校長室より「おこらいえ」

チャレンジウォークの頃

135日目

 

例年でしたらこの頃

本校の伝統行事

チャレンジウォークを開催しています

 

心地よい初夏の風を感じながら

世界農業遺産である千枚田までの

海辺の道を歩きます

 

それぞれの力に合わせて

千枚田を超えて先を目指す生徒もいます

なのでチャレンジウォークです

 

チャレンジウォークについて

過去の生徒が

後輩に向けて書いた

作文があります

 

「チャレンジウォークとは

 ずばり自己目標達成の練習です

 この先

 いろんなことで悩んだり

 つらい思いをして

 自分の目標を叶えるため

 努力しなければいけないことが

 増えてきます

 『歩く』ことでそのことを練習するのです

 ただそういう難しいことは

 頭の隅に置いて

 楽しく歩けばいいと思います

 〈中略〉

 コースを歩いているうちに

 おもしろいものを見つけたら

 友達と一緒に笑ってください

 『あんなものもあったね』

 3年生になっても覚えているかも

 しれません

 こんなふうに考えるだけでも

 たのしいことがいっぱいあります」

 

この作文を書いてくれた彼女は

現在小説家として活躍しています

このころからその片鱗が

垣間見えますね

 

ところでこのチャレンジウォークは

私が高校3年生のときに

始まりました

 

当時は「夜間歩行」といって

懐中電灯の灯りだけを頼りに

一晩かけて50kmほどの行程を

ひたすら歩き続けるものでした

 

そのハードさゆえに反対する声もあり

校庭の銅像に

「夜間歩行反対!」という

プラカードをかける輩まで

出てくる始末

 

後で聞いた話ですが

先生方は

「こんなことをするのは

 平野に違いない!」

と噂していたそう

 

名誉のために行っておきますが

決してそのようなことはしていません

なぜなら

「夜間歩行」が大好きだったからです

 

その証拠に

当日みんなを盛り上げようと

懐中電灯ではなく

わざわざ「御用提灯」を仕立てて

持っていったくらいですから

 

 

 

 

 

 

 

みんなは大爆笑で喜んでくれました

 

ただこのあと

恐ろしい試練が待っていようとは

このときは知る由もありませんでした

 

この重い提灯を

50km運ばなければならない現実

しかも蝋燭が消えないようにそっと

 

はじめ喜んでくれたみんなも

そのうち見向きもしないようになりました

 

このことまで考えが及びませんでした

 

このとき得た人生の教訓は

「後先考えずに一瞬のウケを狙ってはいけない」 

進学について考える

134日目

 

Benesseさんから

大学入試に関するお話を聞きました

 

最近では

「年内入試」というシステムを使って

大学へ進学する生徒が増えています

 

これは従来推薦入試とかAO入試とか

呼ばれていたもので

12月までに合格を決めてしまうものです

 

2000年頃には3割程度だった

推薦入試での大学入学生は

一昨年以降一般入試生を上回り

今では半数以上の大学生が

「年内入試」で合格を勝ち取った方です

 

詳しくは

2023年3月頃のこのコラムで

特集しましたので

生徒や保護者の皆さんは

ぜひご一読ください

 

ただそこで評価される力は

従来の推薦入試などとは異なります

 

例えば「年内入試」のひとつ

「総合型選抜」で求められるのは

◯大学で何を学びたいかという明確な意識

◯グループディスカッションをする力

◯協調性やコミュニケーション能力

◯目標を達成するためのプロセス

などです

 

さて それらの力を育むためのプロセスは

①経験

 探究活動や行事を通じ

 視野をより広げる

②内省

 心が動いたことや

 なぜ心が動いたのか振り返る

③展望

 より深く自分を知り

 よりよい生き方を考える

 

さらにある大学教授は

次のように語っています

「探究学習などについては

 入試を意識して綺麗な結論にこだわり過ぎた取り組みは

 必ずしもよい評価とはなりません

 結果・成果だけではなく

 何に関心があり

 問題解決のためにどのように試行錯誤をし

 失敗も含めてそこから何を学び

 それを踏まえて大学で何をしたいかを

 明確に言語化することが必要です」

 

いかがですか?

いま「街プロ」で取り組んでいること

そのものではありませんか?

 

「街プロ」は

大学入試のためにやっているものでは

決してありません

 

そして

高校の3年間で完結するものでもありません

 

「街プロ」でやったことに魅力を感じ

大学でさらに学んで深めたいと実感した生徒は

大学合格後にさらに伸びます 

「学びウィーク」って何?

