校長のつぶやき

校長のつぶやき

運を引き寄せる

*終業式でお話しした内容のダイジェストです。

 大リーグで大谷選手が活躍しています。オールスター戦でもホームラン競争、そして先発ピッチャーと一番バッターの二刀流で出場し、活躍しました。自分もテレビで少しだけ見ましたが、凄く印象に残った場面があります。それは、試合で特大ホームラン打ったシーンでも、バッタバッタ三振をとったシーンでもありません。

 オールスター戦の直前、練習が終わり、ブルペンからベンチへ戻る途中、大谷選手は、外野の芝生付近に落ちていた“ゴミ”をさりげなく拾って、尻のポケットにしまったんですね。2秒くらいのほんのわずかな時間でしたが、ゴミを当たり前のように拾ったその場面が頭に焼き付いています。調べてみると、彼は公式戦でも、グランドにゴミが落ちていたら当たり前に拾って、ポケットに入れていたようです。なぜ、そんなことをさりげなくできるのか?

 それは高校時代、野球部の監督から学んだことの1つが、このゴミ拾いの大切さだったということです。

 「ゴミは人が落とした運。ゴミを拾うことで運を拾うんだ。そして自分自身にツキを呼ぶ。そういう発想をしなさい。」

 そう言われ続けた大谷選手は、高校時代に作成した目標達成シートの「運」の項目に「ゴミ拾い」を挙げ、それが習慣になり、メジャー公式戦でも続いているということなんです。

  運がいいとか悪いとか言いますが、「運」は自分の手で引き寄せるもの、待っていても何も変わらない。目に見えないだけで、実は転がっている「運」を、自分の力で引き寄せことが必要です。でも、そのためにはどうすればいいのか。

 それは、回りの人から感謝されるような行動を続けることだと考えます。「ゴミを拾った」「ニコッと笑って挨拶をした」「お年寄りに席を譲った」「家の手伝いをした」等、さりげないちっぽけなことでいいんです。大谷選手のように、それを繰り返して、習慣にしてしまえば、自分で運を引き寄せられると思います。

 昨日の業後、今夏ボランティア活動を行う「サマーボランティア説明会」が開催され、多くの北陵生が参加していました。彼らにとって、幸運を引き寄せる1歩になることを期待しています。

人命か報道か

今日の朝学習(好奇心の種蒔)は、以前ピューリッツァ賞を受賞した写真「ハゲワシと少女」に関連して、あなたは「人命かそれとも報道か」の意見を書く内容でした。

学校のクロムブックを総動員した結果、生徒の打ち込んだ意見を短時間で集約できました。生徒の意見は、人命優先、報道優先と大きく分かれましたが、次のような深い意見もあって読むのが楽しかったです。

「私は、写真を撮ってからでなく、撮る前に助けた方が良かったのではと思いました。でも、だからといって撮影者の言い分を聞かずに誹謗中傷するのは違うと思うし、誹謗中傷の結果、自殺に追いやった人々こそ、嫌悪されるべきではないでしょうか。そういう人達は、結局、弱いものを狙うハゲワシと同じなんだと思いました。」

 

 

 

 

 

 

本を読むとどうなる?

前回、拡散的思考を持って、多様な見方・価値観を獲得しませんかと言いました。そのためには「読書」がお薦めです。「読書」と言えば、タレントの芦田愛菜さん。自称「活字中毒者」で、小学高学年で年間180冊、中学で年間100冊以上読んできたそうです。彼女の書いたお薦め本紹介『まなの本棚』を手に取ってみましょう。彼女と同世代の生徒諸君にとって、等身大の1冊が見つかります。

その芦田さん、昨年、主演映画の完成イベントで、その映画のテーマである「信じるってどういうこと?」について、記者から質問を受け、丁寧な受け答えをしていました。何度か「何だろ?」と考えながら言葉をつむいで、自分の言葉で語り、しかも、奥深い発言内容であったことに心底驚きました。以下は、その時のコメントの抜粋です。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉って、結構使うと思うんですけど、それがどういう意味なんだろうって考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな、と感じて・・・」

「人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、それは、その人が裏切ったとかいうわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけであって、その見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいる、というのが、『信じられる』ことなのかなって思ったんですけど・・・」

