校長室より「おこらいえ」
高校入試最終日
67日目
高校入試の全ての日程が終了しました
今日も夕方に
中ぐらいの余震がありましたが
試験中でなくてホッとしてます
悲しいお知らせとうれしいお知らせがあります
悲しいお知らせから
神戸大学の名誉教授で
阪神淡路大震災からの復興への提言を続け
東日本大震災の復興構想会議の議長を務められた
政治学者の五百旗頭真(いおきべまこと)さんが
亡くなりました
能登半島地震の復興計画にも
お力を貸していただけるのでは
と期待していたのですが…
ご冥福をお祈りいたします
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6493921
先生の残されたご提言を
次世代に繋いでいくのが
我々の役目であると思います
https://mainichi.jp/articles/20240301/k00/00m/040/350000c
決して自衛隊の初動が遅いなどと
責めるつもりは毛頭ありません
むしろ苛酷な現場で
命がけで闘ってくださっている姿を
目の前で見ているだけに
感謝の気持ちでいっぱいです
日本の自衛隊は
世界に誇るべき
唯一無二の組織であると思います
しかしながら
今回得られた教訓は
必ず次に活かさなければ
なりません
千葉県の方でも地震が続いています
最低でも自力で最初の3日間を生き延びる
準備はしておいてください
必ず起こるものとして
最善の準備をしておいてください
初詣のおみくじで
「大凶」あと数時間で今住んでいる街が消えてなくなる!
と書かれていたとしたら
誰がそんなこと信じますか?
でも本当に起こったのです
次にうれしいお知らせ
国公立大学前期日程の合格発表が始まりました
ぞくぞく合格の知らせが入ってきています
おそらくダメだろうなと思っていた生徒も
逆転合格を勝ち取っています
本人が「震災枠かな?」とうそぶくくらい・・・
そんなことないよ
一生懸命頑張った結果だよ
それもこれも
金沢での学習環境を提供してくださった
公立高校の関係者
およびハイアットセントリックのみなさま
2次避難先として落ち着いた生活環境を
保証してくださった金沢彩の庭ホテルのみなさま
最後まで学校を信じてくださった
保護者のみなさまのおかげです
もちろん3年生の担任
進路指導担当の教員も
自身も被災している中
最後まで粘り強く指導しました
このあとも合格発表は数日間続きます
今日の「PRAY FOR JAPAN」
病院のレストランで働いている
母から聞いた話。
節電かな?
暗いレストランで食事中の老夫婦。
ただでさえよく目が見えない老婦人
『じーさんの顔が見えないから
昔のじーさんの顔を思い出しながら
食べることにしましょ』だって。
なんかいいよね~。
高校入試1日目
66日目
高校入試の1日目です
8:30頃余震が観測されました
受験生は落ち着いています
予定通り実施します
検査中の余震も考えられます
何かありましたら
このブログで速報します
隣の文化会館で復旧工事の音がします
英語の「聞くことの検査」の時間帯のみ
工事を中断してもらうことにしました
本当は検査時間中
ずっと止めてもらいたいのですが
復興の歩みを止めるわけにもいきません
つらい環境の中
耐え抜いて勉強してきている子たちだから
少しの騒音があっても
集中して力を発揮できる
そう信じています
高校に入学しても
できない言い訳を他に探すことのない
たくましい生徒を育てたいと考えています
今朝の朝日新聞で
鳥屋小学校の中谷萌瑛先生の記事を
拝見しました
能登の子は13年前の私だ
先生は
小学校4年生の時
福島県で被災し
おかあさまの実家の石川県に
引っ越してきたそうです
クラスのみんなとのお別れの時
日が暮れるまで外を走り回り
「もう一生会えないのかもしれない」
とめどなく涙が
今、その時と同じ
4年生を受け持っておられます
輪島からの転校生もいるそうです
気持ちをわかってくれる
先生に出会えてよかったね
つらいときに
頑張る姿を見せるだけじゃなく
一緒に「しんどいね」って言える
大人でいよう
だそうです
こんな素敵な記事を書かれる
朝日新聞の記者の
力丸祥子さんにも
ありがとうございます
真実を伝えることが報道の使命
それは理解できるつもりですが
真実が不安を煽るだけ
そんな記事を目にすることもあります
例えば
ウミガメのお母さんは卵を産むとき
涙を流します
それは涙ではなく浸透圧の関係で
体液が滲み出ているだけだよと
真実を伝えることに
どれだけの意味があるのか
「どうして泣いているのかな?
