2025年1月の記事一覧
さとく、ゆたかに、たくましく
地震から 397 日目
豪雨から 133 日目
タイトルのことばは
宮城県多賀城高等学校の教育目標です
東日本大震災の被災地にある学校として
全国でも2校しかない防災系学科を持ち
防災を学ぶカリキュラムを取り入れています
またユネスコスクールやSSHにも指定され
生徒が主体的に学ぶことのできる
さまざまな教育を実践されています
昨年度本校生徒が
東北復興研修旅行で訪れた際は
お別れの時に
全校生徒で見送って激励してくださり
生徒にとって
一生忘れることのできない光景となりました
私は今日「3.11メモリアル“Re-Dit"」
に参加するため
そして生徒の皆さんに
直接顔を見てお礼を申し上げるために
多賀城高校を訪れます
3.11の順序を変えた1.31に開催されるのは
何か意図のあってのことでしょうか
今の高校生にとって2011年は
もしかすると記憶にない
覚えていたとしても
なんとなくいつもとは違う幼稚園の風景
あるいは誰かがが覆い被さって守ってくれた
そのくらいでしょう
こうして災害の記憶を後世に残すため
生徒のみなさんが活動し続けています
この姿は
能登の高校がこれから見習っていくべき姿です
我々に何ができるかしっかり学んで帰ります
冬の日本海とは打って変わって
雲ひとつない関東平野の冬の風景
富士山を車窓から望みます
基調講演では
国土交通省の日野口 厳 様から
「『公助』から考える自助・共助」
と題してお話をいただきました
東日本大震災の際は
津波警報が発令されていたにも関わらず
沿岸部にまだ助かる命がたくさんあるとして
出動命令が出されたそうです
さらに発災翌日から
「くしの歯」作戦を決行します
とにかく車が通れるだけのルートを
くしの歯のように切り啓く作戦です
余震や津波の再襲来の危険がある中
建設会社の現場責任者と道路管理者は
使命感と地域を思いやる心から
この命懸けの作戦を実行しました
ご遺体の措置に当たった
自衛隊や警察など関係機関との連携により
早期に決行できたそうです
非常時には通常のルールを超えた
現場の責任者の決断が求められます
私は以前
のとはやさしや土までも
地震さえやさしくて
子供が親と一緒にいる時間に起こってくれる
とこのブログで書きました
平成19年春休み中
令和5年GW中
令和6年元日
ところが
能登半島だけでなく
実は平成になって
日本に起こった震度6以上の地震は
全てそうなんだそうです
平成15年宮城県沖土曜日未明
平成15年新潟沖土曜日夕方
平成15年中越沖祝日
平成20年宮城沖土曜日朝
平成23年東日本の余震は全て深夜または未明
平成28年熊本地震は余震も含め全て夜
ほかにもありますが
起こったのは全て深夜または未明です
唯一平日の昼間に起こったのが
東日本大震災の本震なのだそう
これだけ一致すると
なんだか気味悪いですね
さらには地震の後に
洪水に立て続けに襲われるなんて
なんて運の悪いことと思っていたのですが
東日本大震災の時も
熊本地震の時も
やはり半年ほどして
洪水に襲われているそうです
後世に伝えていく責任を
ひしひしと感じます
Momojiro
地震から 396 日目
豪雨から 132 日目
総合英語の授業で幼稚園(保育園)に出向き
園児さんたちと交流を行っています
第1・2弾は英語の絵本の読み聞かせをしましたが
今回は第3弾
桃太郎のオリジナルストーリー(英語劇)を披露しました
以下に生徒からのPRを掲載します
私たちは先日、総合英語の授業で海の星幼稚園へ行きました
幼稚園では誰もが知っている「桃太郎」の劇を英語版で演じました
私たちがこの活動を通して目的としていることはなんだと思いますか?
それは
「楽しく英語にふれてほしい」「輪島高校って楽しそう」
と思ってもらうことです
私たちはこの日のために限られた練習時間の中で
園児も一緒に楽しめるよう熱心に練習に励みました
迎えた当日、私たちは海の星幼稚園へ出発しました
園に着くと子どもたちの元気な声が聞こえてきました
その声を聞いて
私たちも楽しんでもらえるように頑張ろうという気持ちになりました
劇の中には園児も参加できる工夫がされており
高校生が作ったトンネルの中を桃次郎と桃子と一緒に歩き
鬼ヶ島へ向かったり
桃次郎・桃子・犬・猿・キジと協力してボールを投げて鬼退治をし
奪われた宝箱を取り返してくれました
そして最後には協力してくれた園児のみんなに
生徒手作りメダルを首にかけました
笑顔で大きな声で「ありがとう」と言ってくれて
とても嬉しい気持ちになった
帰る際には
園児とハイタッチをし「see you」と言って帰りました
次回は和光幼稚園での発表なので
今回の反省点を活かして
より良い演技ができるように努力したいです
〜生徒の感想〜
桃次郎役(中山さん)
私は一生懸命セリフを覚えたり、それに加えて動きをつけたりなどをして園児を楽しませることが出来ました。桃子と声を合わせて言うところは何回練習したのか覚えてないくらい大変でした。そのおかげで本番ではミスなく言えることが出来ました。それでもセリフに合わせた動きなどがスムーズに行かないことが多々あったので次の発表では一連の流れとして進めることが出来たらいいと考えています。
桃子役(谷内さん)
園児の皆さんを楽しませるために自分も楽しんで演技ができるよう努めました。練習のときにうまく言うことが出来なかったり、振る舞うことが出来なかったりしたけれど、本番では桃子らしく振る舞うことが出来たと思っています。次の幼稚園でも、桃子らしさを忘れずに園児の皆さんを楽しませられるように頑張ります!!
鬼代表(岩波さん)
私たち鬼役は園児のみんなが楽しく劇を見てもらうために様々な工夫をしました。鬼を倒すときに高校生だけで戦うのではなく、園児も一緒に戦えるように新聞紙でボールを作ったり、一人一人鬼のお面を書き、新聞紙でハリセンを手作りして鬼だと分かりやすいように工夫しました。園児のみんなが楽しんでもらえるように工夫をする時間はとても楽しかったし、自分の成長にも繋がりました。
次の幼稚園では、恥ずかしがらずに演技をしたいです!
次回は来週5日に和光幼稚園に伺う予定です
輪島の走り嘘
地震から 395 日目
豪雨から 131 日目
昨晩「マツコの知らない世界」で
「チェーン店朝食は
主婦たちの救世主(メシア)」
の特集をしていました
日本経済新聞によると
2023年の朝食にかかる費用は402円で
自炊でもこれだけかかるのなら
外食の方が
と考える方が増えています
「なか卯」さんの
「こだわり卵定食」に
「鶏小鉢」をトッピングする
NEO親子丼が紹介されていました
早速今朝「なか卯」さんに直行です
「今朝はそのメニューを注文する方ばかりなんですよ」
と店員さんに笑われてしまいました
みなさん同じようなことを考えているようで
新しもん好きの
輪島市民性丸出しで
自分でも笑ってしまいました
「輪島の走り嘘」という名物があるくらい
輪島の人間は噂が大好きです
しかも大袈裟に話を盛って伝えるので
誰かが朝くしゃみをしたら
夕方には入院していることになってたりします
あるとき東大に合格した方がいて
「あんたんとこの息子さん東大受かってんて?
