞での報道
富山県立山町での先進事例
県の商工労働部にもはたらきかけてくださったこと
など多岐に渡りアドバイスをくださいました
そして高校生に対して次のようにメッセージをくださいました
「高校生が実際の書店経営に乗り出すのは難しいと思いますが
書店が欲しい人は輪島市に一人だけではないと思うので
志が同じ人を集めて輪島市に要望するとか
署名を集めるとか
先生と相談しながら
高校生でもできることをすることも大事ではないでしょうか
輪島市に
書棚に並ぶ本に触れお友達と本を選べるような
環境が戻ってくることを願っています」
たったひとりの高校生の叫びに対して
こんなにも丁寧に向き合ってくださいました
高校生にとって新たな一歩を踏み出すための
大きな力をいただきました
「おこらいえ」のルーツを訪ねてきました
「おこらいえ」は輪島の海士町の言葉
海士町の祖先は九州の宗像から渡ってきました
世界遺産である宗像大社を参拝しました
さっきまで降っていた豪雨が嘘のように止み
神々しい光が差してきました
こんな時って
神様に歓迎されている時なんだそうですね
おみくじをひくと
「神社参拝は神様にお願いする場ではなく
日頃の努力を神様に報告する場」
とのこと
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
降臨の場とされる高宮祭場
凜とした空気の中
パワーをいただいてきました
鳥居に石を投げ上げると
なんと乗りました
何かこれから
いいことしか起こらない予感です
今日もたくさんのお客様
地震から295 日目
豪雨から31 日目
水害から1ヶ月が経ちました
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします
大成建設さんがお見えになりました
のと里山海道の現場でも
先日ダンプをお見かけしました
能登復興のために尽力してくださっています
大阪万博にも関わっておられ
吉本興業をはじめ
3つのパビリオンの建設を
担当されているそうです
輪島高校へは
「転生プロジェクト」で
関わってくださっています
「転生プロジェクト」とは
災害ゴミに命を吹き込み
新しい意味のあるものに
蘇らせるプロジェクトです
コンクリート片や割れた瓦 魚網などを崩して
大成建設さんの技術で成形しなおします
生徒からは
マリンタウンの遊具
学校の中庭のベンチ
かつての朝市通りのジオラマ
などのアイディアが出ています
アクセサリーなどの小物を作って
販売する計画もあります
どんなものに生まれ変わるのか
夢の膨らむプロジェクトです
輪島市にも出向き
小中学生と一緒に何かできないか
担当者と意見交換させていただきました
輪島市バスケットボール協会の方も
来られました
11月3日本校を会場に
車椅子バスケットボール大会が
繰り広げられます
今日はその下見です
バスケ初心者の方でも
健常者の方でもどなたでも
車椅子バスケを体験できるそうです
当日はおにぎりも振る舞われるそうです
ぜひお越しください
新採の木村先生の研究授業があり
担当の指導主事の先生もいらっしゃいました
木村先生は他県のご出身で
しかもいきなりこんな被災地の勤務となったのに
不満や弱音を一切口にせず
被災地の生徒たちに
本気で向き合ってくれています
今日の放課後も生徒をひとり残し
遅くまで勉強を教えていました
残っていた生徒も
今回の地震で被災し
他校から転校を余儀なくされた生徒です
みんなそれぞれの場所で
一生懸命取り組んでいます
輪島市高校魅力プロジェクトの
スタッフさんも来られました
学習支援のほか
探究活動のコーディネートなど
多岐にわたってサポートいただいています
11月2日に予定されている
「街プロ」発表会に関する打ち合わせのためです
この日は河井小学校の体育館をお借りして
ポスターセッションを行う予定です
こちらもぜひお越し下さい
NHKの取材も入りました
輪島市の漁業に関する番組です
漁師の子供たちにインタビューしました
番組をお楽しみに
多くの方が思いを寄せてくださっています
出会いを大切にして
一歩一歩歩んでいきましょう
イオンかほくでコンサート
地震から294 日目
豪雨から30 日目
吹奏楽部が
イオンかほくでコンサートをしました
輪島吹奏楽団と合同です
思えば被災してまもない頃
もしかしてもう楽器を持つことはないかも
とも思っていたのですが
避難所回ろう
みんなを音楽で元気づけよう
そんな話をして
再び楽器を手にした
かけがえのない仲間たちです
輪島吹奏楽団は
現在練習場所が震災でやられてしまったので
生徒が帰った後の夜
輪島高校で練習しています
今回一緒に演奏です
まずは「希空」
土屋太鳳さん主演
ご存知NHK朝のテレビ小説「まれ」の