生まれてくる子たちに
しあわせになってねって
祈って泣いているのかな?」
嘘でもいいから
そう伝えるほうが
はるかに意味のあることだと
自分は思うのですが
教育と報道は違うって言われると
それまでですけど
ふたりの素敵な女性から
65日目
先日、山椒魚のピアノを運び出す際に
情報を拡散してくださった
カウンセラーカレッジ石川の森辰美さんより
生徒のみなさんにメッセージがあります
「困ったらまず人に相談する
という経験が大事
相談すること
助けを求めることは
恥ずかしいことでも
みっともないことでも
何でもない
この経験が
青年になって
もしもしんどくなった時でも
誰かに相談することができる
礎になるの
たった一人で抱えて
崖っぷちにいる大人が
本当に多いんだわ」
このことは
自分も身をもって経験しています
捜し物をするときは
「あれ、どこいった~?」
って大騒ぎしながら探すんです
そうするとたいがい誰かがどこかで目にしていて
「あそこにあったよ」
ってあっけなく見つかります
日本では
「人様に迷惑をかけないように」
って育てられるけど
ある国では
「あなたも人に迷惑をかけるんだから
あなたも人からの迷惑を許しなさい」
って育てられるんだそうです
「こどものすること怒るでない
かつておまえが通った道
年寄りのすること笑うでない
いつかおまえが通る道」
って言葉もありますしね
先日ラジオに出演させていただいた際に
インタビューをしてくださった
MROの原田 幸子アナからも
力強いメッセージが届きましたので
ご紹介します
「みなさんの目の前に
立ちはだかっているのは
壁ではなく
きっと扉で
その扉には鍵がかかっていたり
とても重かったりするかもしれないけど
きっと開く
開けることができる
自信を持って扉を開けて
前に進んで欲しいです」
そのうちなんとかなるだろう
64日目
今日もいろんな方からの支援が
山田長満奨学金より
本校から4名の生徒が採択されました
この奨学会は
世界の平和及び経済成長
並びに人々の幸福に
寄与することを目的に
日本や国際社会に貢献する人材を
育成する会です
今回の被災を受け
急きょ10名の増員をしてくださり
奥能登5高校の生徒に
支援していただけることに
なったものです
お世話をしてくださった
サンテック株式会社の
岩和志会長様にも
厚く御礼申し上げます
山椒魚のピアノの脱出にも
本日成功しました
運び出してくださったのは
大浦運輸株式会社
石川ピアノ配送センターのみなさん
絶対無理だと思っていたのですが
さすが専門家です
傷ひとつつけずに
あっという間に運び出してくださいました
設置したのは
輪島高校の吹き抜け階段
誰でも弾ける屋内ストリートピアノとして
第二の人生のスタートです
大浦運輸さんを紹介してくださったのは
白山市の楽器店ポンポロプーの島崎克宏店長
石川のマイスターにも選ばれている
名ギタリスト
ポンは太鼓
ポロはギター
プーはラッパ
なんでも揃う楽器の総合店です
山中温泉の近くのお寺に
こんなお触れ書きが
「大変」とは大きく変わるチャンスのこと
輪島高校卒業式校長の言葉
として紹介してくださっています
ただこの言葉は
36日目のブログでご紹介したように
インターネットで見つけた
島本麻衣子さんの言葉であって
私のオリジナルではありません
そもそもこのブログ自身に登場する名言は
ほとんどどなたかの言葉のつなぎあわせであって
オリジナルは1割程度しかありません
島本さんの言葉を私が始業式挨拶で使い
それを聞いた生徒が卒業式答辞で使い
それを報道したものをご住職が書いてくださり
素晴らしい言葉というのは
このようにして伝わって行くものなのですね
お寺に書かれている言葉というのは
ほんとうに奥深いです
私がある日見かけてずっと心に残っているのは
「いのち◯わたし◯生きている」です
◯には助詞が入ります
どんな助詞が入っていたか忘れましたが
入る助詞によって
幾通りにも解釈できる言葉だなと…
「いのちでわたしは生きている」
「いのちのわたしが生きている」
「いのちもわたしも生きている」
「いのちがわたしを生きている」
名言と言えば
私のお気に入りの一休さんの逸話です
亡くなる前に弟子達に
「どうにもならないほど困った時があったら
この遺言を開きなさい」
その後実際どうにもならないほど困った弟子達が
遺言を開けると
「大丈夫 心配するな なんとかなる!」
植木等さんの名曲
「金のない奴ァ俺んとこへ来い!