できるねー
何食べたらそんな頭いいなるが?」
「そやねーネギや好きやったかねー」
あくる日朝市のネギが売り切れました
先日
日本の「TOKKATSU」教育のおかげで
阪神淡路大震災の時に秩序が保たれていた
と書いたら
それを読んだ阪神淡路経験者から
情報が届きました
「報道されへんかったけど
強盗ようさんおったで
そのかわり地元のヤンキーが
みんなでボコボコにしとったわ」
だそうです
ヤンキーも正義感を学んでいるようです
恐るべし日本の「TOKKATSU」
ところで
NEO親子丼
めっちゃおいしかったですよ
ヒトデと星の不思議な関係
地震から 394 日目
豪雨から 130 日目
二枚貝の殻に
時折小さなまんまるい穴が空いているのを
見かけたことはありませんか?
あれはヒトデが貝を食べたあとです
貝にしがみついて
ザラザラの舌で1週間ほどかけて削り続け
開けた穴からエキスを吸うのだそうです
そこまでして食いたいか?
笑ってしまいますがヒトデにしてみたら
たぶん真剣そのものなんだと思います
私たちは
いつどうやって日本人になったのか?
6歳児は世界のどこでも同じようだけれど
12歳になる頃には
日本の子どもは“日本人”になっている
山崎エマ監督の
「小学校〜それは小さな社会〜」
という映画が
教育大国フィンランドで拡大公開されたのをはじめ
世界各国で注目されています
イギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマ監督は
アメリカの大学へ進学した後
ニューヨークに暮らしながら
自身の“強み”はすべて
日本の公立小学校時代に学んだ
“責任感”や“勤勉さ”などに由来していることに
気づきます
一年間のべ4000時間に及ぶ
小学校での密着撮影と
その後一年間をかけて編集された
ドキュメンタリー映画です
日本の小学校では
児童自らが学校生活を運営する
さまざまな役割を担います
その役割を全うすることで
集団生活における協調性を身につけます
教室の掃除や給食の配膳などを
子どもたちでする
私たち日本人にとっては当たり前の風景が
世界の国から見ると驚きの光景なのです
以前NHK「クローズアップ現代」でも
「TOKKATSU」として
世界に広がりを見せつつあることが
特集されていました
アメリカからは
「掃除の教育は『自分のことは自分でする』
ことを学ぶための最高の見本だ」と
ドイツからは
「小さい頃から周りと協力する意識が
自然と身についてくる」と
ギリシャからは
「子どもたちの責任感
そして信頼する先生の姿がすごい」と
映画のホームページには
各国からの称賛の声が
阪神淡路大震災の際に
あの悲惨な状況の中
殺人・強盗・強姦などの凶悪犯罪が
ほとんどなかったことが
多くの海外メディアの間で
絶賛されました
このことは知らず知らずのうちに
「TOKKATSU」で身についたものなのです
今回の能登半島地震でも見られました
「自分よりももっと困った人がいる」
多くの方が口々にそうおっしゃって
ものや支援を分け合いました
一方で
私の家は火災のあった朝市地区の
一番端っこでポツンと燃え残りましたが
1週間ほどして潜入していると
お正月用に準備していた
ビールやお酒が全て飲み干され
床に空き缶空き瓶が散乱しているのでした
どうやら
「TOKKATSU」を学んでいない
ヒトデが潜入して
1週間かけて飲み干したようです
そうまでして呑みたいか?
ところで
ヒトデがクルッとまるまって
つまりパーがグーになって
周りにトゲが生えたのが
ウニです
その証拠に
ウニには精巣や卵巣が5つあって
口は五角形をしています
ウニのトゲが抜けて
ヒョロヒョロと長くなったのがナマコです
その証拠に
輪切りにしたときに
中心の穴は五角形をしています
能登半島の内浦
七尾湾ではナマコからつくられる
コノワタやクチコが名物ですが
震災後どうなっているのでしょう?
ナマコが陸に上がって
光合成を始めたのがオクラです
私説ですが学術的根拠はありません
この5という数字は
生物学的に非常に意味のある数字です
1,2,3,5,8,13,21・・・
フィボナッチ数列といって
前のふたつの数字の和を順に並べたものです
自然界に存在するものは
ほとんどがこの数字に当てはまります
4本足の獣?
2本の手足です
6本足の昆虫?
2組の3種類の足です
10本足のイカ?
8本の足と2本の生殖器です
パイナップルの皮の網目
8本と13本の渦からできています
ひまわりの種の数と模様もこの法則に
したがっています
なぜそうなるかというと
どうやら細胞の分裂と成長に
関係があるようです
1時間毎に分裂し
生まれたばかりの細胞が
分裂できるようになるまでに1時間かかる
そんな細胞があったとしましょう
1時間目
細胞Aが分裂し新しい細胞Bが生まれます
2時間目
Aが分裂しCが生まれ
Bは分裂能力を持たずそのままです
3時間目
ABが分裂し新しい細胞DEが生まれます
Cは成長のため分裂できません
4時間目
ABCが分裂し新たな細胞FGHを
DEはそのまま
・・・
このようにして
この不思議な数列ができあがるのです
ヒトデが空に昇って輝き出したのが
お星様です
これは本当です
昔洞窟に壁画を描くときに
ヒトデを貼り付けて
星を表現したのだそうです
【今週のありがとう】
大浦運輸株式会社様
うちのピアノ運び出してくれてありがとうございました
MPCピアノメンテナンスのみなさま
そのピアノの調律ありがとうございました
高知県教育委員会のみなさま
遠いところようこそ視察に来てくださいました
日本教育公務員共済会石川支部様
助成金と高圧水洗スプレーとても役立っています
高知県「こうて屋」矢野逸子さま
見事な生姜 体も心も温まりました
※このコーナーではこれまで
ご支援いただいた方々を
ご紹介させていただいています
なにせバタバタしていた中
記録があいまいで
「うちの支援の内容違う!」とか
「うちは支援したのに紹介まだか!」
といったお叱りございましたら
お教えいただければと存じます
このコーナーはまだまだ続きます
麻雀は人生だ!
