校長室より「おこらいえ」
フラットアースの根拠
地震から 409 日目
豪雨から 145 日目
輪島と金沢の二拠点生活が続いています
休日は金沢で過ごし
今朝4時に起きて学校へと向かいますと
いろいろ幻想的な風景に出逢います
こちらは雪原にひろがる朝もや
見渡す限り白の世界です
そしてこれは七尾湾からの日の出
水平線上に見えるのは
左側が能登半島
右側が能登島
そして能登島の向こうに
うっすらと見えるのが
なんと立山連峰です
年に数回
条件があったときにだけ見える
奇跡の瞬間です
よく見ると
能登半島と能登島の間の水道
その先にも山並みが見えます
地図で確認すると
長岡から会津の山々
距離にして200km 以上離れたところを見ています
200km 離れた場所の山が果たして見えるのか
気になったので
数学の宮下琢磨先生に計算してもらいました
その結果がこちら
地球を半径6400kmの球と考えると
200km 離れた地点のものは
3126.2mの高さがないと見えない
という結論が導かれました
となると3000m 級の山々の頂上だけが
かろうじて見えるはずで
写真のように堂々とは見えないと思うのですが
どうなんでしょう?
一部でささやかれている
「フラットアース説」
(地球は球でなく平面とする説)
を裏付けるものでしょうか?
それともでっかい蜃気楼でしょうか?
蜃気楼は高低による空気の温度差によって
遠くの景色が曲がって目に届く現象です
七尾湾は和倉温泉が湧いている
比較的温かな海で
上空に冷えた空気が入り込むと
よく蜃気楼の見える場所です
富山湾越しに魚津から見る蜃気楼が有名ですが
実は反対側の能登半島からも
規模は小さいですが割と頻繁に見られます
今回の写真でも
左右の半島と島の先っぽが
浮かび上がって写っているのですが
確認できますか?
それにしても
謎はまずます深まるばかりです
ビジネスコースの2年生が
このブログを読んでコメントを書くという課題に
「国語表現」の授業で取り組んでくれました
毎日少しずつ紹介していきます
題して【今日の生徒の叫び】
地震が起こった1日後の1月2日の学校の状況を今写真で初めて見ました。先生たちの部屋の様子を見て改めて残酷なことだなと思いました。今こうして学校に友達と来れている。そして、みんなで昼休みに友達と弁当を食べているなんてそのときは想像もできなかったことが、今楽しく生活できていることに本当に感謝しかないし、幸せなことだと思いました。
今でもグラウンドはなく体育館での練習をしていますが、こうして練習ができているということだけでも、とても幸せです。これからシーズンインしていく中で、グラウンドがないということを言い訳にせず、自分たち野球部の目標である春大「北信越出場」夏大「甲子園出場」を達成して、どんな状況や環境でもできるということを全国の人たち、そして家族、今まで支援をしてくださった方々に見せて恩返しします。
今、野球ができているのは、親、先生、支援してくれた人たち、応援してくれている人たちのおかげという感謝の気持ちを忘れず、あと1年を切った高校野球を、全力で愉しんでやりたいと思います。《濱田勢生》
「全力で愉しむ」いい言葉ですね!