俺もないけど心配するな」
と同じくらい大好きです
「見ろよ青い空白い雲
そのうちなんとかなるだろう」
でも勘違いしてはいけないのは
何にもしなくて
なんとかなっている訳じゃなくて
なんとかしようと思って
一生懸命頑張っている人がいるからなんですよね
だから大事なのは
なんとかなるだろうと
楽観的に構えながら
今できることを
精一杯やることだと思うのです
「誰かがなんとかするだろう」では
いけません
「すみれ」の花言葉
63日目
輪島高校のすぐそばに
そのピアノ教室はありました
「すみれグループ」かわいい名前の教室の
先生のなまえは高出紘子先生
今はもう通う子はいませんが
自分の3人娘もそこで習っていました
今 かつての教え子さんが
いろいろな場所でご活躍されています
今回の地震の知らせを受けて
イタリアで音楽活動をされている
羽根由紀美さんが
急きょ帰国し先生のお世話をなさっています
輪島高校の避難所の方へも
シャワーをしに来られていました
今回卒業式の場所探しの件で紘子先生にご相談したら
大海文さんが音楽堂の手配をしてくださいました
文さんはオーケストラアンサンブル金沢(OEK)で
現在お仕事をされており
「とっても信頼できる人」と
紘子先生一押しのお弟子さんのひとりです
卒業式は
OEKで歌を歌っていらっしゃる
仲谷響子さんの「君が代」で始まり
パイプオルガンの演奏に合わせた
「聖母への祈り」の独唱で
多くのみなさんが魅了されました
「聖母への祈り」は
輪島の一本松公園の丘の上に立つ
「海の星幼稚園」のイタリア人神父さまが
作詞作曲なさった曲です
すみれの花言葉は「誠実」「小さな幸せ」
とっても誠実な「すみれグループ」の
みなさんのお力で
小さな幸せをかみしめるような
素敵な式になりました
ほんとうにありがとうございました
みなさんのおかげです
62日目
昨日 無事卒業式を行うことができました
ほんとうにいろんな方々にお世話になりました
石川県立音楽堂の山本美智子さん
「思い出に残る卒業式にしたい」と
会場の設営や式の進行に
いろいろと素敵なご提案をくださり
プロデュースをしてくださいました
舞台 音響は金沢舞台さん
当日 直前の変更にも
嫌な顔ひとつなさらず
思うがままのリクエストに
応えてくださいした
会場をお花で彩ってくださったのは
フラワースクールミュゲ代表の水上詩子さん
多くの農家が被災されている中
石川県の花エアリーフローラを集めてくださいました
卒業生一人ひとりにコサージュも
みなさんをお迎えするBGMは
パイプオルガンの荘厳な調べ
演奏してくださったのは
オルガン奏者の黒瀬 恵さん
圧倒される演奏に胸が高鳴ります
卒業証書は一人ひとりに手渡しました
バックに流れるは
リトアニアからの
ジドレ・オヴシュカイテさんの
ヴァイオリンソロ
輪島吹奏楽団のみなさんが
式歌「ふるさと」の演奏をしてくださいました
卒業生田中琉惟さんのお母さんが
メンバーに声をかけてくださり実現しました
卒業生退場のBGM「輪高讃歌」も奏でてくださいました
卒業式の後には
サプライズです
つつがなく式を終え
卒業生が退場したあと
もう一度式場に戻し
プレゼントです
プレゼンターとして登場したのは
スマイルアップのみなさん
東山紀之社長をはじめ
元V6の長野 博さん
SexyZoneを卒業する中島健人さん
関西ジュニア Lilかんさいの
大西風雅さんと嶋崎斗亜さん
見たいなと思いながらまた見れていない映画に
斗亜くん出演の
「あの花の咲く丘で、君とまた出会えたら。」
があります
今度絶対見に行こうと思っています
5人の登場に会場のボルテージは最高潮
生徒よりもお母さん方の目が
ハートになっていました
5人はまず立ち振る舞いから違います
立っているだけでオーラが違います
若いタレントの活躍する場を守るため
自ら矢面に立つ東山紀之社長の姿は
困難の中 立ちあがろうとしている我々にとって
心の励みです
ホンモノの持つ力は素晴らしいですね
同じ場所にいるだけで
笑顔になれる
たくさんの元気をありがとうございました
卒業おめでとう
61日目
卒業おめでとうございます
大切な人を亡くされた人もいます
家が壊れたり燃えたり
大切な思い出をなくした人も
たくさんいます
私も
洋服が全て瓦礫の下で
1月1日からずっと
同じ服で過ごしています
でもね
今日のこのモーニング
去年の入学式以来
ずっと校長室に
おきっぱにしておいたんですよ
なので今日はちゃんとした格好で
みんなの卒業を
お祝いすることができます
コロナの中
中学時代を過ごしてきた
みんなが入学してきて
コロナが収まって
さあこれからというとき
こんな話をしました
「みんなは決して
可愛そうな世代なんかじゃない
これまでの辛い日々は
これから生きていくための
きっと大きな力になるよ」
そして今回
もうみんなには
これ以上がんばれなんて
そんな簡単には言えない
でもね
前を向くしかないんです
今はこんなに悲しくて
涙も涸れ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
輪島に残るみんな
一緒に
新しい街作ろう
一旦輪島を離れるみんな
きっと
いつか
帰っておいで
みんなが驚く街
作って待っとるし