地震から 393 日目
豪雨から 129 日目
麻雀ほどその人の
人となりが現れるものはなくて
打ち方を見ると
その人の人生までが見えるようで
だからこそハマる人が多い訳で
かく言う私は
ことのほか麻雀が弱いです
人生の成功者とは程遠い打ち方をします
コンピュータ相手ならそこそこ戦えますが
対人間となると
たちまち弱点を露呈してしまいます
理由はふたつあります
まずは
気が小さくて「ロン!」と言えない問題
誰かが当たり牌を切っても
「ここでそれを切るとは
勝負に来たな
かなりいい手なんだろうな
索子で染めてるな
混一色あるいは清一色
もしかして緑一色もあるな
それに引き換え
自分は断么平和
なんてしょぼい
こんな手で上がったら
気を悪くするだろうな」
うだうだ考えているうちに
次の人がサッサとツモりだし
「あ…上がれなかった」
もうひとつは
手を広げすぎ問題
昔から目の前に転がるチャンスには
なんでも飛びつくタイプで
回転寿司では
流れてくる寿司を全て食べたくなります
最近では回転寿司でも
タッチパネルで注文するシステムなので
重宝しております
なので気がつくと
三色一通二盃口を本気で狙って
結局上がれないパターンがいつもです
熟考の上スパッと決断するのが
麻雀の猛者であるなら
何も考えずに決断して
あとからグジグジ考える私は
限りなくギャンブルには向いていない人間です
「石橋を叩いて渡る人」
入念な準備をして
決断したら思い切って行動する
こうありたいものです
「石橋を叩いても渡らない人」
諦める勇気を持っている人です
ときにはこんな決断も大事です
「石橋を叩きすぎて壊す人」
何にでも否定的な意見を言う人
ちょっと苦手なタイプです
「石橋を壊して造る人」
既存のものをぶっ壊して
自分で新しいものを造る人
何人かこんな校長先生にお仕えしてきましたが
自分は到底その域に達することはできません
私は
「石橋に気づかず泳ぐ」
タイプです
石橋があるか確認もせずに
勝手に泳ぎ出して
あとから
「あ!?あんないい石橋あったんや」
向こう岸まで辿り着いていればいいのですが
大概は流れに戻され元の場所にいる
なんのために泳いだんや?
こんな感じです
でも自分で決断して泳ぎ出して
そんな中でいろんな困難にぶつかって
たとえ元の場所に戻されても
流されている間に
ぶつかってきた
ゴツゴツの岩や流木のことは
決して忘れません
今
新しい学習指導要領で重視されている
「探究」の狙いはこんなところに
あると思っています
先日講演をしていただいた
三谷産業様から提案がありました
質疑応答の際に質問をしたふたつのグループ
ひとつめは
「ジムを造りたい」
ふたつめは
「再生可能なエネルギーでまちを照らしたい」
今日その解決策のアイデアをいただきました
「ジム」でのトレーニングの運動エネルギーを
電気エネルギーに変換することを考えては?
全く異質のふたつを組み合わせるだけで
新しいイノベーションを生み出すことができる
素晴らしい発想です
日本ちゃちゃちゃ
地震から 392 日目
豪雨から 128 日目
MUFG ALL STAR GAMES 2024-25
バレーボールのオールスター戦が
石川県を会場に開催されました
会場は「かほく市総合体育館」
通称「とり野菜みそ BLUECATS ARENA」
とり野菜は石川県のソウルフード
ちなみに「とり野菜」の「とり」は
「鶏」でも「鳥」でもありません
野菜や栄養をたっぷり摂るという意味
つまり「摂り野菜」なのだそうです
かほく市のまつやさんの製品で
江戸時代に北前船の廻船問屋を営んでいた
初代当主が船上食として考案した鍋みそがルーツです
そしてこのアリーナは
バレーボール女子Vリーグディビジョン1の
「PFUブルーキャッツ石川かほく」の
ホームアリーナとしても使用されています
昨年度体育館が使えない本校の
球技大会の会場としてお借りした場所でもあります
会場内にはスモークが焚かれ
ボルテージは最高潮に
本校男子バレーボール部員が
大会運営のお手伝いをしました
生で見たオールスター選手は
空を飛んでいるように見えました
チャレンジも生まれて初めて生で見ました
チャレンジと聞くとどうしても
悔やみきれない思い出があります
地震による建物被害認定の
チャレンジ制度の思い出です
今回の能登半島地震では
被害の大きい方から
「全壊」
「大規模半壊」
「中規模半壊」
「半壊」
「準半壊」
「一部損壊」
の6段階で判定されました
判定によって
義援金や補助金の額が
大きく変わります
迅速に判定しなければいけないので
判定士の方がとりあえず外見で判断していきます
ところが見た目は大丈夫でも中に入ると
被害がとてつもなく大きいケースがあります
そのときにチャレンジするのです
そうすると建物内部に入り込んでの
再検査になります
チャレンジ成功すると
段階が引き上げられます
ただし再検査にはかなりの時間を要します
チャレンジ失敗して
段階引き下げのケースもあるので
何でもかんでも
チャレンジすればいいものではありません
我が両親の家は「半壊」の基準を受けました
ただし内部はポッキリと二つに割れ
四方の壁も割れて
どう見ても「全壊」状態でした
ただし隣の家に一部寄りかかった状態でしたので
隣人からは一刻も早い解体を迫られていました
それで泣く泣くチャレンジを諦め
早期公費解体したのでした
解体した家には
価値のある昭和32年発行の十円玉があったはずで
せめてそれだけでも潜り込んで拾っておけばよかったと
昨日放送されていた高価な硬貨に関する番組を見て
思い出しました
みなさん
令和に発行された一円玉は
一個3000円で取引されるそうですよ
お財布の中チェックしてみては?
戦後と被災後のサツマイモ畑
地震から 391 日目
豪雨から 127 日目
日本航空高校石川さんが
春の選抜出場を果たしました
おめでとうございます
お祝いを申し上げに
グラウンドを訪ねました
こんなに雪深い地です
さまざまなハンデを乗り越え
勝ち取った栄冠です
本当におめでとうございます
被災地を元気づけるプレイ期待しています
今日は
徳島の独立リーグで
プロ野球選手を何人も輩出しているコーチを招いて
講演会をしていました
輪島高校からも投手陣が参加していました
19世紀のイギリス
パブリックスクールで
ラグビーを通した
自治の精神と自己規律化を目指した教育が行われ
スポーツが娯楽から教育活動に引き上げられました
このような内容を含め
まずは心の持ちよう
人としてのあり方について
じっくりとお話をなさっていました
JRC部の3人がこども食堂のボランティアをしました
JRCとは青少年赤十字(Junior Red Cross )
いのちと健康を大切にし
地域社会や世界のために
奉仕することを目的に活動しています
今日はサツマイモを使ってのスイーツです
これは毎年老人ホーム慰問に
持って行っているものです
サツマイモは
地震によってヒビが入ったり傾いたりした校庭で
自分たちが育てたものです
場所はふれあい健康センター
火災のあった朝市地域の我が家に
最も近い避難所のあった場所です
私の両親も足の踏み場もないこの場所で
しばらくお世話になっていたなと
すっかり綺麗に片付いた部屋を見ると
遠い過去のような
現実と夢の狭間を行ったり来たりしていたような
不思議な感覚です
一昨年本校は創立百周年を迎えました
その際いろいろ歴史を調べたのですが
戦時中
グラウンドをサツマイモ畑にして
地域の人のために役立てていたそうです
およそ80年の時を超え
同じようなことをしていることに
なんだか感慨深いものがあります
おもしろい早口言葉を見つけましたよ
「蛸が鷹と闘ったが(たこがたかとたたかったが)
蛸が勝ったか(たこがかったか)
鷹が勝ったか(たかがかったか)
わからなかった中(わからなかったなか)
歯がガタガタな方が(はががたがたなかたが)
鷹が勝ったと(たかがかったと)
片言で語った(かたことでかたった)」
「脳に効く早口言葉」(サンマーク出版)より
「東京特許許可局から
京都特許許可局へ来た客は
よく柿食う客だ」
「坊主が屏風に上手にボーっとしたポーズの
ヌードの坊主の絵を描いた」
こんなのも昔ありましたね
I think that that that that that boy wrote is wrong.
