58日目
2月27日は「絆の日」だそうです
2月14日の「バレンタインデー」と
3月14日の「ホワイトデー」の中間であることと
2人のきづ(2)な(7)
【2人の絆】とかけて
恋人同士の絆を深める日として
結婚カウンセラーさんが設定したようです
「冬の恋人の日」ともよばれるのだとか
被災以来、人と人との絆を感じています
先日 山椒魚のピアノを助けてと呼びかけたら
ピアノは運べんけど壁ぶち抜くのはまかしとけという名人と
壁ぶち抜く名人を紹介するよっていってくれた保護者
ピアノを運ぶプロ紹介したげるよっていってくれた楽器屋さんに
楽器屋さんに相談しとくよっていってくれた宴会部長に
宴会部長に助けてあげてっていってくれたカウンセラー
いろんな人に助けられて
山椒魚脱出できそうです
今日はお昼の2時頃に大きな余震が2度
そのとき小学校3年生の授業を
廊下から眺めていました
揺れたとたん
先生の指示よりも早く
全員が机の下へさっと身を隠しました
その間 おそらく
1秒かかってなかったと思います
同じく廊下にいた小学校の先生といっしょに
思わず拍手をしてしまいました
そのくらい見事な避難行動でした
ただ小学校の先生は
こんなことが上手になるなんて
かわいそう・・・
と複雑な面持ちでした
卒業式が近づいてまいりました
金沢市の音楽堂で行います
輪島から送迎バスを運行します
予約した3年生とその保護者のみご利用できます
自家用車でお越しの方は
駐車料金をご負担願います
1,2年生へは動画配信しますが
直接来たい人は入場できます
できる範囲でかまいませんので
制服等、式にふさわしい服装で来て下さい
式には報道各社も入ります
映りたくない卒業生は
あらかじめ学校までお知らせ下さい
式ではひとりひとりに卒業証書を手渡します
当初の予定終了時刻よりも遅くなります
あらかじめご了承ください
輪島行き復路バスの予定出発時刻は16:30となります
今日の「PRAY FOR JAPAN」
じいちゃんが電話で言っていた。
『お国のために電気を消すのも
燃料を節約するのも全く苦ではない。
今回は空から爆弾が降ってくるわけではない。』
57日目
「日本で2番目に高い山知っとるか?
俺も知らん!」
これは 自分が昔 練習試合等でお世話になっていた
ある高校野球の監督さんの言葉です
滋賀県から何度か甲子園に導いた実績をお持ちなので
重みのある言葉です
「だから一番を取れ!」という意味です
一番でないとダメなんですか?
というご意見もおありかと思いますが
一番でないと得ることのできないものもある
一番を取ったこともない自分が言うのもなんですが
そう思います
富士山のように
自分だけの力で一番を取れるのは
限られた人でしょう
でも決して一番でなくても
一番に負けないくらい
みんなに認められる存在になることはできます
それが
群馬が誇る名山「赤城山」です
多くの方に知られる「赤城山」
しかし「赤城山」という山は実際には存在しないのだそうです
黒檜山、駒ヶ岳、地蔵岳、長七郎山、小地蔵岳、鍋割山、荒山、鈴ケ岳
などの山々の総称が「赤城山」です
それぞれに特徴を持った山々が集まって
全体で輝いているのです
現在、高校は
一年の中で最も忙しい時期です
大学入試に向けての進路指導
高校入試に向けての準備
学年末の試験と成績処理
そして新年度の準備
今年はそれに加えて
避難所運営や
小中学校への校舎提供
学校行事もこれまでのノウハウが全く使えず
全てをゼロから作り上げています
大学入試への指導を進路指導主事が
卒業式の計画を総務主任が
高校入試の準備を教務主任が
しかも今年は入試会場が輪島と金沢の2ヶ所
授業も対面とオンラインを並行させて
それぞれの専門性や能力を発揮しながら
先生方が全員で輝いています
特に頭が下がるのが
実家が金沢や加賀方面にある若い先生方です
実家にいれば何不自由なく
暮らせているはずなのに
水道が復旧しないのでお風呂に入ることもできず
アパートが傾いているので車中泊している先生も
買い物もかなり制限のある中 炊きだしの食事でしのぎ
それもこれもただ生徒のためだけに
必死に耐えて頑張ってくれています
その責任感とプロ意識
自分はひたすら見守ることしかできません
心の底から感謝です
富士山が堂々とそびえ立つように
強いリーダーシップでぐいぐい引っ張ることはできない校長ではありますが
献身的な先生方が
見事な「赤城山」をつくり出しているのです
今日の「PRAY FOR JAPAN」
母「ホッカイロ逃げたぁ」
妹「逃げてないよ♪」
母「あ、いたいた☆」
停電中、家族で一つのふとんに入り、
あったかい娘の足を探すかわいい母なのでした。
56日目
今日は音楽の話から
ドミソの和音は明るく元気な調べです
起立礼着席 チャーンチャーンチャンの
最初の和音
Cメジャーコードといって
楽しい曲の伴奏や旋律に使われます
ドミソの和音の
ミの音を半音下げてミ(フラット)に
つまりドbミソにすると
Cマイナーコードといって
一転暗く悲しい響きに変わります
簡単にいうと
明るく元気な曲でも
曲中のある音を半音下げるだけで
暗く悲しい曲に変わるというわけです
少しずつではありますが
金沢と能登を繋ぐ大動脈
のと里山海道の復旧も
進んでいます
先週ぐらいに片道復旧した別所岳付近に
おとのみち「希空(まれぞら)」があります
土屋太鳳さんが
輪島高校の高校生という設定であった
NHKテレビ小説「まれ」の
主題歌「希空」のメロディーが
聞こえてくる道です
道に細かく溝が刻まれていて
その上をタイヤが通ると音がします
溝の幅が狭いと高い音
広いと低い音がして
一定の速度で走ると
音楽に聞こえるという仕組みです
車の速度によっても音程が変わり
早く走ると音程が上がります
今回の震災で
ところどころ減速をしなければならない箇所があり
明るく元気な曲であるはずの「希空」が
なんだかもの悲しくなって聞こえることに気づいた方
他にいます?
さて今日は国公立大学の2次試験の日です
1月以来厳しい環境の中
頑張ってきた3年生
どうか落ち着いて
力を発揮してきてください
今日の「PRAY FOR JAPAN」
娘三歳がぬいぐるみ達を
うんしょ、うんしょと、どこかに運んでいた
「じしんがくるから、みんなひなんしたの」と言う
しばらくして、さて寝るかとパパの掛け布団を開いたら
ぬいぐるみが全員寝ていた
思わず吹き出した
そしていつもパパと寝ている娘三歳が「ここが安全」と
思ってくれていて嬉しかった
55日目
世間は3連休の真っ只中
被災地への配慮からか
石川県への観光客数が激減していると
報道されています
金沢界隈を歩いてみると
日本人観光客の姿はほとんどなく
インバウンドばかりが目立つと聞きます
東日本大震災で日本中が自粛ムードの時
東北の造り酒屋のご主人が
「日本中のみなさん
こんなときだからこそ
我々の作ったお酒をどうぞ呑んでください」
とおっしゃっていたのを思い出します
日本中のみなさん
一部を除いて石川県は元気です
遠慮なさらずに
どうか観光にお越しください
みなさんが来てくださることが
復興に繋がります
私はといえば
1月4日のブログで紹介した
「奇跡の一軒家」に入り込んで
家財の整理をしています
ほとんど使い物にならないものばかりですが
このまま取り壊される家と一緒に
処分されるのがかわいそうで
せめてきれいにしてあげて
と無駄な努力をしています
このブログを読んでくださる方に
お知恵を借りたいことがあります
グランドピアノを運びだす方法を
ご存知の方いらっしゃいませんか?
「奇跡の一軒家」は
火災地区の東の端にあるのですが
西の端に両親が住んでいた家が
これまたギリギリで燃え残っているのです
家は傾き
取り壊されるのを
待つばかりなのですが
運び出したいピアノはこの中にあります
娘たちが練習していたピアノです
ただピアノを入れてから
家の改修をしたため
部屋の出口がピアノより小さいという
井伏鱒二の「山椒魚」状態なのです
壁をぶちぬけばいけそうですが
そのはずみで家が倒壊しそうだし
このまま家と一緒に取り壊される
その前に運び込むことができれば
奇跡のピアノとして学校において
ストリートピアノにしたいなと
考えてはいるのですが
どなたかぜひお知恵を
54日目
卒業式のシーズンが近づいてきました
東日本大震災の6年後
横浜のある小学校の校長先生が
こんなご挨拶をなさいました
6年前、みなさんと同じように
小学校の入学式を心待ちにしていた子がいました
幸い家族は全員無事でしたが
津波で家は跡形もなく流されてしまいました
お母さんは瓦礫の中から
泥だらけのランドセルを見つけ出し
水で洗いました
もちろん水道が復旧していないときだったので
貴重な溜め水できれいにしました
でも完全にはきれいになりませんでした
そんな子のために新しいランドセルが寄付され
ピカピカのランドセルでその子も入学式に向かいました
話はここからです
実は入学式の翌日から
その子が背負い続けたのは
ピカピカのランドセルではなく
お母さんが必死で洗ってくれた
瓦礫の中のランドセルだったのです
「おかあさん 6年間ありがとう
おかあさんが洗ってくれたランドセルで
学校に通ったから頑張れました」
卒業式でそう言ったそうです
この子
今20代後半ぐらいですかね
今まで何人もの
東北地方からのボランティアの方に
お会いしたので
もしかしてその中にいらっしゃったかも
先日、奇跡の一軒家に忍びこんで
瓦礫の中の
桐のタンスの中から
娘たちが小学校の入学式や卒業式で着ていた服を
引っ張り出してきました
桐ってとてもよく水を吸う木材で
しかも水をかけると隙間なく膨張して
中の衣類をしっかりと守るのだそうです
だから中の衣類をきれいなまま
持ち出すことができました
大事なお洋服燃えてしまった方
いらっしゃいませんか
よろしければ差し上げます
輪島高校校長までお声かけください
今日の「PRAY FOR JAPAN」
2011年3月11日に生まれた子供の名前には
『希』『明』『愛』『心』という文字が
多く付けられているそうです
53日目
輪島高校の卒業生には
ふたりのオリンピック選手がいます
最近ではピョンチャンオリンピックに
スケルトン競技で出場した
小口(旧姓大向)貴子選手
古くは昭和31年メルボルンオリンピック
なんと現役3年生の山中毅選手が
銀メダルを獲得したのです
当時の山中選手が練習していたと言われるプールが
鴨が浦という海辺にあります
なんと岩をくり抜いて作ったプールです
中には天然の海水が…
波が荒れれば危険で使えなくなるプールです
岩と岩の間に縄を張ってコースを作り
ストップウォッチがないので
ヒモに石をくくりつけて
タイムを測っていたそうです
自分の物理の記憶が正しければ
40cmの振り子が8回ふれれば
たしかちょうど10秒になったはず
今日はそのプールを
震災後どうなったか訪ねてみました
途中の道は完全にがけ崩れで進めません
岩づたいに歩いて行くことにしました
とはいえ実はここはもともと海の底
今回の地震で海底が4mも隆起して
現れた部分です
幼い頃輪島で過ごしたみなさん
亀岩まで歩いて行けるようになりましたよ
たくさんの干からびた
ヒトデやイソギンチャク
かわいそうに
今回のは
何百年に一度の地震ではなく
何万年に一度の地殻変動なのでは?
