校長室より「おこらいえ」
『街プロ』発表会のお知らせ
地震から 429 日目
豪雨から 165 日目
昨日行われた卒業式で
PTA会報「青桐」が配付されました
例年PTA役員の方々に
執筆をお願いしているのですが
今年は役員を選出せず
「全員が役員!
楽しいことだけやりましょう」
をモットーに活動してきましたので
原稿も一般公募して
「ぜひお子様に残したいメッセージを」
としました
例年に増して心のこもったものになりました
私も次のようにメッセージを書きました
「東日本大震災が起こった日は入学式の行われる少し前の日でした
新しいランドセルは手を通されることもなく津波に流されました
土砂の中からそんなランドセルを見つけたお母さんがいました
水道が来ていないので溜め水で懸命に洗いましたがきれいにはなりませんでした
悲しみの新1年生たちには新しいランドセルが贈られ
入学式を迎えることができました
でもその子が入学式の翌日から6年間背負い続けたのは
お母さんが洗ってくれた傷だらけのランドセルだったのです。
能登半島地震が起こったあと初めて高校に生徒が集まる日のことです
水道が来ていないので洗濯ができないことから私服登校を認めました
ただひとり制服で登校した生徒がいました
聞くとお母さんがその制服を持って逃げてくれたのだそうです
他にも大切なものはたくさんあったはずなのに
お母さんが真っ先に心配したのが娘の学校のことだったのです
その話を聞いて生徒と保護者の学校に対する想いを実感し
学校の責任の重さをあらためて考えさせられました
今日はその制服を着る最後の日ですね」
「ぼくらのまちはぼくらがつくる」
輪高生のまちづくりプロジェクト『街プロ』
成果発表会を行います
一般公開いたします
お誘い合わせの上ぜひお越しください
今年1年間
生徒達がとりくんできた
まちづくりの成果を
ステージ発表と
ポスターセッションで披露します
3月7日(金)より
本校の第一体育館で行います
地震で壁はひび割れ
床が窪んだ悲惨な状況の場所ではありますが
危険立入区域には指定されていませんので
その被災状況も合わせて
ごらんになっていただきます
日程は以下のとおりです
10:00 受付
10:30 開会式
10:40 ステージ発表
12:20 昼食
13:20 ポスターセッション
14:20 閉会式
どなたでも参観できます
正面玄関よりお入りください
駐車スペースはございません
あらかじめご了承願います
ステージ発表の際には
質疑応答の時間は設けません
発表グループは
午後のポスターセッションでも
発表しますので
その際に直接ご質問ご意見をお寄せください
なお今回は奥能登の公立高校より
飯田高校(午前中のみ)
能登高校
門前高校
からも参加してもらいます
高校間を超えた交流も予定しています
それぞれの学校が
それぞれの場所で
生まれたまちを甦らせるために
がんばっています
お待ちしています
ぜひお越しください
【今週のありがとう】
東大阪ロータリークラブのみなさま
貴重な備品ありがとうございます 大切に使わせていただきます
谷村誠会長はじめ神戸市立保育園連盟のみなさま
おいしいお米ありがとうございます ご家庭に配付しました
岐阜県 関商工高校 鷲見椿さんとおともだち
「能登新聞」で被災地の状況を伝えてくれてありがとう!