(あの少年が書いたあの that は間違っていると思う)
花火三部作
地震から 390 日目
豪雨から 126 日目
昨日紹介した作曲家 弓削田健介さんの
合唱曲「フェニックス」
動画が届きましたので
みなさまにも共有させていただきます
「フェニックス」は
長岡と輪島の小学生の言葉を紡いで
つくられた詩に曲がつけられたものです
長岡の日本一の花火と
輪島高校生が打ち上げた復興の花火
そんなご縁もあります
弓削田健介さんは「能登地震」を受け
3曲の合唱曲を作曲しました
「フェニックス」「ゆめはなび」「HANABI」
https://yugemusic.com/special-hanabi/
珠洲でも夏祭りに花火を打ち上げたそうです
そのとき地震で亡くなった方への
メッセージを書いた紙を貼り付けて
夜空に大輪の花を手向けたのだそうです
真っ暗な夜空に光る花火の真ん中が
なんだか
大切な人のいる向こうの世界への入口にも見え
「僕らのまちは僕らでつくる」街プロ
当初から活動している2年生に1年生が加わり
新たな展開を見せています
様々な企業様からの援助もいただいています
たとえば大成建設様の支援を受けて進めている
「転生プロジェクト」
被災地の瓦礫に新たな命を吹き込むプロジェクト
当初は何をしていいかわからず
右往左往しているかに見えましたが
今では1年生や3年生も巻き込んで
卒業制作にまで広がっています
未来のお花を咲かせるために
世代を超えて花粉を運ぶ
ミツバチプロジェクト
これまでたったひとりで頑張ってきましたが
MROの原田幸子アナが
絵本でつながろうと寄り添ってくださることに
頑張る人のもとには
人が集まってくるんですね
これが探究活動の醍醐味です
さて今日も新たな企業様が
学校にいらっしゃいました
生徒たちの思いと
企業様の思いの
シナジー効果に期待します
まずは会社の概要を説明していただきました
この会社ではどのようなことをやっているか
そしてどのように未来に繋がっていくのか
生徒たちは真剣に耳を傾けていました
自分たちの活動において
どういった部分にご支援いただけるか
あるいはどのように共創できるか
生徒から活発な質問がされました
「僕たちは
ジムを作りたいんです
被災民が元気になるための
力になりたいんです
何かアドバイスをいただけますか?」
「私はジムが嫌いです
あんな狭いところで走って何が楽しいのか
外で走った方がよっぽどいい」
とガツン!
地震で壊された道路は危険で
とても走れる状況ではありません
だからこそ室内で走れる施設をつくりたい
それなのに…
被災地の状況が正しく伝わっていない
新たな社会課題に生徒は気づきます
さらには
自分たちがジムを作れば
みんなが喜んでくれると思っていたけど
そうじゃない人もいる
これも新たな視点です
じゃあそんな人を巻き込んでいくにはどうすればいいか?
それを考えるのが探究活動の狙いです
決して目に見える結果だけで評価してはいけません
「僕たちはエネルギー問題に取り組んでいます
今輪島のまちは街灯が全て倒れ
夕方5時を過ぎたら真っ暗です
太陽光パネルで
まちを明るくしたいんです
何かアドバイスをいただきたいです」
「太陽光パネルには耐用年数があって
今運用しているのは寿命がきていて
その処分に困っている
だからただ作ればいいというものではない」
とふたたびガツン!
処分しなくていい太陽光パネルを作ればいい!
あるいは不要になったパネルを活用できないか
誰もできていないのならチャンス!
生徒のみんなにはそう考えて欲しいのです
そんなさまざまな気づきのある
とても有意義な時間でした
群青のフェニックス
地震から 389 日目
豪雨から 125 日目
その曲との出逢いは
確か教頭として輪島高校に赴任した年だったような
「ああ
あの街で生まれて君と出会い
たくさんの想い抱いて
一緒に時を過ごしたね」
合唱大会で3年生が歌ってくれました
「今旅立つ日
見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず」
歌詞を気に留めることもなく
美しく懐かしい旋律に
引き込まれていきました
「またねと手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる
君の笑顔今でも忘れない」
あとで調べてみたら曲名は「群青」
「あの日見た夕日
あの日見た花火
いつでも君がいたね
当たり前が幸せと知った」
東日本大震災の時に作られた曲と知りました
「自転車をこいで
君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば
群青に染まる」
そう思って聴きかえすと
歌詞のひと言一言が
胸に突き刺さってきます
「あれから二年の日が
僕らの中を過ぎて
三月の風に吹かれ
君を今でも想う」
この曲が生まれたのは、福島第一原子力発電所から半径20km圏内にある福島県南相馬市。
南相馬の子どもたちが東日本大震災によって離ればなれになってしまった仲間を思って、つぶやいたり、 書き留めた言葉を、小高中学校の小田美樹先生がまとめて、曲をつけた作品だそうです。
震災後、全国に避難していった友だちが原発事故で小高に戻れないなど、たくさんの不安が生徒たちにのしかかり、わずか6、7名の2年生も、心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていたそうです。音楽の小田美樹先生も・・・。
ある日、小高中を離れた生徒がどこにいるのか、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けながら、子どもたちが「遠いね」「でも、この地図の上の空はつながってるね」など話しながら、詩づくりが始まったそうです。子どもたちの思いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、小田先生は子どもたちの想いを書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」ができあがったそうです。
(以上、合唱作曲家弓削田健介さんのブログより)
「響けこの歌声
響け遠くまでも
あの空の彼方へも
大切な全てに届け」
子どもたちが
離ればなれになったともだちを思って
作られた曲だったんですね
「涙のあとにも
見上げた夜空に
希望が光ってるよ
僕らを待つ群青の街で」
曲のクライマックスでは
感情が
例えは悪いかもしれませんが
津波のように押し寄せてきます
「ああー
きっとまた会おう
あの街で会おう
僕らの約束は
消えはしない
群青の絆」
群青はスクールカラーだそうです
「また
会おう
群青の街で」
弓削田健介さんが先日学校にいらっしゃって
生徒の気持ちを
生徒の想いを
訊いていってくださいました
その言葉を一つひとつ紡いだ
新しい合唱曲ができあがりました
「フェニックス」
地震に叩きのめされ
洪水に打ちひしがれ
それでも立ち上がる
今の自分たちを象徴する
そんな曲に仕上がっています
「ほしのシャワーにつつまれて
きみはよみがえる
こころのそらで
よぶこえがする
さみしさにたちむかう
ゆうきとひびきあって
ひとりじゃないよ
おもいだして…」
CSH研究発表会
地震から 388 日目
豪雨から 124 日目
SSH・NSH研究発表会が行われました
SSHとはスーパーサイエンスハイスクール
理数教育に特化した高校で
文部科学省から指定されています
石川県では
金沢泉丘・七尾・小松の3校が指定されています
NSHとはニュースーパーハイスクール
国際的に活躍する人材の育成を目指して
石川県教育委員会から指定された高校で
SSH3校に
金沢二水・金沢桜丘を加えた5校です
今日の発表会は
全国の中学・高校の先生方をお招きし
合同でその成果を発表しあうものでした