地学基礎の問題にあった気がします
ようやく辿り着いた
伝説のプールがこちら
こちらも隆起の影響か
中には水が全くありませんでした
今日の「PRAY FOR JAPAN」
母にTwitterを見せた
「自分たちよりも若い人たちが
こんなにも支えあって日本を守ろうとしているなんて」って
感動して泣いてた
私たちがやっていることは間違いじゃない
意味のあることなんだ
52日目
兵庫県たつの市立御津小学校の皆さんから
かわいい寄せ書きをいただきました
小さい子の描くお母さんの前髪って
左上の子の絵みたいに
いつだってぺちゃんこなんですよね
昔なんでかなと思っていたんですけど
ある時ふと気づいたんです
小さい子はいつもお母さんを見上げていて
下から見ると
お母さんの頭って前髪しか見えなくて
ぺちゃんこに見えるんですよね
子供ってほんとうによく見ています
この絵は避難所に飾っておきますね
たくさんの人を元気にしてくれると思います
3月末になると先生方の異動が始まります
生活拠点がないため
輪島を後にしなければならない先生もいて…
かといって代わりに輪島に入る先生もなかなか…
そんな中
現在輪島高校に勤めているある先生から
手紙をいただきました
言葉で言うより想いが伝わる
不思議な力が手書きの手紙にはありますよね
嬉しい内容だったので
手打ちですが紹介します
「…前略…
今回わたしは子どもたちとしばらく
輪島を離れていますが
数年後この子たちが大きくなったとき
『輪島でよかった』と思ってもらえるよう
復興に力を注ぎたいと考えています
友人や知り合いが奥能登を離れていったり
色んな葛藤や不安も感じましたが
自分が輪島にできることを
少しでも返していきたいと思っています
どれだけ輪島高校の力になれるかわかりませんが
精一杯働きたいと思います
わたしは輪島が好きなんです
『輪島高校で働きたい!』
ということが伝われば…」
今日の「PRAY FOR JAPAN」
今、日本には電気が足りない
そればっかりはどうしようもない
それを補うのは、みんなの元気だ!
笑顔だ!にっこり笑って!
そしたら、こんな状況だって余裕だよ
おはようございます!
「PRAY FOR JAPAN」は
東日本大震災発生のわずか12分後から届き始めた
祈りのメッセージを集めたWebサイトを
書籍化したものです
震災当夜
停電中の一時避難所にいた
20歳の大学生によって
立ち上げられたものだそうです
毎日その中からひとつずつ紹介しています
51日目
3月1日の卒業式
今日は会場の下見と打ち合わせに行って来ました
学校の体育館は未だ自衛隊の駐屯基地
文化会館も資材置き場となっているということを聞き
今年の卒業式は金沢市の音楽堂で
執り行うこととしています
金沢駅東口を出て右側
玄関入って右手コンサートホールへ
エスカレーターで2階へ進みます
お弁当持参の場合は
ロビーでいただくこともできますが
金沢駅周辺には美味しい店がたくさん
発災以来ずっと避難食の方もいらっしゃるでしょう
たまには贅沢なさってください
そして会場がこちら
輪島からの送迎バスも出します
詳しくはこのあとご連絡します
例年通知簿に同封してお送りしていますが
郵便事情のこともあり
このホームページあるいは
一斉メールでお知らせします
今日はひとりぜひお会いしたい方がいて
金沢市内の避難所の方にも足を運びました
以前輪島高校の避難所にいて
その後次の避難先へと変わって行った方から
手紙が届いたので尋ねてみました
手紙の消印は2月8日
10日ほどしてようやく届いた手紙には
輪島高校が学校として運用されることを知り
真っ先に手を挙げて
学校を空けてくださろうとしたこと
その後避難所を変わってほしいとお願いされる度に
他の方が移るのは大変だからと
率先して手を上げてきたことが綴られていました
現在なんと5カ所目の避難先だそうです
その度
食事がもらえないなどの
様々な困難を抱えながら
病院に通うことのできない方への
お薬の世話をしてくださったり
言葉のわからない外国人被災者の
話し相手になってくださったり
していたようです
さぞかし大変だったろうなと思ったら
その度に素敵な出会いがあって
楽しんでいらっしゃるとのこと
素敵な考え方ですね
今日の「PRAY FOR JAPAN」
避難所で、4人家族なのに
「分け合って食べます」と
3つしかおにぎりをもらわない人を見た
凍えるほど寒いのに
毛布を譲り合う人を見た
50日目
これまでさまざまな偶然が積み重なって
今日まで生きています
1月1日
末娘が2日からバイトがあるからと
夕方実家をあとにして
金沢へ送っていくことにしました
あのとき家にとどまったままだったら・・・
発災後、即、裏山へ駆け上がりました
寒さと暗さで不安になる中
たまたま近くに避難所が開設されて
そこに潜り込むことができたけれど・・・
大津波警報が解除され
真夜中車で帰ろうとしたとき
末娘が必死に止めそれに従いましたが
無理に帰ろうとしたら
きっと崖に落ちるか何かに衝突して・・・
なにより震災が
授業中に起こっていたとしたら・・・
考えるだけで恐ろしくなります
「生きる」って不思議です
だからこそ「生」って言う字には
これまで生きてきた人が
いろんな思いを込めて
さまざまな読み方が生まれたのでしょう
「生花を生甲斐にした生え抜きの生娘
生絹を生業に生計立てた
生立は生半可でなかった
生憎、生前は生まれてこの方
生涯通して生粋の生だった」
15回登場する「生」の字は
全て読み方が異なります
今日もさまざまな方から
支援の手を差し伸べていただいています
ライオンズクラブを介して
香川県立多度津高校の
海洋食品科食品科学コースのみなさんから
学校で商品開発された
チーズケーキ缶詰を送っていただきました
以前から非常食としてのご飯の缶詰を備蓄されるなど
防災意識の高い取組をされています
チーズケーキはほっとします
本当にありがとうございました
以前,多額のご寄付をくださいました
横浜の有限会社カイトさんが
今度は直接お越しになり
避難者と、学校に通う子どもたちに
お菓子の詰め合わせと焼き芋のプレゼントです
焼き芋は800食ほど一瞬でなくなったそうです
みんな大喜びでした
支援物資もたくさんいただきました
今日の「PRAY FOR JAPAN」
亡くなった母が言っていた言葉を思い出す
「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」
四十九日
痛かったでしょう
重たかったでしょう
熱かったでしょう
凍えたでしょう
怖かったでしょう
どうか安らかに
心からご冥福をお祈りします
あなたの分まで
力を合わせて
生きていきます
48日目
吹き荒れた春一番も止み
おだやかな春を思わせる長閑な土曜日
内閣府副大臣の古賀篤様はじめ
文部科学省の方々が視察に来られました
避難所も含め
現在小中高で共用している施設を
視察していただきました
ひび割れて傾いた教室棟
液状化を起こして使い物にならないグラウンド
ドアが開かず窓を割って出入りしたボイラー室
中に入ると気分が悪くなるくらい傾いた体育館
あちこちに落とし穴の空いた駐車場
野球のマウンドのように迫り上がった武道場
4月に入ったら
できるところから教育活動が再開できるよう
最大限の支援をお願いしました
石川県教育長はじめ県の方々も同席し
現在の輪島市の教育環境について
また今後求められる支援について説明しました
今後の昼食の提供をどうするか
生活拠点のない中でどう教員を確保するか
避難所提供と学校再開をどう両立させていくか
課題は山積みですが
文科省、教委、学校、連絡を密に取り合って
一刻も早い学校活動の復興に向けて
協力していくことを確認しました
困り事がありましたら
随時上げていきますので
なんでもおっしゃってください
直接中央省庁にあげていくことが大切です
東日本大震災の際に得られた教訓として
何かで目にしました
「災害現場には
現地で指示のできる
優秀なリーダーを派遣する
そして全てを任せる
必要と判断したことは全てやれ
と指示する
それが法に触れるようなことであれば
法改正する
それが一国の首相の責任」
だそうです
頼もしい教訓です
今日の「PRAY FOR JAPAN」
ぜんぜん眠っていないであろう旦那に
「大丈夫?無理しないで」とメールしたら
「自衛隊なめんなよ
今無理しないでいつ無理するんだ?