令和6年1月1日
そのちょうど2ヶ月後
みんなは
輪島高校を巣立っていきます
年齢を3で割ると
60日目
自分の年齢を3で割った数が
人生を一日に例えたとき
いったい何時頃を生きているのかを
表しているのだそうです
たとえば私は
来年度退職を迎えるので60歳
60を3で割ると20
つまり私は今、20時、午後8時を生きています
仕事を終えて家に帰って
のんびりしようかなと考えている時間なので
なるほどぴったり当てはまります
でもまさか帰宅直前に
こんな大きな残業を命じられるなんて・・・
とんでもないブラック企業ですね
この震災ってやつは
ご卒業されるみなさんはどうでしょう
18歳を3で割って 今午前6時
さわやかな朝の光を迎えている時間です
みなさんは午前5時頃に
一度目覚めを妨げられました
覚えていますか
コロナです
早起きして
がんばろうって思っているその時に
「学校に出てきてはいけません
学校行事も一切やりません。」
その後五類に移行して
日常の学校生活が戻ってきたときに
私は生徒のみなさんにこんな話をしました
「みんなのことを、
修学旅行も文化祭もできなかった
かわいそうな世代
という人がいます
でも私はそうは思いません
コロナのまっただ中に中高生時代を過ごし
さまざまな制限の中でも工夫を凝らし
努力を重ねることの大切さを
身をもって経験することのできた
貴重な世代です
乗り越えてきた
かつてないその試練は
これから生きていくための
きっと大きな力になるはずです。」と・・・
そして今回・・・
これ以上頑張れなんて軽々しく口にできない
同じ言葉を繰り返しても心には響かない
そんな無力感に苛まれています
無力な校長は
しっかり前を向いて歩もうとしている
みんなの姿に逆に元気づけられています
朝の5時から6時の間は
一日のうちで最も気温の低い時間帯です
これからお日様がでてきます
少しずつ少しずつ温かくなってきます
いつまでも布団の中で
スマホをいじっていたんじゃ
これから始まる一日がもったいない
思い切って飛び起きよう
そして今日一日何をしようか
これからの一生どう行きようか
楽しいことをいっぱい想像しよう
みんなの一日が
一生が
輝かしいものになりますように
今年は素数ゼミ大発生の年
59日目
59は素数です
素数とは
1と自分自身の他に約数を持たない数
つまり1と自分自身以外の数では
割りきれない数のことです
たとえば2、3,5、7、11・・・
こうやって数えていくと
59は小さい方から17番目の素数
この17も素数です
素数ゼミってご存じですか?
たとえば17年ゼミというのがいて
17年間土の下で暮らし
17年目に外にでて飛び回り
子作りをして一生を終えます
17年に一度大発生をします
前回アメリカ東海岸北部で
2007年に大発生をしました
13年ゼミというのもいて
こちらは前回アメリカ東海岸南部で
2011年に大発生をしました
ということは2024年つまり今年
アメリカ東海岸の北部と南部が交わるあたりには
その両方が同時に大発生して
とんでもないことになると予測されています
17と13は互いに素
つまり1以外に共通の約数を持たないので
最小公倍数は17×13=221
前回の同時大発生が起こったのは221年前
つまり1803年のことです
このときの記録によると
ゼミの抜け殻で地面が覆い尽くされたそうです
地震もこれぐらい
正確に予知できるようになるといいですね
ちなみに歯車を組み立てるときは
必ず歯の数が互いに素になるもの同士を
かみ合わせるのだそうです
そうでないと公約数の歯の部分に負担がかかり
欠けやすくなるのだとか
「俺は社会の歯車になんかなりたくない!
素数なんか勉強して何の役に立つんだ!」
と息巻いているきみ
素数すら知らないきみは
社会の歯車にすらなれないよ
なんて昔よく言ったなあ
そんな全然言うこと聞かなかった教え子が今
被災地の中で一生懸命走り回っている姿を見ていると
なんだかうれしかったりします
今日は小学校に
マジシャンルパンさんが来てくださって
マジックショーをしてくださいました
こどもたち大喜びでした
ありがとうございます
自分も見たかったのですが
今日は
鼻からスイカがでるくらい
忙しかったので
残念ながら写真はなしです
今日の「PRAY FOR JAPAN」
誰かに頑張って欲しいと願うなら、
100回『頑張れ』と言うよりも、
自分が1回頑張った方が伝わる。
自分たちが、頑張ろう。
2月27日 絆の日
58日目
2月27日は「絆の日」だそうです
2月14日の「バレンタインデー」と
3月14日の「ホワイトデー」の中間であることと
2人のきづ(2)な(7)
【2人の絆】とかけて
恋人同士の絆を深める日として
結婚カウンセラーさんが設定したようです
「冬の恋人の日」ともよばれるのだとか
被災以来、人と人との絆を感じています
先日 山椒魚のピアノを助けてと呼びかけたら
ピアノは運べんけど壁ぶち抜くのはまかしとけという名人と
壁ぶち抜く名人を紹介するよっていってくれた保護者
ピアノを運ぶプロ紹介したげるよっていってくれた楽器屋さんに
楽器屋さんに相談しとくよっていってくれた宴会部長に
宴会部長に助けてあげてっていってくれたカウンセラー
いろんな人に助けられて
