校長室より「おこらいえ」
ひとぼう
地震から 638 日目
豪雨から 374 日目
【30-55 時間の旅】vol.5
30年前 55年前と時を遡った復興研修旅行
生徒の学びを紹介するコーナー
「人と防災未来センター」
阪神・淡路大震災の経験を語り継ぎ
その教訓を未来に生かすための施設
防災に詳しい方は
「ひとぼう」と略して呼んでいます
実際に被災した生徒たちが見ても
それでも大きな衝撃が走りました
〔中野舞星〕~「ひとぼう」で学んだこと
まず目に飛び込んだものは
南海トラフが来た時の
津波の最大の高さを想定した表です
もし南海トラフが起こってしまうと
ほとんどの建物が津波に飲まれてしまいます
改めて南海トラフの恐ろしさを感じました
次に収蔵庫に行ったら
そこには約20万件の震災資料がありました
今輪島にあるなんでもない物でも
数年経てばそれは能登半島地震の
大切な資料になるかもしれないので
残して置くのも大事だと学びました
そして神戸ではこの資料達を
未来にどう繋ぐのかが
今後の課題だと言っていました
震災当時を再現した映像を見ました
ほとんどの建物が倒壊して
高速道路のように頑丈そうなものでも
自然災害の強さには抗うことは出来ず
車も次々にぶつかり合って
逃げたくても逃げられない状況になってしまい
無力さをまざまざと見せつけられました
瓦礫に埋まってしまったお姉ちゃんは
「逃げて」という言葉を最後に亡くなってしまったり
状況を理解できないまま
ちゃんとしたお別れもできずに
身内の方を無くしてしまうのは
とても辛く苦しいものだと感じました
神戸市では
地区のみんなで助け合うことを
大切にしています
地震で無くなってしまった場所も
新しい場所だからできることをして
前と同じにするのではなく
さらに街をよくしていました
輪島もさらに
街を良く快適にする計画を立てて行くのが
大事だと思います」
〔橋浦 千秋〕~「ひとぼう」で学んだこと
「震災当時はゴミでも
時間が経てば経つほど貴重になる」
ポリタンク
折れた街灯の頭
商店街の看板など
様々な震災資料がありました
特に印象に残ったのは
被災者の実際の言葉やメッセージなどでした
「助けを呼ぶ声が耳に残って…」
「死を覚悟して…」
「早く逃げて!」
私は特に「『解体後』花だけは咲いている」
という言葉が殴り書きされたメモと
「応急手当をして貰ってから
遺体安置所にほっておかれた」
という言葉に胸を打たれました
今まで住んでいた家
いつも通っていた道路
穏やかに流れていた川が
全て壊れてぐちゃぐちゃになってしまったのに
花だけは咲いている
いつもは花に対してなんとも思わないのに
今だけはとても「呑気に咲いてるな」と憎く思える
そんな思いが詰まったメモ
遺体安置所にほっておかれた
どれだけしんどい言葉でしょうか
「もう生きていけないだろうから
ほうっておいたら死ぬだろう」
ということなのでしょうか
憎しみと共に悲しさも垣間見える言葉でした
実際に見てみて
とても胸が痛みました
災害を完全に阻止することは不可能
ですが「減災」という言葉があるくらいです
人間は頑張れば何でもできるのだから
なにもわからない
でも自分でできることも探して行動する
そんなことを学ぶことができました」
〔濵高 一朗〕~「ひとぼう」で学んだこと
能登地震が阪神淡路大震災に比べて
大きく減災ができていたということに気づきました
能登半島地震が起こった時
私は阪神淡路や東日本から
何も学んでいないじゃないか
また同じ事を繰り返しているじゃないか
と思っていました
しかしそれは大きな勘違いでした
阪神淡路大震災の時と比べて
建物 人の意識 国の援助 物資の搬入など
たくさんの点において
大きな成長を遂げている事を
映像や写真をみて理解しました
そして私が今注視しているのは
どうやってまた町を盛り上げていくかという点です
その点においては
まだ足りない部分もあると感じました
讃岐うどんの極意
地震から 637 日目
豪雨から 373 日目
大成建設さんのご協力のもと
災害ゴミを転生させてこしらえたベンチ
中庭から生徒玄関へ移動させました
これまでは休日朝早く
部活動の遠征に登校した生徒が
地べたに座って待っていたのですが
これからちゃんと座って待つ場所が
できましたね
輪島高校の避難所で
足湯ボランティアとして
寄り添ってくださった
藤井節子さまはじめ
四国ボランティアネットワークのみなさん
今日は本番讃岐の手打ちうどん教室を
