日誌

レスリング日誌

レスリング部 第3回県外遠征

 レスリング部 第3回県外遠征を1月9日~10日にかけて京都廣学館高校で行いました。
 近畿ブロック、中国ブロック、東海ブロックからも参加があり、女子選手17名を含め総勢90名を超える合同練習でした。
 本校からは大学進学を希望し継続してレスリングを行う選手、今年から国体に女子レスリングが正式採用されることもあり、女子選手1名の3名が参加をしました。
 参加した清水は昨年の全国グレコ、国体ともに3位。喜多も全国総体、国体ともに5位の実績があり、今年は表彰台のトップに立つ目標を掲げ、同じ階級の選手や2階級上の選手と練習をしていました。本校の女子選手も他校の経験が豊富な女子選手に何度も挑戦しており、充実した練習ができました。3月に出場する全国選抜大会に向けていい滑り出しをすることができました。


1階級上の選手と実戦練習を行う     女子部員同士の実戦練習

今回の合宿に参加した男女選手達

レスリング部 第2回県外遠征

レスリング部 第2回県外遠征
 12月4~6日に専修大学へ遠征に行きました。
 ロンドン五輪強化委員長であり、自身もソウル五輪で金メダルを獲得している佐藤 満 氏が指導し、大学生たちも力をつけてきており、勢いがついている学校の一つでもあります。
 部員達は積極的に大学生に胸を借り技術練習や実戦練習に取り組んでいました。実戦練習では大学生を追い込みポイントに繋げることが何度かあり、普段の練習とは違う雰囲気の中、自分の力を発揮して良い刺激となった練習でした。



大学生との実戦練習       佐藤 満 氏による技術指導



元世界3位に胸を借りる清水

全国選抜北信越大会

 全国選抜レスリング北信越大会が11月14~15日に志賀町で開催されました。
 昨年度はこの大会で学校対抗戦準優勝をしており、2年連続全国選抜学校対抗戦出場を狙っていました。
 学校対抗戦で最重量級の120㎏級不在の6名でエントリーし、初戦の小諸高校に4対3で辛勝。続く2回戦で敦賀気比高校と対戦し2対5で敗れました。
 北陵は敗者復活戦にまわり、代表決定戦で昨年の決勝と同じ高岡向陵と対戦しました。
 高岡向陵は50㎏級が不在でお互い6名エントリーの対戦でした。北陵は50kg、55kg、74kg級に勝利し、勝敗数が3対3で並び、フォール数、勝ち点共に並びました。その次の優先順位は総フォールタイムです。審判団が時間を計算し、北陵は僅か15秒の差で敗れ2年連続学校対抗戦出場の目標が断たれました。
 翌日の個人戦では全国グレコ3位、国体3位の清水が1階級上げての出場で優勝。全国総体5位、国体5位の喜多も危なげなく優勝し全国選抜大会個人対抗戦出場の権利を獲得しました。
 試合後、今大会の反省会を応援に駆け付けた3年生が部員を集め緊急ミーティングを行い、今後の目標のあり方、取り組み方について話し合いをしました。
 この経験を糧に新たな目標の下、継続的な努力が必要と感じているようでした。

石川県高等学校新人体育大会レスリング競技結果報告

石川県高等学校新人体育大会レスリング競技結果報告
 10月24日に志賀町総合武道館にて県新人大会が開催されました。
 学校対抗戦では今年度3つ目のタイトルをを狙っていましたが、結果は準優勝でした。
 個人対抗戦では55kg級清水、74kg級喜多が優勝。66kg級英が準優勝でした。
学校対抗戦、個人対抗戦で優勝、準優勝で全国選抜大会北信越予選に出場します。
 今大会では大きな課題が浮き彫りとなった大会でした。
また試合会場には3年生が応援に駆け付け、試合後に3年達が緊急ミーティングを行い、各選手に明確な目標があるのか?大きな壁を越えるためには何が必要とされるのか?を再検討しました。

自分の力を信じ、誰が相手でも臆することなく全力で挑む心が目標達成の道です。


レスリング部 国体出場者全員入賞!

第70回国民体育大会(紀の国わかやま国体)において3名表彰台へ!
 和歌山県で開催された国民体育大会において、フリースタイル74㎏級 喜多佳佑、グレコローマンスタイル50㎏級 清水蛍汰、グレコローマンスタイル55㎏級 藤波諒太郎が出場しました。
 74㎏級喜多は初戦から危なげなく勝ち上がり、準々決勝では全国選抜、全国総体2冠の選手に敗れたものの5位入賞。
 50㎏級清水は脇腹を合宿中に痛め、寝技の技術展開で不安が残るまま試合に出場しました。初戦を無失点で勝ち進み、準決勝では全国グレコ覇者に敗れたものの3位。
 55㎏級藤波は初戦を僅か58秒で勝利し、準々決勝では4対5とリードされたラスト20秒で猛攻を仕掛け、2ポイントを獲得し準決勝へ進出をしました。準決勝は全国グレコ覇者に敗れたが悲願の表彰台に上がることができました。
 藤波は全国グレコでラスト十数秒で表彰台を逃した経験もあり、最後まで諦めないことを教訓とし、最後まで攻め続けたことにより国体で雪辱を晴らすことができました。