山椒魚脱出できそうです
今日はお昼の2時頃に大きな余震が2度
そのとき小学校3年生の授業を
廊下から眺めていました
揺れたとたん
先生の指示よりも早く
全員が机の下へさっと身を隠しました
その間 おそらく
1秒かかってなかったと思います
同じく廊下にいた小学校の先生といっしょに
思わず拍手をしてしまいました
そのくらい見事な避難行動でした
ただ小学校の先生は
こんなことが上手になるなんて
かわいそう・・・
と複雑な面持ちでした
卒業式が近づいてまいりました
金沢市の音楽堂で行います
輪島から送迎バスを運行します
予約した3年生とその保護者のみご利用できます
自家用車でお越しの方は
駐車料金をご負担願います
1,2年生へは動画配信しますが
直接来たい人は入場できます
できる範囲でかまいませんので
制服等、式にふさわしい服装で来て下さい
式には報道各社も入ります
映りたくない卒業生は
あらかじめ学校までお知らせ下さい
式ではひとりひとりに卒業証書を手渡します
当初の予定終了時刻よりも遅くなります
あらかじめご了承ください
輪島行き復路バスの予定出発時刻は16:30となります
今日の「PRAY FOR JAPAN」
じいちゃんが電話で言っていた。
『お国のために電気を消すのも
燃料を節約するのも全く苦ではない。
今回は空から爆弾が降ってくるわけではない。』
日本で2番目に高い山知っとるか?
57日目
「日本で2番目に高い山知っとるか?
俺も知らん!」
これは 自分が昔 練習試合等でお世話になっていた
ある高校野球の監督さんの言葉です
滋賀県から何度か甲子園に導いた実績をお持ちなので
重みのある言葉です
「だから一番を取れ!」という意味です
一番でないとダメなんですか?
というご意見もおありかと思いますが
一番でないと得ることのできないものもある
一番を取ったこともない自分が言うのもなんですが
そう思います
富士山のように
自分だけの力で一番を取れるのは
限られた人でしょう
でも決して一番でなくても
一番に負けないくらい
みんなに認められる存在になることはできます
それが
群馬が誇る名山「赤城山」です
多くの方に知られる「赤城山」
しかし「赤城山」という山は実際には存在しないのだそうです
黒檜山、駒ヶ岳、地蔵岳、長七郎山、小地蔵岳、鍋割山、荒山、鈴ケ岳
などの山々の総称が「赤城山」です
それぞれに特徴を持った山々が集まって
全体で輝いているのです
現在、高校は
一年の中で最も忙しい時期です
大学入試に向けての進路指導
高校入試に向けての準備
学年末の試験と成績処理
そして新年度の準備
今年はそれに加えて
避難所運営や
小中学校への校舎提供
学校行事もこれまでのノウハウが全く使えず
全てをゼロから作り上げています
大学入試への指導を進路指導主事が
卒業式の計画を総務主任が
高校入試の準備を教務主任が
しかも今年は入試会場が輪島と金沢の2ヶ所
授業も対面とオンラインを並行させて
それぞれの専門性や能力を発揮しながら
先生方が全員で輝いています
特に頭が下がるのが
実家が金沢や加賀方面にある若い先生方です
実家にいれば何不自由なく
暮らせているはずなのに
水道が復旧しないのでお風呂に入ることもできず
アパートが傾いているので車中泊している先生も
買い物もかなり制限のある中 炊きだしの食事でしのぎ
それもこれもただ生徒のためだけに
必死に耐えて頑張ってくれています
その責任感とプロ意識
自分はひたすら見守ることしかできません
心の底から感謝です
富士山が堂々とそびえ立つように
強いリーダーシップでぐいぐい引っ張ることはできない校長ではありますが
献身的な先生方が
見事な「赤城山」をつくり出しているのです
今日の「PRAY FOR JAPAN」
母「ホッカイロ逃げたぁ」
妹「逃げてないよ♪」
母「あ、いたいた☆」
停電中、家族で一つのふとんに入り、
あったかい娘の足を探すかわいい母なのでした。
悲しい調べの「まれぞら」
56日目
今日は音楽の話から
ドミソの和音は明るく元気な調べです
起立礼着席 チャーンチャーンチャンの
最初の和音
Cメジャーコードといって
楽しい曲の伴奏や旋律に使われます
ドミソの和音の
ミの音を半音下げてミ(フラット)に
つまりドbミソにすると
Cマイナーコードといって
一転暗く悲しい響きに変わります
簡単にいうと
明るく元気な曲でも
曲中のある音を半音下げるだけで
暗く悲しい曲に変わるというわけです
少しずつではありますが
金沢と能登を繋ぐ大動脈
のと里山海道の復旧も
進んでいます
先週ぐらいに片道復旧した別所岳付近に
おとのみち「希空(まれぞら)」があります
土屋太鳳さんが
輪島高校の高校生という設定であった
NHKテレビ小説「まれ」の
主題歌「希空」のメロディーが
聞こえてくる道です
道に細かく溝が刻まれていて
その上をタイヤが通ると音がします
溝の幅が狭いと高い音
広いと低い音がして
一定の速度で走ると
音楽に聞こえるという仕組みです
車の速度によっても音程が変わり
早く走ると音程が上がります
今回の震災で
ところどころ減速をしなければならない箇所があり
明るく元気な曲であるはずの「希空」が
なんだかもの悲しくなって聞こえることに気づいた方
他にいます?