言葉に気をつけろ」と返事が
47日目
全ての物質は原子でできています
原子のひとつぶひとつぶを見ると
中心にある原子核のまわりを電子が廻っています
原子核はプラスの電気を持つ陽子と
電気をもたない中性子からできています
原子核が壊れる
つまり核分裂がおこると
中性子が飛び出して
となりの原子核にぶつかって
新たな核分裂をひきおこします
そうするとまた別の中性子も飛び出して
さらに・・・
そうやってどんどん新しい中性子が飛び出して
核分裂を起こし続ける状態を
「臨界状態」といって
原子力発電が大きなパワーを生み出す源となっています
ただ「臨界状態」が制御不能な状態になってしまうと
「臨界事故」につながり甚大な被害をもたらします
そうならないように「制御棒」を使って
「臨界状態」をコントロールしています
朝、一本の電話がかかってきます
その案件を解決するために別の部屋に向かうと
そこで声をかけられ新たな案件が…
最初の案件が解決しないまま
新たな案件を抱え別の部屋に向かうと
廊下で出逢った人からさらに新たな案件が・・・
まさに「臨界状態」です
誰か「制御棒」を・・・
今日、福井県の 山内 悟 先生より
福井県教育委員会が薦める
~あなたの扉を開ける72冊~
の書籍を贈っていただきました
このような時だからこそ
心にしみる一冊が必ずあると思います
生徒に紹介したいと思います
小松のおばちゃんさんからは
可愛いグッズの贈り物
「可愛いものを見たいしさわりたい」
と生徒がテレビで言っているのを見て
贈ってくださいました
どんなものが喜ばれるかなと
きっと選んでくださったんだろうな
と想像するだけで・・・
松任谷由実さんのダンデライオンが
頭の中には流れています
「 ♪ ふるさとの両親がよこす手紙のような
ぎこちないぬくもりほど泣きたくなる ♪ 」
46日目
先日、校舎内で危ない事故がありました
天井板がはずれ、コンクリート屑が落ちてきたのです
本校は
1・2年生の教室がある1号棟
3年生の教室がある3号棟
そしてそれを繋ぐ2号棟がコの字形に立っています
今回の地震で真ん中の2号棟が傾き
1号棟および3号棟とのつなぎ目が
はずれてしまっています
かなり傾いている様子がわかります
建物検査では
1号棟と3号棟は安全
2号棟は直ちに倒壊の危険はないものの注意
との調査結果をいただいています
それを受けて
それぞれ安全な1号棟で小学生
3号棟で中学生を受け入れ
授業を再開しています
今回の事故は
2号棟と3号棟のつなぎ目の1階でおこりました
この部分は大きくひび割れており
発災直後からコンクリート屑が落ちてきていたので
1階天井部分に下からベニア板で補修を施すと同時に
注意喚起を促していました
さらに、その上を通行すると屑が落ちるので
2階の連結部分は
踏まずにまたいで通るよう指示していました
今回外れたのは補修してあった部分の
横の天井板
おそらく余震で外れたものと思われます
その際ベニア板の上にたまっていた
コンクリート屑が
天井板がはずれてできた穴から
落ちてきたものです
この場所は中学生の動線上にあるのですが
けが人がなく本当によかったです
中学校保護者のみなさま
ご心配をおかけしました
ただちに動線の変更を行い
当分の間該当箇所を通行止めにすると同時に
業者に修繕を依頼しました
一見安全に見えても
実は危険な箇所は
おそらく他にもたくさんあると思われます
危険のないよう,、教育委員会とともに
施設の観察・点検を一層丁寧に行ってまいります
以上のことについて
先日ある新聞社による報道がありました
読者からの苦情等の電話が殺到し
学校運営に支障をきたすということがありました
さまざまなご意見がおありかと思いますが
緊急以外のご意見はどうかメールでお願いします
お返事は本ブログにてお答えします
ひとつひとつのご意見に対して
お返事できないこともあります
どうかご容赦願います
さまざまな方面からの
愛情のあるご意見であることは
充分理解しております
スムーズな復興に向けての歩みのため
ご理解とご協力をお願いします
大事な高校受検を控えた大切な時期に
このような状況になり
不安な毎日をお過ごしのことと思います
また、先の見通せぬ中
高校選びに関してもどうしていいか
わからない状況なのではとお察しいたします
その一助になればとの思いで
高校選びのポイントに関するチャートを作りました
これは本校独自に、現時点で考えられる選択肢をまとめたもので
県教委から正式に発表されたものではないことをお含みいただいた上で
あくまでも参考ということでご覧いただければと思います
15日より願書受付が始まりますが
この後、志願変更の期間も設けてあります
今一度進路について再考し
適切な進路選択をされますようお願いいたします
本校在校生について
一家転住等による今後の転学を考える際の参考にもなるかと思います
45日目
金沢近辺に2時避難している
1、2年生向けの学習施設である
文教会館に行ってきました
オンライン授業の休み時間が各校で異なり
落ち着いて学習できないという
訴えがあったので様子を見てきました
先日、生徒指導の冨水先生から
それぞれお互いの学習環境を思いやり
休み時間であっても
節度のある過ごし方をするようにと
注意を喚起しましたので
今日はしっかりと
お互いを思いやって授業を受けていました
今日の「PRAY FOR JAPAN」
物が散乱しているスーパーで
落ちているものを律儀に拾い
そして列に黙って並んで
お金を払って買い物をする
運転再開した電車で混んでいるのに
妊婦に席を譲るお年寄り
この光景を見て外国人は絶句したようだ
44日目
今日から高校は3学期です
学校へは1、2年生60名ほどが登校しました
オンラインとのハイブリッドで
始業式を簡単に行いました
久しぶりにこんなに集まったのを見て
大きな元気をもらいました
今日から小中学校高校それぞれに
お弁当も配られました
先生方が配膳を担当です
みんなそろっていただきます
たくさんのカメラが見守る中
1年生は「こわいよー」
ごめんね
今日だけ日本中のみんなに
元気な姿見せてあげて
あと今日は
メガネのJINSさんが
避難者の方へメガネのプレゼントを
してくださいました
測定から出来上がりまで
わずか10分足らず
今日1日で70本も作ったそうです
みんな大喜びでした
本当にありがとうございます
今日の「PRAY FOR JAPAN」
駅員さんに
「昨日一生懸命電車を走らせてくれてありがとう」って
言ってる小さい子達を見た
駅員さん泣いてた
43日目
いよいよ明日から新学期が始まります
学校への登校
文教会館への登校
オンラインでの参加
いずれの方法でも出席になります
登校する場合は制服でなくてもかまいません
先生方も洗濯がままならないのでスーツは着ません
できることから一歩ずつはじめていきましょう
ひとつ注意したいことは
制服以外は全て従来どおりの校則に従うこと
どうせしばらく登校しないのだからと
ピアスを開けた生徒や
髪を染めた生徒は
まさかいないと思います
「どうしてピアスはいけないのですか?」
震災以前から質問されることはあります
ならぬものはならぬものです
白虎隊で知られる会津藩の
什(じゅう)の掟を締めくくる言葉です
人が答えられないような質問をして
さも論破したように振る舞う人もいますが
校則のひとつひとつに「なぜだめか?」を
問い詰めていくと
むしろ明確な答えのあるものは
なにひとつありません
「なぜ人を殺してはいけないか」
という問いも同じです
答える必要のない問いであるし
答えてはいけない問いであるし
そもそも問いになっていないのです
大切なのは
学校はルールを厳密に守ることの大切さを
学ぶ場であるということ
ならぬものはならぬ
自分で自分の心に歯止めをかける方法を
学ぶ場であるということ
自分の教員生活を振り返ると
ならぬものはならぬもの
を教えきれなかったばっかりに
かわいそうな思いをさせた生徒が何人もいます
あのとききちんと導いてあげれたら
学校は
ルールを厳密に守ることを学ぶ場であると同時に
ルールは変えることができるということを
学ぶ場でもあります
昨年もケータイのルールを
自分たちで変えることができましたよね
納得のいかないルールがあったら
まず自分たちで変える努力をしてみろ
それすらできないものが
自分だけの都合でルールを破るな
「どうして髪を染めてはいけないのですか?」
この問いも同じ
でも
みなさんは今
世界中の方から
多くの支援をいただいていることを
忘れないで下さい
もし自分が支援をする立場だったとしたら
「髪を金髪にするお金があるんだったら
もう食費なんかも必要ないですよね」
と即刻支援を打ち切ります
どうか生徒のみなさん
避難民だから多少のルール破りは許してもらえる
もしそんな甘ったれた心を持っていたなら
新学期開始とともに捨て去りましょう
今週も週に一度のお楽しみ
金沢へ風呂と洗濯に行ってきました
七尾湾から望みます
右手には能登島越しに勇壮な立山連峰
左手には能登半島は飯田方面
この景色の向こうに
ひとの住めないような
地獄絵図があるなんて信じられません
今日の「PRAY FOR JAPAN」
避難所でおじいさんが
「これからどうなるんだろう」
と漏らしたとき
横にいた高校生ぐらいの男の子が
「大丈夫、大人になったら
僕らが絶対元に戻します」
って背中さすって言ってたらしい
大丈夫、未来あるよ
42日目
36日目のブログで
地震はなにかの天罰でおこったのではないことを
子どもに理解させることの大切さを書きました
この「災害は天罰である」という考えは
古くは漢の時代に遡る中国の思想で
「災異説」といいます
国に失政があったときに
意思を持った天が
自然災害や異常現象を起こして
君主に警告を与え
それでも改まらなかった場合には
国を滅ぼすと言った
儒教の教えです
昨日紹介した
「あさきゆめみし(源氏物語)」の作者
紫式部とゆかりのある
藤原道長は
この「災異説」を利用して
権力を得ようとしました
長和3年2月
三条天皇の住まいである内裏が燃えました
わるいことは重なるもので
3月にも失火し
宝物をことごとく消失しました
藤原道長は
これは三条天皇の不徳に対する
天の怒りであると
天皇に退位を迫ります
「天道、主上を責め奉る」
次の天皇は道長の娘彰子の子であり
即位をすれば自分が摂政として
権力を振るうことができる
そう考えたものと思われます
正しく「災異説」に従うと
災害は天の警告だから
君主は反省して
民のための政治を行うべきで
決して退位してすむものではないはずです
我が身に置き換えて
子どもたちのために何をすべきかな
猛省の毎日です
今日の「PRAY FOR JAPAN」
停電すると、それを直す人がいて
断水すると、それを直す人がいる
勝手に復旧してるわけじゃない
俺らが室内でマダカナーとか言っている間
寒い中、死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる
41日目
避難民の方が避難所をあとにし
子どもたちが通い始めて初めての土曜日
誰もいない校舎は静まりかえっています
ゆったりと
「あさきゆめみし」
を読んでいます
昨年
「どうする家康」にはまり
今はもう帰ることのできない
我が家の居間で
大好きな有村架純さん演ずる
「瀬名」の自害に涙していたころのことが
なんだか嘘のようです
今年も「光る君へ」を
楽しみにしていたのですが
それはかなわず
そんなおり
支援いただいた物資の中に
「あさきゆめみし(源氏物語)」全7巻
が入っていました
じっくりと味わうように読んでいます
ありがとうございます
気になる番組がもうひとつ
門脇麦さん演じる
「料理は化学です」が口癖の
天才料理人のドラマ
「厨房のありす」です
こちらは1月21日(日)から
スタートしているそうです
化学の教員として興味津々なのが
尊敬するサイエンスライターの
佐藤健太郎先生が監修をされていること
いつも佐藤先生のブログや著書を
授業のネタにさせていただいているので
楽しみにしていたのですが
テレビがないため見れません
部屋の掲示物など細部に至り
こだわっているそうなので
化学に興味がおありのかたには
ぜひともおすすめです
今日の「PRAY FOR JAPAN」
韓国人の友達からさっき来たメール
「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。
毎年台風が来る。
地震だって来る。津波も来る。
・・・小さい島国だけど、
それでも立ち上がってきたのが
日本なんじゃないの.頑張れ超頑張れ」
ちなみに僕はいま泣いてる。
40日目
みなさん
大変です
38日目のブログで
とんでもない大嘘つきました
どうも目の調子が悪く
目医者さんに行ってみたら
感染性結膜炎と
アレルギー性結膜炎を併発していて
とんでもない状態になっていると…
訂正します
コンタクトレンズは用法を守って
