校長室より「おこらいえ」
「燃える男」の思い出
29日目
輪島市の「災害ゴミ」の回収が始まります
「災」と貼り紙をして
建物の前にまとめて置いとくのだそうです
「災」といえば
昔、野球部にいた元気な選手のことを思い出します
その選手は帽子のつばの裏に
「災」と大きな字で書いていました
どういう意味か尋ねると
「俺は燃える男なんで、『ほのお』っす!」
野球の練習もいいけど
漢字の勉強もせえと・・・
東京でホストやってるって聞いたけど
今頃どうしてるかな?
避難所では
この後輪島高校を小中学校としても
利用するため
避難民の方に避難所の移動をお願いしています
多い時で500人いた避難民の方が
今では103人に減りました
コロナ等感染者の方も2名となりました
生徒の転学も徐々に進んでいます
ある報道によると
今回の被災によって
現時点で輪島市民の36%が
金沢近辺に変わっていったと
試算されています
現在他校への転学が決まった生徒4名
他校からの返事待ちの生徒13名です
うち他校との条件が合わず
転学先の再考を迫られている生徒が
2名います
高校の転学は
やはりハードルが高いようです
今後の学校行事についても
検討をしなければなりません
直近のことについて言えば
卒業式です
体育館は現在自衛隊の駐屯地となっていて
使用することができません
仮に3月までに自衛隊が出られたとしても
体育館の床が傾いてしまっていて
危険でみなさんを入れるわけにはいきません
輪島市文化会館大ホールは
現在物資置き場となっていて
3月に使用できる保証がありません
そこで
金沢市の音楽堂で行うこととしました
すでに金沢の方へ変わってしまった卒業生が多く
かえってその方が集まりやすいと判断しました
音楽堂なら金沢駅の近くでアクセスもよく
思い出に残るものとなるのではないでしょうか
輪島からはバスを貸し切ります
卒業生は無料
ご家族の方は有料となります
日程は3月1日(金)
13:30開式の予定です
後ほどバス利用の希望をとりますので
ご計画に入れておいてください
避難所の男の連隊勤務、月月火水木金金
28日目
週に一度
二次避難している妻と両親のいる内灘へ
洗濯と風呂のため通っています
日中は車が混むため
夜明け前に出発して学校へ帰ります
朝早いと冷え込みが厳しく
フロントガラスが凍て付いています
お湯をかけてもすぐに凍ってしまうので
北陸ならではの生活の知恵です
ナイロン袋にお湯を入れて
フロントガラスを撫でるのです
そうすると再凍結させずに
しかもわずかなお湯で
氷を融かすことができます
地震の爪痕を眺めながら
慎重に車を走らせます
のと里山海道は
ところどころ崩落していて
残されたガードレールのワイヤーが
なんだか墓標のようです
崩れた山肌を見ると
人間が地球を守ろうだなんて
そもそもとんでもない思い上がりで
偉大な地球の上で
単に生かされているだけの存在なのだと
実感します
立ち昇る霧に吸い込まれそうな
神々しさを感じます
学校に着くと
今日は簿記の検定です
本校にはビジネスコースがあって
実社会に出て即戦力として
活躍できる人材の育成を目指して
さまざまな資格取得に取り組んでいます
今日は4名の生徒が受検しました
おや?きちんと制服を着ている生徒が
なんでもお母さんが
とりあえず制服を持って
逃げてくださったのだとか
お母さんの愛情を感じて
なんともいえないせつなさを感じます
大阪大学から支援の方がみえました
避難所の視察を終え
必要な支援を考えてくださいます
避難所にどんなボランティアが必要か?
