校長室より「おこらいえ」

昔の戦友より

このブログ

多くの方が読んでくださっているみたいで

たくさんの激励のお言葉をいただいています

本当に大きな力となります

 

やすらぎ小松にお勤めの桐生裕三先生が

石川県出身の哲学者である

西田幾多郎先生の言葉を送ってくださいました

「非常時なればなるほど

 我々は一面において落ち着いて

 深く遠く考えねばならぬと思う」

 

桐生先生とは昔、甲子園を賭けて戦った仲です

当時、後にドラフト1位でプロに入団する投手を擁するうちのチームを

1回戦で0-1で破った監督です

 

勝負師、桐生監督らしいお言葉です

 

生きていてよかった!

今日は本来なら始業式の日

本当は来れる生徒がひとりでもふたりでも

始業式を決行するつもりではいたのですが

校舎の安全が保証できない限り

やはり生徒を集めるのはためらわれます

 

でも、ひとりで頑張っている受験生に

友達の顔を見て安心してもらいたくて

ひとりじゃないって思ってもらいたくて

顔を合わせる場面を設定しました

 

本校から今年共通テストを受けるのは38名

このうち、

住むところを失い親戚を頼って輪島を離れた生徒や

今だに道路が分断されていて出てこれない生徒がいたりして

今日集まったのは13名でした

 

2週間ぶりに逢う生徒を前にして

あれも言おうこれも言おうと

たくさん準備していたのですが

顔を見た瞬間、結局出た言葉は

「よう生きとったな!」

それだけ…

 

でも生徒の目は輝いていました

きっと大丈夫

確信しました

 

みんなで「愛は勝つ」を歌いました

昨年暮れ、惜しくも亡くなった

KANさんが遺したこの曲は

東日本大震災の際に

チャリティソングとして

多くの人の心を打ちました

そしてなんと、本校進路指導主事の

矢知先生が受験生の時の曲なのです

 

これを歌おうと思いたったのは昨夜

今朝早く、件の「奇跡の一軒家」に忍び込んで

タンスの下敷きになっていた

思い出のギターを引っ張り出して来ました

 

それから共通テストについての話をしました

聞いてみると

文房具もない生徒がほとんどだったので

職員室や進路指導室の瓦礫の下から

ありったけの鉛筆や消しゴムを拾い集めました

 

 

 

 

 

 

輪島高校は

共通テストの会場がある金沢市まで

車で2時間

毎年バスをチャーターし

ホテルもみんなで予約して

団体受験をしています

 

こんな状況ではありますが

今年も予定通り行きます

道路状況が悪く

普段の2〜3倍の時間がかかりますが

「緊急車両用通行許可証」を

県教育委員会がもらってくれました

これでスムーズに通れます

 

いろんな方が応援してくださっています

ありがたい限りです

力を発揮することが

全ての人への恩返しです

今日という一日は・・・

8日目も終わろうとしています

バタバタしていた割に

何をしたかと考えると???

 

調理室に忍び込み

奇跡的に無傷の電子レンジを数台発掘しました

少しでも温かいものを食べていただこうと

さっそく各フロアに設置しました

 

なんだかとってもいいことをした気分

と、ひとり悦に入っていると突然バチッ

一斉に使用したため

ブレーカーが落ちたようです

泣く泣く引き上げました

みんなを期待させてごめんなさい

 

ブレーカーを入れ直すため

自衛隊が駐屯している体育館に潜入

目の前に映画のような光景が広がります

 

 

 

 

 

 

 

グラウンドにも多くの重機が…

自分が高校生時代野球の練習をしていた

グラウンドがこんな姿になるとは…

 

 

 

 

 

 

震災前はこんな感じでした

 

 

 

 

 

 

グラウンド全体にうっすらと

氷が張った早朝のグラウンドです

 

今日も炊き出しをしていただきました

うっすら雪化粧の中

あったかいご馳走が嬉しいです

 

 

 

 

 

 