主題歌です
輪島高校もまれちゃんの通う高校として
撮影に使われていました
太鳳さんも
何度も被災地を訪れてくださり
我々を励まし続けてくださっています
続いて「東京ブギウギ」
こちらは敗戦の焼け野原から
日本が再び立ちあがろうとしていた時
国民を元気づけてくれた曲です
「ゴールデンイーグル」
輪島吹奏楽団の前団長は
世界的な作曲家アルフレッド・リード氏と
懇意にされていました
そんなご縁もあって
石川総体のテーマソングを
リード氏が手掛けてくださることに…
それがこの曲です
「白山の…」と歌われる石川県民の歌が
曲中にフューチャーされています
そして「リメンバミー」
ピクサーの映画の主題歌
ギターが大好きな少年が
死後の世界に迷い込む話
死後の世界では
現世の人がその人を忘れてしまった瞬間
その人は消えてしまうのだそう
それを「二度目の死」といいます
だから現世に生きる我々は
亡くなった人のことを
決して忘れてはいけないのです
続いて「マジンガーZ」
輪島にゆかりのある永井豪先生
先生の記念館が
焼け尽くされた朝市通りにありました
復興に向けた新しいシンボルとして
きっと生まれ変わって
牽引してくれるものとして
信じています
ラストは「銀河鉄道999」
お亡くなりになった松本零士先生
お亡くなりになったあとも
その作品のテーマソングが
ずっと我々を励まし続けてくださいます
輪島の街が元通り
そしてそれ以上に生まれ変わる時
自分はこの世にはいない
でもその時のために
今できる精一杯のことを
できるだけたくさんの種を
蒔いておければと思う毎日です
釣りバカ日誌の撮影秘話
地震から293 日目
豪雨から29 日目
輪島高校では
生徒の家庭学習時間を調査しています
昨年度までは学年ごとに目標値を設定し
達成できたかどうかを調査していました
しかしそれでは
数値を達成することに意識がいってしまい
本来の目的を見失っている状態であったため
今年度より方法を変えました
生徒自身で毎週目標時間を設定し
それを達成できたかどうかを
自己評価し
次のモチベーションにつなげる
という方法にしました
先週の調査によると達成率は
1年生で54%
2年生で36%
3年生で26%
個人個人の目標値が異なるため
客観的なデータとはいえませんし
これをもって多い少ないも論じることもできません
ただ実際の平均学習時間を見てみると
3年生は1年生よりも3時間多いので
学年が進むにつれ
より高い目標値を設定している
ということは言えそうです
美川スポーツセンターで
科学グランプリが開催されました
本校からは
泉豪さん 宇羅央渉さん 大畑瞬星さん
大向莉奈さん 坂口紋彩さん
舩本亮雅さん 前名拓実さん 邑田達紀さん
でチームを作って参戦しました
午前中は数学や理科 情報などの筆記競技
午後は実技競技がありました
昨日話題にした「釣りバカ日誌17』について
撮影秘話を
夏祭りのシーンでしたが
撮影が行われたのは真冬でした
短パン・半被で
寒空の下2時間ほど待って撮影開始
よくよく見ると出演者にはさぶいぼが
西田さんは
急性心筋梗塞で倒れられてから
復帰直後の撮影でしたので
スタッフに支えられながら
撮影現場に入られました
拝見していて痛々しいほどでした
ところがカメラが回り始めた途端
別人のように背筋がピンと伸び
天に突き刺さるごとく張りのあるお声で
鬼気迫る演技をなさりました
本物の役者魂を見ました
その衝撃は今でも忘れられません
能登の祭りでは
神輿の先導役を務める大きな灯籠
「キリコ」が乱舞します
「キリコ」のシーンでは
役者さんのセリフを綺麗に録るため
一切音無しで行われます
祭りの音は編集で重ねます
笛や太鼓・鉦も掛け声も一切なし
「キリコ」の屋根に吊るした風鈴も
ガムテープで固定します
シンと静まった通りを
遠くから「キリコ」が勇壮にやってくる姿は
それはそれで見応えのあるものでした
「釣りバカ日誌17」には
地震で壊れる前の輪島の街並みが
美しく残っています
まだ直視できそうもないので
いつの日かもう一度観たいと思います
明日は
吹奏楽部が輪島吹奏楽団と合同で
イオンかほくでステージ演奏します
2回公演で
11:00からと15:00からです
15:00からの方には
私も一緒に出させてもらおうと思っています
ぜひお越しください
雲ひとつしかない秋晴れのもと
地震から292 日目
豪雨から28 日目
今日は体育祭
グラウンドに改修工事が入り
本来なら実施できないところでしたが
日本航空学園さんのご好意により
サッカーフィールドを
貸していただけることとなりました
ありがとうございます
福岡第一高校の「世界一の体育祭」でも
手渡された輪島塗のカップ
果たして今年はどの団の手に?