さて今日は国公立大学の2次試験の日です
1月以来厳しい環境の中
頑張ってきた3年生
どうか落ち着いて
力を発揮してきてください
今日の「PRAY FOR JAPAN」
娘三歳がぬいぐるみ達を
うんしょ、うんしょと、どこかに運んでいた
「じしんがくるから、みんなひなんしたの」と言う
しばらくして、さて寝るかとパパの掛け布団を開いたら
ぬいぐるみが全員寝ていた
思わず吹き出した
そしていつもパパと寝ている娘三歳が「ここが安全」と
思ってくれていて嬉しかった
山椒魚を助けてください
55日目
世間は3連休の真っ只中
被災地への配慮からか
石川県への観光客数が激減していると
報道されています
金沢界隈を歩いてみると
日本人観光客の姿はほとんどなく
インバウンドばかりが目立つと聞きます
東日本大震災で日本中が自粛ムードの時
東北の造り酒屋のご主人が
「日本中のみなさん
こんなときだからこそ
我々の作ったお酒をどうぞ呑んでください」
とおっしゃっていたのを思い出します
日本中のみなさん
一部を除いて石川県は元気です
遠慮なさらずに
どうか観光にお越しください
みなさんが来てくださることが
復興に繋がります
私はといえば
1月4日のブログで紹介した
「奇跡の一軒家」に入り込んで
家財の整理をしています
ほとんど使い物にならないものばかりですが
このまま取り壊される家と一緒に
処分されるのがかわいそうで
せめてきれいにしてあげて
と無駄な努力をしています
このブログを読んでくださる方に
お知恵を借りたいことがあります
グランドピアノを運びだす方法を
ご存知の方いらっしゃいませんか?
「奇跡の一軒家」は
火災地区の東の端にあるのですが
西の端に両親が住んでいた家が
これまたギリギリで燃え残っているのです
家は傾き
取り壊されるのを
待つばかりなのですが
運び出したいピアノはこの中にあります
娘たちが練習していたピアノです
ただピアノを入れてから
家の改修をしたため
部屋の出口がピアノより小さいという
井伏鱒二の「山椒魚」状態なのです
壁をぶちぬけばいけそうですが
そのはずみで家が倒壊しそうだし
このまま家と一緒に取り壊される
その前に運び込むことができれば
奇跡のピアノとして学校において
ストリートピアノにしたいなと
考えてはいるのですが
どなたかぜひお知恵を
瓦礫の中のランドセルとお洋服
54日目
卒業式のシーズンが近づいてきました
東日本大震災の6年後
横浜のある小学校の校長先生が
こんなご挨拶をなさいました
6年前、みなさんと同じように
小学校の入学式を心待ちにしていた子がいました
幸い家族は全員無事でしたが
津波で家は跡形もなく流されてしまいました
お母さんは瓦礫の中から
泥だらけのランドセルを見つけ出し
水で洗いました
もちろん水道が復旧していないときだったので
貴重な溜め水できれいにしました
でも完全にはきれいになりませんでした
そんな子のために新しいランドセルが寄付され
ピカピカのランドセルでその子も入学式に向かいました
話はここからです
実は入学式の翌日から
その子が背負い続けたのは
ピカピカのランドセルではなく
お母さんが必死で洗ってくれた
瓦礫の中のランドセルだったのです
「おかあさん 6年間ありがとう
おかあさんが洗ってくれたランドセルで
学校に通ったから頑張れました」
卒業式でそう言ったそうです
この子
今20代後半ぐらいですかね
今まで何人もの
東北地方からのボランティアの方に
お会いしたので
もしかしてその中にいらっしゃったかも
先日、奇跡の一軒家に忍びこんで
瓦礫の中の
桐のタンスの中から
娘たちが小学校の入学式や卒業式で着ていた服を
引っ張り出してきました
桐ってとてもよく水を吸う木材で
しかも水をかけると隙間なく膨張して
中の衣類をしっかりと守るのだそうです
だから中の衣類をきれいなまま
持ち出すことができました
大事なお洋服燃えてしまった方
いらっしゃいませんか
よろしければ差し上げます
輪島高校校長までお声かけください
今日の「PRAY FOR JAPAN」
2011年3月11日に生まれた子供の名前には
『希』『明』『愛』『心』という文字が
多く付けられているそうです
山中毅選手の栄光のプール
53日目
輪島高校の卒業生には
ふたりのオリンピック選手がいます
最近ではピョンチャンオリンピックに
スケルトン競技で出場した
小口(旧姓大向)貴子選手
古くは昭和31年メルボルンオリンピック
なんと現役3年生の山中毅選手が
銀メダルを獲得したのです
当時の山中選手が練習していたと言われるプールが
鴨が浦という海辺にあります
なんと岩をくり抜いて作ったプールです
中には天然の海水が…
波が荒れれば危険で使えなくなるプールです
岩と岩の間に縄を張ってコースを作り
ストップウォッチがないので
ヒモに石をくくりつけて
タイムを測っていたそうです
自分の物理の記憶が正しければ
40cmの振り子が8回ふれれば
たしかちょうど10秒になったはず
今日はそのプールを
震災後どうなったか訪ねてみました
途中の道は完全にがけ崩れで進めません
岩づたいに歩いて行くことにしました
とはいえ実はここはもともと海の底
今回の地震で海底が4mも隆起して
現れた部分です
幼い頃輪島で過ごしたみなさん
亀岩まで歩いて行けるようになりましたよ
たくさんの干からびた
ヒトデやイソギンチャク
かわいそうに
今回のは
何百年に一度の地震ではなく
何万年に一度の地殻変動なのでは?