今回はそこに
クリエイティブリカバリースーパーハイスクールCSH
(勝手に名付けました)
輪島高校からも「街プロ」代表の生徒が
特別に参加して発表しました
代表生徒は2年生の宮腰さんと邑田さん
「高校生観光大使&都会留学」
のアイデアについて発表しました
現在「地域みらい留学」
という枠組みは既に存在します
130校を超える
日本各地にある魅力的な公立高校から
住んでいる都道府県の枠を超えて
自分の興味関心にあった高校を選択し
高校3年間をその地域で過ごす
国内進学プログラムです
美しい自然や豊かな文化に溢れた魅力ある地域で
立場や世代を超えた多様な人々に囲まれながら
高校生活を過ごします
少人数かつ地域に開かれた教育の中
多様な経験と挑戦の機会があることで
高校生ひとりひとりの個性と自立心が
育まれるプログラムです
現在能登高校がこのシステムを利用して
全国からの入学生を受け入れています
今回ふたりが提案した「都会留学」は
この逆の発想です
能登の高校生が都会の高校生活を体験し
地域と都会の交流を深め
漠然とした都会への憧れを
明確にする狙いがあります
都会で活躍する場を見つける生徒もいるだろうし
あるいはもっと世界へ羽ばたく生徒もいる
生まれ故郷の良さを再認識し戻ってくる生徒
あらゆる可能性を広げるプログラムです
ふたりが
スポンサーとなり得る地元企業への
ヒアリング調査を行なったところ
「都会留学に賛同する
一口◯◯万円出す
見返りは必要ないので
将来地域のために還元してほしい」など
6割以上の賛同が得られました
数値計画として
3名採択された場合の
交通費・宿泊費・広告費・通信費など
◯◯◯◯万円の必要経費を試算し
そのための資金繰り計画
賛同企業からの出資や
テレビ局制作企画料など
具体的にまとめ上げました
同じ会場では
七尾高校さんから
能登半島地震による海底隆起の影響で増えた
ウニを利用した炭の開発の発表がありました
ウニが増えるんなら
美味しいウニをたくさん食べれていい
と考えるのは早計です
ウニはそのへんの海藻を食べ尽くし
いわゆる磯焼けという現象を起こす
実は厄介ものです
磯焼けを起こすとサザエやアワビが姿を消します
しかも増えるのはほとんどがムラサキウニ
さほど美味しくないウニです
ムラサキウニ100匹に1匹の割合で
バフンウニが取れますが
これが美味しいんです
さらにさらに
バフンウニ100匹に1匹の割合で
あかがぜが取れますが
これがたとえようのないくらい
最高の味です
がぜというのは方言でウニのこと
つまりあかがぜは赤ウニのこと
能登半島だけでなく日本各地の半島に残る方言です
言葉は中心部から地方へと
時間をかけて
まるで池の真ん中に石を投げ入れると
その波紋が周りに広がっていくように
伝わっていきます
だから日本の半島の先端の言葉を調べると
昔の京言葉がわかります
たとえば能登半島の先端
珠洲の方言「げっさんな」
一度聞くと「ゲスの穴」に聞こえて
なんだか汚い言葉に感じますが
本来の意味は感嘆の言葉
「げに さ あらんや」という雅言葉です
輪島の海士町では
「おしっこをする」ことを
「ションベンまる」といいます
「おまる」の語源がここに見られます
また海士町の言葉には鼻濁音がありません
鼻濁音とは鼻に抜ける「がぎぐげご」
通常の「ガギグゲゴ」とは違い
nga ngi ngu nge ngo って感じで発音します
「午後」と発音してみてください
最初の「ゴ(go)」が鼻濁音じゃないほう
続く「ご(ngo)」が鼻濁音です
日本語では一般的に
語頭の「ゴ」は鼻濁音じゃない方で
たとえば「五円玉」の「ゴ」
語中の「ご」は鼻濁音
たとえば「仕事」の「ご」
と使い分けています
九州弁には鼻濁音がありません
海士町の祖先は九州から来られた方なので
その言葉を受け継いでいるものと思われます
さてさて話をあかがぜに戻して
私は一度だけあかがぜをいただいたことがあります
ご主人自ら漁もされ
採れたばかりの美味いもんを食べさせてくれる
輪島の「連」という居酒屋での経験です
おすすめの店です
今は工房長屋の仮店舗でやっています
全国の皆さん
是非是非お越しください
金沢二水高校さんからは
色弱者に配慮した授業の工夫について
発表がありました
聴衆の高校生からの質疑応答も
大変しっかりしていました
県立工業・大聖寺・野々市明倫・羽咋からも
ポスターセッション発表がありました
どの学校もしっかりした発表で
各校の探究学習の成果があらわれています
日本の未来は明るいです!
とちあいか
地震から 387 日目
豪雨から 123 日目
見てください
この驚きの大きさのいちご
とちぎの「とちあいか」
500円玉と比べて見てください!
こどもの拳ほどの大きさがあります
送ってくださったのは
栃木県の「ひとみいちご農園」の
人見(旧姓石田)峰洋様
彼は私が七尾高校に勤めていた頃
3年間担任をさせてもらった生徒です
進学校での指導経験がなく
右往左往する頼りない担任でしたが
担任が誰だろうが関係なく
自分達でしっかりと考えて行動する
なんともたくましいクラスで
その中心となって活躍してくれた生徒です
「街プロ」の生徒とコラボして
何かできないかなと考えています
本日NHKの「うたコン」で
紅白歌合戦で
坂本冬美さんが
輪島から歌ってくださったときの
舞台裏をお見せします
19:57 からの放送です
ぜひご覧になってください
おかげさまでこのブログ
多くの方にご覧になっていただけるようになりました
輪島高校では多くの先生方が
自らの生活を犠牲にしてまで
生徒のためにはたらいてくれています
そんな先生方の奮闘ぶりを
シリーズでお伝えしていきます
第1回は家庭科の山上佳織先生
自らお子さんを守りながら
学校の中心となって奮闘してくださっています
夏に花火を打ち上げた「街プロ」グループ
おばあちゃんが涙して喜んでくれたりしました
まだまだみんなを元気づけたいと
新たな計画をしました
イルミネーションイベントを企画しています
生徒からの話をご覧になってください
「輪島高校二年生の花火グループです。8月に打ち上げた花火に続き、私達は、3月20日輪島マリンタウンでイルミネーションイベントを開催します。
今回のイベントは他の「街プロ」やBEYOND the BORDERSとのコラボイベントとなっています。
そこで資金調達のために現在クラウドファンディングを行っていますが、目標金額にはまだまだ届いていないのが現状です。
もう一度、ふるさと輪島を照らし、明るくするために是非クラウドファンディングのご支援やこの活動の拡散をお願いします。
クラウドファンディング
https://camp-fire.jp/projects/812485/view?list=search_result_projects_popular
インスタグラム
https://www.instagram.com/wajima_hanabi_project?igsh=MTBiNGQwZDQydWc3Zw%3D%3%20D&utm_source=qr」
今回のイベントには
海辺の映画館を企画しているナタくんも
コラボしています
新幹線の秘密
地震から 386 日目
豪雨から 122 日目
新幹線の座席は
2席のシートと3席のシートが並んでいます
これはあらゆる人数の団体客が
まとまって座れるようにしてあるそうです
4人=2席+2席
5人=2席+3席 つまり横並びに1列
6人=3席+3席
7人=2席+2席+3席
というふうにです
細かい心配りですね
3席シートの真ん中の席が
他のシートより広くなっている気がしたので
計ってみたら
両側席が45cm に対して50cm と
確かに5cm広くなっていました
こちらも細かい心配りですね
3席シートのドリンクホルダーの位置は
左側のシートから順に
右右左と1ヶ所だけ逆になっています
これはなぜでしょう?