いろいろの沈黙
地震から 408 日目
豪雨から 144 日目
サッカー部がフットサルの交流戦をしています
飯田高校
七尾高校
羽咋工業
が志賀高校に集まりました
冷凍庫の中みたいな体育館の中で
熱い闘いです
主体的・対話的で深い学び
このことを意識して
教育活動を行ってください
と先生方には日頃お伝えしてはいますが
なにせ
一を聞いて十を誤解する私にとって
対話は何よりも苦手とするところであり
もし今の授業に生徒として参加しろと言われたら
間違いなく保健室登校になっているか
主体的で対話的に振る舞う術だけを身に付けた
ずる賢い生徒に成長していると思います
ですので、対話を重視したグループ活動に
うまく加わることができずにいる生徒を見ると
痛いほどその気持ちがわかるのであります
そこで対話の中の沈黙について考察してみます
沈黙には理由があります
どのように対話の輪から外れていくか
順を追って振り返ってみます
(1)熟考のための沈黙
対話の中に何か引っかかるものがあって
頭の中で整理をしている段階です
この沈黙はむしろ歓迎すべき沈黙で
逆に無理に口を開かせようとしないことが大切です
この辺のさじ加減は
髙橋教頭先生がまことに上手です
校長に判断を求めるため説明する時
私が考え出すと
何も言わなくても即座に話を止め
考えがまとまるのを待ってくださるのです
何か後ろめたいことがある先生だと
(例えば自分が楽をしたいためだけの行事削減の提案)
ここで畳み掛けるように説明してきます
教頭先生はきっと熟考を重ね
ご自分なりの根拠と自信を持って
ご提案をしてくださっている証拠です
(2)置き去りになった沈黙
本当は言いたいことがあったのに
他の人がどんどん話してしまって
話題が違う方向に行ってしまい
話すタイミングを失ってしまった状態です
ファシリテーターを務める先生は
生徒をよく観察し
話を元に戻すとか
その生徒に話を振るなどの
フォローが大切になってきます
(3)対話迷子による沈黙
置き去りの生徒をそのままにしておくと
迷子になってしまいます
何の話をしているかわからず
どう発言して良いか分からず
とりあえず黙っています
この生徒は
ニコニコと笑っているのが特徴です
グループ自体の対話が盛り上がっていても
こんな生徒が増えてくると
やがて収束に向かいます
一旦振り返りをさせるなどの
ファシリテートが必要です
(4)しゃべってはいけない空気が支配する
「これを言うとバカにされるんじゃ?」
「そんなことも知らないの?
とマウント取られそう」
こうならないために
ここは何を行っても安全な場所だということを
ファシリテーターは徹底する必要があります
今共創しているOECDのミーティングでは
このことが徹底されていて
参加する生徒が
思うことを全て話すことができています
教師は対話の時間に沈黙があると
ついつい間を埋めるために
話をしがちです
その沈黙が何のための沈黙なのか見極め
適切な介入をする必要があります
来年はひのえうま
地震から 407 日目
豪雨から 143 日目
連日の大雪で
学校の駐車場も大わらわです
例年ですと
地元の土建会社にお願いして
除雪車に入ってもらっているのですが
被災地復興で出払っているので
お願いするわけにもいきません
そこで朝早くから先生方が総出で除雪作業です
誰もお願いしたわけでもないのに
自然にみなさんで助け合います
今から5年前の教頭時代
朝早くから除雪作業をしているのを横目に
「ごくろうさまでーす!」
と知らん顔で校舎に入っていく若手教員に
「手伝おうという気はないのか!」
と説教していたのにくらべると
これも震災のおかげでしょうか
自然と共助の気持ちが生まれてきている気がします
戸田 尊文 様はじめ
東大阪東ロータリークラブのみなさんが
学校に見えられました
発災当初からずっと寄り添ってくださり
大型スクリーンなど
多くの備品をご支援くださっています
このスクリーンは3月7日の
「街プロ」発表会でも使わせて頂く予定です
どうもありがとうございました
被災地への寄り添いというと
稲垣吾郎さん 草彅剛さん 香取慎吾さんらと
日本財団が共同で運営する基金
「LOVE POCKET FUND」さんが
輪島市に交流施設を建設する費用として
約1億3千万円を支援してくださるとの
新聞発表がありました
ありがとうございます
大阪大学の吉川徹教授より
書籍の寄贈がありました
吉川教授は
地方から都会への学生の流出
に関する研究をなさっています
半島の先端の過疎地にありながら
例年国公立大学へ一定数の合格者を輩出する
飯田高校と輪島高校に関心を持たれ
