校長室より「おこらいえ」
久しぶり!どうしてた?
18日目
生徒の登校を再開しました
最後に会ったのは12月28日かな
みんなで豚汁食べたよね
ティーンズラボで
クリスマスパーティーもしたっけ
いろんな話が飛び交います
今日登校できたのは26名
およそ1割の生徒たちです
ほとんどの生徒が
すでに市外へ二次避難をしています
久しぶりの再会に
「おまえ老けたなあ」
前回ドラム缶風呂でお世話になった
「にちにち好日」さんが
再会のお祝いのお菓子を
差し入れしてくださいました
避難所にもひとつうれしいお知らせが
岩手県の北良株式会社さんが
循環式のシャワーを設置してくださいました
避難所の衛生環境が気になります
とっても助かります
場所は生徒玄関
昨日先生方が倒れたロッカーを
一気に片付けてくださいました
なんだか教員同士の絆が
一層強くなったような気が
いろんなタイプの先生がいます
0を1にするのが得意な人
1を99にするのが得意な人
99を100にするのが得意な人
100を0にするのが好きな人
鳴かぬななら…
鳴くまで待とうホトトギス
鳴かんでいいよホトトギス
鳴くのと変えようホトトギス
自分で鳴くわホーホケキョ
石橋を叩いて渡る人
石橋を叩いても渡らない人
石橋を叩き過ぎて壊す人
石橋をわざと壊して造る人
そもそも石橋に気づかず泳ぎ出す人
いろんな先生がいて
いろんな意見を出し合いながら
一歩一歩前へ進んでいます
被災した実家で勉強し続けている
ひとりの受験生が
教材をとりに学校へ来ました
受験校も絞れたのか
赤本も持っていきました
まだ電気が復旧していないんだそうです
まさに蛍の光窓の雪
蛍捕まえるだけで大変やろ
そんな暇あったら勉強せえ
といろいろつっこむ人もいますが
実は「蛍雪」の言葉の生まれた
中国のある地方の蛍は
日本の蛍の200倍の明るさがあって
10匹ほどで充分勉強できる明るさが得られるとか
空飛ぶ仙人がいるという地方の話なので
どこまで本当なんだか
ふたつの大切
17日目
避難生活が始まって以来
ずっと心がけていることがふたつあって
ひとつめは挨拶
震災前はずっと毎朝校門で
生徒に挨拶するのが日課でした
素敵な笑顔で返してくれる子
ブスっとニコリともしない子
親とケンカでもしたのかな?
と思いを馳せたり
避難所は最初の頃
みなさんギスギスした雰囲気で
疲れ切っているのもあるのでしょうが…
これではいけないと思い
挨拶をしまくることにしました
じいじ、ばあば、自衛隊、犬
とにかく、おはようございます
今では
声をかけていただくことの方が
多くなりました
そしてふたつめは
「はきものをそろえる」
曹洞宗永平寺の道玄禅師の教えです
はきものをそろえると、心もそろう
心がそろうと、はきものがそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世の中の人の心もそろうでしょう
今では避難民の方一人ひとりの
心もそろって
こんな感じです
今日の感染状況
コロナ6
インフル4
胃腸炎2
もうすぐ学校に来れるよ!
16日目の朝です
金沢方面へ避難している生徒のため
金沢地区の高校が施設の一部の使用を認め
生徒の学習に活用させてくださっています
本来の生徒さんのご指導がおありなのに
本当にありがとうございます
生徒のみなさんにもご迷惑をおかけします
ごめんなさい
本校教員も何人かそちらの方に勤務しています
今日は、その先生から便りが届きました
平野校長先生へ
生徒らが割り当ての教室に入った折
自分の学校の教員の顔を見て安堵する表情に
涙が出そうになりました
こちらでは他校の先生方も
指導に加わると言ってくれています
スクールカウンセラーの浅井好先生に
ひとりひとりお話を聞いていただきました
【生徒A】
地震が怖かった 今でも怖くて家に入れない
玄関から先へは一歩も動けない
将来は患者の心に寄り添える看護師になりたい
【生徒B】
トンネルの中で揺れ始めた
何とか車で脱出できたが
大きな岩がゴロゴロ落ちてきて怖かった
でも負けない 国語の教師になりたい
【生徒C】
「なんで自分たちだけ?」最初はそう思った
でも今は違う!立ち直った!
高校の教師になりたい
【生徒D】
自分は大丈夫!でも町が心配
もとどおりになるのかな?
【生徒E】
母が「まあいいか」の気持ちを
繰り返し教えてくれた
【生徒F】
せっかく生きているんだから
人の役に立ちたい
大学卒業したら世界中を廻る!
【生徒G】
うちはなくなった
でもその分薬剤師への思いが強くなった
奨学金借りてでも絶対やる!自分で返す!