この問いには即答はできません
状況は日に日に変化しますし
突然にマンパワーが必要になることが
しょっちゅうです
前もって
「こんなボランティアをする!」
万全の準備をして来てくださっても
案外、的外れであったりもします
何かあった時のために
そこにいてくださるだけの
ボランティアがあります
「待つのも仕事」です
今日はスーパーの移動販売が
来てくださいました
避難民の方が楽しみに
玄関まで来られたのですが
テレビカメラがいるのを見て
「やっぱりやめた」
と帰っていく方がほとんどでした
映さないでくれと
自分がしっかり断るべきでした
ごめんなさい
避難所には
こんなかわいいメッセージボードが
これならつらい避難所生活も
ちょっぴり楽しく過ごせそうですね
最後に防災の知恵です
タンスや棚の上部に
隙間にピッタリ
カラーボックスを置きます
固定しなくてもOKです
今回、グランドピアノが裏返るような
震度7でもびくともしなかったので
実証済み、おすすめです
選抜出場おめでとう
27日目
金沢のホテルで勉強している
3年生を訪ねました
落ち着いた環境で勉強しています
金沢西高校のお昼休みには
あったかいうどんも
提供していただけるのだとか
春の選抜に
輪島市に校舎を構える
日本航空高校石川が選ばれました
おめでとうございます
被災地にとって
大きな希望の光です
日本航空高校石川野球部が
創部されたのは2003年
同年初めて公式戦を戦った相手は
当時私が部長を務めていた
町野高校でした
その年町野高校は閉校が決まっていて
町野高校野球部の最後の年でした
輪島市に新しくできた学校の
最初の相手が
その年に輪島市から消えてなくなる学校
何か因縁めいたものを感じたものです
町野高校は
春の選抜に「21世紀枠」が導入された最初の年に
全国9校の最終候補まで選ばれ
多くの記者に囲まれる中
校長室で選抜報告の電話を
ひたすら待つも
結局かかってこなかったという
さみしい思い出があります
ですので今回出場決定の報告を受けた
日本航空高校石川さんの喜びを
自分のことのように嬉しく思います
甲子園ではみんなを元気づける
はつらつとしたプレイを
見せてくれると思います
石川県からはもう一校
星稜高校も選ばれました
選ばれた瞬間
歓声はあげず
黙祷を捧げてくださったそうです
王貞治選手の現役時代の逸話を
思い出しました
王選手は
ホームランを打っても
決してバンザイやガッツポーズは
なさらなかった
それは打たれた相手投手への
最大限の敬意なんだそうです
唯一バンザイをしたのが
ハンク・アーロン選手の世界記録を超えた
通算756号を放ったときだけ
野球という競技は
日本人にとって単なるスポーツではなく
他の人への礼儀を重んじる
「道」なんだなと思います
そういった意味でも
素晴らしい選手を多く輩出している
星稜高校野球部に
あらためて敬意を表したいと思います
星稜高校といえば
数々の名勝負を残していますが
そのうちのひとつに
2014年夏
決勝戦で9回に8点差をひっくり返して
甲子園出場を決めた
神がかったゲームがあります
大逆転の口火を切った最終回の先頭打者
主将の村中選手は現在
今回同じく被災をした輪島市の門前高校で
野球部を率いています
当時の星稜高校のモットーであった「必笑」で
この苦境の中
生徒に元気を与え続けていることと思います
輪島市からうちも加えて3校
夏の大会で大暴れします
西陵高校さんありがとう
26日目
3日ぶりに授業です
午前中に2時間
対面とオンラインのハイブリッドで
行いました
体育では山下友子先生がヨガを・・・
避難所生活が長引き
腕があがらなくなっていた生徒がいて
50代の先生から
「私とおんなじだね」
とからかわれながら・・・
でも授業の終わりには
ちゃんと上がるようになっていました
嬉しいお知らせもひとつ