開催してくださいました
特製レシピを伝授します
ぜひお試しあれ
塩:水の加減は
夏は 1:9
春秋は1:11
冬は 1:15
粉は中力粉を使います
粉に対する食塩水の割合は
夏〜冬で 42〜46%
中力粉をボールに入れ
両手で下から空気を含ませるように
混ぜながら
食塩水を3回に分けて加えます
しっかりこねていると
初めてボソボソだったのが
やがてひとつの玉にまとまります
ビニール袋に入れて寝かします
夏は 1時間
春秋は2時間
冬は 3時間
ビニール袋に入れたまま
足の裏全体で踏みます
1分半
薄く広がった生地を
縦横にそれぞれ3回
9層に折りたたみ
足踏みを3回繰り返します
生地を麺棒で薄く伸ばして
それを蛇腹に折りたたんで
4mm幅に切って出来上がり
茹でる時間は15〜16分です
29日(月)10:00より
南志見公民館でも開催されます
予約は不要
無料です
手ぶらで起こしください
【30-55 時間の旅】vol.4
30年前 55年前と時を遡った復興研修旅行
生徒の学びを紹介するコーナー
2日目の午前中は
青楓館高等学院さんを訪れました
学校を超えた部活動「AI部」で
一緒に活動しています
〔中野舞星〕〜青楓館で学んだこと
「みんな自分のやりたいことをすぐ行動に移し
学校の環境を
自分たちが過ごしやすい場所にしていました
自分達の活動を発表する場があって
素晴らしい発表をした人を投票して壁に貼って
みんな互いに高めあっていました
そして部活動は
どれも社会で活用していくことができそうなものでした
生徒一人ひとりの能力を育てて
挑戦する意欲を引き出しているとわかりました
私は何かに挑戦していくことはすごいと思います
自分で何か起こすのは難しい
そしてなかなか上手くいかないことも知りました
けれど諦めずに改善していくのをみて
私も何か挑戦する時は
失敗しても諦めずに改善を重ねて
成功に繋げて行く姿勢にしていきたいと思いました」
〔宮腰花歩〕~青楓館で学んだこと
たくさん質問をしました
Q.遠くにいる生徒が実際に来る時に
金銭面の支援はありますか?
A.高いランクのバッジを持っている生徒には支援が出ます
最高ランクバッジはプラチナバッチです
Q.修学旅行はどこへ行きますか?
A.基本みんな自由人なので
修学旅行でまとまって行くより
個として友達と一緒に旅行に行くほうがいい!
という人が多い
生徒さんについて私が感じたことは
話が止まりそうになったら
こっちに話題を振るなど
会話を回すのがうまいということです
また発表テクニックとして
スライドに書いてあることだけではなく
自分の意見を交えて笑いを取る
というのは自分を含め
輪島高校の生徒にはできていないことです」
〔浅野琉衣〕~青楓館で学んだこと
「青楓館のPBL型の授業は
主体性や積極性
社会的な立ち回りなどを学ぶ面が
輪島高校の「街プロ」と似ていると感じました
さらには単純に高等学校の探究活動の延長ではなく
本格的に社会参加する準備期間としての
カリキュラムや制度が整えられていて
他にも校歌・制服の制作など幅広い活動があり
生徒一人ひとりの主体性や行動力の高さを
改めて感じました
フレックスタイム制のような働き方改革を取り入れ
就職やその後まで見据えた体制が斬新でした」
〔森下正幸〕〜青楓館で学んだこと
「青楓館の生徒たちはGoogleスライドではなく
キャンパというアプリを使って
プレゼンしている人がほとんどでした
普段
活動やイベントなどで
県外に行くことが多いらしく
場数をふんでいて
共同作業や発表が上手でした
コミュニケーションスキル
主体性
チャレンジ精神など
社会に必要なスキルが養われ
海外企業系への推薦も多く
即戦力になりそうな教育をしていました」
この教室内のロフトも
生徒さんが手造りしたそうです
釣瓶落としの謎
地震から 636 日目
豪雨から 372 日目
【今日のDeep Purple】
教科を超えた授業実践を紹介し
深い教科横断型授業を作り出すコーナー
今日は国語と理科の教科横断です
3日間にわたった
阪神淡路復興研修ツアー
帰りのバスの中
夕暮れ空を見ながらこんなこと考えました
「秋の日は釣瓶落とし」
他の季節に比べて
秋は急速に日が暮れる
ということを表すことわざです
釣瓶とは
井戸で水を汲み上げるための道具で
桶を縄の先にとりつけたものを
滑車に掛けて使用します
井戸に落とすと素早く一気に落ちる様子に
秋の日暮れを例えています
これは単に
「日が短い」ということを表しているのではなく