正しく使いましょう
決して使い捨てレンズを
もったいないからといって
使い続けてはいけません
37日目のブログで
子どもの姿を見るだけで涙が…
というくだりも
単なる結膜炎だったんですね
あとブログを読んだ方から
メガネスーパーさんが
コンタクトの被災者支援やってるよ
との情報もいただきました
2月13日(火)から
県内全ての高校で
学校再開するという県教委からの通達を受けました
正式に3学期の始業式を行います
とはいえ、
対面とオンラインのハイブリッド授業や
小中学校の仮校舎が校内にあることなど
これまでと全くかわらないんですけどね
とはいえ一区切り
授業のコマ数も徐々に増やし
日常に一歩ずつ近づけていきます
13日(火)からは
学校にきた生徒に昼食も準備されます
先日
「PRAY FOR JAPAN]
という本をいただきました
これは東日本大震災のときに
世界中から寄せられた思いをまとめたもので
ひとつひとつのメッセージに込められた思いが
今読んでもひしひしと伝わってきて
とても勇気づけられます
この中から1日ひとつずつご紹介します
「大丈夫」の漢字には
人が3人集まってるから
安心を感じる言葉なんだって
39日目
昔、阿久悠さんのエッセイで
「小走りの思いやり」みたいなのを
読んだ覚えがあります
うろ覚えですが
横断歩道の手前で車が止まってくれる
歩行者優先だから当然である
が、
止まってくれた車に軽く会釈する
そしてほんの2、3歩でいいから小走りして見せる
それが
自分も急いでいるのに止まってくれた
運転者への心遣いであり
それが
日本人の心だ
みたいな内容だったと記憶しています
1ヶ月の避難所運営の中で
たくさんの日本人の心を
見せていただきました
狭い通路で譲り合ったり
誰が始めるともなくトイレ掃除
ゴミの分別や収集など
おかげでみなさん快適に過ごすことができました
近隣の高校では
避難所でもないのにガラスを割って忍び込んだり
自動販売機を壊して中身を奪ったり
勝手に校長室に入り込んで備品を使ったりと
信じられない現状が見られたようですが
おかげさまで輪島高校では
そのようなことは一切見られませんでした
みなさんの日本人の心に感謝です
どうか次の避難所でも健やかにお過ごしください
1日でも早く元の暮らしに近づきますように
今日はまず金沢西高校で勉強している
3年生を訪ねました
受験校も絞り終え
あとは目標に向かって一直線
続いて文教会館で学習している12年生です
落ち着いて学習できる環境を
提供してくださっている関係者の方々に
感謝の気持ちでいっぱいです
38日目
小中学校の登校2日目です
今日も元気よく登校です
昨日は避難経路を確認したり
初めて見るお友達と
おしゃべりしたりしましたが
少しずつ慣れてきているようで
今日はたくさんの笑顔が
見られるようになりました
災害によって子どもたちは
心と体に大きなストレスを受けます
恐怖や不安 家族に対する心配
怒りやイライラ 突然の騒音への怯え
孤立感 生き残ったことへの罪悪感
不眠 悪夢 物忘れ ケガ 無力感
大人でも同じですね
でもこれはあたりまえな反応なので
そのことを自分の言葉で伝えてあげることが必要です
長野県からいらっしゃっている
ボランティアの田中さんが
コマ回しの名人だということがわかり
急きょ高校生を集めて
コマ回し体験をしました
初めてという生徒ばっかりでしたが
すぐに回せるようになりました
昔の遊びは
電気が来なくてもできていいですね
日本こままわし協会では段位が定められていて
技ができれば
それぞれの級や段が与えられるそうです
最高位の六段は
「夜叉車」「砂時計」「背面鞭」など
10種類ができれば認められます
高校生が技をマスターしたら
今度は小学生に教えてあげようと思います
今日コンタクトレンズが破れました
使い捨てではあったのですが
替えもないため1月1日からつけっぱなしでした
「使い捨てレンズは1ヶ月問題なく使える」
実証されました
レンズ会社からすると
あまり推奨できる使い方ではないかもしれません
だとすれば
今回のような災害時
被災したサブスク契約者に
レンズを無償で届け続けるといった
システムは作れませんかね
きっと多くの人が助かると思います
これまで隔離病棟にいらっしゃった
コロナ陽性の方も元気になられ
本校を後にしました
1ヶ月続いた教室での
避難生活が終わりました
空いた視聴覚室には
卓球台やトレーニング器具を運び
ミニ体育館にします
37日目
今日から小中学生も通い始め
幼小中高みんなが通う学校の始まりです
多くのカメラが見守る中
ドキドキ初めての登校です
子どもたちが集まって来るのを
見つめるだけで
なんだか涙が溢れてきます
発災以来ずっとこんな調子で
目の周りがただれてきています
カタリバにはちっちゃい子が元気いっぱい
小学校1年生から順番に
6年間でずいぶん成長するんですね
6つの小学校から集まっているので
初めてのお友達もたくさんです
仲良しになれるといいね
特支の子も大好きな先生と
保健室もあるから保護者も安心ですね
続いて中高も中1から順に
今日から小中高同じ学び舎に集うことを知った
長崎県の佐世保中央高校の
中島数美教頭先生からは
文学全集を贈っていただきました
小学校で活用させていただきます
同じく神戸高校の星野智英実先生と
3年7組のみなさんからも
素敵な贈り物をいただきました
体育館が使えないので
狭いところでもできる
ミニピンポン台がナイスアイデアですね
心のこもったメッセージも
一人ひとりからいただきました
本当にありがとう
36日目
今日のタイトル
島本麻衣子さんのすてきな言葉に出逢いました
http://eyes-woman.com/
明日から始まる小中学校受け入れに向けて
準備です
一年生の教室には
こんなにちっちゃい机と椅子が
運び込まれました
小学生は2階と3階に
上がってもらいますが
階段が吹き抜けになっていて
とっても危険です
急きょネットを張って
落下防止です
今回大人でさえ怖かった地震
小学生はなおのことだったと思います
子どもたちの苦しみや悲しみは
はかり知れないものがあります
災害を経験した子どもたちが
このつらい時期を乗り越えるためには
我々大人が正しい知識を持ち
子どもたちの傷ついた心を理解して
愛情のこもったケアをしていくことが
大切です
今回の地震と火災は
子どもたちから
大切な人
家と部屋
仲良しのペット
お気に入りのぬいぐるみ
大好きな毛布
いろんなものを奪いました
子供達の小さな胸は
その時の恐ろしさで
今でもいっぱいです
だからこそ
今回高校に小中学校を受け入れることに
踏み切りました
お兄さんやお姉さんと
同じ学校に通えること
少しでも安心できますように
ご家族もきっとその方が安心でしょう
災害の後
子どもたちは
「おとなしくて良い子」
のように見えることがあるそうです
子どもたちの悲しみや苦しみを
見落とすことのないように
しっかりと寄り添って
いきたいと思います
まずは地震と津波のメカニズムを
科学的にそして具体的に
説明する必要があります
何かの罰なんかではないこと
そこを理解させないと
苦しみからは抜け出せません
そして東日本大震災の際に
表現されていない感情を表現させる手助けとして
子どもたちに自分の感情や体験を
話し合わせたり
絵を描かせて表現させる
手法が用いられましたが
現在ではこれは
全くの逆効果であることがわかり
やってはいけないこと
とされているそうです
ですので
輪島市の避難所では
避難されている方が
被災時を思い出し
精神を不安定にさせることのないよう
マスコミによる撮影や
インタビューは全て
お断りするという姿勢を
貫いてきました
岡山学芸館高校のみなさんが
手作りのモリンガ石鹸を
送ってくださいました
モリンガとは二酸化炭素の吸収力が杉の数倍あり
温暖化対策に有効な樹木なんだそうです
農業部のみなさんが
一つひとつ手作りして
温かいメッセージも添えてくださいました
水道が復旧したらぜひ使わせていただきますね
何ヶ月先になるかわかりませんが
その日が来るのを楽しみに待っています
今日避難生活が長くなったおばちゃんが
金沢から来たボランティアの方に
「へー、あんたんとこは水道出るが?
都会やねー」
と感心している様子を見て
思わず噴き出してしまいました
35日目
水道の復旧にはまだまだ時間がかかるので
1週間に一度
洗濯と入浴のため
妻と両親が二次避難している
金沢方面へ向かいます
そのとき、
あちこちに拡がっている
生徒の様子も見に行きます
まずは被災した3年生が
お世話になっている
「彩の庭ホテル」さん
とっても静かに学習できる環境です
こちらの支配人はなんと
輪島高校の卒業生
わたしの後輩の橋上さんでした
シャバは狭いなぁ
次に
土日の学習場所として
活用させていただいている
「ハイアットセントリック金沢」さん
まだ生徒は登校前でした
こちらの料飲部長は
わたしの先輩の九内さんの友達の雲井さんでした
クナイのともだちクモイ♪
ラップで韻を踏んでいるようですが
これまたシャバは狭いなぁ
統計学には「6次の隔たり」
という言葉があります
人の知り合いの数は平均44人
44を6回かけると世界の人口を超えます
つまり
「知り合いの知り合いを6人たどれば
世界中の人と知り合いになれる」
というものです
最後に
金沢に避難している
1、2年生の学習の場である
文教会館
以前、輪島高校の避難所の女子トイレに
サニタリーディスペンサーを
設置してくださった
大阪大学のProject IMPACTさんが
こちらにも取り付けてくださるそうです
男子バレー部は金沢錦丘高校さんと
合同練習です
お昼にはおにぎりと豚汁を
振る舞っていただきました
久しぶりに愛情のこもった
あったかい食事に
いつもの親のご飯を思い出した
と言う生徒も・・・
私もひさしぶりにおいしいもの食べようと
回転寿司に入るまではよかったものの
こんなに高かったっけ?
怖じ気づいて
これから物要りだしなあ
結局カッパ巻き1皿だけ食べて
店を出ました
「一杯のかけそば」ならぬ
「一皿のカッパ巻き」
「美味しんぼ」で
寿司職人の腕を診るには玉子を食べろ
と確か海原雄山が言っていましたが
カッパ巻きだけ食べて職人の腕を見切る
食通と思ってもらえなかったかな?
まさかね
きっと変な客と思われたことでしょうね
34日目
今日は節分です
避難民の方々の二次避難も進み
小中学校仮校舎開設の準備も
順調に行われています
私は今年還暦を迎えます
輪島では還暦の年男と厄年を迎えた男が
神社で豆まきを行います
今回火災で失われた朝市通り近くの重蔵神社では
延焼を逃れたものの
鳥居や狛犬が壊れ
拝殿も崩れるなど
大きな被害を受けました
今年は豆まきの中止も議論されましたが
こんな中だからこそ
市民を元気づけるために
ぜひやろうということで
賑々しく開催されました
33日目
いよいよ
金沢地区へ2次避難している生徒のための
学習支援が文教会館で始まりました
金沢大学さんが全面的に協力してくださり
場所の確保、必要な物資の調達など
スピーディーに準備してくださいました
昼食も全て準備してくださいます
文教会館への交通費は全て
石川県教育委員会が負担してくださいます
落ち着いて学習できる環境が整いました
この後
大学生の学習支援ボランティアも
加わってくださいます
まだ申し込んでいない人は
今からでもオッケーです
無線ルーターの貸し出しも行っています
午前中は輪島高校からの授業を
オンラインで受け
午後からは文教会館で
授業を行っています
今日は自分も
オンラインで授業に参加してみました
授業は生き物で
同じ空間で空気を感じながらやるもので
オンラインなんかでは
気持ちが通じ合わない
絶対にやってたまるかという
頑ななまでのオンライン反対派だったのですが
やってみると
意外!割といいな!という感じでした
授業感変わりました
部活道でも
(本校では部活動を部活道と書きます)
オンラインと対面を上手に併用しています
男子バレー部です
オンライントレーニングの様子です
輪島市の中学校には男子バレー部がなく
全員が高校でバレーを始めたメンバーです
素人軍団であったにも関わらず
今年の総体では県のベスト8に入り
能登地区大会では優勝しました
ところが
これからという時に
今回の被災で
主力2名が
転校することになりました
今日は転校した生徒も加わり
一緒に自宅でトレーニングです
転校先でもぜひバレーを続けてもらいたいです
来年対戦するのが楽しみです
文教会館近くのお店には
笑わんけ金沢
がんばらんけ石川
信じとるよ能登
みんなが応援してくれてます
嬉しいですね
全てが一歩ずつ前進していることを実感しつつ
輪島に帰ります
のと里山海道はきずだらけです
以前の地震でもこんな感じだったな
それでも立ち上がったんだから
今回だってきっと
32日目
発災から1ヶ月が過ぎ
周辺の学校の様子はどうなっているのかな?