 

昨日お世話になった「Japan 元気塾」さん

今日は帰途についていたのですが

途中積雪のための倒木による通行止めで

ふたたび戻って来て

今日もうどんをご馳走してくださいました

 

よくよく見ると

味付けがちゃんと関西風

やはり地方によって

変えていらっしゃるのでしょう

細やかな心配りに感心しきりです

 

同じく昨日からお世話になっている

「Humanity First」さん

パキスタンやモンゴルの連合軍です

今日はキーマカレーをご馳走してくださいました

 

 

 

 

 

 

 

今日新たに加わったのは

大宮で天ぷら屋を営む「周平」さん

天丼をこしらえてくださいました

初めて炊き出しを行ったそうで

15時間もかけてお越しくださったんだとか

 

 

 

 

 

 

 

深夜になると

感染症病棟に段ボールベッドが

運び込まれます

市の職員や保健師さんたちで

必死の組み立てです

 

 

 

 

 

 

 

とにかく今日も一日が終わります

いろいろ走り回ってクタクタです

 

今日という日は自分にとっては

ただの一日だったけど

 

瓦礫の下で亡くなった方にとっては

どうしても生きたいと願った

一日だったんだろうなと思うと

 

この疲れこそが生きている証で

なんだか尊く感じます

 

明日は久しぶりに生徒に逢えます

「おこらいえ」って何?

8日目の朝です

外はすっぽり雪に覆われています

 

 

 

 

 

 

除雪が必要なほどの積雪はなく

ひとまずほっとしています

 

生徒を元気づけようと続けているこのコラム

他にも多くの方に見ていただいているようで

温かい励ましのメールなんかもいただいています

本当にありがとうございます

 

タイトルの「おこらいえ」について

 

どこかフランス語の響きにも似たこの言葉

これは輪島の「あまさん」の言葉です

意味は第1回のコラムを見てください

 

輪島の「あま」は

前田のお殿様(利家公?)から

特別に武士の称号を与えられた特権階級です

ですので多くの「あまさん」が住む町は

「海女町」ではなく「海士町」と書きます

 

現在避難所にも多くの方が身を寄せています

「じょー、おこらいえ」

「なだ、なにか」

など「海士町」の言葉が飛び交っています

 

輪島の「海士町」はとてもパワフルな町です

「おどらんな、じしんぐれえ、なしたちゃか!」

(てやんでえ、地震ぐらい、くそくらえだ…みたいな意)

とっても元気をもらいます

自分は誰のために何ができるのか

震災から7日目

全国から続々支援の手が

 

今日、本校に来てくださったのは

宇都宮からの「Japan 元気塾」さん

愛知からの「Humanity First」さんです

 

「Japan 元気塾」さんは

子どもたちの未来を創るための

社会貢献活動をしていらっしゃる団体で

今回は被災者の皆さんに

温かいうどんとおいしいお漬物を

振る舞ってくださいました

 

 

 

 

 

 

 

「Humanity First」さんは

英国に本部がある国際NGOで

東日本大震災など多くの支援を続けておられ

今回は温かいチャイ(紅茶)と

スパイシーな豆カレーを

ご馳走してくださいました

 

本来明後日から学校が始まるはずでしたが

校舎の安全が確保されないので

生徒を登校させる訳には行かず

学校再開の目処が立っていません

 

本校校舎は

1、2年生が学ぶ1号棟と

3年生が学ぶ3号棟があり

それを職員室のある2号棟が繋いでいます

 

今回の地震で2号棟が他の2つの棟から断裂し

斜めになり倒壊の恐れがあります

(避難民は1号棟に、感染対策棟は3号等にあり安全です)

 

 

 

 

 

 

生徒には次のようにメールで呼びかけました

 

避難所の様子をしっかり観察してください

誰がどのように動いているのか?

そしてしっかり考えてください

自分は誰かのために何ができるのか?

