校長室より「おこらいえ」
リベンジ
地震から1年と2日目
豪雨から104 日目
昨日
昨年のあの日あの時と同じ
あの場所へ行ってきました
氣が多く集まる場所「気多大社」
古くは奈良に都があった時代から
北陸の大社として鎮座
大伴家持が能登を巡行したときに詠んだ歌
「之乎路(しをぢ)から
直超え(ただこえ)来れば
羽咋(はくい)の海
朝凪ぎ(あさなぎ)したり
船楫(かぢ)もがも」
が「万葉集」に収められています
リベンジに行ったところで
それがどうした?
って感じですが
心理学的にいうと
嫌な思い出というのは
上書き保存ができるそうです
今日の「ありがとう」
株式会社おもれいの大亀靖治様
支援のお申入れありがとうございました
フリーランス・ライターの福永文子さま
受験生指導の提案と書籍のご寄付ありがとうございました
育英金沢予備校の背戸江美子校長先生
自習室活用と質問対応支援ありがとうございました
大京株式会社様
たくさんのご寄付本当にありがとうございます
寺井町の中西書店の 池上のりこ さま
教材支援や入試対策のお申入れありがとうございました
兵庫県立夢野台高等学校の岩川真美さま
受験生宿泊へのご支援申し出ありがとうございました
蒼開中学高等学校のみなさま
義援活動「蒼海縁日」の開催ありがとうございました
東京の柳澤美樹子さま
受験生宿泊へのご支援申し出ありがとうございました
神戸高校の星野智英実先生
迅速な文房具等のご支援ありがとうございました
長崎県立佐世保中央高校通信制の中島数美教頭先生
いただいた絵本全集 市内合同小学校に贈りました
店先に門松が飾られています
3本の竹の先は斜めに切り落とされていますが
元々はまっすぐだったらしいですね
1572年12月三方ヶ原の戦いで
徳川家康が武田信玄に敗れた年の正月
信玄は家康に
「松枯れて 竹たくひなき あしたかな」
という句を送ります
当時はかなには濁点をつけず
読み手が想像してつけたので
それを受け取った家康は
「竹たぐひなき」と読みます
つまり松平家(当時家康は松平家康)が滅び
明日は類なき武田家の天下である
と読み解き激怒するのです
それを目にした家康の優秀な家来が
門松の竹の頭を斜めに切り落とし
「竹だくびなき(武田首なき)」と読むのです
以来先を斜めに切り落とした門松が
日本中に広まりますが
信玄の故郷山梨だけは
先が平らな門松を飾るそうです
土屋太鳳さんが輪島を訪ねてくれたときの
「まれ旅」
3日(金)18:10よりNHKで
再放送されます
ぜひご覧になってください
あけましておめでとうございます
地震から1年目
1月1日の午前1時
除夜の鐘の鳴らない年明けです
この辺のお寺の鐘撞堂は
軒並み倒れてしまい
本当に静かな年越しです
あの日から1年
あっというまの
何をしていたのか
思い出そうとしても
ほとんど思い出せない
でも何かやっていたんだろうな
こうして生きているのが不思議
たくさんの方に支えられたことだけは
決して忘れてはならないことです
東京の森真悠子さま
真っ先に教材の支援を申し出てくださいました
Humanity First のみなさん
温かいチャイとゆで卵本当においしかったです
愛知の小島量子さま
温かい励ましのメールありがとうございました
東京の毛利泉先生
地震よけステッカー被災民の心の支えになりました
釜石商工高校の金澤広利 元校長先生
先生からのノウハウは本当に役立ちました
manabo の笹倉めぐみさま
新しい時代の教育への提案ありがとうございました
1年間で支援してくださった方を少しずつ
ご紹介させていただきます
さて昨夜の紅白歌合戦
目の前に感動のステージが
繰り広げられました
こちらは最終リハ
カメラ4台
スタッフも40名程いたでしょうか
実は冬美さん
今回のオファーを受け
引き受けるべきか
ずいぶん悩まれたそうです
東日本大震災の際の
ご自身の支援のあり方に疑問を持たれ
また
石川さゆりさん
水森かおりさんなど
能登にまつわる曲を歌う方々の中で
ご自分が本当にふさわしいのか
それでも私たちを元気づけてくださるために
お引き受けくださいました
天の川を思わせる螺鈿の施された
紅掛空色の上品な生地に
銀の七宝繋ぎの刺繍をあしらった
艶やかなお召し物でした
能登の海と空をイメージして
こしらえたお着物もお持ちで
本当はそれにするおつもりだったそうです
津波で被害を受けた方に配慮して
今回のものにされました
細やかな心遣いがこんなところにも
スタッフの方によると
会場へと繋ぐ渡り廊下で
ずっと緊張されていて
会場入りの直前に
「今日は私のコンサートじゃない!