ちょっと行ってみました
道中無惨な風景を眺めながら
大きな被害を受けた飯田高校に着きました
飯田にはここ数年大きな地震が群発し
図書館の棚を「床」に固定するなど
被害を最小限にする工夫が
なされていました
それでも赤本が散乱するなど
さまざまな被害が見られました
「赤本」とは大学受験勉強に使う
大学別に過去問をまとめた本で
そのうちの一冊が昨日紹介した
「落ちない赤本」です
輪島高校よりも多くの生徒が
通っていました
飯田は道路事情が
輪島に比べて比較的いいので
車で送ってもらえているようです
教室に卓球台を入れて
体育の授業をしていました
早速我が校でも取り入れよう!
いいと思ったことは即マネします
ここは2年前に勤めていた学校で
生徒からは「教頭先生〜!」
覚えていてくれたんだ
「輪島高校のサイトにアップするよ」
「いいよー」とポーズしてくれました
グラウンドにも大きな亀裂が
帰り道
のと里山空港に寄ってみました
現在、週に3往復
東京便が運行されています
ボランティアの方が来られたり
高齢のご両親を迎えに来られたり
さまざまな人生が交錯します
穴水高校の書道ガールの作品が
それを見守っています
ここには
市内各地からの2次避難の方が
一旦集まり
まとまって温泉地などへ向かいます
バスの中には
これまで輪島高校で避難していた方の姿が…
自分に気づき手を振ってくれました
新しい避難先でもどうか健やかに
うちの学校では
学校の「中」のことは
大坪教頭先生が先生方をしっかりまとめ
「現在」なすべきことを
責任もってやってくれています
ですので
校長である私は
学校の「外」に目を向けて
「未来」に想いを巡らせることに
集中することができています
素晴らしい先生方に囲まれていることに
今回の地震を機に気づかされました
31日目
本校に小学校と中学校の仮校舎を受け入れることが
正式に決まりました
対象の学校は
輪島中学校
ほとんどの生徒が家族を離れ
市外の施設に集団で移転して
授業を受けていますが
家庭の事情等で輪島に残っている
40名が対象です
小学校は
河井、鳳至、鴻巣、大屋、河原田、三井
の6校から180名
3階には、小さな子どもたちが集うカタリバさんが
トレーニング場や武道場には、避難をされている方が
体育館には、地域を守る自衛隊が
これまでどおりいらっしゃいます
まさに幼稚園からお年寄りまで
全ての方が集まる
生涯学習のプラットホームとしての
役割を担うことになります
体育館が使えないので
広めの部屋に卓球台を置いて
体育ができるようにしようかとか・・・
いろいろ考えています
小学校の移転の知らせを聞いた
長崎県立佐世保中央高等学校の
中島数美教頭先生からは
絵本全集を送っていただけることとなりました
小中高いっしょに体育をしたり
高校生による読み聞かせや
学習支援をしたり
この機会でないとできない
さまざまな教育をしかける
チャンスと考えています
あす
小中の校長先生方と打ち合わせをする予定です
いろんなアイデアを出し合って
新しい輪島を創る
未来の力を育てていきたいと思います
金沢方面へ二次避難をしている
1,2年生に対しては
石川県文教会館を学びの場として
活用できることとなりました
午前中は輪島高校から配信される
オンライン授業を受け
午後は金沢に詰めている
先生による授業を展開します
金沢大学の学生ボランティアによる
学習支援をしていただけるかもしれません
無料の家庭教師ですね!
輪島にいる生徒に対しても
授業のコマ数を増やして
より本格的な授業に近づけていきます
昼食も提供できることになりそうです
帰りにシャワーして帰ることもできます
なんだかわくわくしてきませんか?
先生方も智恵を出し合いながら
小中の先生とも協力しながら
よりよいものを目指して
頑張ります
飯田高校の校長先生から
いいものをいただきました
飯田高校もやっぱり被災して
校舎の中がひどい状態だったそうです
3階の廊下の本棚にあった赤本が崩れ
生じた亀裂からほとんど2階に落ちたんだそう
ところが1冊だけ引っかかって
落ちなかったんです
それがこちら
「落ちない赤本!」
受験生のみんな
縁起がいいから
待ち受けにするんだ!
30日目
このコラムの冒頭の「〇日目」というカウント
これ実はある映画のオマージュです
その映画は
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
福士蒼汰さん演ずる美大生、高寿(たかとし)と
小松菜奈さん演ずる秘密を抱えた愛美(えみ)の恋物語
ストーリーが進み愛美の秘密が明らかになると
それまで時折見せていた彼女の涙の意味に気づき
何ともいえない切ない気持ちがこみ上げます
通常、映画の冒頭にあるタイトルバックが
開始1時間後
ちょうど折り返しのあたりにあるのも
とっても意味深
二度観がお薦めです
二度目は愛美に感情移入してみてください
時が遡り
涙腺崩壊必至です
単なる恋愛映画に終わらず
今まで出逢ってきた人たちと過ごしてきた
全ての瞬間が愛おしく感じる
そんな映画です
自分がこの映画を見たのは
一番下の娘が高校を卒業する直前のことでした
大学を出て就職して結婚して
もうこの家で暮らすことはおそらくない
やがて再び妻とふたりだけの生活に戻っていく
巣立って行く娘にこれまで何をしてあげられたのか
そして限られた時間の中で何をしてあげられるのか
残された時間が
なんだかとても大切なものに
感じられたことを思い出します
大切な人と過ごした時間は
いつまでも色褪せることなく
心の中で輝き続けます
卒業生のみなさんは高校生活の中で
いくつの輝きに出会えたのでしょうか
これまで
あなたがそこにいるだけで
ご家族の心の輝きであったことは
まちがいありません
そしてこれから先、
いくつの新しい出会いが待っているのでしょうか
自分自身が誰かの未来になれるよう
目の前の人との一瞬一瞬を大切にして
「今」を感じながら歩んでいってください。
こんなことを
昨年の卒業式で
生徒と保護者に
お伝えしました
今回の震災で
「大切な誰か」を
失ってしまった方も
いらっしゃいます
なんて声をかけていいのかも
わかりません
映画のカウントは
30日目で終わりますが
我々のカウントは
まだまだ続きます
29日目
輪島市の「災害ゴミ」の回収が始まります
「災」と貼り紙をして
建物の前にまとめて置いとくのだそうです
「災」といえば
昔、野球部にいた元気な選手のことを思い出します
その選手は帽子のつばの裏に
「災」と大きな字で書いていました
どういう意味か尋ねると
「俺は燃える男なんで、『ほのお』っす!」
野球の練習もいいけど
漢字の勉強もせえと・・・
東京でホストやってるって聞いたけど
今頃どうしてるかな?
避難所では
この後輪島高校を小中学校としても
利用するため
避難民の方に避難所の移動をお願いしています
多い時で500人いた避難民の方が
今では103人に減りました
コロナ等感染者の方も2名となりました
生徒の転学も徐々に進んでいます
ある報道によると
今回の被災によって
現時点で輪島市民の36%が
金沢近辺に変わっていったと
試算されています
現在他校への転学が決まった生徒4名
他校からの返事待ちの生徒13名です
うち他校との条件が合わず
転学先の再考を迫られている生徒が
2名います
高校の転学は
やはりハードルが高いようです
今後の学校行事についても
検討をしなければなりません
直近のことについて言えば
卒業式です
体育館は現在自衛隊の駐屯地となっていて
使用することができません
仮に3月までに自衛隊が出られたとしても
体育館の床が傾いてしまっていて
危険でみなさんを入れるわけにはいきません
輪島市文化会館大ホールは
現在物資置き場となっていて
3月に使用できる保証がありません
そこで
金沢市の音楽堂で行うこととしました
すでに金沢の方へ変わってしまった卒業生が多く
かえってその方が集まりやすいと判断しました
音楽堂なら金沢駅の近くでアクセスもよく
思い出に残るものとなるのではないでしょうか
輪島からはバスを貸し切ります
卒業生は無料
ご家族の方は有料となります
日程は3月1日(金)
13:30開式の予定です
後ほどバス利用の希望をとりますので
ご計画に入れておいてください
28日目
週に一度
二次避難している妻と両親のいる内灘へ
洗濯と風呂のため通っています
日中は車が混むため
夜明け前に出発して学校へ帰ります
朝早いと冷え込みが厳しく
フロントガラスが凍て付いています
お湯をかけてもすぐに凍ってしまうので
北陸ならではの生活の知恵です
ナイロン袋にお湯を入れて
フロントガラスを撫でるのです
そうすると再凍結させずに
しかもわずかなお湯で
氷を融かすことができます
地震の爪痕を眺めながら
慎重に車を走らせます
のと里山海道は
ところどころ崩落していて
残されたガードレールのワイヤーが
なんだか墓標のようです
崩れた山肌を見ると
人間が地球を守ろうだなんて
そもそもとんでもない思い上がりで
偉大な地球の上で
単に生かされているだけの存在なのだと
実感します
立ち昇る霧に吸い込まれそうな
神々しさを感じます
学校に着くと
今日は簿記の検定です
本校にはビジネスコースがあって
実社会に出て即戦力として
活躍できる人材の育成を目指して
さまざまな資格取得に取り組んでいます
今日は4名の生徒が受検しました
おや?きちんと制服を着ている生徒が
なんでもお母さんが
とりあえず制服を持って
逃げてくださったのだとか
お母さんの愛情を感じて
なんともいえないせつなさを感じます
大阪大学から支援の方がみえました
避難所の視察を終え
必要な支援を考えてくださいます
避難所にどんなボランティアが必要か?