広島県立芦品まなび学園高等学校 祝迫直子先生
ようこそお越しくださいました そして災害支援ありがとうございます
公益財団法人 旭硝子財団のみなさま
奨学金ありがとうございます 未来へ歩き出す大きな支えです
※このコーナーでは
これまでご支援いただいた方々を
順に紹介させていただいています
未来へ向かって飛び立つきみへ
地震から 428 日目
豪雨から 164 日目
卒業式が行われました
会場をお花で飾ってくださったのは
FlowerSchool Muguet の
水上 詩子 さま
昨年の音楽堂での卒業式
今年の入学式に続いて
3回目になります
金沢でフラワースクールを主宰されています
卒業生が胸にあしらう
すずらんとアイビーのコサージュも
全員分を手作りしてくださいました
スズランの花言葉は「幸福の再来」
ヨーロッパでは聖母マリアの花とされます
葉の影に隠れてしまいそうな小さな花が
被災地から立ち上がる小さな希望のようです
またアイビーの花言葉は「友情」「永遠」
アイビーが持つ強い生命力と
しっかりと絡みつくツタの性質が
力強く未来に向かって伸びていく姿を想像させます
卒業生一人ひとりに
エアリーフローラが手渡されました
名古屋市立西陵高等学校の
昨年度の2年5組のみなさんからも
お祝いメッセージカードが届きました
昨年発災後まっさきに
ハンカチとかコスメとか
女子高生ならではのアイデアの
支援をしてくださったクラスのみなさんからです
カードはこちら
仙台育英高校の野球部のみなさんからも
豪華な花の贈り物です
卒業式はどうやら雪の特異日のようでして
北陸では毎年不思議と雪がちらつきます
今朝も早くから係の先生方で駐車場の整理
思い出に残る卒業式にしようと
裏方さんもみんなで力を合わせます
会場である体育館への通路は
未だ崩れたまま
ブルーシートで覆われた通路を通ります
ゆがんだ通路をくぐると
みんなで仕上げた立派な式場へ
夜の体育祭にお招きくださった
福岡第一高等学校の校長先生や
本校にお勤めくださった
春木先生 大坪先生 矢知先生 松村先生 玉置先生
からお祝いのメッセージをいただきました
全校生徒で行う卒業式は
6年ぶりです
つまり今回の卒業生にとっては
中学高校を通して初めての経験です
どうですか?
思い出に残るものになりましたか?
小学校の卒業式に比べると
高校の卒業式は
味気なく感じたかもしれませんね
公費解体を待つだけの我が家の
タンスの下敷きになっていたギター
坂崎幸之助さんに憧れて
高校卒業のときに買った
6弦と12弦のダブルネックのアコギ
この思い出のギターで
卒業生の門出をお祝いしようと
秘密裡に練習してきました
挨拶が下手な私はお歌で勝負です
「あんなにも
すきだった
きみがいた
このまちに・・・」
選んだ曲は玉置浩二さんのメロディー
「あのころは
なにもなくて
それだって
楽しくやったよ」
下手にグダグダしゃべるより
よっぽど気持ちが伝わりそうな気がして
「メロディー
泣きながら
ぼくたちは
しあわせを
見つめてたよ」
のつもりでした
ギターを持ち上げたとたんに
カランカラン
弦にはさんでおいたピックを
ギターの穴に落としてしまいました
しっとりと6弦のフィンガリングで
静かに始まり
サビはピックで12弦のストローク
劇的なアレンジをしたつもりが
始まってもいないのに早くも破綻です
頭の中が動揺したまんま
止めるわけに行かず
案の定いきなり歌詞を間違えました
もうあとは思いついた歌詞を
適当に繋げグダグダでした
このプレッシャーに弱い性格は
どうにもなりませんね
それにくらべ
在校生代表の邑田達紀さんの送辞
卒業生代表の志田心湖(ここ)さんの答辞は
とても立派で心うつものでした
ここちゃんの答辞の中で
心に残ったのは
「嫌われてもいいからと
それでも厳しく指導してくださった先生
ありがとう」
のフレーズです
先生だって人間だから
生徒に嫌われたくはないんですよね
でも信念を持って生徒に接してくださった先生
生徒にはちゃんと伝わっています
私が見ていないところで
若い先生方はこのようにして
生徒に接していてくださったんだなと
思わず教員席の方を見てうるうるしました
式辞の最後に
卒業生みんなに向けて
ここちゃんにちなんだ言葉を贈りました
輪島に残るみんなへ
「それでもここ輪島にいる」
一旦輪島を離れるみんなへ
「それでもこころは輪島にある」
こちらもどうぞご覧ください
だがしの日イベントin能登
地震から 427 日目