「一気に暗くなる」ということを表しているようです
言われてみれば確かに
日が沈むと容赦なく暗くなる気がします
薄明るい時間が短いような気がします
科学的に検証してみる価値がありそうです
以前にこのブログでも紹介した
「天高く馬肥ゆる秋」
の科学的な根拠
夏の小笠原高気圧に比べ
秋の移動性大陸高気圧の
空気中に含まれる水分の違いから
実際に秋の雲の標高は高い
と言う事実
このことに関係があるのではと
考えてみました
空気中の水分量が多いと
そこを通る多くの光が散乱します
つまり明るく輝いて見えます
震災による停電で真っ暗なときに得た智恵ですが
懐中電灯を立てて
その上に水を入れたペットボトルを立てると
光が散乱されて
ランタンのように照らしてくれます
つまり空気中の水蒸気量が多い春や夏は
日が水平線に沈んでも
しばらくは散乱した光によって
空全体がぼーっと明るく見えるけど
空気が乾燥している秋はそれがなく
太陽が水平線に沈むと同時に
あたりが真っ暗になる
という仮説を立ててみました
単なる気のせいかと思い
実際に日没後の明るい時間帯の長さについて
調べてみました
すると
上空の大気が太陽光を散乱して光り
日の入後もしばらくは暗くならない現象をさす
「薄明」ということばがあることを知りました
「薄明」の長さを調べたサイトを見つけました
それによると
最も長いのは6月で1時間49分
それに対して
9月のそれは1時間25分
30分近くの違いがありました
どうやら仮説はある程度合っていそうです
実際に
湿度と「薄明」時間を測定して
調べてみるとおもしろそうです
温度によって差が出るのか?
緯度によって差がでるのか?
興味は尽きません
以前こんなこと研究している生徒がいました
「二階から目薬」
本当にそんな難しいのか?
実験と計算により検証しました
こうした諺や古くからの言い伝え
これらを科学的に検証する教科横断型の学習は
ものごとを複眼的に捉える力を育てます
「それがいったい社会の何に役立つのか?」
いいんです
本人がおもしろければ
「災害復興は現状復帰が原則」
としか言わない
頭の固い役人のようなこと言わないでください
日本人として5人目となるノーベル化学賞を受賞した
海洋生物学者である下村 脩 氏は
子どもの頃に見た光るクラゲが不思議で不思議で
その発光の仕組みを生涯追い続けました
そして「GFP」とよばれる光るたんぱく質を発見したのです
「それがいったい社会の何に役立つのか?」
のちに医学の発展に大きな役割を果たすことになるのです
細胞を生きたまま観察するための「光る目印」として活用され
がん細胞をマーキングしたり
難病治療のための新薬開発などに大きく貢献するのです
基礎研究とはこういうものです
そのときは何の役にもたたないように見えても
その後思わぬところで
大切な何かに結びつくのです
だから
基礎研究に関わる国家予算を
ふんだんに研究機関に回していただきたいと思います
日本の失われた30年を取り戻すために
長い目で復興のことを考えている毎日を送っていると
コスパやタイパばかり追い求めず
目に見える成果ばかりにとらわれず
真に大切なことは何なのかを
本気で考える大切さを日々感じています
【30-55 時間の旅】vol.3
30年前 55年前と時を遡った復興研修旅行
生徒の学びを紹介するコーナー
〔辻 姫花〕〜2025 万博会場にて
ポルトガルパビリオンに行きました
パビリオンのテーマは「海洋:青の対話」
海が私たちに話しかけるような口調で話している様子が
スクリーンに映し出されてました
海の氷を溶かすと海は私達の家を沈め
ゴミを流せば海は私たちにそれを返し
資源を奪い尽くせば海はもう
私たちは資源をもたらすことはない
海は決して危険な存在ではなく
真に危険なのは人間である
私はその動画をみて
自分たちが環境にしたことは自分たちに返ってくる
と改めて知り
環境を大切にすることの重要性を実感しました
復興は極めて重要ではあるが
環境を思いやって進めていくことが
真の復興だと思いました
〔濵高一朗〕〜2025 万博会場にて
国が
大阪府が
私たち輪島の特色である輪島塗を
全国または世界各国に伝え
輪島への興味関心が薄れないよう
輪島という町の価値を再確認してもらうよう
努めてくださっているということが
心に残りました
「夜の地球」輪島塗で作られた地球儀に対し
多くの方が足を運ぶ様子が
輪島市がまだ忘れられていないことを
