校長室より「おこらいえ」
世界農業遺産千枚田の田植えです
140日目
爽やかな風そよぐ5月
透き通るような日本海を背に
JRC部の生徒たちが
田植えボランティアに参加しました
JRC部とは
Junior Red Cross(青少年赤十字)
地域のボランティア活動に
積極的に参加しています
千枚田は
奥能登で一番高い山
高州山の地滑りによってできた
特殊な地形を利用して作った
美しい棚田で
一枚の平均が1.6坪と
非常に小さな田んぼの集まりです
こんな逸話が残っています
ある若者が本当に千枚あるか
数えてみたそうな
起伏が激しく
汗だくになってきたので
途中で着ていた蓑を
脱ぎ捨てたんじゃと
実際に数えると999枚で1枚足らない
何度数えても1枚足らない
日も暮れてきたので
あきらめて帰ろうと
途中で脱ぎ捨てた蓑を拾い上げると
なんとその下に1枚の田んぼが
隠れておったんじゃ
そのくらい1枚1枚が小さな田んぼです
地震直前には実際1,004枚の
田んぼがあったそうです
地震で崩れたところもあるかも
私が子供の頃は2,146枚あったと記憶しています
震災後初めて千枚田に足を運びました
途中凄惨な地震の爪痕を目の当たりに
道路が大きく波打っています
こんな大きいまんまるい石
どっから来たんだろ
水平線に見えるのは
「観音崎」という岬です
観音様が仰向けに横たわっている
その横顔に見えることから
「観音崎」という名前なのですが
地震ですっかり崩れてしまって
観音様には見えません
青酸カリの話
139日目
とある大学で青酸カリが紛失
もしくは記載漏れとの報道がありました
今日のブログには
「死」に関する記述があります
嫌な人は読まないでください
また私の記憶を頼りに書いたもので
実際に実験した訳ではありませんし
出典が明らかではない情報も多いです
話のネタ程度に読んでいただけると
私も大学の頃
青酸カリを日常的に使用する
研究室にいましたので
多少の知識があります
報道によると
紛失した総量は50g
160人分の致死量に相当するのだとか
あれあれ?
青酸カリの致死量はたしか0.1g
500人分では?と思い
いろいろ調べてみると
文献によって
0,1gから0,3g
うーん開きがあるのですね
0.1gで耳かき半分くらいだったから
0.3gだと耳かき山盛りか
青酸カリを用いたミステリーには
いろいろありますが
口紅に忍ばせておいて
塗った瞬間
ウッてなるパターン
でもこれはありえません
耳かき山盛の白い粉に塗れた口紅
見ればおかしいって気づくでしょ
万が一慌てていてきづかなかったにしても
耳かき山盛りって
どんな口のデカさですか
オバQか
そう考えると
コーヒーカップのふちに…
これも実際にはありえませんね
そもそも
青酸カリ中毒のメカニズムを知れば
皮膚についたくらいでは
死なないことがわかります
青酸カリ中毒の死因は
窒息です
えっ?
薬を飲んでどうして窒息?
青酸カリが胃に入ると
シアン化水素というガスが発生します
コーラを飲むと
シュワシュワと炭酸ガスが発生して
ゲップが出るのと同じしくみです
化学的には「弱酸の遊離」といいます
発生したシアン化水素ガスが
肺に入り赤血球のヘモグロビンに
ピタッとくっつきます
ヘモグロビンは
酸素を全身に送る役割をしていますが
それができなくなるわけです
つまり窒息死
即死ではなく
苦しむ時間が長いと予測されます
青酸カリを飲まされた被害者が
口から血をタラリ
窒息死ならこれもないでしょ
いえいえ
これはあり得るのだそうです
酸素不足を感知した脳が
肺に向かって
「酸素が足らん!もっと吸え!」
肺は
「ちゃんと吸ってますけど」
「嘘つけ!サボるな!」
「サボってませんて」
こんなやりとりがあるかどうかは
わかりませんが
やがて理不尽な要求に肺胞が破裂
私の研究室の冷蔵庫には
生卵が常備されていました
胃で発生したシアン化水素を
吸収する性質があるそうで
青酸中毒が疑われる場合は
直ちに飲ませろと
言い伝えられていました
あと研究室には
いつもほんのり
アーモンドの香りが漂っていました
そう
アーモンドの香りの素は
微量に含まれている青酸
救急救命する際に
口元からアーモンド臭がしたら
人工呼吸はやめて
心臓マッサージだけにするそうです
もしも青酸中毒だった場合
いっしょにシアン化水素を
吸ってしまう恐れがあるからです
そんなこんなの青酸カリ
あと解毒剤の話とか
コアラの大好きなユーカリの話とか
まだまだ授業のネタとしては
事欠きませんが
今回の件
盗まれたのではなく
処分したのを記載漏れした
であることをお祈りします
震災が結ぶ絆
137日目
令和9年
石川県を会場に
全国高等学校総合文化祭が
開催されます
生徒準備委員による活動も開始されました
https://ishikawa-koubunren.jp/news/entry-10917.html
現在
県内の高校で分担して