この問いには即答はできません
状況は日に日に変化しますし
突然にマンパワーが必要になることが
しょっちゅうです
前もって
「こんなボランティアをする!」
万全の準備をして来てくださっても
案外、的外れであったりもします
何かあった時のために
そこにいてくださるだけの
ボランティアがあります
「待つのも仕事」です
今日はスーパーの移動販売が
来てくださいました
避難民の方が楽しみに
玄関まで来られたのですが
テレビカメラがいるのを見て
「やっぱりやめた」
と帰っていく方がほとんどでした
映さないでくれと
自分がしっかり断るべきでした
ごめんなさい
避難所には
こんなかわいいメッセージボードが
これならつらい避難所生活も
ちょっぴり楽しく過ごせそうですね
最後に防災の知恵です
タンスや棚の上部に
隙間にピッタリ
カラーボックスを置きます
固定しなくてもOKです
今回、グランドピアノが裏返るような
震度7でもびくともしなかったので
実証済み、おすすめです
27日目
金沢のホテルで勉強している
3年生を訪ねました
落ち着いた環境で勉強しています
金沢西高校のお昼休みには
あったかいうどんも
提供していただけるのだとか
春の選抜に
輪島市に校舎を構える
日本航空高校石川が選ばれました
おめでとうございます
被災地にとって
大きな希望の光です
日本航空高校石川野球部が
創部されたのは2003年
同年初めて公式戦を戦った相手は
当時私が部長を務めていた
町野高校でした
その年町野高校は閉校が決まっていて
町野高校野球部の最後の年でした
輪島市に新しくできた学校の
最初の相手が
その年に輪島市から消えてなくなる学校
何か因縁めいたものを感じたものです
町野高校は
春の選抜に「21世紀枠」が導入された最初の年に
全国9校の最終候補まで選ばれ
多くの記者に囲まれる中
校長室で選抜報告の電話を
ひたすら待つも
結局かかってこなかったという
さみしい思い出があります
ですので今回出場決定の報告を受けた
日本航空高校石川さんの喜びを
自分のことのように嬉しく思います
甲子園ではみんなを元気づける
はつらつとしたプレイを
見せてくれると思います
石川県からはもう一校
星稜高校も選ばれました
選ばれた瞬間
歓声はあげず
黙祷を捧げてくださったそうです
王貞治選手の現役時代の逸話を
思い出しました
王選手は
ホームランを打っても
決してバンザイやガッツポーズは
なさらなかった
それは打たれた相手投手への
最大限の敬意なんだそうです
唯一バンザイをしたのが
ハンク・アーロン選手の世界記録を超えた
通算756号を放ったときだけ
野球という競技は
日本人にとって単なるスポーツではなく
他の人への礼儀を重んじる
「道」なんだなと思います
そういった意味でも
素晴らしい選手を多く輩出している
星稜高校野球部に
あらためて敬意を表したいと思います
星稜高校といえば
数々の名勝負を残していますが
そのうちのひとつに
2014年夏
決勝戦で9回に8点差をひっくり返して
甲子園出場を決めた
神がかったゲームがあります
大逆転の口火を切った最終回の先頭打者
主将の村中選手は現在
今回同じく被災をした輪島市の門前高校で
野球部を率いています
当時の星稜高校のモットーであった「必笑」で
この苦境の中
生徒に元気を与え続けていることと思います
輪島市からうちも加えて3校
夏の大会で大暴れします
26日目
3日ぶりに授業です
午前中に2時間
対面とオンラインのハイブリッドで
行いました
体育では山下友子先生がヨガを・・・
避難所生活が長引き
腕があがらなくなっていた生徒がいて
50代の先生から
「私とおんなじだね」
とからかわれながら・・・
でも授業の終わりには
ちゃんと上がるようになっていました
嬉しいお知らせもひとつ
名古屋の西陵高校の生徒さんから
励ましの贈り物をいただきました
2年5組の生徒さんが
集めてくださったもののようで
衣料やコスメ、小物などを
送ってくださいました
「マフラーあったかい」
「リップめっちゃ欲しかってん!」
みんな大喜びで持って帰りました
絵本もたくさんいただいて
こちらは学校内に設置されている
子ども向け施設「カタリバ」
の方に置かせていただきました
闇があるから光がある
そして闇から出てきた人こそ
ほんとうに光のありがたさがわかる
つらいことがあっても
私は負けなかった
いつかはこの状況から
抜け出せる日が来ると
信じていたから
一時的に悪そうに見えても
あわてることはない
すこしばかり悪いことが続いても
あきらめてはいけない
夜明け前が一番暗い
そうすこしすれば夜は明ける
もう
幸せの芽が
出はじめている
そんな心強いメッセージも
いただきました
西陵高校のみなさん
本当にありがとう
25日目
大雪が予測されたため
昨日に引き続き生徒の登校は取りやめです
できることから一歩ずつ
歩みを止めずに前進しています
避難所のシャワーがいよいよ使えます
発災以来頭を洗っていない方がほとんどです
先日新聞に
受刑者にリンスの差し入れが認められるようになった
という記事が載っていましたが
我々はある意味
受刑者以下の生活を強いられているのだなと
複雑な気持ちに…
25日ぶりに綺麗になった方からは
「本当にありがたい」
小さな幸せを噛み締めていました
輪島高校では現在、
高校の再開を目指すと同時に
校舎を小中学校の仮校舎として
活用する準備も進めています
カタリバさんも含め
幼小中高連携した学びの場を
提供できそうです
小中学生が安全に通れるように
玄関の段差を修繕しました
現在、輪島市では郵便が止まっていて
学校宛の郵便物は届きません
が、郵便物は郵便局で止まっているだけで
取りに行けば受け取ることができる
ということを今日知りました
というわけで早速郵便局へ
すると、とっくに届いているはずだった
うれしいお便りをいくつか見つけました
まずは金沢大学附属高等学校の生徒会長さんより
何か援助をしたいけど…という申し入れ
うちの学校の生徒会長に伝えますね
本当にありがとうございます
続いては東京で教員をされている毛利泉先生より
地震避けステッカーの贈り物
寄席文字橘右之吉師匠の筆によるものです
実はすでにメールでもいただいていて
避難所に貼ってあります
どうもありがとうございます
発災当時から大きな力を発揮している携帯キャリア
被災者の大きな心の支えとなると同時に
DMATや自衛隊と連携して復旧活動に
大きな力を発揮しています
docomo、KDDI、ソフトバンクや楽天モバイル
多くの移動基地局を
集中させてくださっています
今回の能登半島は陸の孤島化しているので
船上基地局も投入されているようです
沿岸から輪島の電波を確保してくれています
本校の中庭にもDMAT専用のアンテナが
現在、金沢大学の一部をお借りして
能登地区の5校から
金沢地区へ二次避難している
高校生が学ぶことのできる
場所を作る準備を進めています
大学生の学習支援ボランティアも
多数参加してくれそうです
また、その際、
金沢大学までの交通費も
支援されることが決まりましrた
転学や他の高校で学ぶという選択肢も
お示しましたが
実際かなりハードルが高く
このシステムを利用するのが
最適であるとお勧めします
現時点で転学が決まった生徒は4名です
24日目
昔から
ものをどこかにおき忘れることが得意で
1日の勤務時間のうち2割くらいは
あれどこやった?
これどこに置いた?
などとものを探す時間に充てていました
震災後その時間が肌感覚で4割くらいに
増えている気がします
一日中何やってんだか?
って感じです
普段からの
使ったものは元に戻す
という習慣が大切だなと実感
いろんな取材の方から
「あれはいつでしたか?」
と尋ねられることが多いのですが
確かブログに書いたな…
ってこのコラムを見直すことも
生徒に情報を…という気持ちで
始めたこのブログ
意外なところで役に立ってます
日記って大事だなってこれも実感
今朝は雪が積もりました
大雪が予測されていたので
生徒の登校はなしにしました
教務主任の橋場先生が早々と出勤
七尾からの遠距離通勤です
途中、輪島に入る直前で
10cmほどの積雪があったそうですが
それ以外は除雪されていて
車は比較的順調に流れています
ただしアイスバーンにはお気をつけください
道路情報をお伝えしました
今日は輪島市の教育長さんが
避難民のみなさんへご挨拶に見えました
この後、2月から3月にかけて
輪島高校の教室を市内の小中学校として
活用する計画です
現在市内の小中学校は
避難所になっており
校舎として使用できません
また、中学生は白山ろく少年自然の家に
集団で移動してそこで学校を開いていますが
そこに参加できず
輪島に残っている中学生もいます
その子たちのために
輪島高校を小中学校の仮校舎として活用します
現在輪島高校に避難している方は
最初市役所に避難していたけど
役場としての機能を再開するため
ここに移動をお願いした方々で
再三の移動のお願いになるわけですが
子供達の学ぶ場所の確保のために
ご理解ご協力をお願いします
23日目
何でもかんでも気の持ちようで
昔から
寒い時には「涼しい!」
暑い時には「あったかい!」
忙しくなってきたら
「盛り上がってきた!」
と言うようにしています
ここ数日、俄然盛り上がってきました
文科省から保護者あてに
「転学に関するリーフレット」が
公開されました
(本校ではメール配信しました)
「転学」
「籍を置いたまま他校で学習」
このことについて柔軟に対応するよう
文科省から全国の学校に
伝えていただきました
ただ、このことについて
小中学校に比べ高校間の転学には
高いハードルがあることを忘れてはいけません
「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」
と言われますが
今回に限って言えば
くぐると「未履修問題」という罠が待っています
せっかく転校してきたのに…
科目の組み合わせにより
どうがんばっても
卒業に必要な単位が揃わない
という可能性があるということです
つまり
好きな学校に
行けるわけではないということ
また「籍を置いたまま他校で学習」するパターンは
いつでも自分の都合のいい日に
輪島高校に戻ることができるわけではない
ということもぜひ頭の片隅に…
今は午後10時
ついさっきまで事務員の浦美穂さんが
残ってお仕事をされていました
責任感の強い彼女もやっぱり被災者です
住む場所を無くした彼女は
ずっと車中泊をしています
中学生のお子さんは集団で
白山ろく少年自然の家へ
小学生のお子さんは
単身小松市内の小学校へ
心細くて「行きたくない」って
泣いているのだとか
なんか心が張り裂けそうになります
でもきっとだいじょうぶ
お母さん見守ってるよ
強く大きく成長できるできると思います
金沢方面へ二次避難している生徒が学ぶ場所として
金沢大学をお借りすることができそうです
準備ができ次第ご案内します
22日目
大学入試共通テストを終えた3年生は
個別記述(二次試験)に向けて
金沢市内の高校の一室をお借りして
学習に励んでいます
受け入れてくださった
高校の関係者の皆さん
ほんとうにありがとうございます
また、土日には
金沢市内のホテルの一室を借りて
同様に学習部屋としています
県教育委員会の
全面的なバックアップを受けています
ありがとうございます
学校では少しずつ授業を組んでいます
23日(火)の予定は
1年生…1限 化学基礎、2限 数学
2年生…1限 生物&物理、2限 化学
です
積雪が見込まれるので
始業を遅らせて2時間だけの対応です
気をつけて登校してください
オンラインでの配信も
徐々に増やしていきますので
Chromebookをまだ取りに来ていない人は
学校までとりに来てください
金沢方面に二次避難をしている12年生
学習する場所の確保ができそうです
しばらくお待ちください
羽咋方面に二次避難している人は
羽咋高校の授業に入って
勉強することも可能です
希望する方はご相談ください
一人ひとりが
事情に応じて学ぶことのできる環境を
何とか整えて行きたいと考えます
要望やアイデアがあれば
ぜひおっしゃってください
100%希望に添うことはできませんが
①他の高校へ転学する
②輪島高校に籍を置いたまま他高校で学ぶ
などのシチュエーションが考えられます
21日目
避難所開設の頃の話です
準備に来ていた市の職員のひとりが
玄関を入ったところにあった
中のトロフィーたちが無惨に崩れ落ちた
表彰ケースをじっと見つめていました
ポツリとひとこと「俺たちの盾が…」
彼の名は浅井朱文(旧姓)
古くからの高校野球ファンなら
輪島高校の投手として
聞いたことのある名前かも
棚の中には輪島高校の
輝かしい部活動の歴史が
飾ってありました
その中でひときわ輝く
ふたつの準入賞盾
それは本校の100年の歴史の中で
かつて二度
甲子園へあと一歩と迫った証です
盾に描かれている図柄は
スクイズをウエストするシーン
打者と捕手が必死にボールに
飛びついているシーンです
あれ?
何か違和感持ちませんか?
