校長室より「おこらいえ」

「HAB」で紹介されました

地震から 438 日目

豪雨から 174 日目

 

先日の「街プロ」発表会

北陸朝日放送で紹介されました

https://www.youtube.com/watch?v=OLPvNkYNW8s&list=PLifVGdqsTJWi9DF7nQZHYVtEiB7thUI6b&index=15

 

社会応援ネットワークの

高比良 美穂 様 高坂 健彦 様

そして防災教育学会会長の諏訪 清二 先生が

訪ねてきてくださいました

 

諏訪先生は全国で初めて

防災に関する学科が設置された

兵庫県立舞子高等学校で

環境防災科の初代科長を務められた方で

現在でも複数の大学で講義を担当されているほか

全国でご講演などなさって

防災教育にご尽力していらっしゃいます

 

いろいろインタビューをしに来てくださったのですが

防災教育の大先輩からは

実に多くのことを学ばせていただきました

 

社会応援ネットワークさんからは

さまざまな出版物もいただきました

 

 

 

 

 

 


先日高校入試も終わり

現在先生方は採点作業に取りかかっています

 

石川県には

簡易提供制度というのがあって

受験生が教科別の得点と合計点の情報を

口頭で知ることができます

 

以前この係をしていたことがあります

不合格の生徒にも知る権利があります

そのときの伝える側のつらいこと

結果を聞きそのメモをとり

うつむいてじっと涙をこらえ

15歳にしておそらく初めての挫折の経験

そんな生徒でも

終わったあとは

「ありがとうございました」

って頭を下げていくのです

 

「ありがたくなんかないやろ」って

後ろ姿を見送りながら

「もしこの子の答案を自分が採点ミスしていたら・・・

 正解なのにペケをつけていたら・・・

 その一問のために不合格になっていたのだとしたら・・・」

とてつもなく恐ろしい気持ちになるのでした

 

ひとりの人間の将来を変えてしまうかもしれない

入試の採点にはそんな大きな意味があるのです

 

ですので先生方は1問1問丁寧に

決して間違いのないよう

15年間その子が歩んできた人生を思いながら

採点をしています

おさんぽメガネ振り返り

地震から 437 日目

豪雨から 173 日目

 

本日は入試の2日目です

受験生たちは今日もがんばりました

 

校内放送の係の先生が

放送室からこんなものを発掘してきました

 

 

 

 

 

 

原田真二さんの「シャドーボクサー」

フォーリーブスさんの「ヘイベイビー」

吹奏楽部顧問の高森まどか先生は

「これが噂のLPというものですか!」

違います

これはシングルレコードといって

LPはもっと大きいです

世代間ギャップをまざまざと感じました


先日本校で実施された

「街プロ」発表会

先生方には教科のメガネで発表を見ていただきました

総合的な探究の時間を中心として

いかに各教科の内容を有機的に結びつけていくか

今本校の教育における最も大きな課題です

 

先生方からのレポートをまとめました

 

 おさんぽメガネふりかえり.pdf

 

生徒が興味関心を持って進めている探究活動から

どう教科の学習につなげていくのか

アイデアが満載です


これまた先日大阪城で実施された

OECD「おさんぽメガネ」ワークショップ

能登半島からは輪島高校(能登スクール)

東京都からは特別支援学校の立川学園(立川チーム)

大阪府からは小津中学校が参加しています

 

以下引率の山上佳織先生からのレポートです

 

「2日目は能登スクールメンバーからの

 立川チームともっと対話したい!というリクエストにより

 オープンニング前に自由参加による朝活からスタートしました

 

 

 

 

 

 

 ラジオ体操をした後

 手話クイズで交流を深めます

 実は能登スクールメンバーは

 初日から自主的に手話の下調べをしていました

 先生から調べてと言われたからではなく

 交流したいから調べていました

 なんとそれは

 2日目の朝活が終わってからも続いていました

 

 

 

 

 

 

 おさんぽメガネワークショップ手話チーム振り返りでは

 立川メンバーから

 手話を「教え甲斐があった」

 という意見の付箋があり胸が熱くなりました

 その後の2年生の街プロ発表では

 なんと4人で手話で登場です

 

 

 

 

 

 立場や年齢だけでなく

 様々な壁を超えてつながろうとする

 生徒たちの目は輝いていました

 教師、生徒ともに充実した2日間でした」


本校の卒業生で

現在上越教育大学4年生の浦野結太さんから

卒業論文が届きました

 

 

 

 

 

 

「震災後における著名人の慰問が

 子どもたちの自身の将来展望に与える影響」

本校生徒達へのアンケートをインタビューが

まとめ上げられています

 

「誰よりもつらい思いをしたみんなは

 きっと誰よりも強くなれる」

の言葉をくださった本田圭佑さん

 

サプライズライブを決行してくださった

ゆずさん

 

本校も舞台となった「まれ」で主演

役柄上はみんなの先輩にあたる土屋太鳳さん

 

みなさんがきてくださったときの

生徒の心の動きに関するものです

 

調査期間中ではないとき

たとえば卒業式のスマイルアップさん

たとえば大晦日の坂本冬美さんなどは

今回の調査には含まれていません

 

著名人の慰問により前向きになった生徒が62%

「嬉しくて前向きになるエネルギーをもらった」

など被災民の心のケアに

大きな役割を果たしていることがわかりました

やるっきゃない

地震から 436 日目

豪雨から 172 日目

東日本大震災から14年目

 

今日は3月11日

日本人にとって忘れられない日です

 

本日高校入試が行われている本校でも

金色の国旗玉を黒い布で覆い隠した弔旗で

お亡くなりになった方のご冥福をお祈りしています

 

 

 

 

 

 

新聞各紙にも「東日本大震災14年」の記事が

 

14年たっても3万人近くの方が

避難生活をされているようです

 

読売新聞では

汚染土の受け入れ意向に関する調査を行っています

それによると条件附きで受け入れるとした県が5県

容認できないとする県が5県

石川県は無回答でした

容認できないとする沖縄県知事は

「電力供給されている受益者間で解決する問題」

と説明されています

米軍基地を自県だけで抱えておられますので

当然の見解であろうと思います

放射能汚染土の問題も

沖縄の米軍基地の問題も

ひとつの県に押しつけるのではなく

日本全体で考えていくべき問題です

 

北陸中日新聞では

能登半島にある志賀原発の再稼働について

論じていました


本日午後8時よりNHK「うたコン」にて

おおみそかに坂本冬美さんが

本校で歌ってくださった模様が

放送されました

 

曲は「風に立つ」

思い出しました

「そうさ人生やるっきゃないさ」

この歌詞に力づけられたこと

でも「きゃ」って何?

気になって調べてみました

どうも方言の一つ

東京弁のようです

やるしかない→やるしきゃない→やるっきゃない

促音化するのは東京弁によく見られる特徴です

かっこいいですね

べらんめえ

 

もともとは土井たか子氏が

女性初の社会党委員長に就任した時に発した言葉で

1986年の日本新語・流行語だそうです

 

実は我が家でも

毎年「平野家の流行語大賞」を選出していて

例えば2002年は「モキモキ!」でした

これは母親が落ち込んでいるときに

3歳くらいの娘が

慰めようと抱きしめながら発した言葉です

以来

娘たちが泣いている時には

「モキモキ!」と言って抱きしめてやると

不思議と泣き止むのでした

 

赤ちゃんが泣き止まないときに

「ふーっ」て顔に息を吹きかけてやると

ピタリと泣き止む

て言うのを昔

「伊藤家の食卓」と言う番組でやっていましたが

我が家の娘らにも効果がありました

 

「我が家の流行語大賞」

20年分くらい記録に残してあったのですが

今回の震災でどっか行っちゃいました

小さいお子様のいるご家庭の皆さん

これ楽しくて思い出に残るのでオススメです

 

昔「スチュワーデス物語」で

堀ちえみさんが

「やるっきゃない!やるっきゃない!」

「教官!」

ってやってましたね

今なら

「キャビンアテンダント物語」ですね

スチュワーデスという言葉も

使われなくなって久しいです

 

先日のブログで

「保母」って書いたら

三女から

「今は保育士って書かないと!」

とお叱りをうけました

 

もうひとつ次女から聞いた「保育園あるある」ネタ

「どこの保育園にも『社長』の異名をとる

 大物感を漂わせる園児がいる」

もしかして「関西の保育園あるある」かもしれません

それでも正解のある問い

地震から 435 日目

豪雨から 171 日目

 

今朝は学校の電話が繋がらなくて

各方面にはご迷惑をおかけしました

なんでもNTT側の電圧が下がったのが原因らしく

そんなこともあるんですね

 

明日から入試が始まります

「何が起こるかわからないぞ

 高校入試に向けて

 一生懸命勉強してきた子らの努力が

 正当に評価できるよう細心の注意で臨め」

という神様からの忠告と捉え

職員一同緊張感を持って臨みます

 

