校長室より「おこらいえ」

万博でのプレゼン動画

地震から 596 日目

豪雨から 332 日目

 

【ソルトレイクより愛をこめて】

災害医療と命の尊さを学ぶアメリカ研修の報告

 

日本時間18日(月)午前9時

現地時間17日(日)夕方6時

 

今日は教会で日曜礼拝に参加しました

一緒に讃美歌を歌ったり

ホストファミリーのベイビーの

祝福を行ったりしました

人々のそれぞれのキリストに対する思いや

命の尊さを感じることができました

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食はホストファミリーの家で

トルティーヤパーティーをしました

 

 

 

 

 

 

その後、Japanese partyでカレーを作り

用意したプレゼンを発表しました

特に能登の地震の被害を伝えると

現地の人々から驚いたリアクションがありました

 

 

 

 

 

 

早いもので

今日でユタの生活での日程の

半分が終了いたしました

生徒も元気で何よりです

 

 


HAB北陸朝日放送で先日紹介された

本校生徒の万博での発表の動画です

https://www.youtube.com/watch?v=QJp4Y6eFfXo

ぜひご覧になってください

ソルトレイクシティの日曜日

地震から 595 日目

豪雨から 331 日目

 

【ソルトレイクより愛をこめて】

災害医療を学ぶアメリカ研修の報告

 

日本時間17日(日)深夜1:00

現地時間16日(土)午前10:00

とても良い天気で気持ちが良いです

 

 

 

 

 

 

今日はジップラインとショッピングを

これから楽しむ予定です

 

 

 

 

 

 

ホストファミリーとの交流

とても楽しそうです

 

 

 

 

 

 

 


ホストファミリーの中には

日本語を勉強している人もいて

日本語で交流しているとのことでした

 

 

 

 

 

 

 

 

ツアーに参加している他校の生徒と

これから楽しみます

 

 


日本時間17日(日)正午

現地時間16日(土)夜9:00

 

ジップラインは山の標高が高いところで行い

景色もとても綺麗でした

日本にはない山や自然の景色を堪能することができました

 

 

 

 

 

 

ショッピングはTRADER JOE'Sという

アメリカのスーパーマーケットに入りました

夕食はホストファミリーとBBQを楽しみました

みんなでBBQの準備も行いました

 

 

 

 

 

 

夕食後は明日のプレゼン発表の原稿を読んで

サポーターのカーターさんに

発音などを教えていただきました

 

 

 

 

 

 

みな積極的に現地の方と

交流や会話を楽しんでいて本当に頼もしいです

 

明日は教会に行き

キリスト教の文化を理解する活動をします

ソルトレイクシティの教育は

この地区で最も進んでいます

1847年先駆者のジェーン・ディルウォースが

キリスト教会会員とその家族のために

開拓者のテントで行った教育が基になっています

 

現在でも中高生の多くが

何らかの形式の宗教教育を受けているとともに

多くの企業が学校に寄付をするなどして支援しています

 

教会のあとはJapanese partyを行い

能登の紹介や震災の影響などを

現地の方にプレゼンします

みんなで作ったカレーも振る舞う予定です

 

ソルトレイクシティはユタ州の州都で

塩湖であるグレートソルト湖に

その名が由来しています

3つの河川から流入しますが

流出河川がなく湖面からの蒸発のため

塩分濃度が高い場所で海水の10倍くらいになります

あまりに高い塩分濃度のため

ブラインシュリンプと呼ばれる

エビの一種しか生息していません

夏休み後半戦

地震から 594 日目

豪雨から 330 日目

 

半分だけジュースの入ったコップを見て

「もう半分しか残っていない」

と嘆き悲しむのか

「まだ半分もある」

ワクワクするのかで

幸福度がまるで変わってきます

 

夏休みも後半戦

残された半分でできることを考えて

ワクワクしましょう

 

夏休みに入る前に

スクールカウンセラーの先生からいただいた

メッセージを思い出してみましょう

 

【心と体を整える3つの方法】

① 朝の光を浴びて深呼吸する

 朝起きたらカーテンを開けて

 太陽の光を3分以上浴びます

 深呼吸をゆっくり3回

 鼻から吸って口からフーッと

 体内時計が整い

 幸せホルモンが増えます

② SNSとのちょうどよい距離

 寝る30分前はスマホを見ない

 通知をオフにする時間を決める

 など自分でルールをつくります

 人間関係のストレスが減り

 脳が休まり

 眠りの質や集中力がアップします

③ 1日ひとつの「小さなごほうび」

 帰ったら好きな動画を見る

 アイスを食べる

 などしたいことをひとつ決めておきます

 小さな楽しみが心を軽くして

 モチベーションが上がります

 