航空高校の3年生も
参加してくれることになりました
みんなで準備体操
障害物競走
四人五脚
借人競争
大綱引きには
航空高校の野球部3年生も出場
圧倒的な強さを見せつけました
スムーズに進んでいるので
以降の予定を繰り上げます
お昼休みです
おそろいのタオルです
小綱奪い
男子優勝チームと
航空高校エキシビジョン
ここでも航空チームが圧倒的強さを見せます
力強さだけでなくスピードもあります
クラス対抗リレー
部活動対抗リレー
これは私が高校生の頃から続く競技です
当時は剣道部は面・胴・小手フル装備で出場
当然毎年最下位なのですが
伝統へのこだわりが垣間見えて尊敬していました
これにも航空高校が参戦
圧倒的速さです
さすが上を目指して引退後も
鍛え続けている肉体です
俳優の西田敏行さんが亡くなりました
実は私と西田さんは何を隠そう
「釣りバカ日誌17」で共演した仲です
その年の初め
「今年の抱負は?」
と晴れ女に聞かれたとき
「歌だけじゃなく
お芝居にも挑戦してみようと思う」
と答えておいたので
ある意味実現したといえます
石田ゆり子さんと大泉洋さんが
祭りの街をそぞろ歩くシーンの
後ろでたたずむという
非常に難しい役どころでした
わずか1秒ほどですが
私でないとこなせないいい演技ができたと
自負しています
助演男優賞をいただけなかったのが存外でした
しかも
石田ゆり子さんのあまりの美しさに
ぼーっと見とれていると
「カット!カット!!
エキストラさん
女優さん見ちゃダメだよ!」
とNGまで出すという
大俳優を完全に凌駕する域まで達しました
ご冥福をお祈りします
明日の体育祭について
地震から291 日目
豪雨から27 日目
学校の復旧工事が始まっています
こちらは傾いた2号棟の基礎検査
2号棟は現在大きく傾いており
もともとあった職員室等は使用できず
安全な棟で緊急的に先生方が執務しています
棟の4隅を掘削して
地下の基礎の部分を点検し
異常がなければ
棟をジャッキアップして
まっすぐにするのだそうです
恐るべき技術力です
3年生国語表現の授業(担当丹保亜矢子先生)では
ディベートを行いました
①日本は小売店の深夜営業を禁止すべきである
是か非か?
②日本は中学生以下のスマートフォンなどの
使用を禁止すべきである
是か非か?
③日本は救急車の利用を有料化すべきである
是か非か?
それぞれのテーマに分かれて
肯定派と否定派に分かれて
議論を戦わせます
③に関して事例をひとつ
保護者の迎えが遅れがちで
保母さんの勤務時間が終わっても
迎えに来ないのが
日常化していた保育所が
その対策のため
時間外の預かりを有料化したそうです
すると
「お金払っているんだからいいでしょ」
の乗りで
平気で遅れてくる母親が増えたそうです
いろいろ難しいですね
ディベートの授業が取り入れられた当時は
日本の高校生は議論の経験が乏しかったので
相手を論破することが目的化してしまい
議論ではなく喧嘩になってしまうことも
見受けられたのですが
今ではかなり上手になりました
国際的な場面でも
堂々と意見を言える若者は
着実に増えてきていると思います
時代はかなり様変わりしてきました
保護者の皆様にご連絡がふたつあります
(1)コロナ等に関すること
病院でもらった薬剤指示書などの書類は
処分しないで保管しておいてください
各種申請に必要となることがあります
(2)体育祭に関すること
日本航空高校石川さんのサッカー場をお借りして
明日18日に開催します
送迎等でお手数をおかけします
なお駐車場はコート手前の駐車場をご利用になり
ゲートをくぐってすぐ左です
奥には入らないようにしてください
みつばちの力
地震から290 日目
豪雨から26 日目
学校にスズメバチの巣を見つけました
早速駆除です
蜂の巣ジェットの威力は
すさまじいですね
スズメバチ撃退の技で
もっと強烈なのものに
「蜂球」があります
日本ミツバチが持つ必殺技です
ミツバチにとってスズメバチは
幼虫や卵を根こそぎ食べられてしまう天敵です
そこで巣に寄ってきたスズメバチを見つけると
総攻撃をしかけます
数百匹のミツバチがスズメバチを覆い包んで
押しくらまんじゅうを始めます
お互いの羽根をこすり合わせ
摩擦熱を発生させます
やがてまんじゅうの中の温度が上がり
スズメバチは死んでしまいます
ミツバチは50℃まで耐えられるので
へっちゃらです
小さなミツバチでもみんなで力を合わせて
大きな天敵をやっつけます
本校生徒が取り組んでいる
街再生プロジェクト「街プロ」の中に
「みつばちプロジェクト」があります
小さな力でも
少しずつでも
あきらめずに前に進めるといいね
きっと大きな課題でもやっつけることができるよ
明倫のみんな!ありがとう!