机の上で学ぶことだけが勉強ではありません

ボロボロになった自分の生まれた街から

決して目を逸らさないでください

 

大谷翔平選手が今回の震災に対して

100万ドルの寄付をしてくださいました

大谷選手は16歳の時に

東日本大震災で被災しています

当時一緒にプレイしていたチームメイトの中には

大切な家族を失った方もいるそうです

 

昨年全国の小学生に配られたグローブ

自分の記憶では

石川県の分は確かまだ各校には配られてないはず

だとすれば県のファインプレイ

これから被災した小学生に配られるグローブは

大きな勇気を与えてくれることでしょう

 

昨年3月11日に

WBCでチェコ戦に登板した佐々木朗希選手は

小学校3年生の時に同じく東日本日本大震災で

大切なお父さま、おじいさん、おばあさんを亡くしています

「つらさや悲しみは消えないけれど

たくさんの人たちに支えられて野球に打ち込めた」

と語っています

 

羽生結弦選手も

16歳の時に東日本大震災を経験し

避難所生活を余儀なくされています

自叙伝『蒼い炎』の中で

「今でも目を閉じるとたくさんのことを思い出す」

と語っています

 

つらい思いをしたからこそ

そしてそれを乗り越えたからこその

世界に羽ばたく強さと

そして優しさを兼ね備えた

素晴らしい3人のトップアスリートです

 

こんなに素晴らしい先輩たちがいるのだから

君たちにもきっとできる

そう信じています

 

今日

これまで連絡の取れなかった

最後の一人の女生徒が

学校に顔を見せてくれました

お正月を祖父母の家で過ごし

そのまま被災、道路の分断により

電波の届かない場所に

取り残されていたのだそうです

今日は5キロ以上の道を

瓦礫の山を越えて

歩いて脱出してきました

残してきた祖父母に

ヘリコプターで物資を届けて欲しいと

語っていました

 

これを書いている今、夜中の10時

不気味な余震が何度となく襲ってきます

自宅にいるのが怖くなって

新たに避難所に来るお年寄りを迎えます

 

遠くで叫び声が聞こえます

幻聴か?でも確かに…

亡くなった方の心の叫びか?

怖くなります

おそらくこの時間になっても

捜索を続けている方の声なのでしょう

 

今朝、124時間ぶりに救出された方の

新聞記事がありました

普通72時間が限界と言われているのに

 

一人でも多くの方の命を助け出そうと

諦めずに頑張っている捜索隊の方々に

感謝の思いでいっぱいです

被災地が必要とするもの

地震から6日目

まだまだ震度5クラスの余震が襲ってきます

地震の前には不気味な地鳴りも

 

一睡もできなかった今朝も

トイレの水漏れ騒動から始まりました

懸命に雑巾で拭いていると

一緒に拭いてくださる方が…

見ると昔の教え子や

今の生徒のおかあさん

人の緣を感じます

 

人の緣といえば

支援の輪もどんどん大きくなってきています

直接持って来られる方や

メールで何が欲しいか聞いてくださる方

その方々には

ブログでおねだりしますと答えたので

震災後に欲しくなるものリストです

 

第1〜2日目

「水と毛布と懐中電灯、あればモバイルバッテリー」

 空腹は感じません とにかく水

 あと寒さがこたえました

 夜の暗闇は異常に怖いです

 配給が届くまでの2日間

 最低これがあれば生き延びれる

 これらは自分で準備すべきものですね

 あとコンタクトの洗浄液がなくて

 困っている人に貸してあげたら

 ほとんどなくなってしまいました

 

第3〜4日目

「パンとラジオとゴミ袋、簡易トイレと甘い飲み物」

 ようやくお腹が空きはじめます

 何かを口に入れるとその結果として…

 あと嬉しかったのが

 NHKさんがくださったラジオでした

 生活によるゴミが溜まり始めるのがこの頃

 