数年前に両校の卒業生を対象に
調査研究をなさったという経緯もあります
その際に
5年後の自分に宛てた手紙プロジェクトを
企画してくださいました
うちの末娘がちょうどその学年で
つい先日その手紙が5年の時を経て配達され
「こんなことを考えていたんだ」
と感慨深げでした
今回吉川教授にいただいた著作は
「ひのえうま」
2026年は「ひのえうま」にあたります
暦の十干十二支
十二支はご存じ
ね・うし・とら・う・たつ・・・
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
しちゅういんぼうしんしごびしんゆうじゅつがい
とも読みます
十二支は日本のほか
中国や韓国などアジアを中心に
15ケ国で使われており
ベトナムなどでは
ウサギの代わりに猫が入っていたりします
一方十干は
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
(こうおつへいていぼきこうしんじんき)
日を10日のまとまりで数えるための呼び名で
10日ごとに「一旬(いちじゅん)」と呼びます
上旬・中旬・下旬と呼ぶのは
このことに由来しています
それぞれ
甲(きのえ・木の兄)
乙(きのと・木の弟)
丙(ひのえ・火の兄)
丁(ひのと・火の弟)
戊己(土の・・・)庚辛(金の・・・)壬癸(水の・・・)
とも読みます
十干と十二支を組み合わせて
甲子(きのえね)
乙丑(きのとうし)・・・
といった具合に
それぞれの年に呼び名がつきます
甲子園球場は
大正13年 甲子(きのえね)の年にできたので
その名がついています
今年は乙巳(きのとみ)の年です
ということは来年は丙午(ひのえうま)
前回の「ひのえうま」は昭和41年
この年に生まれた赤ちゃんの数は
その前後の年に比べると
4分の3しかいないそうです
その理由は
ひのえうま生まれの女は
気性が激しく男を不幸にするだの
現代ならば即アウトの差別思考で
子どもをつくるのを控えたことによるものです
著書はこの歴史について深く考察しています
この迷信のルーツは
1666年(寛文のひのえうま)にあるそうです
この年に生まれた八百屋お七は
江戸の町を火事で焼け出され
避難所でいっしょになった男に恋心を抱きます
再び火事になれば男と再開できると目論んだお七は
江戸の町に火をつけ
その罪で火あぶりの刑に処せられます
紅白歌合戦で本校に来てくださった
坂本冬美さんが歌われた
「夜桜お七」
で有名な話です
しかもなんと
冬美さんは昭和41年生まれ
まさに「ひのえうまの女」なのだそうです
実際にお逢いした冬美さんは
気性が荒いどころか
避難民一人ひとりに寄り添ってくださり
そして一緒になって涙を流してくださるなど
本当に心やさしい方でしたので
「ひのえうま」は怒りを禁じ得ない
人権問題レベルの迷信といえます
本書には
このような「ひのえうま」にまつわる
興味深い話題が満載ですので
ぜひご覧ください
【今週のありがとう】
埼玉県の書家 光田 紀美代 さま
私の言葉を素敵な書にしたためていただきありがとうございます
山梨県立都留興譲館高校のみなさま
支援ありがとう!いっしょにがんばろうね!
まるごみJAPAN代表 DJ KOUSAKU 様
能登応援弁当楽しみにしています!!
わじまミラクルずの ガッキーさま
「こども縁日」開催ありがとうございました』
ブルックリン日本語学園 ガルシア奈津子先生
遠くニューヨークでの募金活動ありがとうございました
※このコーナーではこれまで
ご支援いただいた方々を
ご紹介させていただいています
ゆでたまごを科学する
地震から 406 日目
豪雨から 142 日目
ゆでたまごの最適なつくりかたが
科学的に解明されたとの
画期的な発表が
イタリアの研究チームからなされました
これにつきましては
わたしもかねてより研究を進めていたところであり
先を越されてしまったことに
口惜しい思いを禁じえないとともに
同じ研究者として
心から敬意を表します
これまでの研究の歴史を振り返ってみますと
時間を計測している最中に
電話がかかってきたり
待ちきれず途中で食べてしまったり
一所懸命計測して作ったものよりも
晴れ女が何も考えず作ったもののほうが
はるかに美味しかったり
厳しい研究の繰り返しでした
卵は白身と黄身で固まる温度が違います
白身は60℃で固まり始め
65℃くらいで流動性がなくなり
80℃ほどで完全に固まります
一方黄身はおよそ65℃で固まりだし
70℃で完全に固まります
70℃のお湯で30分間加熱すると