能登の人のために歌うんだ!」
と自分に言い聞かせておられたといいます
出場36回の大ベテランにとっても
紅白というのは特別なもののようです
輪島からの中継キャスターは
ニュースかがのとでお馴染み
NHK金沢放送局の高畠菜那さん
アイドルグループ「ジャンピン」でも
ご活躍されていました
とっても透明感のある方で
あまりにもキラキラと輝いていて
目を合わせることもできないほどでした
本番が終わった後
堪えきれずに号泣
紅白の舞台に大抜擢され
そのプレッシャーの中
やり切った充実感
抑えきれなかったのだと思います
とっても素敵な司会でした
ちなみに「ジャンピン」には
本校生徒の和奏(わかな)ちゃんもいました
最後に会場の皆さんと一緒に撮影です
スタッフの皆さんもお疲れ様でした
朝早くから夜遅くまで
西村チーフプロデューサー?
がテキパキと取り仕切り
前説も大爆笑でした
NHKホールでは
1000人を超えるスタッフが
いらっしゃるそうです
ひとつ勉強したことが…
灯油ストーブに灯油を入れる
キュポキュポってするこれ
何ていうか知ってます?
ドクター中松氏が発明されたこれです
スタッフの方から教えていただきました
「おしょうゆちゅるちゅる」
ひとしきり爆笑したあと調べてみたら
確かに正式名称でした
最後に和歌山ご出身の冬美さんから
観客スタッフ全員に
南高梅の「冬美梅」をプレゼント
ボランティアの先生方も
ありがとうございました
紅白歌合戦
地震から366 日目
豪雨から102 日目
こんな神秘的な虹に迎えられて迎えた
今年最後の日
現在大晦日の夕方6時
今年が終わるまであと6時間
あの日がまたやってきます
もうすぐ紅白歌合戦が始まります
今年は輪島から中継で
坂本冬美さんが
「能登はいらんかいね」を
歌ってくださいます
とここまでは
既に報道発表されていることですが
場所については当日の混乱を避けるために
公開はされていませんでした
もう大丈夫だろうということで
このブログをご覧のみなさんだけに
ちょこっといい情報をお知らせします
会場は輪島高校です
昨日会場設営をすませました
冬美さんの楽屋は校長室の隣
ずっと声出しをなさっています
仕事をしながら
隣の部屋から聞こえてくる
生歌にうっとり
決して妥協はなさいません
プロってこんなものなのだと感心しきり
冬美さんの「恋の予感」
最高でしたよ
リハーサルでは本番さながら
昨日座席を少々追加しましたので
事前受付をされていない方でも
お入りになれます
よろしければお越しください
注意事項
1.お車でお越しの際はJAもしくは市役所をご利用ください
2.上履きをご用意ください
3.防寒対策をなさってください
4.受付は19:45~20:30 体育館で行います
途中入場はできません
5.会場内での飲食は禁止です
お茶お水のペットボトルは持ち込みになれますが
ゴミはお持ち帰りください
6.体調の悪い方 熱のある方はご遠慮ください
7.撮影・録音機器は持ち込まないでください
8.キャラクターやブランド名が大きくプリントされた服装はおやめください
9.テレビに映る可能性があります
あらかじめご了承ください
卒業生の親御さんからこんなメールいただきました
「卒業生の親です。
12月29日土曜日の午後3時頃に北国銀行前の歩道でお財布を拾いました。
中身をATMに居た方達で確認したところ、現金とスイカのカード1枚入っていました。
大人なら他にもカードや免許証など入れているような気がして
学校も近いし何となく生徒さんなのかな??と思いました。
もし探している方がみえましたら、輪島警察署に届けてあるので、お伝え下さい。
黒のファスナーの折りたたみ財布です
PS⋯兄の祐将は矢田先生にお世話になって福井工業大学に合格させていただき有難うございました。
先日北国新聞の発行するアクタスという雑誌の8月号に
福井工業大学の生徒、輪島高校の卒業生として掲載していただきました