ちなみに2席シートは右左です
つまり両席の内側についています
おそらく終着駅で
進行方向に座席を反転させる時に
つっかえないように
内側につけてあるのでは?
私の仮説です
座席番号に関する私の仮説に
もうひとつあって
飛行機に座席に関するものです
例えば7席シートの場合
AC DEG HK
と謎の飛び飛びアルファベット問題です
これは飛行機にはいろいろな大きさがあり
例えば1番小さな4人掛けだと
AC HK
大きさによって
座席の位置が変わるとややこしいので
一番大きなジャンボジェットの
ABC DEFG HJK
を基準にし
機体が小さくなるにつれ
不要な席番号を抜くことによって
例えば
C席は進行方向左通路側
K席は進行方向右窓側
というふうに固定させているのでは?
と飛行機に乗るたびひとり納得しています
Iがないのは数字の1と混同しないためです
たぶん・・・
生活のいろんなところに
探究の「ネタ」はころがっています
何でも無い日常に深い観察眼を持って
見て欲しいと生徒には語っています
ちなみに「ネタ」というのは
「種」をひっくり返した言葉なんだそうです
福男福女
地震から 385 日目
豪雨から 121 日目
大学入試共通テストの2日目です
全員体調もよく控室で開始を待ちます
被災地の劣悪な環境の中
頑張ってきた生徒たちだから
きっと落ち着いて力を発揮できると信じています
私は昨日
西宮神社でみんなの合格祈願をしました
1月10日の午前6時に大太鼓が鳴り響き
「赤門(あかもん)」が開かれると同時に
本殿を目指して走り出す参拝者たちが報道される
あの神社です
こちらがスタートとなる赤門
そしてゴールの本殿
受験生のみんな
福男福女目指して駆け抜けろ!
阪神・淡路大震災30年
NVNAD被災地交流会に参加しました
阪神・淡路大震災や東日本大震災のほか
中国四川地震 などを通して繋がってきた
ボランティアの方々のシンポジウムです
主催者の大阪大学大学院 渥美公秀 教授は
能登半島地震の現状について
新聞社のインタビューで語っていらっしゃいます
「石川県は当初
受け入れ態勢が整っていないとして
来県の自粛を呼びかけ
春になっても取り下げなかった
ボランティアの力を信じていないのか
活動を制限し
単なる労働力として統括しようとした
個人ボランティアが行きにくい状況が長く続き
人手不足は継続している
行政は行政の仕事に専念するためにも
市民の力を信じてほしい」
さらには
これまでに築き上げてきた
かつての被災地が現在苦しんでいる被災地を救援する
「被災地のリレー」
今回の能登半島地震のボランティア不足により
途切れることを危惧なさっています
「東日本大震災の被災地で
津波で流された写真を拾い
きれいにして返すボランティアがいた
こうした活動は
行政や企業ではできない
行政はボランティアをルールで縛りつけるのではなく
自由に活動できる環境を整えるべきである」
と結んでいらっしゃいます
全く同感です
今回輪島高校の避難所には
パンの配給だけと言う状況が長く続き
自衛隊の炊き出しが入るまでに
かなりの日数を要しました
その間民間のボランティアによる
炊き出しが活躍してくださいました
その多くが
行政を通しても行けないから
直接行っていいかと
学校に申し出をしてくださった方々です
許されることではないかもしれませんが
「輪島高校の校長の要請だと言って
検問を突破して来てくれ!」
とお願いをしました
そうやって力づくで来てくださった
ボランティアの力に
輪島高校避難所は支えられていたのです
風呂も同じです
自衛隊のお風呂が設置されない
輪島高校を支えてくださったのは
ドラム缶風呂やシャワーを用意してくださった
民間のボランティアの方々なのです
東日本大震災を経験された方が
こうおっしゃっていました
「一回きりの物資の支援はボランティアじゃない
長い間住民のそばにいてくれて
一緒になってずっとオロオロしてくれる
それが本当のボランティアだ」
提案です
ボランティア団体には
真のプロと言えるような団体が存在します
そんな方々の力を
行政の都合で活用しないのは
本当にもったいないです
そこでボランティア団体を
被災地の関係者が評価するのです
ミシュランのように星をつけます
三つ星ボランティアには
緊急車両の通行証を付与するのです
本当に実力のあるボランティア団体は
煩雑な手続きなしに
即座に被災地に入れる仕組みづくりです
ボランティアに関する問題点についても
赤裸々な報告がありました
丹波水害では
カレーの炊き出しが
雨で中止になったとき
食材を買い取るよう被災者に迫る
ボランティアがいたそうです
東日本大震災の野田村では
さらにその奥地の現場に届けられるべき支援物資が
この先へは行けないという理由で
置き去りにされたそうです
中国の四川大地震のときは
80,000人の方が亡くなり
今でも30,000人の方が行方不明なんだそうです
規模が違いますね
あれから30年
地震から 384 日目
豪雨から 120 日目
30年のタイムスリップ
震災で壊滅的被害を受けた地が
30年後にどんな世界になるのか
見にきました
もし私が90歳まで生きたとして
そのとき輪島のまちは
どこまでこの光景に近づいているのか
西宮で開催されるシンポジウム
NVNAD2025プロジェクトに
招待していただきました
日本災害救援ボランティアネットワーク
NVNADさんが主催です
阪神・淡路大震災をきっかけに発足した
西宮ボランティアネットワーク(NVN)を前身に
日本全国の災害現場で
支援活動をなさっています
まず今日は慰霊碑などを視察させていただきました
「厳寒の暁 地鳴りとともに
大地は震え 街を沈めました
こよなく愛された西宮を
安心して暮らせるまちに
希望に満ちた美しいまちに
再び築き上げることを
お誓いいたします」
の言葉が
亡くなられた多くの方のお名前
「不思議なことにここにたくさんいた
外国人のお名前はひとつもないんですよ」
と教えてくださる方がいらっしゃいました
そういえば関東大震災のときも
多くの朝鮮人が
「井戸に毒を入れた」
などの根も葉もないデマのせいで
虐殺される事件が起こりました
普段くすぶっている差別や偏見が
被災に起因するストレスによって
顕在化することがあります
このへんにいらっしゃった
在日外国人の方々は
当時身の危険から
警察署の中の避難所に匿われたそうです
傍らには
「火垂るの墓」誕生の地の碑もありました
舞台がここ西宮なんですね
「火垂るの墓」のこのポスター
宙を舞う光
全てが蛍の光ではないこと
ご存知でしたか
よく見ると光の形が2種類
ぼんやりまんまるなのが蛍
少し細長いのは実は焼夷弾です
その証拠に真っ暗な空に目を移し
よくよく目を凝らすと
そこには爆撃機B29の機影が
うっすら描かれているのです
だから「蛍」の墓ではなく
「火垂る」の墓なのですね
昔は終戦記念日の頃には
毎年のようにテレビ放映されていましたが
今では地上波では放送できないそうです
劇中登場するサクマ式ドロップ
その登録商標に絡む問題が原因のようです
大学入試共通テスト
今日の結果はどうだったかな?