試験中に余震が襲って来る可能性もあります

試験続行が不可能なくらい

すなわち元日レベルの余震に襲われたら

原則として直ちに輪島中学校に全員を避難させ

そこでお子様の引き渡しを行います

輪島中学校以外の受験生につきましても

高校職員が責任を持って

輪島中学校まで誘導いたします


さて

正解のない問いに立ち向かう力

これが現在の学校教育で重要視されていますが

全ての問いに正解がないわけではない

歴然とした正解のある問いも存在する

という認識は持つ必要があります

 

「当行は1+1=2であるとは限りません

 たとえば預金する際には

 1+1=1になったりしますし

 お引き出しになる際には

 2ー1=0になったりします」

こんな銀行イヤですよね

 

創造性豊かな人材が歓迎されない職場もあります

医療現場です

医療の世界は

経験による確実な臨床実験の上に成り立っており

「この薬とこの薬をいっしょに飲めば

 なんだか治るような気がする!」

なんて医者は迷惑この上ないのです

以前あるお医者様から伺った話です

 

最近SNSでこんな投稿が話題になっていました

 

「ごんぎつね」の感想にまつわる25年前の思い出の投稿

 

忘れた方のためにあらすじを振り返ると

イタズラ狐「ごん」と村の青年「兵十」の物語

ごんはある日イタズラ心で兵十のウナギを盗みます

そのウナギは兵十が病気の母親のために獲ったものだと

母親の葬儀を目にしたごんが気づきます

申し訳なく思ったごんは

栗やマツタケを兵十の家にこっそり届けるように

ある日そんなごんの姿をみつけた兵十は

恨みを込めて撃ち殺してしまいます

倒れたごんのそばに栗やマツタケが落ちているのを見た兵十は

届けていたのがごんだと気づきます

筒口からは青く細い煙が…

という物語です

 

この時の兵十の気持ちについて投稿者は

「殺さなければもっと栗やマツタケを食べれたのに」

 

これに対して先生のコメントが

「がっかりです

 もっとしっかり読みなさい」

 

これに対して

「小学生の感想なんだから自由に書かせろ」

「これだと国語嫌いになる」

「凝り固まった頭の先生だ」

などと一気に炎上

 

多くは正解のない国語の教材の中でも

この作品は明確な正解のある作品だと

私は思いますがいかがですか

 

先生を批判された方に言いたいのは

あなたが亡くなる時に

あなたの子どもが

「もっと生きたらもっと小遣いをくれたのに」

って思ったとしたら

あなたはどんな気持ちがしますか

あなたはそんな子ども育てたいですか

ってことです

 

私の次女は保育士をしています

そんな娘から聞いた興味深い話

いい子だった子が

突然友達を叩いたり噛みついたりを

繰り返すようになることがあるそうです

そんな時決まって数日後に

お母さんの妊娠が明らかになるのだそうです

不思議ですね

宿ったばかりの妹や弟に

おかあさんを取られるような気がするのでしょうか

 

実はごんぎつねの投稿者さんも

この時おかあさんの妊娠がわかって

さみしくてわざとあんな感想を書いたのだと

明らかにしています

そして先生とは信頼関係があったということも

 

教員は生徒のことを考えてコメントしています

表面だけ見て直ちに批判することは

是非やめていただきたいと思います

 

「あの場面は絶対スクイズやろ!」

監督の采配を批判する方がいらっしゃいます

直前の練習試合の大事な場面でスクイズ失敗して

心に傷を持ったまま試合に臨んでいる選手に

スクイズのサインを出せない時もあるのです


【今週の生徒の叫び】

校長ブログを読んだ生徒が書いてくれた

コメントを紹介するコーナー

 

今日は11月21日「卒業」

のコラムを読んでくれた生徒からです

 

「私はまだ卒業はしないけど今の3年生を見ていたら

 高校の3年間なんて

 あっという間に終わってしまうのだと思いました

 私たち2年生から3年生を見るともう大人だなと思います

 自分のやりたいことを見つけ一生懸命頑張っている

 3年生は私たち後輩の良い見本であるそう思います

 災害で環境が不安定な中でも必死に登っている

 3年生はすごく頑張っているなと思います

 話は変わりますけど

 私の友達にとりあえず短大へ行く人がいます

 何をしに行くのか聞きますけど

 全然理由になっていない答えが返ってきたりするので

 この人は時間とお金を無駄にするなと思いました」

大仏の呪い

地震から 434 日目

豪雨から 170 日目

 

OECDワークショップ in 大阪

2日めのアクティビティーです


「タイムマシン・メガネ」

〜AI時代の寺子屋へようこそ〜

未来の教育を考える際に

日本の風土で育った

日本ならではの教育を

見直してみることは効果的です

 

寺子屋のシステムに学びましょう

 

寺子屋の歴史は室町時代に遡ります

寺院でおこなわれていた師弟教育が始まりです

当時は寺に寝泊まりする形で勉強していました

江戸時代に最も盛んにおこなわれるようになりました

大都市だけでなく農村部にも寺子屋が増えました

全国各地で呼び名は異なっていたといわれています

明治政府の「学制」に伴う小学校建設により

寺子屋は姿を消しましたが

その直前には1万以上の寺子屋が存在していたようです

当時の日本の人口は3,400万人

現在の4分の1程度ですが

全国の公立小学校数は2万校程度なので

いかに普及していたかがわかります

 

制度的には現代の小学校に似ていて

早い子では5歳ごろ

一般的には7〜8歳で通い始め

6年ほどで卒業します

登校時間は午前8時ごろ

下校は午後2時ごろです

午後2時は昔の呼び方で「八ツ時」

寺子屋から帰ってはらぺこの子らが食べるのが

「御八ツ」のはじまりです

 

農民の子どもには「百姓往来」

商人の子どもには「商人往来」

職人の子どもには「番匠往来」など

それぞれ教科書「往来物」が用いられ

個別最適な学びが実践されていました

 

また

一方的に教師の授業を聞くのではなく

同じ教室にいる仲間たちに

年齢を超えて教えてもらったり教えたりしながら

生徒たちは主体的で対話的な学びを行なってきました

 

こうした学びが功を奏し

幕末には成人男性の識字率は70%を超えました

当時ロンドンでは20%

パリでは10%未満であったことを考えると

寺子屋の果たした役割は大きかったといえます

 

親に甘やかされ育った筆子(生徒)に対して

師匠が礼の教育やしつけに苦闘していた

という記述も残っています

ある寺子屋の校訓は「余力学文」

『論語』の「行有余力、則以学文」

(行いて余力あらば、すなわちもって文を学べ)

礼儀作法を心得たものでないと

学ぶ資格はないとしています

 

細かくは

着座畳に手をつき額をさげて心静に礼いたし席ニ先々よりすわり可申事
(正座して畳に手をついて額をさげ、心静かに一礼して来た順に着席しなさい)

客入来之内ニはものよみ高声無之様ニ可為事
(来客中は大声で素読しないようしなさい)

大小便壱人宛限り可出事
(大便・小便を催した時は、ぞろぞろと行かないで一人ずつ行きなさい)

今の高校生にも言いたいようなこと

 

またモンスターペアレンツには

喧嘩口論ハ皆自分之悪ゆへ内々親々取上ざる事

(筆子同士のけんか口論は皆本人が悪いから起きるので、親はいちいち取り上げてはならない)

とバッサリ


そして続いては

教科のメガネでお散歩する

「おさんぽメガネ」ワークショップ

 

例えばエストニアでの教育実践

事なる教科の先生といっしょに

森の中を散歩する授業があります

教師はありとあらゆるものから

教科の問題を組み立てます

数学「このままの速さで歩き続けると

   あと何分で目的地に着くかな?」

歴史「今は森だけど昔は沼地だった

   どうして変化したかわかる?」

美術「緑は何色あると思う?」

物理「森の中で声を出すと

   どんなふうに広がっていくかな?」

 

今日はこの大阪城バージョンです

私も化学のメガネで参加しました

「大阪城の屋根は緑色だけど何でできていると思う?」

「瓦!」「トタン!」「プラスチック!」

「ブー 銅でした 10円玉といっしょです」

「でも色が違う…化学変化したの?」

「そう!空気中の水と二酸化炭素に反応したよ

 炭酸水酸化二銅に変わったよ

 緑青ともいうんだ

 奈良の大仏さんも同じだよ

 ところで奈良に都があったのは

 710年から784年

 わずか74年でせっかく作った都を捨てています

 これはなぜですか?社会の先生」

「ひとつには寺院勢力を排除するためといわれています」

「理科の目で見るともうひとついわれている

 呪い説も信憑を増してきます

 奈良時代後半に流行した疫病によるものです

 ところで電気のない時代にどうやって

 大仏に銅のメッキを施したと思いますか?