地震から289 日目
豪雨から25 日目
金木犀の甘い香りが
学校を包んでいます
あんなに酷い目にあったのに
季節がめぐるとちゃんと花を咲かせる
植物の生命力に感動です
野々市明倫高校のみなさんが来校しました
詳しくはこちら
初任で本校に勤務されていた
池田真彬先生が引率されていました
最後に本校生徒に向けてのご挨拶
「かつて自分が住んでいたこの街
壊れた姿を見て愕然としたけど
みんなの元気を見て確信した
この街は生きている!」
この言葉に
また立ち上がる元気をもらいました
ありがとうございました
もう公費解体され
あとかたもなくなった我が家にあった
娘が弾いていたピアノ
家と一緒に壊される運命だったのですが
家が解体する前に何とか運び出し
学校の中でストリートピアノとして
第二の人生?ピアノ生?を送っています
生き物を数えるとき
なくなったあとに残る物で数えるのだそうです
ゾウは1頭
にわとりは1羽
サンマは1尾
ピアノは1台なので
きっと壊されたあとは
台しか残らなかったのかもしれません
では人は?
1名です
そう
人は亡くなったあと名を残すのです
この話はある特攻隊員が遺した言葉です
今日も生徒がピアノを弾きにきてくれました
彼女は幼稚園の先生を目指していて
今度大学入試でピアノの試験があるそうです
これは災害にも負けなかったピアノ
きっと見守っていてくれるよ
がんばれ!
輪島市学習センターが再開しました
輪島市が高校魅力化プロジェクトのひとつとして
学習する場所を提供してくださっているものです
魅力化スタッフが質問にも対応してくださいます
場所は「ふらっとホーム」の二階
「ふらっとホーム」は
旧国鉄七尾線の輪島駅の跡地
駅の数え方は1軒
なくなった駅のあとに
今ではバスのターミナルやお食事処が
軒を連ねています
そこの二階を活用して
落ち着いて学習出来る場所が
戻ってきました
いろいろ頑張りました
地震から288 日目
豪雨から24 日目
東北復興研修や
グローバルフォーラムを終えて
生徒のがんばる様子が
HABのYouTubeチャンネルで
紹介されています
【未成年の主張】
https://www.youtube.com/watch?v=marcCbh78S4&list=PLifVGdqsTJWi9DF7nQZHYVtEiB7thUI6b&index=6
【東北復興研修(前編)】
https://www.youtube.com/watch?v=0Yh_ZCEE1vo
【東北復興研修(後編)】
https://www.youtube.com/watch?v=Qf1xrxwcxy8&t=1s
参加した生徒からのレポートを掲載します
2年 前名拓実さん
今回、東北大にてOECDの方々や色んな方と交流させてもらって感じたことがあります。一言でまとめると、「教育」ってすごく難しいことなんだなって思いました。
どこの学校も様々な面での問題に悩まされているということが分かりました。しかし、他の学校の教育改革の成功例が自分の学校にも当てはめられるとは限らないのも「教育」の難しさを実感しました。例えば学校の統合ですね。地域によって実現可能性は全く違うし、なにより統合前の学校の伝統、校風を完全に変えてしまう可能性が出てくることはある意味すごく怖いことでもあると思うんです。校風が良いと思って入学された生徒、OB、それからOGの方の反対が出るのも当然だと思いました。そうするしかなくなってしまう日本の地方教育の在り方は問題であり、これから議論をもっと重ねる必要があると実感しました。
しかし、海外の学校の教育改革のアイデアは日本と違った見方も多く、大変興味深かったです。
せっかくこうして関われたのですから、これからもご一緒にお話しできる機会が増えれば良いと思いました。生徒として、教育について深く考える機会を設けていただけたことを大変嬉しく思います。
2年 三中そらさん
今回のOECDグローバルフォーラムに参加し、私自身にとって大きな変化がありました。それは世界が思っていたよりもずっと近い存在だと感じたことです。これまでは「世界」と聞くと、どこか遠い存在のように思い、少し距離を感じていました。しかし、たくさんの外国の方々と交流し、自分なりに英語を使って積極的にコミュニケーションを取ったことでその距離感が一気に縮まりました。世界は決して遠いものではないと実感しました。
