校長室より「おこらいえ」
いろいろの沈黙
地震から 408 日目
豪雨から 144 日目
サッカー部がフットサルの交流戦をしています
飯田高校
七尾高校
羽咋工業
が志賀高校に集まりました
冷凍庫の中みたいな体育館の中で
熱い闘いです
主体的・対話的で深い学び
このことを意識して
教育活動を行ってください
と先生方には日頃お伝えしてはいますが
なにせ
一を聞いて十を誤解する私にとって
対話は何よりも苦手とするところであり
もし今の授業に生徒として参加しろと言われたら
間違いなく保健室登校になっているか
主体的で対話的に振る舞う術だけを身に付けた
ずる賢い生徒に成長していると思います
ですので、対話を重視したグループ活動に
うまく加わることができずにいる生徒を見ると
痛いほどその気持ちがわかるのであります
そこで対話の中の沈黙について考察してみます
沈黙には理由があります
どのように対話の輪から外れていくか
順を追って振り返ってみます
(1)熟考のための沈黙
対話の中に何か引っかかるものがあって
頭の中で整理をしている段階です
この沈黙はむしろ歓迎すべき沈黙で
逆に無理に口を開かせようとしないことが大切です
この辺のさじ加減は
髙橋教頭先生がまことに上手です
校長に判断を求めるため説明する時
私が考え出すと
何も言わなくても即座に話を止め
考えがまとまるのを待ってくださるのです
何か後ろめたいことがある先生だと
(例えば自分が楽をしたいためだけの行事削減の提案)
ここで畳み掛けるように説明してきます
教頭先生はきっと熟考を重ね
ご自分なりの根拠と自信を持って
ご提案をしてくださっている証拠です
(2)置き去りになった沈黙
本当は言いたいことがあったのに
他の人がどんどん話してしまって
話題が違う方向に行ってしまい
話すタイミングを失ってしまった状態です
ファシリテーターを務める先生は
生徒をよく観察し
話を元に戻すとか
その生徒に話を振るなどの
フォローが大切になってきます
(3)対話迷子による沈黙
置き去りの生徒をそのままにしておくと
迷子になってしまいます
何の話をしているかわからず
どう発言して良いか分からず
とりあえず黙っています
この生徒は
ニコニコと笑っているのが特徴です
グループ自体の対話が盛り上がっていても
こんな生徒が増えてくると
やがて収束に向かいます
一旦振り返りをさせるなどの
ファシリテートが必要です
(4)しゃべってはいけない空気が支配する
「これを言うとバカにされるんじゃ?」
「そんなことも知らないの?
とマウント取られそう」
こうならないために
ここは何を行っても安全な場所だということを
ファシリテーターは徹底する必要があります
今共創しているOECDのミーティングでは
このことが徹底されていて
参加する生徒が
思うことを全て話すことができています
教師は対話の時間に沈黙があると
ついつい間を埋めるために
話をしがちです
その沈黙が何のための沈黙なのか見極め
適切な介入をする必要があります
来年はひのえうま
地震から 407 日目
豪雨から 143 日目
連日の大雪で
学校の駐車場も大わらわです
例年ですと
地元の土建会社にお願いして
除雪車に入ってもらっているのですが
被災地復興で出払っているので
お願いするわけにもいきません
そこで朝早くから先生方が総出で除雪作業です
誰もお願いしたわけでもないのに
自然にみなさんで助け合います
今から5年前の教頭時代
朝早くから除雪作業をしているのを横目に
「ごくろうさまでーす!」
と知らん顔で校舎に入っていく若手教員に
「手伝おうという気はないのか!」
と説教していたのにくらべると
これも震災のおかげでしょうか
自然と共助の気持ちが生まれてきている気がします
戸田 尊文 様はじめ
東大阪東ロータリークラブのみなさんが
学校に見えられました
発災当初からずっと寄り添ってくださり
大型スクリーンなど
多くの備品をご支援くださっています
このスクリーンは3月7日の