豪雨から 163 日目
今日は「だがしの日」
バレンタイン
ハロウイン
海外発祥のお菓子にちなんだイベント数ある中に
唯一日本が発祥のお菓子イベントです
「DAGASHIで世界を笑顔にする会」
のみなさんが訪ねてくださり
こどもたちを笑顔にしてくださいました
本校からもJRC部と野球部の生徒が参加して
運動会や紙芝居など
こどもたちを笑顔にしてきました
輪島高校では3年に一度
生徒会誌「潮鳴」を発行しています
3年間の部活動の活躍など
生徒会がまとめあげます
今年はその発行の年にあたります
巻頭言に次のように書きました
東日本大震災を経験された方からこんな手記が届きました。
『こんな時に産んでごめん』『笑顔のお母さんでいられなくてごめん』ニュースを見ては心をえぐるような情報が入ってきて、心に余裕がなくなり子供にきつく当たってしまい、泣き叫ぶ子供から逃げるようにトイレに逃げ込む日でした。「今が一番いい時よ~」0歳と2歳の娘といると時折そう言われました。『こんなにも苦しくて泣いたり怒ったりしてばかりなのにこの日々が一番いいときなの?じゃあこれからはもっと苦しくなるの?』今でも子どもたちには申し訳なかったなと思います。確かに今思えば本当にかわいい時期だったのです。でも私にとっては一番苦しい時期でした。間違いなく一番苦しい時期でした。
あのとき私が聞きたかった未来の自分からのメッセージを書きます。
「よく毎日をすごしてるね。とりあえずご飯を食べさせて、寝させて、大きな怪我がないように大きな病気にならないように。がんばって守ってるね。部屋はぐちゃぐちゃだし、ご飯もちゃんと作れてないし、今日も怒っちゃったろうね。でもね、毎日ぐじゃぐじゃだけど生きてきてくれたから今があるよ。ありがとう。ギリギリな感じだけどよく乗り越えてるよ。大丈夫。子供たち大きくなったよ。いっぱいいっぱい心配したけど、ちゃんと成長したよ。思っていたよりもいいことたくさんあったよ。出逢いもいろいろあったよ。いつか子供たちがね、大きくなってくるとあなたも余裕が出てくるよ。そうするとね、今はできないこともできるようになるよ。子供もあなたも家族も状況もどんどん変わっていくよ。子供たちが逆に励ましてくれたりするよ。だから、もうちょっと肩の力を抜いても大丈夫。今かなり苦しいと思うから、そんなときになんとかしなくちゃって焦って思わないで。いいタイミングが来るよ。いい出会いに助けられることもあるよ。叱らなきゃ、ちゃんとさせなきゃって思わないでも大丈夫だよ。いいところたくさん見つけてあげて。そして自分もよくやってるねって思ってあげて。あんまり思えないだろうけど思ってあげて。自分が思っているより周りの人はあなたのこと「よくやってるなー」って思ってるからね。がんばってくれてありがとう。子供たちを守ってくれてありがとう。あなたの毎日が今の力になってるよ。ありがとう!」
みなさんには、未来の自分から今の自分にどんなメッセージが届くのでしょうか?
明日は卒業式です
どちらにつこうかな?
地震から 426 日目
豪雨から 162 日目
地震そして洪水に襲われた輪島ですが
少しずつお店も戻ってきて
スーパーなどで買い物をすることも
できるようになってきました
とはいえ夜の7時に閉まってしまうので
先生方の買い物も大変です
部活動の練習は7時近くまで
その後職員室で残務や次の日の準備
そんな生活が日常化していましたが
それでは店が閉まってしまうので
退校時刻が早くなっているような気がします
先生方には
「遅くまで残ってお仕事している先生を
熱心な先生だと評価する時代は終わりました
私は
夜遅くまで学校に残る教員を
時間内に仕事を終えるための
タイムスケジュールのできない無能教師
と評価します」
と伝えてあります
かなり乱暴な言い方ではありますが
教員の命を守るためと
教員の成り手不足を解消するため
あえてそのように伝えてあります
以下の話は耳にしたことのある方も
多いと思います
この図はアメリカ軍が作った図です
帰還した戦闘機のどこに被弾しているかを
プロットしたものです
赤丸が被弾した部分です
このデータを元に
航空機の強化のために補強します
とはいえ機体はできるだけ軽量にする必要があるので
補強部分は最低限にとどめる必要があります
さて
どの部分を補強すればよいでしょうか?
軍が補強したのは
コクピットや主翼の付け根
つまり真っ白な部分です
たくさん被弾した真っ赤な部分ではありません
なぜか?