 唯一液体の金属である水銀に銅を溶かします

 そして大仏にポッキーのようにコーティングします

 やがて水銀が蒸発して

 銅だけがメッキとして残るのです

 ところで再び社会の先生

 水銀が蒸発して都を包むとどうなりますか?」

「水俣病のような公害病が発生します」

「そう!奈良時代後半に起こった疫病とは

 水銀中毒であると考えられます」

北陸新幹線の悲しい調べ

地震から 433 日目

豪雨から 169 日目

 

昨日

東京学芸大学の

鉄矢悦朗研究室のみなさんと

お会いしました

 

鉄矢教授はデンマーク王立美術院などで学び

都市計画から店舗インテリアの現場まで

幅広く企画・設計などをされながら

「都市と建築の再生」や「市民参加のまちづくり」

について研究なさいました

「モノづくりコトづくりバづくり」をキーワードに

立体・空間デザイン/デザイン教育/ものづくり教育の

研究と実践を行い

「あそびは最高の学び」をモットーに

教育・研究活動をさらに面白く深めていらっしゃいます

 

1時間にも満たないわずかな出会いでしたが

学生さんたちのユニークな研究についても

ご紹介していただき

研究室の魅力をしっかりと伝えていただきました

 

「街プロ」にも参考になりそうなお話を

たっぷりとお聞きすることができ

ぜひ本校の探究活動にも

伴走していただきたいと思いました

 

研究室を現在休学し

氷見市地域おこし協力隊でご活躍中の

佐藤栞さんもご紹介していただきました

(AKB48 の佐藤栞さんではありませんし 

 モデルの佐藤栞里さんでもありません)

氷見の子どもたちを海外と繋いだり

とっても魅力的な活動をなさっています


明けて今日私は

OECDワークショップに参加するため

大阪へ向かう北陸新幹線に乗っています

北陸新幹線には

物悲しい車内メロディーが流れます

旅のワクワク感とはちょっと違いますが

これは北陸本線サンダーバードでも流れている

谷村新司さんと仲間由紀恵さんが歌う

「北陸ロマン」という曲です

 https://www.youtube.com/watch?v=3aGfGqlaX2g

冬の日本海の旅にぴったりですね

 

敦賀までしか延伸していないので

大阪へ行く時はここで乗り換えです

「ほんとに不便になったね」

「新幹線延びなきゃよかった」

みなさん不満タラタラで乗り換えます

乗り換えが必要な上に

値段まで高くなっているんだから当然ですね

以前駅員さんに食ってかかる人も見受けました

大阪まで伸びるまでの辛抱です


さてさて大阪では

「未来のカリキュラム」を

「散歩という日常」と「教科のメガネ」から問い直す

「おさんぽメガネワークショップ」の開催です

 

本校から10名の生徒が参加です

 

初日の今日は

「なんでやねんすごろく」で

虹色エージェンシーを体験です

 

 

 

 

 

 

すごろくを楽しみながら

「子どもの権利条約」を学びます

 

「なんでやねん」マスに止まったら

子どもが普段感じる理不尽あるあるを読み上げ

みんなで

「なんでやねん!」

 

 

 

 

 

 

このすごろくは

子どもの権利条約関西ネットワークの

子どもたちとおとなが開発したものです

西成のしなやかで強い芯を柱に

地域丸ごと子育ちと子育てを

見守っていらっしゃるみなさんのマインドを

学ぶことができました

 

 

 

 

 

 

本校からは4人の先生

中でも岡本先生は赤ちゃんを連れての参加です

(写真真ん中)

赤ちゃんがいても頑張ってお仕事する

おかあさんの姿を

若いみんなに見てもらいたくて

子育てがキャリアアップの妨げになるような

古いしきたりやシステムは

これっきりにしたくて

というのがねらいです

 

私は自校の先生が産休に入ったら

産休期間中に一度赤ちゃんを連れて

職員室に来るように伝えています

先生方が赤ちゃんと実際に触れ合うことで

その先生が職場復帰後に

子どもの病気で学校を休むときに

他の先生方が

「あっあの子か!がんばれ」

って休みやすいんです

 

最後にみんなで記念撮影

 

 

 

 

 

 


先日行われた

輪島市の成人式の模様が

公開されました

 

昨年震災で開催できなかった

今年21歳を迎えるみなさん

そして今年20歳を迎えるみなさん

それぞれを2日間に分けて行いました

 

プリンセスプリンセスのドラマー富田京子さん

TUBE のベーシスト角野秀行さんを迎え

輪島吹奏楽団の方々と一緒に

本校吹奏楽部がお祝い演奏をしました

https://www.youtube.com/watch?v=G0GvYbm4_7E

本校の卒業生も何人もいます

おめでとうございます 

半島の最先端から世界の最先端へ

地震から 432 日目

豪雨から 168 日目

 

 

 

 

いきなりの世界地図

しかもいつもの見慣れたものとはちょっと違う

しかしヨーロッパ諸国ではこれがスタンダード

日本はヨーロッパから見ると

世界のはじっこ

辺境の地なんですね

 

 

 

 

 

 

そして我々の住む能登半島

かつて高度成長期時代には

裏日本などとも呼ばれる日本海側に位置し

今回のような災害時には

道路が寸断され陸の孤島となるような場所です

 

この「裏日本」という表現は

戦前・戦後・高度成長期には普通に使われていました

「差別的な表現」とされ今は使われません

 

近代日本が発展する過程で

太平洋岸ベルト地帯と呼ばれる

京浜 東海 京阪神 瀬戸内 北九州地区が

政治・経済の中心となりました

これは貿易の中心が太平洋側に移ったことと

日本海の対岸の大国が社会主義国となり

貿易が激減したことによります

 

かつては日本海側の都市も海運でけっこう栄え

1877年には石川県の人口はグッと上がって

181万人と日本一になりました

このときの2位は新潟県で150万人

裏日本が当時の表日本でした

 

経済面で見ても 

日本銀行金融研究所のデータによると

年収ランキング歴代日本一は

徳川吉宗第8代江戸幕府将軍の1294億円ですが

それに次ぐ第2位は加賀前田藩の1135億円です

 

現代においてはトランプ大統領が170億円らしいので

加賀藩もなかなかのものです

馳知事の年収がトランプの7倍ってことですもんね

 

世界の辺境の地日本

そのさいはての半島の先っちょ

かねてより少子高齢化に悩むこの土地で今

度重なる災害において

さまざまな社会課題が浮き彫りになっています

 

しかしこれは災害によって起こった新たな問題ではなく

日本全国で実際に直面している問題

さらには今後世界のあちこちで起こる問題です

少子高齢化で世界のトップランナーである

この地の高校生たちが

地域課題の解決のために立ち向かっています

 

本日「街プロ」発表会が開催されます

飯田高校 能登高校 門前高校からも参加があり

お互いの探究成果を発表しあいます

 

いつの時代も新しい芽吹きは

枝の先端から始まります

 

 

 

 

 

 

世界のはじっこ日本の先っちょ

この半島の最先端から

世界の最先端へとはばたく第一歩です


ところでさっきの地球儀の写真

撮影するときにALTのマイケル先生がいたので

『地球儀』って英語で何っていうの?

って尋ねたら

『glove』

と教えてくださいました

「いやいや『glove』 って地球でしょ

 自分が知りたいのは『地球儀』の英語!」

って返したら怪訝な顔を・・・

よくよく聞いてみると

『地球儀』なんてものは

そもそも学校教育では使わないとのこと

なので概念そのものがないんですね

 

さらに『earth』と『glove』はどう違うの?

と尋ねると

『earth』は土でできたものというイメージで

『glove』は丸いものというイメージらしいです

母なる大地としての地球と

母なる星としての地球といったイメージでしょうか

Sun moon Mars と同列として使うのが『earth』

Sun moon Mars なども含めて使うのが『glove』なんだそうです

 

さらにもっと広義に球体を表す

『sphere』なんて言葉もあるよ

って教えてくれました

なるほど

気体を表すギリシャ語であり

気圧を表す単位ともなっている atm がついて

『atmosphere』

大気や雰囲気という言葉になったのですね

 

英単語も単なる暗記ではなく

語源や歴史も絡めて覚えると

さらに理解が深まります 

 

教科を超えて知識をつなげ

既習事項としっかりと結びつける

新たな時代を生きる力を身につける

「街プロ」発表会でした

 

 

 

 

 

 

輪島高校以外の高校の発表です

(2)獅子舞で門前を活性化[門前高校]

  地域の伝統芸能を自ら舞うだけでなく

  ちびっ子向けのイベントも開催

     地域の方の喜びの声も大きく

  ついには同好会を発足させたそうです

(3)農業で門前を活性化[門前高校]

  地元企業や農家に直接インタビュー

  自分たちで野菜を直接育て販売しました

  余った野菜の使い道を工夫して

  トマトソースを作って調理販売しました

(4)商品開発で門前を活性化[門前高校]

  震災で作られなくなった伝統のお菓子「ごらいくん」

  みんなの笑顔が見たくて復興させることに

  金太郎飴を作って全国展開しました

  イベントでどら焼きも完売しました

(7)能登のみんなを音楽で元気づけるには?[飯田高校]

  自分たちで楽器を演奏して作曲しました

  作曲家 詩人 プロの演奏者の協力を得て

  曲を完成させました

  3月に石川県立音楽堂でコンサートを行います 

(8)スポーツでのとげんき!![能登高校]