「街プロ」発表会でも使わせて頂く予定です
どうもありがとうございました
被災地への寄り添いというと
稲垣吾郎さん 草彅剛さん 香取慎吾さんらと
日本財団が共同で運営する基金
「LOVE POCKET FUND」さんが
輪島市に交流施設を建設する費用として
約1億3千万円を支援してくださるとの
新聞発表がありました
ありがとうございます
大阪大学の吉川徹教授より
書籍の寄贈がありました
吉川教授は
地方から都会への学生の流出
に関する研究をなさっています
半島の先端の過疎地にありながら
例年国公立大学へ一定数の合格者を輩出する
飯田高校と輪島高校に関心を持たれ
数年前に両校の卒業生を対象に
調査研究をなさったという経緯もあります
その際に
5年後の自分に宛てた手紙プロジェクトを
企画してくださいました
うちの末娘がちょうどその学年で
つい先日その手紙が5年の時を経て配達され
「こんなことを考えていたんだ」
と感慨深げでした
今回吉川教授にいただいた著作は
「ひのえうま」
2026年は「ひのえうま」にあたります
暦の十干十二支
十二支はご存じ
ね・うし・とら・う・たつ・・・
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
しちゅういんぼうしんしごびしんゆうじゅつがい
とも読みます
十二支は日本のほか
中国や韓国などアジアを中心に
15ケ国で使われており
ベトナムなどでは
ウサギの代わりに猫が入っていたりします
一方十干は
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
(こうおつへいていぼきこうしんじんき)
日を10日のまとまりで数えるための呼び名で
10日ごとに「一旬(いちじゅん)」と呼びます
上旬・中旬・下旬と呼ぶのは
このことに由来しています
それぞれ
甲(きのえ・木の兄)
乙(きのと・木の弟)
丙(ひのえ・火の兄)
丁(ひのと・火の弟)
戊己(土の・・・)庚辛(金の・・・)壬癸(水の・・・)
とも読みます
十干と十二支を組み合わせて
甲子(きのえね)
乙丑(きのとうし)・・・
といった具合に
それぞれの年に呼び名がつきます
甲子園球場は
大正13年 甲子(きのえね)の年にできたので
その名がついています
今年は乙巳(きのとみ)の年です
ということは来年は丙午(ひのえうま)
前回の「ひのえうま」は昭和41年
この年に生まれた赤ちゃんの数は
その前後の年に比べると
4分の3しかいないそうです
その理由は
ひのえうま生まれの女は
気性が激しく男を不幸にするだの
現代ならば即アウトの差別思考で
子どもをつくるのを控えたことによるものです
著書はこの歴史について深く考察しています
この迷信のルーツは
1666年(寛文のひのえうま)にあるそうです
この年に生まれた八百屋お七は
江戸の町を火事で焼け出され
避難所でいっしょになった男に恋心を抱きます
再び火事になれば男と再開できると目論んだお七は
江戸の町に火をつけ
その罪で火あぶりの刑に処せられます
紅白歌合戦で本校に来てくださった
坂本冬美さんが歌われた
「夜桜お七」
で有名な話です
しかもなんと
冬美さんは昭和41年生まれ
まさに「ひのえうまの女」なのだそうです
実際にお逢いした冬美さんは
気性が荒いどころか
避難民一人ひとりに寄り添ってくださり
そして一緒になって涙を流してくださるなど
本当に心やさしい方でしたので
「ひのえうま」は怒りを禁じ得ない
人権問題レベルの迷信といえます
本書には
このような「ひのえうま」にまつわる
興味深い話題が満載ですので
ぜひご覧ください
【今週のありがとう】
埼玉県の書家 光田 紀美代 さま
私の言葉を素敵な書にしたためていただきありがとうございます
山梨県立都留興譲館高校のみなさま
支援ありがとう!いっしょにがんばろうね!
まるごみJAPAN代表 DJ KOUSAKU 様
能登応援弁当楽しみにしています!!