輪島図書館にもあったので良かったら見てみてもらえると嬉しいです」
ご親切にありがとうございます
能登はいらんかいね
地震から365 日目
豪雨から101 日
紅白歌合戦の中継のため
輪島入りされた坂本冬美さんを
ワイプラザ内の仮設朝市へご案内しました
本当に気さくな方で
みなさんへお声かけくださり
握手やサインにも快く応じてくださいました
明日の紅白歌合戦で
さらに元気をいただきたいと思います
先日このブログで
大人の学力検査で日本は世界2位だ
という話題に触れたら
金沢大学の轟亮教授が賛同してくださり
よくぞ書いてくれたと
教授曰く
これは大谷翔平の活躍に匹敵する
世界に誇るべきものである
しかも日本国民全体で勝ち取った賞だから
日本全体で提灯行列や
親子三代橋の渡り初めをするくらい
祝福すべきものである
とのことです
教授がその一例を挙げてくださったのは
日本の小学校で
クラスで話し合って合唱の曲を決めている場面
子どもだけでこんなことができるのか
海外の教育関係者は驚くそうです
TOKKATSU(特活)という言葉も
世界に広まりつつあるらしいですしね
私が前任校で
シンガポールの高校と交流していた頃の話です
オックスフォードやケンブリッジに
多くの合格者を出す超エリート校です
しかし集会の様子なんかを見ていると
正直だらしない感じでした
その高校が
日本の規律ある式典
つまり入学式や卒業式の指導を
取り入れたのです
すると生徒の生活様式が
みるみる変わっていくのが
外から見てもはっきりと
みて取れました
OECDとの共創をしていると
日本の教育の素晴らしさをさらに感じます
子どもの意見を取り入れる場面を
多く取り入れていることに
多くの国の方が驚かれます
掃除指導により
身の回りを綺麗に保つこと
物を大切にする公共心が育つこと
東日本大震災の際に
あんなに酷い状態にも関わらず
譲り合いの心を持っていることに
世界中が驚愕しました
今回の能登半島地震においても
そのことは同じです
皆が口に出したいことを口にせず
黙って一歩ずつ進んでいるのです
この事実とともに
先述の日本の教育の素晴らしさを
マスコミの方は
もっともっと伝えていただきたいと
思うのです
日本の先生は
かくの如く
尊いお仕事をなさっているのです
そのことを誇りに思ってもいいし
その仕事を目指す学生が増やすために
教育予算を上げて
教員の給料をその仕事に見合うだけ上げると同時に
教員が授業に集中できるように
それ以外の仕事を担う方の雇用を
推し進める必要があります
熱心でない
ごくごく一部のふしだらな教員のせいで
教員全体の世間の風当たりが強くなることを
非常に腹立たしく感じます
今時忘年会
地震から364 日目
豪雨から100 日
昨日の近江町市場での販売会
担当の山上先生からおたよりが
今日は小雪が舞う中、遠くはるばる岡山県立興陽高等学校、IPU環太平洋大学の学生、教員のみなさんと共同販売を通して交流することができ相互に貴重な経験となりました。
寒さに震えながらオリジナル商品を販売したことは参加した皆の記憶にしっかりと残り、今後の課題の発見や解決に役立っていくだろうと感じました
帰り道、輪島高校の生徒と歩きながら、より良い方法を出し合いました。活発に自分事として意見を次々に出す生徒がとても頼もしく、県の枠を越えた新しい教育がはじまった実感がありました。
もっと「より良く」という思いが通じ合えた一日となりました。
あたたかいコロッケとても美味しかったです
ありがとうございました
それから昨日は忘年会がありました
と言ってもお酒はなしです
高校生の忘年会だからです
お店の予約もなしです
オンラインの忘年会だからです
公用語は英語です
なぜならパリサミットに参加した生徒たちの
忘年会だからです
世界中から参加です
なんて令和な忘年会でしょう
ところで日本以外に
忘年会ってそもそもあるのかな?