特に印象に残ったのは、発表前に緊張していた私に対して多くの方々が優しく声をかけてくれたことです。みほさんや交流会で仲良くなった外国の方々がハグをしてくれたり励ましの言葉をかけてくださったおかげで、少しずつ緊張を和らげることができました。また発表後にも多くの方が褒めてくださり、ハグしてくれたことが嬉しかったです。その瞬間、国境や言葉の壁を越えて人と人が繋がる力を強く感じました。
さらに、「Future of Education and Skills 2030」という場では、さまざまな立場の人々の意見に触れ、自身の視野が広がりました。教育の在り方についての議論は難しいテーマでしたが、他国の教師や教育関係者の意見を聞くことで、教育の役割や未来について深く考えさせられました。このような場に参加し、教育の未来を共に考える一員としての意識を持つことができたことは大きな収穫でした。
貴重な経験を通じて私の視野は広がり、世界は想像以上に近いものであると感じるようになりました。今回のフォーラムで得た学びは私にとって大きな変化となり、これからも積極的に世界との繋がりを深めていきたいと思います。
旅の終わりに
地震から287 日目
豪雨から23 日目
グローバルフォーラム最終日
多くの方が13年前に辛い思いをされた
東北の地での最後の一日です
能登半島の現状をお話しする機会が
幾度となくありました
思い出しながら話そうとしても
言葉に詰まります
涙を堪えていると
ほとんどの方が
泣いてくださいました
13年の年月が経っても
深い心の傷は決して癒えることはないのだと
いたたまれない気持ちになると同時に
我々の気持ちを痛いほどわかってくださる
その想いに励まされる思いです
生徒は本当に多くのことを学んでいます
戸田市教育長の戸ケ﨑 勤 様からは
夏に輪島高校を舞台に行われた
能登スクールの中で実践された
「おさんぽワークショップ」を
世界に紹介いただきました
参加者に被災地を散歩してもらい
その風景をもとに
それぞれの教科の視点から
どのような気づきがあるか
探しながら歩き回るアクティビティでした
教科書からではなく目の前の現実から
教科と日常生活を結びつける試みでした
また
「教師の自己犠牲が当たり前ではない教師像」
とそれに伴う
「新しい教師像への社会的理解」
が提言されました
教師という職業が
「子供たちの未来」や
「社会の未来」を担う
重要な職業であるにも関わらず
その知的刺激や挑戦の機会が減少し
信頼や尊敬が揺らいでいる状況を
危惧してのものです
さらに文部科学省から
「D-EST」
Disaster Education Support Team
の仕組みをつくることが発表されました
これは現在すでに活躍していらっしゃって
今回の地震で珠洲に支援に入られた
兵庫県教育委員会の震災学校支援チーム
EARTHさんのような活動を
全国的に展開しようとするものです
4日間最後のプログラム
パネルディスカッションに生徒が参加しました
「あなたにとって教師のエージェンシーとは?」
との問いに対して
三中さんは
「一人ひとりに合ったやり方で教え導くこと」
前名さんは
「自身の考えを促すことで自主性を育むこと」
と答えました
次の質問
「未来に残すべき教育と変えるべき教育は?」
三中さんは
「部活動などで得られる協力・団結・協調性を残し
間違いを許容しない土壌をなくしたい」
前名さんは
「考えを共有しながら進める授業を残し
もっと世界とつながるように変えたい」と
最後の質問
「ティーチングコンパスに採択したいキーワードは?」
三中さんは
「柔軟性」
多様な生徒への個々に応じた教育が求められるから
前名さんは
「支え合い」
生徒と先生が支え合えるようになるといいから
そして
「笑顔」だそうです
少し時間を作って
先日「復興研修」で生徒が訪れ
お世話になった場所を訪ねて
お礼を申し上げてきました
まずは多賀城高等学校さん
先日生徒が訪れたとき
帰りに吹奏楽部のみなさんが
演奏で送り出してくださいました
ちょうど吹奏楽部が練習してたので
輪島高校の生徒が
「一生思い出に残る風景になった」
と話していたことを伝えました
次に閖上(ゆりあげ)朝市へ行きました
先日マスコミの取材を通して
生徒たちに励ましのメッセージを
届けていただいていました
この地区では全てを津波に流されたあと
まず朝市が立ち上がったのだそうです
そしてそれに導かれるように
街が甦ってきたのです
慰霊碑の前では今でも
ひたすら祈りを捧げる方が
いらっしゃいました
慰霊碑の高さは
この地を襲った大津波の高さ
8.3mです