わじまミラクルずの ガッキーさま
「こども縁日」開催ありがとうございました』
ブルックリン日本語学園 ガルシア奈津子先生
遠くニューヨークでの募金活動ありがとうございました
※このコーナーではこれまで
ご支援いただいた方々を
ご紹介させていただいています
ゆでたまごを科学する
地震から 406 日目
豪雨から 142 日目
ゆでたまごの最適なつくりかたが
科学的に解明されたとの
画期的な発表が
イタリアの研究チームからなされました
これにつきましては
わたしもかねてより研究を進めていたところであり
先を越されてしまったことに
口惜しい思いを禁じえないとともに
同じ研究者として
心から敬意を表します
これまでの研究の歴史を振り返ってみますと
時間を計測している最中に
電話がかかってきたり
待ちきれず途中で食べてしまったり
一所懸命計測して作ったものよりも
晴れ女が何も考えず作ったもののほうが
はるかに美味しかったり
厳しい研究の繰り返しでした
卵は白身と黄身で固まる温度が違います
白身は60℃で固まり始め
65℃くらいで流動性がなくなり
80℃ほどで完全に固まります
一方黄身はおよそ65℃で固まりだし
70℃で完全に固まります
70℃のお湯で30分間加熱すると
白身は完全には固まらず黄身だけ固まった
「温泉たまご」ができあがります
100℃近いお湯で加熱すると
白身は完全に固まります
このとき5分ほどで取り出すと
黄身まで熱が伝わらず固まっていない
「半熟たまご」になります
今回のイタリアチームのつくりかたは
100℃の熱湯と30度のぬるま湯に
交互に2分ずつ16回浸すというものです
実験する前に
温度の伝わりかたを
コンピュータでシミュレーションするなど
かなり本気で研究していて
人類の発展に大きく寄与した研究といえます
しかもこの研究リーダーは
「私は卵料理は嫌いだ」と
おっしゃっています
だから途中で食べたくなる
衝動に駆られることがなかったんですね
なるほど
好きなことを研究するのではなく
好きでもないことを
無理やりやらされる中で
真実に辿り着く研究もあるのですね
モコモコ自販機
地震から 405 日目
豪雨から 141 日目
一面雪と氷の世界です
ところでヘブライ語で
氷(コーリ)のことを(ケーラ)といいます
ヘブライ語はユダヤ人が話す言語です
ユダヤ人はヘブライ人とも呼ばれていました
ヘブライ語が最も活発に使われていたのは
紀元前13世紀から紀元前2世紀頃
旧約聖書が編纂(へんさん)された時代のことです
それまでは日常生活で使われていました
ところが紀元前2世紀の始め以降
ユダヤ人は徐々に激しい迫害を受けるようになり
ヨーロッパ各地への移住を余儀なくされ
ヘブライ語は歴史から姿を消すことになります
それでも「聖書の民」と呼ばれるユダヤ人は
聖書を読むためにヘブライ語を学び続け
宗教的慣習を通して書き言葉として残ってはいました
そこで19世紀
世界に散らばっていたユダヤ人たちは
自らの祖先の輝かしい過去を通して
希望を見出す手段として
ヘブライ語に注目しようという
新たな運動が起こりました
ヘブライ語が歴史の舞台に復活しておよそ150年
現在ではイスラエルを中心に
話者が世界中で約900万人いるとされ
この言葉を通じて
希望や望みを伝え合っています
おもしろいことに
日本語とヘブライ語で
意味が共通している単語が3000語以上あり
日本人とユダヤ人の祖先が
同じではないかという説があります
日ユ同祖論といいます
例えば
ニクム カバウ ユルス コマル スム
ツモル コオル スワル アルク ハカル
などの動詞はそのまんま同じ意味ですし
ヤケド ニオイ ワラベ ヤマト サムライ
など名詞にも見られます
アリ・ガドが「私にとって幸福です」という意味だったり
ヤッホーは「神様」
ヨイショは「神のご加護を」
など意味不明の言葉をヘブライ語で発音すると
意味のある言葉だったりします
ハッケ「撃て」ヨイ「倒せ」ノコッタ「打ち破れ」
ジャン「隠して」ケン「用意」ポン「ドン」
ワッショイ!「神が来た」
このワッショイ!
お神輿を担ぐときの掛け声ですが
昔は「ワッ」のときに神輿を威勢よく
天に向かって放り上げ
「ショイ」で降ろす
「ワッ」↑「ショイ」↓「ワッ」↑「ショイ」↓
とゆっくり大きく上下しながら練り歩いていたのが
電線が張り巡らされて
それができなくなると上下運動がなくなり
ワッ→ ショイ→ ワッ→ ショイ→ ワッ→ ショイ→
テンポが速くなり
ワッショイワッショイワッショイ
言い回しも変わって
ヤッソイヤッソイヤッソイ
下町のお祭りの掛け声
「ソイヤ」「ソイヤ」になったんだそうです
もうすぐ卒業式
そのときに歌われる「君が代」
これもヘブライ語として聞くと
興味深い意味が浮かび上がるそうです
クム・ガ・ヨワ 「立ち上がり神を讃えよ」
チヨニ 「選ばれし民」
ヤ・チヨニ「神に選ばれし民」
ササレー・イシィノ 「喜べ残された民よ 救われん」
イワオト・ナリタ 「神の印は成就した」
コカノ・ムーシュマッテ 「全地に語れ」
ナニャードヤレー 「聖前に主を讃えよ」
ナニャドナサレデア 「聖前に主は逆賊を掃討したまえり」
これは青森県新郷村に伝わる盆踊り歌を
ヘブライ語に訳したものです
新郷村の旧名は戸来(へらい)村
「ヘブライ」という言葉から来ているとされています
この村には日本人とユダヤ人の関係を裏付ける風習が
◯赤ちゃんが初めて外へ出るとき
額に墨で十字架を書いて魔除けをする
◯足がしびれた時につばをつけて
額に十字を3回書くと治るという習慣がある
◯この地方の方言のアダ(父親)アバ(母親)
これらはアダムとエバが訛ったものと考えられる
現在輪島高校が国際交流を進めている
トルコのすぐ近くにイスラエルはあり
今なおガザ地区の紛争に苦しんでいます
災害支援や人災支援のために
何ができるのか
しっかり考えていきたいと思います
能登の我慢を日本の前提にするな!