第5〜6日目

「パンツ靴下おせんべい、水の要らないシャンプー」

 着の身着のまま逃げ出して

 ずっと同じ服と下着

 特に靴下を変えたいです

 衣料が欲しくなるこの時期

 せめて衣類の消臭剤があれば…

 自分の身の回りでは

 おせんべいがあっという間に

 なくなりました

 塩分を欲する頃なのでしょうか

 今回うちの避難所に限っていえば

 食料が圧倒的に不足しています

 

以上、あくまで個人的なランキングです

日によって必要なものは変わってきます

今でも瓦礫の下敷きになっている方も

いらっしゃる中贅沢は言えません

 

夕方から慌ただしい動きが

感染症対策室が設置されました

そういえば感染症が広がるのが

この時期なんですね

マスクも必要になってきます

 

 

 

 

 

 

電気が戻りました

地震から5日目

ついに電気が灯りました

本当は3日に点くはずだったのですが

北陸電力さん

電気保安協会さん

電気商会さん

それぞれの持ち場全てで

不具合があったそうです

順番に直してようやく本日復旧

本当にたくさんの人のおかげで

普通の生活が守られているんだなと

改めて感激です

 

電気ってこんなに明るかったんだ

まったりしていると

突然生物実験室からガス検知器の音が…

駆けつけてみると

異臭とともに目に飛び込んできたのは

倒壊した棚と散乱した生物標本

保存びんが割れてホルマリンが床一面に

復旧した検知器が一斉に反応したのでしょう

 

ホルマリンとはホルムアルデヒドの水溶液で

シックハウス症候群の原因となる

発がん性のある危険物質

ホルムアルデヒドは

メチルアルコールから水素が奪われてできます

アルコールから

水素(ヒドロゲン)がていくからアルデヒド

(ちょっと違うけど…)

輪高受験生のみんな

読んでるか?共通テストに出るかも

(私は化学の教員です)

 

ともあれ

これから入って来る避難民を

シックハウス症候群にする訳にはいきません

さっそく除染作業の開始です

 

水で薄めながら雑巾に吸い取らせます

手につくと手がホルマリン標本になるので

慎重に慎重に

ガラス瓶の破片を除けると

大の苦手のヒキガエル!

突然蘇ったらどうしようと

恐る恐るつまみ出します

次亜塩素酸で消毒して完了

検知器の警報音も鳴り止み一安心

 

午後3時過ぎから

避難民の受け入れが始まります

避難先は1、2年生教室と格技場

避難生活の疲れからかかなりイライラした方も

受付係はお医者さんと看護師さん

本来業務外に駆り出されているのに

クレーム対応までしなければならないなんて

なんだか教員の働き方みたい

協力してなんとかイライラをおさめます

中には「ご苦労様」と

優しい言葉をかけてくださる方も

 

なんやかんやで受け入れ完了が午前0時

 

 

 

 

 

 

長い一日だったな

毛布にくるまりこのコラムを書きながら

ウトウト…

 

「火事です!」突然火災報知器が…

数日前の恐怖が頭をよぎります

慌てて飛び起きて確認すると

火元は格技場

駆けつけてみると

みなさん何事もなかったかのようにスヤスヤ???

それでも報知器が鳴り止みません

消防署に通報して来て見てもらいました

原因は

ジェットヒーターによる格技場の温まりすぎ

外気温との差によって作動する報知器が

どうやら誤作動したようです

どうりで小さいお子さんが

毛布を蹴散らして寝ている訳です

一酸化炭素中毒も心配です

換気もすませて午前3時

 

キャー

今度は仮設トイレで悲鳴が…

駆けつけてみると

便器の外にでっかい「う◯こ」

ホルマリンの次は「う◯こ」の除染です

除染完了午前4時

 

少しでも休もうと横になっても眠れません

コラムでも書いていれば

そのうち眠くなるかなと思い

このコラムを書いていると

空が明るくなってきました

 

おはようございます

避難生活6日目の朝です 

避難所開設に向けて

輪島高校を避難所として開設するため

教頭先生と2日から泊まり込みで

準備を進めています

 