  震災前と同じようにスポーツをしてみたい

  こどもたちとの交流イベントのほか

  ソフトテニスやバレーボールイベントも行いました

  先生対象の卓球イベントも開催したそうです

(9)お店を活性化させるためには?[能登高校]

  能登町のお店の活性化に取り組みました

  校内の購買に出店することで店の知名度を上げます

  購買の仕組みに工夫を加え持続可能性を探りました

  困難にぶつかっても諦めない素晴らしい姿勢です  

(10)地域デザイン〜仕事〜[能登高校]

  能登町「仕事図鑑」を作りました

  地元にどんな仕事があるか知ってもらうためです

  現代の蔦重みたいですね「能登細見」

  中学校や行政への配布も視野に入れています  

ひさびさの調理実習

地震から 431 日目

豪雨から 167 日目

 

1年生の調理実習が行われました

水が出るようになった調理室は

午前、午後フル回転です

 

 

 

 

 

 

地震でミシンが割れてしまったので

手縫いで仕上げたエプロンを着用して調理しました 

今回は炊き出しで大人気の豚汁作りにチャレンジです

 

 

 

 

 

 

なんとこんにゃくがハートになってました

愛情たっぷりの豚汁に心身ともにあたたまりました

 

以上家庭科の山上佳織先生からの報告でした


3月7日(金)本校を会場に

「ぼくらのまちはぼくらがつくる」

『街プロ』発表会が開催されます

今回被災した奥能登から3校をお迎えして

それぞれの街で取り組んでいる

被災地復興の取り組みを発表し合います

 

日程は以下のとおりです

10:00 受付

10:30 開会式

10:40 ステージ発表

12:20 昼食

13:20 ポスターセッション

14:20 閉会式

 

発表の内容がまとまりましたのでお知らせします

1 「朝市復興計画~新しいスタイルの多世代朝市~」輪島高校

2 「獅子舞で門前を活性化」門前高校

3 「農業で門前を活性化」門前高校

4 「商品開発で門前を活性化」門前高校

5 「人も猫も食べれるお菓子」輪島高校

6 「みつばちプロジェクト」輪島高校

7 「能登のみんなを音楽で元気づけるには?」飯田高校

8 「能登健康増進プロジェクト~スポーツでのとげんき!!~」能登高校

9 「能登町のお店を活性化させるためには」能登高校

10 「地域デザイン~仕事~」能登高校

11 「輪島の『楽しい』をつくる」輪島高校

12 「震災を超えて響く花火の音~花火復興プロジェクト~」輪島高校

13 「海辺で映画を見よう」輪島高校

どの学校も工夫を凝らしたアイデアですね

楽しみです

どうぞお越しください

企業様とも繋がってアイデアが現実化することを

願っています


昨日の朝日新聞に

沖縄尚学野球部 比嘉公也 監督の記事を見つけました

 

監督は

テストで赤点を取った部員には

練習参加を認めずずっと草むしりをさせるそうです

 

そんなに難しい問題はつくっていない

ふつうにちょっと努力をすればできるのに

点数がとれないということは

やらなくてもいいとか

いやなことから逃げるとか

そういう要素があると

おっしゃっています

 

沖縄尚学の強さはそんなところにあります

 

人としての強さというのは

練習以外の

日常生活のあらゆる場面で

培うことができるのです


【今週の生徒の叫び】

校長ブログを読んだ生徒が書いてくれた

コメントを紹介するコーナー

 

今日は3月21日「春が来て君は綺麗になった」

のコラムを読んでくれた生徒からです

 

彼は震災により

2年生の途中から本校へ転学してきた生徒です

面接でサッカーが好きと言っていたので

入学前だけど

3月21日にいいことあるから

一度学校においでと伝えてあった生徒です

 

๒0๒๔年0๓月๒๑日地震から๔๑日目

季節外れの雪が降りました

この日僕ははじめて輪島高校に入りました

いつも学校の前を通ってますが

一度も入ったことがなかったのでドキドキしました

先生に呼ばれただけだったので

どこへ行けば良いかわからず

とりあえず知っている友達を探しました

久しぶりに会う友達がいっぱいいて懐かしい匂いがしました

小中学校以来はじめての全校集会を体験しました

人が多かったですがとてもワクワクしました

そそそそそしてなんと本田圭祐さんが来てくれました

まじで神すぎる

名前を聞いた瞬間興奮しました

昔から憧れお手本にしてきた選手

つい朝までYouTubeで見ていたプロサッカー選手が

目の前にいるので震えが止まりませんでした

そして彼は地震で心が病んでしまった輪島の人々に

「つらいことを体験したみんなだから

 日本中の誰よりも強くなれるよ」

と激励の言葉をくれました

しびれるねぇ

この経験を糧に変えて強くなります

              《左手 ナタコーン》

怖い話

地震から 430 日目

豪雨から 166 日目

 

震災直後から

さまざまな支援のお声かけをいただいています

 

発災直後にあったこんなお話

 

「被災地の子供たちに贈り物がある

 せひ全生徒に配付してほしい

 さらなる支援も考えている

 一家庭あたり〇〇万円を

 全生徒にお配りしたい」

あるところにはあるもんだと感心しきり

 

「贈り物の中に連絡先を書いておく

 希望する家庭は

 それぞれで直接申し込んでもらう

 我々は指定された金融機関に直接振り込む

 学校には一切負担をかけない」

そんなことまでしていただけるのかと

細かい心配りに感謝

 

もともと人を疑うことを知らない脳天気な性格に加え

発災直後で混乱状態になっていた私は

「これはありがたい!即申し込もう!」

 

実は奥能登の他の高校にも申し入れがあったようで

ある学校の教頭先生が

「これちょっとおかしくないですか?」

 

冷静になって考えると確かに・・・

口座番号も含めた個人情報をこんなに無防備に・・・

 

そこで支援先に対して

「学校が責任持って全生徒に配付するので

 一括して学校の講座に入金してほしい」

と申し入れをしたところ

それ以来連絡がありません

 

この支援先について調べてみたところ

その母体は・・・

怖くて書けません

 

気づいた教頭先生は部活動でならした先生

数々の修羅場をくぐり抜け身につけた

危機を察知する

その動物的カンはさすがです

 

そして発災後このように

各学校が教育委員会を中心にして

情報を共有しながら前へ進んでいます


一昨日行われた卒業式で

輪高新聞が配られました

次のようにメッセージを残しました

 

「誰よりもつらい思いをしたみんなはきっと誰よりも強くなれる」

 サッカー界のレジェンド本田圭佑さんが

 本校に訪れみんなに投げかけてくださった言葉です。

 PTG(心的外傷後成長:Posttraumatic Grouth)という言葉があります。

(1)「他者との関係」他者を思いやる気持ちが強くなります。

   そしてつらいときには誰かに頼ってもいいんだと思えるようになります。

(2)「新たな可能性」が生まれます

   それまで描いていた人生の道筋とは異なる方向性を余儀なくされます

   だからこそ新しい可能性が開けてきます

(3)「人間としての強さ」が芽生えます

   つらいことに見舞われてそれでも今まだ自分は生きている

   自分が思う以上に自分は強いと実感できます

(4)「精神性的な変容」が訪れます

   人間の存在を超えた現象や事柄に向き合うことで

   生き方や魂について思いをめぐらせるようになります

(5)「人生に対する感謝」の気持ちが溢れてきます

   これまで当たり前と思っていたことが実は奇跡

   変わらない平凡な毎日にこそ感謝の気持ちを強く感じるようになります

 例えば野球部の生徒たち

 無惨に砕かれたグラウンドを目にして自分たちのグラウンドを元通りにしたい

 行政にかけあってもそれよりも優先すべきことがありなかなか前には進めません

 ついには自分たちでグラウンド整備から始めました

 どれだけ石ころを拾っても拾ってもきりがありません

 それでもいつかプレイのできる日を夢見て力を合わせます

 野球部は練習の前後にグラウンドに挨拶します

 それは誰に?野球に神様?それって誰?本当にいるの?

 今なら確信を持って答えることができるでしょう

 これまで普通に野球ができていたこと

 これは本当は奇跡的なことであって

 そこに辿り着くまでに多くの方の力があってのことだと

 身を持って感じることができたはずです

 君たちの子供らが将来挨拶する野球の神様

 それは間違いなく君たち自身なのです。

『街プロ』発表会のお知らせ

地震から 429 日目

豪雨から 165 日目

 

昨日行われた卒業式で

PTA会報「青桐」が配付されました

 

例年PTA役員の方々に

執筆をお願いしているのですが

今年は役員を選出せず

「全員が役員!