白身は完全には固まらず黄身だけ固まった
「温泉たまご」ができあがります
100℃近いお湯で加熱すると
白身は完全に固まります
このとき5分ほどで取り出すと
黄身まで熱が伝わらず固まっていない
「半熟たまご」になります
今回のイタリアチームのつくりかたは
100℃の熱湯と30度のぬるま湯に
交互に2分ずつ16回浸すというものです
実験する前に
温度の伝わりかたを
コンピュータでシミュレーションするなど
かなり本気で研究していて
人類の発展に大きく寄与した研究といえます
しかもこの研究リーダーは
「私は卵料理は嫌いだ」と
おっしゃっています
だから途中で食べたくなる
衝動に駆られることがなかったんですね
なるほど
好きなことを研究するのではなく
好きでもないことを
無理やりやらされる中で
真実に辿り着く研究もあるのですね
モコモコ自販機
地震から 405 日目
豪雨から 141 日目
一面雪と氷の世界です
ところでヘブライ語で
氷(コーリ)のことを(ケーラ)といいます
ヘブライ語はユダヤ人が話す言語です
ユダヤ人はヘブライ人とも呼ばれていました
ヘブライ語が最も活発に使われていたのは
紀元前13世紀から紀元前2世紀頃
旧約聖書が編纂(へんさん)された時代のことです
それまでは日常生活で使われていました
ところが紀元前2世紀の始め以降
ユダヤ人は徐々に激しい迫害を受けるようになり
ヨーロッパ各地への移住を余儀なくされ
ヘブライ語は歴史から姿を消すことになります
それでも「聖書の民」と呼ばれるユダヤ人は
聖書を読むためにヘブライ語を学び続け
宗教的慣習を通して書き言葉として残ってはいました
そこで19世紀
世界に散らばっていたユダヤ人たちは
自らの祖先の輝かしい過去を通して
希望を見出す手段として
ヘブライ語に注目しようという
新たな運動が起こりました
ヘブライ語が歴史の舞台に復活しておよそ150年
現在ではイスラエルを中心に
話者が世界中で約900万人いるとされ
この言葉を通じて
希望や望みを伝え合っています
おもしろいことに
日本語とヘブライ語で
意味が共通している単語が3000語以上あり
日本人とユダヤ人の祖先が
同じではないかという説があります
日ユ同祖論といいます
例えば
ニクム カバウ ユルス コマル スム
ツモル コオル スワル アルク ハカル
などの動詞はそのまんま同じ意味ですし
ヤケド ニオイ ワラベ ヤマト サムライ
など名詞にも見られます
アリ・ガドが「私にとって幸福です」という意味だったり
ヤッホーは「神様」
ヨイショは「神のご加護を」
など意味不明の言葉をヘブライ語で発音すると
意味のある言葉だったりします
ハッケ「撃て」ヨイ「倒せ」ノコッタ「打ち破れ」
ジャン「隠して」ケン「用意」ポン「ドン」
ワッショイ!「神が来た」
このワッショイ!
お神輿を担ぐときの掛け声ですが
昔は「ワッ」のときに神輿を威勢よく
天に向かって放り上げ
「ショイ」で降ろす
「ワッ」↑「ショイ」↓「ワッ」↑「ショイ」↓
とゆっくり大きく上下しながら練り歩いていたのが
電線が張り巡らされて
それができなくなると上下運動がなくなり
ワッ→ ショイ→ ワッ→ ショイ→ ワッ→ ショイ→
テンポが速くなり
ワッショイワッショイワッショイ
言い回しも変わって
ヤッソイヤッソイヤッソイ
下町のお祭りの掛け声
「ソイヤ」「ソイヤ」になったんだそうです
もうすぐ卒業式
そのときに歌われる「君が代」
これもヘブライ語として聞くと
興味深い意味が浮かび上がるそうです
クム・ガ・ヨワ 「立ち上がり神を讃えよ」
チヨニ 「選ばれし民」
ヤ・チヨニ「神に選ばれし民」
ササレー・イシィノ 「喜べ残された民よ 救われん」
イワオト・ナリタ 「神の印は成就した」
コカノ・ムーシュマッテ 「全地に語れ」
ナニャードヤレー 「聖前に主を讃えよ」
ナニャドナサレデア 「聖前に主は逆賊を掃討したまえり」
これは青森県新郷村に伝わる盆踊り歌を
ヘブライ語に訳したものです
新郷村の旧名は戸来(へらい)村
「ヘブライ」という言葉から来ているとされています
この村には日本人とユダヤ人の関係を裏付ける風習が
◯赤ちゃんが初めて外へ出るとき
額に墨で十字架を書いて魔除けをする
◯足がしびれた時につばをつけて
額に十字を3回書くと治るという習慣がある
◯この地方の方言のアダ(父親)アバ(母親)
これらはアダムとエバが訛ったものと考えられる
現在輪島高校が国際交流を進めている
トルコのすぐ近くにイスラエルはあり
今なおガザ地区の紛争に苦しんでいます
災害支援や人災支援のために
何ができるのか
しっかり考えていきたいと思います