昼間には何人もの先生やOB、OGが

手伝いをしてくれています

いろんな方に助けていただいています

 

各地の自衛隊の方々が

続々グラウンドに集まって来ます

頼もしい限りです

 

 

 

 

 

 

背景の傾いたビルが

震災の激しさを物語っています

 

なんでも終戦の翌日には

もう郵便が届いていたそうで

日本って国は本当に素晴らしい

 

街を歩いてみると

トルコから炊き出しのボランティアが

日本だけじゃなく

世界から支援の手が差し伸べられています

 

オンラインで生徒の安否を確認していますが

電波事情が悪いようで

3分の1しか回答が得られません

そこで教頭先生に避難所を回ってもらいました

すると前期の生徒会会長が

ほとんどの生徒の安否を把握していて

その実行力と生きる力に感心しました

 

彼は昨年、本校の100周年記念式典で

生徒代表挨拶を務めた生徒です

あまりに堂々とした挨拶に感動した校長は

「虎の涙」という限定販売の焼酎を

「二十歳になったら呑めよ」と

阪神ファンの彼に送ったのでした

その焼酎、震災で割れていないといいけど

 

昼になると「先生食べてー」と

生徒が食パンを持って来てくれました

スーパーで配ってくれるものを集めて

いろんな人に 

配って歩いているんだそうです

本当は自分たちだって

お腹すいてるんだろうけど

 

ありがたくいただきました

ほとんど飲まず食わずだったので

心にしみました

ハクにもらったおむすびを頬張る

千尋の気持ちがわかるような

 

陽が沈むとあたりは真っ暗です

余震が起こるたびに怖くなるけど

その代わり星がとても綺麗です

 

「星が綺麗ですね」と語りかけたときの

最も悲しくなる返事は「星は綺麗ですね」

最もときめくのは「今なら手が届くかもしれませんよ」

これって何のオマージュかわかりますか?

国語が好きな人ならわかりますね

 

大好きな国語の授業を受けれる日が

一日でも早く訪れますように

令和6年度 志願者心得

輪島高校への進学を希望している

中学生のみなさん

大変な今だからこそ

未来をしっかりと見据えて

希望を失わずできることから

一歩ずつ着実にやっていきましょう

 

本日は高校入試の志願者心得を

お届けする日だったのですが

学校にはまだ電気が届いていないので

どうすることもできません

 

そこでとりあえず写真で見ていただきます

見にくくてごめんなさい

電気が復旧次第正式なもの

および定時制のものをアップしますね

 

4月にみなさんをお迎えできるよう

全力で準備していきますね

みなさんも負けずに頑張りましょう 

 

奇跡の一軒家

焼け野原となった街を見に行きました

あちこちでまだ煙がくすぶっています

 

一面燃え尽くされた隅っこに

我が家だけポツンと残っていました

 

 

 

 

 

 

東日本大震災の時の

「奇跡の一本松」を思い出します

新聞等で報道されている写真には

写ることのない本当の端っこです

 

でも焼け残ったのは

実は奇跡でもなんでもないのです

 

こんな大火災になった時は

街区の端っこの家に

とにかく水をかけて

なんとかそこで延焼を

食い止めるのだそうです

確かに道を隔てた先には

炎が燃え広がった跡が

見られませんでした

街の全滅から守ってくださった

消防の方々のお力に

心から感謝申し上げます

 

我が家は

水浸しになりながら

なんとかここで炎を食い止めようと

必死で持ちこたえていました

 

そう思うと

自分もしっかりしないと

生徒のために何ができるか考えないと

力が湧いてきます 

 

家の中に入ってみました

水をたっぷり吸った床を踏むと

ふにゃふにゃでした

 

到底住むことはできないので

いずれ取り壊されます

「本当によくやった」

褒めてやりたいです

 

新婚旅行の思い出の

コアラのぬいぐるみだけ

持ち出して来ました