 楽しいことだけやりましょう」

をモットーに活動してきましたので

原稿も一般公募して

「ぜひお子様に残したいメッセージを」

としました

例年に増して心のこもったものになりました

 

私も次のようにメッセージを書きました

 

「東日本大震災が起こった日は入学式の行われる少し前の日でした

 新しいランドセルは手を通されることもなく津波に流されました

 土砂の中からそんなランドセルを見つけたお母さんがいました

 水道が来ていないので溜め水で懸命に洗いましたがきれいにはなりませんでした

 悲しみの新1年生たちには新しいランドセルが贈られ

 入学式を迎えることができました

 でもその子が入学式の翌日から6年間背負い続けたのは

 お母さんが洗ってくれた傷だらけのランドセルだったのです。

 

 能登半島地震が起こったあと初めて高校に生徒が集まる日のことです

 水道が来ていないので洗濯ができないことから私服登校を認めました

 ただひとり制服で登校した生徒がいました

 聞くとお母さんがその制服を持って逃げてくれたのだそうです

 他にも大切なものはたくさんあったはずなのに

 お母さんが真っ先に心配したのが娘の学校のことだったのです

 その話を聞いて生徒と保護者の学校に対する想いを実感し

 学校の責任の重さをあらためて考えさせられました

 今日はその制服を着る最後の日ですね」


「ぼくらのまちはぼくらがつくる」

輪高生のまちづくりプロジェクト『街プロ』

成果発表会を行います

一般公開いたします

お誘い合わせの上ぜひお越しください

 

今年1年間

生徒達がとりくんできた

まちづくりの成果を

ステージ発表と

ポスターセッションで披露します

 

3月7日(金)より

本校の第一体育館で行います

地震で壁はひび割れ

床が窪んだ悲惨な状況の場所ではありますが

危険立入区域には指定されていませんので

その被災状況も合わせて

ごらんになっていただきます

 

日程は以下のとおりです

10:00 受付

10:30 開会式

10:40 ステージ発表

12:20 昼食

13:20 ポスターセッション

14:20 閉会式

 

どなたでも参観できます

正面玄関よりお入りください

 

駐車スペースはございません

あらかじめご了承願います

 

ステージ発表の際には

質疑応答の時間は設けません

発表グループは

午後のポスターセッションでも

発表しますので

その際に直接ご質問ご意見をお寄せください

 

なお今回は奥能登の公立高校より

飯田高校(午前中のみ)

能登高校

門前高校

からも参加してもらいます

高校間を超えた交流も予定しています

それぞれの学校が

それぞれの場所で

生まれたまちを甦らせるために

がんばっています

 

お待ちしています

ぜひお越しください


【今週のありがとう】

 

東大阪ロータリークラブのみなさま

貴重な備品ありがとうございます 大切に使わせていただきます

 

谷村誠会長はじめ神戸市立保育園連盟のみなさま

おいしいお米ありがとうございます ご家庭に配付しました

 

岐阜県 関商工高校 鷲見椿さんとおともだち

「能登新聞」で被災地の状況を伝えてくれてありがとう!

 

広島県立芦品まなび学園高等学校 祝迫直子先生

ようこそお越しくださいました そして災害支援ありがとうございます

 

公益財団法人 旭硝子財団のみなさま

奨学金ありがとうございます 未来へ歩き出す大きな支えです

 

※このコーナーでは

 これまでご支援いただいた方々を

 順に紹介させていただいています

未来へ向かって飛び立つきみへ

地震から 428 日目

豪雨から 164 日目

 

卒業式が行われました

 

会場をお花で飾ってくださったのは

FlowerSchool Muguet の

水上 詩子 さま

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年の音楽堂での卒業式

今年の入学式に続いて

3回目になります

金沢でフラワースクールを主宰されています

 

卒業生が胸にあしらう

すずらんとアイビーのコサージュも

全員分を手作りしてくださいました

 

 

 

 

 

 

スズランの花言葉は「幸福の再来」

ヨーロッパでは聖母マリアの花とされます

葉の影に隠れてしまいそうな小さな花が

被災地から立ち上がる小さな希望のようです

 

またアイビーの花言葉は「友情」「永遠」

アイビーが持つ強い生命力と

しっかりと絡みつくツタの性質が

力強く未来に向かって伸びていく姿を想像させます

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業生一人ひとりに

エアリーフローラが手渡されました


名古屋市立西陵高等学校の

昨年度の2年5組のみなさんからも

お祝いメッセージカードが届きました

昨年発災後まっさきに

ハンカチとかコスメとか

女子高生ならではのアイデアの

支援をしてくださったクラスのみなさんからです

カードはこちら

20250219.pdf


仙台育英高校の野球部のみなさんからも

豪華な花の贈り物です

 

 

 

 

 

 


卒業式はどうやら雪の特異日のようでして

北陸では毎年不思議と雪がちらつきます

今朝も早くから係の先生方で駐車場の整理

 

 

 

 

 

 

思い出に残る卒業式にしようと

裏方さんもみんなで力を合わせます

 

会場である体育館への通路は

未だ崩れたまま

ブルーシートで覆われた通路を通ります

 

 

 

 

 

 

ゆがんだ通路をくぐると

みんなで仕上げた立派な式場へ

 

 

 

 

 

 

 

夜の体育祭にお招きくださった

福岡第一高等学校の校長先生や

 

 

 

 

 

 

 

 

本校にお勤めくださった

春木先生 大坪先生 矢知先生 松村先生 玉置先生

からお祝いのメッセージをいただきました

 

 

 

 

 

 

全校生徒で行う卒業式は

6年ぶりです

つまり今回の卒業生にとっては

中学高校を通して初めての経験です

 

 

 

 

 

 

どうですか?

思い出に残るものになりましたか?

小学校の卒業式に比べると

高校の卒業式は

味気なく感じたかもしれませんね


公費解体を待つだけの我が家の

タンスの下敷きになっていたギター

 

 

 

 

 

 

 

 

坂崎幸之助さんに憧れて

高校卒業のときに買った

6弦と12弦のダブルネックのアコギ

この思い出のギターで

卒業生の門出をお祝いしようと

秘密裡に練習してきました

挨拶が下手な私はお歌で勝負です

 

「あんなにも

 すきだった

 きみがいた

 このまちに・・・」

 

選んだ曲は玉置浩二さんのメロディー

 

「あのころは

 なにもなくて

 それだって

 楽しくやったよ」

 

下手にグダグダしゃべるより

よっぽど気持ちが伝わりそうな気がして

 

「メロディー

 泣きながら

 ぼくたちは

 しあわせを

 見つめてたよ」

 

のつもりでした

 

ギターを持ち上げたとたんに

カランカラン

弦にはさんでおいたピックを

ギターの穴に落としてしまいました

しっとりと6弦のフィンガリングで

静かに始まり

サビはピックで12弦のストローク

劇的なアレンジをしたつもりが

始まってもいないのに早くも破綻です

 

頭の中が動揺したまんま

止めるわけに行かず

 

案の定いきなり歌詞を間違えました

もうあとは思いついた歌詞を

適当に繋げグダグダでした

 

このプレッシャーに弱い性格は

どうにもなりませんね

 

それにくらべ

在校生代表の邑田達紀さんの送辞

卒業生代表の志田心湖(ここ)さんの答辞は

とても立派で心うつものでした

 

 

 

 

 

 

ここちゃんの答辞の中で

心に残ったのは

「嫌われてもいいからと

 それでも厳しく指導してくださった先生

 ありがとう」

のフレーズです

先生だって人間だから

生徒に嫌われたくはないんですよね

でも信念を持って生徒に接してくださった先生

生徒にはちゃんと伝わっています

私が見ていないところで

若い先生方はこのようにして

生徒に接していてくださったんだなと

思わず教員席の方を見てうるうるしました

 

式辞の最後に

卒業生みんなに向けて

ここちゃんにちなんだ言葉を贈りました

輪島に残るみんなへ

「それでもここ輪島にいる」

一旦輪島を離れるみんなへ

「それでもこころは輪島にある」

 

こちらもどうぞご覧ください

https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/wazifh/blogs/blog_entries/view/75/e54d6cf605868386a329026965dee8d4?frame_id=210 

だがしの日イベントin能登

地震から 427 日目

豪雨から 163 日目

 

今日は「だがしの日」

バレンタイン

ハロウイン

海外発祥のお菓子にちなんだイベント数ある中に

唯一日本が発祥のお菓子イベントです

「DAGASHIで世界を笑顔にする会」

のみなさんが訪ねてくださり

こどもたちを笑顔にしてくださいました

 

 

 

 

 

 

本校からもJRC部と野球部の生徒が参加して

運動会や紙芝居など

こどもたちを笑顔にしてきました


輪島高校では3年に一度

生徒会誌「潮鳴」を発行しています

3年間の部活動の活躍など

生徒会がまとめあげます

今年はその発行の年にあたります

巻頭言に次のように書きました

 

東日本大震災を経験された方からこんな手記が届きました。

 『こんな時に産んでごめん』『笑顔のお母さんでいられなくてごめん』ニュースを見ては心をえぐるような情報が入ってきて、心に余裕がなくなり子供にきつく当たってしまい、泣き叫ぶ子供から逃げるようにトイレに逃げ込む日でした。「今が一番いい時よ~」0歳と2歳の娘といると時折そう言われました。『こんなにも苦しくて泣いたり怒ったりしてばかりなのにこの日々が一番いいときなの?じゃあこれからはもっと苦しくなるの?』今でも子どもたちには申し訳なかったなと思います。確かに今思えば本当にかわいい時期だったのです。でも私にとっては一番苦しい時期でした。間違いなく一番苦しい時期でした。