強く象徴していると感じました
復興研修最終日
地震から 635 日目
豪雨から 371 日目
今日は阪神・淡路災害復興研修最終日
最後にとっておきの危機対応研修を
準備していました
題して「初めての置いてけぼり」作戦
出発時刻に遅刻した生徒を待たずに
バスを出発させるのです
途中で追いつくのか
それともあきらめて帰宅するか
自分でルートを設定させて
行動させる訓練です
この子たちがいずれ親元を離れて
一人暮らしになったとき被災したら
自分で考えて行動しなければなりません
そんな思いも込めての作戦だったのですが
さすがみなさん時間厳守で集まりました
帰り道
北陸自動車道が交通事故のため
通行できなくなりました
運転手さんのとっさの機転で
8月31日に開通したばかりの
東海環状道を通って
東海北陸道経由で
帰ることとしました
さすがの危機管理能力です
さて問題です
実際に知り合いが体験した
北陸新幹線がまだない頃の話
東海地区に近づいてきた台風のため
午後2時頃
新幹線が運転を見合わせました
東京にいた彼は
夜の9時までには
大阪に入らなければいけませんでした
航空機をとろうとしましたが
その日の東京大阪便は全て満席
レンタカーだと
ぶっ通しで運転してギリギリ
渋滞でもあれば確実アウトです
ましてや台風に向かって運転するのは危険です
とっさの機転で
彼は夜の9時までに
大阪に入ることができたのですが
どんな方法を使ったのでしょう?
答えは次のコーナーのあと
【30-55 時間の旅】vol.2
2025 大阪・関西万博で未来の姿を
1995 阪神淡路大震災の姿を
1970 未来を夢見た大阪万博の姿を
30年前 55年前と時を遡る今回のツアー
今日は最終日
「万博記念公園」を訪れました
先々日
今年の万博のレポートより
〔大北 琉絆〕〜2025 万博会場にて
ポルトガル館での展示
「あなたは水から生まれたが
あなたたちが海や川に資源を捨てるなら
私達もあなたたちに
水として襲い掛かるだろう」
復興をする際に雨や地震による水害をよく考えたり
海辺や川などの整備をし
ゴミを拾うなどの清掃をして
その場所を大切にするようなところ
そんなまちづくりをしようと思いました
〔北村篤太郎〕〜2025 万博会場にて
防災に地域コミュニティは切っても切り離せない存在です
そして万博は「コミュニティの形成」に最も適しています
「コミュニティの形成」には交流が不可欠であり
このようなイベントに防災を盛り込んだら
様々な国の人達の防災意識が高まると考えました
〔小住 優太〕〜2025 万博会場にて
輪島塗の「夜の地球(Earth at Night)」を見ました
沢山の人が来てくださっていました
子供が楽しめるような遊び場が多くありました
定期的に地面から霧が出たり
トランポリンを置いたりして
遊ばせていました
輪島にもそういう場はありますが
全て買い物できるとこからは少し離れており
親が安心していられる場所ではありません
復興させる時は
商業施設の一部に
遊び場を作れたらいいなと思いました
先ほどの答え
羽田空港から千歳空港を経由して
伊丹空港に入ったのでした
【夏を詠む】最後の句
五七五に込めた生徒の夏を
紹介するコーナーの最終回
最後の一句は
「朝焼けに 染まる君いて 言葉なく」
我が家の公費解体が終了しました
高校で国語を教えていらっしゃる
大工髙志先生より
こんなメッセージをいただきました
「解体してありましたね。
大火を塞き止めた家でしたね。
お疲れ様でした。
ウチも倒壊を免れた家でしたから
地震の後
いろいろ会話できたんですよ。
家と。
1月に地震があって、
家と会話したけど
3月頃から
声が聞こえなくなって。
家って
少しずつ死んでいくのだなと
思いました。」
これを読んで
生まれて初めて
本当に人生で初めて
嗚咽
ってものを経験しました
「あさやけに そまるきみいて ことばなく」
復興研修2日目
地震から 634 日目
豪雨から 370 日目
昨日の万博では
多くの学びがありました
《本手 蒼瑶》
ROBOT&MOBILITYSTATIONブースで見た
不整地の荷物搬送などに活用可能な
六脚ロボット「ハルモニウム」
それからAIスーツケース
「人に優しい」をテーマにした
こうしたロボットを
積極的に取り入れることで
被災地復興に
新たな可能性が生まれると思いました
《宮下 ほのか》
多くの国のパビリオンが
その国の文化や自然を活かしていました
能登でも豊かな自然や観光地を活かして