スクイズ外す時って
捕手は投球と同時に
立ち上がりますよね
なのに打者と一緒に
飛びつくなんて…
これはサインプレーではなくて
三塁走者がスタートを切ったのを見て
投手が咄嗟の判断でウエストした
高度なプレイを描いたものでしょう
江夏の「奇跡の21球」を彷彿とさせます
よほどバッテリー間に信頼がないと
できないプレーです
よく見ると
背景には
でっかいキャッチャーミットが
描かれています
「どんな球でも俺が止めてやる!」
心の叫びが聞こえるようです
浅井投手は
この盾を手にした当時の
中心選手です
その時決勝戦で戦ったのは
箕島高校と延長18回の死闘を繰り広げた
あの星稜高校でした
「全国制覇した箕島が日本一
それに惜しくも敗れた星稜が2番目
俺たちは日本で3番目に強いチームだ」
と何とも都合のいい理屈を展開していました
この根拠のない自信こそ
輪島の人間の強さです!
きっと立ち上がります!
少し落ち着いてきたので
来週棚の中を整理しようと
思います
浅井選手らの思いを繋ぐ
現在のチームも
「できることから練習を開始します!」
先週、冨水諒一監督から
報告を受けました
男子バレーボール部も
できることから活動開始です
体育館は自衛隊の基地となっていて
いや、そもそも床が斜めに傾き
使用することができないので
20日(土)は翠星高校さんで
合同練習をさせていただきました
わざわざ輪島高校の控え室まで
準備してくださり感謝感謝です
感無量だと語る生徒も…
翠星高校の先生方や生徒の
温かさに触れた1日でした
21日(日)は星稜高校さんと
星稜高校の先生は
「今は大変だと思いますが
一人ひとりが自分のできることを考え
一生懸命にやっていきましょう」
とおっしゃってくださいました
また、今日は
金沢方面へ二時避難している生徒たちに
ひとり一台パソコンを配りました
この後オンライン授業の際に使用します
20日目 土曜日
本来ならば学校は休みなので
朝から少し余裕があります
避難所をうろちょろしてみました
朝早くから
トイレ掃除をしてくださっている方が…
お名前をお聞きしたのですが
「みんなやってることなので…」と
ほんとうにあリがとうございます
輪島高校避難所には
ペット同伴の方の部屋を
1室設けています
ペットも大切な家族
気兼ねすることなく
過ごしてもらっています
生徒たちが学校に置いて行って
被災した辞書やひざ掛けなど
まとめて置いてあります
いつでも取りに来てね
持ち主が迎えに来てくれるのを
待っています
こんなにグチャグチャだった図書室も
このとおり
先生方が1週間かけて
もとどおおりにしてくださいました
トレーニング場には
プライバシー保護のための
間仕切りが入りました
まだ入っていない避難場もありますが
市は各避難場の事情に合わせて
順番に進めています
これをご覧になって
「なぜ輪島高校だけ!」
と苦情を言うのはおやめください
例えば他の避難場にあって
輪島高校にないものもあります
それぞれの避難民が
思いやりの心を持って
過ごしていただければと思います
「俺は被災者だぞ!」
と市の職員に食ってかかる人を見ました
市の職員だって被災者です
ゴミの分別も進んでいます
避難民の方々が
みんなで助け合いながら
ルールも自分たちで決めて
綺麗な環境を保っています
大切な連絡は
ホワイトボードで取り合っています
開所当時は2ヶ所しかなく
除染作業に追われていた
仮設トイレも今ではこんなに
子どもたちが集える
ティーンズラボさんも
素敵なスペースになりました
1月19日
19 × 19 = 361 ≒ 366
つまり1/19(1月19日)今日をもって
1年の1/19(19分の1)が過ぎたことになります
1年のうちこんな日は他にも2つあるそうです
これまでの日々をあと18回繰り返すと
新しい年を迎えるんですね
なんだか短いような長いような
その日その日の暮らしも
それはそれでいいもんです
人の温かい気持ちに触れることが
多くなりました
今日は生徒が登校して2日目
3時間授業を行いました
1時間目は
2年生は松本昭子先生の国語
松本先生は文部科学省から認められた優秀教員で
新しい時代への教育について日頃深く研究されており
本校の探究学習の中心的役割を担っています
今日は語彙力アップのための教材を準備してくれました
1年生は校長自身の化学
大学入学共通テストの問題に挑戦です
宇宙ステーション内の
酸素供給システムに関する問題で
今回避難所に設置された
循環式手洗い機と絡めて説明しました
2時間目は
12年生合同で矢田勇先生の防災教育
矢田先生は
本校のお笑い担当の先生で
学校から帰る時には
「お疲れさま」というと
ホントに疲れた気がしてイヤだということで
「お元気さまー!」と言って帰っていきます
今回いろんな方に助けられたけど
今度助ける側にまわったら
どんなことが喜ばれるか考えよう
というテーマでした
NHKから取材のカメラが入っていましたが
「紅白歌合戦」をイジったりして
取材クルーも苦笑いでした
3時間目は
やはり12年生合同で
奥野拓海先生による「やる気アップ法」
こんなときだからこそ
未来を見据えて歩いていこうというテーマです
生徒からは「なんだかワクワクしてきた!」
奥野先生からは
「学校に出て来れていないみんなも前を向いて行こう!」
との力強いメッセージが
来週からは徐々に時間割も組んで行きますね
オンライン授業も計画していきます
学校にChromebookを置いている人は
取りに来てください
携帯画面ではやりにくいですよ
金沢地区に避難している人には
今度の日曜日に届けます
詳しくはClassroomでお知らせしたので見てね
18日目
生徒の登校を再開しました
最後に会ったのは12月28日かな
みんなで豚汁食べたよね
ティーンズラボで
クリスマスパーティーもしたっけ
いろんな話が飛び交います
今日登校できたのは26名
およそ1割の生徒たちです
ほとんどの生徒が
すでに市外へ二次避難をしています
久しぶりの再会に
「おまえ老けたなあ」
前回ドラム缶風呂でお世話になった
「にちにち好日」さんが
再会のお祝いのお菓子を
差し入れしてくださいました
避難所にもひとつうれしいお知らせが
岩手県の北良株式会社さんが
循環式のシャワーを設置してくださいました
避難所の衛生環境が気になります
とっても助かります
場所は生徒玄関
昨日先生方が倒れたロッカーを
一気に片付けてくださいました
なんだか教員同士の絆が
一層強くなったような気が
いろんなタイプの先生がいます
0を1にするのが得意な人
1を99にするのが得意な人
99を100にするのが得意な人
100を0にするのが好きな人
鳴かぬななら…
鳴くまで待とうホトトギス
鳴かんでいいよホトトギス
鳴くのと変えようホトトギス
自分で鳴くわホーホケキョ
石橋を叩いて渡る人
石橋を叩いても渡らない人
石橋を叩き過ぎて壊す人
石橋をわざと壊して造る人
そもそも石橋に気づかず泳ぎ出す人
いろんな先生がいて
いろんな意見を出し合いながら
一歩一歩前へ進んでいます
被災した実家で勉強し続けている
ひとりの受験生が
教材をとりに学校へ来ました
受験校も絞れたのか
赤本も持っていきました
まだ電気が復旧していないんだそうです
まさに蛍の光窓の雪
蛍捕まえるだけで大変やろ
そんな暇あったら勉強せえ
といろいろつっこむ人もいますが
実は「蛍雪」の言葉の生まれた
中国のある地方の蛍は
日本の蛍の200倍の明るさがあって
10匹ほどで充分勉強できる明るさが得られるとか
空飛ぶ仙人がいるという地方の話なので
どこまで本当なんだか
17日目
避難生活が始まって以来
ずっと心がけていることがふたつあって
ひとつめは挨拶
震災前はずっと毎朝校門で
生徒に挨拶するのが日課でした
素敵な笑顔で返してくれる子
ブスっとニコリともしない子
親とケンカでもしたのかな?
と思いを馳せたり
避難所は最初の頃
みなさんギスギスした雰囲気で
疲れ切っているのもあるのでしょうが…
これではいけないと思い
挨拶をしまくることにしました
じいじ、ばあば、自衛隊、犬
とにかく、おはようございます
今では
声をかけていただくことの方が
多くなりました
そしてふたつめは
「はきものをそろえる」
曹洞宗永平寺の道玄禅師の教えです
はきものをそろえると、心もそろう
心がそろうと、はきものがそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世の中の人の心もそろうでしょう
今では避難民の方一人ひとりの
心もそろって
こんな感じです
今日の感染状況
コロナ6
インフル4
胃腸炎2
16日目の朝です
金沢方面へ避難している生徒のため
金沢地区の高校が施設の一部の使用を認め
生徒の学習に活用させてくださっています
本来の生徒さんのご指導がおありなのに
本当にありがとうございます
生徒のみなさんにもご迷惑をおかけします
ごめんなさい
本校教員も何人かそちらの方に勤務しています
今日は、その先生から便りが届きました
平野校長先生へ
生徒らが割り当ての教室に入った折
自分の学校の教員の顔を見て安堵する表情に
涙が出そうになりました
こちらでは他校の先生方も
指導に加わると言ってくれています
スクールカウンセラーの浅井好先生に
ひとりひとりお話を聞いていただきました
【生徒A】
地震が怖かった 今でも怖くて家に入れない
玄関から先へは一歩も動けない
将来は患者の心に寄り添える看護師になりたい
【生徒B】
トンネルの中で揺れ始めた
何とか車で脱出できたが
大きな岩がゴロゴロ落ちてきて怖かった
でも負けない 国語の教師になりたい
【生徒C】
「なんで自分たちだけ?」最初はそう思った
でも今は違う!立ち直った!
高校の教師になりたい
【生徒D】
自分は大丈夫!でも町が心配
もとどおりになるのかな?
【生徒E】
母が「まあいいか」の気持ちを
繰り返し教えてくれた
【生徒F】
せっかく生きているんだから
人の役に立ちたい
大学卒業したら世界中を廻る!
【生徒G】
うちはなくなった
でもその分薬剤師への思いが強くなった
奨学金借りてでも絶対やる!自分で返す!