【集中して勉強する3つの方法】

①『場所』と『時間』のルール決め

 「ここで勉強する」と場所を決めます

 時間帯も決めます

 場所と時間を習慣化することで

 脳が集中モードに切り替わります

②「ポモドーロ・テクニック」

 25分集中→5分休憩

 のサイクルを繰り返します

 4セットごとに15分〜30分の

 長めの休憩を入れます

 『ポモドーロ』って確かイタリア語でトマト

 どんな意味があるのか調べてみたら

 考案者がトマト型のキッチンタイマーを

 使っていたからなんだとか

③「やることリスト」

 「英単語10個」「数学3問」とか

 具体的に小さく書き出します

 終わったらチェックを入れます

 達成感がモチベーションにつながります

 

完璧を目指すと苦しくなるので

そのへんはテキトーに

できたことに目を向けましょう

 

震災直後は

どんな小さなことでも

何かひとつできたら

大きく前進した気になりましたよね

あの時の気持ちを思い出して 

 

残りの夏休み楽しみましょう!

 

 


【ソルトレイクより愛をこめて】

災害医療を学ぶアメリカ研修の報告

乗り継ぎの空港ミネアポリスに到着しました

 

 

 

 

 


無事、税関もクリアしソルトレイクシティに向かいます

 

 

 

 

 

 

生徒たちも皆元気です

10時間のフライトの中では

夏休みの課題にも取り組んでおり

そのおかげで飛行機内に

課題を置き忘れてしまった人もいました

 

 

 

 

 

 

今はアメリカの空港で

ショッピングを楽しんでいます

 

 

 

 

 

 

日本時間の11:00AM 

ソルトレイクに到着しました

日本との時差は15時間

現地では夜の8時です

 

 

 

 

 

 

夕飯は有名なハンバーガー店の

ハンバーガーセットを食べました

 

 

 

 

 

 

アメリカに向けて

地震から 593 日目

豪雨から 329 日目

 

6日 広島平和記念日

9日 長崎原爆の日

12日 日航機墜落のあった日

8月は3日おきに

命の大切さを考える日が続いて

そして今日15日は終戦記念日

 

昭和天皇が玉音放送を通じて

国民に「休戦」を語りかけたこの日を

日本では終戦記念日としていますが

事実上日本が降伏した日は

ポツダム宣言を受諾した

前日の14日です

 

アメリカでは

日本が降伏文書に調印した9月2日を

“対日戦勝記念日”としており

世界的にもそのように定めている国が一般的です

 

 中国や台湾ではその翌日の9月3日を

『抗日戦争勝利記念日』としています

 

沖縄県では6月23日を『慰霊の日』と定め

沖縄戦で亡くなった全ての犠牲者を追悼し

平和を祈念します

この日は

日本軍の組織的な戦闘が終結した日です

 

修学旅行で沖縄を訪れた時に

ガイドさんから

『島唄』の本当の意味を教えてもらいました

 

『でいご』は

春から初夏にかけて赤い花が咲きます

 

 

 

 

 

見事に咲いた年は

天災に見舞われるという言い伝えがあります

 

そして『ウージ』はサトウキビのこと 

 

「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」

(春でいごの花が咲く頃米軍が攻めてきた)

 

「でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た」

(でいごが咲き誇る初夏になっても攻撃は止まず)

 

「ウージの森で あなたと出会い」

(サトウキビ畑で愛するあなたと出会い)

 

「ウージの下で 千代にさよなら」

(サトウキビ畑の下の洞窟で永遠の別れとなった)

 

「でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ」

(でいごの花が散る頃全てが終わった)

 

「島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ」

 

そんなこんなの8月15日

災害医療を学ぶために

生徒2人と養護の栃木先生が

アメリカへと渡りました

8日間の日程で

ユタ州のブリガムヤング大学で

学んできます

 

 

 

 

 

 

引率の栃木先生からのお便りです

「ただいま羽田空港で搭乗手続き等が終了し

 あとは16:20から飛行機に乗るだけとなりました

 みんな元気そうで盛り上がっています

 10時間ほど飛行機に乗り

 ミネアポリス空港で乗り継ぎます」

甲子園とAIと

地震から 592 日目

豪雨から 328 日目

 

野球部が仙台育英高校さんの応援に

甲子園まで来ました

 

 

 

 

 

 

発災以来元気づけるために

仙台まで招待してくださったり

ずっと寄り添っていてくださいました

その時の友情のパネルや千羽鶴が

生徒玄関に飾ってあります

 

2回戦突破おめでとうございます

どうかこのまま勝ち進んで

真紅の大優勝機を手にしますように

 

 

 

 

 

 

来年は自分たちもこの場で戦うことを誓って

 

 