世界に伝えられたらいいと思います
コモンズパビリオンでは
1つの国ではなくコモンズで協力しよう
という考え方を知りました
これは能登でも同じで
他の地域と協力することで
復興につながると感じました
他の地域とのつながりを大切にしていきたいです
《中野 舞星》
アラブ首長国連邦のパビリオンで
とある文を見つけました
「再生可能エネルギーと先駆的技術を
戦略的に採用し活用することで
気候変動に対応できる
未来の創造を目指した取り組みを続けています」
「環境変化に対応できる
未来の創造と革新を目指し
伝統に根ざした取り組みは
地球とそこに暮らす人々
そして将来の世代のために
生命を守る原動力となる
私たちはそう信じています」
輪島の復興も
このような思いを持って
そこに暮らす人々や将来の世代の生命を
守る行動をしていくべきだと思いました
《橋浦 千秋》
阪神淡路大震災から30年、
前回の万博から55年
とても長い時間が経って
ようやく神戸や夢洲などの地域が
元に戻ってきて開催できた万博
長い時間が経って戻ってきたのは
道路や水道などのインフラ
ビルやマンションなどの建造物だけでなく
人と人との心の繋がり
国外の人との交流関係
新しい出会いや経験を身につけるきっかけなど
様々なことが戻ってきたのだと思います
輪島は未だ復興途中
30年前の阪神・淡路と同じような状態
万博に行った身として
輪島の復興に少しでも貢献できるような
考え方や見方で成長していきたいと思いました
《宮腰 花歩》
入場した瞬間
テレビで見た時とは違う
物凄い迫力に圧倒されました
ヨーロッパなどの人気のパビリオンには
入れなかったけど
コモンズなどの
小さな国々がたくさん入っているパビリオンや
ロボットの展示をしてるパビリオン
大屋根リングなど
万博でしか出来ない体験ができたことを
とても嬉しく思いました
輪島と大阪で違うと思ったことは
ふたつありました
ひとつ目は観光客の数です
今の輪島には外国人観光客
日本人の観光客すらほぼいません
観光客を呼ぶこと=輪島全体の活性化
に繋がるのではないかと思いました
ふたつ目は
観光資源が震災前と比べて
圧倒的に少なくなったことです
朝市は焼け
千枚田は割れ
窓岩は崩れてしまいました
《浅野 琉衣》
ポルトガルパビリオンで
海洋資源や排他的経済水域など
海に関する記録の展示を見ました
巨大なスクリーンに映し出された
海から人間に対する
強いメッセージが印象に残りました
また万博会場では
外食パビリオン「宴」や
各地に点在するキッチンカーのように
全国から来るたくさんの企業や飲食店が
交代制で出店するブースがいくつか見られました
このシステムは地域活性化にもつながります
調べてみると
歴代開催された万国博覧会でも
災害を取り上げた国がいくつかありましたが
どちらかといえば防災・減災が目的であり
日本のように
復興支援として万国博覧会で災害を取り上げる国は
珍しいのだと気づきました
日本の手厚い災害支援は
捉え方を変えれば「チャンス」になります
そのためには
今日実際に見てきたパビリオンのように
強いメッセージ性が必要なのだと思います
みんなそれぞれに思うところがあって
期待していた以上に
いろんなことを吸収しています
今回のツアーで生徒が学んだこと
明日からシリーズ化してお伝えします
「AI部」の活動でご一緒している
明石にある青楓館高等学院さんを訪ねました
通信制の学校で新しい時代の教育を
実践されています
例えば「AI部」の他には
「起業部」
「デザイン部」
「投資部」
など特徴的な部活動
青楓館高等学院は
「子どもの未来を守る」ための高等学院で
①社会と学校とのギャップがあること
②子どもたちの未来か真っ暗なこと
を変えるために生まれました
そのあとは
「人と防災未来センター」を訪れました
背景の建物
写真では切れている
さらに上方に
「南海トラフで予測される
津波の高さ→」
の表示があります
衝撃の高さです
何もかもひとたまりもありません
こちらの様子も少しずつ
お知らせしていきます
【夏を詠む】無題
五七五に込めた生徒の夏を
紹介するコーナー
それぞれの想いをのせて夏が過ぎ行きました
今日はいろんな夏を集めてみました
ただ想像力の乏しい私にとっては
どんな情景を詠んだ句かわからなかったので
みなさんで味わってみてください
「掌に ビー玉ひとつ 月を抱く」
「氷山や かき氷めく 地の悲鳴」
「夏夕べ 君と竿振る 肩ぬくし」