 あのとき私が聞きたかった未来の自分からのメッセージを書きます。

「よく毎日をすごしてるね。とりあえずご飯を食べさせて、寝させて、大きな怪我がないように大きな病気にならないように。がんばって守ってるね。部屋はぐちゃぐちゃだし、ご飯もちゃんと作れてないし、今日も怒っちゃったろうね。でもね、毎日ぐじゃぐじゃだけど生きてきてくれたから今があるよ。ありがとう。ギリギリな感じだけどよく乗り越えてるよ。大丈夫。子供たち大きくなったよ。いっぱいいっぱい心配したけど、ちゃんと成長したよ。思っていたよりもいいことたくさんあったよ。出逢いもいろいろあったよ。いつか子供たちがね、大きくなってくるとあなたも余裕が出てくるよ。そうするとね、今はできないこともできるようになるよ。子供もあなたも家族も状況もどんどん変わっていくよ。子供たちが逆に励ましてくれたりするよ。だから、もうちょっと肩の力を抜いても大丈夫。今かなり苦しいと思うから、そんなときになんとかしなくちゃって焦って思わないで。いいタイミングが来るよ。いい出会いに助けられることもあるよ。叱らなきゃ、ちゃんとさせなきゃって思わないでも大丈夫だよ。いいところたくさん見つけてあげて。そして自分もよくやってるねって思ってあげて。あんまり思えないだろうけど思ってあげて。自分が思っているより周りの人はあなたのこと「よくやってるなー」って思ってるからね。がんばってくれてありがとう。子供たちを守ってくれてありがとう。あなたの毎日が今の力になってるよ。ありがとう!」

 みなさんには、未来の自分から今の自分にどんなメッセージが届くのでしょうか?

 

明日は卒業式です

どちらにつこうかな?

地震から 426 日目

豪雨から 162 日目

 

地震そして洪水に襲われた輪島ですが

少しずつお店も戻ってきて

スーパーなどで買い物をすることも

できるようになってきました

 

とはいえ夜の7時に閉まってしまうので

先生方の買い物も大変です

 

部活動の練習は7時近くまで

その後職員室で残務や次の日の準備

そんな生活が日常化していましたが

それでは店が閉まってしまうので

退校時刻が早くなっているような気がします

 

先生方には

「遅くまで残ってお仕事している先生を

 熱心な先生だと評価する時代は終わりました

 私は

 夜遅くまで学校に残る教員を

 時間内に仕事を終えるための

 タイムスケジュールのできない無能教師

 と評価します」

と伝えてあります

 

かなり乱暴な言い方ではありますが

教員の命を守るためと

教員の成り手不足を解消するため

あえてそのように伝えてあります

 

以下の話は耳にしたことのある方も

多いと思います

 

 

 

 

 

 

この図はアメリカ軍が作った図です

帰還した戦闘機のどこに被弾しているかを

プロットしたものです

赤丸が被弾した部分です

このデータを元に

航空機の強化のために補強します

とはいえ機体はできるだけ軽量にする必要があるので

補強部分は最低限にとどめる必要があります

さて

どの部分を補強すればよいでしょうか?

 

軍が補強したのは

コクピットや主翼の付け根

つまり真っ白な部分です

 

たくさん被弾した真っ赤な部分ではありません

 

なぜか?

白い部分は被弾していないわけではありません

被弾した戦闘機は撃墜されて

帰還できなかったのです

 

私自身若い頃

日付が変わる頃まで仕事に追われ

翌朝は4時くらいに起きて出勤するという

今考えるとなんともバカバカしいことをしていました

 

帰宅途中に気がついたら

信号機のある交差点のど真ん中に

車を停めて寝ていたり

 

家に着いたと思って車を降りたら

全く見たこともない山奥だったり

 

たまたま被弾したのが

翼の先っちょの真っ赤な部分だっただけで

今こうして生きているのは

運良くコクピットを撃たれなかっただけの話です

 

ですので

今輪島のまちは

午後7時を過ぎると買い物ができない

だから仕方なく教員は早くに退校する

いい流れになっています

 

とはいえ閉店間際のスーパーのレジは

ごった返しています

 

生まれつきギャンブルに弱い私は

レジの選び方も本当に下手くそです

 

並ぶレジ並ぶレジなぜか回転が遅く

「レジどこに並ぶ?」問題に

直面しています

 

まず基本は

ついている人数の少ないレジに並びます

そんな時に限って前の人が

カートの下にもカゴを積んでいて

わんさか買い物をしていたりします

 

人数だけではなく

列についている人のカゴの中身も

チェックしなければならないことを学びました

 

列の人数とカゴの中身

双方をチェックした後に最適なレジに並んでも

なぜか自分の列だけ進みが遅い

ようやく自分の番が来て

レジの方の名札を見たら「見習い中」

 

やはりベテランレジの列に並ばなければ…

新たな学びです

列の長さとカゴの中身そしてベテランのいるレジへ

あとひとりで自分の番

そのとき前の客と店員が顔馴染みだったらしく

事もあろうに世間話を始めてしまいました

「無駄話をせずに仕事しろ」と言えない

気の弱い私は一緒に相槌を打っていたり

 

列の人数とカゴの中身ベテラン店員に

列の前におしゃべりそうなおばちゃんがいないこと

今度は完璧です

ことのほかスムーズに進み

よしよしとほくそ笑んでいると

前のお客さんのカゴの中に

バーコードのついていない品があったらしく

「ちょっと確認してきます」

あれあれ店員がどっか行っちゃいました

 

そうこうしているうちに

遠くのレジでは

「お次お待ちのお客様こちらどうぞ!」の声が

空きレジにヘルプが入ったようです

 

次回は空きレジの隣に並んでみようと思います

 

闘いはまだまだ続きそうです

Build back better

地震から 425 日目

豪雨から 161 日目

 

こちらは石川県教委が準備してくださった

住む家をなくした能登地区の教員のための住宅です

 

 

 

 

 

 

小中学校の先生方16名が入居しています

廃校となった中学校の跡地に立っています

私は正直退職まで校長室に寝泊まりする

覚悟でいたのですが

おかげで風呂に入れる生活ができています

本当に感謝です

 

湿気がひどくてすぐ壁に青かびが生えます

ペニシリンでも作って商売しようかと考えています

 

写真手前が駐車場なのですが

田んぼのようなぬかるみ状態

 

そこで先生方は自然発生的に新しい駐車場を

定め利用するようになりました

 

 

 

 

 

 

 

隣には新たな棟の建設が始まっています

 

もともと能登地区には

アパートが不足しており

飯田高校の先生がようやく見つけたのが

輪島のアパートで

輪島高校の先生がようやく見つけたのが

飯田のアパート

60kmほど離れた学校に

お互い1時間以上かけて通勤するなど

相当お間抜けな状態が日常化していたので

その解決策にもなるのかなと思います


春になると仮設校舎の建設が始まり

早ければ秋からの運用を考えています

 

こちらは旧職員室

最も傾きの激しい2号棟にあります

写真が曲がっているのではありません

部屋がもうゆがんでいるのがわかると思います

 

 

 

 

 

 

先生方がいっせいにこの部屋に入り

仮設校舎へ運ぶべき荷物の

整理を始めました


このブログを読んでくださった

国連開発計画(UNDP)シリア事務所等で活躍された方から

お便りが届きました

”Build back better”という

国連機関の災害復旧支援の合言葉を

教えていただきました

ハード面で被災前より良い施設や生活基盤を作ろう

というのが本来の意味です

「災害復旧は現場復帰が基本

 それ以上にする贅沢は許されない」

とする日本の行政のあり方は改めるべきです!

とはいえ金が無尽に湧いて来るわけではないですからね

難しい問題です

 

もうひとつこの言葉には

「被災した個人やコミュニティが

 その経験を共有することが

 他の地域の人たちにとって深い学びになる」

という意味も込められているそうです

このブログが他の地域への経験の共有という意味で

役に立てばいいなと

背中を押していただいた思いです


以前本校に勤めていた玉置先生が

赤ちゃんを連れて遊びにきてくれました

玉置先生のご実家は

珠洲で珪藻土の七輪の切り出しをされていて

以前の地震で工場が全壊

復旧して再開していたのですが今回また…

元気な赤ちゃんは現在8ヶ月

被災して避難生活が続く中で

それでもこの世に生を受けました

「珠洲の海で生きる」と書いて

生珠(うみ)ちゃん

とっても素敵な名前です

ココスクとPTO

地震から 424 日目

豪雨から 160 日目

 

学年末考査3日目

教室では生徒が残って黒板を使って

自主的に教え合いの学習会を開いています

 

 

 

 

 

 


こちらもマンツーマンでの指導

英検の練習です

 

 

 

 

 

 


稲舟地区の危険区域立入禁止の指定がはずれました

発災以来初めて立ち寄ってみました

 

 

 

 

 

 

以前あった道路の脇に

新しく登る道路を建設中です

 

 

 

 

 

 

坂道から見下ろすと

全く手つかずの家がそのまま残っています

 

 

 

 

 

 

坂の上にある輪島市営野球場は

まったく使いものになりません

 

稲舟地区にはかつて輪島実業高校があり

閉校後は野球部がグラウンドを活用していました

 

 

 

 

 

 

野球部が使っていたグラウンドは

崩落こそしているものの

中央部は使えそうです

 

 

 

 

 

 

稲舟校舎(旧輪島実業校舎)は

亀裂が走り建物が傾き窓も割れていました

 

 

 

 

 

 

こちらは輪島市総合体育館

使えそうもないですね

 

子供たちが思いきり運動できる場所が

ことごとく壊されています

輪島高校の施設で使えるものがあったら

お貸ししたいと考えています


さて被災した状況で

これまでどおりのPTA活動なんかムリ!