地学基礎の問題にあった気がします
ようやく辿り着いた
伝説のプールがこちら
こちらも隆起の影響か
中には水が全くありませんでした
今日の「PRAY FOR JAPAN」
母にTwitterを見せた
「自分たちよりも若い人たちが
こんなにも支えあって日本を守ろうとしているなんて」って
感動して泣いてた
私たちがやっていることは間違いじゃない
意味のあることなんだ
手書きって想いが伝わりますね
52日目
兵庫県たつの市立御津小学校の皆さんから
かわいい寄せ書きをいただきました
小さい子の描くお母さんの前髪って
左上の子の絵みたいに
いつだってぺちゃんこなんですよね
昔なんでかなと思っていたんですけど
ある時ふと気づいたんです
小さい子はいつもお母さんを見上げていて
下から見ると
お母さんの頭って前髪しか見えなくて
ぺちゃんこに見えるんですよね
子供ってほんとうによく見ています
この絵は避難所に飾っておきますね
たくさんの人を元気にしてくれると思います
3月末になると先生方の異動が始まります
生活拠点がないため
輪島を後にしなければならない先生もいて…
かといって代わりに輪島に入る先生もなかなか…
そんな中
現在輪島高校に勤めているある先生から
手紙をいただきました
言葉で言うより想いが伝わる
不思議な力が手書きの手紙にはありますよね
嬉しい内容だったので
手打ちですが紹介します
「…前略…
今回わたしは子どもたちとしばらく
輪島を離れていますが
数年後この子たちが大きくなったとき
『輪島でよかった』と思ってもらえるよう
復興に力を注ぎたいと考えています
友人や知り合いが奥能登を離れていったり
色んな葛藤や不安も感じましたが
自分が輪島にできることを
少しでも返していきたいと思っています
どれだけ輪島高校の力になれるかわかりませんが
精一杯働きたいと思います
わたしは輪島が好きなんです
『輪島高校で働きたい!』
ということが伝われば…」
今日の「PRAY FOR JAPAN」
今、日本には電気が足りない
そればっかりはどうしようもない
それを補うのは、みんなの元気だ!
笑顔だ!にっこり笑って!
そしたら、こんな状況だって余裕だよ
おはようございます!