白い部分は被弾していないわけではありません
被弾した戦闘機は撃墜されて
帰還できなかったのです
私自身若い頃
日付が変わる頃まで仕事に追われ
翌朝は4時くらいに起きて出勤するという
今考えるとなんともバカバカしいことをしていました
帰宅途中に気がついたら
信号機のある交差点のど真ん中に
車を停めて寝ていたり
家に着いたと思って車を降りたら
全く見たこともない山奥だったり
たまたま被弾したのが
翼の先っちょの真っ赤な部分だっただけで
今こうして生きているのは
運良くコクピットを撃たれなかっただけの話です
ですので
今輪島のまちは
午後7時を過ぎると買い物ができない
だから仕方なく教員は早くに退校する
いい流れになっています
とはいえ閉店間際のスーパーのレジは
ごった返しています
生まれつきギャンブルに弱い私は
レジの選び方も本当に下手くそです
並ぶレジ並ぶレジなぜか回転が遅く
「レジどこに並ぶ?」問題に
直面しています
まず基本は
ついている人数の少ないレジに並びます
そんな時に限って前の人が
カートの下にもカゴを積んでいて
わんさか買い物をしていたりします
人数だけではなく
列についている人のカゴの中身も
チェックしなければならないことを学びました
列の人数とカゴの中身
双方をチェックした後に最適なレジに並んでも
なぜか自分の列だけ進みが遅い
ようやく自分の番が来て
レジの方の名札を見たら「見習い中」
やはりベテランレジの列に並ばなければ…
新たな学びです
列の長さとカゴの中身そしてベテランのいるレジへ
あとひとりで自分の番
そのとき前の客と店員が顔馴染みだったらしく
事もあろうに世間話を始めてしまいました
「無駄話をせずに仕事しろ」と言えない
気の弱い私は一緒に相槌を打っていたり
列の人数とカゴの中身ベテラン店員に
列の前におしゃべりそうなおばちゃんがいないこと
今度は完璧です
ことのほかスムーズに進み
よしよしとほくそ笑んでいると
前のお客さんのカゴの中に
バーコードのついていない品があったらしく
「ちょっと確認してきます」
あれあれ店員がどっか行っちゃいました
そうこうしているうちに
遠くのレジでは
「お次お待ちのお客様こちらどうぞ!」の声が
空きレジにヘルプが入ったようです
次回は空きレジの隣に並んでみようと思います
闘いはまだまだ続きそうです
Build back better
地震から 425 日目
豪雨から 161 日目
こちらは石川県教委が準備してくださった
住む家をなくした能登地区の教員のための住宅です
小中学校の先生方16名が入居しています
廃校となった中学校の跡地に立っています
私は正直退職まで校長室に寝泊まりする
覚悟でいたのですが
おかげで風呂に入れる生活ができています
本当に感謝です
湿気がひどくてすぐ壁に青かびが生えます
ペニシリンでも作って商売しようかと考えています
写真手前が駐車場なのですが
田んぼのようなぬかるみ状態
そこで先生方は自然発生的に新しい駐車場を
定め利用するようになりました
隣には新たな棟の建設が始まっています
もともと能登地区には
アパートが不足しており
飯田高校の先生がようやく見つけたのが
輪島のアパートで
輪島高校の先生がようやく見つけたのが
飯田のアパート
60kmほど離れた学校に
お互い1時間以上かけて通勤するなど
相当お間抜けな状態が日常化していたので
その解決策にもなるのかなと思います
春になると仮設校舎の建設が始まり
早ければ秋からの運用を考えています
こちらは旧職員室
最も傾きの激しい2号棟にあります
写真が曲がっているのではありません
部屋がもうゆがんでいるのがわかると思います
先生方がいっせいにこの部屋に入り
仮設校舎へ運ぶべき荷物の
整理を始めました
このブログを読んでくださった
国連開発計画(UNDP)シリア事務所等で活躍された方から
お便りが届きました
”Build back better”という
国連機関の災害復旧支援の合言葉を
教えていただきました
ハード面で被災前より良い施設や生活基盤を作ろう
というのが本来の意味です
「災害復旧は現場復帰が基本
それ以上にする贅沢は許されない」
とする日本の行政のあり方は改めるべきです!
とはいえ金が無尽に湧いて来るわけではないですからね
難しい問題です
もうひとつこの言葉には
「被災した個人やコミュニティが
その経験を共有することが
他の地域の人たちにとって深い学びになる」
という意味も込められているそうです
このブログが他の地域への経験の共有という意味で
役に立てばいいなと
背中を押していただいた思いです
以前本校に勤めていた玉置先生が
赤ちゃんを連れて遊びにきてくれました
玉置先生のご実家は
珠洲で珪藻土の七輪の切り出しをされていて
以前の地震で工場が全壊
復旧して再開していたのですが今回また…
元気な赤ちゃんは現在8ヶ月
被災して避難生活が続く中で
それでもこの世に生を受けました
「珠洲の海で生きる」と書いて
生珠(うみ)ちゃん
とっても素敵な名前です