前向きで力強い言葉が続きます
でも
震災直後はどの子も「いい子」になるのだそうです
でもそれは決して
本当の気持ちではないのかもしれない
地震や火事そのものへの恐怖
家族が離ればなれになることへの不安
大切なものを失ったさみしさ
そのサインを見落とさず
しっかりと寄り添う必要があります
そしてこの前向きな言葉たちが
本当の強さになりますように
今,1月18日(木)から登校できるように
準備を進めています
こんなにぼろぼろだった部屋も
ほらこのとおり
先生方、頑張ったよ
学校の再開ではありませんので
無理に登校する必要はありません
欠席にはなりません
日 時:1月18日(木)9:00~12:00
9時~10時の間に来て下さい
場 所:3年生の棟
避難者と動線を分けています
入 口:ゴミステーション側のドア
内履き※に履き替えます
(※石川県では上履きのことを内履きといいます)
スリッパを用意しますが
内履きを持ってきてもかまいません
服 装:制服でなくてもかまいません
持ち物:初日は筆記用具があれば大丈夫
設 備:エアコン・ストーブがあります
水洗トイレが使用可能です
内 容:初日は友達と話ししたり
授業の準備をしましょう
本日の感染状況
コロナ4
インフル5
腸炎2
今日は炊き出しのパキスタン人に
ウルドゥー語の「おはよう」を習いました
アッサラーモ アレークン
15日目を迎えます
3年生受験組はホテルで自己採点
さて、今日も多くの方々の支援をいただいています
認定NPO法人カタリバさんと
NPO法人じっくらあとさんが
音楽室に「みんなの子ども部屋」を
設置してくださいました
ゲームやピアノ、勉強部屋もあり
自由に過ごせる子どもの居場所です
以前、炊き出しをしてくださった
にちにち好日さんが
今日は入浴支援に来てくださいました
ドラム缶を用いた薪の風呂です
避難されている方は発災以来
お風呂に入っていません
涙を流して喜んでくださる方も
大阪大学のProject INPACT さんは
女性トイレにサニタリーセットを
設置してくださいました
5年前に「5年後の自分に宛てた手紙」
プロジェクトでお世話になった
吉川教授とゆかりのあるみなさんです
実はうちの娘も
そのプロジェクトに参加しており
先日届いた
「5年前の自分からの手紙に」
こんなこと考えてたんだーと
感慨深げでした
昨日紹介したオーストラリア帰りの中村くんが
お前も来いと友人に声をかけて
ボランティアの輪を広げています
来てくれたのは元々同級生の田中琉惟くん
昨年度、本校で企画した海外研修で
フランスへ渡り片言のフランス語を学んだ
自称パリジャンです
なんとも国際的なコンビですが
やっていることはコテコテの日本人です
それから今日はNHKのニュースに
出させていただきました
ディレクターは
輪島高校もその舞台となっていた
土屋太鳳さんの朝ドラ「まれ」の
製作にも携わっていた方でした
今回焼け野原となった朝市通りの中に
かつて「まれ」記念館はありました
今回訪ねてみると
モニュメントだけ焼けずに残っていました
誰かがお供えしたお菓子が
コロナ禍による学校閉鎖が終わり
登校が再開した時の生徒の笑顔が
忘れられません
なんやかんや言っても
やっぱり学校が大好きなんです
だからとにかく学校に来てもらいたい
もうすぐ登校を開始します
何人集まるかわからないし
教科書のない生徒もたくさん
でもその中で何ができるか
先生方は精一杯頑張ります
「丁寧に」
「みんな揃って」
「絶対間違いなく」
がこれまでの教育だとしたら
「ポイントを絞り」
「できることから」
「とにかく走り出す」
がこれからの教育だと思うのです
ニュースではそんなこと話しました
本日の感染状況
コロナ6
インフル4
腸炎1
14日目の朝です
一昨日
大学入学共通テスト応援のため
自分も金沢に出向きました
ところが到着した途端に発熱
ここ40年ほど
二日酔い以外の病気をしたことのないくらい
健康には自信があったのですが…
疲れと、風呂に入れたという安堵でしょうか?
明くる朝、検査の結果
コロナとインフルともに陰性
確認してから試験場で激励
今朝早くに学校へ向かいました
水道をひねれば水が出る
風呂も入れて洗濯もできる
緊急車両以外の車でも
ガソリンを入れてもらえる
そんなひとときの夢のような生活を離れ
学校に戻ります
渋滞を避けようと朝4時に出たのですが
七尾〜穴水間は長蛇の列です
車窓には富山湾越しに立山連峰
年に数回だけ限られた時間にしか見られない
神々しい姿に力づけられます
途中の山々には凄まじい傷跡
崩れ落ちた山肌に
うっすら雪化粧です
学校に着くなり
文科省からの建物の安全検査に同席です
一部の建物の安全が確認されました
これから授業再開に向けての
スケジュール調整に入ります
生徒のみなさん
保護者のみなさん
今しばらくお待ちください
生徒の安否は
全員確認されたことになっていましたが
実はもうひとり
確認されていない生徒がいました
彼の名は中村輝人くん
ワーキングホリデーを活用して
オーストラリアに渡っていた生徒です
オーストラリアに行ったっきり
連絡方法がわからなかったのと
まさかオーストラリアまで
地震の影響はないだろうということで
安否確認はしなかったのですが
輪島高校の避難所で支援活動している姿を
ひょっこり見かけました
彼は学ぶことが大好きだったのですが
世の中の動きのスピードに対して
緩やかすぎる日本の教育に疑問を感じ
日本の教育を変えると意気込んで
単身オーストラリアに渡ったのでした
オーストラリアに渡ってからは
いろんな仕事を経験したそうです
周りに韓国の友達がたくさんできたことで
英語よりも韓国語がペラペラになっていました
今回、故郷の震災のことを知り
とりあえず飛行機を乗り継ぎ
自分にもできることがあると
帰って来たそうです
彼も被災地に着いた途端に
疲れと安堵で行き倒れ
救急車で緊急搬送されたそうです
病院で元気を取り戻した後は
とっとと歩いて帰ってくださいと…
なんとも人騒がせな帰国劇でしたが
バイタリティーあふれる行動力
頼もしい限りです
13日目の朝
いよいよ共通テスト本番です
本来12年生も学校で
模擬試験を受ける予定でしたが
それは叶いません
共通テスト会場で憩いのひととき
2名軽い体調不良を訴えている他は
いたって元気です
支援の文房具も続々
鉛筆、消しゴム、鉛筆削りはもちろん
時計やコンタクト洗浄液まで
昔、能登で勤務されていた
先生方が届けてくださいました
どんな時でも学びを止めるな
このブログの大きなテーマのひとつです
こんな時だからこそ見える
学びの種がたくさんあります
自分も含め被害に遭った者から見ると
この非常事態に何を不謹慎な
と目に映るかもしれません
でも、次に同じようなことが起こった時のために
研究を残すということは重要です
まずは津波
今回の地震で5mの津波が観測されました
ところが到達した津波は1m
予想の外れ?
いえいえ
この差の4mの秘密は地面の隆起にあるのでは?
もしこの隆起がなければ
あるいは津波によって
さらに被害が広がっていたのかも
あくまで自分の仮説です
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2401/12/news121.html
次なる疑問?
街を歩くと道路に
マンホールが 飛び出ているのです
地面が隆起したにしても
なぜマンホールだけ?
地震になっても
飛び出ないマンホールが開発できれば
道路の復興が容易に進み
支援物資も迅速に運べるのに…
調べてみるとすでに先行研究がありました
https://www.gucenter.co.jp/_userdata/guvol5.pdf
疑問の目で
あらゆるものを
見つめてみることが
学びの種です
こんな時だからこそ
視点を広く
いよいよ明日に迫った共通テスト
現地集合の生徒を除いた12名
朝早くから登校し
みんなで寄り添って直前の勉強会
その後出発式をしました
震災で文房具をなくした生徒らに
瓦礫の下から集めた
なけなしの文房具をプレゼント
歌いたがり校長は
今日も下手な歌で元気づけです
「負けないこと
投げ出さないこと
逃げ出さないこと
信じ抜くこと」
共通テスト前には
毎年決まって同じ話をしています
ソフトボールのナショナルチームの
メンタルトレーニングの話です
北京オリンピックに向かう前々日
宇津木妙子監督が
選手に伝えます
「明日は練習をオフにする
これまでお世話になった人に
挨拶に行きなさい
それが出発前の
最後のメンタルトレーニング」
エースの上野由岐子投手は
絶体絶命のピンチになったとき
このメントレのことを思い出し
自分はひとりじゃない
不思議な力が湧いてきたといいます
そして見事に金メダルを獲得するのです
このことは感謝の心の大切さを伝えています
あなたがお世話になった人は誰ですか?
家族?先生?あるいは?
ちなみに上野投手は
中学校の時にお世話になった
ソフトボールの顧問の先生の
お墓参りに行ったそうです
この話は昔「深イイ話」で聞いたもので
その後何度も話しているうちに勝手に脚色して
実話とは異なるものになっているかもしれません
みんなで試験会場の下見をしました
輪島高校の会場は金沢学院大学
ずっと前から利用させていただいています
快適な控室、わかりやすい会場図や時間割の掲示
丁寧な対応、本当にありがとうございます
夕食はホテルでご馳走です
避難食から急に豪勢な食事
お腹がびっくりしないといいけど
避難している家族に食べさせたいとの声も
今日はもうひとつイイ話
引率の矢知先生の車のバッテリーが
ホテルに着いた途端ダメになってしまいました
JAFに見てもらったら液がなくなっていて
ここまで走ってきたこと自体奇跡だそう
途中何度か停車したのに
その度にちゃんとかかっていたのです
生徒を送り届けるまではと
なんと責任感のあるバッテリー
責任感ある機械といえばこちらも
倒壊したビルの下敷きになっても
住民の安全を
見守り続けています
今日の感染症
コロナ19名
インフル2名
腸炎4名
1月13日(土)から
いよいよ大学入試共通テストが始まります
毎年輪島高校では
大型バスで全員一緒に向かうことになっています
会場のある金沢市まで100km以上
車で2時間以上かかるからです
明日の朝出発しホテルに3泊します
ところが明日の朝学校まで来れない生徒が…
道路が分断されて車が通れない生徒です
今日、教員がその生徒を
迂回路を通って学校まで連れてきました
彼は今晩は学校に泊まります
教員も何人か泊まりこんで
寄り添ってくれてます
みんなで食事の一コマです
今日も自衛隊の炊き出しがありました
なんだか少しずつ贅沢になってきます
本当にありがたいです
「Humanity First」の方々も
初日からずっと車中泊で
炊き出しをしてくださっています
この方々はイスラム教信者による支援団体です
阪神淡路大震災や東日本大震災の際も
ずっと炊き出しをされていたそうで
「この顔だからどこでも最初は
日本人は怖がって寄って来ないんですよ」
と初日に笑って話してくださいました
自分もやはりイスラム過激派を想像し
ヒゲを見るだけで身構えてしまうのですが
とんでもない偏見であったと
自分を恥じています
日本人以上に日本を愛してくれて
被災者一人ひとりに優しく声をかけ
自分を犠牲にすることを厭わず
尽くしてくださっています
先生方も一生懸命です
使える部屋に突貫工事で作り上げた
臨時職員室で
生徒への連絡に大わらわ
自分たちも被災しているのに
頼もしい先生方です
陸路が使えないため
輪島市では
金沢まで二次避難をする
船を出す予定でしたが
荒天のため延期となったそうです
11日目の朝です
震災後、初めて夜中に目が覚めずに
朝を迎えました
みなさんまだおやすみです
時間ができたので
横倒しになったままだった
胡蝶蘭の植え替えをしました
本校は昨年10月に
創立100周年式典を催し
その際にいただいたものです
傷だらけの葉っぱに砂埃が…
丁寧に拭いてあげると
確かな息吹が感じられます
こんな状況の中でも
しっかりと根を張ろうとしています
マラソンランナーの高橋尚子さんは
「花が咲かない冬の日は
下へ下へと根を伸ばせ」
とおっしゃっています
よく見ると小さな芽吹きが見られます
「新しい芽吹きは幹からではなく
必ず枝の先端から始まるんだよ
だから世界から見ると辺境の地日本
そのさいはての能登半島に住む君たちは
世界の新しい芽吹きになるんだよ
半島の最先端から
目指せ世界の最先端」
コロナ禍の時に
生徒に語りかけた言葉を思い出しました
この胡蝶蘭再び花を咲かせる日が来るのか
101年目の復活のシンボルとして
大切に育てようと思います
今日の感染状況
コロナ20
インフル1
腸炎3