名古屋の西陵高校の生徒さんから
励ましの贈り物をいただきました
2年5組の生徒さんが
集めてくださったもののようで
衣料やコスメ、小物などを
送ってくださいました
「マフラーあったかい」
「リップめっちゃ欲しかってん!」
みんな大喜びで持って帰りました
絵本もたくさんいただいて
こちらは学校内に設置されている
子ども向け施設「カタリバ」
の方に置かせていただきました
闇があるから光がある
そして闇から出てきた人こそ
ほんとうに光のありがたさがわかる
つらいことがあっても
私は負けなかった
いつかはこの状況から
抜け出せる日が来ると
信じていたから
一時的に悪そうに見えても
あわてることはない
すこしばかり悪いことが続いても
あきらめてはいけない
夜明け前が一番暗い
そうすこしすれば夜は明ける
もう
幸せの芽が
出はじめている
そんな心強いメッセージも
いただきました
西陵高校のみなさん
本当にありがとう
今日も一歩ずつ
25日目
大雪が予測されたため
昨日に引き続き生徒の登校は取りやめです
できることから一歩ずつ
歩みを止めずに前進しています
避難所のシャワーがいよいよ使えます
発災以来頭を洗っていない方がほとんどです
先日新聞に
受刑者にリンスの差し入れが認められるようになった
という記事が載っていましたが
我々はある意味
受刑者以下の生活を強いられているのだなと
複雑な気持ちに…
25日ぶりに綺麗になった方からは
「本当にありがたい」
小さな幸せを噛み締めていました
輪島高校では現在、
高校の再開を目指すと同時に
校舎を小中学校の仮校舎として
活用する準備も進めています
カタリバさんも含め
幼小中高連携した学びの場を
提供できそうです
小中学生が安全に通れるように
玄関の段差を修繕しました
現在、輪島市では郵便が止まっていて
学校宛の郵便物は届きません
が、郵便物は郵便局で止まっているだけで
取りに行けば受け取ることができる
ということを今日知りました
というわけで早速郵便局へ
すると、とっくに届いているはずだった
うれしいお便りをいくつか見つけました
まずは金沢大学附属高等学校の生徒会長さんより
何か援助をしたいけど…という申し入れ
うちの学校の生徒会長に伝えますね
本当にありがとうございます
続いては東京で教員をされている毛利泉先生より
地震避けステッカーの贈り物
寄席文字橘右之吉師匠の筆によるものです
実はすでにメールでもいただいていて
避難所に貼ってあります
どうもありがとうございます
発災当時から大きな力を発揮している携帯キャリア
被災者の大きな心の支えとなると同時に
DMATや自衛隊と連携して復旧活動に
大きな力を発揮しています
docomo、KDDI、ソフトバンクや楽天モバイル
多くの移動基地局を
集中させてくださっています
今回の能登半島は陸の孤島化しているので
船上基地局も投入されているようです
沿岸から輪島の電波を確保してくれています
本校の中庭にもDMAT専用のアンテナが
現在、金沢大学の一部をお借りして
能登地区の5校から
金沢地区へ二次避難している
高校生が学ぶことのできる
場所を作る準備を進めています
大学生の学習支援ボランティアも
多数参加してくれそうです
また、その際、
金沢大学までの交通費も
支援されることが決まりましrた
転学や他の高校で学ぶという選択肢も
お示しましたが
実際かなりハードルが高く
このシステムを利用するのが
最適であるとお勧めします
現時点で転学が決まった生徒は4名です
一日中何やってんだか?
24日目
昔から
ものをどこかにおき忘れることが得意で
1日の勤務時間のうち2割くらいは
あれどこやった?
これどこに置いた?
などとものを探す時間に充てていました
震災後その時間が肌感覚で4割くらいに
増えている気がします
一日中何やってんだか?