「PRAY FOR JAPAN」は
東日本大震災発生のわずか12分後から届き始めた
祈りのメッセージを集めたWebサイトを
書籍化したものです
震災当夜
停電中の一時避難所にいた
20歳の大学生によって
立ち上げられたものだそうです
毎日その中からひとつずつ紹介しています
卒業式ここで行います
51日目
3月1日の卒業式
今日は会場の下見と打ち合わせに行って来ました
学校の体育館は未だ自衛隊の駐屯基地
文化会館も資材置き場となっているということを聞き
今年の卒業式は金沢市の音楽堂で
執り行うこととしています
金沢駅東口を出て右側
玄関入って右手コンサートホールへ
エスカレーターで2階へ進みます
お弁当持参の場合は
ロビーでいただくこともできますが
金沢駅周辺には美味しい店がたくさん
発災以来ずっと避難食の方もいらっしゃるでしょう
たまには贅沢なさってください
そして会場がこちら
輪島からの送迎バスも出します
詳しくはこのあとご連絡します
例年通知簿に同封してお送りしていますが
郵便事情のこともあり
このホームページあるいは
一斉メールでお知らせします
今日はひとりぜひお会いしたい方がいて
金沢市内の避難所の方にも足を運びました
以前輪島高校の避難所にいて
その後次の避難先へと変わって行った方から
手紙が届いたので尋ねてみました
手紙の消印は2月8日
10日ほどしてようやく届いた手紙には
輪島高校が学校として運用されることを知り
真っ先に手を挙げて
学校を空けてくださろうとしたこと
その後避難所を変わってほしいとお願いされる度に
他の方が移るのは大変だからと
率先して手を上げてきたことが綴られていました
現在なんと5カ所目の避難先だそうです
その度
食事がもらえないなどの
様々な困難を抱えながら
病院に通うことのできない方への
お薬の世話をしてくださったり
言葉のわからない外国人被災者の
話し相手になってくださったり
していたようです
さぞかし大変だったろうなと思ったら
その度に素敵な出会いがあって
楽しんでいらっしゃるとのこと
素敵な考え方ですね
今日の「PRAY FOR JAPAN」
避難所で、4人家族なのに
「分け合って食べます」と
3つしかおにぎりをもらわない人を見た
凍えるほど寒いのに
毛布を譲り合う人を見た
生きるということ
50日目
これまでさまざまな偶然が積み重なって
今日まで生きています
1月1日
末娘が2日からバイトがあるからと
夕方実家をあとにして
金沢へ送っていくことにしました
あのとき家にとどまったままだったら・・・
発災後、即、裏山へ駆け上がりました
寒さと暗さで不安になる中
たまたま近くに避難所が開設されて
そこに潜り込むことができたけれど・・・
大津波警報が解除され
真夜中車で帰ろうとしたとき
末娘が必死に止めそれに従いましたが
無理に帰ろうとしたら
きっと崖に落ちるか何かに衝突して・・・
なにより震災が
授業中に起こっていたとしたら・・・
考えるだけで恐ろしくなります
「生きる」って不思議です
だからこそ「生」って言う字には
これまで生きてきた人が
いろんな思いを込めて
さまざまな読み方が生まれたのでしょう
「生花を生甲斐にした生え抜きの生娘
生絹を生業に生計立てた
生立は生半可でなかった
生憎、生前は生まれてこの方
生涯通して生粋の生だった」
15回登場する「生」の字は
全て読み方が異なります
今日もさまざまな方から
支援の手を差し伸べていただいています
ライオンズクラブを介して
香川県立多度津高校の
海洋食品科食品科学コースのみなさんから
学校で商品開発された
チーズケーキ缶詰を送っていただきました
以前から非常食としてのご飯の缶詰を備蓄されるなど
防災意識の高い取組をされています
チーズケーキはほっとします
本当にありがとうございました
以前,多額のご寄付をくださいました
横浜の有限会社カイトさんが
今度は直接お越しになり
避難者と、学校に通う子どもたちに
お菓子の詰め合わせと焼き芋のプレゼントです
焼き芋は800食ほど一瞬でなくなったそうです
みんな大喜びでした
支援物資もたくさんいただきました
今日の「PRAY FOR JAPAN」
亡くなった母が言っていた言葉を思い出す
「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」
しめやかに
四十九日
痛かったでしょう
重たかったでしょう
熱かったでしょう
凍えたでしょう
怖かったでしょう
どうか安らかに
心からご冥福をお祈りします
あなたの分まで
力を合わせて
生きていきます
おだやかな休日が来ました
48日目
吹き荒れた春一番も止み
おだやかな春を思わせる長閑な土曜日
内閣府副大臣の古賀篤様はじめ
文部科学省の方々が視察に来られました
避難所も含め
現在小中高で共用している施設を
視察していただきました
ひび割れて傾いた教室棟
液状化を起こして使い物にならないグラウンド
ドアが開かず窓を割って出入りしたボイラー室
中に入ると気分が悪くなるくらい傾いた体育館
あちこちに落とし穴の空いた駐車場
野球のマウンドのように迫り上がった武道場
4月に入ったら
できるところから教育活動が再開できるよう
最大限の支援をお願いしました
石川県教育長はじめ県の方々も同席し
現在の輪島市の教育環境について
また今後求められる支援について説明しました
今後の昼食の提供をどうするか
生活拠点のない中でどう教員を確保するか
避難所提供と学校再開をどう両立させていくか
課題は山積みですが
文科省、教委、学校、連絡を密に取り合って
一刻も早い学校活動の復興に向けて
協力していくことを確認しました
困り事がありましたら
随時上げていきますので
なんでもおっしゃってください
直接中央省庁にあげていくことが大切です
東日本大震災の際に得られた教訓として
何かで目にしました
「災害現場には
現地で指示のできる
優秀なリーダーを派遣する
そして全てを任せる
必要と判断したことは全てやれ
と指示する
それが法に触れるようなことであれば
法改正する
それが一国の首相の責任」
だそうです
頼もしい教訓です
今日の「PRAY FOR JAPAN」
ぜんぜん眠っていないであろう旦那に
「大丈夫?無理しないで」とメールしたら
「自衛隊なめんなよ
今無理しないでいつ無理するんだ?
言葉に気をつけろ」と返事が