というわけで

「楽しいことだけやろう」

「できる人だけでできることだけやろう」

昨年1年間こんな感じで

PTA活動をやってまいりました

 

一部の役員が苦労して電話して仲間を募り

無理矢理組織していた各種委員会

これも廃止する

次年度はそんな方針で臨みます

 

PTAは本来

学校と保護者が協力して

子供たちの健やかな成長を見守り

よりよい学校生活のために

活動すべきもの

 

それがいつしか

無理矢理役員を引き受けてもらって

一部の役員だけが苦労して

前例踏襲のためだけに

漫然と続けている

そんな組織になっていました

 

全国を見ても

PTA活動の見直しを進めている学校が

ちらほら見られます

 

まずは兵庫県川西市の保護者グループ

「ココスクール(Connecting Community School)」

1つの中学校と3つの小学校で編成しました

ニックネームは「ココスク」

こどもたちをココでスクすく育てる

という意味が込められているそうです

 

役員はなし

参加資格は全保護者と全教職員

 

活動の方針は

「子どもの命や安全に関わること」

「学校が必要とするときに繋がれること」

のふたつのみだそうです

 

ただ個人の声だと届かないことが

組織のだとしかるべきところに届く

なのでなくすることだけは避けました

なくなることで

子どもたちにしわ寄せが行くことだけは

避けなければなりません

 

また東京都のある小学校の

「PTO(Parents Teacher Organization)」

Oには「応援団」という意味もあるそう

「できるときに

 できる人が

 できることだけやる」

会員が好きな活動を

好きな時に手伝うボランティア制です

 

これらの先進校の事例を参考に

本校もPTA活動のあり方を

見直していきます

 

保護者と教職員全員が会員です

「やってくれてありがとう」で済まさず

全員が会員である思いを持った

組織になればいいなと思います

 

「それでも輪島にいる」

みなさんへのお願いです


【今週の生徒の叫び】

校長ブログを読んだ生徒が書いてくれた

コメントを紹介するコーナー

 

今日は2月7日「能登の我慢を日本の前提にするな」

のコラムを読んでくれた生徒からです

 

 自分達の学ぶための場所がなくなるのは嫌ですが、市民のためとなると仕方ないような気もしてきます。でも教育長さんたちがなるべくグラウンドのスペースが空くようにしてくださっているのがとてもありがたいです。地震が起きてから関わってくださる人や起きる前から関わってきた人、皆に感謝して受けた恩を忘れずに日々生きていきたいです。やる気があれば工夫のしかた次第でどうにでもなる。《尾崎 煕》

卒業制作ができました

地震から 423 日目

豪雨から 159 日目

 

学年末考査の2日目

生徒が熱心に質問に訪ねてきます

 

 

 

 

 

 

部屋もないので

寒い廊下で質問対応です


「動物と共生するまちづくりの会」

の石津佐智子さまより

お便りをいただきました

 

この会は

災害発生時のペット同室避難について活動なさっており

今回

「避難情報発令時、全市民が徒歩で行ける範囲に

 最低一か所の『ペット同室避難』可能なスペースを

 確保することを求める署名」

4,835筆を明石市に提出されたそうです

 

議会本会議のあと議長に請願書を提出され

全会派の推薦を得られたとのことです

市長に署名簿を提出し

防災担当部長 環境局長 教育委員会課長にも

訴えかけられたそうです

ここから第一歩を踏み出されることとなりました


大成建設さんとコラボして進めてきた

「転生プロジェクト」

災害ゴミに新たな命を吹き込むプロジェクトです

 

 

 

 

 

 

ビジネスコースの3年生が

卒業制作として取り組んでいたベンチ

完成して校庭に設置されました

 

 

 

 

 

 

被災地の瓦や漁網などを転生させました

表面の網目模様が漁網です

 

 

 

 

 

 

 

 

これから校庭でみんなを見守っていきます


【今週のありがとう】

 金沢大学 上原 爽世花 さま

「能登写真展」成功裏に終わったことと思います

 

福田圭一監督はじめ遊学館男バレのみなさん

横断幕ありがとう!これからもよろしく!

 

For Michael Blayde's Mom

Thank you for the christmas card.Your son is doing well.

 

石川教育公務員弘済会のみなさま

助成事業への採択ありがとうございます

 

作曲家 弓削田 健介 様

「フェニックス」素敵な曲ありがとうございます

 

※このコーナーでは

 これまでご支援いただいた方々を紹介させていただいています

それでも輪島にいる!

地震から 422 日目

豪雨から 158 日目

 

「ぼくらの街はぼくらがつくる」

輪島高校では生徒が

街づくりプロジェクト「街プロ」

に取り組んでいます

 

 

 

 

 

 

先週

一年生4名と三年生3名が

鳥羽市にあるプラスチック再生工場を

見学してきました

 

 

 

 

 

 

今のプラスチックの状況や廃棄物処理の方法など

詳しくみっちり見学させてもらいました

 

 

 

 

 

 

 

 

特にまるでアートのようなアップサイクルプラが

分別された破材から高温圧縮で加工される様を

興味津々でみてきました

 

 

 

 

 

 

輪島漁業組合から分けてもらった

廃棄扱いだった漁網が

どんな色合いで生まれ変わるか楽しみです


また先日小松大谷高校で練習試合をした

男子バレーボール部が

横断幕をいただいてきました

これは県内高校のバレーボール部が

春高バレーに出場する小松大谷高校さんに贈った

心をひとつにしたメッセージです

今回被災地のために想いを繋いでくださり

本校へとバトンリレーしてくださいました

 

 

 

 

 

 

このもようは

26日(水)夕方

石川テレビの

「石川さんパレット」で放送されます


今日から学年末考査が始まっています

みんな真剣に取り組んでいます

 

 

 

 

 

 


それからサプライズなお客様

 

 

 

 

 

 

五年前に本校に留学生として通っていた

キーガン君が訪ねてくれました

すっかりたくましく成長された彼は

現在カナダの大学で心理学を学んでいます

本校在学時代

一生懸命勉強していた図書室や

お琴の練習に励んでいた和室など

懐かしそうに見学していきました


それから本日は学校評議員会が開催されました

 

 

 

 

 

 

委員長の橋田宏幸先生より

「それでも輪島にいる」

こどもたちのために

高校ができることは何か

しっかり考えながら

教育活動を行ってほしいとの

お言葉をいただきました

 

橋田先生は

輪島女子ミニバスチーム

「レッドイーグルス」を率いて

能登から日本一の偉業を成し遂げるなど

その功績が認められて

先日

「いしかわ中日体育賞」を受賞なさいました

 

「それでも輪島にいる!」

このことばを

これからの輪島高校の

キャッチコピーとさせていただきます


さて国土交通省は

航空大学校において

入学用件に定める158cm の身長制限を

撤廃する方針を固めたそうです

 

国内の操縦士の約4割を輩出している

航空大学校では

女性パイロットを増やすことを

検討しています

 

身長が158cm未満でも

操縦装置に手足が届けば問題ない

とのことです

 

昔身体計測で座高を測っていましたが

それも戦時中にパイロットになれるかどうかを

判断する基準だったと聞いたことがありますが

実際どうだったのでしょう?