前向きで力強い言葉が続きます
でも
震災直後はどの子も「いい子」になるのだそうです
でもそれは決して
本当の気持ちではないのかもしれない
地震や火事そのものへの恐怖
家族が離ればなれになることへの不安
大切なものを失ったさみしさ
そのサインを見落とさず
しっかりと寄り添う必要があります
そしてこの前向きな言葉たちが
本当の強さになりますように
今,1月18日(木)から登校できるように
準備を進めています
こんなにぼろぼろだった部屋も
ほらこのとおり
先生方、頑張ったよ
学校の再開ではありませんので
無理に登校する必要はありません
欠席にはなりません
日 時:1月18日(木)9:00~12:00
9時~10時の間に来て下さい
場 所:3年生の棟
避難者と動線を分けています
入 口:ゴミステーション側のドア
内履き※に履き替えます
(※石川県では上履きのことを内履きといいます)
スリッパを用意しますが
内履きを持ってきてもかまいません
服 装:制服でなくてもかまいません
持ち物:初日は筆記用具があれば大丈夫
設 備:エアコン・ストーブがあります
水洗トイレが使用可能です
内 容:初日は友達と話ししたり
授業の準備をしましょう
本日の感染状況
コロナ4
インフル5
腸炎2
今日は炊き出しのパキスタン人に
ウルドゥー語の「おはよう」を習いました
アッサラーモ アレークン
輪島高校と「まれ」
15日目を迎えます
3年生受験組はホテルで自己採点
さて、今日も多くの方々の支援をいただいています
認定NPO法人カタリバさんと
NPO法人じっくらあとさんが
音楽室に「みんなの子ども部屋」を
設置してくださいました
ゲームやピアノ、勉強部屋もあり
自由に過ごせる子どもの居場所です
以前、炊き出しをしてくださった
にちにち好日さんが
今日は入浴支援に来てくださいました
ドラム缶を用いた薪の風呂です
避難されている方は発災以来
お風呂に入っていません
涙を流して喜んでくださる方も
大阪大学のProject INPACT さんは
女性トイレにサニタリーセットを
設置してくださいました
5年前に「5年後の自分に宛てた手紙」
プロジェクトでお世話になった
吉川教授とゆかりのあるみなさんです
実はうちの娘も
そのプロジェクトに参加しており
先日届いた
「5年前の自分からの手紙に」
こんなこと考えてたんだーと
感慨深げでした
昨日紹介したオーストラリア帰りの中村くんが
お前も来いと友人に声をかけて
ボランティアの輪を広げています
来てくれたのは元々同級生の田中琉惟くん
昨年度、本校で企画した海外研修で
フランスへ渡り片言のフランス語を学んだ
自称パリジャンです
なんとも国際的なコンビですが
やっていることはコテコテの日本人です
それから今日はNHKのニュースに
出させていただきました
ディレクターは
輪島高校もその舞台となっていた
土屋太鳳さんの朝ドラ「まれ」の
製作にも携わっていた方でした
今回焼け野原となった朝市通りの中に
かつて「まれ」記念館はありました
今回訪ねてみると
モニュメントだけ焼けずに残っていました
誰かがお供えしたお菓子が
コロナ禍による学校閉鎖が終わり
登校が再開した時の生徒の笑顔が
忘れられません
なんやかんや言っても
やっぱり学校が大好きなんです
だからとにかく学校に来てもらいたい
もうすぐ登校を開始します
何人集まるかわからないし
教科書のない生徒もたくさん
でもその中で何ができるか
先生方は精一杯頑張ります
「丁寧に」
「みんな揃って」
「絶対間違いなく」
がこれまでの教育だとしたら
「ポイントを絞り」
「できることから」
「とにかく走り出す」
がこれからの教育だと思うのです
ニュースではそんなこと話しました
本日の感染状況
コロナ6
インフル4
腸炎1
戦線復帰!
14日目の朝です
一昨日
大学入学共通テスト応援のため
自分も金沢に出向きました
ところが到着した途端に発熱
ここ40年ほど
二日酔い以外の病気をしたことのないくらい
健康には自信があったのですが…
疲れと、風呂に入れたという安堵でしょうか?
明くる朝、検査の結果
コロナとインフルともに陰性
確認してから試験場で激励
今朝早くに学校へ向かいました
水道をひねれば水が出る
風呂も入れて洗濯もできる
緊急車両以外の車でも
ガソリンを入れてもらえる
そんなひとときの夢のような生活を離れ
学校に戻ります
渋滞を避けようと朝4時に出たのですが
七尾〜穴水間は長蛇の列です
車窓には富山湾越しに立山連峰
年に数回だけ限られた時間にしか見られない
神々しい姿に力づけられます
途中の山々には凄まじい傷跡
崩れ落ちた山肌に
うっすら雪化粧です
学校に着くなり
文科省からの建物の安全検査に同席です
一部の建物の安全が確認されました
これから授業再開に向けての
スケジュール調整に入ります
生徒のみなさん
保護者のみなさん
今しばらくお待ちください
生徒の安否は
全員確認されたことになっていましたが
実はもうひとり
確認されていない生徒がいました
彼の名は中村輝人くん
ワーキングホリデーを活用して
オーストラリアに渡っていた生徒です
オーストラリアに行ったっきり
連絡方法がわからなかったのと
まさかオーストラリアまで
地震の影響はないだろうということで
安否確認はしなかったのですが
輪島高校の避難所で支援活動している姿を
ひょっこり見かけました
彼は学ぶことが大好きだったのですが
世の中の動きのスピードに対して
緩やかすぎる日本の教育に疑問を感じ
日本の教育を変えると意気込んで
単身オーストラリアに渡ったのでした
オーストラリアに渡ってからは
いろんな仕事を経験したそうです
周りに韓国の友達がたくさんできたことで
英語よりも韓国語がペラペラになっていました
今回、故郷の震災のことを知り
とりあえず飛行機を乗り継ぎ
自分にもできることがあると
帰って来たそうです
彼も被災地に着いた途端に
疲れと安堵で行き倒れ
救急車で緊急搬送されたそうです
病院で元気を取り戻した後は
とっとと歩いて帰ってくださいと…
なんとも人騒がせな帰国劇でしたが
バイタリティーあふれる行動力
頼もしい限りです