また別のグループも

「その好奇心に火をつけろ」

神戸AIサマーフェスティバル

に参加しています

 

 

 

 

 

 

「街プロ」のAI研究グループ

北村篤太郎さんと浦皐大さん

 

 

 

 

 

 

AIを活用しての

被災地における安否確認システムの

アイデアを提案しました

兵庫県の青楓館高校さんと

オンラインでワークショップを

積み重ねてきたその成果です

 

AI研究における第一人者

東京大学の松尾 豊 教授のお話を

伺うことができました

 

 

 

 

 

 

能力の高いGPT-5 がリリースされました

GPT-4 を返せという声が

少なくないそうです

せっかく自分の好みにカスタマイズしたのに

リセットされてしまうからだそうです

このことは

AIがすでに生活の一部になりかけた人が

一定数存在する

そして多くの人が感情を持ってAIに接したい

と願っていることを表しています

身近に人に寄り添うAIの開発が求められています

 

このことは日本のお家芸です

現在DXで世界に遅れをとっている日本ですが

いよいよ日本の出番です

 

 


誰もが簡単に情報を発信できる現代において

フェイクニュースに騙されないために

 ① 信頼できる情報源からの情報であるかを確認する

 ② 複数の情報源から情報を集め比較検討する

 ③ 感情的な情報や憶測に基づいた情報に惑わされない

などの心がまえが必要です

 

今年は戦後80年

 

日本財団より

18歳意識調査の結果が発表されました

次代を担う若者の戦争に関する学習経験や

この国が目指すべき今後の国づくり

などに関する調査です

 

学習経験については約95%が「学んだ経験がある」

そのうち3人に2人は「授業で学んだ」と答えました

また30%超が

「資料館・記念館・博物館への訪問」

をしたことがあると回答しています

 

これからの日本が目指すべき国づくりでは

「自由で平和な国」が40%を超え1位

「経済に強い国」が2位

「災害に強い国」が3位でした

 

このような国を実現するためには

歴史を正しく認識し

正確な知識を得ることが大切です

 

私自身

今回の韓国研修をきっかけとして

戦争についてもう一度学び直しています

 

中国の立場だったら?

朝鮮の立場だったら?

ソ連の立場だったら?

 

以下は

社会科が大の苦手な私が

にわかに得た知識をもとに書きますので

先述の①〜③を意識して読んでください

 

まずソ連

高校生のみなさん

ロシアは昔ソ連と呼ばれていたんですよ

ユーラシア大陸の北側に位置するソ連は

北極海に面した港しか持っていません

冬になると凍って使い物になりません

 

そこでソ連は凍らない港を求めて

南下政策をはじめます

黒海

バルカン半島

中央アジア

東アジアなど

南方地域での勢力拡大を狙います

ウクライナへの攻撃もこのひとつです

 

朝鮮半島もターゲットのひとつでした

 

日本の立場に立ってみましょう

朝鮮半島がソ連のものになれば

日本列島の土手っ腹に

刃物を突きつけられた形となります

 

そこで日本も大陸への侵攻を始めます

中国での権益を求め

関東州に軍を置きました

「日本は中国大陸なんか求めていない

 日本人が中国を侵略したのはウソだ

 中国がテロ工作をしてくるから

 自衛戦争としてどんどん行ったのだ」

とする主張もあります

 

それに対して

「中国が日本に攻めてきたのなら自衛戦争だが

 侵略してきた他国の軍に対抗することは

 自衛の権利であって

 それをテロ工作というのはおかしい」

とする主張もあります

 

双方の意見をよく聞いて

それぞれが自分で考え判断することが

AI時代に求められる力なのです

 

当時の日本はこの侵攻を

『戦争』とは呼ばず

『事変』と呼んでいました

 

『戦争』は宣戦布告を伴う武力闘争

『事変』は宣戦布告を伴わない非常事態です

 

日本は1928年に

「戦争をしない」ことを全世界に宣言する

『不戦条約』に調印していたこと

さらには当時の重要な石油輸入先であったアメリカが

戦争当事国には物資を輸出しない立場だったことにより

『戦争』と認めると石油が入ってこないことが

『事変』と言い張っていた理由です

 

しかし真珠湾攻撃を機に

「大東亜戦争」

この戦いをそう呼ぶようになりました

「大東亜共栄圏」を掲げ

アジアの解放を目的としたからです

 

しかしながら戦後になって

この呼称は帝国主義的だから

『太平洋戦争』と呼ぶようにと

アメリカから求められました

でもそれでは

日中戦争がなかったものになってしまう

ということから最近では

『アジア太平洋戦争』と

呼ばれるようになっています

 

このように歴史は

時代とともに塗り替えられていきます

誤った方向に塗り替えられることのないように

我々は学び続けなければなりません