地震から 404 日目
豪雨から 140 日目
輪島朝市感謝祭のお知らせです
2月9日(日)
ワイプラザの入口前で
鍋が振る舞われます
輪島市朝市組合さんの主催です
時間は11時~13時
限定500食
無くなり次第終了です
日頃応援してくださっている市民の皆様
復興にご支援くださっている皆様に
感謝を込めてふぐ鍋の振る舞いです
温かい服装でおこしください
本校からも
JRC(ボランティア)部と
吹奏楽部の生徒がお手伝いします
ぜひお越しください
お待ちしています
昨日
仮設校舎建設に向けての
打ち合わせが行われました
今後詳細について
調整しながら進めてまいりますが
現時点での予定をお知らせします
今春竣工予定で
早ければ秋より運用開始となります
場所は輪島高校グラウンド
校舎に近い方
現在の野球部の三塁線上です
グラウンドではなく
その上のアスファルト広場での建設を
要望したのですが
寸法が足りないことと
仮設校舎と旧校舎の間は
10mの距離を取らなくてはならない
法律上の問題があって
叶いませんでした
しかしながら
北野喜樹教育長が
できる限り運動できるスペースを残すようにと
お達しを出してくださっていたおかげで
少々狭くはなりますが
体育や部活道ができるスペースは
確保できそうです
工夫しながら頑張りましょう
昨年夏の甲子園で優勝した
京都国際高校は
左翼方向70メートル
右翼方向60メートルほどしかない
校庭のようなグラウンドで
練習試合はおろか
フリーバッティングもできません
そんな環境でも
工夫と努力で栄冠は勝ち取れるのです
できない言い訳考える暇があったら
どうしたらできるか考えろ!
仮設校舎には
旧校舎の1・2年生の教室があった棟と
生徒玄関があった棟
にあったほぼ全ての部屋が作られます
2階建てで
1階には職員室をはじめ
事務室・会議室・保健室・相談室のほか
調理室や売店などが置かれます
2階には1・2年生の教室を始め
物化実験室・生地実験室・音楽室のほか
講義室や生徒会室が置かれます
真ん中に廊下を配置し
その両側に教室を配置した
コンパクトながら
できるだけ多くの部屋を配置できるよう
工夫されたつくりになっています
階段は2ヶ所
トイレは1階と2階にそれぞれあります
職員来客トイレは別にあります
温水清浄機付きトイレにするよう
要望していますが
国の政策では現状復帰
つまり災害復旧の場合
もともとあったものよりも
少しでも贅沢なものにしてはいけない
という決まりがあるそうで
なかなか難しいです
とはいえ
「金のことは考えるな!
できることは全てやれ!」
と岸田元総理が馳浩石川県知事に
電話で要請されているはずですので
柔軟な対応を求めていきたいと考えています
島根県の丸山達也知事が
今後他の地域で災害が起こったときに
「能登の時はこうだった」という
前提になることに懸念をされています
朝日新聞にはこう書かれています
「今の能登の対応が正しいという前提に立たれると
他の地域だって同じような扱いを受けるものだと
宣言されているようなもの
よその地域のことだからって黙っていられない」
このブログには暗い話題は書くまい
そう決めてきたから
呑気にアホ話も書いていますが
本当はやり場のない怒りでいっぱいです
はらわたの煮えくり返るような思いを
たくさんしています
被災民が黙って我慢することが
日本の前提とならないよう
言うべきことは言わないといけない
そう思いました
立ち退きを余儀なくされた
野球部の練習場所については
テニスコート脇に黒土のダイヤモンド
バックネットと防球用の電柱とネット
ブルペンの設置を要望しています
3年生と定時制の教室はじめ
進路指導室と定時制職員室
及び図書室やPC室・美術室については
従来のものをそのまま使用します
ただしビジネスコースが
PC室に近い方が都合がよいようなら
教室の変更もありえます
時間割と相談して決めます
自分が何も努力しないで
支援がないと文句言うのは大嫌いだけど
文句がないからと
他人事のようにないがしろにされるのを
黙っているほどお人好しでもありません
でもどうしても要望が通らなかったとしても
そこでなんとかしていこう!