日本全国各都道府県を形どった灯篭を製作して
全国からの高校生のみなさんを
おもてなしする準備をすすめています
輪島高校が担当するのは
何かの縁でしょうか
阪神淡路大震災を経験された兵庫県
今回も多くの方から支援をいただいております
淡路島も作っています
今回被害の大きかった
美術室に置かれていましたが
崩れたものの下敷きになりながらも
なんとか原型を留めていましたので
少々骨組みを組み直しました
全国の高校の文化部のみなさん
お待ちしています
お楽しみに
今日も内灘高校へ生徒が集まって来ます
ビジネスコースの3年生で
テストが行われました
本校では昨年度より
中間テストを廃止しましたが
科目によっては
必要に応じてテストを実施しています
輪島高校から先生が問題用紙を運び
内灘高校でも本校と同じ緊張感です
輪島高校の2人の同級生
136日目
5月15日
今日は創立記念日
生徒はお休みです
大正12年に
産声をあげた本校は
昨年100周年記念式典を
挙行いたしました
大正12年は関東大震災があった年です
つまり輪島高校と関東大震災は同級生
その日台風が日本近海を通過していて
強風に煽られ火が燃え広がった
いわゆる複合災害だったそうです
今回の輪島の被災も
火災発生時に
津波の引き潮により
川の水が干上がり
消火が叶わなかった複合災害です
地盤隆起でいうと
関東大震災の2mの2倍の4m
この規模の地殻変動は
6000年ぶりなんだそうです
そう考えると
地質学上においても
とんでもない歴史に立ち会えたんだなと
もっとも隕石の衝突で滅んだ
恐竜さんにはかないませんが
人類の歴史でいうと
天災が原因で滅んだ文明は
ポンペイたったひとつしか
ないんだそうですね
人災が原因で滅んだ文明は
山ほどあるのに
そう考えるとなんだか悲しくなります
と同時に
関東大震災の年に生まれて
100年を経て
新たな100年の始まりを
能登半島地震でスタートした
本校ではありますが
再び立ち上がる勇気が湧いてきます
もうひとり輪島高校の同級生がいます
それはプラネタリウムくんです
世界初の近代的な
光学式のプラネタリウムは
同年ドイツで誕生しています
一昨日
能登半島でオーロラが見られたそうです
能登半島唯一のプラネタリウムを持つ天文台
「満天星」でも観測されました
天文台「満天星」は
「まんてんぼし」と読みますが
漢字検定準1級試験では
「どうだんつつじ」と読みます
私は退職したら
オーロラを見に行く旅行を
夢見ていたのですが
北欧やカナダまで行かなくても
生まれたこの場所で
見ることができるんですね
驚きです
チャレンジウォークの頃
135日目
例年でしたらこの頃
本校の伝統行事
チャレンジウォークを開催しています
心地よい初夏の風を感じながら
世界農業遺産である千枚田までの
海辺の道を歩きます
それぞれの力に合わせて
千枚田を超えて先を目指す生徒もいます
なのでチャレンジウォークです
チャレンジウォークについて
過去の生徒が
後輩に向けて書いた
作文があります
「チャレンジウォークとは
ずばり自己目標達成の練習です
この先
いろんなことで悩んだり
つらい思いをして
自分の目標を叶えるため
努力しなければいけないことが
増えてきます
『歩く』ことでそのことを練習するのです
ただそういう難しいことは
頭の隅に置いて
楽しく歩けばいいと思います
〈中略〉
コースを歩いているうちに
おもしろいものを見つけたら
友達と一緒に笑ってください
『あんなものもあったね』
3年生になっても覚えているかも
しれません
こんなふうに考えるだけでも
たのしいことがいっぱいあります」
この作文を書いてくれた彼女は
現在小説家として活躍しています
このころからその片鱗が
垣間見えますね
ところでこのチャレンジウォークは
私が高校3年生のときに
始まりました
当時は「夜間歩行」といって
懐中電灯の灯りだけを頼りに
一晩かけて50kmほどの行程を
ひたすら歩き続けるものでした
そのハードさゆえに反対する声もあり
校庭の銅像に
「夜間歩行反対!」という
プラカードをかける輩まで
出てくる始末
後で聞いた話ですが
先生方は
「こんなことをするのは
平野に違いない!」
と噂していたそう
名誉のために行っておきますが
決してそのようなことはしていません
なぜなら
「夜間歩行」が大好きだったからです
その証拠に
当日みんなを盛り上げようと
懐中電灯ではなく
わざわざ「御用提灯」を仕立てて
持っていったくらいですから
みんなは大爆笑で喜んでくれました
ただこのあと
恐ろしい試練が待っていようとは
このときは知る由もありませんでした
この重い提灯を
50km運ばなければならない現実
しかも蝋燭が消えないようにそっと
はじめ喜んでくれたみんなも
そのうち見向きもしないようになりました
このことまで考えが及びませんでした
このとき得た人生の教訓は
「後先考えずに一瞬のウケを狙ってはいけない」