132日目

 

巷では中間テストが行われている頃

でも本校には中間テストがありません

昨年度廃止しました

 

その期間中設定したのが「学びウィーク」

 

「学びウィーク」では

午前中4時間授業を行ったあと

午後は各自で必要な学習を自学します

昨年度は3回実施しました

5月と10月と12月

1年生の保護者の皆さんは

「そんなんで大丈夫?」

と不安になるでしょう

このブログでも

その時の様子を紹介していますので

ぜひご覧ください

 

「学びウイーク」の大きな目的は

次の2つです

 

(1)「やらされる勉強」からの脱却

 「学びウィーク」では各自で

  学習する教科をコーディネートします

  あるクラスでは 

  やりたい教科ではなく

  やらなければならない教科を選べ

  と指導しています

  教員に質問しに行ってもいいけど

  教員は質問に直接は答えません

  あくまで学ぶ方法を教えます

 

(2)「テストがあるから勉強する」からの脱却

  昨年の「学びウィーク」の後

  前年度との家庭学習時間を比較しました

  すると驚くべき結果が見られました

  特に1年生において顕著で

  中間テスト中(昨年度)は平均4時間

  学びウィーク中(今年度)は2時間

  これは致し方ありませんが

  注目すべきはその後です

  昨年、中間テストが終わったら1時間に激減

  テストが終わったら途端に学習しなくなりました

  ところが今年「学びウィーク」が終わった後は

  2時間半と逆に微増しているのです

  学び方が身についた

  効果を実感できました

 

また、Benesseのスタディーサポート

(学びのためのアンケート調査)

の結果においても、

授業の予習復習および宿題以外の

学習時間が増えているとの分析がなされました

わずかずつですが

自分で学ぶ姿勢が身についてきていました

 

「中間テストがなくなって勉強しなくなるのでは?」

「自学の制度は輪高生には時期尚早では?」

との不安の声を一部の保護者からいただいていますが

そうならないよう指導してまいりますので

ご理解をお願いします

また、ご家庭での学習状況を

お知らせいただけると改善に繋がります

よろしくお願いします

 

そのほか

大学教授等による特別講義や

有名塾講師等による講演など

「学ぶ心に火をつける」

さまざまな仕掛けを用意しています

 

「学びウイーク」は明日から始まります

青葉の頃

131日目

 

青葉フィルハーモニー管弦楽団さんより

音楽活動に使ってほしいと

義援金のお申し入れがありました

 

青葉フィルさんは

東急田園都市線・青葉台を拠点に

活動していらっしゃる

アマチュア管弦楽団です

 

来る7月15日(月)14時より

横浜市青葉区民文化センター フィリアホール

において定期演奏会を開催されるそうで

その収益金を送ってくださるそうです

ありがとうございます

 

今回ご連絡をくださった

角谷 陽児さんは

6歳の頃からバイオリンを始めて60年

途中バイオリンを

お猪口に持ち替えた期間が長かったそうです

その分味のある

大人にしか出せない演奏が楽しめるのでは

と期待しています

 

詳しくはこちら

http://aoba-philharmoniker.jp/

大地の子

130日目

 

内灘高校には

今朝も金沢近郊に避難している生徒たちが

通って来ています

 

ひとりまたひとりと輪島に帰り

今では20人くらい

この後も

仮設住宅などの環境が整い次第

生徒たちは帰って来ます

 

私の父方の祖父は昭和の初め

中国は青島(チンタオ)にあった

日本人学校の校長をしていました

 

多くの日本人が暮らし

豊かな生活を送っていたようです

祖父も

父を含めた5人の子と妻で

幸せに暮らしていました

 

ところが状況が一変します

ソ連が宣戦布告し

侵攻を開始したのです 

 

ひとりまたひとりと日本へ帰り

生徒が減っていきます

 

最後に全校の生徒が

父の兄弟5人だけとなったところで

学校を閉じることとなりました

 

「ここは危険だから

 お前たちは先に北京に向かい

 そこで待ちなさい

 私は残務が終わり次第追いかける」

 

祖母は5人の子を連れて

一旦北京駅に降り立ちますが

「死ぬなら一緒に」

思い直して

もう一度折り返しの列車に

乗り込んだのです

 

そのときです

天皇陛下の玉音放送が流れたのは

 

一瞬の判断で乗り込んだ列車が

北京から青島へ向かう

最後の列車となりました

 

もしその時一瞬の躊躇があったら

家族が再び逢うことがなかったし

日本に帰れることはなかった

父は残留孤児として過ごすことに

だとすれば

今私はこの世に存在していません

 

映画のような

でも実際にあった話です

 

じいちゃん

あの時あなたはどんな気持ちで

子供たちを日本へ送り返していたのですか

 

あなたの孫は

全く逆の立場で

引き上げてくる子供達を

待っています

 

 

 

 

 

   青島日本中学校校舎 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青島日本中学校校歌