って感じです
普段からの
使ったものは元に戻す
という習慣が大切だなと実感
いろんな取材の方から
「あれはいつでしたか?」
と尋ねられることが多いのですが
確かブログに書いたな…
ってこのコラムを見直すことも
生徒に情報を…という気持ちで
始めたこのブログ
意外なところで役に立ってます
日記って大事だなってこれも実感
今朝は雪が積もりました
大雪が予測されていたので
生徒の登校はなしにしました
教務主任の橋場先生が早々と出勤
七尾からの遠距離通勤です
途中、輪島に入る直前で
10cmほどの積雪があったそうですが
それ以外は除雪されていて
車は比較的順調に流れています
ただしアイスバーンにはお気をつけください
道路情報をお伝えしました
今日は輪島市の教育長さんが
避難民のみなさんへご挨拶に見えました
この後、2月から3月にかけて
輪島高校の教室を市内の小中学校として
活用する計画です
現在市内の小中学校は
避難所になっており
校舎として使用できません
また、中学生は白山ろく少年自然の家に
集団で移動してそこで学校を開いていますが
そこに参加できず
輪島に残っている中学生もいます
その子たちのために
輪島高校を小中学校の仮校舎として活用します
現在輪島高校に避難している方は
最初市役所に避難していたけど
役場としての機能を再開するため
ここに移動をお願いした方々で
再三の移動のお願いになるわけですが
子供達の学ぶ場所の確保のために
ご理解ご協力をお願いします
俄然、盛り上がってきました
23日目
何でもかんでも気の持ちようで
昔から
寒い時には「涼しい!」
暑い時には「あったかい!」
忙しくなってきたら
「盛り上がってきた!」
と言うようにしています
ここ数日、俄然盛り上がってきました
文科省から保護者あてに
「転学に関するリーフレット」が
公開されました
(本校ではメール配信しました)
「転学」
「籍を置いたまま他校で学習」
このことについて柔軟に対応するよう
文科省から全国の学校に
伝えていただきました
ただ、このことについて
小中学校に比べ高校間の転学には
高いハードルがあることを忘れてはいけません
「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」
と言われますが
今回に限って言えば
くぐると「未履修問題」という罠が待っています
せっかく転校してきたのに…
科目の組み合わせにより
どうがんばっても
卒業に必要な単位が揃わない
という可能性があるということです
つまり
好きな学校に
行けるわけではないということ
また「籍を置いたまま他校で学習」するパターンは
いつでも自分の都合のいい日に
輪島高校に戻ることができるわけではない
ということもぜひ頭の片隅に…
今は午後10時
ついさっきまで事務員の浦美穂さんが
残ってお仕事をされていました
責任感の強い彼女もやっぱり被災者です
住む場所を無くした彼女は
ずっと車中泊をしています
中学生のお子さんは集団で
白山ろく少年自然の家へ
小学生のお子さんは
単身小松市内の小学校へ
心細くて「行きたくない」って
泣いているのだとか
なんか心が張り裂けそうになります
でもきっとだいじょうぶ
お母さん見守ってるよ
強く大きく成長できるできると思います
金沢方面へ二次避難している生徒が学ぶ場所として
金沢大学をお借りすることができそうです
準備ができ次第ご案内します
生徒のみなさんへ大切なお知らせ
22日目
大学入試共通テストを終えた3年生は
個別記述(二次試験)に向けて
金沢市内の高校の一室をお借りして
学習に励んでいます
受け入れてくださった
高校の関係者の皆さん
ほんとうにありがとうございます
また、土日には
金沢市内のホテルの一室を借りて
同様に学習部屋としています
県教育委員会の
全面的なバックアップを受けています
ありがとうございます
学校では少しずつ授業を組んでいます
23日(火)の予定は
1年生…1限 化学基礎、2限 数学
2年生…1限 生物&物理、2限 化学
です
積雪が見込まれるので
始業を遅らせて2時間だけの対応です
気をつけて登校してください
オンラインでの配信も
徐々に増やしていきますので
Chromebookをまだ取りに来ていない人は
学校までとりに来てください
金沢方面に二次避難をしている12年生
学習する場所の確保ができそうです
しばらくお待ちください
羽咋方面に二次避難している人は
羽咋高校の授業に入って
勉強することも可能です
希望する方はご相談ください
一人ひとりが
事情に応じて学ぶことのできる環境を
何とか整えて行きたいと考えます
要望やアイデアがあれば
ぜひおっしゃってください
100%希望に添うことはできませんが
①他の高校へ転学する
②輪島高校に籍を置いたまま他高校で学ぶ
などのシチュエーションが考えられます
準優勝盾が語るもの
21日目
避難所開設の頃の話です
準備に来ていた市の職員のひとりが
玄関を入ったところにあった
中のトロフィーたちが無惨に崩れ落ちた
表彰ケースをじっと見つめていました
ポツリとひとこと「俺たちの盾が…」
彼の名は浅井朱文(旧姓)
古くからの高校野球ファンなら
輪島高校の投手として
聞いたことのある名前かも
棚の中には輪島高校の
輝かしい部活動の歴史が
飾ってありました
その中でひときわ輝く
ふたつの準入賞盾
それは本校の100年の歴史の中で
かつて二度
甲子園へあと一歩と迫った証です
盾に描かれている図柄は
スクイズをウエストするシーン
打者と捕手が必死にボールに
飛びついているシーンです
あれ?