 

一般的な説明としては

内臓が十分発育すれば

胴が長くなる

すなわち胴長短足は順調な成長の証

と言われていましたが

その割に私は

すぐに腹をこわしますので

胴の長さのわりには

内臓が充分に発育していないようです

 

現在学校の名簿は男女混合ですが

21世紀初頭までは

男女別名簿を使用していました

男子がさきで女子があと

ジェンダー問題から

今の形に落ち着きましたが

当時はその是非について

よく議論されていました

 

さらに昔は

50音順ではなく生まれ順

つまり生年月日の順に並んでいました

4月26日生まれの私は

いつも3番か4番でした

これはなぜか調べてみましたが

明確な答えが見つかりませんでした

私はこれは

戦時中の徴兵順ではないかと考えています

早く成人した男子から徴兵するためです

 

どなたかご存じの方教えてください

 

ところでうちの孫娘のうーちゃんは

身長制限により遊園地の乗り物にまだ乗れません

3連休も終わりですね

地震から 421 日目

豪雨から 157 日目

 

3日間まるごと豪雪に翻弄され

挙げ句の果てには朝早く余震が来るなど

退屈しない連休ではありました

 

全国的に見ると

さまざまなイベントが行われているようで

平和でいいなと羨ましくも微笑ましい3日間でした

 

北海道では「昭和新山国際雪合戦」が開催され

全国から127チームおよそ1200人が参加しました

雪合戦の聖地で熱い戦いが繰り広げられました

また温泉のまち静岡県伊東市では「枕投げ大会」が開催され

全国から集まった48チームが浴衣姿で戦いました

 

こういったおまぬけなことを真剣にやることが大好きな私は

いつか輪島高校でチームを編成して

挑戦させたいと考えています

 

こういうおまぬけな大会は世界的にもたくさんあって

教育大国フィンランドにおいて

その傾向は顕著です

 

まずは「世界ヘビメタ編み物選手権大会」

フィンランドで特に人気のある

ヘビーメタルのライブをバックに

これまたフィンランドで人気の編み物をするという

訳のわからない大会です

そしてなんと第1回大会の優勝者は

日本人だそうで

なかなか日本も教育大国という意味では

負けていません

 

それから「蚊叩き選手権」

蚊が多い地方で

蚊をやっつけることを大会にして

村おこしをしちゃったという事例です

 

これらのフィンランドネタは

大好きなポッドキャスト番組

「そんない雑貨店」からの引用です

とっても面白いのでぜひ聴いてみてください

 

さて先日亡くなられた森永卓郎さんが

週刊誌に連載していたコラムの最終回を

読ませていただきました

 

命を削って書かれた最期のコラムには

このように書かれていました

 

「今後は定型的な仕事は

 どんどんAIに置き換わる

 数多の職業が淘汰される中

 最後まで残る仕事とは何か?

 それは『アート』だ

 職場で新規授業を生み出す創意工夫をはじめ

 『創造力』を源にした仕事は全てアートだ」

 

先述の「枕投げ大会」は

地元の高校生の発想が元になっていますし

 

「ヘビメタ編み物大会」は

一見無関係なものを組み合わせて

新しい価値を生み出したもの

 

「蚊叩き大会」は

弱みを強みに変えた好事例です

 

いずれも見事な「アート」です

屋根の上に軽四7台!

地震から 420 日目

豪雨から 156 日目

 

ひとしきり雪が激しくなってきました

輪島では単位時間あたりの積雪量

観測史上一位タイを記録しました

 

 

 

 

 

 

雪の重みによる家屋の倒壊が気になります

雪の重さはどれくらいでしょう

さっそく実験してみました

 

 

 

 

 

 

踏み固められていない庭の一角から

30cm四方の穴を開け

その中の雪を採取しました

深さも30cmでした

 

 

 

 

 

 

これを持って体重計に乗りました

 

 

 

 

 

 

ただいまの記録 80.3kg  

雪を降ろして再び体重計に

 

 

 

 

 

 

74.3kg(衣服含む)

雪の重さは

80.3 − 74.3 = 6.0 kg 

 

体積も測ってみました

採ってきた雪を溶かして

4Lの梅干し瓶で測ると1本半

 

 

 

 

 

 

つまり6L

水の比重は1

1Lの水の重さが 1.0 kg なので

6Lで 6.0 kg 

さきほどの測定の正確性が確認できました

 

L は ℓ のこと

ある年齢以上のみなさん

今学校ではリットルをLと表記するんですよ

ヤングのみなさん

昔リットルは ℓ と表記していたんですよ

 

今回は

面積 30 × 30 = 900cm2

大雑把に見繕って

0.1 m あたり6kg

1mあたり 60 kg

の積雪があったと

見積もっておきます

 

ところで

取り出した雪片は

1辺 30cm の立方体です

体積は 30 × 30 × 30 = 27000 cm = 27L

これが溶けて6Lの水になったので

凍ることと

空気を含むことにより 4.5 倍に

体積が膨らんでいたことになります

 

水は凍ると体積が増すという

特殊な性質を持っています

この性質を持つ物質は

水以外には

アンチモンやビスマスぐらいしかありません

 

そして水は 4℃で密度が最大に

つまり一番重くなります

氷河期の海底や湖底には

4℃の水が安定的に存在していて

陸地がどんなに冷えても

その水に生物が守られて

氷河期でも絶滅せず生き延びたと

考えられています

 

さあいよいよ家屋の上に

どのくらいの重さの雪があるか

求めてみます

 

 

 

 

 

 

Google マップで屋根の面積を計算です

ふたつの長方形に分けて

12 × 7 + 7 × 6 = 84 +42 = 126 m

 

屋根の上の雪は

60 × 126 = 7560 kg ≒ 7.5 t!

 

以前リフォーム会社の方が

「軽四自動車7台分

 7tの重みがかかりますよ」

って言っていたのと

一致しました

 

今回の雪は比較的

パウダースノーに近い

サラサラの雪でしたが

いつもの北陸地方の雪は

もっと水分を含んだ重い雪なので

さらに注意が必要です

 

豪雪対策で最も効果的なのは

瓦を軽いものに替えることだそうです

全国から入る復旧支援の方は

まず屋根が真っ黒なのに驚かれます

生まれてこの方

これが普通と思っていましたが

言われてはじめて気づきました

 

昔ながらの能登瓦は

水田の土を使い

山の薪を燃料に焼成され

漆黒の釉薬で覆われており

真っ黒でずっしり重く

耐寒性に優れます

 

海に向かって斜面が続く能登半島の海岸線で

高台から集落を隔てて海を見下ろすと

艶やかに光り輝く瓦の表面と

青い海のコントラストに心が奪われます

この光景はNHK朝のテレビ小説「まれ」の

オープニングでも流れていました

 

おそらく雪が溶けやすいように黒く

日本海から吹き付ける冬の季節風に飛ばされないよう重く

進化してきたものと思われます

 

今回の地震でも

昔ながらの製法で焼かれたものは

限りなく強く決して割れなかったそうです

 

伝統をとるか

安全性をとるか

難しい選択です

尊い仕事に就くみなさんへ

地震から 419 日目

豪雨から 155 日目

 

発災以来長きにわたって

自衛隊の方々のご活躍の場面を

ずっと目の当たりにしてきました

 

床が歪み

壁がひび割れ

すきま風が入り込む

凍てつくような

傾いた体育館の中で

足の踏み場もないほどに

敷き詰められた

狭い簡易ベッドで

ひととき身を休めながら

ずっと人命救助に

当たってこられた

自衛隊員の姿を見てきたのは

生徒も同じでした

 

この尊い仕事に自分も携わりたい

と決意したふたりの生徒が

自衛隊に入隊します

 

石川県自衛隊入隊入校予定者激励会に

参列してまいりました

 

自衛隊さんにご支援をいただいて以来

イベントには極力参加して

お礼を申し上げることにしています

 

今日は入隊予定者が

ひとりずつ壇上に上がり紹介されました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主催者である石川県防衛協会の

副会長の里谷光弘様は

本校の建設にもずっと関わってくださっていて

そのご挨拶の中で

「被災民は自衛隊の車が通ると

 ずっと手を合わせている」

とおっしゃっていました

 

先輩隊員からの激励の中に

「自衛隊は掛け算の組織である」

とのお言葉がありました

一人ひとりの力が集まると

単なる足し算ではなく

大きく広がっていくんですね

そして掛け算の怖いところは

ひとりでもゼロがいたら

全てがゼロになってしまうこと

誰ひとりゼロを許してはいけない

厳しい組織でもあります

 

中部航空音楽隊による激励演奏

フィナーレを飾ったのは

「星条旗よ永遠なれ」

尊い仕事に着くみなさんを送り出しました

 

憲法九条に関係し

自衛隊のあり方について述べるのは

難しいものがあります

 

あれは湾岸戦争が激しくなってきた頃の話

自衛隊に入隊したがっている息子を止めて欲しいと

担任をしていた生徒のお母さんにお願いされ

「お母さんは君を人殺しにするために

 苦労して育ててくれたんじゃないと思うよ」

と今思えばとんでもないことを口にした思い出があります

何も知らない当時は

自衛隊イコール軍隊イコール戦争と

短絡に結びつけていました

 

自衛隊の方々の献身的な支援の姿を

ずっと見続けてきて

今では自衛隊の車に手を合わせているひとりとして

自衛隊は国家と国民を守る

本当に尊いお仕事であるとの強い想いを抱き

今日の若者の凛々しい姿を見て

式典のあいだずっと涙を堪えていたのでした

 

アメリカ軍が行ったある調査があります

帰ってきた兵士の銃を調べました

すると実際に銃を撃った形跡は

ほとんどないのだそうです

隊長が「撃て!」

と命令しているのに関わらずです

実際に撃った形跡があるのは

命令をした隊長のすぐ近くに陣取っていた 

ごく少数の兵士の銃だけなのです

戦争という極限状態の中でも

誰も人を殺したくなんかないようです