こちらは前日の様子
栄養たっぷりつけて
体調も万全のようです
夕食後もラウンジに集まって
最後の勉強会をしたようです
こちらはおそらく会場の金沢学院大学
3年生学年主任の奥野先生からの報告です
国際サミットの昼食場みたいな感じです
2日目も落ち着いて頑張れよ
30年前のこの日
地震から 383 日目
豪雨から 119 日目
そして阪神淡路大震災から30年目
当たる確率がそれぞれ20%と60%の占い師
あなたならどちらに診てもらいたいですか?
私なら20%の占い師を選びます
私には化学教員として誇るべきスキルがあって
大学入学共通テストの直前に
出題される問題を夢に見るというものです
しかもかなり詳細かつ具体的に見えるのです
ただし驚くべきことに
それが当たったためしは
未だかつて一度もありません
私はそれを逆手に取り
「今年はこの問題は出ないよ」
という予言に使って絶大な信頼を得ていました
20%の占い師の言うことの逆をすれば
80%の確率で当たりです
いよいよ明日から
共通テストが始まります
本校からの受験生は
みんな揃って今日バスで出発し
片道2時間以上かけて
会場のある金沢市へ向かい
ホテルで宿泊します
思えば昨年度は
緊急車両扱いの通行証を
教育委員会を通じて発行してもらい
それで何とか受験できたのでした
みんな頑張れ!
今週の【活動性を高める授業づくり】
このコーナーは
久留米大学の安永悟教授に学んだ
授業づくりのポイントを
お伝えするものです
生徒の活動主体の授業に欠かせないのが
生徒同士の対話の時間です
ところがありがちなのが
生徒のグループでの議論が白熱し
教員が一言コメントをしたくても
だれも話をやめない
そんなパターンです
しびれを切らして話を始めても
話を聞いてない生徒が何人もいて
あとで、もう一度同じ話をする羽目になる
そんな悪循環です
こんな経験ありませんか
私は何度もあります
こんな時
一瞬で教員の話に集中させるためのテクニックです
最初にこんな決まり事を作っておきます。
①先生が喋りたいときには黙って手を挙げるので
気づいた人は話を止めてを手を挙げて
先生の方を向いて座り直すこと
②誰かが手を挙げているのに気づいたら
やはり手を挙げて
その人と同じ方向を向いて座り直すこと
こうすると
大きな声で指示を出さなくても
一瞬のうちに生徒の聞く姿勢が整います
アルフィーのファン
いわゆるアルフィー中毒(アル中)の
決まり事にもあります
「ノルときはノル 聞くときは聞く」
やはり話すときと聞くときの
けじめが大切です
私はかつて授業中に
「パフ」って鳴るラッパ
(笑点のテーマソングの最後に鳴る)
あるいは
「チン」って鳴るベル
(ホンマでっか!?TVで使っている)
を採用していましたが
それよりも「お手挙げ作戦」の方が
徹底できそうです
高校生ガイドの話
地震から 382 日目
豪雨から 118 日目
年の初めには
県立学校の校長全員が集まる会議が開かれます
今日はその会議に出席しました
教育次長からは
次のようなお話がありました
昨年度のこの会議は震災の関係で
一部オンラインで行われたこと
その席上で地震からの復興に向けて
教育委員会は全力で取り組むつもりでいること
そして被災していない学校の校長も
全力でサポートするよう指示したこと
そしてそれは今年も全く変わらないこと
私はその会議にオンラインで出席しているはずですが
実はそのことを今思い出そうとしても
正直全く思い出せません
本当に参加したのかも定かではないほどです
でもこんなお話をしてくださっていたのですね
全ての高校の校長先生が
生徒の転学や一時通学に対して
本当に親身になって受け入れてくださったのは
こんなお話があってのことだったのだと
あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました
ビジネスコースの3年生が
高校生ガイド交流会に参加しました
現在石川県では
高校生によるツアーガイド活動を推進しています
今年度は輪島でのツアーガイドはできませんが
今後は被災地見学や防災教育に特化した
ツアーなども高校生が主体となって計画していきます
今日は松任高校の生徒さんたちと
交流会を実施しました
パリサミット報告会
地震から 381 日目
豪雨から 117 日目
報告会に先立って
未来を創る会社EQUMENOPOLISさんを訪問しました
12ヶ国からの方によるグローバル企業です
AIを活用した英会話教材を開発されています
輪島高校では今後授業の中に取り入れていくことで
その技術開発に積極的に協力していく予定でいます
パンダさん オガケンさん モモさんが
フレンドリーにお世話してくださいました
EQUMENOさんが開発している
AI英会話教材はLANGXといいます
1 能力を引き出す対話インタラクション技術
2 人の成長を促す診断技術
3 対話シナリオパーソナライゼーション技術
をコンセプトとしています
まずはグループに分かれて
LANGXのキャラクターであるインテラさんと
実際にお話ししてみました
インテラさんは積極的に質問してくれて
その回答を聞くことで
生徒の英会話レベルを即時に判断し
次の質問のレベルを調整してくれます
こちらのグループはカフェスタイルで
AI技術を活用すれば
今後英語の授業は
どのように変わっていく可能性があるか
アイデアを出し合いました
グループごとの話し合いの結果を
シェアしあいました
英語以外の言語も開発してほしい
「ゆっくり話して」に対応してくれたり
自分好みにアバターを変化できるといい
など開発への希望を出し合いました
引き続き
「令和6年能登半島地震から1年
阪神淡路大震災から30年に想いを馳せる会」
ご挨拶をさせていただきました
「あの日からもう1年が経ちました
7階建のビルが倒れるような揺れと
関東大震災をはるかに超える地面の隆起
5mを超える津波
そして街を焼き尽くす炎に
私たちは大切な家族
かけがえのない思い出を
奪われました
終戦後の焼け野原に子供達を集めて
教科書も筆記用具も何ない中
それでも学ぶことを止めてはならないと
授業をし続けた先生がいらっしゃいます
その姿を目標に
我々教員の戦いが始まりました
数ヶ月間は私は学校に泊まり込み
今日いらしゃっている山崎先生は
ずっと車の中で寝泊まりしてお仕事をされました
災害現場には
その場で判断のできる責任者を派遣する
そしてできることは全てやれと指示する
仮にそれが法に触れるようなことであれば
法改正する
それが一国の首相の責任
このようなことが東日本大震災の際に言われました
この言葉の通り
支援を待つだけでは何も進まない
自分たちで行動を起こさないといけない
そう思って今日まで歩いてきました
『上から降ってくる復興計画には
そのまま乗っかるな