 以前に話した「メタ認知(より良い気づき)」ってのは、まさにこの考え方なんです。自分の感情や行動を客観的に見るもう一人の自分を作りだしています。多様な見方を持って、より良い解を考え続けることができる聡明な若者が日本にもいるんだと、うれしくなりました。彼女には、タレント業のみならず、オピニオンリーダーとして、若い人たちへもっとメッセージを送って欲しいと思った次第です。

さて、本校図書館の入口と入った内部です。手に取りたくなる本がうまく配置されています。

雪が溶けると

有名な逸話です。ある小学校の先生が、子ども達に「雪が溶けたら何になる?」という質問をしました。もちろん、先生は「水になる」という科学的な答えを求めていたのですが、一部の児童は「春になる!」と答えました。子供の素直な感受性と、自由な発想が見事に表れた例としてよく取り上げられます。

でも、私はもう少し別の見方で捉えています。それは人の思考スタイルには「収束」と「拡散」の2つがあるということです。学校では、テストや授業での質問を通して、唯一の解答を求めることが多く、また、生徒たちもそれを当たり前のことと考えています。これが収束的思考。一方、実社会では、簡単に解の出ない問いに対応することがむしろ多く、一つの事象(出来事)から自分の発想を広げ、多様な見方で、より良い解を考えていく力が必要。これが拡散的思考です。本物の「学力」は、この収束・拡散のバランスが取れた思考力だと思います。

今年度、本校の朝学習の中で「好奇心の種蒔」と称し、先生方手作りの問題や読み物を出題しています。3ヶ月終わり、やややクイズっぽくなってきたな、収束させる問いに偏ってきたなと感じています。期末考査が終わったら、もう少し自由記述的な問いを取り入れます。生徒諸君には、単なる暗記でなく、自分の頭で考えてみて、実はいろんな見方や価値観があることに気づいてほしいな、と心から願っています。

さて、保健の先生の力作ポスターが第3弾、第4弾と続いて張り出されています。前回言ったように、自分で自分をコントロールする力が必要になっています。

 

社会で生き抜くための武器

総体総文が終わった後の全校集会で、次のように生徒諸君に伝えました。

私は、高校の役割というのは、社会的自立を目指すための武器を手に入れることだと思っている。では、一体何が、皆にとっての武器になるのか?

昨年、何人かの生徒に「あなたの武器は?」と聞いたところ、「資格」「マナー」と答えた人が多かった。北陵高校の環境をよく踏まえた答だ。

 ここで、皆にもう一つ身につけてほしい武器を言う。それは「自分で自分をコントロールする」力、漢字で書くと「自律(自ら律する)」の力だ。

テストが近づいて本当は勉強しないといけないのにスマホをいじってしまう、何かにイライラし、そのイライラを制御できなくて周りの人に当たってしまう、マスク無しの会話はウイルス感染拡大を招く可能性があることを知っていながら会話を我慢できない、そうした経験は皆持っているはず。目標のためにグッとこらえる、楽をしたいという感情に簡単に流されない、そのために、自分で自分をコントロールする力を身につける。これこそが、社会の荒波に対抗できる武器だと思わないか。

 とはいっても、自分で自分をコントロールするのは難しい。それにはテクニックが必要。簡単に言うと、自分の中に、冷静に物事を見るもう一人の自分を作り出す。これを「メタ認知」と言う。メタ認知は、言い換えれば「より良い気づき」。自分の行動や感情を第3者の見方で俯瞰(ふかん)的に見て、悩んでいる自分、怒っている自分、喜んでいる自分に自身で気づき、そして、より良い方向に上書きしていく。

 小・中学校で多くの挫折や悩みを経験してきた人は、成功体験しか持っていない人より、多くのことを学べている。「今まで、無駄なことなんて何一つなかったし、これからも私は成長できる」。最終的にそう言い切れるために、自分をコントロールする力を身につけてほしい。

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しばらくして、業後に校内を回っていたら、若手の先生達が、有志で勉強会を開いていた。講師は、本校デジタル環境の質向上のために、今年度定期的に来校して頂いているデジタル関連業務の民間プロの方。校内ICT環境をどう高めていけばいいのか参考にしたいとの思いが高じての勉強会、素晴らしい。「学校ICT環境」のメタ認知に繋がればと思う。