何か違和感持ちませんか?
スクイズ外す時って
捕手は投球と同時に
立ち上がりますよね
なのに打者と一緒に
飛びつくなんて…
これはサインプレーではなくて
三塁走者がスタートを切ったのを見て
投手が咄嗟の判断でウエストした
高度なプレイを描いたものでしょう
江夏の「奇跡の21球」を彷彿とさせます
よほどバッテリー間に信頼がないと
できないプレーです
よく見ると
背景には
でっかいキャッチャーミットが
描かれています
「どんな球でも俺が止めてやる!」
心の叫びが聞こえるようです
浅井投手は
この盾を手にした当時の
中心選手です
その時決勝戦で戦ったのは
箕島高校と延長18回の死闘を繰り広げた
あの星稜高校でした
「全国制覇した箕島が日本一
それに惜しくも敗れた星稜が2番目
俺たちは日本で3番目に強いチームだ」
と何とも都合のいい理屈を展開していました
この根拠のない自信こそ
輪島の人間の強さです!
きっと立ち上がります!
少し落ち着いてきたので
来週棚の中を整理しようと
思います
浅井選手らの思いを繋ぐ
現在のチームも
「できることから練習を開始します!」
先週、冨水諒一監督から
報告を受けました
男子バレーボール部も
できることから活動開始です
体育館は自衛隊の基地となっていて
いや、そもそも床が斜めに傾き
使用することができないので
20日(土)は翠星高校さんで
合同練習をさせていただきました
わざわざ輪島高校の控え室まで
準備してくださり感謝感謝です
感無量だと語る生徒も…
翠星高校の先生方や生徒の
温かさに触れた1日でした
21日(日)は星稜高校さんと
星稜高校の先生は
「今は大変だと思いますが
一人ひとりが自分のできることを考え
一生懸命にやっていきましょう」
とおっしゃってくださいました
また、今日は
金沢方面へ二時避難している生徒たちに
ひとり一台パソコンを配りました
この後オンライン授業の際に使用します
現場からお伝えします
20日目 土曜日
本来ならば学校は休みなので
朝から少し余裕があります
避難所をうろちょろしてみました
朝早くから
トイレ掃除をしてくださっている方が…
お名前をお聞きしたのですが
「みんなやってることなので…」と
ほんとうにあリがとうございます
輪島高校避難所には
ペット同伴の方の部屋を
1室設けています
ペットも大切な家族
気兼ねすることなく
過ごしてもらっています
生徒たちが学校に置いて行って
被災した辞書やひざ掛けなど
まとめて置いてあります
いつでも取りに来てね
持ち主が迎えに来てくれるのを
待っています
こんなにグチャグチャだった図書室も
このとおり
先生方が1週間かけて
もとどおおりにしてくださいました
トレーニング場には
プライバシー保護のための
間仕切りが入りました
まだ入っていない避難場もありますが
市は各避難場の事情に合わせて
順番に進めています
これをご覧になって
「なぜ輪島高校だけ!」
と苦情を言うのはおやめください
例えば他の避難場にあって
輪島高校にないものもあります
それぞれの避難民が
思いやりの心を持って
過ごしていただければと思います
「俺は被災者だぞ!」
と市の職員に食ってかかる人を見ました
市の職員だって被災者です
ゴミの分別も進んでいます
避難民の方々が
みんなで助け合いながら
ルールも自分たちで決めて
綺麗な環境を保っています
大切な連絡は
ホワイトボードで取り合っています
開所当時は2ヶ所しかなく
除染作業に追われていた
仮設トイレも今ではこんなに
子どもたちが集える
ティーンズラボさんも
素敵なスペースになりました