自分たちの街は自分たちで創る
そんな気持ちを持て』
生徒たちにはそう語りかけています
今被災地ではさまざまな教育の課題が
浮き彫りになっています
教育格差の問題であったり
教員不足の問題であったり
しかしこれは何も災害が原因で起こったことではなく
日本全体さらには世界全体に
潜在している問題です
これらの課題に主体的に取り組む生徒の育成に
今一番力を入れています
その中の柱と言える取り組みが
OECDとの共創なのです」
そのあと
2年生の長井さんが
「これからの輪島に思うこと」
同じく上野さんが
「OECD国際サミットの報告」
岡本先生が「未来へ向かう想い」
について報告をしました
能登はいるわいね
地震から 380 日目
豪雨から 116 日目
紅白歌合戦で輪島から歌ってくださった
坂本冬美さんからお便りが届きました
心のこもった
たいへん美しい文字でしたためられています
みなさまにもご披露申し上げます
「地元の皆様にも大勢お集まり頂き
温かい拍手で盛り上げてくださいましたこと
心より感謝申し上げます
度重なる困難を乗り越えられた
力強い握手と
何事にも挫けない笑顔に触れ
逆に私の方が希望や勇気を頂きました
さらには御陣乗太鼓保存会の皆様の
魂のこもった素晴らしい演奏で
『能登はいらんかいね』を
全国の皆様にお届けすることが出来
私にとりましても
忘れられない紅白となりました
・・・
三十四年前
ミュージックビデオ撮影で
輪島から珠洲の町を歩かせて頂き
その素晴らしい風景や
町の皆様の温かさに感動したことが
鮮明に思い出され
改めて目を覆うような光景に
地震の凄まじさ
水害の恐ろしさ
自然の脅威を痛感致しました
・・・
それではまた
輪島で歌わせて頂けます日まで
私も精進を重ねて参ります」
素晴らしい歌声と
その優しいお人柄に魅了されたこと
思い出しました
放送のあとに歌っていただいた「風に立つ」
冬美さん自身
悲しくてつらくてどうしようもないときに
つくっていただいた大切な曲だそうです
「朔風が吹いても
向かい風吹こうとも
たじろがずくじけずに
前だけ見つめ行くがいい
泥にまみれて涙流しても
こころに錦の花をもて
そうさ人生やるっきゃないさ」
以前このブログで
演歌は好きになれない
みたいなこと書きましたが
とんでもない
心に響きました
音楽にはジャンルなどない
すばらしいものはすばらしい
心からそう感じた瞬間でした
今
外では
御陣乗太鼓を思わせる
冬の雷が鳴り響いています
今日の【商売ことはじめ】
昭和23年
戦災で焼け野原となった博多の街に
小さな食料品店が生まれました
お店の名前は「ふくや」
戦時中の幼少期を韓国で過ごした店主は
そこでの庶民の食べ物「たらこのキムチ漬」
その味が忘れられず
味を再現し売り出します
なんだか祖国タイで見た
海辺の映画館が忘れられなくて
被災地の皆に見せてあげたいと
がんばっているナタ君みたいです
タラコとはすけとうだらの卵
昔
中国が明(みん)と呼ばれていた頃
その近海でよく獲れたことから
すけとうだらのことを
「明鯛(みんたい)」
と呼んでいました
「明鯛」と書いて「すけそう」とも読みます
もう漢検一級レベルですね
こうやって作られた「明鯛子」
店主は細々と商売をしながら
その製法を惜しみなく
博多の人々に伝えました
昭和50年
新幹線が博多まで延伸されることになったとき
博多名物として何を置こう?
そうだ!明太子だ!
こうして爆発的なヒット商品となるのでした
逆境の中でこそ新しいものが生まれます
今「街プロ」で生徒たちが作り出しているもの
この先どんな進化を遂げるか楽しみです
商売ことはじめ
地震から 379 日目
豪雨から 115 日目
NHK大河ドラマ「べらぼう」
昨日は蔦屋重三郎と平賀源内の
出会いのシーンが描かれていました
平賀源内といえば
エレキテルを作った人と
学生時代に学びましたが
そもそもエレキテルが何かもわからず
ピップエレキバンみたいなものだろうと
勝手に解釈していました
当時は今みたいに
Google先生とかYahoo先生がいないので
自分で調べる術もなく
そこで40年以上ぶりに調べてみると
なるほど発電機なのですね
しかも源内オリジナルではなく
西洋にその原型がありました
しかも西洋では
電気治療機として使用されていたとか
エレキバンもあながち
間違いではないなと
エレキテルを現在の生活で使っている方は
皆無かと心得ますが
源内が始めたことで
現在もなお続いているものがあります
あるお店の店主から相談を受けます
「こんなに暑くちゃ商売あがってりでぃ」
「じゃあよ こうするのはどうだい?
昔から丑の日にゃ「う」のつくもんを喰うと
からだにいいって云うじゃねえか
そしたらよ
土用の丑の日に「ウナギ」を喰えば精がつくって
世間に宣伝すりゃいいんだよ
べらぼうめ」
源内は江戸時代にすでに現代の
「恵方巻き」商戦や
「ブラックフライデー」商戦のようなものを
仕掛けていたんですね
源内のアイデアで始まった
土用の丑の日のウナギ喰いの習慣
今でも脈々と続いています
このように今は当たり前であっても
その発祥を調べてみると
意外な物語が流れていたりします
「街プロ」の参考にもなるので
これから少しずつ紹介してみようと思います
調理室に水が来た!
地震から 378 日目
豪雨から 114 日目
先日一年ぶりに調理室が通水しました
家庭科の山上先生からの報告です
水が出た瞬間「おおーぉ〜」という歓声があがりました
当たり前のことができる喜びを生徒たちと分かち合いました
この間いろいろ工夫して調理した経験は
彼らにとって生きる力になると信じています
授業後「先生〜ありがとう〜」と笑顔に去る後ろ姿に
教職のやりがいを感じました
これまで長い間調整してくださった
教育委員会の方々
本当にありがとうございました
今日は成人式2日目
今年成人になられた方々です
私が校長になって
初めて卒業証書を手渡した生徒たちです
教頭時代1年生の時に授業を担当しました
明るくて元気で楽しい学年でした
2年生になる時に転勤となりますがその時
「校長になって来年帰って来てね」
と言ってくれた生徒たちです
約束どおり卒業式の日に
送り出すことができたのです
みんな凛々しいイケメンですね
「先生俺約束守ってます」
と声かけしてくれた生徒が…
彼は卒業時に
「俺ユーチューバーになります!」
頑張ってます
「時事ネタれいれい」で検索を
輪島高校の当時の担任の担任の先生方からの
ビデオメッセージも流れました
みんなとっても綺麗です
今日も昨日に引き続き
プリプリの京子ちゃんと
TUBEの角野さんと一緒に演奏です
演奏前に京子ちゃんから
「頑張ろうね」ってメンバーにガッツポーズ
被災地に来てくださる著名人の方は
どの方も偉ぶったところが全くなく
皆さん本当に優しくお声をかけてくださいます