気になって調べてみました
英語でなんていうんだろ?
ありました
Year-end Party
今度はYear-end Party で検索
ヒットするのは日本のサイトばかり
日本ならではの伝統を伝えるための
訳語のようです
さらに調べると
台湾の尾牙(ウェイヤー)
中国の年会(ニィェンフゥェイ)
韓国の送年会(송년회〈ソンニョネ〉、送年會)
(韓国では「会」を「え」と読むんですね
日本でも「会釈」と言いますもんね)
東アジアには似たような風習がありました
We wish a merry Christmas
and Happy New Year
クリスマスと正月を
いっしょくたにしているこの曲
昔から違和感を持っているのですが
欧米とアジアでは新年に対する感覚が
全く違うんでしょうね
そうそう
オーストラリアのクリスマスツリーには
てっぺんに
星ではなく太陽が飾ってありました
諸説ありますが忘年会は
鎌倉時代に貴族が和歌を詠む行事として
始まったとされています
優雅ですな
飲み会形式の忘年会が始まったのは
明治時代以降だそうです
企業での忘年会が一般的になったのは
昭和になってから
忘年会になると
やたら高いスペックを発揮する先生って
いましたね
「マジックをします
シルクハットの中に
卵を入れまーす
そしてかぶると…」
本人は鳩を出すつもりでも
酔っているのでグダグダです
顔を生卵がタラー
「それマジックやなくて
単なる我慢やないかい!」
と突っ込まれて終わりです
忘年会といえば「無礼講」
これどこで切れると思いますか
無礼+講
つまり無礼が許されるという意味ではありません
無+礼講
です
「礼講」とは
神様に捧げたお神酒を偉い人から順番にいただくこと
そして神事が終わった後に開かれる宴を
"無礼講"と言うそうです
若い頃無礼講は何してもいいと勘違いして
調子に乗って
髪の薄い校長先生に
「さすが校長先生!
ただ禿げてませんね!」
(「ただ」は輪島弁かな?「だてに」の意)
となでなでしたのは私です
覚えはないのですが
同席していた先生が後で教えてくれました
その校長先生は
今でもお逢いすると
「おー ビン」
(ビンは私のニックネーム)
と言って声をかけてくださいます
スケールの大きな方です
忘年会といえば景品がつきものです
景品のルーツは江戸時代にその記録が残されています
もともと景品というのは
商品やサービスを宣伝するアイテムのことです
その原型は元禄時代
駿河町「越後屋」がはじめた貸し傘サービスです
にわか雨が振ると
店章入りの傘を多くの客に無料で貸し出しました
「江戸中を 越後屋にして 虹が吹き」
という川柳が残されているほどです
「越後屋」は
今でいうところの
三井アウトレットパークの三井グループです
そのサービス精神は
脈々と引き継がれているのですね
さて今回のオンライン忘年会
新型コロナの影響で一気に広まりましたね
私は一度も参加したことがありません
「何が楽しいんだか」という思いを持っていたからです
でも今はそれも楽しいかなと
思いはじめています
というのも現在
輪島と金沢のニ拠点生活をしていて
夜ひとりで呑みながら
このブログを書くことが増えてきたからです
iPad相手にひとりで呟いていても
案外面白いなと感じはじめています
酔ったときの特徴分かりますか?
まず話が長い!
そして話題があちこちへ飛ぶ
実は自分で後で読み返して
面白いと思うこともあります
ほとんどが酔っ払って書いたときのものです
翌朝読み返して
「やばいやばい」と
慌てて消去することもあります
さて今日はどっちでしょう?